将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:原田文

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 原田直示さんから、9月14日に原田文さんの絵葉書を何枚か送って頂きました。それでこの葉書をまた私の友人や親族に切手を貼って送りますが、ここに掲示しようと考えました。

08091502 でも絵葉書をスキャンしようとしても、とても難しいのです。葉書全体がなかなかスキャンできないのです。葉書では、絵の周辺が白になっているから、そこをスキャンできないのでしょう。だから、もう仕方ないので、葉書として08091503ではなく、絵の部分のみスキャンしました。それをここに載せてみました。

 上から、順番に次の作品です。

08091504   「ろばの親子」油彩・6号

    「ムーミン谷のスナフキンとタンバリン」油彩・6号
 「ふくろう」油彩・6号
 「クリスマスツリー」油彩画

 この葉書に、私はパソコンで文字を打ちまして、みなさんに郵送します。

笑っている―原田文、ダウン症20歳の記念に
笑っている―原田文、ダウン症20歳の記念に
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書 名 笑っている─原田文、ダウン症20歳の記念に─
著 者 原田直示
発行所 一莖書房
定 価 2,000円+税
発行日 2008年7月20日初版発行
読了日 2008年8月27日

 本日手に入って、すぐに読み終わってしまいました。私が今年の2月9日に行ってきた絵画展でした。

   http://shomon.livedoor.biz/archives/51322397.html
                 絵画展「原田文の世界」を見てきました

 この絵画展をされたのは、埼玉県立近代美術館で、ここは、私の母校である埼玉大学の在ったところでした。そして、この絵画を展示されていた原田文さんのお父さんも、同時にここで写真展を開催し、お祖母さんの斎宮美重さんも水墨画を展示されていたものです。
 そして原田直示さんは、私がちょうど1969年8月21日に東大闘争で、安田講堂で逮捕起訴され、府中刑務所から保釈になったあと8月末か9月に、埼大のバリケードでお会いしています。そこの場に、新しく出来た美術館で約40年近く経ってまたお会いしていたわけです。
 ただし、この本は手に入れるまでに時間がかかりまして、私は次のようなUPをしたものでした。

   http://shomon.livedoor.biz/archives/51495869.html
         インターネットで注文しても未だ着かないものもあります
   http://shomon.livedoor.biz/archives/51498439.html
                    もう手に入って読み終わりました

 でもこうして手に入って読んでみますと、やっぱり読んでみてよかったなあ、という気持がわき上がり、私の娘二人にも読んでほしい、絵画を見てほしいと思ったものでした。

 原田文さんは、昭和62年12月7日生まれです。だが、そこで直示さんは医師から伝えられます。

「おそらく、ダウン症です」
何を考える猶予も余裕もなく厳粛な空気が凍るようだった。
(6ページ)

 このときのご両親の驚きはいかばかりだったでしょうか。2カ月程たった頃の昭和六十三年二月十三日、直示さんは、友人に手紙の中で次のように書いています。

 泣き声は弱く、体重の増加も普通児には及びませんが、それでも文は日一日と大きくなっています。とにかく手をかけた方がよいということでしたので、奈良から手伝いに来ていた義母は、「子守唄」を歌ったり、言葉かけをしたりと、一ケ月間献身的に文の面倒を見て帰りました。義母、妻の懸命な姿を見て、不安と心配で仕方なかった私は、一つひとつの問題が解決されそうな気にもなってきました。(8ページ)

 このときは、私の二人の娘は小学生で、「ああ、あの頃だなあ」なんて思ったものです。
 直示さん、そして奥さま、文さんのお姉さんも、みなで、文さんを見ていきます。これは実に大変なことだったでしょう。

文の見た絵本・名画カード・絵カード・音楽テープ等 0歳〜三歳」(16ページから)に、文さんへのご両親の働きかけの記録が細かく載せられています。私なんか、私の娘への、こんな記録なんか、少しもありません。羞しいばかりです。
「二歳十ケ月」のところに、「*幸田文さん死去八十六歳」とありました。ああ、思い出した。私はお父さんの露伴も、この文さんも好きでしたので、今思い出したことがいくつもあります。
 あ、今84ページを読んで、文さんの名前は、「幸田文さんのファンでしたので、その名前をいただきました。りんとした生き方、文章共にお手本になるといいなと思いました」(84ページ)ということで、「なんだ、そうなんだ」と思いました。私も中二のときに、『父、こんなこと』を読んでから、ずっとファンでいます。もちろん、私はお父さんの露伴のファンでもあります。

