将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:原節子

2016110514
ここ将門Webで、「世界三大美女」とか「中国四大美女」とか「日本四大美女」(私は「美女」と「美人」というのは違うものだと思っていますが、そのことはまた別です。)を書いてきました。
 私は以下だと思っています。
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「世界三大美女」…ヘレネ、クレオパトラ、楊貴妃
「中国四大美女」…西施、王昭君、貂蝉、楊貴妃
「日本四大美女」…小野小町、お市の方、原節子、夏目雅子2016110516
 こうして書くことにあまり重要な意義はないのですが、とにかく私は考えていくのです。
私は、ここではまだ書いていない、楊貴妃、原節子、夏目雅子を載せてみます。あとでまた書きますが。

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16060502
 私が決めた「日本の4大美人」を書いて行きます。
 次の美人です。

1.小野小町(平安時代)
2.小市の方(戦国時代)
3.原節子(昭和時代)
4. 夏目雅子(昭和時代)16060526
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これは私が勝手に決めたものです。

12071607  これも私が随分前に書いたものです。もうこのクライアントの会社は社長もその奥さまも、私が親しかった監査役(先代の社長、いや前の会社の社長でした)も亡くなられてしまい、私はただただ寂しいだけです。そこの会社のことがここで書いているものです。(2012.07.17)

 私のクライアントで、毎年着物姿の女優をモデルにしたカレンダーをお得意先に配っている会社があります。私もいつも、事務所と自宅に掲げて使っています。
 いつも12月のはじめの頃にこの会社へ行ったときに、もらうことができます。そしていつも、そのときにカレンダーの6人の女優を見て、私のいうセリフがあります。

  知らない若い女優ばっかりですね。なんで、もっと昔の女優使ってくれないのかな?
 毎年毎年、同じことを思い、嘆き、同じことを言っています。
 今年のこのカレンダーで使われている女優は次の通りです。

  1、2月  菊地麻衣子
  2,3月  岡本 綾
  4,5月  中山 忍
  7、8月  藤谷美紀
  9、10月  柳 明日香
  11、12月  細川直美

 私が知っているのは、藤谷美紀と細川直美だけです。別にこれらの女優さんに私は好き嫌いの気持はないのですが、もっと私の好きな女優を使えないものかと私は思うのですね。そこで「誰ならいいの?」といつも聞かれますので、いつも答えています。その私の推薦する女優を以下に書きましょう。

  1、2月  高峰秀子
  2,3月  桂木洋子
  4,5月  高峰美枝子
  7、8月  田中絹代
  9、10月  若山セツ子
  11、12月  原 節子

 こんなこと言うと、

  え、それじゃ、こんな若い女優よりも、もっとお金がかかっちゃうんだよ。

と言われてしまいます。
 それで、また私が「これなら比較的若い女優じゃないかな」と思う女優で考えてみました(思えば、しつこいな)。これは仁侠映画に出ていた女優です。

  1、2月  梶芽衣子
  2,3月  桜町弘子
  4,5月  松原千恵子
  7、8月  渚まゆみ
  9、10月  江波杏子
  11、12月  藤 純子

 これで、私のよく行く飲み屋だったりすると、この女優の一人一人について、どのヤクザ映画が良かったかな、なんて話を延々と私はしていくのですね。(2004.02.23)

12062210  Noraさんが、「ネット赤ちょうちん」で以下のUPをしていました。

『緑園の天使』 投稿者:Nora  投稿日:2012年 6月22日(金)20時47分5秒
   町内の近隣センターで『緑園の天使』が上映されたので観に行きました。町の繋がりのためにリタイアしたおじさんたちが運営してくれるので無料です。年間通じて「なつかしの名作劇場」として何回か上映しているのです。次回9月はあの『東京物語』です。

 この映画もまったく知らないなという思いで、なんとか見てみようと思いました。私も『周の映画演劇館』で書いていますが、「小津安二郎『東京物語』」も私の好きな映画です。私の書いた内容を見て、いくつも思い出していたものです。
 次のように書きましたが、私の一番大好きな原節子をいつも思い出すのですが、この映画では私こそがいつも泣いてしまっています。

 この淡々と進む中で、やはりひとつ涙を見せるのは、原節子です。こらえていた感情が崩れおちるように、静かに泣き崩れます。泣けない笠智衆を見ていると、原節子の涙には、もっともっと泣いてもいいのだ、笠智衆の分も泣いてくれと思ってしまいます。

 私は鎌倉を歩くのが好きですが、いつも「原節子に会えないものか」ななんて思っているのです。そう甲斐なきことを思って北鎌倉を歩いて、もう何十年になるでしょうか。
 でもまた同じことを思い、同じ北鎌倉を歩いているでしょうね。

11022509 周の映画演劇館「小津安二郎『東京物語』」へのコメントへ、さらにoduyasuさんから、次のコメントをいただきました。

1. Posted by oduyasu   2011年02月23日 10:50
 『東京物語』は、見れば見るほど、味わい深くなっていきますね。

原節子さん、いつまでもお元気で。

 私は鎌倉が好きで、よく歩きます。前には誰か女性と歩いたものですが、このところ3回ほどは、いつも私は独りで歩いています。いつも鎌倉にお住みの原節子さんに会えないものかなあ、なんて思いで歩いているものです。
 私は高峰秀子さんも大好きなファンでした。彼女の書いた作品(エッセイ)はすべて読んでいます。つい先日亡くなられて、ものすごく哀しい思いでした。
 また鎌倉を歩いて、原節子さんに会えないものかなあ…なんて、甲斐のないことを思い浮かべていきます。

10110801 笠智衆が亡くなったときに、経験したことです。
 ある日の夕方川口のクライアントからの帰り、ある谷中の飲み屋街に寄りました。当日は午後二時から飲んでいて(このクライアントではいつもそうなんです)、割合早く切り上げてきましたが、もう事務所に戻る気がなく、その飲み屋街に寄りました。でもまだ四時半頃でしたから、いつも馴染みの店はやっていません。のれんがかっている「田村」という店があって、そこへ入りました。でもなかなか誰も出てきません。やっとベレー帽の六〇代のマスターが出てきてくれました。初めてのお店でしたので、黙って静かに飲んでいました。
 しばらく黙って飲んでいましたら、

 マスター あの、ビデオって分かりますか。……『東京物語』が四千円で売っているんですが、簡単に見られるものなのですか?
 私 ああ、ビデオって操作は簡単ですよ。レンタルで借りることもできるし、それにしても四千円とは安いですね。

