将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:加倉井隼人

201804020113041602  昨日13041601は休刊日で、この小説を読むことができませんでした。だから今日はとても嬉しかった思いです。だがそうした私の思いは、ただただ的矢六兵衛が江戸城を去るのだろうなとは予想できました。いやそれは誰もが同じでしょう。

「どこへ行くのだ、六兵衛」
繰り言ではなかった。ただただ別れ難いのだ。

もうこの加倉井隼人の気持が分かります。こう隼人は思うのです。

訓(おし)えられたことが多すぎる。そしてその訓えのくさぐさは、きっとこれからたどる人生の路傍にいっぱいの花を咲かせて、、おのれの苦を慰め、かつ正しき道標となるにちがいなかった。

そのあと隼人のいうことは実に分かります。

「のう、六兵衛。水臭いではないか。どうしてこのわしにすら口をきいてくれぬ。このまま黙して去るつもりか」
捨て子のようにべそをかきながら、隼人は息遣いの伝わるほど間近に寄ってようよう言うた。言いながら地団駄を踏んだ。

すると六兵衛は隼人を抱くのです。もう私はその二人の気持が分かり実に嬉しい気持です。そしてまた私は涙になるのです。

六兵衛は骨を軋ませて肯いた。
「物言えばきりがない。しからば、体に物を言わせるのみ」

嬉しいです。隼人の気持を思います。だが六兵衛がこれだけ喋ったのは初めてではないでしょうか。
隼人は、「これこそがみなの忘れていた武士道であった」と思います。私は武士なんて、心の13041409底から嫌いですが(大嫌いです)、この時だけは、この六兵衛と隼人の抱擁には嬉しくなります(この時代にこういう「抱擁」なんてあるのかなあ、とは思いますが)。
武士というものが、本当にいるのなら、武士道とかいうものがあるのなら、このときの抱擁の姿には、ただただ涙なのです。

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1304130113041302  的矢六兵衛はこの江戸城を去るようです。もう潮時と思ったのでしょうか。読んでいる私も、「もういい」という思いになるのです。

 六兵衛は征(ゆ)く。

 たしかに六兵衛はただ黒書院に座っていただけなのです。でも彼が立ち上がり、ここを出ていくのはもう驚くべきことなのです。

 フランス式もイギリス式も、兵の徒行に際しては必ず左足と右腕、右足と左足が揃うて前に出る。しかるに士道古来の兵法には、さような歩み方はない。両の掌は腿(もも)の付け根に定まり、上半身はいささかも揺るがずに、繰り出す足のみにて歩むのである。よって両肩にぐいと張り出した肩衣(かたぎぬ)は、夕凪の帆のごとく動かぬ。

 これをそのままやって歩いているのが六兵衛なのです。13041208

「どこへ行くのだ、六兵衛」
 加倉井隼人は肩衣の背を追いながら、もはや声にもならぬ声で、そう呟き続けていた。 答えてくれ、六兵衛。

 おそらく六兵衛は江戸城を去るのです。もはやここには新しい政権の長の帝が来ているのです。それに私は、六兵衛の妻にも二人の子どもにも会いに帰ってほしいのです。待ち焦がれているはずなのです。

1304110613041107 今日は福地源一郎の見たままの思いで描かれていきます。

 福地源一郎は黒書院を取り巻く人々のうしろから、一部始終を見届けた。

 彼には的矢六兵衛と明治天皇が接したことを、実際に会話していたように思えるのです。

 ・・・・・・、実はその間に聖上(おかみ)と六兵衛が人の耳には聞こえぬ対話をかわしているように思えてならなかった。

 この作品でも明治天皇と六兵衛は会話はしていないのですが、でもそう思われても私も肯いてしまうのです。不可解な江戸幕府の政権投げ出しを、六兵衛は天皇と会見することで、分かるものとしたのでしょう。はっきり言いまして、私ではさっぱり分からないわけですが。
 でもそこには、加倉井隼人がいたのです。13041008

 勝安房が赤児を宥めるようにして隼人を抱きとめた。たしかに仰せの通り。律儀なこの尾張の侍はまことによくやった。

 この通りです。このときの光景をどうしても私は実際に見えるような思いになります。勝安房があまり好きにはなれない私ですが、この時には、「いい奴じゃないか」と私も思ってしまうのです。

1304090113040902 さて、聖上(みかど)の前でどうなるのでしょうか。それに組み合っている木戸孝允と加倉井隼人はどうなったのか。

「木戸様、腕ずく力ずくはなりませぬぞ」
「わかった、わかったから手を放せ。首が絞まる」
 乱暴はならぬと言いながら、つい馬乗りになっていたことに気付いて、加倉井隼人はハッと身を引いた。

 次の文章が印象的です。

 とうてい現(うつつ)とは思われぬその光景を見渡しながら隼人は確信した。
 六兵衛は何も言わず、何もなすまい。聖上もまた、何ひとつ仰せになるまい。これはなしくずしに転ぜんとする時代を見かねて八百万の神々が設(しつら)えたもうた、天下禅譲の儀のほかならぬ、と。13040809

 なんだかそのときが目に見えるような気になります。そして最後の行で、

 六兵衛は一礼して立ち上がった。

とあるのです。立ち上がってここを去ってくれればいいのですが、どうなるのでしょうか。
 まずこれで六兵衛はここを去るような思いがします。さてそれはまだ判明しないことですが、私の予想はそうなのです。

1304010113040102  明治元年(1868年)10月13日に明治天皇が江戸城に入城され、宮城となり、西の丸御殿は皇居になりました。さて的矢六兵衛はどうするのでしょうか。

「聞く耳を持たぬなら、致し方あるまい。実は本日おぬしの存在が天聴に達せられた。噂がお耳に入っていもうたのだ。天朝様はの、畏れ多くもおんみずから説諭されるという思し召しじゃ。去ねや、六兵衛。宸襟をお悩ませ奉ってはならぬ。

 この加倉井隼人の言うことは、六兵衛には通じるのでしょうか。
13032910 でももう六兵衛の今の存在は意味が感じられないのです。もう将軍そのものが水戸へ去り(この時点ではさらに駿府へ行っているのかもしれません)、江戸城ではなく、宮城なのですから、もう六兵衛は決めないとならないのです。自分の家もどうするのか、妻も子ども二人も御隠居夫婦も、家臣たちもどうするのか決めないとならないのです。
 このままではいられないのが、この大きな変化なのです。
 さあ、どうなるのか見ていきましょう。

