将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:吉本隆明講演会

11091210日時:1998年9月25日(金)午後6時30分から
会場:文京区鴎外記念館
    文京区千駄木1丁目(千代田線千駄木駅団子坂下車)
午後6時30分より整理券を発行
*私周も絶対に参加したいのですが、この日は松戸自主夜間中学校のパソコンの授業です。もっと早く知っていれば、なんとか授業の日を替えてもらったのですが、こればかりは残念でなりません。

11091203 この吉本(吉本隆明)さんの講演については、これだけしか書いていないのです。羞かしいのですが、そして申し訳ないのですが、これだけなのです。

1987-07-05「みな巨人なのですね」
1994-09-11「心について」
1995-02-19吉本隆明・ボードリヤール対談
1995-03-10「戦争と平和」を語る
1995-07-09「フーコーを読む」

 これだけしか書いていないのでは、ものすごく残念です。

  東京池袋リブロであった吉本さんの講演会の記録です。

 日時  平成7年7月9日(日)午後3時00分より
 開催地 豊島区南池袋1丁目28番1号
     SMA館アネックス9階テストキッチンコア
     電話  03(5992)6996
 内容  吉本隆明時代を読む
     第6回「フーコーの読み方」
 会費  1,500円

11091107 私は「いよいよフーコーか」という思いで出かけました。
 午後3時から実に2時間30分に渡る熱の入った内容でした。そして吉本さんの元気なこと、そして笑顔のいいこと、驚くと同時に嬉しくてたまりませんでした。あの元気さは、全編アジテーションを聞いているような錯覚にもとらわれました。
 来ていた友人たちも、

 「言葉と物」、何度読んでも挫折していたんだけど、あれがフー
  コーなんだね

  フーコーって、難しくて判らなかったけれど、きょうの話でな
  んか判ったな

と言い合っていました。
 話は、ヘーゲルマルクスの方法論の説明から入りました。いわば段階論の方法で、日本の「宗教−法−国家」を見る見方を説明してくれます。それを中世浄土門の信仰や現在のオーム真理教のことを詳しく話してくれます。
 そしてそうした段階論とか弁証法とかいうやり方ではなく、これを「考古学的」方法論でみたらどうなるのかということで、フーコーの見方、フーコーの切りかただと、こうなるのだと説明があります。最初はヘーゲルの「法−国家」なら前にも聞いているなと思っていたのですが、だんだんと、「あ、こういうことがフーコーのいう方法なのか」と思いあたってきます。段階的、あるいは時代的に歴史を見てこなくとも、ある時代をそのまま掘り下げることにより、総てを理解できることがあるのだということなのでしょう。
 それが法の問題としては、「十七条の憲法」から数々の武家の法、そして旧帝国憲法、そして現在の憲法の内容への内容の切り方を説明してくれます。
 実は私が前々から展開したいなと考えていることがあります。明治大正時代から昭和にかけての歴史にどうしてか断絶があること、それはどうしてかという問題なのですが、私のその回答に自分で到達できていた思いがしていました。その回答の内容によって、日本の蘆溝橋事件以降の戦争への歩みが理解できると考えていました。それが、どうしてか今吉本さんの口から出てくるとは、まったく身が震えるような感動でした。私はそのことに気がついていたのが、北一輝であり、昭和天皇であると思っています。そしてまた旧憲法を作った伊藤博文も気がついていたことであろうと思います。伊藤はそのことを修正できないまま、殺されてしまいました。それが、今も続いてしまっているところがまた現在の日本の不可解さであり、戦後日本の姿なように思います。
 しかし、このことはヘーゲル−マルクス的な方法では到達できないのだ、そこがフーコーが19世紀の思想であるマルクスから抜きでてしまっていることなのだなと確認できました。
 吉本さんは、「じゃ、お前はそんなにすっきりいえるのか?  と聞かれたら、それは、そういかないですよ」ということで、自分は戦争中は神聖天皇を信奉していたことを言われ、

