将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:吉本(吉本隆明)さん

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私の将門Webの中で最大にいいものが、この「吉本隆明鈔集」(略して隆明鈔りゅめいしょう)です。これは吉本(吉本隆明)さんもこの存在を知ってくれていました。
 そのことを知ったときに、私はもういいようのない感動でした。もうまた天国の吉本(吉本隆明)さんに伝えます。
 これからも書いてまいります。
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 今は自分の部屋です。ばあばはおはぎの家にいるのでしょう。

2016/05/16 06:13今朝は2時40分に起きました。
 今日の血圧です。
  06:09
最高血圧156
  最低血圧100
  呼吸   61
 こうして血圧を毎朝計ることはいいですね。16051207
2016/05/16 17:42今日は愛整骨院へ行きました。そして「将門Web」の過去LOGをいくつも読んでいました。今日はこれから、「ファミリー劇場」で「カーネーション」を見ていきます。
 さあ、始まりました。また私は涙になっています。涙で涙で私はしょうがないです。困ったなあ。ただ、いい物語です。
 吉本(吉本隆明)さんがこれで埴谷雄高と完全に分かれることになってわけです。これは実に大きなことです。もう実に私は真剣に見ています。
 いいなあ、涙をながしながら見てしまいました。
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 いつも「カーネーション」を見ていて、いつも思っています。吉本(吉本隆明)さんのことです。

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 私は何と言いましても、吉本(吉本隆明)さんを尊敬崇拝しています。そして実は埴谷雄高も好きでした。吉本(吉本隆明)さんは著作はすべて読んでいます。埴谷雄高は、数々の評論集はすべてもっていましたし、「死靈」もすべてもっていました。だが二人の間で論争があったときに、私はその埴谷雄高の本をすべてを棄てました。ただし、「死靈」そのものは、ここで画像であげた1巻だけは今ももっています。どこかにあるはずです。16051201
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 私は、この吉本(吉本隆明)さんと埴谷雄高のことで話した相手は4人います。みな埴谷雄高をほめて吉本(吉本隆明)さんを貶しました。でも私が「死靈」の中身を詳しく話していくと、その4人全員が褒めている埴谷雄高もその「死靈」も少しも読んでいないのだ(ほかの埴谷雄高の本も少しも読んでいない)ということがわかったものです。16051204
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 この時に吉本(吉本隆明)さんに、「あの人は駅前の屋台で毎晩飲んでいますよ」と教えてくれた方は、さらに「あの人はとってもいい人ですよ」と付け加えました。世間でいうようにとんでもない人ではなく、優しい人だと言ったのです。まだお酒の飲めない(まだ未成年)の吉本(吉本隆明)さんはそばで太宰の言葉を聴くだけでしたが、この時の太宰治は、とっても屋台でもそこにいる人たちに気を使う人でした。吉本(吉本隆明)さんは太宰治に、「お前、そのひげをそれよ」と言われたようです。吉本(吉本隆明)さんは不精ひげだったようです。
 こうした出来事があったのですね。15062106
 そして私は『駈込み訴え』と『右大臣実朝』を思い出します。いやいや、私がよく思い出すのは、『お伽草紙』なのですね。いつもいつも思い出しています。

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 昨日私はこのマルクスの言葉がそもそも何に書かれているのか気になりましたので、調べてみました。
   http://www.geocities.jp/katunan15/
    人づくり県民ネットワーク
というところの「全体主義の恐ろしさ(第九回 平成20年1月30日掲載)」に掲載されていました。そこに書いてあることです。

