将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:共同幻想論

12100207 新聞を読んでまた新たにいくつものことに気がつくものです。

2012/10/03 06:27日経の36面の「高澤等『家紋が語る先祖の本音 集め続けて3万種類、歴史の一断面に光あてる』」を読みました。この方によると、家紋はこの方が採集しただけで3種類、「おそらくは10万種類はあるだろう」というのです。驚いてしまいますね。

 先祖を10代さかのぼれば、ざっと1000人の男女がそににいることがわかる。

 これをものすごく感じています。
 私は数年前に、私の長女おはぎが私の義母玲子を中心とした系図を作ってくれました。それで私はそれを見て「あっ」と驚いたのです。人間の系図といいうのは、天皇家やイエスキリストの系図のように、上に上に、あるいは下に下に血族で広がるものなのではなく、姻族によって驚くくらい横に横に広がって行くのです。
 これで私は初めて吉本(吉本隆明)さんのいう、『共同幻想論』が分かった気がしました。
 これで血族姻族だけではなく、二人の愛する対幻想というのも大事なものだ12100211し、そして自分一人の自己幻想も大事なのだなあ、ということに気がついたものなのです。

 吉本隆明さんの『共同幻想論』は実にいいです。そうですね、『心的現象論』もいいし、『言語にとって美とはなにか』も私には最高にいいです。

11031609 宮城谷昌光の数々の小説を読んできました。これからも文庫本にされたものはすべて読んでいくつもりです。
 彼の中国古代の小説を読んでいると、いわゆる中国の一般的な古典上では出てこないような出来事が大量に書かれています。彼は実に甲骨文から読み出してきているのです。これはそれだけで驚いてしまうことですが、それだけではないことに気がついてきます。そのときに、以下の本にたどりつきました。

書 名 中国古代の民俗
著 者 白川静
発行所 講談社学術文庫
1980年5月10日初版発行

 私は中国の歴史も文学も好きですから、白川静という学者の名前はよく存じていましたが、こうして1冊の本を通して読んだのは始めてです。
 読んでみてなんと言ったらいいのでしょうか。ますます、わけが分からないよと、泣き言を言ってしまうしかない私になってしまいます。どうして、「万葉集と民俗学」「詩経と民俗学」という章が並んでいるんだろうと思ってしまうのです。折口信夫を論じ、すぐま中国古代の歌謡を論ずる方法には、私ではただ驚いてしまうしかないのです。
 だが、訳が分からない私としても、非常にいろいろなことが示唆された本であるわけです。現在私たちがインターネットという英語が主体の世界に接してしまわざるを得ないときに、日本の古代でも漢文というまったく違う言語に出会ってしまった私たちの祖先をとまどいを思います。それでも私たちの祖先たちは、その言語文字を使用して、日本の文化民俗を作り上げてきました。このことは、現在の私たちに、大いに考えさせることがあると思うのです。また、吉本隆明「共同幻想論」において、吉本さんが共同幻想を論ずるのに、「古事記」と「遠野物語」のみで論を展開するわけですが、これは中国あるいは東南アジアの古代民俗を研究することによっても可能ではないのかな、と大いに意を強くしたところなのです。でもとにかく、まだまだいろいろなことを学んでいかなければならないことを深く思います。(1997.09.14)

11011305 1992年に書いていた文です。私の亡くなった友人堀雅裕さんのことを思い出している中で、この文章を見つけました。

 7月8日(水)に飲んでいたとき、店としては2軒目だった。1軒目では、近江俊郎追悼とか称して「湯の町エレジー」とあと一つ唄い、さらに「山小屋の灯火」を唄おうとしたりして騒いでいた。飲んでいたのは谷中の「双葉」という店。次に西日暮里の「きゃらめる」。一緒に飲んでた激辛庵(堀雅裕さんのハンドル名)さんが昔プロの歌手だったから、またここでも圧倒的にふたりで唄っていた。 そうしたら、だれか若いひとがステージへでて唄った。私はその歌を聴いたときに「うんこれはいいな」と思った。なんだか魂に寂しく迫ってくる感じで、思わず彼のところいって、いい歌ですねと誉めてしまった。
 ママにきいたら、尾崎豊の歌だという。
 それで翌々日、またあの歌を今度は本当の尾崎豊で聴いてみたいと思った。それでCDをさがしたのだが、いっぱいあって、どれがこの間の歌だか分からない。それで本屋にいって彼の関係の本で歌詞で当ってみることにした。
 そうしたら、なんと神保町三省堂には彼の関連の本が13種類もおいてあった。何冊か見てみて、この本を買った。

