10122201 司馬遷の『史記』は実に長い書物です。最初本紀から読んでいくとどうしても退屈な思いも抱くものです。でもそのたびに「列伝になれば、面白いはずだ」という思いで、ただただ勢いで読んでいくものです。
 筑摩書房の『史記』では、「本紀、表、書、世家」が上巻で、下巻がすべて列伝でした。この列伝で、孔子の列伝はなく、世家篇にあるのですね。これは私も驚いたところでした。列伝は、伯夷・叔斉の伝から始まっています。この二人の列伝でも思うこと、言いたいことがあるわけですが、ここでは「黥布列伝」のことを書きます。

 黥布(げいふ)は正式な名前は英布といいました。だが、彼は刑罰を受け、顔に刺青を入れられます。ためにこの顔の刺青のために、黥布(黥とは罪人の顔に墨を入れる刑罰のこと)と呼ばれるようになったのです。
 秦末に挙兵し、やがて項羽に仕えます。そして秦を攻撃するわけですが、その際に降伏した秦軍を20万人殺害しています。もうこの中国の歴史を読むと、実に殺害の人数のけたが違います。秦も実に残酷でしたが、それを破った楚も同じでした。いや、「楚も同じ」というよりは、始皇帝もひどかったものですが、項羽もこの黥布もひどかったものです。この日本では考えられないひどさです。私はいつも読んでいて、耐えられない思いになります。日本がこうしたことをすべて中国から学ばなかったことが私にはとても嬉しいことです。
 やがて項羽とは対立することになり、漢の劉邦の配下になります。あ、この「漢」という国は、いわば秦の地が「漢」と呼ばれるものになったのです。それを率いるのが劉邦でした。この漢に項羽は破れ、中国には漢の国ができます。
 だが黥布ー英布は、この劉邦とも対立することになります。そしてやがて、破れて殺されることになります。刺青の布さんもこうして亡くなります。(2010.12.22)