十八世紀中頃のドイツに労働者出身で現実的・実践的革命運動の組織者だったヴァイトリングという人物がいた。マルクスは彼の『調和と自由の保証』という作品を「ヴァイトリングの天才的著述を見よ」とまで絶賛し、彼を溺愛した。だが、革命状況の判断の違いから二人は激論となり、ヴァイトリングがマルクスを「お前の書斎に閉じこもったような生活が、どうして労働者と関係があるのだ、労働者に必要なのはお前の新しい理論―ブルジョア革命があって、プロレタリア革命がある、といういわゆる二段階革命論―なんかではなく、経験から得た確信だ」と非難すると、マルクスは激怒し机を叩いて「無知が栄えたためしはない」と吐き捨て、席を立って出て行った。15031202
 なんかこの『二段階革命論―なんかではなく、経験から得た確信だ」と非難すると、マルクスは激怒し机を叩いて「無知が栄えたためしはない」と吐き捨て』というのは、実によく分かるなあと思いました。だから私はマルクスは好きにはなれないのです。吉本(吉本隆明)さんは、マルクス主義は嫌いだが、マルクスその人は好きなようですが、私はマルクス自身も好きではありません。もともと私は反共主義者ですから。
 ただ私も「無知が栄えたためし」というのは、想像もできないですね。そしてマルクスのいう通りだとは思います(私がこの言葉を知ったのは、吉本(吉本隆明)さんの講演の吉本さんの言葉からです)。
 私はいつもマルクスの偏執としか思えないところをエンゲルスが被い隠したように思います。でもそれでエンゲルスは今も非難されているのですよね(これは一部の人しか理解できないかもしれませんが)。15031601

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 私は前に以下のように書いていました。

 吉本さんについては、私は『「書き言葉」と「話し言葉」』ということで、ずっと書き言葉の人であるという認識でした。私は今も、彼の語る言葉も、その基調はやはり「書き言葉」であると思っています。

 ところが、「花子とアン」2014.08.01にあったマンガなのですが、これには

ある少女「てっ て何ですか?」
花子「甲府の訛りだ 甲府では昔からビックリした時 『てっ!』て言うんずら」
少女「へぇ じゃあすごくびっくりした時は?」
花子「てっ!?」
少女「ものすごーく びっくりした時は?」
花子「てっ・・?」
少女「増えねんだぁ」
花子「? ふえる?」

とあります。
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 これを見て思ったものなのです。これは「書き言葉」では、同じ『てっ!』なのですが「話し言葉」では違うものなのではないでしょうか。たぶん,茲雖△筬は大きく違うものなのです。でもこうして「書き言葉」で表現すると、その違いは明確に認識できません。
 私は今まで「話し言葉」より「書き言葉」のほうが上位の概念であると思ってきました。吉本(吉本隆明)さんはそんなことは言っていないのですが、私はそう思い込んできていました。だがこのマンガで書いてあるように、書き言葉ではそれを表現できていないのです。私は「話し言葉」というと、落語家が喋っていることを想像してきました。でもそれでは私が明確に理解できていないのです。14071613
 ここで私は『「書き言葉」と「話し言葉」』のことを少し理解できたのかなあ。そしてそのことを「書き言葉」で表現しないとならないのです。
 そのことを明確にやっていくつもりです。

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 これも14日午後に書いています。

2014/05/14 07:37昨日の工事を思い出します。私はその工事名を忘れ果てているのですが、「下水道工事」としか言えません。
 一昨日夜に私宅に電話してきた古い友人がいます。今年は年賀状がなかったし、インターネットでサイトをみてもあまりUPされていないから、心配したというのですね。彼はこのブログはよく読んでいるそうです。もう私はあきれ果てました。14050522
 私は兄が亡くなって喪中とさせてもらったことをいい、それもこのブログに書いていることを言いました。でももうしょうがないものですね。昨日はあとで彼の家に電話して電話の留守録にケータイメールアドレス(メールアドレスでもいいけれど)を教えてくれるようにいいました。
 でも今も何もありません。なんだろうね。
 彼は私の大学時代の親友と言っていい人物です。しかし、困りました。私は「『書き言葉』と『話し言葉』」ということを言っていますが((これはもちろん吉本(吉本隆明)さんの言われたことです))、まさしくあきれ果てることがあるのですね。
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 なんだかこうして私の年代の方で私が恐ろしくなってしまう人がいるものです。しきりにパソコンが苦手だと言われるのですが、パソコンが苦手ということではなく、普通の人付き合いの話だと思うのです。


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 こうして日曜日です。源実朝のことを思い、吉本(吉本隆明)さんを思い浮かべています。

2014/01/19 04:1219日です。日曜日ですね。昨日夕方18時代にブルータスから電話をもらって、ものすごく嬉しかったです。
 17日と18日にブルータスにはケータイメールを送っているのですが、こうしてケータイメールというのは喋るのとは違って(メールも同じですが)、記録に残っているのはいいですね。いや喋るということも明確に記録されているわけではないから、かえっていいのですね。
 ここで私は吉本(吉本隆明)さんのいう「『書き言葉』と『話し言葉』」ということを思います。私は『読み言葉』ということも思うのですが、私の中で明確にまとまっていません。
 でもちゃんと考えてみるかなあ。14011702