書 名 尾崎豊 Say good-by to the sky way
著 者 尾崎豊+尾崎康+大楽光太郎+吉岡秀隆+アイソトープ+エッジ・オブ・ストリート
発行所 リム出版

 それで、その中の歌詞でさがしてみると、その歌は「卒業」という曲だった。それですぐにその曲の入っているCDを買った。それで本を読みながら、事務所のCDで聴いてみた。……おもわず涙がこぼれた。

   卒業
 校舎の影 芝生の上 すいこまれる空
 幻とリアルな気持 感じていた
 チャイムが鳴り 教室のいつもの席に座り
 何に従い 従うべきか考えていた
 ざわめく心 今 俺にあるものは
 意味なく思えて とまどっていた

 放課後 街ふらつき 俺達は風の中
 孤独 瞳にうかべ 寂しく歩いた
 笑い声とため息の飽和した店で
 ピンボールのハイスコアー 競いあった
 退屈な心 刺激さえあれば
 何でも大げさにしゃべり続けた

 行儀よくまじめなんて 出来やしなかった
 夜の校舎 窓ガラス壊してまわった
 逆らい続け あがき続けた 早く自由になりたかった
 信じられぬ大人との争いの中で
 許しあい いったい何 解りあえただろう
 うんざりしながら それも過ごした
 ひとつだけ 解ってたこと
 この支配からの 卒業
    (以下略)

 それで彼のCD聴きながら仕事していた。夕方になって、友人が尋ねてきて、「なんだこの曲は、周さんらしくない」とかいいながら、実は彼もきのう飲み屋で尾崎豊のビデオ見て、「こんなにまじめでいいとは思わなかった」と感じたそうだ。
 まあそのあとは、もっと何人かで飲み会。
 でも尾崎豊いいですよ。なんか生前に知らなかったことがたいへん悔やまれる。知ったばかりだから、しばらくはいろいろ彼の曲聴けるだけ聴いてみよう。
 だけど彼が亡くなったときにマスコミでいわれた、「10代の教祖の死」だとか「反逆児が大人になって、云々」とか「教祖としてのプレッシャーに負けた」とかなんて全然しないじゃないか。もちろんかれのこと若い人が好きになるのは解る気が大いにするけれど。
 この本の中に「共同幻想論」という見出しがあった。でも私は驚かなかった。なんだかそんな気がしていたんだ。彼は吉本(吉本隆明)さんのことよく判ってたんだな。

  彼は吉本隆明の「共同幻想論」が好きだった。
  人と人がとが交じり合い、どこまで人間らしくコミュ
 ニケートできるか、という刺激的なテーマに魅かれた。
  だが、彼はある意味では冷めていた。
 「吉本さんが『共同幻想論』を書いた時、もうその思
 想は打ち砕かれている。表現するということはそうい
 うことなんだ。できないものだから叫びたくなる」といった。
  だが、そして、やはり、彼は優しかった。
 「でも、それを表現すること自体が吉本さんの優しさ
 なんだ。その優しさを見逃してはいけない」
  彼は安易な平和主義者でもなければ、激しいコミュ
 ニストでもなかった。希望を持とうとしていただけだ。
     (彼だけが知っている彼「共同幻想論」)

 今の若者たちのいる場を考えると、とくに中高生たちの場考えると、みんなこの尾崎豊の歌に魅せられるのわかる気がする。たくさんのたくさんの尾崎豊がいるんだと思う。もちろんひとりひとりは尾崎のようなアーティストになるわけではないけれど、みんなこんなふうに、苦しんで反抗して泣いて大人になっていくんだろう。ただそれをこんなにまで美しい詩と曲で表現できたのが、彼だったのだ。(1992.07.13)