  お前は、戦後首尾一貫しているのかと言われれば、ちっとも
 「首尾一貫」なんかしていないとしか言えません

と言っていました。私はこの言葉を聞いたときに涙が出てきました。いや私には吉本さんは首尾一貫していますよ。この講演の中でのオウム真理教への言い方も原則を少しも外していないし、そして麻原のことも、ごく優秀な宗教家なのだと言っています。だがその優秀さとは、つまるところ中世宗教家、源信であるとか明恵であるとか、あるいは空海、最澄であるとかを少しも超えていないのです。もっと言いきってしまえば、達磨大師だろうが、道元だろうが、ついでにお釈迦様だろうが、せいぜい麻原くらいな優秀さなのでしょう。隣にいる飢えた一人の人間に手を差し延べないで、結局は座禅してしまったのが、麻原の空を飛んだとかいう姿であり、菩提樹の下の釈迦の姿なのです。それを法然−親鸞はその先に進んでいるのです。
 講演会場はけっこう若い人が多く、女性も多かったのです。吉本さんの話にたびたび、笑い声がわいてきて、それはそれは愉しい雰囲気です。少し笑いながら言う、

  座禅しようが何をしようがいいのですが、「そんなことどうだっ
 ていいよ」っていっちゃまずいかもしれないけど

  そんなことは、みんな誰だって働いているんだから、それが終っ
 た25時間目にやればいいのだ

などという言葉は宗教家にのみならず、詩人や作家たちにも向けられているのです。「そうだ、25時間目にやることだよな」と思ったことしきりなのです。 ただただ私は感動しただけなのかも知れません。うまく私は吉本さんの言うことを表現しきれません。ただなんとなく、吉本さんの背後にフーコーがいるような気がしました。

  私の思想がこれほど、正確に読み込まれて、正確に話されるの
 は全く嬉しいことです

と言っているフーコーの姿が見えるようでした。
 そのあとまた飲みすぎてしまったわけですが、酔いは吉本さんとフーコーの偉大さから来たものです。嬉しいことです。今生きていて良かったと確信しました。

 この講演のリーフレットが以下です。

  思想家吉本隆明「戦争と平和」を語る

 昭和20年3月10日未明、東京は大空襲に見舞われ焦土と化し
ました。とくに深川一帯の被害は甚大で、多くの人々が火炎の中を
逃げまどいました。府立化学工業学校(現・都立化学工業高等学校)
も火災を免れえず、荒れ狂う炎の中で、避難された多くの方々の尊
い命が奪われました。東京大空襲から50年、犠牲者の冥福と世界
の恒久平和を願い、本校の卒業生であり、日本の思想界の第一人者
である吉本隆明氏を招き講演会「戦争と平和」を開催します。ご参
加をお待ちします。

  東京大空襲から50年  公開講演会のご案内

日時  平成7年3月10日(金)午後6時から8時30分まで
場所  東京都立化学工業高等学校体育館
      江東区千石3−2−1  電話03−3644−4231
      JR錦糸町駅より都バス(東22)で千田下車または地下鉄
      東西線東陽町駅より都バス(東22)で千田下車、徒歩3分
      (駐車場はありません)
講師  吉本隆明氏(思想家・詩人)
演題  戦争と平和
      入場無料  定員400名(満員の場合は入場をお断りするこ
      ともあります)
主催  東京都立化学工業高等学校
共催  化工同窓会・化工PTA
後援  江東区教育委員会・墨田区教育委員会11091017

 以下私の記録です。講演会の内容だけではなく、余計なことも書いております。

 非常に寒い日でした。それになんせ、

   東京都立化学工業高等学校体育館
   江東区千石3−2−1
   JR錦糸町駅より都バス(東22)で千田下車

という場所でしたから、地図で確認はしていましたが、とにかく早めに行きたかったのですが、錦糸町駅で待ち合わせた友人のSさんが遅れてきたため、あわてて二人でタクシーで会場に向いました。
 会場入口でどうしてか、「同窓会の方ですか、その方はこちらに署名を」などといわれます。私たちは一般のほうに署名しましたが、どうやら今回の講演会はこの高校の同窓会の行事のようです。入口でワープロで打ったパンフレットを渡してくれました。
 会場は大きな体育館で、もうたくさんの方が来ておいでになりましたが、かなりなお年の方がたくさんおいでになります。そこでいつもの友人とまた会います。Yさんは、場所が不安だったので、5時に会場についてしまったといいます。
 それで前のほうの席へいって座りましたら、すぐ後ろに私の大学の7年後輩のT君がいました。そこへ座っていたら、Sさんがもっと前があいているんじゃないのというので、みんなで前から二番目の列の席までいきました。私はいつもは一番最前列に行くようにするのです。そこへいつもの激辛庵氏もやってきました。彼はいつも私に席をとっておいてという人です。でも実はこの2列目あたりの席は「来賓席」だったのです。私は