 でもこの記録を見て行っても、私は自分の娘への愛が到底直示さんご夫婦の幾分の一にもならないことが羞しくなります。

 長女の独奏、メンデルスゾーン作曲「ヴァイオリン協奏曲・ホ短調」の第三楽章でも、一緒になって、真剣な顔で弾きまくっていた。
 そして、終われば、いち早くヴァイオリンを小脇にかかえ最敬礼をするのであった。
 迷惑ではないかと心配したが、なりゆきに任せていただいた。
 幸い、保護者の方々にも大目に見ていただき、
 「文ちゃん、上手だったね。お姉ちゃんにもびっくりしたけれど、文ちゃんのリズムが合っているので、びっくりしたよ」
と先生におっしゃった方もいたそうだ。
(65ページ)

 私は、この言われた保護者の方の言葉で涙を流していました。
 今ここ(64ページ)を読み返して、また深く感じました。

 妻の育休があけ、文は公立の保育園にお世話になることになった。
 障害を持った子どもを預かるのはどんなに大変だったことだろう。だが、先生方は温かく受け入れてくださり、幼い子どもが学ばねばならない一つひとつを丁寧に教えて下さった。乳幼児期の大切な時期に深い愛情と適切な躾をしてくださったこの園に深く感謝している。忙しい中、びっしり書き込まれた毎日の連絡帳は我が家の宝物である。
保育園でもクリスマス会 平成六年十二月十六日

 私の今このすぐそばにも、二人の娘の保育園でも連絡帳があります。これは本当に宝物です。でも、私はその頃は、全然書き込んでいません。遠慮があったのですね。おおいに反省するところです。

 でも私はこのまま書いていくと、ただただ、この直示さんの書かれたことを写すばかりのことになってしまいそうです。それはまずいな、いけないなあ、と思うばかりです。
 いくつもの作品展の記録が書かれています。私ははじめて見た今年2月9日の作品展のことも書いてあります。私はただただ、あのときの私の記憶を呼び覚ましました。
 この作品展の「参観者の感想」に次のようにありました。

 文さんの作品もとても素敵ですが、文さんを取り巻くご家族や知人の方の思いにも心を打たれました。(137ページ)

 このことは、私のそのときの思いと同じです。そしてこの文さんの作品展のときに、同時に直示さんの写真展、斎宮美重さんの水墨画展も見たわけですが、それぞれに、私には深い印象を与えてくれました。
 またこうした作品展が開催されたときには、必ず拝見しにまいります。でも作品の郵便はがきもあったのですね。私は阿呆ですから、まったく気がつきませんでした。判っていたら、多くの友人に切手を貼って送っていたのでしたね。
 またの機会ですね。

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 インターネットで注文しても未だ着かないものもあります の3を10:22に書いたあと、10:26に、この一莖書房の斎藤草子さんからお電話をもらいました。そこで、私は私のほうの事情を申しました。
 そのときの私は、8月1日からずっと待っているわけで、かなりイライラしておりました。それで斎藤草子さんには、かなり失礼であったかと思います。
 でも、すぐにこの本を速達で送っていただきまして、12:30には届いていました。それででも私はすぐに本を開けもしないで、他のことをやっていたのですが、でも結局本を開いていました。
 原田文さんの絵を見ていて、そして、最初から読みはじめていました。そして私はいくつかのところで、あの文さんの絵を思い出して、そしてまた原田直示さんの写真、そして直示さんの言葉を思い出して、涙を浮かべていました。
 そして私は今この本を、私の二人の娘に贈ろうと思いました。もう注文しました。購入代金はジャパンネット銀行で、もう振込しました。
 しかし、こういう事態ですと、インターネットで注文しても完全ではないですね。電話して直接注文して支払いはインターネットを使うというほうが早いではないですか。

 私の二人の娘にも読んでほしいのです。そして長女の子ども、私の孫にも、この絵を見せたいなという思いなのです。

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 私の 周の掲示板 にかなり前に以下の連絡をいただきました。

出版  投稿者:原田直示  投稿日:2008年 8月 1日(金)00時00分21秒
周さん、ご無沙汰しております。
「笑っている」−原田文、ダウン症20歳の記念にーが一莖(いっけい)書房から発売されました。
では、お嬢さんともども皆様のご活躍をお祈りしています。

 それで私は次のようにUPしましたように、

Re.出版  投稿者:周  投稿日:2008年 8月 1日(金)06時52分39秒  
>出版  投稿者:原田直示  投稿日:2008年 8月 1日(金)00時00分21秒

