将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:収容所群島

13021910 私が書きました昔金八先生の言ったことを思い出しましたで、私は質問を受けました。「何を言いたいのかよく分からない」と言うのです。私は答えました。

 うんこのことだよ。子どもたち、小学校にも行かない子たちにも、「朝保育園、幼稚園に行く前にうんこをするという訓練は大切なことなんだ」ということなのです。「いつでも自由に自分のしたいときに」という考えではいけないのです。

 ソルジェニーツイン(私はソルジェニーツインの作品では、『イワン・デニーソヴィチの一日』『ガン病棟』『煉獄のなかで』『収容所群島』『仔牛が樫の木に角突いた』とあと短編をいくつか読んでいます)の『収容所群島』の中でベッドの中で、ベッドの上下を替わらせたことがあります。それは上になった男がどうしてもウンコをもらしてしまいからでした。その男は昔は輝かしい革命派でしたが、今は収容所に入れられているのです。この収容所側に自分が要求したことを、ソルジョニーツインはいつまでも悔やみ反省していました。
 このことを忘れないのです。
 あるときに、40代の男性でしたが、小学2年のときに学校でうんこをもらして、そのことをずっと言われ続けた、中学生になっても言われたと言っていました。それは言うほうがいけないのです。だけど、私は家で自宅で「朝保育園、幼稚園に行く前にうんこをするという訓練は大切なことなんだ」ということをパパやママがやってあげることだったと私は思うのです。
 私はロシア文学者の中ではドストエフスキーもトルストイもゴーゴリもプーシキンもチェーホフもその他もみな読んできて好きです(オストロフスキーは好きになれないかなあ)。でもその中でも、このソルジェニーツインが一番好きです。それは『収容所群島』のことを書い13021911ているからです。彼はスターリン主義ではなく、マルクス主義そのものが嫌いです。もちろん彼は元はマルクス主義者でした。だがこうした非人間的なことをしてしまうのは、スターリンが悪いのではなく、共産主義・マルクス主義がいけないのだと気がつくのです。

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『収容所群島』が必読書になる で次のように書いていました。

 この『収容所群島』にはたくさんの註があり、その註を読む中で、サヴィンコフ=ロープシンの死の真相(彼は自殺した、収容所の壁の上から飛び降り自殺されたと言われていた)を知り、もう大変に悔しかった思いでした。

 もう思えば、このことを書くこともないと思うからです。思い出すことはこれからもよくあるでしょうが、でも少し書いておこうと思ったものです。サヴィンコフ=ロープシンは私にはいつも忘れることができない人です。

09091424 ボリス・サヴィンコフは、1879年1月19日ウクライナのハリコフで生まれました。
 最初はマルクス主義に傾倒しますが、そのうちに人民の意思派のテロリズムに傾倒するようになります。流刑先から逃亡して、社会革命党(エスエル)に所属するようになり、戦闘団でテロリズムを指揮します。
 1905年にガポン神父と知り合います。このガポンが血の日曜日事件のときの指導者であった。だがこのガポンは帝国政府から金をもらっていた人間だった。エスエル戦闘団として数々のテロを実行する。内務大臣ヴャチェスラフ・プレーヴェ、モスクワ総督セルゲイ大公の暗殺を指揮したのは、このサヴィンコフです。でも何故か彼は逮捕され死刑判決を受けます。だが、彼は判決直前に逃亡します。
 でも何故彼が逮捕されたのか。それは彼の上司だった社会革命党戦闘団のアゼーフがスパイであったことなのです。ロシア政府は、これを議会で明らかにする。「アゼーフは政府側の人間である」。もうアゼーフを信じきって数々のテロを実行していたサヴィンコフは酒浸りの日々になってしまいます。こうしたことは、サヴィンコフのペンネームであるロープシンによって書かれている、「蒼ざめた馬」(「蒼馬をみたり」という訳本もあります)、「黒馬を見たり」(「漆黒の馬」という訳本もあります)、「テロリスト群像」に書かれています。高橋和巳も翻訳しています(高橋和巳は「蒼馬をみたり」「漆黒の馬」だけかな)。
 ロシア革命が起きて、臨時政府ができると、ロシアに帰国して政府に参加しますが、10月革命が起きると、ソヴェエトとは袂を分かち、やがて白軍の指揮官として赤軍と戦いを続けます。
 だが、赤軍の勝利ののちはパリに戻りますが、突如ポーランド・ソ連国境(ポーランドからソ連側に)を越えるときに、彼は逮捕されます。裁判で死刑とされますが、減刑され、でもそののちモスクワの刑務所の捜査官執務室の窓から投身自殺したと発表されました。
 ただ間違いなく、彼はロシア共産党=スターリンによって転落させられたのです。

 このサヴィンコフの生涯を思うと、カミユの「正義の人々」(これもサヴィンコフたちの数々のテロ事件を扱っています)なんか、一体何も判っていない、一体何を書いているんだろうと思いますね。