  もういいよ、来賓になっちまおう。挨拶してくれっていったら、
  もうそれこそ俺が演壇あがって滔々と喋っちゃうよ

とそのまま座っていました。そこへいつものNさんもやってきて、いつものメンバーがそろいました。あれだけの冷たい雨が降っていたのに、会場の席は前の「来賓席」などがあいているだけで、あとはいっぱいです。ただし、たいへん体育館が広く、しかも暖房がないために、寒いこと夥しいのです。それでもどうやら始まりました。

 最初はこの府立化工の同窓生の東京大空襲の私記の朗読です。朗読してくれたのは、現在の都立化学工業高の1年生の女子高校生でした。私の長女と同じ年齢の子どもたちが、ちょうど50年前の東京大空襲の記録をどのような思いで読んでくれていたのでしょうか。少なくとも、私にはこの朗読してくれた二人の高校生にはこの記録は深く心に残ったのではと思いました。かなりな内容の私記でした。この日の空襲の悲惨さをよく伝えてくれています。

 そして吉本さんの講演です。吉本さんはこの東京大空襲の思い出から話しはじめ、「戦争」をどうとらえるべきなのかということを語りました。レーニンは戦争をどうとらえたのかといえば、戦争に際しては各国のプロレタリア労働者階級は、自国の敗北をめざすべきだというのがレーニンらマルクス主義者の主張でした。この考えにまっこうから異議をとなえたのが、フランスのシモーネ・ヴェイユでした。
 吉本さんはそのヴェイユの考えを丁寧に説明してくれました。私は私の前にいる老人たちが、レーニンの名は分かっても、ヴェイユなんて知らないだろななんて、どうでもいいことが心配になったものです。しかし、実際は私もこの吉本さんの話で、「甦えるヴェイユは、また痛ましいヴェイユである」という吉本さんの言葉がここで始めて理解できたのです。
 そしてまたもうひとつの「平和」とはどう考えるべきなのかということも吉本さんは語りました。基本的には吉本さんがずっと言い続けている情況論の中で述べていることなのですが、そうしたことの確認になったように思います。 当然「戦争と平和」という題名ですから、レフ・トルストイの小説の話も出てきます。私は吉本さんがレフ・トルストイの小説の内容の話をしたのは、これが始めてではないかと思います。

 講演の内容をいちいち説明することは私にはできません。かなりなことが語られたと思っています。
 約1時間半におよぶ講演でした。最後吉本さんはこの高校の1年生職員から花束をもらっていましたが、そうした姿のときの吉本さんはいつも照れていてほほえましいものです。

 講演が終って私たちは外へ出て冷たい雨の中帰りました。あまりに寒いので、激辛庵さんが、もうすぐそばの飲み屋に入ろうと提案しましたが、私たちはもっと駅の近くへ行こうと、なんとか激辛庵さんをおさえて、錦糸町までバスに乗りました。それから飲み屋探しに私が必死に雨の中走ったりして、どこでもいいからと妥協してしまう激辛庵さんをさらにおさえて、板前がいまいないからたいしたものが作れないという焼肉屋兼ちゃんこ料理屋に無理にはいりました(実は板前はパチンコ屋へ行っていたのだ)。
 ここで6人で吉本さんの話をしながら愉しく飲みました。私はいつもただひたすら大量に酒を注文しようとするので、みんなから警戒されているのですが、でも結局大量に飲みます。でもこの吉本さんの講演のあとの酒飲みはいいのです。何人もで話していると、吉本さんの話が、いろいろな面からより深く分かってくるのです。私はこの瞬間が大変に好きなのです。
 また9日に吉本さんの講演会があります。また愉しく飲む瞬間に出会えると思っています。

