将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:十二弟子

13033107 私は最後にイエスがいう『手を鋤につけてのち後を顧みる者は、神の國に適ふ者にあらず』というのがどうしても分かりませんでした。口語訳で読んでも分からないのです。
 以下の通りです。「手をすきにかけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくないものである」。
 私なんかいつも後をばかり見ているものです。私なんかはふさわしくなののかなあ。ただただ不安ばかりしかありません。

第9章

 イエス十二弟子を召し寄せて、もろもろの惡鬼を制し、病をいやす能力(ちから)と權威とを與へ、また神の國を宣傳(のべつた)へしめ、人を醫さしむる爲に、之を遣さんとして言ひ給ふ、『旅のために何をも持つな、杖も袋も糧も銀も、また二つの下衣をも持つな。いづれの家に入るとも、其處に留れ、而して其處より立ち去れ。人もし汝らを受けずば、その町を立ち去るとき、證のために足の塵を拂へ』ここに弟子たち出でて村々を歴巡(へめぐ)り、あまねく福音を宣傳へ、醫すことを爲せり。
 さて國守ヘロデ、ありし凡ての事をききて周章(あわ)てまどふ。或人はヨハネ死人の中より甦へりたりといひ、或人はエリヤ現れたりといひ、また或人は、古への預言者の一人よみがへりたりと言へばなり。ヘロデ言ふ『ヨハネは我すでに首斬りたり、然るに斯かる事のきこゆる此の人は誰なるか』かくてイエスを見んことを求めゐたり。
  使徒たち歸りきて、其の爲しし事を具にイエスに告ぐ。イエス彼らを携へて竊(つぶさ)にベツサイダといふ町に退(しりぞ)きた13040104まふ。されど群衆これを知りて從ひ來りたれば、彼らを接(う)けて、神の國の事を語り、かつ治療を要する人々を醫したまふ。日傾きたれば、十二弟子きたりて言ふ『群衆を去らしめ、周圍の村また里にゆき、宿をとりて食物を求めさせ給へ。我らは斯かる寂しき所に居るなり』イエス言ひ給ふ『なんぢら食物を與へよ』弟子たち言ふ『我らただ五つのパンと二つの魚とあるのみ、此の多くの人のために、往きて買はねば他に食物なし』男おほよそ五千人ゐたればなり。イエス弟子たちに言ひたまふ『人々を組にして五十人づつ坐せしめよ』彼等その如くなして、人々をみな坐せしむ。かくてイエス五つのパンと二つの魚とを取り、天を仰ぎて祝し、擘(さ)きて弟子たちに付し、群衆のまへに置かしめ給ふ。彼らは食ひて皆飽く。擘きたる餘を集めしに十二筐ほどありき。
  イエス人々を離れて祈り居給ふとき、弟子たち偕(とも)にをりしに、問ひて言ひたまふ『群衆は我を誰といふか』答へて言ふ『バプテスマのヨハネ、或人はエリヤ、或人は古への預言者の一人よみがへりたりと言ふ』イエス言ひ給ふ『なんぢらは我を誰と言ふか』ペテロ答へて言ふ『神のキリストなり』イエス彼らを戒めて、之を誰にも告げぬやうに命じ、かつ言ひ給ふ『人の子は必ず多くの苦難(くるしみ)をうけ、長老・祭司長・學者らに棄てられ、かつ殺され、三日めに甦へるべし』また一同の者に言ひたまふ『人もし我に從ひ來らんと思はば、己をすて、日々おのが十字架を負ひて我に從へ。己が生命(いのち)を救はんと思ふ者は之を失ひ、我がために己が生命を失ふその人は之を救はん。人、全世界を贏(まう)くとも、己をうしなひ己を損せば、何の益あらんや。我と我が言とを恥づる者をば、人の子もまた、己と父と聖なる御使(みつかひ)たちとの榮光をもて來らん時に恥づべし。われ實(まこと)をもて汝らに告ぐ、此處に立つ者のうちに、神の國を見るまでは死を味はぬ者どもあり』