2014/01/19 04:44今また鎌倉も思い出しました。今度3月におはぎから、みんなで鎌倉へ行こうと言われているのですが(そしてそれは私にはものすごく嬉しいことなのです)、鎌倉江ノ電や大仏、長谷寺を歩くことを思い、小町通りを歩くことを思うと、実朝公が公暁に殺された銀杏の樹のもとを思うと(15日に私は行ったのでした)、なんだかものすごく悲しくなります。実朝様はあのとき28歳なのですね。

  世の中はつねにもがもななぎさこぐ
   あまの小舟のつなでかなしも

 この百人一首の歌が採用されたときに、実朝公の喜びはいかがなものだったでしょうか。
 実は昨日ブルータスと電話で話したときにも、少しこのことも言っています。ブルータスは生徒たちにこの百人一首のことを教えているのですね。いや教えているどころか、ものすごくやっているのです。それで生徒たちも嫌がるどころか、熱心にやっているのです。
 このことは、短歌が嫌いで漢詩のみが好きだった私に実に今大きなことを教えてくれています。藤原定家偉大なりというところです。14011703

 漢詩はいいのですが、短歌ではなく、小倉百人一首はものすごいものをもっています。今そのことが初めて分かった私なのです。
2014/01/19 05:25もう私の孫たち四人のことを思います。私にはもうめちゃくちゃに可愛いばかりなのです。


 今日は三人の孫には会えるのかなあ。会いたい思いです。

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 おはぎの家へ行きまして、孫に会えることが無常の悦びになっている私です。

2014/01/17 02:59こうしてポメラで書いていくことは嬉しいです。
 昨日夕方おはぎの家へ行きまして孫に会えることが私の唯一の楽しみだったのですが、行けなくて(前日におはぎに「明日はパパママは来なくていいよ」と言われていました)、実は柳田公園寸前まで行っていたのでした(そこでおはぎの言を思い出した)が、とにかく残念でした。今日会えるのが実に楽しみです。
 そもそもじいじの孫に対する思いは、兄弟姉妹間の思いと同じ強さだと思っています。ただ、親子の思い、おはぎと子どもたちの思い、ブルータスとじゅにの思いには私は「かなわないなあ」と感じています。親子の間の思いは、私が孫を思う感じよりもはるかに強いのですね。それを強く感じています。
 でも上に書いたことは大きなことだなあ。
 このことで私はまた吉本(吉本隆明)さんを思います。この親子の間の幻想は、夫婦間の対幻想と同じ強さなのだろうな。私のおはぎ・ブルータスへの思い、私の父・母への思いを思います。それにはかなわないけれど、私の孫への思いもけっして誰にも負けない思いです。
 一昨日、おはぎの家から帰るときに、上中里へ向かうときにすれ違った親子(お父さんが乳母車を押して、娘さん長女と歩いていました)が、お父さんが長女を叱りながら歩いていたけれど、それとき私は「お父さん、それは違うよ、娘は可愛がるべきだよ、可愛いものなんだよ」と強くいいたかったです。乳母車の子どもも小さいけれど聴いてしまっているのですよ。14011603

2014/01/17 04:09もう新聞が入ってきて、私はいつもの通りチラシを見て、(あるものは読んで)、それから「波止場浪漫」を読みます。
2014/01/17 04:52もうこの時間なのですね。なんだかいつもあわてています。
 でも仕方ないですね。「落ち着いてあわてないで」と自分に言い聞かせます。
2014/01/17 05:58今腕時計をしました。この時計は父のものでした。オメガのもので、王子の時計店(この時計で「うちではできない」と別な店を紹介された)専門店で点検で5万円でした。そのときに、スイスへ送ってやると10万円だがどうするかと言われて(あとで電話があったのです)、私は5万円のほうを選びました。あたり前だよね。でももう腕につけていこうかなあ(今までは別なところへ入れていた)。
 時間は、このポメラでもIS01でも、ガラパゴスでもEX-wordXD-N6500でもパソコンでもすぐに分かります。ただアナログの腕時計が実にいいものです。今になってそれが分かったのですね。
2014/01/17 14:47これでまた書いていこうと思いました。でもIS01でもやらないとなあ。
 ブルータスには、先ほど宅急便で鎌倉で購入した手拭いを送りました。別なものも入れて送りましたよ。
2014/01/17 17:11今はおはぎの家に来ています。ポニョとポポが私のもって来たバナナを食べています。
 ばあばがポコ汰を迎えに行きまして、今帰ってきました。こうして私はこの三人に会えることがものすごい楽しみなのです。
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 ああ、今日の夕方には私がじゅにに送りました宅急便が着きます。今その控えを見ています。16時から18時に着くのですね。

