将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:卑弥呼

 パソコンソフトの使い方が容易に分からなくなっている私です。

2012/06/19 05:55しかし、もう私はパソコンソフトの使い方にも分からなくなっています。それを如実に感じます。これでは実に困りますね。ちゃんと自分でやれるようにしていかないとなあ。
120619122012/06/19 06:44「黒書院の六兵衛」は今日は上野の松坂屋の店先まで、隼人と八十吉(福地源一郎のこと)は行きます。八十吉が店先で矢立を取り出してメモをしています。こういうシーンが実に面白いです。上野の彰義隊戦争の直前がこんなに面白い状態なのですね。もちろん、これは小説ですが、私は本当の事実が描かれている思いなのです。
2012/06/19 07:02台風が来ているのですね。雨がたくさん降っているようです。
2012/06/19 12:33先ほど私の将門Webで、横路利一のことを書きました。私には、『日輪』の中で、卑弥呼の言う「奴国の滅びたのは今ではない」という言葉が甦りました。
 いやもうすでに将門Webに書いてしまったことで、さらに付け加えたいことがあるのですね。いやけっこうあるのですね。それをまた改めて書いていきましょう。
「梅ちゃん先生」を見ています。朝は見ていられなかったのですね。
2012/06/19 13:19どうしてもテレビを見てしまいます。この癖を止めなくてはいけないなあ。

「彰義隊」はポメラでは書けないのですね。ああ、登録すればいいんだ。もうこのポメラでは、漢字熟語登録はいっぱいしています。

12041104   今はおはぎの家に来ています。ポポがお熱が出たのです。ばあばが先に来て、私もあとから来ました。
  来てから、NHK教育テレビで卑弥呼のことを真っ先に見ました。いろいろと言いたいこともあるのですが、それは家に帰ってからにします。

 このIS01は、いつものパソコンのようにはいかないのですね。 でもポポはもうおねんねしました。いいなあ。もう私の可愛い孫です。

11082801   September 12, 2004 10:19 PM
大胆発言に、ドキッ。

 本日は、どうも何ごとにもやる気がなかったのですが、あなたへのメールをこうして書いていまして気力が回復しました。またいろいろなことをやらなくちゃね。

 先生にもそんな時があるのですね。いつも元気いっぱいのように思っていましたが。でももし飲み過ぎの後遺症なら仕方がありませんけど。私も体を動かす気力がないときはハードディスクの整理やメール書きなどをしています。雑誌に紹介しているフリーソフトを試すのも楽しいです。あと何か勇壮な曲を聞くのも効きます。私の場合は宇宙戦艦ヤマトが効きます。試してみてはいかがですか。ところで先生のOSは普通にWindowsですか。手作りマシンにこだわるようにLinaxとかかわったものをつかっていらっしゃるんですか?

ですよ。江戸時代には、厠は別にありましたが、ロンドンやパリでは、それが存在せず、窓から投げ捨てていたといいます。汚いことが平気な民族なんですね。

 しかし世界に先駆けて地下下水道をはりめぐらせていますよ。一事をもって万事を推測するというのは感心できぬように思います。まあ、遊びで議論するときはそれくらいの思い込みの激しさでしたほうがおもしろくなりますが、そうでない場合はもう少し公平に見てあげたほうがよくありませんか。日本人がもし高層建築に密集してすんでいたら上の方の連中は同じことをしたかもしれません。日本はほとんど平屋で、土地もゆとりがあったようですからね。

 ええとですね、私はこう思っています、大胆に言い切っちゃいますが、卑弥呼という存在はいなかったのだと思いますよ。あれは中国がでっちあげた存在ですよ、。

 うん、これはほんとに大胆な発言ですね。初めて聞く意見です。確かに姫彦制と言う言葉があるくらいですからそういうシステムの小さな国が始めのころはたくさんあったのでしょう。武王が使いを送ったのが確かなら、その中の一人が使いを送っていてもおかしくはないのではありませんか。倭人伝という言い方は日本人が言いだしたそうで、元の魏志には伝というほど大きな章を一つ立てているわけではなく、はっきり覚えていませんが、何かの章のなかのほんの一部分に倭人のことをちょっと書いたという程度だと読んだ覚えがあるのですが。麗々しく書いたのならともかく、自分で軽べつしているような野蛮人の国が朝貢に来たよとついでのように書いたところで何か権威付けになるとはおもえないんです。
 木蘭はちっともかわいそうじゃありませんよ。戦争に行かなかったら後は結婚するしかない時代です。知らない人と結婚して姑と舅にいじめられて自殺した話は中国にもたくさんあるあるでしょう。幸不幸が運できまるわけです。戦争で立派にやっていける実力があるなら広い世間を見て自分で生きていくほうが楽しいじゃありませんか。川島芳子のことはまとまったものは読んでいませんが、ラストエンペラー関係の本で少し読んだとおもいます。彼女が男装したのは何か目的を達するためではなく、ファッションとしてのようですが。数奇な運命ではありますが、何かの目的のために働いたのではないのであまりドラマチックではありませんね。ジャンヌ・ダルクのような話が好きなんです。

