12090910 私の『周の雑読備忘録「小阪修平『思想としての全共闘世代』」の2へ「当時の芝浦生」さんよりコメント の2』へまた次のコメントがありました。

1. Posted by 当時の芝浦生より   2012年09月09日 13:42
まず、すいません。個人的な9月と言えば成田の9.16が日にち的に印象深く、最初のコメントの15日は18日の誤りです。そうでしたか。。どなたか一人先行してタクシーで滝沢さんに問い合わせの大宮校舎への行動があったのですね。2号館と言えど実質的に大学の教務課でして、2階は会議室と一部事務室でした。僕は夜9時半ごろ館を離れましたが、埼大からのグループがどこかの部屋を占有し一人閉じ込めて使用したとのことはありませんでした。みなただ身体が埃くさいようで、滝沢さんを除いて寝る場所の確保とか、疲れてましてもみなさんが体を動かしていないと落ち着かない様子でした。館内の2階のみを歩き回ってましても目的ある行動をとは映らなかったです。
大学内外の闘争をスクラムを組んできた同士の生命、怪我はないかの心配をするのは当然ですね。意図があり大宮に行ったのではないのでしたね。
埼大を偽装したヘルメットで襲い、書記局がからんでいて、組織員としてエスコートせざるを得なかったのが滝沢さんなようです。

 先行して行ってくれたのは、埼大の中核派の人でした。もう名前も何もかも覚えていますよ。1969年の9月18日・19日のことですすから、もう40数年が経っているのですね。「埼大を偽装したヘルメットで襲い、書記局がからんでいて、組織員としてエスコートせざるを得なかったのが滝沢さんなようです」。残念ながら、そうなのです。
 でも私はこのために前科二犯(もう一つが東大闘争です)ということで、大学を出てからも、もう実に大変でした。就職しようとしても、実に、面接でとうとうと、マルクス主義批判、学生運動批判をされる方がいて、実にばかばかしくて嫌になりました。
 私こそが反共産主義、反マルクスの意思もあるわけでしたが、それをその場でいうわけにもいかないしねえ。しかし、本当にくだらない人がいっぱいいましたね。マルクス主義が嫌なら、大学時代にそれをちゃんと展開すればよかったのです。
 その後、私のクライアント関連で、学生時代は、いわゆるこういう学生運動に批判的で、でもちゃんとそう主張して、でも私たちの側が暴力的でね。彼らが可哀想だったな。
 それでまた社会でパソコン等のことで、私と知り合って、よく協力しあった方も何人もいますよ。私はパソコン等でも絶対にやり抜くからね。
 パソコンを自作することでも絶対にやりぬいたものです。でもそのころになると、もう昔の左翼にいたとかいう連中の保守性はひどいものでした。私が13年くらい昔に、「自作パソコン講座」ということで、ゴールデン街の「ひしょう」で土曜日昼すぎから講座を開いたときも、昔の左翼仲間の講座なのに、まったく来てくれなかった(昔の左翼でない人が一人来ただけです)ものでした。12090911

 あ、実はこうして書いている間にも私は自分の部屋以外のところのものをかたづけたり、大きなものを(もう捨てるしかないようだ)捨てにいったり大変です。ある関係でケータイメール出したりと大忙しです。