11090805 東京池袋リブロでの吉本さんの講演についての私の記録です。

 前にお知らせしました吉本さんの講演の内容です。いずれまた本に収録されるでしょうから、そのときにまたくわしく見てみたいなと思います。
 当日はちょうど次女の中学の運動会で、私は午後1時半頃に池袋に向いました。
 会場では、きょうは観客が少ないななんて思っていましたが、講演の始まる3時30分には満員になってしまいました。
 講演の題は、「吉本隆明時代を読む−心について」というのですが、前回のときと同じくかなり熱の入った講演になり、1時間30分の予定が2時間になってしまいました。
 最初は、三木成夫のいっている理論の紹介などから、「いったい心とは何をいうのか」という問題です。ちょうど私は三木成夫「胎児の世界」(中公新書)を読んだばかりだったので、たいへんに興味がもててきました。もっとも、「胎児の世界」で扱われた内容ではなかったのですが、「心とは消化器官のことだ」という説明には、えッとばかりに驚いてしまいました。心とは脳の問題ではなく、喉より下の食道、胃、腸と続く消化器官と考えるべきだというのですね。そして私たちの顔とは、この消化器官が上に出てその中身がひっくりかえってしまったものなのだと、三木さんはいうのだそうです。いわゆる「顔色が悪い」などというのは、その人の消化器官の障害を反映しているというのです。この説明には驚くと同時に、これを説明している三木さんの本を必ず読まなくてはと思わせてくれました。

 次は「性格」というようなことの話であったと思います(つまり私はうまく説明できる自信はないのです)。ちょうど上野ちず子が近頃、自閉症の子供たちのことで、あれは母親が子どもをべたべたと猫っ可愛がりしたからおきる障害だといったらしく、それに対して自閉症の子をもつ親たちから、かなりな抗議がきて、結局は上野はあやまったらしく、自分の主張とその親たちの言い分を同時に掲載して話を終らせたそうです。その親たちがいうのは、自閉症というのは、その親がどうしたという問題ではなく、脳の一部に傷があり、それが原因ではないのかと現在いわれており、それを私たち親のせいにするなんてという主張だったようです。
 これに対して、吉本さんは「まったく両方とも駄目なんだ」ということでした。上野はまったく判っていないし、その親たちのいう「脳に傷」云々なんていうのは、まだ医学界ではなんの定説にもなっていないようです。吉本さんは前々から、子どもの心におきてくるさまざまな問題は、たとえば家庭内暴力とか、いじめとかさまざまなこととは、その子どもが胎児と乳児のときの母親との関係で決ってくると言っています。1歳半くらいまでの母親との関係、母親の胎内にいるときと、母親から授乳を受けているときの関係が大事なのだというのです。授乳しているときに、「こんな子は本当はほしくなかった」とか「あの馬鹿亭主の稼ぎが悪いから苦労する」とか思いながらやっていると、それが必ず子どもの性格形成につながるというようなことです。
 この性格というような問題をさらに、ダニエル・キイス「24人のビリー・ミリガン」という小説を紹介しながら話してくれました。私はちょうど、ダニエル・キイス「アルジャーノンに花束を」というSFを読んだばかりだったので、これまた大変に興味深く話をきくことができました。

 吉本さんのいう胎児と乳児の時にほぼ決ってしまうというのは、よくよく考えると、その子どもと母親の関係、そしてその母親とそのつれあいである夫との関係が問題になってくるわけです。つまり「家族」ということですね。そしてこう言われてしまうと、では中学生なりになった子どもの問題を解決しようとしても、もう胎児と乳児で決ってしまうならば、できないではないのかという声が上がってきてしまいます。私も松戸自主夜間中学に関係していると、そこに来る子どもは学校でのさまざまな問題にぶつかってしまった子が多いわけです。だから、吉本さんがいうのはもはや決定論ではないかという論がまた発せられるわけですが、吉本さんはそうではないのだというのです。胎児、乳児のときにほぼ決定的な心の問題を決めてしまわれたとしても、また人間の中には、それを乗り越えていける人がいるのだというのです。
 吉本さんの好きなことばで、

  アカルサハ、ホロビノ姿デアロウカ。人モ家モ、暗イウチハマ
 ダ滅亡セヌ。           (太宰治「右大臣実朝」)

という太宰の言葉(小説の中では実朝が喋る)があるのですが、こうした暗いほうが、「ネクラだ」といわれる性格のほうが、変えていったり、乗り越えていったりすることができるのではないのかといっていました。