 原田さん、お知らせいただきましてありがとうございます。今インターネッ
トで注文しました。読み終わりましたら、またその感想を私のブログで書きま
す。

 すぐにインターネットで注文しました。でもまだ届かないのです。
 8月1日に注文して、8月6日に以下のメールをもらいました。

セブンアンドワイです。出版社・メーカーの在庫が確認できました。
出版社・メーカーから入荷してセブン-イレブンへのお届け日が決まりましたら、次回のメールでご案内します。しばらくお待ちください。

セブン-イレブン到着予定日:確定しだいご案内
ご注文日:2008/08/01
ご注文番号:*****
お支払い方法:セブン-イレブンで代金と商品を引き換え

 私は留守のことも多いので、近所のセブンイレブンで引き取ろうと思ったのです。

 さらにこのあと8月11日に次のメールをもらいました。

セブンアンドワイです。大変お待たせしており申し訳ございません。
ご注文の商品ですが、ただいま出版社・メーカーからの入荷を待って
いる状況です。出版社・メーカーから入荷してお届け日が決まりまし
たら、次回のメールでご案内させていただきます。
恐れ入りますが、もうしばらくお待ちください。

ご注文日:2008/08/01
ご注文番号:*****

 それでもう24日のきょうも、私は手にしていません。ちょっと本屋に行っても探すのが大変だろうということで、インターネットでセブンイレブン受取で注文したのですが、もう困り果ててします。
 もうそのあとインターネットで注文したものは、2点すぐに手に入れています。

 もう待つしかないのでしょうね。

 インターネットで注文しても未だ着かないものもあります の2 へ

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 一つ前の 絵画展「原田文の世界」を見てきました に書いたのですが、この原田文さんのお父さんの原田直示さんは、私と同じ昭和23年の生まれの方でした。でも私のように現実に学生運動をやられた方ではありませんでした。
 それで、グーグルで「原田直示」というキーワードを検索しますと、以下の掲示板が提示されます。

   橋の上の夢

 ここに原田直示さんは、二つの書込みをされています。それでそれに佐々木幹郎さんがレスをされています。それで始めて気がつきました。ここは

   http://voicespace.blog58.fc2.com/  VOICE SPACE

というサイトだったのです。
 この原田直示さんにレスされている佐々木幹朗さんは、このサイトに以下のような紹介がありました。

■VOICE SPACE ―東京芸術大学現代詩研究会―
東京芸術大学音楽学部の学生、院生、卒業生を中心とした、現代詩を研究する音楽グループ。「音楽文芸」講座担当の佐々木幹郎氏、成田英明氏を顧問として2004年に発足。

 え、そうなんだ、ということで、実に懐かしい思いです。幹郎さんは、私よりも1歳年上で、大昔私は京都・大阪でお会いしたことがあります。私が大学6年のときに、1972年7月14日大阪駅前にて、お会いしました。私たちは4名の埼大生グループで、京都駅前でそのとき5名の後陣グループと会いまして、それから大阪に向かいました。ただし、このとき私たちは全員ダークスーツにサングラスでした。京都の夏は暑いのです。そして私たちは貧乏な学生です。でもみんな必死でスーツを揃えました。
 私たちは、それから堺に自宅のある浜野さんという、その昔、革共同全国委員会から参議院選挙に出たという方の自宅へ向かいました。
 私たちは1週間前から京都にいました。立命館大の活動家の「ぷくとん寮」というところにいましたが、ひたすら毎日酒を圧倒的に飲んでいました。しかし、この7月14日はスーツを着る関係上、もう汗の出るビールは飲まず、せいぜい日本酒を飲むだけで、あとは誰も会話もせず、面白くないような顔だけをしていました。サングラスで笑うとおかしいのです、決まらないのです。
 それで大阪の梅田駅で浜野さんの関係の3人と会いました。そのときに佐々木幹郎さんとお会いしたのです。まったく蒸し暑い夏の大阪でも、全員ダークスーツにサングラスの私たちに幹郎さんたちは、どんなに驚かれたことでしょうか。でもそれから浜野さんのお宅でも、私たちは延々と飲んでいました。
 私たちは、夏のことですから、そこでスーツを脱いでも、下着姿になってもちゃんとしているよう、下着も用意しました、ちゃんとちりめんのステテコ姿になったものです。でも実は腹巻きも着けようという気もあったのですが、何しろ私たちは金のない学生です。みんなアルバイト中で、そこで必死になって京都まで来たのです。腹巻きは用意できませんでした。
 私はちょうど上中里の農業技術研究所というところでアルバイトしているところで、卒論のことで、大学の遠い寮に行かなくてはならない、という大嘘をついて京都に来ていたのでした。
 その浜野さんの御自宅に泊まりました翌日、私たちは幹郎さんたちの案内で、桜吹雪の降る中、京都祇園を歩き、やがてみんなで、鴨川のほとりで、みなで輪になってまた飲み出したものでした。あのとき、幹郎さんがご自分の「死者の鞭」の詩を披露してくれたのを思い出します。もちろん、私はそこで、詩吟を披露しました。
 思えば、このときに、ちょうど京都大学に居た、大口昭彦さんと私は始めてお会いしたものでした。

