将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:合掌

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 今、この私の友人のブログを読みまして、「アッ」と声をあげました。昨年10月31日の「母の履物」というUPには、「母は来年1月で100歳になります。…………このところ体調が良いようで……………」とありましたが、ちょうど100歳になられた翌月に亡くなられたのですね。

 この今月2月12日のUPには以下のようにあります。

母の前にあるのはバースディケーキ、蝋燭は100本です。
近くのケーキ屋さんではそんなに大きなケーキはできないと断られ、上野桜木のパテシエ稲村省三さんのお店にお願いしたそうです。
年明けあたりから食が細くなっていたようですが、母はクリームを少し舐めたそうです。

 私は日暮里駅谷中口からいくお店には開店した当初から、ここのチョコレートを手に入れるために行っています。

   チョコレート専門店「ショコラティエイナムラショウゾウ」

 いえ、私はチョコなんて、口には入れられないのですが、でもここで手に入れて、いろいろな方にプレゼントしています。

 お母さまには、お会いしたことはないわけですが、いい家族にみとられていたのですね。私もここで合掌します。

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 1月11日に、兄より、私の母方の従兄の横田千之さんが亡くなったという電話が入りました。横田千之さんは、私より10歳年上ですから、昭和13年生まれです。
 私の母は4人兄妹で、兄と弟は亡くなりまして、私の母も一昨年夏に89歳で亡くなりました。
 それでお通夜が1月17日の午後6時からで、告別式は18日の午前11時からで、葬儀会場は取手市のやすらぎ苑というところでした。
 私はすぐにインターネットで調べると、この「やすらぎ苑」は取手市といいましても、地図で見ると、いわば我孫子市の真北の位置になります。
 私の兄と弟は、18日は用があり、それで各奥さんと一緒に17日のお通夜に出かけました。私のほうは、17日は デイサービス「わが家」での家族交流会 で18日の告別式に行くことにしました。
 それで、18日に朝9時少し前に私は出発しました。それが  今王子駅で乗りました のケータイでのUPと、そのあと電車の中で、ポメラで書きました 18日の朝から夕方まで、電車の中でポメラを打ちました  の記録です。
 ただ、私はつくばエクスプレスに常磐線の北千住駅から乗り換えたのはいいのですが、守谷で降りるところを、忘れまして(本を読んでいたのです)、そのまま急行だったので、つくばまで行ってしまいました。
 でもあわてて戻りまして、守谷に到着し、弟から南守谷駅のほうがいいと聞いていたので、関東鉄道で、南守谷駅まで移動しました。
 でもいわば初めて来た駅です。駅前には、タクシー乗り場もありません。それで、駅員に聞きますと、そこの青電話の上に書いてあるタクシー会社に電話することを言われました。
 すぐに、タクシーが来てくれて、11時10分前に葬儀会場につきます。
 思えば、この森谷というところは、私の家族が札幌から名古屋に来るとき、私が小学校2年の1月頃、父の親戚の家がここにあり、来たことがありました。その頃も、いい住宅街だと思ったのを覚えています。思えば、あれは昭和31年くらいのことかなあ?

 会場に入って、従兄の写真を見つめます。どうしてもこの従兄の千ちゃん(私たちは、この千之<せんし>さんを、千<せん>ちゃんと呼んでいました)のことがいくつも甦ってきます。私が大学2年の12月(1967年)に、我孫子の自宅から埼大のある北浦和に引越したときに、この千ちゃんが手伝ってくれました。
 千ちゃんが、私の新しい下宿で、私の本を何冊か読んでいたのを思い出します。「なんだか、この周二は、反日共系の活動家でもありそうだが、でも『孫子』とか『呉子』とかもあるし、右翼の本もあるなあ」なんて思っていたことでしょう。
 思えば、その1カ月も経たないうちに、私は東大闘争の安田講堂で逮捕されることになるのですが、そのときにも下宿を取り調べに来たデカも、私のことを、「どうも変だな、右翼の本がある」と考えたようです(あ、これは私の読む本を「右翼の読む本だ」と思ってしまう情けなさですが)。

 その後は何度か親戚の集まる席ではお会いしたものでした。私にはただただ真面目に農業に勤しんでいる千ちゃんでした。
 千ちゃんは、県会議員の長く勤め、でも癌に罹っていることから、県会議員を辞め、でもそのあとは養生すればいいのですが、今度は農業組合の仕事で、日本全国を飛び回っていたようです。
 でもその癌が、今度の事態になりました。ただ、最後まで、実に千ちゃんらしい生きざまでした。自分の死を悟り、最後まですべてを整理し、すべてを言い残して逝ったようです。