13070806  この章もイエスの語りが多いです。イエスは弟子たちに私たちに伝えようとしているのです。でも私では駄目かもしれないなあ。ただ懸命に理解しようと思ってはいます。
 だけどイエスのいうことは難しいな。いえ言う意味が難しいというのではありません。到底自分なんか無理なのだと思うばかりなのです。

第16章
 我これらの事を語りたるは、汝らの躓(つまづ)かざらん爲なり。人なんぢらを除名すべし、然(しか)のみならず、汝らを殺す者みな自ら神に事(つか)ふと思ふとき來らん。これらの事をなすは、父と我とを知らぬ故なり。我これらの事を語りたるは、時いたりて我が斯く言ひしことを汝らの思ひいでん爲なり。初より此等のことを言はざりしは、我なんぢらと偕に在りし故なり。今われを遣し給ひし者にゆく、然るに汝らの中、たれも我に「何處(い13070807づこ)にゆく」と問ふ者なし。唯これらの事を語りしによりて、憂なんぢらの心にみてり。されど、われ實(まこと)を汝らに告ぐ、わが去るは汝らの益なり。我さらずば助主(たすけにし)なんぢらに來らじ、我ゆかば之を汝らに遣さん。かれ來らんとき、世をして罪につき、義につき、審判(さばき)につきて、過(あやま)てるを認めしめん。罪に就きてとは、彼ら我を信ぜぬに因りてなり。義に就きてとは、われ父にゆき、汝ら今より我を見ぬに因りてなり。審判に就きてとは、此の世の君さばかるるに因りてなり。我なほ汝らに告ぐべき事あまたあれど、今なんぢら得耐(えた)へず。されど彼すなはち眞理の御靈きたらん時、なんぢらを導きて眞理をことごとく悟らしめん。かれ己より語るにあらず、凡(おほよ)そ聞くところの事を語り、かつ來らんとする事どもを汝らに示さん。彼はわが榮光を顯さん、それは我がものを受けて汝らに示すべければなり。すべて父の有13070808(も)ち給ふものは我がものなり、此の故に我がものを受けて汝らに示さんと云へるなり。暫くせば汝ら我を見ず、また暫くして我を見るべし』ここに弟子たちのうち或者たがひに言ふ『「暫くせば我を見ず、また暫くして我を見るべし」と言ひ、かつ「父に往くによりて」と言ひ給へるは、如何なることぞ』復いふ『この暫くとは如何なることぞ、我等その言ひ給ふところを知らず』イエスその問はんと思へるを知りて言ひ給ふ『なんぢら「暫くせば我を見ず、また暫くして我を見るべし」と我が言ひしを尋ねあふか。誠にまことに汝らに告ぐ、なんぢらは泣き悲しみ、世は喜ばん。汝ら憂ふべし、然れどその憂は喜悦(よろこび)とならん。をんな産まんとする時は憂あり、その期(き)いたるに因りてなり。子を産みてのちは苦痛をおぼえず、世に人の生れたる喜悦によりてなり。斯く汝らも今は憂あり、されど我ふたたび汝らを見ん、その時なんぢらの心よろこぶべし、その喜悦を奪ふ者なし。かの日には汝ら何事をも我に問ふまじ。誠にまことに汝らに告ぐ、汝等のすべて父に求むる物をば、我が名により13070809て賜ふべし。なんぢら今までは何をも我が名によりて求めたることなし。求めよ、然らば受けん、而して汝らの喜悦みたさるべし。 我これらの事を譬にて語りたりしが、また譬にて語らず、明白(あらわ)に父のことを汝らに告ぐるとき來らん。その日には汝等わが名によりて求めん。我は汝らの爲に父に請ふと言はず、父みづから汝らを愛し給へばなり。これ汝等われを愛し、また我の父より出で來りしことを信じたるに因る。われ父より出(い)でて世にきたれり、また世を離れて父に往くなり』弟子たち言ふ『視よ、今は明白(あらわ)に語りて聊(いささ)かも譬をいひ給はず。我ら今なんぢの知り給はぬ所なく、また人の汝に問ふを待ち給はぬことを知る。之によりて汝の神より出できたり給ひしことを信ず』イエス答へ給ふ『なんぢら今、信ずるか。視よ、なんぢら散(ちら)されて各自おのが處にゆき、我をひとり遺すとき到らん、否すでに到れり。然れど我ひとり居るにあらず、父われと偕に在すなり。此等のことを汝らに語りたるは、汝ら我に在りて平安を得んが爲なり。なんぢら世にありては患難(なやみ)あり、され13070810ど雄々しかれ。我すでに世に勝てり』