1101051192-11-04 06:59:24 ゴトの推薦図書。「思想としての東京」
 ゴトの推薦図書 「思想としての東京」講談社文芸文庫。

 きょうこの本探したけどみつからなかった。また探します。
 しかし磯田光一とこれからもつきあうようになるとは思わなかった。彼の痛々しい晩年見ていて、もう彼の本を読むことはないだろうと思っていた。でもまだ読む価値がありそうですね。
 三島由紀夫が自刃したとき、磯田はかなり読ませる文章を新聞に書いていた。「三島由紀夫VS東大全共闘」からかなり書いていた。結局東大全共闘にとっては三島のいう天皇が二重に分かっていなかった。でも私は三島も全共闘を評価しすぎな感じがしていた。その三島の天皇を全面に評価している文章だったと思う。確かに、あの事件を否定する市民主義者や、肯定する左翼よりも、磯田のその文はうなずけるものがあった。そして磯田は最後にこう書いていた。

 「この三島の天皇に対抗できる思想といったら、それは吉本隆明の
  『共同幻想論』しかないのではないか」

 たしかこんな文だったと思う。磯田はどうしても、三島に寄り掛かり、そしてその対称に吉本さんを置いていたように思う。でもはたしてそうなのか。私は意地悪く問いたい気がしていた。それが突如として、彼は江藤淳の方へいってしまったのである。三島のように殉教するわけにもいかず、吉本さんのように、「自立」というわけにもいかなかったのだろうか。急に江藤なのだ。
 私はそんな彼を一番からかいたかった。「君のやっているのは、昔日本共産党がいっていたことなんだよ、20年代の共産党と同じじゃないか」と。江藤が何かアメリカとの問題を持っている気がしたから、江藤に言っても、江藤からは何倍もそれへの反論がきそうな感じはしたが、磯田は何故なのだという思いがあった。あれほどの才能をもった、あれほどのするどい評論の書けた彼が何でああなってしまうのだという思いがあった。
 私はその答えは、彼は結局何かが怖い、弱い人間なのだなと思っていた。何かに頼らないとやっていけない。人は本来、独りで自立すべきものなのに、彼は日本のアメリカからの自立なんてことばかりに焦点をあててしまった。しょうががないものだな。ずるいんだなと思っていた。ところが彼の死である。彼はかなり真剣だったのだ。そしてこの日本の近代とうまく格闘することができずに、文字どおりそのまま死んでしまった。

 おそらく磯田光一はそのことに気づきながら、深い屈折を秘めた作品
を書いていたのです。そうして、身のふりどころのない生に耐えながら
死んで行きました。
 彼には語っていない沢山のことがあるはずです。鋭利な論理性をもっ
ていた磯田光一は、しかし、論理よりも、情念的なものにあこがれを持っ
ていたようです。そんな彼が鋭い思考をもって日本の近代に挑みかかり、
その果てに破綻しました。(92-11-04のゴトさんの文章)

 彼の死を思うとき同じく村上一郎の死も思う。全く資質は違うように見えるが、結局は同じなのではないだろうか。日本の近代と格闘して、とうとう疲れて死んでしまった。村上の場合は、短刀による自殺だったが。二人とも、結局「日本」をアメリカに象徴されるものとの対比で考えてしまったのではないか。そしてこの二人とも、すぐそばに吉本さんというとてつもなく大きな存在がいた。吉本さんに「日本なんて、そんなものじゃない」と簡単にいわれてしまうことしかできなかったのではないだろうか。彼等のいう日本とは、結局また本居宣長の作った日本ではないのか。
 ゴトさんに聞きたいのですが、ちょっと思ったのですが、磯田に柳田国男とか、折口信夫のこと書いた文章はあるのですか。村上一郎もどうなのだろうか。そこらが分かれば、私にはかなりなことが分かった気がします。
 考えてみれば、橋川文三もとっくに亡くなったわけだし、あとはあとは桶谷秀昭だけですね。この人はどうしているんだろう。まだいくつか書いてはいるようですが、なんだかわすられてしまった感じがありますね。
 私たちがこの評論家たちと出会ったのは、ちょうど70年のときです。よく学習会やったの覚えています。でもあのころはまだ分からなかった。今になってさまざまなことが見えてきたように思います。しかし、そのころから吉本さんだけは一貫していますね。 (1992.11.06)

10111219共同幻想論
  1968.12.5 河出書房新社 580円
  序
  禁制論
  憑人論
  巫覡論
  巫女論
  他界論
  祭儀論
  母制論
  対幻想論
  罪責論
  規範論
  起源論
  後期