 三番目最後になるのですが、現在世界中にとくに先進国に同性愛が増えていることをどう考えるかという問題です。これも、前に言った、胎児と乳児のときの母親との関係、ひいては父親と母親の関係であり、「家族」の問題であるわけですが、これが一番影響があるのだろうということです。先進国でこの「家族」の関係が次第に変化してきつつあることが、今後さらに同性愛者は増えていくであろうということです。
 そしてでは同性愛とは、いったいいかなる意味をもっているのかということに対しては、ミッシェル・フーコーの言ったことが一番適切ではないのかということでした。現在は、人間が「対の関係」すなわち対幻想における存在から、「個の関係」ということが生まれてきているのではないのか、そうした「個の存在」ということを感じさせるものとしての同性愛が、積極性をもつものとして評価できる軸ではないのかということです。

 私は全般的にすべて感動のまま聞いていました。運動会で暑くて、ビールを2缶飲んでしまい、眠くなってしまうかなと恐れていたのですが、吉本さんの話に魅せられて、眠いなんて思うところではありませんでした。三木さんの話の説明では、自分の「言語にとって美とはなにか」からの説明があったり、上野ちず子のところでは、上野の馬鹿さかげんを少し揶揄したりして会場は爆笑につつまれるなど、愉しい限りでした。ほんとにフェミニストなんて馬鹿が多いね(これは私周のことばです)。
 そしてなおかつ、吉本さんは「こんなこというと、またこんな反論をいう奴がいるだろうけど、よく考えてみてくれよ」という用意がいくつもあって、これまた愉しいのです。またしても、吉本さんに何かケチをつけようとする数々の連中の顔と、その内容がいまからもう予想できてしまうのです。どうせ何をいおうと、ただのゴミだろうけれど。ただし私はそのゴミ発言をよーく覚えておきますけれど。
 講演が終ったあと、またまた友人たちと、講演の内容からさまざまな話をしながら、またまた腹いっぱい酒を飲んでしまいました。(1994.09.19)

  柳田国男の二つの中心

 この吉本隆明鈔集でのこの言葉は

(「わが歴史論」1987.7.5我孫子市市民会館で行われた「吉本隆明講演会」(主催我孫子市史編纂室)の速記記録に全面的に筆を入れ、)

で私が選んだものです。(またこの言葉は、私の「吉本隆明鈔集」で今後出てきます)

11090709 この我孫子市の講演会のときには、私も友人二人と行きました。会場入口で大和書房「吉本隆明全集撰」の署名セールに協力しているのでしょうが、吉本さんは懸命に署名されていました。吉本さんがあんなことやるなんてめずらしいことです。私も署名してもらいました。吉本さんはもっているサインペンが薄くなって、それを気にしていましたが、大和書房の社員(と思われた)の二人は、売ることばかりにかまけてそんな吉本さんのことをかまっていませんでした。思えば、私がすぐにどこかの文房具屋に走っていって、サインペンを買ってくればよかったんですがね。
 当日の講演会は不思議な感じがしました。最初に我孫子市長の挨拶があって(我孫子は柳田国男にかなりゆかりのある町なのです)、それが保守系の市長なものだから、なんだかそぐわない感じもしたものなのです。
 いや「保守系」だからではなく、もちろん「革新系」とかだともっとおかしいわけだけど、なんというか、NHKでは絶対に出さない評論家とまでいわれている吉本さんのことを、市長は挨拶の中で、

  戦後最大の思想家であり、また詩人でもある……

などと紹介しているのです。吉本さんが60年安保ではブンド全学連の学生と一緒に闘った人であることを知っているのかな。
 でも講演の前に、市長は車で吉本さんを柳田国男のゆかりの地を案内したとのことですから、少しはいろいろと判っていたのかもしれません。。

