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周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:十八史略

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 どうやらこの回からは私も普通に読んでいけるようです。内容が辛くは思えないのでした。

 ………。富国強兵に向かい、国民一丸となって突き進むべし、合い言葉は臥薪嘗胆。

 臥薪嘗胆という言葉を思い出します。出典を思うのですね。あれは『史記』というよりも『十八史略』だなあ。司馬遷も曾先之も思い出すのですね。

 けんがいいます。

「ええ。母さんは最後まで武家の女でした。それにしてもふしぎですね。ご維新がなければ、お父ちゃんと夫婦になることもなかった。もしそうなら、わたしもここにはいなかった………」13121907
 私は「武家の女」なんていう言い方が嫌いです。武士なんて、どうにも大嫌いです。でもここは仕方ないか、なんて思ってしまいます。
 でもこの回でのけんと植木はいいです。また明日も嬉しい気持で読んでいけることでしょう。

12102906 このレスが遅くなり申し訳ありません。下はほとんど書いていたのですが、UPが遅くなりました(夕食で、かつ私は飲むのでこうなりました)。

 私の司馬遷『史記五帝本紀第一黄帝』へのコメントへあてすとろ〜るさんから次のコメントがありました。

1. Posted by あてすとろ〜る   2012年10月29日 17:20
他の正史にも列伝はありますよね?
列伝がないとはどういう意味ですか?12102907

 私の間違いです。私は曾先之『十八史略』に書いていますが、

 最初『史記』(司馬遷)から始まり、2『漢書』(班固)、3『後漢書』(范曄)、4『三国志』(陳寿)……という順番になっています。。
   以下は5『晋書』(房玄齢)、6『宋書』(沈約)、7『南斉書』(蕭子顕)、8『梁書』(姚思廉)、9『陳書』(姚思廉)、10『魏書』(魏収)、11『北斉書』(李百薬)、12『後周書』(崔仁師)、13『隋書』(魏徴・長孫無忌)、14『南史』(李延寿)、15『北史』(李延寿)、16『新唐書』(欧陽脩・宋祁) 、17『新五代史』(欧陽脩)、18『宋鑑』』(李熹)と『続宋中興編年資治通鑑』(劉時挙)の二書。12102908

 これだけ多いと読むのが大変というよりも、全部訳されてはいないでしょう。私は杜甫のお祖父さんの杜審言(としんげん)のある詩を求めて神田の古書店街を歩いたことがありましたが、私には無理でした。
 それで私は『史記』と『三国志』(陳寿)だけは熱心に読んできました。『三国志』は筑摩古典文学全集で三巻もあって(裴松之の注だけで半分になります)、そして高価なのです。
 だから思うのですが、漢文で全文を読んだ人なんか、この日本にはいないのではと思われます。12102909
 十八史略は私には簡単でいいのですが、そして文天祥(この中国の子孫の方が私のサイトにコメントをくれました)のことが最後に出ていて、私は嬉しくてたまらないのですが、とにかく、私は自分の無知をさらけ出してしまいました。ごめんなさい。

2017062501 私が中学生のときに知って、大変に好きになっていた詩でした。そして高校一年のときに、すべてを書き出して、暗誦しまして、すべて記憶しました。
  それ以来常に私には、この詩は私の心と頭の中に存在していました。
私が東大闘争で、府中刑務所に拘留されていたときも、常にこの詩が私の中では、繰り返し、浮かんできたものです。
   ただ、高校一年で読んだ「曾先之『十八史略』」では、この『十八史略』そのものは、いわば略であり、不満が沸いてきていたのですが、その最後が南宋の滅びる時代であり、この文天祥が描かれているために、それだけは感動して読んでいたものでした。
  ただし、この『十八史略』には、文天祥の生涯は書いてあるのですが、この「正気歌」の紹介はありません。
   ただ、私には常にこの詩は心の中で浮かんでいたものです。
   いつも悲しいのですが、最後の「古道照顏色」を声に出すと、その文天祥の気持をばかり考え、悲しいと同時に、実に文天祥に憧れを持つばかりの私でした。
   またこのときに11071717、あえて文天祥を処刑した世祖フビライも立派だなあ、と思ったものです。(当初は、フビライは文天祥を引退させて、もう穏やかに生きていかせようとしたのでしたが、文天祥がどうしても認めなかったのです)。