 彼が自分の裁判での冒頭陳述で述べたことですが、そして私が覚えているだけですが(だから私の記憶ですから、いい加減です)、次のようです。

 私がソヴェエト=ロシアを認めることができないのは、私の妹の亭主は、1905年の血の日曜日のときにツアーの近衛兵として勤務していたが、上官の「デモ隊を撃て」という命令を拒絶した唯一の指揮官だった。だが、ソヴェエトは1917年の10月革命のときに、この義弟を死刑にした。この一事をもっても私はソヴェト=ロシアを絶対に認めない。

 このサヴィンコフ=ロープシンの言うことは当然のことです。
 私も、ソヴェエトとか、共産主義とかマルクス主義とかは絶対に認めません。

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 私の 『収容所群島』が必読書になる目森一喜さんから、以下のコメントがありました。

2. Posted by 目森一喜   2009年09月17日 10:37
プーチン、チェチェンに謀略をしかけ、戦争に持ち込んだ張本人ですね。FSB=KGBの親玉です。ソルジェニツインの件は、すぎさった過去の事として涼しい顔をするための道具かもしれませんね。ちょっと前にカジノをシベリアに移しましたが、大統領に復帰するために、色々と新しいイメージを作ろうとしています。その一環なのでしょうか。

 あ、そうか。つい共産主義国家を否定したプーチンというと、なんだか私は「偉いな」と思っていまうのですね。何度ひどいロシアを見ても、そのクセは抜けそうもありません。
 そもそも、私が大学に入ってから、マルクス主義=共産主義を否定した人はまずいないよ。私の同級生なんかでは、そんな人は阿呆ばかりでした。マルクス主義=共産主義は嫌だ、駄目だと言い続けていたのは、私です。私だけは反共を言い続けました。ただし、もちろん、烈しく学生運動はやりました。いつも必ず反共を言い続けていたので、面倒でしたね。
 いえ、さすが逮捕されると、刑事検事判事はみな共産主義なんか信じていませんが、どうもそういう人も情けなくてね。
 この頃ね、私がずっとお付き合いが続いている大学時代の活動家が、それは私は私の親もその友人活動家の親兄弟もお付き合いがありますが、ときどきメールで、今の新左翼の集会等にお誘いがあるときがあるのです。もう嫌になりますよ。私はそれで、「俺は昔から反共の活動家だろう、忘れるなよ」というメールを出していますよ。私は共産主義を認めたことは一度もありません。
 だから、プーチンという人は昔からの優れた反共活動家のように思えちゃうのですね。「チェチェンに謀略をしかけ、戦争に持ち込んだ」とか「FSB=KGBの親玉」なんて忘れちゃいそうだなあ。

 でも私には、吉本隆明さんだけはずっと信じています。吉本さんがマルクス主義は嫌いだが、マルクスのことを信じているだろうことは、私もだんだん真似していることです。

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  私の 『収容所群島』が必読書になる七生という方から、以下のコメントがありました。

090914201. Posted by 七生   2009年09月16日 17:50

『収容所列島』すぐに読みたいと思います。

『十二月八日』 高村光太郎

記憶せよ、十二月八日。
この日世界の歴史あらたまる。
アングロ サクソンの歴史あらたまる。
この日東亜の陸と海とに否定さる。
否定するものは彼らのジャパン、
眇(びょう)たる東海の国にして
また神の国たる日本なり。
そを治(しろ)しめたまふ明津御神(あきつみかみ)なり。
世界の富を壟断(ろうだん)するもの、
強豪米英一族の力、
われらの国に於いて否定さる。
われらの否定は義による。
東亜を東亜にかへせといふのみ。
彼らの搾取に隣邦ことごとく痩せたり。
われらまさに其の象牙(ぞうが)を摧(くだ)かんとす。
われらみずから力を養ひてひとたび起(た)つ。
老若男女みな兵なり。
大敵非をさとるに至るまでわれらは戦ふ。
世界の歴史を両断する
十二月八日を記憶せよ。
- 高村光太郎 -

 この七生さんのサイト(七生さんの「七生」の語がリンクされています)が、クリックしますと、西部邁さんと秋山祐徳太子さんの「西部邁ゼミナール 〜戦後タブーをけっとばせ〜」のサイトになっています。
 西部さんもお会いしたことがありますし、秋山祐徳太子さんとはご一緒に飲んだことも数度ありますね。
 ところで、この「七生」は楠木正季の最後の言葉、「七生まで同じ人間に生まれて朝敵を滅ぼさばやとこそ存じ候へ」からとられたものですか?