1303200113032002 もう江戸時代は終わったのだ。的矢六兵衛がこうしていることはもはや意味がありません。どうするのでしょうか。加倉井隼人は六兵衛に語ります。

「一世一元の制なるものも定められての。今上の御代の続く限り、いかなる天変地異が起きようと明治という時代は変わらぬらしい」

 そうですね。この時から今に大きくつながる時代になるのです。その六兵衛は文机で一文を記します。

 聖人南面而聴天下響明而治。
 しばらく考えこんでから隼人は思い当たった。「易経」の一節である。六兵衛は諳んじた漢籍から、元号の出典を引き出したのであった。

 もう隼人と同じく、「おぬし、いったい何者なのだ」と私にも同じ言葉が出ます。昭和から平成になったときに、「なんでいまさら元号なのだ?」と思ったものでしたが、今ではこれが正しい日本の年号の定め方なのかなあ、なんてことを思います。西暦13031707だけでは、私たちが嫌になってしまいます。

1303140613031407  なんだかこの小説を読んで辛くなりました。まだ算(かぞ)え六歳の徳川家達が声を出すのです。

 上様はしっかりとした声で仰せになった。
「戦はしてはなりませね。六兵衛にはしかともうしつくるゆえ、戦はなりませぬ」

 これだけのことを言うのです。
 そして加倉井隼人が、「上様、しばらく、しばらく」と言うところですが、

 隼人は続く言葉を呑みこんだ。小さな上様が「だって」と呟かれ、べそをかいていた。

 まだ六歳なのです。思い出せ13031209ば、私なんかだともっと声をあげて泣いていたでしょう。さあ、この家達の思いはその状態はよく分かりますが、さてさて、今後どうしていくかが問題です。
 もう私には六兵衛に自分の家族の元に帰ってほしいよな。

1303100613061007 的矢六兵衛の動向については、みなが注目しています。

「ついにお腹を召されたか」
 何かにつけてそう思わせるのは、的矢六兵衛の人徳というべきであろう。今さら切腹でもあるまいに、似合うのだから仕方ない。

 しかし、私も思います。もう切腹しても何もなりません。そんな路はとうに閉ざされているはずです。

 ようやく六兵衛が戻ってきた。いくらかは落ち着いたようだが、よほど苦しんだ13030908と見えて憔悴しきっている。
「じきに医者が参る。横になって休め」

 こうして隼人たちは実に、この六兵衛を大事にしています。感謝してほしいよなあ、と私は真剣に思いますね。

1303090613030907  この的矢六兵衛はついに将軍家の御黒書院にまで進出したのでした。

 みなが匙を投げた。勝安房ですら、「もうかまわずうっちゃっておけ」と言うた。だが隼人にはできぬ。

 この加倉井隼人の気持がよく分かります。もう「うっち13030805ゃっておけ」なんてことができるでしょうか。六兵衛の思いも分かるような気がします。でももう明治時代で、この江戸城ー宮城には明治天皇が来る時期なのです。
 六兵衛はもう換えないといけないはずなのです。
 しかし、このあとどう展開されるのでしょうか。いくつかのパターンは予想される、予想しているのですが、はたしてその通りになるのかは、はなはだ分からないことなのです。

1303080113030802 もう的矢六兵衛の座り続けるのは終りになるのかなあ、と思っていましたが、そうはならないようです。

 鰻を平げると、六兵衛は膝ひとつにじり下がって、深々と頭を垂れた。

 大村益次郎がやったことかなあ、そして加倉井隼人がよくやったよと思ったものでしたが、これでは終わらないようなのです。

  六兵衛は立ち上がった。その面ざしは晴れがましく、いかにも一事を成し遂げた快哉をたたえているように見受けられた。人々は喝采を惜しまなかった。

 だがだが、六兵衛はどうみても城を去るのではなく、違う方向へ行くのです。

「こら、六兵衛。そっちではない、奥に向こうてどうする」
 何ひとつ迷わぬそぶりで、六兵衛は御中庭の北から御入側へと足を進める。・・・・・・。13030703

 これでまだこの物語は続くのです。江戸は東京となり、時代は明治になるのですが、六兵衛はどうするのでしょうか。

1303070113030702  今日の回を読んで、私は羞かしいくらいに涙を流していました。私独りの部屋ですからいいのですが。
 加倉井隼人が語ります。

「大村様が貧乏のひもじさのと申されるなら、それがしは尾張のものなれど旗本御家人のみなさまにかわって言い返せねばなりませぬ。・・・・・・」

 これはいいセリフです。大村益次郎も内藤越前守もただ腕組みし、佇立するばかりです。「本多左衛門が老いた背をこごめてなき始めた。」とあるばかりです。いや、またこのあとを読んでも私は涙が出るばかりです。

 人々のまなざしは蒲焼の皿を前にした六兵衛に注がれた。
「食うて下され、的矢殿」
 沈黙に耐えかねたように誰かが言うた。

 もうどうしてか私はこんなにも涙を流します。六兵衛に鰻の蒲焼を食うてほしい、そればかりです。

 六兵衛がおもむろに皿を取った。人々は息をつめた。

 私も息をつめます。

 御書院番士的矢六兵衛は、行儀よく凛と背を伸ばして鰻を食うた。落ち窪んだ眼窩からはとどめもなく涙が溢れていた。泣くほどうまいのか、それとも空腹に屈したおのれが悲しいのか、誰にもわからぬ。

13030611 いやこの六兵衛はけっして「屈した」わけではありません(と私は思います。思いたいです。いやいや、という声も私のうちから沸きあがります)。でもでも私は嬉しいです。 志は、「続ける、貫徹する」ことではなく、こうして変わることでもあるのです。それが立派な志と言えるのだと私は思うのです。
 この的矢六兵衛も加倉井隼人もこの小説の中の人物です。でも私には実際に存在した人間のように思えています。