という会話が最初でした。それでそれから、ひとしきり小津安二郎「東京物語」の話になりました。二人で丁寧に話していきました。私もかなりいろいろな場面を思いだしながら話しました。東山千栄子のこと、もちろん原節子のこと、そして笠智衆のこと。マスターが忘れているシーンも私が補足したりしました。それでなんですが、どうしてか、その会話の中で私は小津安二郎の「東京物語」が分かった気がしてきたのです。

題名  東京物語
封切 1953年11月
監督 小津安二郎
配給会社 松竹
キャスト
 平山周吉  笠 智衆
   とみ  東山千栄子
 紀子    原 節子
 平山幸一  山村 聡
 金子志げ  杉村春子
 文子    三宅邦子
 京子    香川京子
 沼田三平  東野英治郎
 金子庫造  中村伸郎

 いったいこの映画は何がいいのでしょうか。老夫婦が尾道から東京に訪ねてきて、また尾道に戻り、そこで妻のとみがなくなる。お葬式に子どもたちがやってきて、最後に次男の未亡人紀子だけが、周吉のところへ残る。ふたりで海を見ているシーンが印象に残ります。画面はただ何事もないように淡々と進行します。両親の世話をまったくみない実の子どもたちも、血がつながっていないのに、尾道にしばらく残る紀子も、どちらがよくて、どちらがいけないというふうには描きません。なんら泣き叫ぶ場面があるわけではないし、なにか哀しいなとつぶやくところがあるわけではありません。しかし、こうして昭和二〇年代にいわゆる古い「家族制度」や古い「親と子」の関係が崩壊していったのでしょう。
 しかし、こうして淡々とすぎていく中にも、私たちは、そこに出てくる誰もがまたたいへんな日々をおくっているのだということを知っています。愛する夫を戦争で失った紀子には、義父と見る海はまた違った感慨を抱かせるはずです。だれもがそうした思いをもち、それを口にださないまま、毎日淡々と生きているわけです。
 最初老夫婦が東京に行くときに、隣家の主婦に羨ましいと声をかけられ、最後にまた周吉は声をかけられます。まったく同じ光景なのですが、もう周吉はひとりなのです。本当なら泣き叫んでもいいような悲しさなのですが、笠智衆は同じようににこやかに返事をします。
10110802 この淡々と進む中で、やはりひとつ涙を見せるのは、原節子です。こらえていた感情が崩れおちるように、静かに泣き崩れます。泣けない笠智衆を見ていると、原節子の涙には、もっともっと泣いてもいいのだ、笠智衆の分も泣いてくれと思ってしまいます。
 こんなことを「田村」で話ながら、私は「東京物語」が少しは前よりも分かったような気になったものです。
 その日は、歌も唄わず、めずらしく静かに飲んでしまったものでした。笠智衆の霊に合掌します。(1993.03.19)

10110601題名  わが青春に悔なし
封切 1946年10月
監督 黒沢明
配給会社 東宝
キャスト
 八木原幸枝    原節子
 野毛隆吉      藤田進
 八木原教授    大河内伝次郎
 糸川          河野秋武
  野毛の母      杉村春子
  野毛の父      高堂国典
  八木原夫人    三好栄子
  特高毒いちご  志村喬

  私はこの映画を1968年の4、5月ころ銀座の並木座で初めて見ました。黒沢明の戦後最初の作品ということでしたが、のちの黒沢作品とはかなり違うものを感じました。やはり、戦争が終ったという喜びとそして二度とない青春をいかに力強く過ごた男女がいたのかというようなことをまず感じたものです。そして原節子の美しいこと、もう忘れられない女優になりました。
  内容は戦前の京大滝川事件と、ゾルゲ事件を題材にしています。八木原教授は滝川京大教授であり、野毛は尾崎秀実がモデルであると思われます。

  最初京都の吉田山にハイキングしている一団がいます。八木原夫妻とその娘幸枝、そして京大の八木原教授の生徒である学生たち数人です。幸枝は大変に美しく活発なお嬢さんです。幸枝のひくピアノが何度も画面に出てきます。そのピアノをひく幸枝の指はいかにも美しいのです。野毛も糸川も幸枝に恋しているようです。吉田山で小さな小川を渡れない幸枝に糸川が手を差し伸べます。なかなか手が届かないでいるところに、野毛が靴が濡れるのもかまわず、川に入って幸枝を抱き上げます。見ている他の学生たちはみんな思わず拍手をします。幸枝をめぐる野毛と糸川という二人の男がこのとき対照的に描かれています。そして時は昭和8年、日本がますます大陸への戦争にのめり込んでいった時代です。
  現実では滝川事件ですが、八木原教授が攻撃されます。学生たちは「学問の自由を守れ」と立ち上がりますが、警察の弾圧にあい、野毛以下逮捕されてしまいます。八木原教授は学園を去りますが、同時に野毛も大学を去ります。この闘争に敗北した学生たちからは、野毛はもはや学生運動ではもの足りないのだという声が聞かれます。だが貧しい家庭である糸川は真っ先に運動から離れ、大学を卒業します。
  野毛は東京で思想運動を続け、当局からにらまれているようです。糸川は検事になっています。20代になった幸枝は、両親の止めるのも聞かず東京へ出て行きます。いままでのようなお嬢さんとしての生活を捨てたいということと、やっぱり野毛に会いたいという気持なのでしょう。
  東京で偶然幸枝は糸川と会います。レストランで食事するなかで、糸川は自分が結婚して子どものいることをいい、さらに野毛の消息を伝えます。糸川のいうところだと、野毛も転向して、今では支那問題の専門家として活躍しているとのことです。糸川は野毛の論文の出ている雑誌を手にしています。
  幸枝は野毛の事務所へ行きます。だが事務所の前まででいつも躊躇してしまいます。あれほど活発なお嬢さんだった幸枝がいつも事務所の前までしか来ることが出来ないのです。それがなんと1年も続きます。私にはこのときの原節子がたまらなくいじらしいのです。でもどうやら二人は事務所の前で再会します。二人は結婚します。野毛も幸枝が心から好きでした。だが彼は偽装転向して、いわば反戦活動をやっているのです。幸枝を巻き込みたくはないのでしょう。でも幸枝は、私にもそのあなたの仕事を分けてくださいといいます。
  結婚生活は束の間です。野毛は逮捕されます。担当検事は糸川です。幸枝も拘束され、特高からきびしい取り調べをうけます。太平洋戦争が始まり、幸枝は糸川の力もあって釈放されますが、野毛は獄死します。野毛はスパイだったいう汚名のみが残ります。
  幸枝は野毛の実家に行きます。野毛の妻だからです。野毛の両親は息子がスパイだったということで、村中から敵視されています。その中で幸枝も農作業をやります。ピアノしかひけなかった手で、厳しい肉体労働を手掛けるのです。この幸枝が必死に農作業をして、田植えをするこの野毛の実家でのシーンなどは誰でも涙が出てくるのではないでしょうか。苦労した田植えも、心無い村人たちのためにめちゃくちゃにされます。「売国奴」「スパイ」というような紙を貼った杭が田に並びます。それでも幸枝、そして野毛の母、そして何も喋らなかった父親も必死になります。私はこの父親が遂に怒って、自らから田の余計な杭を抜くところでは涙が止まらなかったものです。
  この幸枝のところに糸川が尋ねてきます。糸川の前にたくましく日焼けした幸枝の姿があります。糸川は何か後ろめたいのか、元気がありません。私には何故かこの映画の中で、この時の原節子が一番美しく思えます。「もうこの指では、ピアノなんかひけませんわ」という原節子の指ほど美しく見えたものはないのです。
  野毛君の墓参りをしようという糸川に、幸枝は「およしなさい」と強く言います。幸枝には糸川が野毛を殺した側の重要な人物であることが判っていたのでしょうか。雨の中を糸川は茫然となって帰っていきます。おそらく、幸枝にまだ未練のあった糸川も、これで幸枝の心は完全に野毛のものになったということを知ったのです。もう糸川は画面からは姿を消します。

