11110202 私はけっこう毎日飲むわけですが、そしてさまざまなお酒を飲みます。私はやはり日本酒を一番よく飲むでしょうか。そのほか、勿論ビール、ウォトカ、泡盛、焼酎、ウィスキー、ジン、ラム、ブランデー、ワインとけっこうなんでも飲みますね。
 それで私も昔はかなりお酒に関しては、嫌味なくらい細かい人間でした。例えば、私が「越の寒梅」に接したのは、かなりな昔です。東京では、飲み屋では池袋の「笹周」でしかなかったと思います。この飲み屋も近頃御無沙汰しています。酒屋では東日暮里の「前田和洋酒店」のみがこの酒を入れていました。私は埼大のむつめ祭にここから1升びんを30本仕入れたことあります。まだそれほどこのお酒が知られていなかったころです。ときどきこの酒屋にいくと、まず簡単には売ってくれません。いろいろとさまざま事情をいうと(事情なんてなにもないのです、口からでまかせです)、では1本ならというので売ってくれたものです。そのほかさまざまなお酒のことを詳しく調べたものです。利き酒をやっても、私が誰よりも当てたものでした。
 そんな私だったのですが、35歳を過ぎたころから、そんなことどうでもよくなってきました。甘い酒だって、砂糖をつまみにすれば辛く感じられるから、もうそれでいいのだという気持になってきました。
 しかしまた考えるわけなのです。やはりお酒というのは、私たちの文化ですから、もうすこしこだわるべきではないのかなと。杜氏なりの情熱がこもっているのですから、大事に考えるべきだなと思います。まずい駄目な酒は、また「これは不味い」といっていくべきだし、「これこそ旨い酒だ」というのは、その旨述べていくべきでしょう。
 それで私がこんなにして酒のこと書こうとおもった訳を書きたいと思います。あるときに酒関係の名刺交換会といったパーティに参加したことがあります。それでその2次会で池袋の日本酒の美味しいというお店に行ったのですが、最後はどうしてか店の主人と激しい言い合いをしてしまいました。
 私はその店で「ああ、ここも同じだな、前にも同じような店に入ったな」と思ったのです。いいお酒、「本当のお酒」などと追及する人は、かなり同じ雰囲気になりますね。はっきりいうと、私の好きになれない「環境保護派」になってしまいます。酒も味噌も醤油も、みりんも、なんでも本物でないといけないという、そしてそれが絶対だと信じている。私はお酒は「人肌」で飲むのが好きです。しかし「このお酒は冷やでなくちゃ」とか主張します。いやそのおいしい酒を誰にも美味しく飲ませたいという気持はありがたいのですが、あんまり主張が強いといい加減にしてくれといいたくなります。私が私の好きで飲むのだから勝手にやらせてほしいのです。
 私は例えば、サントリーとニッカでいうと、当然飲むのはニッカが好きです。両方の創業者比べても、私は竹鶴さんの方がすきです。しかし、はっきりいうと会社としてはニッカの方が嫌味な会社でしょうね。自分のところは本物のウィスキーを作っている、サントリーなんてニセモノだといいたい感じが紛々と匂ってきます。サントリーは山口瞳、開高健を生み出したが、ニッカはウィスキーだけです。「いいもの、ほんとうのものを作っていれば、やがて必ず売れる」と信じていると思われます。だがいつまでたってもサントリーに勝てない。そうなるとやがてやっぱり大衆は馬鹿だということになるのでじゃないでしょうか。サントリーの広告宣伝にだまされて、けっきょくニセモノのウィスキーを飲まされてしまっている、分かっていないんだと。こんな匂いがします。
 しかし私は山口瞳の「トリスを飲んでハワイに行こう」というコピーにつられて、トリスを飲んでいたサラリーマンが好きです。ニッカに言わせれば、いや本物の酒指向の人にとっては、トリスなんてウィスキーじゃないのでしょうね。でも私は誰が何といったって、ウィスキーではトリスが好きです。トリスバーで飲んでいたたくさんの日本のサラリーマンを、「あれはウィスキーじゃない、まがいものだ」などといって、結局はそのサラリーマンを愚弄するのを絶対に許さない。
 私はそんな酒おたくといわれるような人とは違った、お酒の解説を書いてみたいのです。私のような単なる酒飲みが、やはり酒のことを酒飲みの観点から批評したいと思ったのです。あんな環境保護派に委せておくわけにはいきません。お酒が可哀想です。
 そんなことを考えていたのです。それで今後いろいろ飲んだお酒について、私自身の言葉で何か書いていきたいと思っているのです。