 だけど、イエスの言うことを理解しようとしていた吉本(吉本隆明)さんを思います。私も何としても理解していこうと努力します。
 このことだけでも私は必死なのです。

13050204 私は2013年5月2日のポメラ

漱石や鴎外の作品がたくさん入っているのです。でも私の好きな蘆花は、「不如帰」しかありません。私には絶対に必要な吉本(吉本隆明)さんは皆無でした。

と書きましたが、これは「著作権」の問題ですね。だから吉本隆明さんはまだ無理です。 でも徳富蘆花は、大丈夫なはずです。『不如帰』以外にも、『自然と人生』、『思出の記』を載せてほしいな(蘆花には他の作品もありますが、この2作品が私は好きです)。

13041405 しばし『「書き言葉」と「話し言葉」』という吉本(吉本隆明)さんのいうことを考えました。

2013/04/15 05:56今日はいつも行っています吉田医院に、先日の健康診断の結果を見てもらいます。
2013/04/15 06:18今ばあばがおはぎとケータイメールのやりとりをしています。また今日私は吉田医院へいくわけですが、そこでばあばの診察券を出して薬をもらいます(実際には薬局でもらうのですが)。その際にばあばの診察券には、ばあばの書いたメモが貼ってあります。
 思うのですが、今はますます「書き言葉」が大事になってきていいますね。このことをものすごく感じています。
 ケータイメールはものすごく書き言葉が使われているわけです。これが分からないと、どうにも困り果てます。

「書き言葉」がますます大事になっているということを感じます。
 それから上に書いた「健康診断の結果」とは、正しくは「特定健康診査受信結果通知表」というものでした。
 私はますますケータイメールが重要になって来ていると思っています。電話でお喋りするのではなく、明確に書き言葉で意思を伝えあうのです。これを今朝のばあばとおはぎのやりとりで感じました。

13041308 私はこの西行の歌を忘れたことはありません。今日の日経新聞に「西行花の下にて上」としてありました。

 願はくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月のころ

 西行は、自分の子どもを縁側から蹴り落とし、それから出家して僧侶としての道に入ります。23歳の時です。

 評論家、吉本隆明は西行も読んでいたはずの大無量寿経を引き、そこに書かれた浄土の花と西行の花との違いを説いている。仏の国を敷きつめる熱帯的な花びらは、淡色で半透明なつやをもつ桜に置きかえられたという。

風に吹きさらされて、ひと夜のうちにたちまち花びらを散らし、花びらが雪の積もるように地上に積もる有様を浄土の姿に見たてたようにおもえる」(「西行論」)

 西行の人生は謎の中にある。名だたる論者が見解をつらねても、心を推しはかるよすがは歌の中にしかない。

 西行は平清盛とは同じ歳の北面の武士でした。清盛とも親しく語らったことがあるのでしょう。西行は強い源家の武士でした。だが西行は政治の世界には踏み込みませんでした。また平家滅亡のあと、鎌倉で源頼朝とも語らっています。
 西行は、清盛や頼朝のいた政治の世界からは離れましたが、その世界を常に見ていたことは私にはよく分かります。
 ただただ、この上の歌が私にも聞こえてくるばかりです。
 西行の最後の歌は次のようです。