  戦争が終って、京都の実家に帰ってもいいはずなのですが、幸枝は野毛の実家のある村で、婦人運動をやっていくような決意でいます。京都の吉田山で束の間の思い出のあと、幸枝は村へ帰っていきます。あれほどスパイの妻として毛嫌いしていた村の人もいまでは彼女を尊敬しているようです。
  八木原教授は京大に復職しました。教壇で、反戦の為に雄々しく闘った野毛のことを話しています。
  幸枝にとって、野毛と出会えた青春は悔いないことでした。けっして素晴らしい日々とはいえはしないでしょうが、彼女の青春は、そして野毛の青春は悔いないものだったのです。

  というようなところまで、私はずっとこの映画について思ってきていました。いつ見直してみても涙が出てきてしまう映画です。ところがあるときまたこのビデオを借りてきて見た次の日の昼間、私の事務所の近くの交差点を渡っていたときに、ふと思い浮んだことがあったのです。

      いったい、野毛を殺したのは誰なんだろう?

一瞬私の中でひらめいたのです。

      尾崎秀実を殺したのは、そりゃやっぱり近衛文麿じゃないか。
    そうだ間違いないさ。

  そこでまたこの映画について考えることになった訳です。そしてまた私はクライアントへ行って仕事をしたりして、しばらくたったあと、帰宅の電車の中で、再度考えたのです。よくいろいろと、再構築する感じで考えました。そうするとどうしてか怖ろしい真相みたいなものが浮んできたのです。

      たしかに近衛には動機があるが、尾崎秀実の殺害の最高指令
    を出したのは、実はスターリンではないのか?

 私はどうしてか、この真相にたどりついたように思っているのです。そしてその私のいう真相から、再度この映画を見ていきたく思うのです。
  それには、やはりゾルゲ事件ならびに尾崎秀実の問題、そして近衛文麿の果たした役割、それに第2次世界大戦の問題などを見ていかなければならないでしょう。そうしたときに、私にはまた違う糸川の青春像が浮んできたのです。

  さて「わが青春に悔いなし」の話を続けます。いったいこの映画のモデルである尾崎秀実およびゾルゲ事件とは何だったのでしょうか。
  ゾルゲとは戦前ドイツ大使館周辺にいた通信記者です。このゾルゲは絶えずドイツ大使オットーと交際していました。ゾルゲは日本の情報をドイツに渡していたのです。しかし、実は彼は二重スパイであり、ソ連に対してこそドイツの情報、日本政府の情報を流していたのです。彼は熱心なるマルキストでした。そのゾルゲときめ細かく連携して動いていたのが、尾崎秀実です。尾崎は近衛文麿の重要なブレーンとなり、数々の政策を提案作成していきます。尾崎のみならず、近衛の周りには、尾崎の息のかかった転向左翼がいました。ゾルゲ及び尾崎秀実たちは一体何をやろうとしていたのでしょうか。それは単に、反戦運動(これは全く嘘でしょう、彼等には反戦なんて意思はありません)とか、あるいはソ連の為の単なる情報収集ではなかったと思うのです。
  彼等が至上目的としていたのは、革命祖国ソビエトの防衛です。革命ソビエト国家は、過去各国列強のやったシベリア出兵等干渉戦争には辛うじて勝利できました。しかしもうまた繰返すわけにはいかない。そして独ソ戦は必至であると考えていたと思います(だが、必至であっても、スターリンは時期を見誤っていたと思いますが)。独ソ戦を考えると一番怖ろしいのは、勇猛な日本軍にシベリアから進撃されることです。日露戦争の敗北がスターリンの瞼に浮んでいたはずです。独ソ戦が必至ならば、なんとか日本との第2戦線だけは避けなければならないのです。それがゾルゲそして尾崎に課せられた任務でした。彼等自身も、革命ソビエト、労働者の祖国ソビエト防衛の為に、心の底から、真剣に取り組んでいったはずです。
  彼等にとって怖ろしいのは、北進論(すなわちソ連をまず敵とする陸軍を中心とする戦略論)を称える軍部の傾向です。だから北一輝は処刑されました。北一輝は中国を愛しました。中国を苦しめる日本、この祖国日本の魂からの革命を目指しました。北は、米国を敵としては考えていません。ソ連をこそ敵として考えていました。だから近衛が北を処刑したのです。
  また尾崎たちにとっての敵は、いわゆる欧米派といわれる政党人や、官僚たちです。具体的にいうと、吉田茂や広田弘毅です。だから尾崎の傀儡であった近衛文麿は政党を解散し、大政翼賛会をつくり、東亜新秩序を称えていきます。なんとしても、中国との戦争を長引かせ、日米戦争に至ることが革命ソビエトの防衛になるのです。尾崎秀実の目論見どおり、近衛は動いてくれ、日米戦争に到ります。私はいわゆる太平洋戦争というのは尾崎秀実が考え、形作ったものであったと思っています。
  日米戦争の開始、真珠湾の日本軍の攻撃を一番喜んだのは誰でしょうか。私は3人の人物が思い浮びます。チャーチルとルースベルト、そしてこれを企画演出したスターリンです。