 原田直示さんの名前で、検索しました。思わず懐かしい名前を見つけて、ずっと昔の思い出が甦りました。

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 私がこのブログで以下に書きました絵画展に行ってきました。

   http://shomon.livedoor.biz/archives/51277403.html 「絵画展」

 私がその場で、お父さんの直示さんにいただきました新聞のコピーですが、それが以下の通りです。これは埼玉新聞のWeb埼玉から抜き出してきました。

色彩豊か ダイナミックなタッチ
原田文さんが絵画展 10日まで

 伸びやかで力強いタッチの油絵―。さいたま市大宮区の原田文(あや)さんが二十歳の記念に、さいたま市浦和区の県立近代美術館で開いている絵画展が好評だ。父親で小学校教諭の直示さん(59)の巨樹写真と祖母・斎宮美重さん(86)の水墨画も同時に展示。親子三代展になった。十日まで。入場無料。

絵画展「原田文の世界」には連日、多くの人が訪れている=浦和区の県立近代美術館
20歳の記念に県立近代美術館

 文さんは生まれた時にダウン症と診断された。幼いころから絵が大好きで、二歳になったころにはクレヨンを握っていたという。「最初はただの一本の線でした」と直示さん。三歳になると、友だちの顔や祖母の顔を描くようになった。絵に熱中するあまり、百ページのお絵かき帳を一日で使い切ってしまったことも。お絵かき帳は、就学までに二百冊にもなったという。小学二年からは近くの関絵画教室で本格的に習い始めた。織物の作業所に通う今でも絵の教室は続けている。

 会場には、キャンパスから波に乗って飛び出してきそうな「くじら」(小四)、色のコントラストが鮮やかな「はと」(小六)など、三歳から十九歳までの作品、二十点が並ぶ。どれも色彩が豊かで、くっきりとした線遣い。作品の中の人形や動物は笑顔で、観る人を和ませる。直示さんは「絵を描くのが楽しいから自然に笑顔になるのでは」という。

 訪れた男性(36)は「素晴らしい作品。家族の支えがあったから才能を開花させることができたと思う」と語り、同じダウン症の子どもを持つ母親は「障害者の作品というのではなく、絵そのものの力を感じてほしい」と話した。

 午前十時から午後五時三十分まで。問い合わせは同館(電話048・824・0111)へ。

 この絵画展の情報は、読売新聞でも公開されていました。

 私は最初、原田文さんの絵画を拝見しまして、次にお祖母さんの斎宮美重さんの水墨画を見て、次にお父さんの原田直示さんの写真を見ました。私が真っ先に思いましたのは、私の長女と次女にも見せたいなという思いでした。とくに長女は小学校の図工の教員であり、自分でも絵を描くことが大好きです。この原田文さんの絵を長女にぜひ見てほしいなという気持が最初に思い浮かんだことでした。

 それに直示さんのいくつもの巨樹の写真は実に感激です。私は大きな樹を目にすることはあっても、それをこのように何かにとどめておくということが、まるでできない人間です。娘が、「あんな、どうでもいいそこらの石ころみたいな写真ばかりをブログに載せている」と言われたことがありますが、まさしくその通りです。
 私は昔、広告制作の仕事に携わり、そのときに何人かのカメラマンと知り合いになりました。何度か一緒の仕事をしました。でも広告写真ですから、自然の景色ではなく、まさしくさまざまな物(ぶつ)を撮ったり、モデルを使ってやるようなことが多かったわけですが、でもそのカメラマン自身が仕事を離れては、自然を撮っているという話もよく聞いたものでした。
 そういえば、私自身の我孫子の家の近くでも自然のみを撮影しているカメラマンも知っています。彼はよく海外にもいくわけですが、アルプスで夜明けを待って写真撮影をするということの緊張さと大変さを聞いたものでした。
 まあ、私はそんな大変なことは仕事でも趣味でもやりたくなく、ただただそこらの石ころみたいなものばかりを今後もデジカメで撮り続けます。

