将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:劉備玄徳

11052716 昨日ここで、「食人」ということを書きました。私としては、「俺もついに書いちゃったな」という思いなのですが、さらに書きます。

 三国志の物語の中で、これは原典は「三国志演義」にあるのだと思います。劉備玄徳が、曹操に終われて中国を南へ逃げて行きます。その逃げる途中であったことです。
 劉備玄徳は実に人望はあるのですが、とにかく曹操の方が圧倒的に強くて、ただ逃げていくのです。もう逃げるばかりで、食べるものの調達もできません。実は歴史上でも、この時期はひどい飢饉が続き、中国の歴史が始まって以来始めて人口が減ったと言われている時代です。
 劉備が逃げていく途中で、玄徳を尊敬崇拝する一族家族に世話になります。だが、曹操の軍勢が迫ってきています。その一族もなんとしても大事な玄徳を世話したいのですが、どうにもなりません。そしてそこからも逃げて行くのですが、その前に、何もないはずだったのに食料が出されます。それを劉備は食します。
 そして逃げるときに、その食料のことを感謝します。でもそのときに、あんなに何もなかったはずなのにというと、そのとき劉備が食したものは、その劉備を世話した人の妻の身体を食したのでした。そのことを語られて、実に劉備はものすごく感謝します。そしてその主人のいたとなりの部屋には、その夫人と思われる人の亡骸があったそうです。
 このことを三国志の世界では美談として描いているのです。
 吉川英治が、自分の「三国志」を描いた中で、「私はこのことだけは書けなかった。でも中国では、このことを美談として書いているのだが、私にはどうしても理解できない」とだけ、わずかに書いています。

 これが私も吉川英治と同じで、どうしても理解できない中国の「食人」の考え方です。
 魯迅が真剣に悩み、苦しんで、あの『狂人日記』を書いたということを、できたらご理解ください。

11040517  劉備玄徳の奥さんは他にもいますが、正妻は糜竺(びじゅく)・糜芳(びほう)の妹の糜夫人でした。甘夫人は側室です。ただ蜀が成立して劉備が皇帝となり、二代目の劉禅は甘夫人の子なのです。
 この二人は演義を読んでいますと、とても仲良く思えてきます。劉備という零細企業の社長のために大変な苦労をさせられたわけで、その困難さのなかで仲良くなったのでしょうか。
 しかし、兄の下の弟の糜芳という人物は兄の糜竺とは違って、実に不可解な動きを歴史上でもする人間で、糜夫人も心配だったことでしょう。ただし、長坂の戦いのあとこの夫人は井戸に身を投げたことになっています。
 三国志でも演義でも女性の出てくるシーンは珍しいのですが、この二人も劉備の奥さんということだけが描かれています。(2011.04.08)

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10092004  私がここのサイドバーで、「将門のブックマーク」でリンクしているサイトに「長春有情」というサイトがあります。私の鹿児島時代の友人のやっているサイトです。
 それに、「吉川英治『三国志』」が最初から書いてあります。その「吉川英治『三国志』を読む」93回の中に、以下がありました。

楊柳に囲まれた寺院がある。塀にそって張飛は大股に曲がって行った。すると大きな棗の木が五、六本あって、陰士の住居とも見える閑寂な庭があった。門柱はあるが扉はない。そしてそこの入口に、
   童学草舎
 という看板が懸かっていた。

 これは、翼張飛が劉備玄徳に会った嬉しさを、雲長関羽に報告に行くところです。
 私も昔進学教室をやっていました。どうしてもよんどころのないことから、そうなったのでしたが、そのときこの関羽のやっていた「童学草舎」を懸命に思ったものでした。
 三国志は、やはり主役は曹操であるわけで(後半は孔明です)、それはこの吉川英治も言っているのですが、でもこうして見てゆくと、読んでいくと、やはりなんと言っても、この3人が出てきますね。
 私はこの三国志を最初に読んだのは、この吉川英治が最初ですが(小学生のときに、読んだことがあります。あれは演義でしたね)、やはりここらへんは、曹操ではなく、この三人を思いますね。

 前にこの「歴史さとう」で中国について、「食人」ということを書きました。私としては、「俺もついに書いちゃったな」という思いなのですが、さらに書きます。
 三国志の物語の中で、これは原典は「三国志演義」にあるのだと思います。劉備玄徳が、曹操に終われて中国を南へ逃げて行きます。その逃げる途中であったことです。
 劉備玄徳は実に人望はあるのですが、とにかく曹操の方が強力に強くて、ただ逃げていくのです。もう逃げるばかりで、食べるものの調達もできません。実は歴史上でも、この時期はひどい飢饉が続き、中国の歴史が始まって以来始めて人口が減ったと言われている時代です。
 劉備が逃げていく途中で、玄徳を尊敬崇拝する一族家族に世話になります。だが、曹操の軍勢が迫ってきています。その一族もなんとしても大事な玄徳を世話したいのですが、どうにもなりません。そしてそこからも逃げて行くのですが、その前に、何もないはずだったのに食料が出されます。それを劉備は食します。
 そして逃げるときに、その食料のことを感謝します。でもそのときに、あんなに何もなかったはずなのにというと、そのとき劉備が食したものは、その劉備を世話した人の妻の身体を食したのでした。そのことを語られて、実に劉備はものすごく感謝します。そしてその主人のいたとなりの部屋には、その夫人と思われる人の亡骸があったそうです。
 このことを三国志の世界では美談として描いているのです。
 吉川英治が、自分の「三国志」を描いた中で、「私はこのことだけは書けなかった。でも中国では、このことを美談として書いているのだが、私にはどうしても理解できない」とだけ、わずかに書いています。
 これが私にもどうしても理解できない中国の「食人」の考え方です。
 魯迅が真剣に悩み、苦しんで、あの『狂人日記』を書いたということを、できたらご理解ください。

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