10110918  吉本隆明鈔集19「ぼくは秩序の敵であるとおなじにきみたちの敵だ」へ、竹内正則さんから以下のコメントを頂きました。

1. Posted by 竹内正則   2010年11月11日 03:28
高校生だった私は、共同幻想論を呼んで衝撃を受けたのですが、

「気やすい隣人」という幻想によりかかる人間の哀しみ、
「秩序の敵であるとおなじにきみたちの敵だ」に存在する自己嫌悪的孤独感、
自分は、ひとり、であるという事実に震える夜です。

 竹内正則さんは、以下のサイトをやられています。

 http://blog.goo.ne.jp/yanagida_park
    東京北区の柳田公園にある不思議な遊具
 http://ryodan.com/books/
    旅団ブックス ryodan books オンライン古本店
 http://ameblo.jp/kmb-blog/
    くしゃまんべ店長・竹内のブログ

 ときどき拝見していますよ。
 そうですね。私なんかは、『共同幻想論』は大学生で読んだわけですね。中学高校のときに、柳田国男、折口信夫はもう知っていたわけで、でも吉本(吉本隆明)さんを知ってからは、この二人はまた違う大きな存在になったものでした。そうねえ、それとマルクスも違う目で見るようになったものです。今でも、その格闘は続いていますね。

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 ツイッターで、以下のようにありましたので、

tramondo1    共同幻想論を理解しようとするならば「古事記」と柳田国男「遠野物語」を精読する必要があります。

 私が以下のように返信しました。

@tramondo1 ただそれには『古事記』も「柳田国男『遠野物語』」をさらに理解するための本を読む必要が出てきます。それよりもただ『共同幻想論』にあたるのがいいと思うのですね。そうでないと、「対幻想という概念はフロイトも読んだほうがいいし」と、ただただ広がってゆくばかりです。

 私はこれはどの本を読んでいても思うのです。まずその著作自体を読んでみるべきだと思うのですね。
 吉本(吉本隆明)さんの『共同幻想論』を理解しようとするには、まずはマルクス、エンゲルスの『経哲草稿』『ドイツイデオロギー』を読まないとなりません。そしてフロイトを読んでないとなりません。『精神分析入門』『夢判断』くらいは読んでおくべきです。
 そして『古事記』は必読ですね。そして柳田国男です。でも柳田国男は膨大で実に大変です。私などは、『柳田国男全集』を目に前にして(私の家では、兄がこれと『折口信夫全集』を持っていました)、ただただため息をつくばかりでした。私の高校生のときです。だから、私はその数冊の中のわづかしか読んでいないです。
 でも『共同幻想論』は、大学2年のときに始めて読み、その後は何度も読み通しました。私は大学生になるまで吉本隆明さんと言う方を全然知らなかったのです。丸山真男は大学に入ったばかりの5月に読んだもので、実に大感動して読んでいたものです。引き続き『現代政治の思想と行動』を読みましたが、この本にはそれほど感心はしなかった思いでした。でもそれも何もかもが吉本隆明さんを読むことで、すべてが変わった思いがしたものでした。
 それから『試行』をいつも購入するようになり、27歳くらいからは定期購読するようになりました。吉本(吉本隆明)さんに関する本は、雑誌等々の特集号もすべて購入し、今もすべて持っています。
 そしてパソコン通信の世界で、『吉本隆明鈔集』をやりはじめ、インターネットの世界になっても続きまして、今のブログの世界でも続けています。もうけっこうな分量になってきています。

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 それで、まだ書かないとなりません。
 アジア的段階については、ギリシア=ローマの時代が古典古代と言われるものの前の時代だと思われます。ヘロドトスの「歴史」で描かれているペルシア戦争のダレイオス1世やクセルクセス王の側が明らかにアジア的と言われる段階です。
 次のトゥーキューディデスが書いている「歴史」(岩波文庫では「ペロポネソス戦史」という題名になっています)は、この古典古代社会における戦争を描いているのですが、何故かアテナイの敗北までは書いてありません。
 ただこの2つの歴史に関する書物は、古典古代社会であるギリシアとその前のアジア的な社会であるアジアの姿を描いてくれたかと思っています。
 ところで、では実際のアジアである中国では、例えば司馬遷「史記」では、一体このアジア的というのは、どこになるのだろうと思います。まさしく、「史記」で書かれている社会時代は、「アジア的」と言われるものなのでしょうね。
 でもヘーゲルーマルクスのいうアジアとはせいぜいインドまでなのですね。
 でもこの日本ではどうなのだと思うのですね。「吾妻鏡」で描かれている鎌倉幕府が、「玉葉」で書かれている鎌倉時代が、いわゆるアジア的のあとの封建制と言われるものなのかなあ、と思っています。関東御成敗式目がいわば、封建的法とすれば、律令がその前のアジア的なものなのだと言えるのだと思います。