   正気歌   文天祥
天地有正氣 天地 正気有り、
雜然賦流形 雑然として 流形を賦(あたえ)られる。
下則爲河嶽 下(くだ)れば則(すなわ)ち 河嶽(かがく)と為り、
上則爲日星 上(のぼ)れば則ち 日星(じっせい)と為る。
於人曰浩然 人に於いては 浩然と曰い、
沛乎塞蒼冥 沛乎(はいこ)として 蒼冥(そうめい)に塞(み)つ
皇路當清夷 皇路 清夷に当たれば、
含和吐明庭 和を含んで 明庭に吐く。
時窮節乃見 時窮(きわまれ)ば 節乃(たちま)ち見(あらわ)れ 
一一垂丹青 一一 丹青に垂る。
在齊太史簡 斉に在りては 太史の簡、
在晉董狐筆 晋に在りては 董狐の筆。
在秦張良椎 秦に在りては 張良の椎(つい)、
在漢蘇武節 漢に在りては 蘇武の節。
爲嚴將軍頭 巌将軍の 頭(こうべ)と為り、
爲ケイ侍中血 ケイ侍中(けいじちゅう)の 血と為る。
爲張雎陽齒 張雎陽(すいよう)の 歯と為り、
爲顏常山舌 顏常山の 舌と為る。
或爲遼東帽 或いは 遼東の帽(ぼう)と為り、
清操夘浩 清操、氷雪よりも辧覆劼蹇砲掘
或爲出師表 或いは 出師表(すいしのひょう)と為り、
鬼神泣壯烈 鬼神も 壮烈に泣く。
或爲渡江楫 或いは江を渡る楫(かじ)と為り、
慷慨呑胡羯 慷慨、胡羯(こかつ)を呑む。
或爲撃賊笏 或いは 賊を撃つ笏(こつ)と為り、
逆豎頭破裂 逆豎(ぎゃくじゅ) 頭(とう)は破裂す。
是氣所磅薄 是の気 磅薄(ほうはく)する所、
凛烈萬古存 凛烈(りんれつ)として 万古に存す。
當其貫日月 其の日月を貫くに 当たりては、
生死安足論 生死 安くんぞ論ずるに足らん。
地維魄蔑 地維 鬚蠅動覆辰椴ち、
天柱魄並 天柱 鬚蠅動覆辰涜困掘
三綱實系命 三綱は 実に命に系り、
道義爲之根 道義 之を根と為す。
嗟予遭陽九 嗟(ああ) 予(われ)陽九に遭い、
隷也實不力 隷(われ)は 実(まこと)に不力(ふりょく)也(な)り
楚囚纓其冠 楚囚 其冠を纓(むす)び、
傳車送窮北 伝車 窮北に送らる。
鼎カク甘如飴 鼎カク 甘きこと飴の如き、
求之不可得 之(これ)を 求むれども得(う)べからず。
陰房闃鬼火 陰房 鬼火闃(げき)たり、
春院閉天 春院 天の黒きに閉ず。
牛麒同一 牛麒(ぎゅうき) 一機覆い辰修Α砲鯑韻犬Δ掘
鷄棲鳳凰食 鷄棲(けいせい)に 鳳凰食す。
一朝蒙霧露 一朝 霧露(むろ)を蒙(こう)むらば、
分作溝中瘠 分けて溝中(こうちゅう)の瘠(つい)と作(な)らん
如此再寒暑 再び寒暑 如くの此し、
百レイ自辟易 百レイ自ら辟易す。
嗟哉沮洳場 嗟(かな)しい哉 沮洳(しょうじょ)の場、
爲我安樂國 我が安楽の国と為らん。
豈有他繆巧 豈に繆巧(びゅうこう)有らんや、
陰陽不能賊 陰陽 賊(そこな)ふ 能(あた)わず、
顧此耿耿在 此の耿耿(しゅうしゅう)たるの在るを顧(み)て。
仰視浮雲白 仰ぎ視て  浮雲白ければなり。
悠悠我心悲 悠悠として 我が心は悲しむ
蒼天曷有窮 蒼天 曷(なん)ぞ 窮み有らん
哲人日已遠 哲人 日に已に遠く
典刑在夙昔 典刑は 夙昔(しゅくせき)に在り
風檐展書読  風檐(ふうえん)に 書を展(ひら)きて読めば
古道照顏色 古道 顏色を照らす。

