将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:千駄木「浅野」

 私が東京で一番好きな街といいますと、谷中・根津・千駄木のあたりです。学生のときから、このお寺の多い街を何度も歩いてきました。
 その街で、私がずっと通っているお店があります。

店 名 浅野
住 所 113-0022 文京区千駄木3丁目37番12号
電 話 03−3824−4900
定休日 月曜日asano

 千駄木の団子坂から谷中の夜店通りに入って、すぐのところにあります。私は、ここに新規開店したときのその前の店のときから通っています。もう30年になるでしょうか。ちょうど、始めて来た頃生まれた娘さんが、そのうち走り回る元気な子どもになり、そして「なんだか、髪の長いすごい美人がいるな」と感じるようになり、そして今は、もうすぐ赤ちゃんが生まれる寸前です(一昨日行きましたら、予定日を6日過ぎているのに、まだ生まれないとマスターが言っていました)。(その後もちろん無事に女の子が生まれましたよ)asanoてんぷらと魚の美味しいお店です。






2004.11.14撮影
 板前さんというのは、一生のうちでたぶん一番腕があがっている(うまく表現できないけどできないけど)時ってあると思うのです。他の板前さんと比較するのもいいのですが、その本人の一生の中でもいろんな段階があるんだと思います。その腕が最高潮の時期すぎても、優秀な板前さんは、また違うやり方で客の舌を満足させることができるのでしょう。その板前として彼自身の中でも最高潮にあるのが、現在今のこのお店のご主人だと確信します。
 私いままで何人か連れていったけれど、だれもに感心してもらいました。
 さしみも、簡単なお通しもその味に感動します。私友人のひとりが、鰹のたたきでえらく感動していました。彼は鰹はあんまり好きではなく、かつついその2、3日まえに銀座の有名な店で同じもの食べたらしいのですが、もう全然ちがうといってました。もうひとりの友人でお通しのいわしのつみれ汁だけで4はい頼んだのがいます。私もでしたが。そんなどこにでもあるものが、じつに美味しいんです。もちろんてんぷらもいいですよ。私はここのつみれ汁を研究して自宅でも同じものが作れるようになりました。asano2

2004.11.14撮影。
思えば、私が食べる前に撮影すれば良かったですね。なにしろ、私は昼飯抜きなので腹が減っているのよ。
 マスターは千葉県東葛高校の出身で、私と同じ昭和23年生まれです。だから、東葛高校の人とよくここで出会います。私は一人で来たときは、カウンターでマスターといろんな話をして飲んでいます。奧に座敷があり、2、3人のときにはそこで、勝手に電源を使ってノートパソコンでインターネットをやっています。
 ここは、ちゃんと飲んで食事するお店です。歌を唄うような店ではありません。でも何故か、ここで詩吟をやる人がいます。もちろん、それは私です。思えば店には迷惑かな。そうだろうなあ。
 それから、私の大好きな作家が、ときどき一人でおいでになります。(2003.11.20)

11062610 先週私のよく行きます千駄木の「浅野」で、マスターが前週に京都へ奥さんと行ったということでしたが、そのときのデジカメでの記録を見せてくれました。彼は飲み屋の板前さんですから、IT機器がほとんど使えないのですが、いつも私が持参しているデジカメを見て、その影響でデジカメを急遽購入して早速使ってみたようです。私が飲んでいる席でも、どこでもすぐデジカメを使っているのが、実に簡単なようで、それで決めたようです。
 またマスターが夏にベトナムへ行ったようなのですが、「じゃ撮ってきた写真見せてよ」というと、

  いや、もうニコンかなんかのすごい一眼レフでも持っていけば
 よかったんだけど、どこでも買える簡単なのを持って行ったら、
 恥ずかしくてカメラを出せなかったよ

というのです。ベトナムではすべてのベトナム人がどこでも、日本のデジカメを構えていたので、格好悪くて、カメラを使うことができなかったというのですね。
 今仕事先でもデシカメが増えてきました。またアナログのカメラで撮って、結果として私がスキャンしている事態がありますが、もう私は面倒くさくて仕方ありません。時間がかかって仕方ありません。そしてデジカメの便利さを知ると、誰もこれのみで貫徹しているところです。
 いろいろと、デジカメで処理して、そしてそれをあちこちで見せることはいいことなんだなと確信できました。

11060410 このところ、長女も次女もいろんなことがありまして、たくさんここにUPしたいことがあります。二人とも小学校の教員として、忙しく頑張っていますから、二人と話すと、もうたくさんのことがあります。けっこう私が感心して聞いていることがたくさんあるのです。
 でも、ここでは、二人の娘のことではなく、妻とのことを書きましょう。
 妻はもう4カ月くらい、神田会の友人である、石岩先生の鍼灸院「日中康復治療院」に通院しています。石先生の院は、私の事務所と同じく御茶の水にあります。それで先週土曜日29日には、ちょうど私も仕事があったので、一緒に御茶の水へ行きました。私は事務所で仕事をして、終わった頃、また会って帰ることにしました。
 でも帰るには、まだ早いので、同じく神田会の友人の佐々木さんの有限会社ナッツ会社へ行きました。ただ、彼は仕事で出社していたのですが、奥さまは出社していなくて、それがとても残念でした。二人は、毎年夏に私の自宅に泊まりに来ていたのです。過去6年間続けていました。「柏市民ネット」の柏祭りへの参加で、強力なメンバーとして来てくれていたのです。でももう昨年から参加するのを止めたものですから、その機会がなくなりました。この時がとても愉しかったのです。
 でもとにかく、3人でお喋りして、また雨の中、帰ることにしました。
 でも私たちは、昼食もとっていなかったので、千代田線千駄木で降りて、