   Thursday, September 23, 2004 6:57 PM
Re: 大胆発言に、ドキッ。

 こうして返事を書くのが遅くなってしまいました。ごめんなさい。

先生にもそんな時があるのですね。いつも元気いっぱいのように思っていましたが。でももし飲み過ぎの後遺症なら仕方がありませんけど。

 私はほぼ毎日二日酔いですから、飲み過ぎというのは実に毎日なんです。まあこうしてメールを書いていますと、だんだんと気力も回復していきます。今はさきほどからずっと何人もの方にメールを書き続けています。

ところで先生のOSは普通にWindowsですか。

 Windows XPです。Linaxというのは使う気はないのですよ。とにかく、パソコンは楽に使えればいんです、また新しくやり直すのは大変です。

しかし世界に先駆けて地下下水道をはりめぐらせていますよ。

 そうですね。ビクトル・ユゴーの「レ・ミゼラブル」を思いだします。

一事をもって万事を推測するというのは感心できぬように思います。まあ、遊びで議論するときはそれくらいの思い込みの激しさでしたほうがおもしろくなりますが、そうでない場合はもう少し公平に見てあげたほうがよくありませんか。

 言われる通りです。どうも私は偏見に満ちたところがあるんですね。とくに欧米に関してはそうなのですね。

うん、これはほんとに大胆な発言ですね。初めて聞く意見です。

 そうだと思います。私は随分昔から、こう考えていたのです。
 陳寿の書いた「三国志」の「魏書」の中に、「烏丸・鮮卑・東夷伝」がありまして、そのさらに倭のところを書いている一部を「倭人伝」と私たちが言っているだけです。
 女王卑弥呼が魏に使いを出して「親魏倭王」といわれるようになるのは、西暦239年です。その10年前に、西域の大月氏の王が同じように魏に使いを出して、「親魏大月氏王」とされます。この大月氏の仲立ちをしたのが、曹真であり、卑弥呼のときは、司馬懿でした、この同じ239年には魏の明帝が亡くなり、曹真の息子の曹爽と司馬懿が権力を持って、8歳の曹芳が帝位に着きます。
 この権力を握り、やがては三国時代を統一する晋を作った司馬懿をこそ讃えるために、10年前の曹真と同じ迫力にするために、卑弥呼の国もまた大月氏と同じくらい大きな国とされたのです。
 そしてさらに、過去研究者が解けなかった、方位の問題があります。あれをそのまま読んでいきますと、邪馬台国は、実に呉の南に存在する大国になります。このことは、方位を間違えたのではなく、未だ敵国であった呉国に脅威を与えるためだと考えられるのです。
 私はこの邪馬台国のことをある程度詳しく知りましたのは、中央公論社「日本の歴史全26巻」の第1巻目の井上光貞さんの書かれたものからです。たしか高校2年のときでした。私はこの井上光貞さんの書かれているものを読んで「ああ、やっぱり邪馬台国は大和にあったのだろうな」なんていう思いになったものでした。
 それが、その後さまざまな本を読み、とくに陳寿「三国志」に関して、いくつかの本を読んでいきまして、「どうも陳寿はかなりいい加減なことを書いていたんだな」と感じてきていたのです。それがこの邪馬台国女王卑弥呼への思いになってきたものです。
 その後、あまり日本の歴史について、それほどの関心もなくなってきていたのですが。近ごろ、この私の「邪馬台国なんて、陳寿のでっちあげサ」ということと、同様のことを言われる歴史家他の存在を何人か知りまして、「ああ、やっぱりなあ」という思いになりました。
 まあ、今後の研究でさらにはっきりしてくることがあるかと思っています。

木蘭はちっともかわいそうじゃありませんよ。

 木蘭に関しては、あんまり知りません。大雑把なことくらいだけの知識です。Mさんと話すのには、ちゃんと知らないとまずいなという思いです。
 また。萩原周二
(第218号 2004.10.18)

11082718   Thursday, September 09, 2004 1:09 AM
はい、了解しました。

すごく綺麗で優秀な姉でしたから、「いつか白い馬に乗った王子さまが、お姉ちゃんを迎えにきて連れていく」ものだと真剣に思っていたよ

 フェミニスト運動をやっている人がこのような王子様幻想が女性のさまざまな不幸の大きな原因の一つだと書いていました。この妹はこのような幻想を持たずに育ったのなら幸福になったのではないでしょうか。

 中国では昔にさかのぼるほど記録が多いという話はなるほどなー、と思いました。それにしても日本の記録の少なさは悲しいですね。せめて卑弥呼のいた場所ぐらいはっきりわかればいいに。

 じつは香乱記は読んでます。あれは毎日新聞の連載だったんです。前半は始皇帝の時代の話で男装の美少女などの小説的仕掛けもあって楽しく読めました。後半は楚漢戦争の時代ですが、新聞連載ではだんだん何が何だかわからなくなってしまいました。私は男装の美少女が大好きです。だからジハードという小説も好きです。木蘭の話も好きです。当然ベルバラも大好きです。