 それでいつも、では「アフリカ的段階」と言われるのはどこなんだ、なんなんだと思ってしまうところです。
 ただ言えるのは、その昔のマルクス主義のいう歴史観では、もう理解外のことであろうと思うのです。マルクス主義のいう歴史観とはエンゲルスーレーニンの言うマルクス主義歴史観です。
 そして私には、いつもここで、島尾敏雄が浮かんできて、そして柳田国男を思い浮かべます。
 私は昔沖縄の太平洋岸の久志という村で、戦後始めて行われたハーリー祭りに参加していて、その舟の上で、そして祭りの最後に村あげての踊りの中で、「こういう姿が、いわゆる『アフリカ的』なものなのかなあ」なんてことを感じていたものです。

  「アフリカ的段階について」の3 に続く

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 吉本(吉本隆明)さんのいう「アフリカ的段階」というのは、「共同幻想論」で展開された中で、「アジア的段階」の前に想定される歴史的段階のことです(ただし、「共同幻想論」では、この「アジア的段階」ということでの展開はありません、だよな、というかもう自信がありません)。
 この「アフリカ的」というのは、三木成郎さんを吉本さんが知ってから、言い出されたことだと思います。人間は動物ではあるわけですが、人間の中に植物的と言われるものがあるということを三木さんの言われることで、判りまして、それでこの「アフリカ的」ということを言われたのだと思います。
 ヨーロッパにおいて、「アジア的段階」というのはいつなのか? それはヨーロッパが封建社会から市民革命を経て資本主義社会に入っていくわけですが、その封建社会の前がアジア的段階です。というと、ギリシアの都市国家がアジア的社会の次の古典古代であり、ギリシアに破れたペルシアがアジア的社会だったのかなあ。
 ギリシアだとミケーネ文明社会がアジア的段階の社会だったと思われます。
 吉本さんがソルジェニーティン「収容所群島」のいくつかの箇所を引用して、ソビエト連邦のアジア的なもの(それはほとんど収容所内の出来事で)を書かれていました。それは実に納得できたものでした。
 それで、でも肝心のアジアではどうなんだというと、中国では、宋の時代以降は封建社会と言えるのかなあ(ここで、私みたいな人が、孔子が周国の時代の封建時代を誉めているのですが、そういうことを言い出すと、混乱しますから、私は言い出さないようにしてください)。
 それでこの日本はというと、これまた大変です。鎌倉時代を定義するのも、安土桃山時代を定義するのも大変です。この日本では、弥生式時代からアジア的段階と言えるのではないかなあ。
 それで肝心の「アフリカ的段階」なのですが、この日本では、縄文式時代があたるのではないかということだと思うのです。そしてこの日本に置いては、沖縄を中心とする南島がそのアフリカ的段階なのだということで(このアフリカ的とかアジア的とかいうのは歴史的段階のことで、どちらがどう進んでいる、進歩しているということではありません)、だからこのことで、沖縄の問題(米軍に占拠されていたこと)は考えられるのではないかということだったと思います。

 私は判っていないと言えるようなことなのですが、まずここまで書きます。

  「アフリカ的段階について」の2 に続く

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 いわゆる表現の芸術性が問題になるのは文学なんだという観念をもっと広げていったら、それは普遍文学というものになるんじゃないかと。だからその頃、俺は何をしたいんだっていわれたら、実際にあるかどうかは別にして普遍文学っていうものを想定していたんです。ジャンル別にこれは文芸、これは何っていう考え方をとらなくても普遍文学っていう概念を作れば最終的にその中にみんな入っていくんじゃないかと考えてましたね。それで相当程度の問題は、歴史的にもそれから現実的にもその範囲の中に入れていくことができるんじゃないかということは今でも考えたりしてますけれど。これは柳田国男なんかの影響が現れたひとつの形だと思います。(「吉本隆明 自著を語る」第七章『共同幻想論』)

 このことが『共同幻想論』について書かれている中に書いてあるというのが私には大きなことに思えます。『共同幻想論』というのは、私は単純に国家論だと思ってきたわけなのですが、そんなことでくくれないのだということを私は感じています。

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