 闇晴れて心の空にすむ月は西の山辺や近くなるらん

12031504 吉本隆明さんが亡くなられました。妻が私に知らせてくれたのです。

2012/03/16 07:35吉本(吉本隆明)さんが亡くなりました。このことでケータイメールもいただいています。今後インターネットの方でもメールをいただくことだと思います。吉本隆明さんが最後に入院された医院もよく分かります。ここの医院の前も歩いたことがありました。
 でもどうしてか、私はこの医院を訪れたことがあるような、医院の中を歩いたような思いがあったのですが、でも私にはまったくありません。何故なのかなあ。
 今NHKテレビを見て、東京大空襲のことを見ました。いくつものことを思いますね。吉本隆明さんも、講演で、この空襲のことを話されたことがあります。
2012/03/16 07:58もうすぐ「カーネーション」が始まります。吉本隆明さんが亡くなっても、日常は同じように過ぎて行きます。そして、このことこそ、吉本隆明さんがするどく指摘されていたことでした。そのことを、今つくづく思います。
 昨日このあとのNHKの番組でコシノヒロコが出てきたのを見ました。ものすごく興味があって、ものすごく嬉しかったです。吉本(吉本隆明)さんが雑誌アンアンに出たときのこと(この時はコシノジュンコの服のモデルでした)を思い出します。あれで埴谷雄高さんは片なしでした。私はそれまでは埴谷さんをを尊敬し、「死霊」はもう実に愛読したものでした。でも吉本さんのいうことを聞いて、もう私は埴谷さんのことがすっかり分かってしまったものでした。もう私には「死霊」は愛読書ではなくなりました。
2012/03/16 10:58いいなあ。先ほどの「カーネーション」を思い出しています。

 でも、私がこの自分の部屋に入るときに、いつもこの「死霊」に足がつかえてています(要するにいつも、私には歩くじゃまになるのです)。いつも『また「死霊」か』と思っています。もう私にははるかに遠くへ行ってしまった著作なのですがね。

 このブログのサイドバーにいくつかのリンクが置いてあります。上からは以下の順です。

将門Webの各ページ
周の好きなサイト
将門のブックマーク
浦和会・神田会のウェブサイト
東京都北区王子のウェブサイト
千葉県我孫子市のウェブサイト

12041414 それで昨日これを整理しました。もうほとんど更新のないサイトはここでリンクしている意味がないので、リンクをすることを止めました。そのほか、更新があってもリンクは止めて、サイドバーから消してしまったサイトもあります。これからもやっていきます。
 しかし、せっかくインターネット上で書いているのに、1カ月に一度くらいかそれ以下しかUPしないブログなんか、いったい何なのですかね。私は一日に10回はUPしています。これだと、10年が経過すると、大変な差になってしまいますよ。いくら私のサイトが内容がないといいましても、これでは大変な差です。10年続けたら、この差は大変なものです。
 いくら内容がない、私のブログでも最低10年は毎日続ければ(このサイトは2005年1月21日開始ですから、まだ7年ですが)、少しはいいと思いますよ。
 私は「最低10年」というのは、吉本(吉本隆明)さんの言われることからやっているのです。
 しかし、あきれてしまうサイトが多いのですね。もう私のサイドバーのリンクからはずしましたら、二度と復活させることはまずありません。

 それから、私のサイトをリンクいただくのはありがたいのですが、今も以前の将門WebのURLでそのままリンクされている方が非常に多いのです。もうそこサイトは止めてから、丸二年になりますよ。これもまたあきれてしまいます。これでは、仕事も生活もいい加減ではないのかなあ、と思わざるを得ません。
 もし、「こんなインターネット上のサイトにかかわっている時間はない」というならば、私のサイトなんかリンクされないほうがいいのではないでしょうか。いわんや、せっかくどなたかが、そリンクをクリックしても、何もない(たぶん違う結果が見えます)のでは、私もその人に悪いという気持でいっぱいです。でも私ではどうすることもできないのです。
 どうか、このことを周知徹底してください。お願いします。

11081105 なんだか時間だけは駆け足で走り去ってしまいます。なんでこうもあっという間に、過ぎさってしまうのでしょうか。
 年をとればとるほど、1年が短く感じられます。このことは誰も同じように感じているのではないでしょうか。このことについて、次のようなことを聞いたことがあります。

  20歳のときには、その人間の1年というのは、その人の人生
  の中の20分の1の長さをもった時間だが、50歳の人間にとっ
  ての1年はその人の人生の50分に1にしかすぎない。だから、
  50歳の人間は1年をその年以前の1年よりも常に短く感じてし
  まう。

