将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:南島

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 私が沖縄を訪れたのは25歳の時でした。私は埼玉大学を出たあと、ある印刷屋に勤め、辞めて浦和で飲んでいたのですが、急遽東京駅から汽車にのり、名古屋・京都・大阪と飲み続けました(それぞれの街をけっこう歩きました)。鹿児島で知っている友人の店でも飲み(そこのお母さんが私の母を懐かしく思い出してくれました)、鹿児島港から船で沖縄へ向かいました。この船の中で読んでいた『トゥキュディテス「歴史」』は実によく覚えています。
 それで那覇に着いて、泡盛の二日酔いの中で気がついたのは、もうヘルメットをかぶって塔に登っているときでした。15082902
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 あそこの飯場では、ただただ泡盛を飲み(昼はオリオンビールでしたが)、米軍用飲み屋で(辺野古社交街というところでした)のみ、そしてけっこう手紙を書いていました。 当時の彼女が来てくれて、竹富島、石垣島も行きました。竹富島の新田荘もよく思い出します。15082907
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 私は沖縄が大好きです。ただ私は奄美含めた南島が好きなのです。私はこうして南島が好きでいるのは、もちろん島尾敏雄、そして柳田国男、そして吉本(吉本隆明)さんのおかげです。

11041807 天皇制統一国家に対して、それよりも古形を保存している風俗、習慣、あるいは威力継承の仕方があるという意味で、南島の問題が重要さを増してくるだけでなく、それ以前の古形、つまり弥生式国家、あるいは天皇制統一国家を根底的に疎外してしまうような問題の根拠を発見できるかどうか、それはまさに今後の追及にかかっているのです。
「南島論」1970.9.3筑摩総合大学講座於紀伊国屋ホール 1970.12「展望」に掲載「敗北の構造」1972.12.15弓立社に収録された

 沖縄・琉球は明治以降あるいは薩摩支配以降の歴史をみるのではなく、この天皇制国家を解体するべき鍵を秘めているところだといえるだろう。まさしく「未来の縄文」である。私は沖縄にて働いていたとき、もっとも落ち着くべき故郷へ来たような感にいつもとらわれていたものである。

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 吉本(吉本隆明)さんのいう「アフリカ的段階」というのは、「共同幻想論」で展開された中で、「アジア的段階」の前に想定される歴史的段階のことです(ただし、「共同幻想論」では、この「アジア的段階」ということでの展開はありません、だよな、というかもう自信がありません)。
 この「アフリカ的」というのは、三木成郎さんを吉本さんが知ってから、言い出されたことだと思います。人間は動物ではあるわけですが、人間の中に植物的と言われるものがあるということを三木さんの言われることで、判りまして、それでこの「アフリカ的」ということを言われたのだと思います。
 ヨーロッパにおいて、「アジア的段階」というのはいつなのか? それはヨーロッパが封建社会から市民革命を経て資本主義社会に入っていくわけですが、その封建社会の前がアジア的段階です。というと、ギリシアの都市国家がアジア的社会の次の古典古代であり、ギリシアに破れたペルシアがアジア的社会だったのかなあ。
 ギリシアだとミケーネ文明社会がアジア的段階の社会だったと思われます。
 吉本さんがソルジェニーティン「収容所群島」のいくつかの箇所を引用して、ソビエト連邦のアジア的なもの(それはほとんど収容所内の出来事で)を書かれていました。それは実に納得できたものでした。
 それで、でも肝心のアジアではどうなんだというと、中国では、宋の時代以降は封建社会と言えるのかなあ(ここで、私みたいな人が、孔子が周国の時代の封建時代を誉めているのですが、そういうことを言い出すと、混乱しますから、私は言い出さないようにしてください)。
 それでこの日本はというと、これまた大変です。鎌倉時代を定義するのも、安土桃山時代を定義するのも大変です。この日本では、弥生式時代からアジア的段階と言えるのではないかなあ。
 それで肝心の「アフリカ的段階」なのですが、この日本では、縄文式時代があたるのではないかということだと思うのです。そしてこの日本に置いては、沖縄を中心とする南島がそのアフリカ的段階なのだということで(このアフリカ的とかアジア的とかいうのは歴史的段階のことで、どちらがどう進んでいる、進歩しているということではありません)、だからこのことで、沖縄の問題(米軍に占拠されていたこと)は考えられるのではないかということだったと思います。

 私は判っていないと言えるようなことなのですが、まずここまで書きます。

  「アフリカ的段階について」の2 に続く

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06122205 今朝また夢の中で、焦って起きました。朝6時15分でした。

 私は家族で沖縄に旅行に行っています。でも二人の娘はまだ小学生のようです。
 沖縄の那覇から、さらに飛行機で南島に行きます。行ったところは、宮古島か石垣島がどちらだか判りませんが、大きな島です。
 私はまだ時間的に早いので、妻と二人の娘と離れて、一人でバスに乗ります。なんだか独りで、南島の海の地平線を見たいのかもしれません。
 バスは南島らしい、乾いた白い路を走っています(あ、今思えばあの夢の中の路は舗装されていなかった)。

 着いたところで、海岸で白い砂と青い海を見ます。
 でも私はそうした沖縄の海だと、必ず海岸の白い砂を手にたくさんつけて、星砂を探すのです。石垣島でも竹富島でも、たくさんの☆砂が手にたくさんついてきます。本当に☆の形をしているのです。
 でも私は夢の中でそれどころではありません。

 海を見るよりも、私は自分の背景の後を振り返りました。そこのは、白い海岸のすぐ後にはたくさんの綺麗な家が建っており、そのさらに背景には、いわば摩天楼のようなたくさんのビル群がそびえているのです。そしてその光景は実に綺麗です。

「え、南島って、こんなに変化繁栄しているんだ」

と私は声をあげます。実に驚くほどの変化繁栄です。
 でも私は急に自分の家族に逢いたくなります。
 そこでバス亭に戻ります。バス亭まで戻る路は、白い砂が綺麗で、海水も入り込んで実に狭い路になっています。でも私は急いで帰ります。

 バスに乗ります。何故かバスはいっぱいの人です。長い距離を走ります。
 そして私は、「早く早く、家族に逢いたい」という気持でいっぱいになっています。それでバスで払う料金が実に多いコイン玉で払わないとなりません。「なんだか数えるのが大変だなあ」なんて思っています。
 そしてバスを降りました。でも実はどこで降りたらいいのか判らない。でも私はもう降りて、走って行く気になっています。

「こんな綺麗な南島に来て、娘たちは喜んでくれているだろうな」なんて思いで、私は走り出しています。

 そこで目が覚めました。

 なんで、あんな夢なのでしょうか。私は南島はものすごく好きです。そして私の故郷だと思っています。
 でもその私の故郷の南島が、あんなに綺麗な海と綺麗な路をそのままにして、そして大都会になれているというのは、私の心からの願いです。

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