天地には正気があり、
混然として形を持たずある。
下に行けば河や山岳に為り、
上に行けば日星に為る。
人に於いては浩然の気と言う、
大いに天地に満ちている。
大いなる道が清らかで太平な時は、
和やかに明るい朝廷に吐き出される。
動乱の時代になれば、節義が顕れ、
一つ一つ、歴史に残る。
斉では太史の竹簡、
晋では董狐の歴史を書く筆。
秦では張良が投げさせた鉄鎚、
漢では蘇武の節。
厳顔将軍の頭と為り、
ケイ侍中の血と為る。
雎陽を守備していた張巡の歯と為り、
常山を守備していた顔杲卿の舌と為る。
或いは遼東の管寧の帽子と為り
その清らかな節操は氷雪よりも厳しい。
或いは出師表と為り、
鬼神も壮烈に泣く。
或いは長江を渡る際の楫(かじ)と為り、
その意気は異民族の羯を呑んでかかる。
或いは賊を撃つ笏と為り、
反逆者の頭は破裂する。
これらの歴史の事象は正気が噴出する所であり、
永遠に残る。
正気は日月さえ貫き、
生死などは論ずるに足りない。
大地は正気によって存在し、
天は正気によって尊いとされる。
三綱も正気によってその命を与えられたのであり、
道義は正気を根幹とする。
ああ、私は亡国に遭い、
私は実に努力が足りない。
私は捕虜となっても、南宋の家臣であり、
護送車によって大都へ送られる。
釜茹でにされることも飴のように甘いのに、
之を求めても得られないのだ。
暗い牢屋は静かで鬼火が出て、
春の院(牢屋)は天に閉じていて真っ黒である。
牛(他の囚人)と麒麟(文天祥)が餌箱を同じにし、
鶏(他の囚人)小屋で鳳凰(文天祥)が飼われている。
悪い空気や冷たい露に晒されてしまえば、
死体になる事を覚悟しなくてはならない。
夏冬が二回過ぎたが、
病魔・悪鬼は近寄ってこない。
ああ、ぬかるんだこの場も、
私には楽園になる。
どうして私が何か策を施したのであろうか。
陰陽も(私の体を)損なうことが出来ないのは、
この耿耿としたもの、すなわち正気が在るからである。
仰ぎ見て浮いている雲のように(私の精神が)白いからである。
蒼い空は窮みが在るのだろうか。
悠々として私の心は悲しみにくれる。
哲人がいた頃は既に遠い昔だが、
人間の模範は昔にある。
風が吹く軒で、書物を広げて読めば、
古の道が私の顔を照らしてくれる。

   ただ、私はいつもこの詩が私のパソコンの中にはありました。だが、どうしても全部の漢字が書き出せません。それが不満で私はどうしようもなかったものでした。
  でも今回、こうして書き出しました。実に私がパソコンを使い出したときからですからもう27年になるでしょうか。いやパソコンを使い出してからは30年になるのですが、実際に、この詩をパソコンで書いて、「でも漢字が全部でないな。困ったな」というときからは、もう27年が経過しています。
  これで、私の気がすみました。

