10121811 さきほどブントの島さんが亡くなったということを電話で聞きました。

 島成郎さん69歳(しま・しげお=元共産主義者同盟書記長、ノーブルメディカルセンター名誉院長)17日午前7時半、胃がんのため沖縄県名護市の病院で死去。葬儀・告別式の日取りは未定。自宅は同県本部(もとぶ)町瀬底(せそこ)206の1。喪主は妻博子(ひろこ)さん。
 1958年12月、共産党の路線を批判して除名された学生党員らと共産主義者同盟(ブント)を結成、初代書記長に就任。ブントが全学連主流派を形成してからは国会突入など60年安保闘争でたびたび激しい戦術を指導した。その後、医学部に復帰し精神科医になった。その後、沖縄での地域医療活動など地道な実践派を貫いた。著書に「ブント私史」「精神医療・沖縄15年」などがある。[毎日新聞10月17日] ( 2000-10-17-13:34 )

 なんだか寂しいです。悲しいです。
 私が最初に島さんにお会いして飲みましたのは、荒戸源次郎さんの映画「どついたるねん」(監督は阪本順治さん、荒戸さんはプロデューサー)の試写会の時でした。荒戸さんと私は顔見知りなものですから(思えば、荒戸さんとも最初の出会いは飲み屋での喧嘩だったな)、その縁で行きまして、そのあとみんなで飲むというときに、かなりな人数なものですから、場所が六本木だったので私の知っているゲイバー(私の大学時代の友人がオカマになってママになっています)にぞろぞろと行きました。そのときに初めてお話しました。実に優しい穏やかな方で、私のことをけっこう心配してくれたもの(私は大酒飲むんでね、それと店の勘定を私は気にしていますと、それもまたいろいろと言ってくれました)です。たしか、これは1989年の秋だったと思います。
 その後何年後かに、また年末に唐牛真喜子さんを囲む会でお会いしました。最初に「もう彼には飲ませないで」なんて言われたものでした。
 思えば、革命を目指す党としてこの日本にブントがあったというのは、実にいいことだったなと思います。そしてブントとは、やっぱり島さんですね。つい先日、「吉本隆明さんに関することいろいろ」にて、吉本さんの

  日本資本主義に逆らう“独立左翼”

という文を紹介しましたが(文を書いたのは三上治さん)、あの内容を思い出します。あの時代に、激しく闘いましたのが、まさしく反米だとか、反帝反スタなんて称えるくだらない党派でなくて良かったとつくづく思います。おそらく、宮顕や黒寛では、闘争にくわわるはずもない多くの人たちが、まさしく島さんだったから参加したということがあったかと思います。
 もうお会いできないのですね。合掌します。さようなら、島さん。唐牛さん
と一緒にあの世で飲んでください。(2000.10.17)