  これらの言をいひ給ひしのち八日ばかり過ぎて、ペテロ、ヨハネ、ヤコブを率13040105きつれ、祈らんとて山に登り給ふ。かくて祈り給ふほどに、御顏(みかお)の状(さま)かはり、其の衣(ころも)白くなりて輝けり。視よ、二人の人ありてイエスと共に語る。これはモーセとエリヤとにて、榮光のうちに現れ、イエスのエルサレムにて遂げんとする逝去(せいきょ)のことを言ひゐたるなり。ペテロ及び共にをる者いたく睡氣(ねむけ)ざしたれど、目を覺してイエスの榮光および偕に立つ二人を見たり。二人の者イエスと別れんとする時、ペテロ、イエスに言ふ『君よ、我らの此處に居るは善し、我ら三つの廬(いほり)を造り、一つを汝のため、一つをモーセのため、一つをエリヤの爲にせん』彼は言ふ所を知らざりき。この事を言ひ居るほどに、雲おこりて彼らを覆ふ。雲の中に入りしとき、弟子たち懼れたり。雲より聲出でて言ふ『これは我が選びたる子なり、汝ら之に聽け』聲出でしとき、唯イエスひとり見え給ふ。弟子たち默して、見し事を何一つ其の頃たれにも告げざりき。
  次の日、山より下りたるに、大なる群衆イエスを迎ふ。視よ、群衆のうちの或人さけびて言ふ『師よ、願はくは我が子を顧みたまへ、之は我が獨子(ひとりご)なり。視よ、靈の憑くときは俄に叫ぶ、痙攣(ひきつ)けて沫をふかせ、甚(いた)く害(そこな)ひ、漸(やうや)くにして離るるなり。御弟子たちに之を逐ひ出すことを請ひたれど、能(あた)はざりき』イエス答へて言ひ給ふ『ああ信なき曲(まが)れる代なる哉、われ何時まで汝らと偕にをりて、汝らを忍ばん。汝の子をここに連れ來れ』乃ち來るとき、惡鬼これを打ち倒し、甚(いた)く痙攣(ひきつ)けさせたり。イエス穢れし靈を禁(いまし)め、子を醫して、その父に付(わた)したまふ。人々みな神の稜威(みいつ)に驚きあへり。
 人々みなイエスの爲し給ひし凡ての事を怪しめる時、イエス弟子たちに言ひ給ふ、『これら13040106の言を汝らの耳にをさめよ。人の子は人々の手に付(わた)さるべし』かれら此の言を悟らず、辨へぬやうに隱されたるなり。また此の言につきて問ふことを懼れたり。
  ここに弟子たちの中に、誰か大ならんとの爭論(あらしひ)おこりたれば、イエスその心の爭論を知りて、幼兒をとり御側(みそば)に置きて言ひ給ふ、『おほよそ我が名のために此の幼兒を受くる者は、我を受くるなり。我を受くる者は、我を遣しし者を受くるなり。汝らの中にて最も小き者は、これ大なるなり』
  ヨハネ答へて言ふ『君よ、御名(みな)によりて惡鬼を逐ひいだす者を見しが、我等とともに從はぬ故に、之を止めたり』イエス言ひ給ふ『止むな。汝らに逆はぬ者は、汝らに附く者なり』
 イエス天に擧げらるる時滿ちんとしたれば、御顏を堅くエルサレムに向けて進まんとし、己に先だちて使を遣したまふ。彼ら往きてイエスの爲に備をなさんとて、サマリヤ人の或村に入りしに、村人そのエルサレムに向ひて往き給ふさまなるが故に、イエスを受けず、弟子のヤコブ、ヨハネ、これを見て言ふ『主よ、我らが天より火を呼び下して彼らを滅すことを欲し給ふか』イエス顧みて彼らを戒め、遂に相共に他の村に往きたまふ。
  途を往くとき、或人イエスに言ふ『何處に往き給ふとも我は從はん』イエス言ひたまふ『狐は穴あり、空の鳥は塒(ねぐら)あり、されど人の子は枕する所なし』また或人に言ひたまふ『我に從へ』かれ言ふ『まづ往きて我が父を葬ることを許し給へ』イエス言ひたまふ『死にたる者に、その死にたる者を葬らせ、汝は往きて神の國を言ひ弘めよ』また或人いふ『主よ、我なんぢに從はん、されど先づ家の者に別を告ぐることを許し給へ』イエス言ひたまふ『手を鋤(すき)につけてのち後を顧みる者は、神の國に適ふ者にあらず』