    チャーチル「これで米国も真剣にドイツとやる気になってくれた」
    ルーズベルト「これで米国こそ世界の覇権をにぎれるぞ」
    スターリン「これで我が革命ソビエトは救われた」

  まあ、一番ルーズベルトが阿呆で利用されたようには見えてしまいますが、米国はこの野望を結果としては達成しました。

  さて、ここで「わが青春に悔いなし」に戻ります。
  野毛は、逮捕されるとき、幸枝にハンドバックを買ってあげています。彼は幸枝を自分の運動に巻き込みたくはなかったでしょうが、もうしかたありません。だが何かもう達成した(すなわち、近衛の新東亜新秩序体制は半ばできた)と思っていたのではないでしょうか。それでこうしてハンドバックを買ってあげる気になったのかもしれません。
  だが、野毛はそのハンドバックをもって、何故かカフェー(ビヤホールみたいなものでしょう)に寄ります。どうして早く帰宅して幸枝の喜ぶ顔を見ないのでしょうか。野毛のような高邁な思想家が突然ビールが飲みたくなったとは思えません。私はここに謎があると思います。野毛は糸川からの圧力を充分感じていました。自分の行動を逐一見つめている、糸川の眼を何時も意識していました。野毛は、このビヤホールで糸川と会う約束をしたのではないでしょうか。糸川と対決したいのです。だが相手は国家の治安の側の検事です。対決するのには、野毛の側に何か切り札がなければなりません。その切り札は、野毛にとって、近衛文麿だったのではないのかと私は思うのです。つまり、いくら糸川が私を追及しても、俺のバックには実は近衛公がいるのだという真相を、昔の学友である糸川に話して、彼がいくら追及しても無駄だよと言いたかったのではないのかと思うのです。
  だが、そのカフェーに糸川はきません。ウェイターの顔を見て、野毛は驚きます。野毛はそのウェイターにつかみかかり、そこで逮捕されます。そのウェイターはよく顔見知りになってしまった特高の刑事だったのでしょう。
  このシーンのあと、野毛はもう画面に出てきません。獄死したことが糸川から、八木原教授に伝えられるだけです。実際に野毛を殺害したのは特高としても、糸川がそれを知らないわけがありません。彼が野毛の担当なのですから。
  近衛文麿は実際にゾルゲ事件が起きたとき、どんなに驚愕したことでしょう。段々と捜査が自分の身辺にまで及んできます。近衛公その人自身まで関係しているのかなというあたりで、捜査は終ります。近衛は尾崎秀実の口から、自分の役割がばれるのをかなり恐れたと思います。だが近衛はただ尾崎に操られていたにすぎません。本当にこの事態で困ったのは、実はスターリンではないのでしょうか。尾崎が口を割り、完全に転向することにより、政党や官僚の欧米派が復活して、日米開戦を避けるような体制が作られたら、祖国ソビエトはどうなってしまうでしょうか。また陸軍の北進論派(これは皇道派でもある)が復活して、満州から精強な日本陸軍が進攻してきたらどうなるでしょうか。
  だから、スターリンは尾崎の殺害を指令するのです。さて直接誰がこの指令を受け取ったのでしょうか。
  私はこの「わが青春に悔いなし」では、この糸川にこそ、この指令が伝わったのではないのかと思うのです。もう役割の終った野毛を処理する指令が糸川に下されたのです。糸川は学生のとき簡単に転向して検事になったように見えます。だがかなりな葛藤があったはずです。恋していた幸枝も、結局野毛の妻になってしまいます。彼の屈折は、それでもその野毛よりもさらに上位のことを貫くことで、晴らされたのではないでしょうか。それは、革命祖国ソビエトを防衛するために、野毛を殺害することです。彼にはこれで自らの思想が貫徹されたのです。
  だがこのことは誰に喋ることもできません。戦争中幸枝に会いにいった糸川は、幸枝の心が、すべて野毛にあるのを知ります。茫然と雨の中を歩いていく糸川は何を考えていたのでしょうか。私が勝手に糸川の心を覗きます。

   野毛は革命ソビエトの為に闘い、今幸枝の心を得た。だが俺こ
   そが、野毛を殺すことにより、革命祖国ソビエトを守ったのだ。そ
   れでも俺はこのことは墓場までもっていって誰にも喋らない。結
   局、お嬢さんになんか、何もわからないんだよ。

 勿論これは私が勝手にすべて推測しているのです、黒沢明はこんなことまで、まったく考えていないでしょう。それにしても、ゾルゲ事件、近衛文麿の役割、尾崎秀実のやったこと等々の真実から、私はこのようにこの映画を解釈したのだということなのです。
 映画には出てこない近衛文麿は日本の敗北で青酸カリで自殺します。彼は自分の果たした役割について充分理解できる時間がありました。彼は自分が救ってやったソビエトロシアを通じて、和平工作を続けました。しかし、スターリンもトルーマンも蒋介石もそれを無視します。彼にはもう尾崎秀実と同じ死しか用意されていなかったのです。
 その後、幸枝はきっと農村で活躍しながら、やがて日本共産党、あるいは社会党との間で、運動そのものに嫌気がさしていったことだろうと思います。そして糸川のその後は、東映のB級やくざ映画「懲役太郎まむしの兄弟」で、まむしの兄弟の菅原文太と川路民夫の二人に刺青を入れている彫り師の姿(を河野秋武が演じている)なのだと思ってしまうのです。
 糸川(河野秋武)は、戦争中原節子に会ったあと、どうしてか流れ 流れて、彫り師になって今こうしてまむしの兄弟に墨を入れているのかなんて思ってしまうのですね。
 そしてその糸川は最後まで真相は黙っているに違いありません。そして年老いた彼こそがいうはずです。

   わが青春に悔いなし       (1994.11.24)