 講演はかなり熱の入った長いものでした。私にはかなり吉本さんの柳田への愛というようなものを感じました。ところが「柳田国男論集成」の第1部「柳田国男論」を読むと、吉本さんは柳田に対しても、かなり厳しい人だなという印象があります。その私の中で感じる、吉本さんの柳田への「愛」というようなものの乖離は何なのかななんてけっこう考えてきました。このごろになってそれがいくらかぼんやりと判ってきた気がします。いつかそれをもっと明確に書けるようになっていきたいなと思います。
 吉本さんの講演の内容では、柳田の「山人」などの話ではなく、「神武天皇の話」という印象が私には強かったのです(これは私の印象です、講演の内容は読んでもらえば判りますが、けっして神武天皇の話ばかりではありません)。
 私が昔習った社会科などでは、「神武天皇なんてまったく架空だ」などと教えられたものでした。でも本当はどうなのでしょうか。柳田国男が折口信夫と一緒に天皇陵へどんどん入っていこうとして、守衛に止められた話を思い出します。吉本さんも、昔天皇陵を公開してしまえば、天皇制の問題はあらかた型がつく(ただし、あと二つの条件も言っていましたが)と言ってましたが、このごろは(87年ころから)は、もはや宇宙からの視線ではっきりとしてくると言っています。

ランドサットの映像

 僕らは都市論というのをやったわけですが、初期の天皇制の成り立ちや性質がどうだったのか、それから神武から崇神までは、実在していたのかどうか、そういうことについての関心も、ランドサットの映像みたいなもので、はっきりと目に見えるように映像として解けるはずだと思います。
1987.7河合塾名古屋校講演 「幻の王朝から現代都市へ−ハイ・イメージの横断」1987.12.1河合文化教育研究所に収録された

 考古学で苦労して掘っていく方法を宇宙からの視線で超えてしまったのだろうか。私は全国の天皇陵を公開発掘していけば、もはや天皇制の問題ははっきりとしてくると思っていたが、もはやこの宇宙からの視線でそれもどうでもよくなるのかもしれない。

 ちょうどこの問題は、樋口清之との対談でもかなりなことが話されています。またそんなことを詳しくみていくべきかなと思っています。
 それにしても柳田は「山人」からの視線でそのことは判っていたのではないのかな。だけどどうしても彼は「山人」という魑魅魍魎のみには身をおけなかったように思えます。いま柳田はあの世とやらで、天皇と一緒にいるのだろうか、それとも山人と一緒なのだろうかなんていつも思ってしまうのです。
 私はもちろん魑魅魍魎のほうが大好きです。私はそちらの子孫ですから。

 柳田国男に私が初めて触れたのは、中学2年のときに角川文庫で「日本の昔話」「日本の伝説」を読んだときからです。なんだか判らないが、こうして日本の民俗にとりくむとてつもない人というような印象がありました。よくNHKテレビなどでやる日本各地の民芸の踊りなどを、私たちなら最初の5分であきてしまうようなものなのに、それを現地へいって何時間でも見ている人というような感じをもったものです。そして「海上の道」を読んだときの驚き、それは内容の豊さとか面白さではありません。第一私はそのときは高校1年で、内容なんかよく判らなかった。ただただ、その執拗なまでの緻密さみたいなものに驚いたのです。
 ただどうしても、私たちのまわりには柳田を語り、折口信夫を語る(といっても、うわっつらだけ、当然私もだが)輩が多すぎます。ために何故か真面目に読み込んでこなかったように思います。もっともっと読んでいかなければいけないのでしょうね。
 しかし私の人生で間に合うのでしょうか、そんな気もしてくるのです。気持はあせるばかりで、柳田も折口も遠くにかすむだけなような気がします。
 とにかく、みな巨人なのですね。私はとてつもなく自分の小ささに嫌にもなってきます。(1993.09.09)

11090703「吉本隆明全著作(単行本)」は、9月6日の「吉本隆明全著作(単行本)はここまでしか書いていません」で一応終了しました。
 それで吉本さんの講演会の記録がわずかですが、ありますので、それもここに掲載していきます。
 以下は、その最初に載せた私の文章です。

 私は35歳の頃から、吉本さんの講演会があるときには、必ず行くようにしてきました。もう何十回と参加してきたかと思います。
 いつも吉本さん関係のこうしたイベントに一緒に参加する友人たちで絶えず連絡をとってきました。だから、まず見逃すことはありません。チケットが必要な場合も、けっこう連絡を取り合って融通しあってきました。いつもそこ講演のあとに、皆でその講演の内容を熱く語りながら飲んでいたものでした。
 だがここ数年、吉本さんの健康のために、あまり講演会が開かれなくなってしまったのは、とても残念です。
 このページでは、そうした吉本さんの講演会で私が参加しましたときの記録をあげていきたいと思います。(2002.02.19)

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