将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:勾当内侍

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私はいつも鎌倉江ノ電の極楽寺駅から、成就院へ行っています。昔はここからさらに長谷まで歩いていたものでした。
 そして成就院へ入るあたりでは、いつも由比ガ浜が見えています。そしていつもここを駆け抜けた新田義貞を思うのです。彼はここから鎌倉幕府北条政権を攻めたのです。北条側はここは海が迫っているので、大軍が駆け抜けるのは無理だということで、とくに守りの軍を置いていませんでした。
 そこで、ここに最初に掲げた絵のように、義貞は黄金作りの太刀をここで海に投げ入れるのです。海が引いて大軍が通れるように祈ったのです。
 この義貞の願いの通り、海はひき、大軍が通れるようになり、ここから幕府を攻めて、とうとう北条高時以下郎党870名が自害したといわれています。
 そのことをこの成就院の前ではいつも思っています。14111401
 こののちに建武の新政権で後醍醐天皇から恩賞として与えられたのが、勾当内侍という美女です。このことは私は以下に書いています。「2011年04月18日新田義貞の愛した女、勾当内侍14111403
 いつもここで思うのは、『2014年09月11日「あじさいの恋」をまた思いだしていました』のことと、この新田義貞のことです。そして勾当内侍を思い浮かべるのですね。
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11041709  新田義貞は1301年(正安3)〜1338年(建武5)8月17日の生涯でした。その義貞が建武の新政権で後醍醐天皇から恩賞として与えられたのが、この勾当内侍(こうとうのないし)でした。
 義貞の建武の新政権での栄光は実に短いものでした。だからこの女性との生活も短いものでした。やがて、すぐに足利尊氏が都を征服すると、義貞は北陸を転戦し、やがて破れ戦死することになります。
 勾当内侍は、その義貞の戦死を知り、義貞の菩提を弔って余生を過ごしたとされます。また、琵琶湖に入水したという伝説もあります。
 私は2010年の6月4日に鎌倉の成就院の門から、稲村ヶ崎を見ました。このときも繰り返して寄せる波は義貞が北条氏の鎌倉を攻略したときと同じだったのでしょうね。そのときを思ったものです。(2011.04.18)

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