 ただたた、私の従兄千ちゃんの魂に、今も合掌します。さようなら。

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b253dbb2.jpg 昨日は、ただただ驚きました。昨日はもう何も書けない状態に私がなってしまいました。三浦和義さんが、移送先のロスアンゼルスの警察の留置場で、自殺されてしまったというのです。
「なんで、こんなことが…………」という大変な驚きでした。
 三浦和義さんのことに関しては、これで、吉本(吉本隆明)さんと鮎川伸夫さんが別れてしまった原因でした。鮎川さんは、「三浦和義さんが、殺人犯人なのだから、許せないのだ」という態度であり、吉本さんは、「誰に対しても、犯人だと決めつけて、それを理由に相手を断定するのはいけない」という考えでした。
 私も数年前に、三浦和義さんにメールを送って、その返事をもらったことがありました。ただ、もう私の今使っているパソコンには、そんな昔のメールのログは残っていません。三浦さんに対して多くの方が非難をしていた頃だったと思います。数年前ですね。
 でももう、これであのもともとの事件が永遠に不明なものになってしまいました。
 今の私は、三浦和義さんの霊に、ただただ合掌するだけです。
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f3a9735c.jpg 私は昨日は夕方、千駄木「浅野」へ行きました。そうしましたら、秋葉原の事件のことをききました。私がしょっちゅう秋葉原に行くと思っていて、心配されたようです。でも私はこのごろ、あの方面には出ないで、もっぱらヨドバシカメラで買い物をしているのですね。
 でも私はまったく知りませんでした。そもそもテレビを見ていないですからね。しかし、今朝テレビで亡くなった方の顔写真が出てきますと、なんだか悲しくてなりません。私の親族でも友人でも、そこにいて不思儀ではないわけです。私が孫がそこにいても不思儀なことではありません。
 亡くなられた方の御冥福をお祈りいたします。合掌しました。怪我された方の一日も早い回復を祈ります。
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090171c9.jpg きのうは、朝7時30分頃我孫子の自宅へ着きました。11時に兄の家に行くつもりでしたから、まあゆっくりとゴミと資源の整理をして、掃除もしようと考えていました。まずはでも木曜日なので、ゴミをマンションの収集場に出さないとなりません。でもゴミ袋がありません。私はセブンイレブンに買いにいくつもりでした。でもあいにくの雨です。自転車に乗れる感じではないので、私は歩いていきます。
 あ、そうだ、今回はひさしぶりにコンビニの椎名さんへ行こうと思いました。ここは今はコンビニですが、もともとは椎名酒店として、いろいろなものを売っていましたよろず屋でした。
 私の二人の娘を両親が保育園に通わせてくれていました。二人の娘は1歳違いの姉妹なのでしたが、上の子は割と身体が大きく、下の子はとても小さい身体の子でした。でも次女のブルータスはとても気が強く、朝両親のうちからでかけるときに、ブルータスは姉を突き飛ばして、「お姉ちゃんはじいじのほうに乗れ」とばかりに押しつけて、自分はばあばのほうの自転車に乗ります。ばあばの自転車だと椅子の後に乗れますが、じいじのは、前のほうの椅子で、大きな身体のおはぎには向かないのです。それでも、ブルータスはおじいちゃんのほうには乗りたくないのです。
 でも保育園から帰るときには、ブルータスはじいじの自転車に乗ります。おじいちゃんだと、サービスがあるからです。おじいちゃんは、いつも遠回りして、この椎名酒店に寄って、そこで何かを買ってくれるのでした。だからこのときには、おじいちゃんのほうに自転車に乗るのです。
 ちょうど今回私が行きましたときには、その当時からのご主人が店にいました、もう今では、息子さんがお店をやられているのですが、このときはひさしぶりに会えました。何年ぶりのことだったでしょうか。
 ご主人と顔を合わせて、もうきょうで引越すること、娘二人はお嫁に行ったこと、私の両親のことを報告しました。ご主人もよく覚えていてくれました。
 そして、ここでゴミを入れるビニール袋を買いました。大きな袋ですから充分なはずです。それで、ゴミだけではなく、資源・雑芥も入れられるはずです。
 そこで家に帰って、早速ゴミを集めます。ところが、それがいくら集めて、いくら収集場に持っていっても、まだまだいくらでもゴミがあります。どんどんと持っていきますが、いくらでもあるのです。もう他の日に出す資源・雑芥にではなく、ゴミだけでいっぱいになりました。それで、このマンションの収集場は、もういっぱいになります。私のところのゴミばかりなのですね。そして時間がかかります。ああ、もっとゴミ袋を買っておけば良かった。
 そして驚くほど時間がかかります。もう10時を過ぎてしまいました。
 今度は資源・雑芥をまとめます。そしてもとブルータスの部屋にそれをまとめておきます。ここには、もう古書店に売ることができない古書とレコードが大量にあります。これは資源と雑芥として出します。だから4月になってしまいます。
 それから、今度はベランダをかたづけます。ここも、もうずいぶん出したのですが、まだまだあるのです。
 それをある1カ所に集めているときに、私の弟からケータイに電話があります。もう11時10分前なのです。かなり時間がかかっても、まだまだ終わらないのです。
 かくして、兄の家に行きまして、弟と3人で、兄の相続手続きの話を聞きます。やはりけっこう大変な手続きだったようです。父の過去の戸籍だけでなく、母の生まれたときからの戸籍も必要でした。出かけていた義姉も帰ってきて、それから11時40分、父母の墓参りに出かけます。
 湖北の正泉寺に父母の墓はあります。残念ながら、雨が降っていますが、3人でお参りします。お花を供えて、お線香を焚き、合掌します。「これからお母さんの田舎実家へ行くよ」と私は挨拶しました。

