将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:勝安房

1304110613041107 今日は福地源一郎の見たままの思いで描かれていきます。

 福地源一郎は黒書院を取り巻く人々のうしろから、一部始終を見届けた。

 彼には的矢六兵衛と明治天皇が接したことを、実際に会話していたように思えるのです。

 ・・・・・・、実はその間に聖上(おかみ)と六兵衛が人の耳には聞こえぬ対話をかわしているように思えてならなかった。

 この作品でも明治天皇と六兵衛は会話はしていないのですが、でもそう思われても私も肯いてしまうのです。不可解な江戸幕府の政権投げ出しを、六兵衛は天皇と会見することで、分かるものとしたのでしょう。はっきり言いまして、私ではさっぱり分からないわけですが。
 でもそこには、加倉井隼人がいたのです。13041008

 勝安房が赤児を宥めるようにして隼人を抱きとめた。たしかに仰せの通り。律儀なこの尾張の侍はまことによくやった。

 この通りです。このときの光景をどうしても私は実際に見えるような思いになります。勝安房があまり好きにはなれない私ですが、この時には、「いい奴じゃないか」と私も思ってしまうのです。

1304100113041002  いつの日かは、この的矢六兵衛もこの黒書院を去るときが来るとは思っていました。だがそれが実際の時になると、言いようのない気持になってしまいます。私は涙を流していました。

「どこへ行くのだ、六兵衛」

 もう隼人がこう声を出してしまうのが分かります。そしてそれは隼人だけではないのです。

 ・・・・・・、黒書院をみっしりと囲繞(いにょう)する人々のすべてが、異口同音にそう呟いた。

 私も呟いてしまいます。そこで隼人は分かるのです。

13040909 ここに及んで、隼人はついに悟ったのだ。けっして物言わぬ六兵衛は、流れゆく時と変節せる人心の中にあって、母なる国の花のごとく風のごとく変わらぬ良心そのものであった。

 なにかそれが読んでいる私の心にも伝わるのです。

「もういい、加倉井さん。あんたはよくやった」
 勝安房が隼人を抱きとめた。

 私は勝安房はあまり好きにはなれないのですが、ここはよくやってくれた、よくぞ言ってくれたという思いです。

1302190113021902  今ただ座っているだけの的矢六兵衛に、大村益次郎も勝安房も加倉井隼人も頭を悩ませます。そしてとんでもないことを思いつくのです。

「ここだけの話だが、勝さん。お公家衆は軍勢を持たぬかわりに、武家方が思いもつかぬ策を弄する。これまでにも、どれだけ手をやいたか」

 そうですね。南北朝の争乱では、南朝方は軍勢を持って実際に戦ったからいけなかったのかもしれません。『神皇正統記』を書いた北畠親房を思い出しました。常陸の国で戦いの中、籠城戦の中で執筆されていたのですが、どうにも内容は肯けません。
 そして私は500円札の岩倉具視の顔もも思い出していました。この小説にも出てくるのかなあ。
 勝安房が言います。

13021812「・・・・・・、天朝様はわずかご宝算十七の御砌(おんみぎり)ながら、英明覆うものなしと聞き及ぶ。ならばご宸念(しんねん)もてあの侍を江戸に下向させたとしても、ふしぎはあるまい。あら、どうしよう。・・・・・・」

 何が「あら、どうしよう。」だ、なんて気にもなります。(あ、私は勝海舟が好きではないのです)そんなことあるわけがないだろうと思うわけですが、それは今の私です。
 こう思うのも仕方ない気にもなってしまいます。

1302180113021802  さあ、大村益次郎のいう話が的矢六兵衛に届くのでしょうか。だが私も「それなら何で彰義隊のことがあったのだ」と声に出してしまいます。
 勝安房も同じ思いだったのでしょう。

 勝安房は首をかしげている。大村の説得に感心しつつ、同時に懐疑したのであろう。つまり、ここまでいうのなら、どうして上野のお山の彰義隊を説得できなかったのだろうと、大村の人格を疑っているのである。

 そうだよな、と私も思い直しました。勝の疑義の通りです。しかし、勝はとんでもない疑義を言い出します。

「なあ、大村さん。もしや六兵衛は、お公家様の13021710回し者じゃないかね」

 しかしこうまで考えてしまうんだ。そうじゃないことはわかりきっていることですが、勝安房のいうことを聞いていきたい思いになります。

1212270112122702  なるほどな。ものすごく感心してしまいます。

 そのように思い起こせば、すべてが符合するのである。

 これには驚きでしょう。そして加倉井隼人には、この西郷吉之助と勝安房が二人で将棋盤を挟んで長考しているように思えてきます。

 ・・・・・・。見えざる将棋盤を中心にして、二人は長考した。

 うん、このことを加倉井隼人と福地源一郎が思うのは分かるのです。でも違うようにも思えます。的矢六兵衛は、これには当てはまらないような思いがします。
 この二人西郷と勝の中には慶喜も一つの駒なのです。だが、それは「玉将」なのです。だからどうにかしないとならないのです。今水12122608戸に去ったということは、それが見事終わったということでしょうか。