10090130 昨日書いたこのお便り帳を見て、義母は「わが青春に悔いなし」の映画を見たんだと思いました。私はあの映画は1968年の4月に並木座で見ました。黒澤明という監督はそれほど好きではないのですが、でもこの作品は好きです。私の「周の映画館」のバナーに載せていますように私は原節子の大ファンです。いつも鎌倉を歩くときに、ひょっとしたら彼女に会えるのではないかと期待しているのです(彼女は今北鎌倉に住んでいます)。
  http://shomon.livedoor.biz/shomon/eiga/movie6.htm#ewaga
                    わが青春に悔なし
 また、次にも
  http://shomon.livedoor.biz/shomon/bun/reki3.htm#ozaki
                    尾崎秀実のことで

という長い論考を述べています。私はあの物語は、実は尾崎秀実を殺すことになる糸川の話ではないかと思っているのです(当然作者の黒澤明はそう考えてはいない)。
 それとあの映画で歌われる「第三高等学校明治三十八年寮歌」(「紅もゆる丘の花〜」も唱われますが、替え歌の長い歌のほうです)のことは、私のホームページを見たある方が内容について質問をしてきたものでした。
 写真は9月1日の午後2時18分に撮りました。東京駅八重洲口前の八重洲ブックセンターです。長谷川慶太郎の本と吉本(吉本隆明)さんに関する雑誌を買ってきました。(09/11)

5bdb4f69.jpg 日経新聞朝刊の最終面の今月の「私の履歴書」が有馬稲子さんです。私は大好きな女優さんです。生意気だとか、気が強いとか言われてきましたね。私は『フーテンの寅』のマドンナになってほしかったなあ、という思いです。岸恵子はマドンナになっているのになあ(私は岸恵子も大好きな女優です)。
  でもそういうと、私は原節子も高峰秀子も寅さんのマドンナになってほしかったものです。高峰秀子は私も一番好きな女優さんです。そして私は北鎌倉を歩くたびに、ひょっとしたら原節子さんに会えるかと(そんなことは絶対にないが)思っています。
 なんとしても今の世界の事態を思います。思えば、マイクロソフトが中国に売られちゃうかな、なんて思います。「そんなバカな?」。でもでも資本主義では当たり前にあることなのです。会社は国家の持ち物ではなく、資本家が持っているのです。中国は真面目にやれよ、と思いますね。中国は下手をすると、三皇五帝の歴史も杜甫の律詩も知らないですよ。
 写真は4月3日午前10時41分の酒類総合研究所東京事務所の前のお花です。(04/13)

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 私の 周の掲示板 に引き続いて松山博さんからの書込みがありました。

瀧川事件の歌について(2)  投稿者:松山博  投稿日:2009年 6月26日(金)09時26分4秒
 ブログを読みました。ご丁寧な回答に感謝の言葉もございません。
しかし周御大でも分からないとは遺憾の極み。
分中の「わが青春に悔いなし」の題名は聞いたことがありますが、一度見てみたいものです。  

 いえ、もう申し訳ないという気持です。ただ、この「わが青春に悔いなし」の映画の一シーンでこの歌が唱われているだけですからね。この映画はビデオ屋で借りられると思いますから、今のうちに見ておいてください。そのうちすべてDVDになってしまいますよ(いえ、DVDでもいいわけなのでしょうが、私は見られないのですね。昔のビデオというアナログでないと駄目なんですね)。
 私が見た原節子の中で、私には一番彼女が美しく見える映画です。
 でも私は、以下の中で

   http://shomon.net/eiga/movie6.htm#ewaga わが青春に悔なし

 この幸枝のところに糸川が尋ねてきます。糸川の前にたくましく日焼けした幸枝の姿があります。糸川は何か後ろめたいのか、元気がありません。私には何故かこの映画の中で、この時の原節子が一番美しく思えます。「もうこの指では、ピアノなんかひけませんわ」という原節子の指ほど美しく見えたものはないのです。

と書いていますが、それは嘘です。このときの幸枝の役割の手ではなく、女優の原節子の手を私は美しいと感じていたのです。
 私はこの映画を並木座で見た頃好きだった女性は、実に綺麗な手をしていました。私はその手が好きでした。でもその女性の手はいつも水仕事で雑巾を絞ったりしているから、いつも手にまめができていました。私はその手を綺麗だと思っていたのです。

 ああ、原節子を見てみたいな。また北鎌倉を歩こうかな。まず会える可能性は限りなく0だとは思いますが。

続きを読む

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 私の 周の掲示板 に 松山博さんという方から、以下の書込みがありました。

滝川事件の歌について  投稿者:松山博  投稿日:2009年 6月19日(金)12時53分14秒
 プログ将門を興味深く拝見しております。取り扱いジャンルの広さ、多さ、深さには驚くばかりです。
 さて、表題の「滝川事件の歌」ですが、この歌は現実に聞いたことがあり、全歌詞を紹介して頂き感動の他ありません。中で、疑問が2点生じましたので、ご教示いただければ幸いです。
09061315 8番 「京都へ帰る飛行機でプロペラばかりが威勢よく〜」の部分ですが、
  当時、京都へ帰るのに飛行機を使うことがあったのでしょうか。
  普通は汽車だったと思うので、少し違和感を感じます。
元歌「戦友」の10番は「それより後は一本の〜」ですが、滝川事件の歌ではその部分が欠如しています。意味敵にもやや飛躍があり、戦友の忠実なパロディーとしては少々奇妙な気がします。当時、戦友を14番までそらんじる人は普通にいたと思われるので、あるいは資料の欠損部分かとも思うのですが如何なものでしょうか。

09061316 ありがとうございます。私のこの件に関してのUPは以下であるかと思います。実は私でも、昔にUPした内容なので、「あれ、どこにあるのかなあ?」と探してしまいました。

