将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:内藤越前守

1303070113030702  今日の回を読んで、私は羞かしいくらいに涙を流していました。私独りの部屋ですからいいのですが。
 加倉井隼人が語ります。

「大村様が貧乏のひもじさのと申されるなら、それがしは尾張のものなれど旗本御家人のみなさまにかわって言い返せねばなりませぬ。・・・・・・」

 これはいいセリフです。大村益次郎も内藤越前守もただ腕組みし、佇立するばかりです。「本多左衛門が老いた背をこごめてなき始めた。」とあるばかりです。いや、またこのあとを読んでも私は涙が出るばかりです。

 人々のまなざしは蒲焼の皿を前にした六兵衛に注がれた。
「食うて下され、的矢殿」
 沈黙に耐えかねたように誰かが言うた。

 もうどうしてか私はこんなにも涙を流します。六兵衛に鰻の蒲焼を食うてほしい、そればかりです。

 六兵衛がおもむろに皿を取った。人々は息をつめた。

 私も息をつめます。

 御書院番士的矢六兵衛は、行儀よく凛と背を伸ばして鰻を食うた。落ち窪んだ眼窩からはとどめもなく涙が溢れていた。泣くほどうまいのか、それとも空腹に屈したおのれが悲しいのか、誰にもわからぬ。

13030611 いやこの六兵衛はけっして「屈した」わけではありません(と私は思います。思いたいです。いやいや、という声も私のうちから沸きあがります)。でもでも私は嬉しいです。 志は、「続ける、貫徹する」ことではなく、こうして変わることでもあるのです。それが立派な志と言えるのだと私は思うのです。
 この的矢六兵衛も加倉井隼人もこの小説の中の人物です。でも私には実際に存在した人間のように思えています。

1303060113030602  今日は大村益次郎が言います。だがそれに加倉井隼人が言うことが実にいいです。

「加倉井さん。これは残酷な話です」
 しばらく六兵衛の表情を見つめたあと、大村益次郎は箸を置いてしみじみ呟いた。

 それに対して、隼人が言います。

 隼人は分も弁えず声をあらげた。
「残酷だの人情だのと、どの口がもうされるか」

 私もそう思います。あの彰義隊への力攻めは残酷でした。でも仕方なかったといえるのかなあ。それを指揮していた益次郎と、それを命じた西郷を思います。

 大廊下から「やめよ」と声がかかった。振り返れば溜間の敷居ぎわに内藤越前守が佇んでいた。

 こうして止めるのも当然です。隼人は幕臣ではなく、官軍の将校なのです。だがさらにいうのです。

 隼人の抗弁はやまなかった。ここ半年の間、腹のそこに滾っていた怒りが次々と声になった。

13030404 もう私には隼人の気持もよく分かります。でも「やめよ」という内藤越前守の気持にもおおいに同感してしまいます。
 あの時期はこうした大変な時代だったのですね。それをこうして私たちは新聞小説で読むだけなのです。

1303010113030102  この回では、私がどうにも好きになれない内藤越前守がまともなことを言っています。

「・・・・・・。いかに魑魅魍魎の世の中とは申せ、今少しまともに考えられるのか」

 こういわれると、加倉井隼人も考えます。福地源一郎も本多左衛門、栗谷清十郎も同じでしょう。
13022807 でも田島小源太が叫びます。

「御頭はどこじゃ!お出会いめされよ、六兵衛が六兵衛が!」
 田島小源一郎の叫び声である。

 どうしたのでしょうか。座っていた六兵衛が立ち上がったのでしょうか。そしてどこかへいくのでしょうか。また明日を期待します。

1302280113022802  福地源一郎の一見無稽な話ですが、それなりに根拠があるのかもしれないと思った私です。

 ・・・・・・、通りがかった柳の間を覗いてみれば、内藤越前守、本多左衛門、栗谷清十郎といった面々が集まって、何やらひそひそと話し合うていた。

 作者ならずとも、私でもこの連中は何をしているのだと思います。もう将軍慶喜が水戸へ行ってしまった後に宮城に残って何をするのでしょうか。何もないはずなのです。
 しかし、この連中はもはや何もできないはずです。彼らもそれは分かっているのではないかなあ。
 加倉井隼人はこの連中も見ないとならないのです。「もはや何もできない」と言っても、このま13022714まではただただマイナスな存在だけです。
 的矢六兵衛はこのままどうするのかなあ。

