将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:参議院選挙

11091808 今年7月の参議院選挙にむけて、またさまざまな動きがあるようです。私は国会とか地方議会とかいうところの選挙には未だ行ったことがありません。ただどうしても思うことが多々あります。

 いつもいくつかの国会勢力の騒動を見ていますと、もうただ馬鹿馬鹿しいのですが、またまた、「今度こそ国民がしっかりしよう」なんていう、もっとばかばかしい言い方がいつもたくさん出てきます。
 随分昔に、私が戦前の原敬からの政党の動きを調べた資料があります。作成したのは私です。実は大政翼賛会のことを調べる前段階としてやっていたのですが、これをここでUPしてみようかなと思いました。
 以下原敬から、政党政治の終りまでです。このあと翼賛政治になっていくわけです。

 大正7年9月29日政友会総裁原敬が組閣、本格的政党内閣の登場といわれる。藩閥政治の山県有朋が、米騒動とシベリア出兵問題から寺内内閣を辞職させ、西園寺公望を推したわけだが、伊藤博文の後継者たる西園寺は時代の流れを読み、政友会総裁原敬を推し、また山県はそれにもはや抵抗できなかった。
 しかし原は大正10年11月4日東京駅にて暗殺される。11月13日高橋是清内閣成立。大正11年6月6日高橋内閣内不統一を理由に総辞職。12日加藤友三郎内閣成立。内閣に衆議院に議席をもつものが一人もいない内閣であった。12年8月24日加藤死亡。山本権兵衛組閣。
 関東大震災のあと、難波大助による摂政殿下(のちの昭和天皇)狙撃事件で山本内閣総辞職。翌13年1月清浦奎吾枢密院議長組閣。
「清浦内閣を打倒して憲政を常道に復すべし」という第2次護憲運動がおきる。6月に清浦内閣総辞職により、護憲三派(憲政会、政友会、革新倶楽部)による連立政権ができる。首班は加藤高明憲政会党首。すなわち「第一党の党首が内閣の主班となる」という「憲政の常道」はこのときに成立した。この内閣のとき普通選挙法制定。
 この護憲三派内閣は一年しかもたずに、大正14年7月31年総辞職。が加藤の辞表は受理されず、加藤は憲政会単独内閣を組閣する。翌15年1月28日加藤高明が突然亡くなったことにより、後継首班は若槻礼次郎。
 昭和2年4月若槻内閣総辞職。後継首班には田中義一政友会総裁が指名された。憲政会は政友会本党と合同して立憲民政党が結成される。
 昭和3年2月20日第1回普通選挙、ときの内閣は田中義一政友会内閣。
  開票結果
   政友会  217
   民政党  216
   無産党他  33
 その後の工作により田中義一政友会内閣は第55回、56回議会をのりきるが、翌4年満州某重大事件により、7月2日総辞職。後継内閣は衆議院第2党の民政党浜口雄幸が憲政の常道ということで推され、組閣する。
 第57回国会の衆議院各党勢力は、
   政友会  239
   民政党  172
   そのほか  55
で浜口内閣は少数与党であった。
 翌5年2回目の普通選挙が2月20日に行われる。
  開票結果
   民政党  273
   政友会  174
   その他   13
 昭和5年11月14日浜口狙撃事件。翌6年4月14日若槻礼次郎民政党内閣が成立。12月11日閣内不統一ということで若槻内閣総辞職。12月13日犬養毅政友会内閣成立。政友会は衆議院171名の少数内閣であった。
 昭和7年の選挙、
  開票結果
   政友会  303
   民政党  146
   無産党他  17
によって犬養内閣は信任を得たことになる。この年に5.15事件。犬養毅絶命。
 5月26日斎藤実もと海軍大臣を首班とする挙国一致内閣成立。
 昭和11年2月20日選挙
  開票結果
   民政党  205
   政友会  171
   その他   90

 この後軍部のさまざまな圧力により、政党政治は終っていく。昭和9年斎藤内閣総辞職のあとの岡田啓介海軍大将が組閣。民政党のみと関係した内閣だった。政友会は入閣した内田信也ほか2名を除名。
 2.26事件のあと岡田啓介のあとを受けて広田弘毅が組閣。
 そののち、林銑十郎内閣に至って政党からの入閣はひとりもいない。

 戦後の55年体制とやらと違って、戦前には2大政党制だったのですね。それでも今と変わらない腐敗たかり汚職の構造がありました。それでも「憲政の常道」なんて言葉通りにやっていたのです。こんなことばを、現在の政党人に教えたいものです。憲政の常道からいったら、ごく近ごろでもおかしなことばかりではないですか。
 どうも日本は2大政党制でもなく、政権交替がないからいけないというけれど、戦前にはその意味ではごく普通にやっていました。だけどあの戦争は防げなかった。大政翼賛の方向は止められなかったのです。2大政党は腐敗していましたからね。腐敗しない政党政治より、より清らかに見える大政翼賛の政治が国民にうけたのでしょう。しかしどんなにくさっていたって、大政翼賛よりは政党政治のほうが数倍ましなのです。
 どうもいまの時代にも大政翼賛的なものが絶えず生まれてくる傾向を感じます。大政翼賛会に戦前の社会主義政党が挙って参加していったように、いまも同じようなものを感じます。大政翼賛の形を作っていったのは、かなりな転向した左翼社会主義者の働きがあります。
 私は戦前の2大政党も結局は駄目だったとは思います。しかし、大政翼賛会の方向よりはましな面をもっていたのです。さて今はそしてこれからはどうなのでしょうか。
 俺は汚れていない、キレイだという貌をしている奴のほうが数倍も信じられない。キレイな貌して、「俺もあとからすぐ行くから」といって若者たちを戦場に送った大政翼賛の連中とどうしてかだぶってみえることがあるのです。

10070703  Spider job  蜘蛛業 に書いております ニュースさとう が7月4日〜7月10日までのUPが以下の通りです。

2010/07/10(土)
参議院選挙がありますね
2010/07/09(金)
池上彰の解説はいつも感心して見ていましたが
2010/07/08(木)
雑誌の役割がWebになるっていいことです
2010/07/07(水)
自分はよく眠れているのか?
2010/07/06(火)
宅配便「ゆうパック」の遅配
2010/07/05(月)
ブロードバンド接続が国民の基本的権利
2010/07/04(日)
電話よりメールだよなあ

 実は昨日7月10日の「参議院選挙がありますね」に私は間違いを書いてしまいまして、それを以下に訂正しました。本日の「ニュースさとう」にも書きました。

  http://shomon.livedoor.biz/archives/51839373.html
          「ニュースさとう」の2010.07.10分で

 ちゃんと正確にニュースを見ていかないといけないな、と思ったものでした。

58889a75.jpg

 私はきょう、我孫子の自宅へ行きまして、選挙へ行きました。
 私は長らく(ホントに36年くらい、こうした国政選挙、地方選挙も)していなかったですが、何年か前の郵政解散のときに、実にひさしぶりというか、始めてというくらいに選挙に行きました。そして今回も行きました。
 写真は、その選挙する会場です。

 思い出せば、20歳か21歳のときに選挙したのも、参議院選挙でしたね。朝霞留置場の中でやりましたね。
 今回は、私の投票した人は受かっているのかなあ。

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