1303060113030602  今日は大村益次郎が言います。だがそれに加倉井隼人が言うことが実にいいです。

「加倉井さん。これは残酷な話です」
 しばらく六兵衛の表情を見つめたあと、大村益次郎は箸を置いてしみじみ呟いた。

 それに対して、隼人が言います。

 隼人は分も弁えず声をあらげた。
「残酷だの人情だのと、どの口がもうされるか」

 私もそう思います。あの彰義隊への力攻めは残酷でした。でも仕方なかったといえるのかなあ。それを指揮していた益次郎と、それを命じた西郷を思います。

 大廊下から「やめよ」と声がかかった。振り返れば溜間の敷居ぎわに内藤越前守が佇んでいた。

 こうして止めるのも当然です。隼人は幕臣ではなく、官軍の将校なのです。だがさらにいうのです。

 隼人の抗弁はやまなかった。ここ半年の間、腹のそこに滾っていた怒りが次々と声になった。

13030404 もう私には隼人の気持もよく分かります。でも「やめよ」という内藤越前守の気持にもおおいに同感してしまいます。
 あの時期はこうした大変な時代だったのですね。それをこうして私たちは新聞小説で読むだけなのです。

1303030113030302 この小説でもどんどんと時間だけが過ぎていきます。それは私たちの生活でも同じなのですが。

 慶応四年の夏も酣である。

 この時に市ヶ谷屋敷に帰った加倉井隼人に妻のしづゑはいうのです。

「どうせならば、六兵衛様にもお出ししてみたらいかがですか。大好物かもしれなくてよ」
 ・・・・・・。鰻。夏の盛りには誰もが食いとうてたまらぬ鰻の蒲焼。
 この手はあんがい使えるやもしれぬ。13030211

 そうですね。六兵衛も鰻の蒲焼なら好きで食べるのではないでしょうか。いいことを思いついた。しづゑもいいことをいうものです。
 いや、こんなことで六兵衛が軟化してほしいものなのです。

1303010113030102  この回では、私がどうにも好きになれない内藤越前守がまともなことを言っています。

「・・・・・・。いかに魑魅魍魎の世の中とは申せ、今少しまともに考えられるのか」

 こういわれると、加倉井隼人も考えます。福地源一郎も本多左衛門、栗谷清十郎も同じでしょう。
13022807 でも田島小源太が叫びます。

「御頭はどこじゃ!お出会いめされよ、六兵衛が六兵衛が!」
 田島小源一郎の叫び声である。

 どうしたのでしょうか。座っていた六兵衛が立ち上がったのでしょうか。そしてどこかへいくのでしょうか。また明日を期待します。

1302280113022802  福地源一郎の一見無稽な話ですが、それなりに根拠があるのかもしれないと思った私です。

 ・・・・・・、通りがかった柳の間を覗いてみれば、内藤越前守、本多左衛門、栗谷清十郎といった面々が集まって、何やらひそひそと話し合うていた。

 作者ならずとも、私でもこの連中は何をしているのだと思います。もう将軍慶喜が水戸へ行ってしまった後に宮城に残って何をするのでしょうか。何もないはずなのです。
 しかし、この連中はもはや何もできないはずです。彼らもそれは分かっているのではないかなあ。
 加倉井隼人はこの連中も見ないとならないのです。「もはや何もできない」と言っても、このま13022714まではただただマイナスな存在だけです。
 的矢六兵衛はこのままどうするのかなあ。

1302230613022307 さて、私が前回思ったのですが、「他の展開が開けるのかも」ということのようです。しかし、前回「源一郎は溜間に躍りこんだ」はどうやら抑えられました。

  隼人と小源太は追いすがって抱き止めた。
「はなせ、はなせ!何が御旗本じゃ、何が天朝様の物見役じゃ、刀がないなら絞め殺してくれるわ」

 しかし、源一郎は加倉井隼人と田島小源太の二人に取り押さえられます。この挿絵は、その三人なのでしょうが、左から隼人、源一郎、小源太の順なのでしょう。なんで隼人はこういう装束なのかなあ。小源太と同じじゃないんだ。
 だが、源一郎がいうのです。六兵衛は今は贅沢な食事になったのですが、その料理にはまったく手をつけていないのです。
 源一郎が語ります。

「のう、加倉井君。こやつは天朝様のご家来などではないよ。伝馬町の牢屋敷で、とんでもな13022110い噂を耳にしたのだ。聞いてくれるか」
 福地源一郎は夕立を見上げてから、雷鳴にまさる声で語り始めた。

 これまた明日が待ち遠しいです。どんな話が聞けるのでしょうか。

1302210113022102  さすが福地源一郎は私にはさえていると思えます。でも加倉井隼人には源一郎の姿には驚きます。

「ややっ、福地殿。その身なりはいかがした。まるで味噌倉から這い出たようではないか」
「味噌倉のほうがまだましさ」

 その源一郎が最後には、次のようになります。

「ほう。大村さんね。官軍随一の軍略家と聞いているが、案外馬鹿だな」
 そう言うたとたん、ついに堪忍袋の緒が切れて、源一郎は溜間に躍りこんだ。

 これが私がさえていると思うところです。大村益次郎にも勝安房にも「ご勅遣13022004の物見役」ではないかと思われている六兵衛なのです。そんなわけはないのですが、源一郎が「案外馬鹿だな」ということが証明されることになるのでしょう。でもまた他の展開が開けるのかもしれません。
 また明日が楽しみです。

1302190113021902  今ただ座っているだけの的矢六兵衛に、大村益次郎も勝安房も加倉井隼人も頭を悩ませます。そしてとんでもないことを思いつくのです。

「ここだけの話だが、勝さん。お公家衆は軍勢を持たぬかわりに、武家方が思いもつかぬ策を弄する。これまでにも、どれだけ手をやいたか」

 そうですね。南北朝の争乱では、南朝方は軍勢を持って実際に戦ったからいけなかったのかもしれません。『神皇正統記』を書いた北畠親房を思い出しました。常陸の国で戦いの中、籠城戦の中で執筆されていたのですが、どうにも内容は肯けません。
 そして私は500円札の岩倉具視の顔もも思い出していました。この小説にも出てくるのかなあ。
 勝安房が言います。

13021812「・・・・・・、天朝様はわずかご宝算十七の御砌(おんみぎり)ながら、英明覆うものなしと聞き及ぶ。ならばご宸念(しんねん)もてあの侍を江戸に下向させたとしても、ふしぎはあるまい。あら、どうしよう。・・・・・・」

 何が「あら、どうしよう。」だ、なんて気にもなります。(あ、私は勝海舟が好きではないのです)そんなことあるわけがないだろうと思うわけですが、それは今の私です。
 こう思うのも仕方ない気にもなってしまいます。