 下の写真は、昨日私の孫じゅにへ持って行きました私のクリスマスプレゼントです。私は25日に東京駅内で手に入れたものです。

1212260112122602 しかし私は「これは源一郎はすぐに違うことを指摘できるのではないか」とは書きましたが、そうではないのかもしれないなあ。源一郎は言います。

「僕がまっさきに考えたのは、西郷吉之助のことだ」

 エッと驚きます。西郷は六兵衛を見て慶喜と見てとったといいます。でもそうなのかなあ。ともに一ツ橋派でしたから、主君島津久光よりは親しみは感じていたでしょうね。
 西郷は、こうだったのです。

 あまりにも前(さき)の将軍家に似ているゆえ、御家門の誰かしらと思うたのやもしれぬ。しかしじきに、西郷は確信したのであろう。

X12122601 そうなのかなあ。これはすごいことですね。西南戦争での西郷を思います。ただそれはこの時から10年後のことですね。
 慶喜は西南戦争での西郷をどう思ったものなのでしょうか。西郷のようなヘマは俺はやらなかったと思っていたのかなあ。

1211080112110802 この挿絵の西郷隆盛(私はサイゴウリュウセイと読みました。もっとも私は「西郷さん」と親しみを込めて読んでしまいます)です。実にまだ若い西郷さんが見てとれます。昔鹿児島の城山の上の販売店にいた方もそっくりのお顔をしていたものです。なんでも西郷さんの関係の方だと聞きました。私が小学6年のときですが。
 それにこれを通訳してしまう福地源一郎もいいです。彼は薩摩弁だけではなく西郷隆盛の言葉が分かり通訳していまうのです。

 隼人は感動した。言葉が十分に通じなくても、二人の心はひとつだったのである。西郷は倒幕の兵をおしとどめ、勝安房は抗戦の声を慰撫して、どうにか無血開城を実現した。

 やっぱり、この二人はすごいものですね。改めて私は勝安房を見直しています。漢詩がまともじゃないなんて、実に私は分かっていないだけなのです。

 西郷が笑えば、まわりもみな笑う。

12110712 やっぱり、「西郷さんって、こんな人だったののだろうな。勝も優れた人だったのだ」私は吉本(吉本隆明)さんをまた思います。吉本隆明さんは、勝を決して、貶しているだけではないのだ。実に彼の優れたところ(以下です。『ただ、青年時代に訳詩「思ひやつれし君」ひとつをのこしている』)を見ている吉本隆明さんを思います。

1210300612103007 かくして、知恵を絞った「最後の一手」は敗れた。

 私もうまく行くと思っていましたが、そうはならなかったのです。少し悔しい思いです。私は加倉井隼人と同じ気持になっているのです。
 でも勝安房の言葉には、納得してしまうのです。彼の言う通りです。私もこの勝さんの言葉をかみ締めなければならないのです。
 歴史の上でも勝海舟は逃げなかったのです。明治期に彼は「何もたいしたことをやっていない」とか、「彼の漢詩は一つもいいものがない」と私はいいますが、それは私が何も分かっていないからです。
 このあとどうなるのかなあ。でも私も新的矢六兵衛の気持をいっぱい思い浮12103001かべようとしています。「やはり分からないな」という思いで自分のふがいなさを感じています。
 誰も怪我人がでないように、六兵衛を銃で殺せばいいのじゃないかとまで考えました。これは隼人と同じでしょう。
 ああ、どうなるのでしょうか。

1210261212102613  この今日の内容でいささか驚いてしまいます。勝安房というのはこんなことが出来ちゃうのですね。私が「彼の漢詩には見るべきものがない。みんなダメだ」なんて言ったって、彼は別にこんなこと折込済なのかな。こうなると、彼の奥さんもしてやられていたのかなあ。なんとなく私が以下のように書いたって12102605

私は勝海舟というのが、少しも好きになれません。彼は妻と妾を狭い自宅に一緒に住まわせるのです。この日本でも世界でも「妾」の存在は、「家」を「一族」を保つのには致し方なかったのかもしれません。でも狭い自宅に一緒に住ませたのは、世界でも日本でも私が知る限り、この男だけです。
 彼の妻が、「今度生まれてくるときは・・・」「決して、この殿とは出会いませんように」と言ったというのは、実によく分かります。