   Thursday, September 09, 2004 5:42 PM
Re: はい、了解しました。

フェミニスト運動をやっている人がこのような王子様幻想が女性のさまざまな不幸の大きな原因の一つだと書いていました。この妹はこのような幻想を持たずに育ったのなら幸福になったのではないでしょうか。

 うーん、なんと言ったらいいのかな。まあ、私がとんでもない存在でしたからね。

中国では昔にさかのぼるほど記録が多いという話はなるほどなー、と思いました。それにしても日本の記録の少なさは悲しいですね。

 これはまず、中国が文字を持っていた国だということがありますね。日本には残念ながら文字がなかったのです。ただ、その替わりに、日本のたくさんの民俗の中にたくさんのものが残されているのだと思うのですね。柳田国男という人は、日本各地の、民俗の中に私たちの祖先のたくさんのものを見ることができたのだろうと思うのですね。また折口信夫は、万葉集の中にも、古事記のなかにも、さらに昔のたくさんのものを見つけられていた人だろうと思うのです。私は少しはこの二人の見ていたものを、少しは私も見られるようになれないかなと思っております。

せめて卑弥呼のいた場所ぐらいはっきりわかればいいのに。

 ええとですね、私はこう思っています、大胆に言い切っちゃいますが、卑弥呼という存在はいなかったのだと思いますよ。あれは中国がでっちあげた存在ですよ、。
 三国志の歴史の中で、魏は漢から政権を簒奪します。そして晋が魏から政権を簒奪して、呉を滅ぼして中国を統一します。この晋の司馬氏は、どうしても自分を中国の正統な後継者と言いたかったのだと思います。このときに、東国の島国の摩訶不思議な、女王卑弥呼が誕生したのですよ。遠方の東国の国からも、卑弥呼という女王が、晋に貢ぎ物を差し出し、晋に服従したがっているというようなことが大事だったのです。そのために、卑弥呼と邪馬台国が作られたのです。
 もっと言えば、この日本には、あのような巫女としての女性とその弟が王をつとめる小さな国はたくさんあったことだろうと思います。天照大神と須佐之男命も、姉と弟で、この日本を治めようとしていました。いや、日本では、姉妹と兄弟との関係(これもまた対幻想なのですが)が、やがて日本という国家の成立に至ったものだと思います。
 だから、実は卑弥呼は、日本中にいたのです。九州にも大和にも、私の故郷の茨城にも東北にもいたのです。ただ、「卑彌呼」という漢字を当てられた女王は、あくまで、陳寿の書いた「三国志」の「魏史倭人伝」の中で作られた人物なのです。と私は言い切ります。
 そもそも、「卑弥呼」の「卑」、「邪馬台国」の「邪」などという字をなぜあてるのでしょうか。いえ、その前の「奴国」も同様です。また漢の光武帝から貰ったという金印は

  漢委奴国王

と書いてありますが、本来は委ではなく、「倭」であるはずです。東方の島国の人間は、しっぽでもはえている野蛮人だろうということで、「人」をはずしてあるのですよ。
 私たちだけではなく、日本の過去の知識人たちも、この中国のいう「卑弥呼」とは誰だろうと考えてきました。間違いなく聖徳太子は、この中国の書物に書かれている「卑弥呼」を、中国が勝手に作った人物だと看破していたでしょう。 その当時の若き日の蘇我蝦夷と中臣御食子(この息子が藤原鎌足)が二人で話していた姿が見えるような思いになります。

  この卑弥呼って一体誰のことかな?
  神功皇后のことかな?
  いや、太子は何も言われないけれど、みんなもう判っているんだろうね。

 聖徳太子には、卑弥呼の話のくだらなさが判っていたのですよ。おそらく、このことは、江戸時代の新井白石も、水戸光国も判っていたと思いますよ。

じつは香乱記は読んでます。あれは毎日新聞の連載だったんです。

 私も毎日新聞なんです。もう子どものときからそうなんです。朝日も読売も読んでも面白くないのです。「香乱記」はまた文庫本になったらちゃんと読み返します。

「男装の麗人」というと、私は真っ先に川島芳子を思い浮かべます。なんだか彼女のことは可哀想でなりません。木蘭の話は、これまた可哀想な思いになります。ベルバラは読んだことがないので、よく判らないのですが、あの時代のパリでは、男装は大変だったでしょうね。この日本の江戸時代なら、トイレは完備されていましたが、あの時代のパリでは、トイレがないのですよ。ベルサイユ宮殿にもトイレはありません。だから女性は長いスカートをはいていたのです。まあ、こんな話はいつもどうでもいいときにやっています。娘たちに話すと面白がっていますがね。ヨーロッパの都市って、実に不潔窮まりなかったのですよ。江戸時代には、厠は別にありましたが、ロンドンやパリでは、それが存在せず、窓から投げ捨てていたといいます。汚いことが平気な民族なんですね。

 本日は、どうも何ごとにもやる気がなかったのですが、あなたへのメールをこうして書いていまして気力が回復しました。またいろいろなことをやらなくちゃね。萩原周二
(第217号 2004.10.11)

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