1302170513021706  今日は大村益次郎が的矢六兵衛に語りかけます。

「私は長州の大村益次郎と申す者です。もとは村医者でありましたが、蘭学を修むるかたわら西洋兵学を学び、こたびはふつつかながら朝命を拝し奉って、官軍の指揮を執っております」

 そばにいる勝安房も加倉井隼人も「どうせ六兵衛には無駄なこと」と笑いをこらえているところです。でも最後に益次郎は、「コホンと空咳をした」あと、驚くべきことを言うのです。

「・・・・・・。ついてはフランス国仕官学校留学生に推挙いたしたいと思うが、いかがか」13021702

 これは驚くべきことです。私はすぐに、パリを歩いている的矢六兵衛を思い浮かべてしまいました。えっ、あの当時のこのとき欧州に派遣された人の名簿を見れば、この六兵衛の名が記されているのではないかなあ、と思ってしまいました。
 この的矢六兵衛は小説の中の人物ですが、ひょっとしたら、実際に実在したのではないかなあ、と私も真剣に思ってしまいました。

1302160113021602  もう彰義隊の戦いも終り、明治天皇が江戸城を宮城と言って入ってくる時期になります。このまま六兵衛は同じなのでしょうか。
 大村益次郎が言います。

「腕ずく力ずくはならぬ、か。さすがは西郷さんだ。・・・・・・。よって総攻めに際しては、搦手の逃げ口をわざと開けておいた。一戦して武士の面目を施し、落ち延びた者も多いはずだ」

 うーむ。こんなことを大村益次郎が言ってしまうなんて、「そうなのか」とあのときの戦いを振り返りました。私は昨日も谷中を歩きましたが、あそこも戦場になったのでしょうね。でも「搦手の逃げ口をわざと開けておいた」というのは、どこらへんなのだろう。でも的矢六兵衛はそのままです。
 そして加倉井隼人は、こうしたやりとりをすべて聞いています。隼人の心の中も隼人自身が『やはり「わけがちがう」のである。』と思うのです。
 不思儀なことに、13021512

 的矢六兵衛は成長しているのである。

 こう回りにも、読んでいる私たちにも感じさせてしまうのです。

1301060113010602  加倉井隼人の妻しづゑと田島小源太の妻お勢は下谷稲荷町まで行きます。それでちょうど神田川を屋根船に乗っていくのです。この挿絵が橋の欄干から二人が船に乗っていくのです。このお勢は、小源太よりも四つ歳かさだといいます。それがすごくいいです。すごく「世事あれこれに長けている」のです。

 しづゑは江戸の地理に疎い。和泉橋の河岸から下谷稲荷町は近いのだろうか。13010503

 いや今でも遠いですね。でも屋根船で行くのはものすごくいいものでしょう。ただ今日は遊びで行くのではなく、的矢六兵衛の自宅へ行くのです。もし六兵衛に慶喜がすり替わったのなら、六兵衛はここに居るはずですね。私はそんなことはありえないと思ってはいますが。

1301050113010502  今日はもう隼人の妻ではなく、加倉井隼人と田島小源太が語るのです。二人ともこの日は非番なのです。そして子守です。

 まことに久々の非番である。
 朝寝を決めこんで目覚めたのは、春日もうららかな午前(ひるまえ)であった。

 子どもを見ています。しかし以下の

 長太郎はすやすや寝入っている。そろそろ起こして粥を食わせ、むつきも替えてやらねば。

 二人とも妻にも的矢六兵衛のことを喋っているのです。だから妻二人は六兵衛の家の稲荷町に行っているのです。六兵衛が慶喜と入れ替わっているのなら、本物の新六兵衛は自宅に隠れているはずなのです。
13010413 しかし、この小説は実に面白いです。
 でもそれと、ここに出てくる漢字熟語をUPするのが大変です。もう私は「大修館『漢字林』」を引いて大変です。インターネット、パソコンの時代になっても漢和辞典は欠かせません。

1301010613010107  私は昨日「妻のいうことが正解ではないのか」と言いました。だがもちろん、これは的矢六兵衛のことです。だが、加倉井隼人のいう「六兵衛は先の将軍慶喜ではないか」という思いには同意のようです。これは納得できないな。ただし、それは私がその後の慶喜の姿を知識として知っているからでしょう。
 妻の話が続きます。

 何と、的矢六兵衛の正体は前(さき)の将軍家その人にちがいないと申されますのか。上様は上野のお山の大慈院にこもられて、ひたすら恭順と見せかけ、実は御書院番士にすりかわっておいでだと。

 うーん、これは即座に否定してくれると思いましたが、妻も同じに思うようです。

 ああ、きっとそうですわ。すりかわった的矢六兵衛もすてきでございますが、その六兵衛様にすりかわった上様は、もっとすてきでございます。

 そうか、この奥さんもこういうのか。そもそも私は慶喜は少しも好きではありませんから、こんな慶喜であっても嫌いです。そもそもこ13010102んな冒険のできる人間ではありません。 しかし、この奥さんがいうと、私も少しはそうなのかと思ってしまいます。どう否定の言葉、事実が提示されるのでしょうか。それはもう誰か他の人の言を待つしかないでしょう。

1212270112122702  なるほどな。ものすごく感心してしまいます。

 そのように思い起こせば、すべてが符合するのである。

 これには驚きでしょう。そして加倉井隼人には、この西郷吉之助と勝安房が二人で将棋盤を挟んで長考しているように思えてきます。

 ・・・・・・。見えざる将棋盤を中心にして、二人は長考した。

 うん、このことを加倉井隼人と福地源一郎が思うのは分かるのです。でも違うようにも思えます。的矢六兵衛は、これには当てはまらないような思いがします。
 この二人西郷と勝の中には慶喜も一つの駒なのです。だが、それは「玉将」なのです。だからどうにかしないとならないのです。今水12122608戸に去ったということは、それが見事終わったということでしょうか。

 下の写真は、昨日私の孫じゅにへ持って行きました私のクリスマスプレゼントです。私は25日に東京駅内で手に入れたものです。

1212260112122602 しかし私は「これは源一郎はすぐに違うことを指摘できるのではないか」とは書きましたが、そうではないのかもしれないなあ。源一郎は言います。