 私はどうしても高村光太郎は好きですが、今どうしても毎日のように、光太郎の奥さまの智恵子を思い出してしまいます。王子駅前でいつも思い出すのですね。そのわけはまた、別なときに書きましょう。
 そうですね、「吉本隆明『高村光太郎』」は何度読み直しても好きです。

 それで、ソルジェニーツィンはいいですよ。「収容所群島」が彼が一番ソ連で公開したかったものです。ソ連当局は、「ガン病棟」だけは、公開していいから、もうこれだけにしてくれとかソレジェニーティンを妥協させようとするのですね。でもでも、彼はけっしてしないのです。そして「煉獄の中で」は、素晴らしい小説です。そしてソ連の収容所ってすさまじいです。
 そういえば、「イワン・デニーソヴィチの一日」も素晴らしい小説ですが、でもでもみんな収容所の中なのですね。
 いつも革命を忘れていない活動家がいるのですが、そして他の活動家と烈しい論争をするのですが、でもでも、それはみな獄の中なのですね。
 もう私は「ガン病棟」でも「煉獄の中で」でも「イワン・デニーソヴィチの一日」でも忘れられないシーンが、忘れられない言葉がいくつもあります。

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 もう驚いたニュースがありました。今月9日のことです。日経ネットの以下にあります。

   http://www.nikkei.co.jp/kaigai/eu/20090910D2M0904010.html

 この記事の中身は以下です。

c0c6aacf.jpg ロシアの教育科学省は9日、ソ連時代の強制収容所の実態を告発したノーベル賞作家の故ソルジェニーツィン氏の小説「収容所群島」の一部を学校の必読書にすると発表した。ロシア通信が報じた。小説は本国での出版が許されず、1973年にフランスで出版。ソルジェニーツィン氏は翌年、反ソ活動罪で逮捕され、市民権を剥奪(はくだつ)されて国外追放された。

 ソ連崩壊後に帰国した同氏は昨年8月に死去する前、政権に接近。プーチン首相は死去に際し、学校教育で著作をより深く学ばせるようフルセンコ教育科学相に指示していた。(モスクワ=共同)

 この「収容所群島」は、私は日本で発売されたときにすぐに読みました。そして彼の作品は以下のようなものを読みました。

『ガン病棟』
『イワン・デニーソヴィチの一日』
『煉獄のなかで』
『仔牛が樫の木に角突いた』

 この『収容所群島』にはたくさんの註があり、その註を読む中で、サヴィンコフ=ロープシンの死の真相(彼は自殺した、収容所の壁の上から飛び降り自殺されたと言われていた)を知り、もう大変に悔しかった思いでした。
 でもこうして、現代そして未来のロシアで、彼の作品が読まれるのは嬉しいです。間違いなく、彼のいくつもの作品の中で、この『収容所群島』こそが、一番読んでほしい作品のはずです。
 しかし、プーチンのことは、これを読んで、私はすごく評価してしまいました。(佐藤隆家)

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 このニュースが飛び込んできました。以下日経新聞の記事です。

作家ソルジェニーツィン氏が死去 旧ソ連で反体制貫く
【モスクワ=古川英治】旧ソ連時代の反体制作家で1970年にノーベル文学賞を受賞したアレクサンドル・ソルジェニーツィン氏が3日深夜、モスクワ郊外の自宅で死去した。インタファクス通信によると、死因は急性心不全。89歳だった。「収容所群島」など旧ソ連の全体主義を告発した著作で知られ、反体制派の象徴的な存在だった。

 ロシア革命の翌年の1918年生まれ。スターリンを批判したかどで1945年に逮捕され、8年間強制収容所で過ごした経験をもとに「イワン・デニーソビッチの1日」などを発表した。1974年に市民権をはく奪されて国外追放となり、米国に移住。旧ソ連崩壊後の1994年に20年ぶりに帰国した。

 もう89歳になられていたのですね。私はロシア文学はかなり読んできたつもりでしましたが、このソルジェニーツィンについては、どうなのだろうかという思いでしばし考えてみました。
 私が始めて読んだ作品は、新潮文庫で『イワン・デニーソヴィチの一日』でした。
 次が『ガン病棟』です。この主人公が、登場人物の中の看護婦のヴェガの格好いい胸に、本を乗せてみたいなんて思うところが実に微笑んで読んだものでした。
 このあとは、『煉獄のなかで』です。これもまたものすごい作品だなあ、と思ったものです。 以上の2つの作品は北浦和の「浦和図書館」で借りて読みました。思えば、あの頃も職場へ行く電車の中で読んでいたものでした。
 まだその頃は、この日本では、いや世界でもかもしれませんが、『収容所群島』は発表をソ連から禁止されていたのかもしれません。
 そして読んだ『収容所群島』です。この作品で、サビンコフの最後の姿のことも知りました。私はもうソ連には怒り狂っていたものでした。
 そのあとが『仔牛が樫の木に角突いた』です。でもたしか、この3月に古書店に売ってしまったなあ。
 ドストエフスキーはロシア文学の最高峰だという思いがありました。だが、この人を知ったときに、もう私はただただ驚き、でもその生涯の辛い存在に、ソ連を憎み、そして結局はやはり共産主義を憎みました。

 この偉大な作家の死に合掌します。そしてちゃんと読み込めていない私が少し嫌になっています。

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