 これは実に納得してしまいます。私にとって20歳から21歳にかけての青春の日々は、いまでも鮮明に思い出せるほど、さまざまなことのあった時間でした。だんだん思い出せば、それよりもさらに中学生の頃の1年はもっと長かったように思い出されてきます。
 思えば、今はこうしたホームページを開設公開することによって、空間というものはいわば無限な形で獲得できたように思います。どんなに狭い家に住んでいたとしてもホームページだけは、いろいろな方法でいくらでも広く深い空間を獲得できます。そして「リンクする」という方法で、どんな空間の隔たりも意識しないで連帯することができます。だが、上のような「時間に関するあせりの気持」は、どうすることもできないのでしょうか。
 やはり吉本(吉本隆明)さんに至ります。いろいろなことをやるのは、「25時間目」を作り出してからやれということです。埴谷雄高に対して、24時間の中ならば、私は埴谷雄高よりも子どもを抱く保母さんのほうをとる、というような内容だったかと思います。余計なことをいう埴谷よりも、子どもを抱いてくれる保母の方が、何にしても大事な存在であるかと思います。何かをいうのならば、たとえば私のようにこうして余計なことをくどくど述べるのならば、それは「1日24時間の中ではなく、25時間目にやるべき」ということなのでしょう。そのときに、子どもを抱く保母さんと同等になれるのだと思います。
 ところで埴谷雄高は、この25時間目が作れていたのかというと、それは否とするところでしょうね。
 そして、だんだん年をとって、時間が短く過ぎさって行ってしまうことにあせるのは仕方ないのですが、その中で、いわばだんだんと崖っぷちに追い詰められるような気持の中で、しっかりと踏みとどまれる自分を確立することが大事なのだと思います。それが吉本さんのいう「自立」であり、そして、「往相と環相」ということなのだと思います。私は吉本さんの言う「環相」という概念がよく判りせんでした。

  向こうへ行き着いて、還ってくるってどういうことだろう?

と判らなかったのですが、このごろ半分くらい実感できたような思いがします。「還ってくる視線」が大事なのだろうと思うのです。私は今このことを必死に考えているようにしています。おそらく、この「環相」の思想にまで至った思想家といえば、親鸞だけなのでしょうか。道元には思いもよらなかった。法然さえも、「環相」ということにまで至らなかった、といえるのではと思います。
 私は今、こうしてホームページを開設しかつさまざまな方とリンクできることにより、広い空間を獲得できました。あとは「時間」というものをどう自分のものにできるのかだと思っています。そのことは吉本さんの言われることで、解決できていけるのではと考えています。

「周の掲示板」へのRESが書けていません。申し訳ございません。さまざまな方と知り合い、かつたくさんお話できます。たくさんのホームページでどうしても、そこの掲示板に書き込んでしまいます。大事な出会いですもの。
 でもとにかく自分のホームページの掲示板においでになってくれた方のも必ずRESしなくてはと考えています。
 どうも書き込んでくれたみなさんありがとうございます。また元気にやっていきましょう。(11/11/98 07:49:46)

7e0dc7d1.jpg「読書さとう」に織田作之助、田中英光を書きましたので(太宰治は前に書きました)、同じ無頼派の坂口安吾と石川淳も書こうという気持なのですが、でも作品を思い出しません。それでインターネットで調べると、いろいろ思い出しました。思い出して、そしてやはり辛いです。戦後直後というのは辛い時代ですね。
 太宰治に吉本(吉本隆明)さんが会いに言ったことがあるのです。太宰治は、吉本さんに、「男の本質って何だと思う?」と問いかけ、応えられない吉本さんに、「それはマザーシップだよ。お前、不精ひげを剃れよ」というのです。太宰治の限りない優しさを感じます。
 写真は昨日3月12日10時56分にご近所で撮りました。私は歯医者さんからの帰りでした。(03/13)

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  私の掲示板に 「お留守居役様」から以下の書込がありました。
 
BRUTUS679号  投稿者:お留守居役様  投稿日:2010年 2月 4日(木)18時14分50秒
もうご存じとは思いますが、BRUTUS679号は吉本さんの特集号です。
  糸井さんとの対談で、瀬戸内寂聴さんの「死ぬのは怖くない」発言を以前はウソだと否定していましたが、ありうることと認めています。
   宮台が吉本さんは終わったなんて言ってますが、あいかわらずレベルの違いを分かっていないバカだと思いました。
http://magazineworld.jp/brutus/679/
 