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2017042408 私が詠う詩吟の中で二番目に好きな詩です。どこでもけっこう吟ってきました。ただ七言律詩ですから、絶句の2倍ありますからどこでも詠えるわけではありません。詠うのに3分半くらいかかりますから。
私には、絶句よりも律詩の方が詩としては完成された形のような気がします。そして律詩で一番いいなと思うのはやはり杜甫の詩でしょうね。律詩は御存知のように三連と四連、五連と六連が対句になっています。この詩も見事です。11070706

歴史書に「十八史略」という本があります。三皇五帝から南宋までのことを記した書です。中国では「史記」「漢書」「通鑑」等々をはじめたくさんの書がありすぎるため、それをもっと簡単に紹介したいということなのでしょう。読んでみると確かに「略」であり、私たちにとっては、少々物足りないところが多々でてくるわけです。したがって中国でもそれほど評価されない書物なのですが、わが日本に於ては特に江戸時代以降によく読まれた書物です。
ところでそのなかで、最後の南宋が亡びる時に文天祥という素晴らしい英雄詩人が現れるわけなのですが、実にこの「十八史略」の存在価値は文天祥を描いたことにあるといえると思います。そしてわたしはこの文天祥が好きなのです。多くの幕末の志士たちもこの文天祥の志が好きなようでたくさんの詩に詠っています。
その文天祥の詩です。

     過零丁洋          文 天祥
零丁洋を過ぐ 文(ぶん)天祥(てんしょう)

  辛苦遭逢起一経 辛苦遭逢(註1)一経(註2)より起こる
  干戈落落四周星  干戈(註3)落落たり四周星
  山河破砕風漂絮  山河破砕風絮を漂わし(註4)
  身世飄揺雨打萍  身世飄揺雨飄を打つ
  皇恐灘邊説皇恐 皇恐灘辺皇恐を説き(註5)
  零丁洋裏嘆零丁  零丁洋裏に零丁を嘆く(註6)
  人生自古誰無死  人生古より誰か死無からん
  留取丹心照汗青  丹心を留取して汗青(註7)を照さん

(註1)遭逢(そうほう)  思いがけなく逢う。
(註2)一経(いっけい) 事の起因する意、経書を治めて仕官せしをいう。
(註3)干戈(かんか) たてとほこ、戦争のこと。
(註4)漂絮(じょをただよわし) 古綿をちぎってただよわす。
(註5)皇恐灘 灘の名。 皇恐(こうきょう) おそるるの意。
(註6)零丁洋 広東珠江の口にある洋。零丁(れいてい)おちぶれる意。
(註7)汗青(かんせい) 歴史の意、昔書籍をいう。紙のない昔竹をや
       ぶりて汗を出させ油を抜いてそれを紙にかえて字を記した。

私のこの苦しい闘いは経書をひもとくところから始まった。
モンゴル軍と戦い続けて四年たち、
モンゴル軍のために故郷の山河は破壊され、糸くずが風に漂っているようだ。
私もあちこちさすらい、蓬が雨に打たれているようにたよりない。
いま皇恐を目の前にして国を敬うことを説きながら、
落ちぶれた我身を嘆いて、零丁洋を過ぎた。
だが、この人生誰にでも死は訪れてくる。
私の誠心を披露して、歴史のうえで明らかにしよう。

元の世祖フビライはたいへんこの文天祥の人物を惜しみ、何度も何度も自分の臣になるように説きました。文天祥は北京の獄中で2年間に渡ってこれを拒み続けます。そのときの文天祥の意思を表したのが「正気歌」という長大な詩です。
ときにまだ南宋で元に対して戦い続けている張世傑という軍人がいました。フビライ汗はこの人物も惜しみ、文天祥に張世傑を招く文章を書くようにと部下張弘範を通じて命じます。二人とも命を助け、召し抱えようというのです。そのとき文天祥が提出したのが、この詩でした。
この詩は、以前文天祥が戦いのなか、今の香港島の先の海上の零丁洋というところををさまよったとき作ったものです。フビライ汗は最後の二句を読んで、遂に首を切ることを命じたといいます。