「僕がまっさきに考えたのは、西郷吉之助のことだ」

 エッと驚きます。西郷は六兵衛を見て慶喜と見てとったといいます。でもそうなのかなあ。ともに一ツ橋派でしたから、主君島津久光よりは親しみは感じていたでしょうね。
 西郷は、こうだったのです。

 あまりにも前(さき)の将軍家に似ているゆえ、御家門の誰かしらと思うたのやもしれぬ。しかしじきに、西郷は確信したのであろう。

X12122601 そうなのかなあ。これはすごいことですね。西南戦争での西郷を思います。ただそれはこの時から10年後のことですね。
 慶喜は西南戦争での西郷をどう思ったものなのでしょうか。西郷のようなヘマは俺はやらなかったと思っていたのかなあ。

1212250112122502  加倉井隼人のところに福地源一郎がやってきます。

「やあ、加倉井君。今さら御留守居役に呼び立てられるいわれはないがね。・・・・・・」

 隼人はいらだっています。その気持はよく分かります。最初は新聞の発行のことで、これはすぐ了解します。思えば、これは歴史の事実ですから、むしろもうこの小説ではいいでしょう。
 そして隼人は源一郎が思いもよらないことをいうのです。

「的矢六兵衛は本人にあらず。前(さき)の将軍家慶喜公その人にあらせられる」X12122404

 うーん、でもこれは源一郎はすぐに違うことを指摘できるのではないかと思いますね。いや、指摘できなくてもすぐに分かる事実になると思うのです。
 でもこの作品はまだまだ続くのだなあ。
 もうただただ面白く興味深く読み続けます。

1212240112122402  この加倉井隼人の思い込みは途方もないとしか思えません。でもよく分かる思いです。

 狭苦しい御坊主部屋で内藤越前守と談じこんでいる間に、ふと途方もない想像が降り落ちてきたのだった。

 田島小源太が次のように言うのも無理からぬことです。

「お頭、それはいくら何でも考えすぎじゃ。六兵衛は六兵衛にちがいない。これまでにも、多くの者がそう認めているではないか」

 私は水戸烈公は好きですが、その息子の慶喜はどうにも好きになれません。晩年のカメラに凝っていた彼の姿がものすごい印象があります。
 彼が晩年新聞記者の「どうしてあんなに簡単に政権を投げ出したか?」という問いに、こう答えたそうです。X12122116

 それは神君家康様の水戸家に残された遺訓である。「将来、徳川家と朝廷が争うような事態になったら、あくまで水戸家は朝廷側に立つように」という家康の遺訓があったそうです。それに慶喜は従っただけのことだといいます。
 まあ、真相は分からないわけですが、とにかくあの時の日本にはいいことでした。いや、本当はもはや江戸幕府には、そんな根性も力もなかったのです。

1212230112122302  今日は加倉井隼人が驚くべきことを口にします。いやはやどうしたのでしょうか。でもまずその前にいくつかのことが書いてあります。

 内藤越前守と対峙しているうちに、彼がけっして飾り物の御留守居役ではないと知ったのである。とたんに、魔物のような想像が降って湧いた。

 この隼人の想像は最後の彼の口から出てくることなのです。でもこれは私がこうして書いているからこそ分かったことです。「魔物のような想像」というのは内藤越前守のことではなく、次の隼人のセリフにあります。

「いや、的矢六兵衛と称する御方にお訊ねいたす。もしやおまえ様は、前(さき)の征夷大将軍、徳川慶喜公にあらせられましょうや」

 私はこの「徳川慶喜」を「徳川家康」と読んでしまっていました。こうして書いてみてよく分かったのです。でもこれはもうものすごい思い込みです。
12122208 そんなことはありえない。そもそも徳川慶喜は実に気の小さい男です。いや私はそう思うのです。その後のカメラの趣味(とはいえないほど、実に熱心にやっていましたが)も私は評価できません。
 いやいや、私には家康もそれほど好きにはなれません。ただ武田信玄とかなり戦いましたから、その面では家康はものすごくやりきったのかもしれません。
 でもこれには、ちゃんと六兵衛は応えるのかなあ。

1212230112122302  この日は慶喜は水戸へ向かいます。そこでやがて起きるのは会津城陥落後、戻ってきた諸生党と天狗党の最後の血戦です。これは私には実に嫌な戦争です。加倉井隼人は内藤越前守に対していいます。

「上様は本未明、ご実家たる水戸へと落ちられたと聞く。しからばこの先、そこもとに対しては何のお下知もござるまい。・・・・・・」
 一瞬、越前守の表情がこわばったように見えた。・・・・・・。

 どうしても前の身分を忘れないのでしょう。私も隼人と同じに思います。X12122102

 やはりこの侍たちは、職分という大義を楯にして何かを策している。

 でもいまさらどうにもならないはずです。最後の隼人の想像はもうそれほどのことになるとは思えません。
 ただ、やはり私も的矢六兵衛が気になります。

1212210112122102 私にはこの隼人の気持がよく分かります。内藤越前守こそひどい佐幕派のどうしようもない輩だとしか思えません。

 ・・・・・・。この侍もまた、汚れ役を配下に押し付けて、文句ばかり垂れる輩かと思うと隼人の怒りは滾(たぎ)った。

 私もこの隼人と同じ気持になります。

「それがしは職分は御留守居役である。・・・・・・」

X12122101 何を言い出すのでしょうか。「ひどい佐幕派のどうしようもない輩」とはこういうのをいうのではないでしょうか。結局は上野の彰義隊も見殺しにし、東北での戦いも、五稜郭でも戦いもただ見ているだけなのです。
 実はこんな輩はいくらでもいたのです。どうしても私は許せません。

1212200212122003 この福地源一郎が発行したのは江湖新聞というようです。

 ・・・・・・。いかようにも何も、この「福地桜痴」なる発行人は、あの「百人芸の八十吉」こと福地源一郎にちがいないのである。

 最後に内藤越前守が言います。

「・・・・・・。福地にとって、六兵衛などはどうでも良いのじゃ。殿中にてそこもとと共にあらば、さまざまな話が耳に入る。狙いはそれじゃて」

 でもその狙いだとて、何がまずいのでしょうか。こうしていわば身内であるはずの幕府側であった人に言われては気の毒です。でもこうしたことが、いわばX12121805日本で始めての新聞なのに、今は読売新聞、朝日新聞は存在しているが、福地桜痴を継続する(した)新聞はないことになるのかなあ。
 しかし、少し好きになっていた内藤越前守のことを、「これだけの人物か」と思い、少しがっかりです。