 周の革命の歌 に書いていたのでした。

   http://shomon.net/uta/utakaku2.htm#takigawa 滝川事件の歌

 この歌は、以下のようになっています。

歌名 滝川事件の歌
 曲    「戦友」の譜

一  ここはお江戸を何百里
    離れて遠き京大も
    ファッショの光に照らされて
    自治と自由は石の下
二  思えばかなし昨日まで
    真先かけて文相の
    無智を散々懲らしたる
    勇士の心境変れるか
三  ああ戦いの最中に
    俳句ひねりし総長が
    インチキ案をしめしたに
    軟派は思わず駈け寄って
四  停年近いころなれど
    地位が見捨てて置かりょうか
    もはや辞表は撤回と
    あわれな声明も夢の中
五  折から與論の攻撃に
    残留教授は顔あげて
   「妻子のためじゃかまわずに
    講義しよう」と目に涙
六  世評にこころはとがむれど
    やめてはならぬこの体
    強硬教授と別れたが
    わが身の破滅となったのか
七  戦い負けて欠員の
    講師をさがす東海道
    どうかたくさん来てくれと
    心の中に願うたに
八  空しく消えしその望み
    京都へ帰る飛行機で
    プロペラばかりが威勢よく
    うなっているのも情なや
九  思えば円満解決の
    望みが見えずなった時
    教授会で手を握り
    固き結束誓うたに
十  肩をたたいて口ぐせに
    どうせ命はないものよ
    辞めてよろしく頼むぞと
    言いかわしたる教授連
十一  思いもよらず軟派だけ
      不思議に命ながらえて
      暗いファッショの京大で
      共の後釜ねらうとは
十二  くまなく晴れた月今宵
      心ホソボソ筆とって
      古いノートでゴテゴテと
      デッチあげたるこの講義
十三  形ばかりはととのえど
      マイクの前で学生に
      聞かせる時を思いやり
      思わず冷汗ひとしずく

09061317 私がこの戦後(昭和21年だったかな?)の映画『わが青春に悔いなし』を見たのは、たしか1968年の4月の終わりか5月だったかと思います。(でも思い出せば、この時期は私はバス代値上げ阻止闘争と、王子野戦病院闘争と、自治会の闘争で、いつ映画館へ行けたのかなあ?)銀座の並木座でした。
 それで、この歌の歌詞は、たぶん私が「周の革命の歌」の「はじめに」に書いている本からとったものだと思います。それが今は読むことができません(私の家にあるのかどうかも判りません)ので、調べることができないのです。
 あの映画の中では、昭和8年に起きた滝川事件で、学生がデモしてこの替え歌を唄うシーンが僅かにあるだけですので(それを見た09061318記憶がわずかに私の頭に残っているだけです)、私にはよく判らないとしかいいようがありません。
 たしかに、なんで以下のような歌詞になるのかは、判りません。

    京都へ帰る飛行機で
    プロペラばかりが威勢よく
    うなっているのも情なや

 たぶん、この滝川事件の歌も正確に歌える人もいなかっただろうと思いますし、そもそも、この本でこうして書いてあることが驚異的なことでした。
 09061319昭和8年の事件を、昭和21年の映画で描いていて、しかもその映画でも僅かとしか思えないシーンですから、今となりましては、私には、もう判らないとしか言えません。

 私はただただ、この映画の原節子のことのみを思い出すばかりです。昨日も、私は思い出していました。私がときどき北鎌倉を歩いては、なんとか原節子に会えないものかな、とそのことばかりを考えていたことを思い出していたものでした。

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 今月2009年3月の日経新聞の「私の履歴書」が、女優の香川京子です。その3月11日が、「原節子さんに尾道熱狂─小津監督から感情表現学ぶ」でした。

 この映画で私が一番うれしかったのは、あこがれの原節子さんと初めてご一緒できることだった。尾道の旅館で、原さんのお部屋にしょっちゅう遊びに行き、お話した。夜はみんなで食事をした。暑い季節だったので原さんもビールをおいしそうに召し上がっていた。私はもっぱら皆さんの話の聞き役だった。

 この「東京物語」を私は何度も見ています。やはり、私はいつも原節子が見たくて、この映画を見ています。
 でもいつも思うのですが、原節子は小津監督とどうして結婚しなかったのかなあ。
 原節子さんは、今も北鎌倉にお住みです。鎌倉へ行くたびに、ひょっとしたら会えないものかなあ、なんていう思いばかりを抱いています。

 この「私の履歴書」は、全文抜き書きしたくなる思いです。どこも私には、大切な文ばかりです。私の印象に残るところばかりです。

 小津監督はお酒が好きで、いろいろお話してくださったが、ある時「ぼくは、あんまり社会のことに関心がないんだ」とおっしゃった。私は「ひめゆりの塔」に出て、女優も社会のことに関心を持たなければいけないと自覚したばかりだったので、ちょっと不思議に思った。
 しかし何十年がたち、小津監督の語録に「人間を描けば社会が出てくる」との言葉があるのを知った。深い考えから出た言葉なのだと、ようやく納得がいった。

 この香川京子さんの「私の履歴書」は、あとで本になるのかなあ。すぐに手に入れたい思いがします。

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a45a7364.jpg 私は前には、よく電車の中等々で、自分のグーグルメールにケータイメールを打っていたものです。本を読んでいたりして、少し「これは覚えておこう」と思ったことや、思いついたことをです。昔は、手帳等にメモしたりしていました。
 でももう私のグーグルメールは、毎日莫大な数のメールで95%は削除してしまいますが、それでももう必要と私が判断したものも700程残っていまして、そこから探すのも大変です。
 それで今は、もうこのブログに書いてしまうようにしました。そして私はその自分の書いたことを探すのにグーグルを使っているのです。私のホームページは1,600を超えるページになっています。そしてその一ページも量があります。このブログのUP数は今では6,100にまで迫っています。だからもうインターネット上で、検索するのが一番早いのです。
「あ、たしか魯迅の『薬』に書いてある内容で、あ何だっけ?」とか、「原節子のあの映画で、何だと言っていたっけ?」などというものは、もうインターネットの検索で探したほうが、速いのです。自分のパソコンの中で探すのは、実に大変です。
 思えば、一見不思儀にも思えますが、早く見つけるには、これが一番てってり早いのです。
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 自分でUPして気がつききました。私がこの映画のポスターをインターネット上で探して画像をとってきまして、それでUPしたわけですが、このポスターは、主人公はノンちゃんである鰐淵晴子なのですが、このポスターでは、原節子の顔が全面に出ているのですね。私は原節子のファンですから、いいのですが、でもちょっと変だな。
 鰐淵晴子という女優は、その後は私には印象に残った映画もテレビドラマ等もありません。この映画が一番良かった映画だったのかなあ、なんていう思いを持ちました。

 でも本当は、こうして映画の画像を勝手にとってきて、こうしてUPしてしまうのは、まずいのでしょうが、どうしてもここにポスターの画像が欲しかったのですね。

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 きょう日本映画専門チャンネルで、この映画を見ました。ただ、私の義母をデイサービスに送る関係で、最初の15分くらい経ちましてから見始めたものでした。
 私はたしか札幌の幌西小学校で小学2年生のときに、講堂で見たものだと思います。
 そしてそのときに、原作もすぐに読んだものでした。でもあの本はどうしたのかなあ。今ではさっぱり判らなくなっています。

