将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:北原怜子

2017062628121230042017062627  これを読んだのは12月5日で、それへの私の思いを今になって書いています。

書 名 北原怜子 ”社会の吹き溜まり”に咲いた一輪の花
10人の聖なる人々 THE TEN SAUNTS
著 者 三浦暁子
発行所 学習研究社
発行日 2000年4月4日第1刷発行
読了日 2012年12月5日

最初に以下のようにあります。

・・・。これから書こうとするのは、昔話ではなく、おとぎ話でもない。太平洋戦争が終わったばかりのころの日本で起こった実話なのだ。

私は椎名麟三『「蟻の町のマリア」を見て』で、次のように書きました。

私はこの映画を小学校4年生で見たのです。名古屋の今池の内山小学校で全員で見に行ったと思い出します。

そうなのです。でも今から50数年昔なのに、いくつもこの映画のシーンが甦るのです。ただ今になってこうして本を読むことによりいくつものことを知りました。私がいつも私の孫のじゅにへ会いに行っていたときに、京葉線の中で「ここら先が『蟻の町』かな?」なんて思っていたのはみんな間違いで、

舞台となるのは、東京は浅草の隅田川のほとり、言問橋のたもとである。

ということなのです。もう何もかもが、いや昭和20年代も30年代も遠いのですね(ただし、北原怜子きたはらさとこは昭和33年に亡くなっています)。
彼女の生涯は1929年8月22日〜1958年1月23日でした。私はまた今も涙になってしまいます。神がもしいるとするならば、神はこうした人を早く自分の元につれて行きたいのでしょうか。どうしても不可解です。
この町に小沢求という人物が現れます。そして松居桃楼(とうい)という人物も現れます。いや私は私の書くものの中に彼らを書いておきたいのです。そしてそして、ここに北原怜子という山の手育ちのお嬢さんが現れるのです。もう今の私も涙ばかりになっています。いいなあ、良かったなという思いと、何故神は不条理なことをするのだという思いです。
どうにもこの文章は涙が出てばかりで、困ってしまいます。
12123005 また最後の以下の文章で同じになる私です。涙で困るばかりです。

レリーフにゆっくりと目を移してみた。すると、十字架を背負って歩むキリストの傍らに、ひっそりと、でも、くっきりと北原怜子がたたずんでいたのである。

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2017052906 2ペーX12121007ジという短い評論です。

「蟻の町のマリア」という映画を見た。いい映画だった。

で始まる短い評論です。
私はこの「蟻の町」というのがどこにあるのか、想像が出来ていませんでした。私はこの映画を小学校4年生で見たのです。名古屋の今池の内山小学校で全員で見に行ったと思い出します。

書 名 「蟻の町のマリア」を見て
椎名麟三全集17
著 者 椎名麟三
発行所 冬樹社
発行日 昭和五十年三月三十日初版第一刷発行
読了日 2012年12月5日

なんだか、今も読んでみて、深くこの北原怜子さんの生涯を思います。なんだか、この椎名麟三の文章をすべて抜き出したいような思いにとらわれます。
「『蟻の町』って、言問橋のそばなんだ」と私は始めて知りました。もっと海沿いのほうだと思い込んでいたものでしたが、もっと私が身近に歩いてもいたところでした。
もう私なんかには知りようもない町であり、出来事なのかな、と今思ってしまいました。

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X12112806 このことで、私は1958年の松竹の「五所平之助『蟻の街のマリア』」という映画を思い出します。私が小学4年生のときに、学校で行かされて見た映画じゃなかったかな。 北原怜子という実在の人物が通称「蟻の街」と言われた隅田川の言問橋周辺、現在の隅田公園の界隈(台東区側)にあった通称「蟻の町」で奉仕活動をしている話です。私には、この映画では飯田蝶子ふんする河津婆が亡くなった北原怜子のために涙を流すシーンです。彼女は、「私は法華教徒だから」とクリスマスなんか認めないのですが、でも北原怜子のやったことにはもう認めてしまうのです。
 クリスマスって、そういうことが大きいのです。はっきりいいまして、宗教はどうでもいいです。
 私はずっと孫たちに、クリスマスプレゼントをしていきます。私の両親も同じでした。どうしてもイエス・キリストの話は、『舊新約聖書』をよく読んでも(この聖書は私のすぐそばにあり、ときどき読んでいます)、面白くはありません。でもこのクリスマスにサンタクロースが子どもたちのところに来て、プレゼントをくれるのはとってもいいことです。
 私が書きましたように、このサンタクロースは今年も私の孫のところへ来てくれるのです。

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