1212190112121902 しばらく福地源一郎はどうしたのだろうと思っていましたが、やはり彼は書いていたようです。思えば、これは歴史の事実なのですね。

 越前守は・・・、さりげなく発行人の名前を指さした。「福地桜痴」という名に息を呑んだ。源一郎はここしばらく登城していない。

 そうか、これがやがて新聞になるのかと思いました。

「お読みになるがよい。従前の瓦版のごとく、ご政道を茶化しているわけではない。しごくまっとうに、事実を書き記している」

X12121802 そうなんだ。でも本当なら、これも今も読めるはずです。でもだから、創作なのだなあ。的矢六兵衛のことはどのように書いてあるのでしょうか。

 本多と粟谷が左右から首を伸ばしてきた。

 そうだな。私もこの内容にものすごく興味があります。さてどう書いてあるのでしょうか。

1212170112121702  もう江戸城の明け渡しは終わったのです。そして江戸城に居た幕府の人間たちも城を去ります。この城は宮城になるのですから。

 御城の明け渡しはつつがなく終わった。居残っていた旧幕臣もその日のうちにあらかたは去り、諸門の警護も西洋軍服の官兵に引き継がれた。

 うーん、そのときの城を去る旧幕臣たちの思いはいかばかりでしょうか。そしてその幕臣たちを送る者もつらいのです。

「きょうばかりは、送られるものより送るほうがよほどつろうございましょう」
 加倉井隼人は三人の胸中を忖度(そんたく)した。答えるかわりに本多は手拭いで瞼を被い、つられた粟谷は唸り声を上げて嗚咽した。
 わけのわからぬ連中ではあるが、この悲しみに嘘はあるまい。父祖代々の拠り所たる御城が、きょうを限りに人手に渡るのだから。X12121601

 この挿絵の四人のそれぞれの思いを私も思います。

「もうよい。振り返るな」
 越前守が繰り返し呟く。しかし帰らざる侍たちは騎馬も徒(かち)も、いくどとなく御城を振り返った。

 どうしてもこの光景は想像してもつらくなります。
 私は父の先祖は茨城県笠間ですが、多分祖先は平将門とともに戦ったと思っています。母方の先祖はこれは履歴が現存していますが、関が原の戦いで石田三成の配下として戦ったものです。そしてどちらも長い江戸時代は百姓としてX12121602生きてきました。
 私はそもそも武士が嫌いです。それに江戸幕府なんて、少しも好きになれません。
 でもでも、そんな私も、この小説のこのシーンには、ただただつらくなります。

 さてでも六兵衛は変わりなく同じ姿勢なのかな。

1212150112121502 尾張徳川家の江戸家老が来て、加倉井隼人を叱責します。読んでいて、ものすごく腹が立ちます。この家老は上之御部屋に座り込んでいる的矢六兵衛のことで怒っているのです。だがこのときに思うのです。

 ・・・・・・。・・・、隼人はふとふしぎな感慨を抱いた。大広間の先の御座敷に座り続ける六兵衛が、おのれ自身のように思えたのである。

 この感慨はものすごく分かります。

 ・・・・・・。・・・、腐れぬ武士道を胸前に抱いた子孫が二人きり、松の御廊下の端と端に座っているような気がした。

 この時の隼人の思いは充分に分かります。「いやこのご家老も苦労があるんだよ」なんて、少しも思いません。こんな奴は私は大嫌いです。こんなのはいつもいるのですね。それはいつも感じてきたものです。
X12121404 私もただ座り続ける的矢六兵衛がどうにも薄気味悪く嫌でしたが、だんだんとシンパシーを感じてきたものです。
 いや私は、サラリーマンだったときの、いくつものことを思い出していたのです。

1212140112121402  津田玄蕃の話は終わりました。でも的矢六兵衛のことはそのままです。そして加倉井隼人には苦労して名簿を作成したのにだれもそれを視てくれないのです。

 加倉井隼人にとっていささか心外であったのは、苦心の末にようやく作り上げた勤番者の名簿が、まったく顧みられなかったことである。

 しかし、もっと隼人には心外であることはまだ何も解決されていないのです。それはやはり今も座り通づける的矢六兵衛のことなのです。田島小源太は次のように言います。「だいたい、だの、あらまし、だの」でやれば良かったというのです。

「しからば、小源太よ。あれもだいたいのうちと思うか」X12121307

 この隼人の言葉の先には、今も座り通づける六兵衛がいるのです。「帳付けとは少々わけがちがう」と小源太のいうとおりなのです。
 さてどうするのでしょうか。

1212020112120202 以下のように「六兵衛の噂が耳に入るようになった」というのですが、どこでこうした情報を仕入れているのでしょうか。

 正月の勤番が明けると少しずつ六兵衛の噂が耳に入るようになった。

 しかし、今日の情報はかなり適確な内容です。前にも書きましたが、関西のある組織が私のクライアントのことで、語ったことがあります。その時の話を思い出します。

 ・・・、いっそ的矢六兵衛が入れ替わるという手はどうだ。本人だけではあまりに切ないゆえ、妻子をそっくり入れ替える。そして、御隠居夫婦はそのままにしておく。そこまでおれば、御組頭様の頭ごなしに誰かが訴えでもせぬ限り、企みは露見するまい。

X12120109 そうだなあ、と私もうなずきます。まして明治維新の真っ最中です。もうみんなそれどころではありません。
 そもそもここは誰の感慨なのだろうか。加倉井隼人だと思いましたが、明確には分かりません。

1211250112112502 この津田玄蕃はこの六兵衛とはかなり親しかったようです。

 ハハッ、もしそうだとすると、たしかに天下の意地ッ張りでござるのう。しかし、信じられね。あやつは馬鹿のつくぐらい物わかりのよい男でござる。

 フーン、この玄蕃の思いを聞きますと、少し分かった気がします。

 さては六兵衛め、何でもかでもハイハイと聞きながら、御組頭様に対してはよくよく肚(はら)に据えかねるところがあったか。それで御下命を達せられても、知らんぷりを決めてせめてもの意趣返し。ほかに考えようはござるまい。

 しかし、この小説のこととは関係なく、実に大修館の「漢字林」にお世話になっています。今回も、この「肚」を画面上に出すのが大変でした。これからもある12112421のでしょうね。漢和辞典は手放せません。
 それにしてもこの津田玄蕃によって的矢六兵衛の心が解けてくれるのでしょうか。なんとかうまくいってほしいのです。
  それと、この挿絵のやもりは何なのかなあ?