13040107 いつも私はとまどってばかりです。このことがいけないのでしょうか。私はただただ分からなくなるばかりです。
 どうしても私には自分の行動をとまどうばかりなのです。

13012707 この章は実にすさまじい思いになります。イエスは、『鷄鳴く前に、なんぢ三たび我を否む』といいます。ペテロをはじめ弟子たちはみな『我なんぢと共に死ぬべき事ありとも汝を否まず』というのです。でも事の事実はだれもがイエスを『我その人を知らず』と言い、そして最後に、「ペテロ『にはとり鳴く前に、なんぢ三度われを否まん』と、イエスの言ひ給ひし御言を思ひだし、外に出でて甚く泣けり」となるのです。これはどうしても私は涙を流してしまいます。これは十二弟子たちのことではなく、私たちの誰もを言っているのです。

第26章
  イエスこれらの言をみな語りをへて、弟子たちに言ひ給ふ『なんぢらの知るごとく、二日の後は過越(すぎこし)の祭なり、人の子は十字架につけられん爲に賣らるべし』そのとき祭司長・民の長老ら、カヤパといふ大祭司の中庭に集り、詭計(たばかり)をもてイエスを捕へ、かつ殺さんと相議(あいはか)りたれど、又いふ『まつりの間は爲すべからず、恐らくは民の中に亂起らん』
  イエス、ベタニヤにて癩病(らいびやうにん)人シモンの家に居給ふ時、ある13012710女、石膏の壺に入りたる貴(たふと)き香油(にほひあぶら)を持ちて、近づき來り、食事の席に就き居給ふイエスの首(かうべ)に注げり。弟子たち之を見て憤ほり言ふ『何故(なにゆゑ)かく濫(みだり)なる費(ついえ)をなすか。之を多くの金に賣りて、貧しき者に施すことを得たりしものを』イエス之を知りて言ひたまふ『何ぞこの女を惱すか、我に善き事をなせるなり。貧しき者は常に汝らと偕にをれど、我は常に偕に居らず。この女の我が體に香油を注ぎしは、わが葬りの備(そなへ)をなせるなり。まことに汝らに告ぐ、全世界いずこにても、この福音の宣傅(のべつた)へらるる處には、この女のなしし事も記念として語らるべし』
  ここに十二弟子の一人イスカリオテのユダといふ者、祭司長らの許にゆきて言ふ『なんぢらに彼を付さば、何ほど我に與へんとするか』彼ら銀三十を量り出せり。ユダこの時よりイエスを付(わた)さんと好(よ)き機(をり)を窺ふ。
  除酵祭(じょこうさい)の初(はじめ)の日、弟子たちイエスに來りて言ふ『過越(すぎこし)の食をなし給ふために、何處に我らが備ふる事を望み給ふか』イエス言ひたまふ『都にゆき、某のもとに到りて「師いふ、わが時近づけり。われ弟子たちと共に過越を汝の家にて守らん」と言へ』弟子たちイエスの命じ給ひし如くして、過越の備(そなへ)をなせり。日暮れて十二弟子とともに席に就きて、食するとき言ひ給ふ『まことに汝らに告ぐ、汝らの中の一人われを賣らん』弟子たち甚く憂ひて、おのおの『主よ、我なるか』と言ひいでしに、答へて言ひたまふ『我とともに手を鉢に入るる者われを賣らん。人の子は己に就きて録されたる如く逝くなり。されど人の子を賣る者は禍害なるかな、その人は生れざりし方よかりしものを』イエスを賣るユダ答へて言ふ『ラビ、我なるか』イエス言ひ給ふ『なんぢの言へる如し』彼ら食しをる時、イエス、パンをとり、祝してさき、弟子たちに與へて言ひ給ふ『取りて食へ、これは我が體なり』また酒杯をとりて謝し、彼らに與へて言ひ給ふ『なんぢら皆この酒杯(さかづき)より飮め。これは契約のわが血なり、多くの人のために、罪の赦を得させんとて流す所のものなり。われ汝らに告ぐ、わが父の國にて新しきものを汝らと共に飮む日までは、われ今より後この葡萄の果より成るものを飮まじ』彼ら讃美を歌ひて後オリブ山に出でゆく。
13012711  ここにイエス弟子たちに言ひ給ふ『今宵なんぢら皆われに就きて躓(つまづ)かん「われ牧羊者(ひつじかひ)を打たん、さらば群の羊散るべし」と録(しる)されたるなり。されど我よみがへりて後、なんぢらに先だちてガリラヤに往かん』ペテロ答へて言ふ『假令(たとひ)みな汝に就きて躓(つまづ)くとも我はいつまでも躓かじ』イエス言ひ給ふ『まことに汝に告ぐ、こよひ鷄鳴く前に、なんぢ三たび我を否むべし』ペテロ言ふ『我なんぢと共に死ぬべき事ありとも汝を否まず』弟子たち皆かく言へり。