 もう海舟には、「そんなことを言っても、仕方がねえさ」と言われてしまうような気になります。
12102606 この海舟は「上」と書いたものを自分で書いてしまうのです。加倉井隼人と福地源一郎にいわば強要された秋山伊左衛門では信用できないのでしょう。
 いやこの小説の中の勝安房には驚いてしまいます。だからかえって明治期にはあんな姿でいたのかなあ。
 西郷南洲が城山で亡くなったときの、海舟を思います。

1210250612102507 秋山伊左衛門が「最後の一手」ということで、まだただ座るだけの新的矢六兵衛のところで行かされます。まずは勝安房のところへ行きます。それが順序でしょう。
 さてそれでうまくいくのかは、はなはだ分からないところです。でもこれで終わらねば、この小説は終わらないのです。もうこの秋山伊左衛門という「最後の一手」のみなのです(というしかない)。それに新的矢六兵衛だって、もう引き際の何かの手が必要なのです。12102503

 勝安房が、次のように言います。

「・・・。つまり何だ、上役のあんたがあれを説得してくれるというわけだね。
 秋山が答えぬのは、自信がないからであろう。かわりに隼人と源一郎が、然りと肯いた。
「あるほど。しかしなあ、俺が言うても柳に風だったんだから、あんたが言うてハイさいですか、ともゆくまいね」

 この勝安房のいうところはよく分かります。でもこれで終わらないと、この小説12102504は終わりません。明治維新にならないのです。いやそういう言い方は私が卑怯です。
 でももう新的矢六兵衛も引き際を少しは考えているはずです。そのときがもうこのときしかないのだと思うのですね。

12052504 今日の日経新聞を読んで高峰秀子と高橋泥舟を思い出していました。

2012/05/26 05:47日経新聞の最初に最終面の「黒書院の六兵衛」を読んだ、といいたいところですが、どうしてか今日は一番最初には一面の「春秋」を読みました。そこには、高峰秀子さんの言葉が書いてあります。

 どうすんだ、そんなにトキを増やして。カモ南蛮の次はトキ南蛮でも食べるのか。わざわざ連れてなんかこなくていいんだ。死ぬときゃ、死ぬんだよ。

 私は高峰秀子さんの本は、文庫本になったものは、すべて読んでいたと思いますから、これは知らないな、と思ったのですが、そのあとに(斎藤明美「高峰秀子の捨てられない荷物」)とあって納得です。高峰秀子さんって、こんな感じがありましたよね。
 最終面の「黒書院の六兵衛」ですが、この挿し絵を見て、「勝安房かな、でも少し若いな」と思いましたが、最後に「・・・お待たせいたした、勝安房でござる」とあり、そうかというところです。12052608
 そもそも私は勝海舟というのが、少しも好きになれません。彼は妻と妾を狭い自宅に一緒に住まわせるのです。この日本でも世界でも「妾」の存在は、「家」を「一族」を保つのには致し方なかったのかもしれません。でも狭い自宅に一緒に住ませたのは、世界でも日本でも私が知る限り、この男だけです。
 彼の妻が、「今度生まれてくるときは・・・」「決して、この殿とは出会いませんように」と言ったというのは、実によく分かります。
 昔、柏の布施に広告制作の仕事で撮影に行ったことがあります(1980年代の最初)。檜の家で、「数寄屋造り」の家を撮影に行ったのです(檜の家では、「寄棟」「入母屋」はこの関東には多いのです。「数寄屋」「切妻」は極めて少ないのです)。その家の内部も許可を受けて撮影したのですが、そこには明治の10年代に西郷従道と勝海舟が当時カモ猟に来て、そこで休んで(実際にはゆっくり休むことはできなかったろうけれど)、そこには二人の文がありましたが、私は海舟のは、漢詩は少しも信用していないので(彼の漢詩はほとんどインチキです)、くだらないとしか思えないのですが、でもでも彼の漢詩をすごいものだと思いこんでしまうど素人が今でもいるのですね。
 このことでは、かなり思い出がありますよ。あ、吉本(吉本隆明)さんがこのことを少し書いています。それを読んだときに(1980年代だったかな)、ものすごくうなずいていたものです。私にとって西郷南洲は、今も偉大な人物ですが、勝海舟は実につまらない人物です。幕末の三舟(勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟)のうち、私は高橋泥舟は、彼のやったことも、彼の漢詩も好きです(「子母澤寛 『逃げ水』」があります)が、勝だけは駄目過ぎますね。

 いや高橋泥舟を思い出していました。子母澤寛なんて、けっこう読んだものだなあ。

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