題名 ノンちゃん雲に乗る
封切 1955年6月7日
監督 倉田文人
原作 石井桃子
脚本 倉田文人 村山節子
音楽 飯田信夫
配給会社 新東方
キャスト
 ノンちゃんこと田代ノブ子 鰐淵晴子
 母 原節子
 父 藤田進
 仙人 徳川夢声
 バイオリン弾き 大泉滉

 もちろん、子どものときに見た映画では、鰐淵晴子という女優しか知りませんでした。実に可愛い綺麗な少女だと思いました。
 随分あとになって、この映画で、ノンちゃんのお母さん役が原節子だと判ったものでした。彼女は、この映画がひさびさの出演だったようです。
 そしてノンちゃんのお父さんは、藤田進です。彼は、わが青春に悔なし で原節子の恋人・夫役でしたから、映像を見ても、私はそのことばかり思い出していたものです。

 ノンちゃんは、身体が丈夫ではないので、東京から引越てきます。私はこの映画の舞台がどこの地方だか判らないのですが、子どものときには、札幌だと思い込んでいたものでした。札幌はあのような自然の風景がたくさん私には見られるところだったのです。
 ノンちゃんは優等生です。そのノンちゃんの席の右前に、ガキ大将の長吉がいます。彼とはどうしてもうまく関係ができません。いわば仲が悪い同級生なのです。
 実はノンちゃんの兄のタケシもなんだか、ノンちゃんとは仲良くしていないようで、でもインディアンごっこをしていて、ノンちゃんをつかまえる子どもたちを、雄々しく追い払う優しいお兄ちゃんでもあります。私は自分の孫の光汰朗が妹のポニョをいつも思っているところを見ていますから、このシーンではキュンとなってしまいました。

 でもあるとき、朝起きると、大好きなお母さんとお兄ちゃんがいません。ノンちゃんには教えないで東京へ行ってしまったのです。お母さんが東京へ連れて行ってくれると信じていたノンちゃんは泣きます。この涙もとても判るでのす。でもお母さんは、健康を損なってしまった東京へはノンちゃんを連れていきたくなかったのでしょう。
 ノンちゃんが、泣いて外を歩くとき、ある樹に登って、その上で手を拡げます。ノンちゃんは、それで白鳥になって飛べると思ったのです。
 でもノンちゃんは、樹から落ちてしまい、下の渕の中に落ちてしまいます。ああ、大変です。そしてそのあとに、ノンちゃんは夢を見ています。その夢の中の話が、この物語なのです。

 夢の中で、ノンちゃんは雲の上にいます。そこには仙人がいて、ノンちゃんの話を聞きます。でもここのは長吉もいるのです。
 そこでノンちゃんは、まず大好きなお兄ちゃんのことを語ります。
 私は、自分の孫のポニョがお兄ちゃんのことを喋るようになるのはいつのことかなあ? なんて考えたものでした。
 そして次に仙人は、ノンちゃんに自分のことを語るようにいいます。

 このノンちゃんの語ることは別にそれほどたいしたことではありません。でも子どもはいつも大人からはたいしたことでなくても懸命に悩みもがいているのです。
 最後に仙人は、雲の上から下界に降りたくなったノンちゃんに、「試験」を課します。それができたら、帰れるのです。
 それは、ノンちゃんが、何か一つでもいいから、嘘をついてみなさいと言うのです。さて、これはノンちゃんには大変に難しいことなのです。
 ノンちゃんは、見ている私たちも予想がつくわけですが、やっぱり小さな嘘もつけません。でもそれはこの仙人には予想していたことなのでしょう。

 それでノンちゃんは無事に寝かされている自分に気がつきます。お父さんも枕元にいますし、お母さんもおにいちゃんも東京から急いで帰ってきていました。

 私はいつも、この話で、お兄ちゃんの算数の計算の仕方とか、ノンちゃんが水たまりを見ていて、そこに映っている深い空を見て、「あ、落ちちゃう」とか叫ぶところを印象深く覚えていました。でも映画には、そんなシーンはないのですね。それは小説の文章の方だったのでしょう。そんなことがきょうの映画を見て確認できました。

 懐かしい映画でした。そしてあの頃の自分のことも思い出していました。

 映画を見たのが午前中で、すぐにこれを書いたのですが、外出する用ができて、午後今になって、さらに誤字等を直して今UPいたします。

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 本日06:00に届いていた破茶さんの『独楽吟のススメ』です。

「2008/07/08 【No.1669】わたしの独楽吟(どくらくぎん)」を読んでの周の感想。

たのしみは 雨の上がった 早朝の 歩道を鳩と 歩み行く時

鳩たちは平和の象徴、歩道を一緒に歩きます。向こうはヨチヨチ、こちらはのんびり・・・。一緒にいる感触を味わうのはゆとりがあって好きです。

 私は鳩なんか嫌いでした。でもこうして破茶さんが書かれていると、また別な目で見られるようになるはずです。

たのしみは 男のような 私の手 一晩にして きれいになる時

有り得ないことですが ミラクルが起きて 朝起きてみたら女性の手になっていたらどんなに嬉しいことでしょう。私の手はごつごつとして色が黒くて・・・。贅沢を言ってはいけないのですが・・・・。

 ナポレオンはいつも手が綺麗でいるようにしていたといいます。なんだか、その思いがよく判る気がします。でも女性の手についてもいつも関心があります。「わが青春に悔いなし」での原節子が、最後に「もう今はこんな手になりました」というときの、あの手が私には実に美しく思えたものでした。

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邦画の昭和史―スターで選ぶDVD100本 (新潮新書 224)
 この本も電車の中と、パソコンを打ちながら読んでしまっていました。なんだか、すぐに読み終わってしまいまして、もう少し読ませてほしいなと思いましたが、それは私が間違っています。本を読むことよりも、やはりDVDを手に入れて映画自体をみればいいのです。DVDなら、何度も繰り返し見られるわけです。そしてパソコンのディスプレイで見られるのですから、私には最適なはずなのです。

書 名 邦画の昭和史
    スターで選ぶDVD100本
著 者 長部日出雄
発行所 新潮社新書
定 価 700円+税
発行日 2007年7月20日発行
読了日 2008年6月4日