  ここにイエス彼らと共にゲツセマネといふ處にいたりて、弟子たちに言ひ給ふ『わが彼處(かしこ)にゆきて祈る間、なんぢら此處に坐せよ』かくてペテロとゼベダイの子二人とを伴ひゆき、憂ひ悲しみ出でて言ひ給ふ、『わが心いたく憂ひて死ぬばかりなり。汝ら此處に止りて我と共に目を覺(さま)しをれ』少し進みゆきて、平伏し祈りて言ひ給ふ『わが父よ、もし得べくば此の酒杯(さかづき)を我より過(す)ぎ去らせ給へ。されど我が意(こころ)の儘(まま)にとにはあらず、御意のままに爲し給へ』弟子たちの許にきたり、その眠れるを見てペテロに言ひ給ふ『なんぢら斯く一時も我と共に目を覺し居ること能はぬか。誘惑(まどわし)に陷らぬやう、目を覺しかつ祈れ。實(げ)に心は熱すれども肉體よわきなり』また二度ゆき祈りて言ひ給ふ『わが父よ、この酒杯(さかづき)もし我飮までは過ぎ去りがたくば、御意(みこころ)のままに成し給へ』復(また)きたりて彼らの眠れるを見たまふ、是その目疲れたるなり。また離れゆきて、三たび同じ言にて祈り給ふ。而して弟子たちの許に來りて言ひ給ふ『今は眠りて休め。視よ、時近づけり、人の子は罪人らの手に付さるるなり。起きよ、我ら往くべし。視よ、我を賣るもの近づけり』
  なほ語り給ふほどに、視よ、十二弟子の一人なるユダ來る、祭司長・民の長老らより遣されたる大なる群衆、劍と棒とをもちて之に伴ふ。イエスを賣る者あらかじめ合圖を示して言ふ『わが接吻する者はそれなり、之を捕へよ』かくて直ちにイエスに近づき『ラビ、安かれ』といひて接吻したれば、イエス言ひたまふ『友よ、何とて來る』このとき人々すすみてイエスに手をかけて捕ふ。視よ、イエスと偕にありし者のひとり、手をのべ劍を拔きて、大祭司の僕をうちて、その耳を切り落せり。ここにイエス彼に言ひ給ふ『なんぢの劍をもとに收めよ、すべて劍をとる者は劍にて亡ぶるなり。我わが父に請ひて、十二軍(じゅうにぐん)に餘る御使(みつかひ)を今あたへらるること能はずと思ふか。もし然せば、斯くあるべく録(しる)したる聖書はいかで成就すべき』この時イエス群衆に言ひ給ふ『なんぢら強盜に向ふごとく劍と棒とをもち、我を捕へんとて出で來るか。我は日々宮に坐して教へたりしに、汝ら我を捕へざりき。されどかくの如くなるは、みな預言者たちの書の成就せん爲なり』ここに弟子たち皆イエスを棄てて逃げさりぬ。
  イエスを捕へたる者ども、學者・長老らの集り居る大祭司(だいさいし)カヤパの許に曳きゆく。ペテロ遠く離れ、イエスに從ひて大祭司の中庭まで到り、その成行を見んとて、そこに入り下役どもと共に坐せり。祭司長らと全議會と、イエスを死に定めんとて、いつはりの證據を求めたるに、多くの僞證者いでたれども得ず。後に二人の者いでて言ふ『この人は「われ神の宮を毀ち三日にて建て13012712得べし」と云へり』大祭司たちてイエスに言ふ『この人々が汝に對して立つる證據に何をも答へぬか』されどイエス默(もだ)し居(入給ひたれば、大祭司いふ『われ汝に命ず、活ける神に誓ひて我らに告げよ、汝はキリスト、神の子なるか』イエス言ひ給ふ『なんぢの言へる如し。かつ我なんぢらに告ぐ、今より後、なんぢら人の子の全能者の右に坐し、天の雲に乘りて來るを見ん』ここに大祭司おのが衣を裂きて言ふ『かれけがし言(ごと)をいへり、何ぞ他に證人を求めん。視よ、なんぢら今このけがし言をきけり。いかに思ふか』答へて言ふ『かれは死に當れり』ここに彼等その御顏に唾し、拳(こぶし)にて搏ち、或者どもは手掌(てのひら)にて批(たたき)て言ふ『キリストよ、我らに預言せよ、汝をうちし者は誰なるか』
  ペテロ外にて中庭に坐しゐたるに、一人の婢女(はしため)きたりて言ふ『なんぢもガリラヤ人イエスと偕にゐたり』かれ凡ての人の前に肯(うけが)はずして言ふ『われは汝の言ふことを知らず』かくて門まで出で往きたるとき、他の婢女かれを見て、其處にをる者どもに向ひて『この人はナザレ人イエスと偕にゐたり』と言へるに、重ねて肯はず、契ひて『我はその人を知らず』といふ。暫くして其處に立つ者ども近づきてペテロに言ふ『なんぢも慥(たしか)にかの黨與なり、汝の國訛なんぢを表せり』ここにペテロ盟(ちか)ひかつ契(ちか)ひて『我その人を知らず』と言ひ出づるをりしも、鷄鳴きぬ。ペテロ『にはとり鳴く前に、なんぢ三度われを否まん』と、イエスの言ひ給ひし御言を思ひだし、外に出でて甚く泣けり。

13012713 ここでイエスのいう通りになって泣いているのはペテロですが、実は私たちすべてなのです。「いや俺は違う」といいたい私もいるのですが、それは程度の差でしかありません。『にはとり鳴く前に、なんぢ三度われを否まん』というのは私なのです。

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