 2008年3月20日 の2へ

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 私は現在ほぼ王子に住んでいます。自宅は我孫子なのですが、母が亡くなった今では、なかなか帰ることがありません。
 それで、今はもう私は大変に忙しいのです。とくに今週は17日から、外を急いで歩き、ここの家でも焦って仕事をしていました。
 それが本日の午前中に、私の長女が買い物に行ったときに、私の埼玉大学の後輩(たしか私の6学年下かなあ)であるご夫婦のお母さんの家で、「ご不幸があったのじゃないか?」という電話がありました。でも私はもう期限ある仕事の真っ最中で、しかもこの王子の家は、今が下水管取り替え工事の真っ最中です。もうゆっくりパソコンで仕事するのも大変なときでした。
 でも、もうそんなことを言っていられずに、必死にやって、私のクライアントへ急ぎ(でもそのクライアントの女性には、お土産を持っていきましたよ。このお土産に関しまして、私の長女と物議がありました。いえ、パンなのかケーキなのかという争いです)、そして帰ってきて、またその私の後輩(の奥さまの実家)へ香典を持って急ぎました。
 そこで始めて知りました。そのお母さまは、17日の午後5時頃亡くなられたそうです。実は、その1時間くらい前に、私は王子のサミットストアに行きまして(私の江古田のクライアントへ行って帰って、秋葉原で買い物して、すぐのことでした)、私の後輩の彼に、少しこの近所の飲み屋を案内してもらったところでした。

 それできょうはその家に入ると、もうご葬儀は終えられて、もうご家族の一部の方が残られているだけでした。私はいわばまったく知らなかったわけです。
 お線香をあげ、位牌とお写真を拝見しました。思えば、こんなご近所にいるのに、何の挨拶にも私は来ていなかったものでした。そのお母さまの写真のとなりには、今年6月に亡くなられましたお父さんの写真も置いてありました。
 私はお二人に語りかけていました。

 私は埼玉大学のお二人の娘さんとその彼の先輩になります。たしか、お二人には、彼等の結婚式のときにお会いしました。あのとき、披露宴で詩吟をやったのが私です。もう年月だけがたってしまいまして。でも、これからもお二人とはおつき合いさせてください。お願いします。やすらかにお休みください。ありがとうございました。

 こんなご近所にいながら、何の挨拶にも来ていなかったことを、お詫びし、そしてこれからもお二人とはおつき合いさせてくださいとお願いしました。

 合掌します。こうして、子どものお二人に私がおつき合いさせていただき、ありがとうございました。

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 きのう午後2時少しすぐに、私のケータイに友人から電話がありました。でも私はそのときに出ても話せませんでした。あるところで、ある手続きのまっさい中だったのです。
 それで、そこでは話せないことをいいまして、しばらくして外へ出てこちらからケータイをしました。ただそこで、聞いたのが、友人の李讚輝さんが27日に亡くなったことだけです。

 そのあと、すぐに電話すると、本日30日午後6時からお通夜があり(このときには、その連絡だけで、あとでFAXをくれるということでした)、明日11時からお葬式です。

 なんだか、彼李さんのことを思い出していました。いくつも思い出が浮かんできます。思えば、最後に実際に会ったのはゴールデン街の「ひしょう」でかあな。
 彼は実際の年齢は私よりも2つ上だったと思いますから、60歳だったのかなあ。もう髪が真っ白だったですね。
 とにかく、今もまず合掌します。

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