 この本の目次は以下の通りです。

目次
「スター」を軸にした戦後日本映画史――はじめに
第一章 戦後のスーパースターを観るための極め付き三十五本
 大衆が望んだスターの条件
 デカダンスと破滅型の反抗――初めにミフネありき
 「カッコイイ」の価値観――裕次郎のスタイル
 武骨で寡黙で無器用――待ってました、健さん!
 ヤクザ映画と左翼思想――鶴田浩二のディレンマ
 任侠美から等身大のヤクザ像へ――菅原文太の多面的な立体感
 高度成長期の東宝娯楽路線――遊びを謳歌する森繁、加山、植木
 エロとグロ、悪の魅力――座頭市の勝、眠狂四郎の雷蔵
 正月と盆に会う「まれびと」――寅さんこと渥美清
第二章 不世出・昭和の大女優に酔うための極め付き三十六本
 女性映画、随一の巨匠――吉村公三郎のピース缶
 大輪の花の半身像――原節子の気品
 日本女性の理想像として描かれた奇跡の肖像画――独身を通した小津安二郎
 「わたくし、ずるいんです」――そして昭和の伝説と化した
 大女優であるがゆえの孤独感――田中絹代の苦悩と絶望
 執拗なまでの芸術的完全主義者――絹代に恋した溝口健二
 「小津は二人要らない」――成瀬巳喜男の“マジック”
 『二十四の瞳』大石先生の笑顔――高峰秀子のプロ意識
 明るい「市民」を描いた石坂洋次郎――杉葉子の水着姿
 戦後の新しい恋愛観――ミス日本・山本富士子の黒髪
 「肉体女優」の迫力――京マチ子から松坂慶子まで
 芸者、廓の女を演じる「卑近美」――佐久間良子の唇
 アイドルからいかに脱皮するか――若尾文子の奇妙な笑顔
第三章 忘れがたき名優たちの存在感を味わう三十本
 「新劇俳優」の台頭――森雅之のサングラス、宇野重吉の松葉杖
 数カットで主役を喰う名脇役たち――杉村春子の前掛け
 魁偉な風貌が幸いして――伊藤雄之助とキャベツ
 気弱な一等兵の狂気の逆ギレ――骨太の岡田英次と繊細な木村功
 共感を呼ぶ「絵空事の中の人物」――仲代達矢と中華まんじゅう
 鉄筆を揮った「反抗的人間」――一匹狼の佐藤慶
 怪優列伝――銀座育ちの殿山泰司、ダボシャツの小沢昭一
 忘れちゃいけない生粋のスターたち――上原謙、池部良、笠智衆……
 試写室で拍手が起こった伝説の一作――天才・フランキー堺
 わが映画人生に悔なし――柴田恭兵の最高の笑顔
あとがき

 読んでいながら、私自身、あまりに戦後の映画を見ていないことに、自分に苛立ちました。やくざ映画が見ているつもりでしたが、それも不十分であり、まして、私が大ファンであるはずの、原節子と高峰秀子の映画もちゃんと見ていません。これは私がおおいに反省すべきことです。
 そしてやはりDVDでパソコンで見て、その見た一つ一つの作品に関して、私の思うところを、私のブログで書いていきたいと思っています。
 それにしても、日本の映画はいいですね。

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 私は我孫子の自宅を王子に引越てきました。それで多くの本は売ってしまったわけですが、この王子に持ってきた本・雑誌もあります。明確にわけないまま。もう目茶苦茶なところもあります。
 それが妻がいつも眠っている部屋にダンボールでいっぱいあり、ときどき妻があけて、私のところへ持ってきます。でももう私の部屋に入れる前に、また私の部屋の入口に山のように積み重なっています。
 その一番上にあった雑誌を見てみました。その表紙がここの画像です。

雑誌名 ノーサイド平成3年9月30日号
総特集 戦後が似合う映画女優
発行所 文藝春秋
定 価 560円
発行日 1994年10月1日発行
読了日 2008年5月12日

 この雑誌には、百六十八人の女優が登場しています。久我美子・津島恵子・高峰三枝子・高峰秀子・原節子・香川京子・京マチ子・田中絹代・沢村貞子・桑野みゆき他の女優さんです。
 これについて、何か私の思いを書こうという気持になりまして、まずは、この本の表紙の画像がないかなと思いました。でもインターネット上では見つけられません。
 でもその中で、ある書評を見つけました。でもそれは、私のホームページの中にあったのです。

   http://shomon.net/eiga/bookeiga1.htm  戦後が似合う映画女優

「なーんだ」という思いの中で、この表紙をデジカメで撮りましたが、なかなかうまくいきません。「しかたないなあ」という思いで、こうしてスキャナで撮りました。
 それで、この雑誌の表紙の女優さんに関しては、上に私が書評で書いたとおりです。私の思いは今も少しも変わっておりません。まったく進歩のない、進歩しない私です。

71696ec7.JPG 私はいつもテレビの放送を聴いてはいますが、画面を見ていないです。これは王子の家でも、今いる我孫子の家でも、そもそも画面をわざわざ見ないとみられない位置でパソコンの画面を見て、キーボードを打っています。
 でも、この10チャンネルの番組を見るのに、わざわざパソコンの前ではなく、食卓のテーブルに座って、ビールを飲みました。

 うーん、ちょっと香川京子に関しては、言うことが難しいのですね。私はなんとなく、好きになるのが難しいのですよ。あの、黒澤明の「赤ひげ」で殺人犯の狂女役をやっていますね。あれが、嫌というのではなく、私はあの役の香川京子がとてつもなく怖ろしいのですね。とても圧倒的に美しい娘役なのですが、でもものすごく怖ろしいのです。それで、その香川京子が、東京物語の原節子の末の妹役でも、その印象よりも、「赤ひげ」での怖い思いが強いのです。いや、だんだん思い出せば、香川京子については、もっとたくさんのことを思い出しています。

 でもそれよりも、私は3月末に北鎌倉を歩きながら、原節子のことを思い浮かべていたことを思い出していました。また北鎌倉を歩いて、原節子と、そして今度は香川京子のことも考えたいです。

 でもでも、香川京子さんも、もう随分なお年なんですね。推測して数えてみて驚いていました。
 とにかく、きょうの放送を見て、香川京子という女優が大好きになりました。また、いくつもの作品を見直してみましょう。

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