08020808 でもこういう家族って素敵ですね。直示さんの奥さまにもお会いしました。文さんのいくつもの絵画も、こうした家族、お祖母さんがいたからこそ、できたものだし、そして今も此からも描かれていくことだと思っています。
 もっと私は最初に見に行きまして、このブログで広報すれば良かったなあ、とつくづく思っていました。明日までは公開されています。ぜひとも見に行ってください。
 埼玉県立近代美術館は、さいたま市のJR北浦和駅下車5分です。ここは私が1967年4月に入学した埼玉大学が在ったところです。

 それから、原田直示さんの書かれた本「笑っている」が一茎書房から出版されるということです。「出版になるのは4月になるかな」ということです。またはっきりしましたら、この私のブログで広報いたします。

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07123102 私の 周の掲示板 に原田直示さんから、次の書込みをいただいていました。

展覧会  投稿者:原田 直示  投稿日:2007年12月28日(金)14時09分13秒
 周さん、ご無沙汰です。ご母堂のご冥福をお祈りいたします。
北浦和西口徒歩3分。元埼大跡地の埼玉県立近代美術館一般展示室で2月5日(火)〜10日(日)「原田文の世界」展(同時開催:父親直示の「巨樹写真」、祖母斎宮美重「水墨画」)次女の油絵、書等を展示。周さんも私も学んだキャンパス跡地。現役だった釜本が夜、そのグランドでドリブルの練習をしていたと、周さんに教えられました。
土日は会場におりますので、もしご都合つきましたらお出でくださいませんか。
次女の文はダウン症ですが、20歳になりましたので、記念に展覧会をと考えました。今までも、2回個展を開いております。人の可能性はだれにもあると、宮城まり子さんや斎藤喜博先生から学んできました。

 ありがとうございます。2月9日の土曜日に行くつもりでおります。
 あの、それで申し訳ないのですが、私は原田直示さんがどうしても思い出せないのです。

現役だった釜本が夜、そのグランドでドリブルの練習をしていた

 このことはよく覚えています。私が1969年8月末のことでした。私は東大闘争で1月19日午後4時代に逮捕され、やがて23日後起訴され府中刑務所に勾留されました。そして8月21日に保釈になりまして、そのあとですから8月22日のことだったかなあ。とにかく、夕方7時くらいに、もう暗くなったキャンバスでサッカーの練習をしている人がいました。私はバリケードの中にいた人に、「こんなところで、サッカーの練習しているなんて……………………」というと、「あれは釜本だよ」というのですが、「釜本って、なんだよ?」というと、その相手は呆れた顔をして、「サッカーの釜本だよ、知らないのか?」と言ってきたものです。
 69年の埼大の文理地区のバリケードのすぐそばで、釜本がサッカーの練習を日々やっていたのです。

 宮城まり子さんや齋藤喜博は、今も私の尊敬します教育家です。私の 周の書評(教育篇)に次の書評を書いています。

   http://shomon.net/kyoiku/bookkyo3.htm#miyagi 宮城まり子「神様にえらばれた子どもたち」

   http://shomon.net/kyoiku/bookkyo1.htm#kihaku 斎藤喜博「教育学のすすめ」

 齋藤喜博さんの本はいくつも読んできました。ただし、私の尊敬する先生ですが、どうしても少しだけ私には違和感があります。いや、これは私の至らないところなのかもしれません。

 宮城まり子さんのことは今でも私は彼女が大好きです。大昔、紅白歌合戦に出ていた彼女を思い出します。あの頃はいつも弟と二人で、テレビに出てくる彼女を楽しい顔で見ていたものでした。

 私は二人の娘が小学校の教員です。今では二人とも結婚して、その結婚した相手も教員です。そして私は二人の勤めた学校へは、何度も行ってきたものです。いつも、そこで会う二人が教えている生徒たちの姿に、私は、齋藤喜博が描いている生徒たち、宮城まり子が描いている子どもたちの姿を見ていました。

 でもねえ、ときどき私は教員の方ともお会いしたときに、齋藤喜博の名前を出しても、読んでいないどころか、「サイトウキハク」の名前する知らない人がいて、もう私は何年も前から、その名前を出すのも止めたものでした。仕方ないですよね。
 2月9日には、できたら、長女と孫も連れて行きたいと考えています。

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