1212240112122402  この加倉井隼人の思い込みは途方もないとしか思えません。でもよく分かる思いです。

 狭苦しい御坊主部屋で内藤越前守と談じこんでいる間に、ふと途方もない想像が降り落ちてきたのだった。

 田島小源太が次のように言うのも無理からぬことです。

「お頭、それはいくら何でも考えすぎじゃ。六兵衛は六兵衛にちがいない。これまでにも、多くの者がそう認めているではないか」

 私は水戸烈公は好きですが、その息子の慶喜はどうにも好きになれません。晩年のカメラに凝っていた彼の姿がものすごい印象があります。
 彼が晩年新聞記者の「どうしてあんなに簡単に政権を投げ出したか?」という問いに、こう答えたそうです。X12122116

 それは神君家康様の水戸家に残された遺訓である。「将来、徳川家と朝廷が争うような事態になったら、あくまで水戸家は朝廷側に立つように」という家康の遺訓があったそうです。それに慶喜は従っただけのことだといいます。
 まあ、真相は分からないわけですが、とにかくあの時の日本にはいいことでした。いや、本当はもはや江戸幕府には、そんな根性も力もなかったのです。

1212230112122302  今日は加倉井隼人が驚くべきことを口にします。いやはやどうしたのでしょうか。でもまずその前にいくつかのことが書いてあります。

 内藤越前守と対峙しているうちに、彼がけっして飾り物の御留守居役ではないと知ったのである。とたんに、魔物のような想像が降って湧いた。

 この隼人の想像は最後の彼の口から出てくることなのです。でもこれは私がこうして書いているからこそ分かったことです。「魔物のような想像」というのは内藤越前守のことではなく、次の隼人のセリフにあります。

「いや、的矢六兵衛と称する御方にお訊ねいたす。もしやおまえ様は、前(さき)の征夷大将軍、徳川慶喜公にあらせられましょうや」

 私はこの「徳川慶喜」を「徳川家康」と読んでしまっていました。こうして書いてみてよく分かったのです。でもこれはもうものすごい思い込みです。
12122208 そんなことはありえない。そもそも徳川慶喜は実に気の小さい男です。いや私はそう思うのです。その後のカメラの趣味(とはいえないほど、実に熱心にやっていましたが)も私は評価できません。
 いやいや、私には家康もそれほど好きにはなれません。ただ武田信玄とかなり戦いましたから、その面では家康はものすごくやりきったのかもしれません。
 でもこれには、ちゃんと六兵衛は応えるのかなあ。

1212230112122302  この日は慶喜は水戸へ向かいます。そこでやがて起きるのは会津城陥落後、戻ってきた諸生党と天狗党の最後の血戦です。これは私には実に嫌な戦争です。加倉井隼人は内藤越前守に対していいます。

「上様は本未明、ご実家たる水戸へと落ちられたと聞く。しからばこの先、そこもとに対しては何のお下知もござるまい。・・・・・・」
 一瞬、越前守の表情がこわばったように見えた。・・・・・・。

 どうしても前の身分を忘れないのでしょう。私も隼人と同じに思います。X12122102

 やはりこの侍たちは、職分という大義を楯にして何かを策している。

 でもいまさらどうにもならないはずです。最後の隼人の想像はもうそれほどのことになるとは思えません。
 ただ、やはり私も的矢六兵衛が気になります。

1212210112122102 私にはこの隼人の気持がよく分かります。内藤越前守こそひどい佐幕派のどうしようもない輩だとしか思えません。

 ・・・・・・。この侍もまた、汚れ役を配下に押し付けて、文句ばかり垂れる輩かと思うと隼人の怒りは滾(たぎ)った。

 私もこの隼人と同じ気持になります。

「それがしは職分は御留守居役である。・・・・・・」

X12122101 何を言い出すのでしょうか。「ひどい佐幕派のどうしようもない輩」とはこういうのをいうのではないでしょうか。結局は上野の彰義隊も見殺しにし、東北での戦いも、五稜郭でも戦いもただ見ているだけなのです。
 実はこんな輩はいくらでもいたのです。どうしても私は許せません。