1211230112112302  今日は津田玄蕃が語ります。この挿絵にある通りお茶を飲みながら話します。私は最初はこの茶碗に酒を入れて話していると思ったのですが、それは私が酒が好きなだけのことです。でももう酒を飲まずにどれくらいになるのでしょうか。いやビールは毎日飲んでいますが。

 それにしても、上司の詰席たるこの菊の間におぬしと二人きり、何とも居心地の悪いものでござるのう。

 この津田玄蕃はけっこうよく分かっているのです。隼人のことを、尾張藩の「江戸定詰の御家来と拝察いたす」と見抜いています。
 結局仕事でも学生運動でも、手をあげてやりきる人間よりも、いわば日和見してしまうやからが圧倒的に多いものです。この江戸城の状態もそれがものすごいものだったのでしょう。

 上がそうした及び腰ならば、いよいよおのれが出よ12112220うと思うた。進み出たのは拙者ばかりではない。八番組からは今ひとり、あの的矢六兵衛が手をあげた。

 思えば、私もいつもこうしたときに必ず手をあげてしまったものだなあ、とつくづく思ったものです。

1211220612112207  この新聞を手にとってすぐに読みました。津田玄蕃のいうことがものすごく気になったのです。

 上司お仲間のことごとく脱走した御城内にただひとり、あの的矢六兵衛が踏ん張っておるのでござるな。
 ・・・・・・。拙者はお仲間のどなたよりも六兵衛の人柄をよう知っているゆえ。

 そうなんだ。でも「六兵衛の人柄」というのは、新と前の六兵衛とどちらなのかな。この口ぶりでは今の新的矢六兵衛のことのようですが、そんなことも少しでも語ってくれないかなあ。

 拙者の行く先は、どのみち上野のお山しかござるまい。・・・・・・むろん六兵衛の行き先もほかにはござらぬ。・・・・・・。

 私なんかは、彰義隊の末路も知っているために、こ12112201うした誘いも嫌になります。いや慶喜について水戸に行っても大変なこと(水戸天狗党と諸生党との悲惨な戦があります)なのです。行ってほしくないですね。
 どうなるのでしょうか。

1211210112112102  この津田玄蕃の苦労をこの江戸城にいるすべては何も報いてはくれないのです。

「・・・・・・。お手前のご事情を察するに駿府脱走はけだし当然、責むる法がどこにござろう。とまれ、道中ご苦労にござった。とりあえずは御城内にて休息なされよ」

 せっかく駿府を脱走して、この江戸城に駆けつけたのに、その肝心の江戸城内は、もはやひどい有様なのです。ただ津田玄蕃とその郎党にはこの隼人の言葉は嬉しいです。所詮江戸時代の武士なんて、こういうものだったのでしょう。

「拙者もよくは知らぬが、たしか的矢六兵衛殿ーー」
12112010  隼人がその名を口にしたとたん、石段を昇りかけた津田の足がはたと止まった。

 ああ、この津田玄蕃によって六兵衛が変化してくれればいいなあ。そして彼の口から語ってほしいのです。

1211200612112007 この津田玄蕃はやはり気の毒に思います。なんかこの玄蕃のいうことには、私も涙を流す思いです。
 だが加倉井隼人には、この玄蕃にはやってもらいたいことがあるのです。
 隼人はこう想像します。

 なにはともあれ、あの的矢六兵衛の同僚である。・・・・・・。・・・このバカバカしいくらいの実直さは、六兵衛の気性に一脈通ずるとも思える。かつては気の合うお仲間であったやもしれぬ。12112008

 なんとか、そうであって欲しいです。でも、隼人が

 気の毒だが上野のお山に上がってもらうほかない。

と思うのを聞いて、「なんか冷たいな」と思いましたが、それは私たちがその後の彰義隊の惨めな壊滅を知っているからです。ここで私は靖国神社の大村益次郎像を思い出していました。だからこの時点では隼人にはその後のことは分からないのです。
 でも最後に12112001

 若党と中間どもは、いっそう声を絞って泣いた。

というところで、私もここで泣きました。

1211190112111902 なんだか、この津田玄蕃という旗本が気の毒になります。

 侍は名乗ることも忘れるほど呆然としていた。まさか御城が官軍に封じられるとは、考えてもいなかったのでさろう。

 この挿絵にあるのは、ここが埃だらけなのを示しています。思えば、この時はもう江戸幕府なんて、この埃ばかりだったのでしょうね。

 事情はようわかった。・・・・・・。むろん登城したところで、挨拶をするべき上司はいない。逃げたの消えたのと、どの口が言えよう。

12111812 でもやがては、この津田玄蕃もすべてを知るのでしょう。気の毒だなと思います。こうしたことはものすごくたくさんあったのでしょうね。
 これでこの旗本はどうするのでしょか。それにこの侍は的矢六兵衛を、いや新的矢六兵衛をどう語ってくれるのでしょうか。

12111808 この字は、「蕃」だ、「津田玄蕃」なのです。です。
 でも私が漢和辞典で引けないのがいけないなあ。虫眼鏡で見て、「漢字林」でひいて分かりました。
 私はちゃんと「漢字林」を詳細に読んでみましょう。

1211180412111805 いやまず困りました。この小説はけっこう漢字名前が面倒で、でも私も必死に書いてきました。でもこの津田玄ばの「ば」の字がでないのです。「くさかんむり」は分かるのですが、その先が私には特定できないのです。
 いつもいつも大変な思いで書いています。この小説の内容よりも、まず私はそれに大変に苦労しています。それでそれが書けません。常に漢和辞典はすぐそばにあります。私のは大修館書店の「漢字林」です。
 どうにも的矢六兵衛のことがかたずかないうちに、時間は先に進みます。この六兵衛のことでは、加倉井隼人のみが苦労しているのでしょうか。いやもう時代12111705は、的矢六兵衛のことなんかどうでもいいのです。もう先へ先へと進むだけなのです。この江戸城でも同じなのでしょう。でもなんとかならないものかと、この私も思います。