幕末の志士たちはことのほか、この文天祥が好きでとくに「正気の歌」はよく読まれたようです。ただこの詩はあまりにも長大です。ちょっと詩吟で披露するのは無理でしょう。我が水戸の藤田東湖も「天地正大の地……」で始まる長大な「正気の歌」を作っています。また旅順港閉塞作戦で戦死した広瀬武夫も「正気の歌」を作っています。この広瀬武夫の詩については何度も披露したことがあります。

フビライ汗にとって、文天祥は不思儀な人物だったでしょう。なぜあそこまでかたくななのだ、という思いがしたことだと思います。宋なんて国がなんでそんなにまでつくす価値があるのだろうか。また文天祥も死の直前に初めて会ったフビライ汗には驚く思いだったのではないでしょうか。「むしろこの人物のほうが南宋のどんな連中より優れた容貌をしている」と思えたのではないかな、と推測します。だが何であろうと、文天祥は死を決しているのです。
フビライの生涯において、なんだか理解しがたい生き方をする二つの存在といったら、この文天祥と、なぜか元を実力ではねつけた我が日本ではないでしょうか。どちらもフビライには理解しがたい存在だったはずです。
ともあれ、私はこの詩を吟うときに、いつも文天祥の顔を思い浮かべています。いつも私は文天祥が好きです。(1998.11.01)

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11021204 中国という国はあまりに長大な歴史を持っています。そして歴史の本も実にたくさんあります。これがあまりに多いために、元の時代に曾先之という人が、十八の歴史書をまとめて子ども向けに書いたのがこの本です。
 最初『史記』(司馬遷)から始まり、2『漢書』(班固)、3『後漢書』(范曄)、4『三国志』(陳寿)……という順番になっています。
   以下は5『晋書』(房玄齢)、6『宋書』(沈約)、7『南斉書』(蕭子顕)、8『梁書』(姚思廉)、9『陳書』(姚思廉)、10『魏書』(魏収)、11『北斉書』(李百薬)、12『後周書』(崔仁師)、13『隋書』(魏徴・長孫無忌)、14『南史』(李延寿)、15『北史』(李延寿)、16『新唐書』(欧陽脩・宋祁) 、17『新五代史』(欧陽脩)、18『宋鑑』』(李熹)と『続宋中興編年資治通鑑』(劉時挙)の二書。
 実は私も4までは、どうやら知っています(そして3以外は読んでいます)が、そのあとは欧陽脩の名前と性格が少し分かるくらいです。
 このそれぞれを実に簡略に書いたもの(だから中国では子ども向けの本とされている)なのですが、ただ、日本ではこれが中国の重要な歴史の本だと思われており、とくに江戸時代には、これは漢文の本として多く読まれたものです。
 私たちも漢文でこの本のいくつかは読んでいるかと思います。
 ただし、『史記』では、夏(か)の国の前の五帝の時代の最初の黄帝から歴史が始まるのに、この『十八史略』では、その五帝の前の三皇の時代の以前からも書かれています。私たちが漢文でも親しい文章も多いために、私なんかは実によく親しんできた本です。
 私が読みましたのは高校1年のときでした。もちろん、そのときには『史記』を読んでおり(筑摩書房世界文学大系で)、そこらへんのことは、この『十八史略』は、あまりに略すぎて不満なところでした。
 だが、元の前の宋の時代になると、とくに私なんかは、読んでいた本がないわけで、宋(南宋)が滅びるときに元のフビライ汗と決然と戦う文天祥の話には、涙を誘われたものです。
  今でも私はその高校1年のときに覚えた文天祥の『正気歌(せいきのうた)』は、全文暗誦できますし、彼の『過零丁洋(れいていようをすぐ)』は今でもときどき詩吟として詠っています。つい先日にも詠ったものでした。(2011.02.12)

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