将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:可愛いスーチャン

13110605 もう暗く寒い冬になるので、早めにおはぎの家に行くように思いました。ただし、私は鍵を持っていないので、玄関の外で座って待ってポメラやIS01を打っているしかありません。でも昨日は助かりました。

2013/11/06 16:43今おはぎの家に来ました。午後4時37分くらいに家の前に来たらばあばが来ました。私は鍵を持っていないから、家の前で座って待っているところでしたが、ポコ汰が早く帰ってきても、家の前にいてやろうと思ったからです。幸いばあばのおかげで私はこうして家の中に入ってこたつに座って、こうしてポメラを打っています。
2013/11/06 16:49昨日私が帰る少しまえにポポが少しいけない子になりましたが、あのあとどうだったかなあ。
2013/11/06 17:10たった今少し眠って(30秒くらいか)その間だ夢を見ました。不思儀だなあ。眠気は醒めてしまいました。夢の内容も覚えていましたが、書かないと忘れてしまうのですね。
 でももうポニョも帰って来て、ポコ汰も帰って来まして、ポポとばあばも来ました。
 もうすぐに孫たちはテレビでEテレを見ます。
2013/11/06 18:31もう私はこのポメラの操作もうわからないのです。今またミツ君に見てもらいました。いつもかな漢字入力が分からなくなるのです(どうしてかローマ字入力ではなくカナ入力になってしまうのです)。。
2013/11/06 18:39これで前も気がついたのですが、このEテレから「練鑑ブルース」が聞こえるのだよなあ。前も不思儀でしたが、今もものすごく不思儀です。「〜その名も高き 練馬区の 東京少年鑑別所」(もちろん、この歌は『可愛いスーチャン』の替え歌ですが)なんている歌が聞こえたら、…いいのかなあ。
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 やっぱり書いておかないから、昨日見た夢は忘れています。夢は内容を書いておかないと駄目ですね。そして夢の中の日常に書いておかないと。

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12051906 けっこう何かのときに「練鑑ブルース」を唄うことがあります。この歌は御存知のように、軍国歌謡であった「可愛いスーチャン」の曲に、歌詞をのせて唄っています。もともとの原曲がいいわけなのか、たいへんにしみじみと聞ける歌です。
  ところで、この歌は放送禁止・発売禁止となったこともあって、その歌詞がはっきりしません。いろいろなところに断片的には記されていますが、完全な形のは見あたりません。以下は私の記憶のみで歌詞を再現しています。昔埼玉県朝霞署にいたときに、同じ時期にいたやくざのKさんというかたから教わりました。彼が夜唄う、この「練鑑ブルース」は今から思い出してもふるえるほどの感動ものでした。
  以下の歌詞は私の記憶からです。とくに5番以下は私が作ってしまっているところがあります。Kさんはもっと長い歌詞を唄ってくれていました。

歌名    練鑑ブルース
曲    「可愛いスーチャン」の歌

一  人里離れた  塀の中
    この世に  地獄があろうとは
    夢にも知らない  娑婆の人
    知らなきゃ  おいらが教えましょ
二  身から出ました  錆ゆえに
    ケチなポリ公に  パクられて
    手錠はめられ  こずかれて
    着いた所が  裁判所
三  検事判事の  お調べに
    ついた罪名  凶準罪(註1)
    廊下に聞こえる  ゲソ(註2)の音
    地獄極楽  分かれ道
四  青い車に  乗せられて
    揺られ揺られて  行く先は
    その名も高き  練馬区の
    東京少年鑑別所
五  小さな窓から  空見れば
    あの星この星  スケの星
    可愛いスケちゃん  何してる
    優しいおふくろ  何してる
六  あまりのつらさに  耐えかねて
    鉄の格子を  突き破り
    逃げて帰って  きてみれば
    おふくろ  冷たい石の下
七  許してください  お母さん
    写真片手に  眼に涙
    許してください  お母さん
    長い夜の夢でした

(註1)凶準罪  凶器準備集合罪のこと。ここはやくざさんが唄う
のなら「恐喝罪」とか「暴行罪」とかなるのかもしれません。左翼
がまず少年時代に捕まるといったらこの凶準罪(凶器準備集合罪)
でしょう。ちなみに、私がこの朝霞署にいたときの罪名は「殺人、
殺人未遂、建造物侵入、凶器準備集合」でした。
(註2)ゲソ  逮捕されると、靴はとりあげられ、官の支給するチ
ンケな草履をはくことになる。この草履をゲソという。裁判所でこ
の少年は、手錠腰縄つきの姿で、ゲソでペタペタ歩いてきたわけで
す。

 Kさんが唄ってくれたのは、このおかあさんが石の下つまり墓にいたというのは、鑑別所で見る夢なのですが、なんとかこの生活を終え、やつと帰ってみると、本当に母親は亡くなっていたという内容を切々と唄ってくれました。当時朝霞署にいた、左翼過激派の私も、窃盗犯も、殺人犯も、選挙違反の自民党も、留置場担当の警官も、みんなこの歌声に涙を流したものです。
  ところで私たちは左翼の仲間でも、この東京少年鑑別所へ入れられたのは、何人かいます。ただもう二〇歳を過ぎてしまうと、もう行くことはできません。私はなんだか悔しいようなさびしいような気持になったものです。
 それとまた仲間でよく話したのですが、「身から出ました  錆ゆえに」という歌詞なのですが、これは誤謬ではないのかというのです。けっして私たちがこうした罪名でパクられてしまったのは、「身から出た錆」のせいではなく、「やっぱり国家が悪い」ではないのかということなのです。
  でも、でも、今になってみれば、それは国家も悪かったかもしれないけれど、やっぱり、それこそ「身から出た錆」だったかもしれませんね。(1998.11.01)

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