 的矢六兵衛と同じ御書院八番組の番士を名乗る侍が、ひょっこり現れたのは数日後のことであった。

 もう私もこの侍で何とかなるのかと期待してしまいます。読んでいくと、なんとなく頼りなげな感じが今までとは違うのじゃないかなあ。
 この侍はどこか遠くの任地から帰参したようです。どうにかならないかなあ。

 長旅に疲れた顔が、じっと隼人を見据えている。12111706

 これでこの隼人の苦労を終わらせてほしいです。もう勝安房も西郷も、みな現実の人間たちは、それぞれ進むのです。でもこの小説の中の人物たちにもなんとか終わらせてほしいのです。

1211170112111702 この加倉井隼人を先頭にする三人の姿は見えるような思いになります。

 数珠つなぎの三人は畳敷の大廊下を、百足(むかで)のごとく足並を揃えて歩んだ。

 でも六兵衛が次に進むのは、大廊下の御詰席なのです。

12111703「お頭。やはり名古屋は、江戸の西備えではないのか。権現様の御台慮を奉じて大天守を上げ、金の鯱鉾を掲げたのではないか」
 言うや言わずのうちに、小源太は二の腕を四角い顔を当てて泣き出した。

 うーん、私はあの金の鯱鉾が名古屋城の天守に掲げられるときに、名古屋で現物を見たように記憶しています。小学5年生だったかな。今では、その記憶もあいまいですが。
12111627 でもこの小源太のいうことと、実際の名古屋人の有様(とくに昭和期以降は)は違うように思いますね。

 その夜から、的矢六兵衛は大廊下殿席に座った。

 そうか、これからどうなるのかな。

1211160612111607  やはりこの小説は面白いです。以下の加倉井隼人の思いがいいです。よく分かるのです。

 何をかくも怖れる、と隼人はすり足で歩みながら考えた。

 そのあとの隼人の思いが、この小説の新的矢六兵衛を適確に表わしています。

12111508 今さら六兵衛が刃傷沙汰に及ぼうはずはなく、子供でもあるまいに物怪に怯えているわけでもなかった。名ばかりの武士に成り果てたおのれ自身が怖いのだ。本多や粟谷は徳川の旗本であり、自分は御三家の陪臣であり、たとえ武士たる者の中身がなくとも、その肩書だけで人を服(まつろ)わせることができた。だがこれから先は、そうした権威が失われるやもしれぬ。ひたすらそれが怖ろしい。
 おそらく御城内に残る侍たちはみな、同じ恐怖を抱いている。・・・・・・。

 うーん、この恐怖にはものすごくうなずきます。
 だが、六兵衛はどこに行ったのでしょうか。
12111601 でも隼人には、あてがあるようです。そしてそのあては、大廊下の御詰席であるようです。「帝鑑の間の次はそこにちがいないと隼人は読んだ」とあります。それが当たっているのでしょうか。
 それはまた明日になります。

1211150112111502 さて六兵衛はどこへ行ったのでしょうか。隼人がいいます。

「騒ぎ立ててはなるまいぞ。朝命が達せられたからには、すでに天朝様の御城じゃ。よろしいな、御両人」

 ただこのときの本多左衛門と粟谷清十郎はこの挿絵のように、実に情けない姿です。でももう隼人も同じ姿と言えてしまうのです。

 ・・・。侍の数珠つなぎとは、はたに見せられぬ図である。何やらおのれの人生までもが情けないもののように思えてきた。
 他人事ではあるまい。長き泰平のうちにおのれもまた尚武の気風を忘れて、臆病に生きてきたにちがいなかった。その証拠に、板戸に映るおのが影も同じへっぴり腰ではないか。

 江戸時代が終わったはずです。だから決起したとか12111414いう彰義隊とやらも一日で終わりました。もう武士なんていうのは、随分前に気概も何もなかったのです。でも今も、自分の身分が武士だったことをいう馬鹿な人がいますよ。今平成の世にですよ。本当の大馬鹿です。

1211140112111402 この作品では15代将軍への幕臣たちの気持がそのまま書いてあります。何か緊急事態が起きたらしいのです。

 ・・・。寛永寺にてひたすら恭順するくらいなら、潔く腹を切っていただきたい、という声も耳にしていた。いや、実は多くの旧幕臣たちの本音はそれであろう。

 これは実に分かります。慶喜はいわば尊王攘夷派だったのですから、それで鳥羽伏見だったのですから、それで幕臣たちの気持はよく分かります。でもそうではありません。的矢六兵衛のことなのです。12111310

「帝鑑の間に、的矢六兵衛がおりませぬ」

 えっ、一体どうしたのでしょうか。それはまた明日になるのです。
 すごいいい小説だなあ。

1211130112111302 この新的矢六兵衛は何を考えているのでしょうか。

 六兵衛は答えなかった。広敷の隅に堂々と座っていて、遠く西郷の膝のあたりをじっと見つめ続けるばかりである。

 しかし、皮肉なことに次のように思えるのです。

 ・・・。たしかに勅使一行を迎えた旧幕臣たちは、みな尻尾を巻いて這いつくばっていた。武士としての正しい所作を弁えているのは、皮肉なことに六兵衛だけなのかもしれぬ。12111205

 この頃の西郷さんはこの小説で描かれているようだったのかなあ。西南戦争では何故か違ってきたような思いがします。
 でもこのときは、官軍の総大将なのです。

1211100112111002  昨日は、私は「これで私も怖くなりました。六兵衛のことを言うのかな」なんて言っていました。そうじゃないです。まだ帝鑑の間には西郷さんは行っていないのです。怖い、これは怖いです。あの新的矢六兵衛が西郷さんに何かしようとしたら、大変です。あ、だから脇差も加倉井隼人がみな取り上げているのだ。
 でも西郷さんに何か言うだけで怖いことです。でもでも、私はそういうことにはならないのじゃないかな、と思いました。。私は西郷さんも好きですし、加倉井隼人も福地源次郎も、そして何故かこの「黒書院の六兵衛」である的矢六兵衛も今では好きになってしまったのです。
 そして、うまくつつがなく終わるのじゃないか。ずるい言い12110906方ですが、事実歴史はうまく行ったのですから。うまく終わったのですから。

 通訳を聞き終える間もなく、襖が開かれた。

 また明日も待ち遠しいです。でも私の希望通りうまく行ってほしいです。

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