  千駄木「浅野」

へ行きました。まだ開店の5時前だったのですが、もう店に入りました(でも驚くことに、奧の座敷には、昼の12時からずっと飲み続けのグループがいました)。
 私はこの店に約30年近く通っていますが、たしか妻は26年くらい前に来たことがあります。私が当時やっていました修学館という学習塾の打ち上げで大勢で飲んだかと思いました。
 ちょうど、お店のマスターとママは初孫が生まれるところだったのですが、19日に見事女の子が生まれたということでした。それは「おめでとうございます」ということで、私たちも大変に嬉しくなります。
 そこで、マスターに美味しい料理を作ってもらいます。私はもちろん、ビールと酒を飲み出します。
 いつも私はここへは一人で来るか、誰か友人やクライアントの人と来ています。私の妻のような酒の飲めない人とは、来たことはありませんでした。でもそれでも、実にいい時間を過ごせました。やっぱりマスターもママも実にいい雰囲気を作ってくれたことが一番ですが、お孫さんのことや、娘さんの話、私の二人の娘の話等々を、病後の私の妻も含めてみなで愉しく話せたことが実に良かったなあと思っています。
 今度は、この店に、家族4人で来たいなと思っています。

 前回に引き続き、入院中の妻へあてた私の手紙です。

ママへ
                         2003年10月3日
                              萩 原 周 二
                       私のホームページのURL
                          私のメールアドレス

11052603 きのうはちょうど夜10時頃帰宅しましたが、久仁子は自分の部屋で、佐世子はリビングのソファーで眠っていて、声をかけても起きてきませんでした。二人はカップラーメンを食べたみたいです。やっぱり家族3人でないと、ちゃんと食事作らないのかな。二人ともかなり疲れているようです。
 佐世子に小さな懐中電灯をメールして頼んでいたのですが、きょう私が届けることになりました。
 きのうは、事務所に行きまして、いろいろやっていましたら、両国の社長から電話があり、打ち合わせが早くなりまして、すぐ両国に向かいました。ここの社長からお見舞いをもらいましたよ。
 それで、夕方、「奥さんの病気回復を祝って飲みましょう」というので、近くのお蕎麦屋で飲みました。そのあとなんだか飲みたりないので、千駄木「浅野」で飲んでいました。店のマスターも奥さんも、ママの入院とその結果を言うと喜んでくれましたよ。

 さて、退院はいつになるのかな。ブームのマザー牧場にコンサートへは、ママは無理だね。だから、K君とお母さんにチケットをあげればいいと思うんだ。その替わりに、パパとママで辰巳館へ行ったらと佐世子は言うのだけれど、まだこれまた無理かな。それなら家でのんびりしていればいいね。
 浅田次郎はもう何を読んだかな。3冊とも短編ばかりだから、読みやすいと思ったのです。ママが読みおわったはずの文庫本では、私は「マダムの喉仏」が一番好きです。あのマダムの戦後というのは、ものすごいと思うんですね。たしかに小説の中の話だけれど、やはりあれも、日本という国家と対決した生き方だと思うんですね。19歳で終戦を迎え、ちょうど8月15日に、晴れ渡った青空の下で、富山湾で泳いでいた吉本(吉本隆明)さんを思います。吉本さんも日本という国家が許せなかったのでしょうね。戦争を簡単にやめてしまう日本、そして自分も何もできないまま、戦後社会に滑り込んでしまうというのが吉本さんは許せなかったんだろうなと思います。
 ただ吉本さんは、その戦後の中で、とくに1973年くらいから、何かが変ったといいます。ご自分も変られたのだろうなと思いますよ。それでも、あのマダムは変らなかったのですね。そんな存在は現実にはいないのだけれど、仮構の話の中では理解できてしまいます。
 明日4日から神田会の仲間たちと奥多摩(だろうな)にキャンプに行きます。これは7月から予定予約していたのです。
 神田会は、私と同年代のおじさん、おばさんが多くて、いつもただただ飲んでいるばかりなんですが、もう何年も前から「キャンプに行こう」と言っていました。「とにかく早く1度いかないと、もう2度と行けなくなる」という心配がありました。そして、とにかく1度いけば、また来年も行けるようにあるんじゃないか、ということなんですね。
 だから、土曜日は朝しかこれません。日曜日は夕方に来ます。

 これを次女のブルータスが読んで、「なんて、パパって、ノーテンキなんだ」と言ったそうです。

11012507 この日は、「電池がない」と焦りましたが、ちゃんとありました。私の身につけているものの中にあるのでした。

2011/01/25 07:25朝食が終わり、あといろいろやっています。あ、きょうあるものを見学に行きましょう。義母のところへ行く前にです。
 秋葉原でたくさんの人が殺された事件の裁判の求刑の日ですね。あの日は私が千駄木「浅野」へ行きましたら、マスターとママが大変に心配していました。でももうあの頃には秋葉原はあの方面を歩かなくなっていたものなのです。もう今はヨドバシカメラへ行って、自分の目的のものをすぐに買って、すぐに帰るだけですね。
2011/01/25 08:08でもIS01の予備の電池が入れているものが今ないのです。昨日どうしたのかなあ。
2011/01/25 08:15ありました。ありました。もう自分のポケットをあちこち探して、前日を思い出し、あきらめた頃、いつも入れている左のベルトに下げているデューロカーゴのもう一つの外側のポケットに入っていました。

 この日は赤羽の東京北社会保険病院に行きました。義母が快活に話していたものでした。そのあと妻と二人で上中里の長女の家に行きまして、孫たちと接しました。ポニョがばあばの妻に「泊まっていって」としつこく迫りました。私にいえば、すぐに「一緒にネンネしよう」とすぐに了解するのになあ。

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