1212200212122003 この福地源一郎が発行したのは江湖新聞というようです。

 ・・・・・・。いかようにも何も、この「福地桜痴」なる発行人は、あの「百人芸の八十吉」こと福地源一郎にちがいないのである。

 最後に内藤越前守が言います。

「・・・・・・。福地にとって、六兵衛などはどうでも良いのじゃ。殿中にてそこもとと共にあらば、さまざまな話が耳に入る。狙いはそれじゃて」

 でもその狙いだとて、何がまずいのでしょうか。こうしていわば身内であるはずの幕府側であった人に言われては気の毒です。でもこうしたことが、いわばX12121805日本で始めての新聞なのに、今は読売新聞、朝日新聞は存在しているが、福地桜痴を継続する(した)新聞はないことになるのかなあ。
 しかし、少し好きになっていた内藤越前守のことを、「これだけの人物か」と思い、少しがっかりです。

1212190112121902 しばらく福地源一郎はどうしたのだろうと思っていましたが、やはり彼は書いていたようです。思えば、これは歴史の事実なのですね。

 越前守は・・・、さりげなく発行人の名前を指さした。「福地桜痴」という名に息を呑んだ。源一郎はここしばらく登城していない。

 そうか、これがやがて新聞になるのかと思いました。

「お読みになるがよい。従前の瓦版のごとく、ご政道を茶化しているわけではない。しごくまっとうに、事実を書き記している」

X12121802 そうなんだ。でも本当なら、これも今も読めるはずです。でもだから、創作なのだなあ。的矢六兵衛のことはどのように書いてあるのでしょうか。

 本多と粟谷が左右から首を伸ばしてきた。

 そうだな。私もこの内容にものすごく興味があります。さてどう書いてあるのでしょうか。

1212180112121802  もう江戸城は旧幕府の侍はほとんどいません。そこを官軍の兵士が歩き回ります。
 それを隼人は彼らが勝手にいうセリフに「控えよ」と口を挟むだけです。それらは隼人たちではなく、他の国の官兵です。
  ただ幕府の内藤越前守は私には優れた人物と思えます。その内藤がいいます。

「そこもとらも、けっして官兵に物言いをつけてはなるまいぞ。ここは本日より天朝様の御城で、われらは徳川家が陪臣にすぎぬ。しかと心得よ」

 こういわれているのは、この挿絵の者たちです。

 彼らがきょうに限って芝居の黒衣(くろこ)のようななりをしているのも、越前守の指図なのであろう。

  これで、

 官兵が下役人と思うて声をかけても仕方のない身なりであった。X12121702

 そうなんだなあ、と納得してしまいます。
 だが、的矢六兵衛のことはどうなるのでしょうか。明日もまた別な展開がありそうです。

1212170112121702  もう江戸城の明け渡しは終わったのです。そして江戸城に居た幕府の人間たちも城を去ります。この城は宮城になるのですから。

 御城の明け渡しはつつがなく終わった。居残っていた旧幕臣もその日のうちにあらかたは去り、諸門の警護も西洋軍服の官兵に引き継がれた。

 うーん、そのときの城を去る旧幕臣たちの思いはいかばかりでしょうか。そしてその幕臣たちを送る者もつらいのです。

「きょうばかりは、送られるものより送るほうがよほどつろうございましょう」
 加倉井隼人は三人の胸中を忖度(そんたく)した。答えるかわりに本多は手拭いで瞼を被い、つられた粟谷は唸り声を上げて嗚咽した。
 わけのわからぬ連中ではあるが、この悲しみに嘘はあるまい。父祖代々の拠り所たる御城が、きょうを限りに人手に渡るのだから。X12121601

 この挿絵の四人のそれぞれの思いを私も思います。

「もうよい。振り返るな」
 越前守が繰り返し呟く。しかし帰らざる侍たちは騎馬も徒(かち)も、いくどとなく御城を振り返った。

 どうしてもこの光景は想像してもつらくなります。
 私は父の先祖は茨城県笠間ですが、多分祖先は平将門とともに戦ったと思っています。母方の先祖はこれは履歴が現存していますが、関が原の戦いで石田三成の配下として戦ったものです。そしてどちらも長い江戸時代は百姓としてX12121602生きてきました。
 私はそもそも武士が嫌いです。それに江戸幕府なんて、少しも好きになれません。
 でもでも、そんな私も、この小説のこのシーンには、ただただつらくなります。

 さてでも六兵衛は変わりなく同じ姿勢なのかな。

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