  いえいえ、私は知りませんでした。もうこれを読んですぐに買いに行きました。でもコンビニにはなくて、王子に今も残る書店へ行きました。でもでもこの書店で買うのは大変でした。店の方が(たぶん店主のお父さんなのでしょうが)、レジが上手く打てなくて、もう長い行列ができたくらいです。私はいつもお釣りのいらないように現金を用意して、なおかつ、「包装はいいですから」と口でいい、手で示して(もうこう大声で言わないと、「包装はしなくていい」ということが判らないようです。私はすぐに吉本さんが読みたいのです。
  そして吉本さんの本を買えたお礼に他の本か雑誌を買うつもりでしたが、あまりに無意味なことに苛立ったので、もう止めました。

  それで、「もうご存知とは」なんてまったくありません。私の住むところは、書店もない僻地ですから、こういう情報はありがたいです。瀬戸内寂聴さんは前にはあまり好きではなかったのですが(源氏物語への言及なんか、私は少しも面白くないです)、でも吉本さんがあのように認めるのなら、私も今後は彼女の本も読んでみようかなあ。
   宮台はどうでもいいです。バカはずっとバカなだけです。

   でもこうして雑誌「ブルータス」で吉本さんのことをまたいくつも知ることができ嬉しいです。
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 きょうは、このポメラを普通に打ちました。テレビの前と電車の中でです。

2009/12/15 09:11義母がこの時間なのに起きてきません。
今起こしたのですが、でもだめなのです。困ってしまいます。私はきょうは、ここにはずっといられないのです。
 義母は夜中にずっと起きていました。夜声が聞こえていました。たぶん夜1時半頃寝たのではないかなあ。だから義母には眠りが足りないのでしょう。とにかく、「わが家」には行ってもらわないと私が困ってしまいます。義母が「わが家」に出かけたら、まず薬局に行く用があります。そしてそのあともいくつものことがあります。
 午後1時30分には東京駅から歩いて行かなければなりません。ゴトさんと会うのです。明治屋の前の「ペンステーション」です。
2009/12/15 09:20それにしても、たくさんやることがあります。一つひとつかたずけていかないとなりませんね。とにかく今はリビングにいないとなりません。義母は今は洗面所です。
2009/12/15 09:48今は私もリビングにいます。ここで義母をみていないと心配です。義母はまだ朝の食事が終わりません。
 でも私はけっこう義母の前にいるとイライラしていたものですが、このごろは優しい気持でいられるようになりました。私も無駄に生きているわけじゃないのですね。そのことが実によく判ります。
 この新ポメラは実に打ちやすくなりましたね。感激します。やはりキーボードが大きくなったように感じていますが(事実は大きくはなっていません)、ただただ前よりも打ちやすいです。あとは電車の中で打ってみることですね。電車の中ですと、座れないから、片手で打たないとなりません。それがどうなのかですね。
 昨日ミツ君に私が使っていました前のポメラをあげました。約11カ月使いましたね。
 でも、これで私は「ただただ文字を打つ」という訓練ができたように思います。これで打ち始めたときに、いかに自分は文章が書けないということを身に染みて感じたものです。パソコンでやる場合と、まったく違うのです。そしてもちろん、パソコンで取り込んでブログにUPしています。
 ああ、実はこの「周のポメラ」ばかりでなく、ほかの文章も一部だけ、このポメラで書いて、あとはパソコンで取り込んで完成するということが多々あります。そういうときに実にいいマシンです。ノートパソコンは実にいいといっても、王子から秋葉原までの時間で起動すれば、あと少しの時間で終わってしまいます。いわんや、秋葉原のエスカレーターで書き続けることなんかできません。でもこれはできるのですね。
 エスカレーターで打ち終えて、改札をでるころ、私の腰の「デューロカーゴDC−15」にしまうことが多々あります。これはもういつもやってきたことです。このことは、ノートパソコンでは無理なことですね。このポメラだから可能なことです。
 逆にこのポメラではインターネットにはUPできません。
2009/12/15 10:41今郵便局で用をすませて薬局です。郵便局の書類には訂正がいくつもあり、私は訂正印も持っていたのですが、あちらの方々が少し協議して、「いらない」ということになりました。よかった。すごい複写枚数だから印鑑を押すとなると大変なことです。私はいつもこういう書類は訂正印ばかりですが、」
2009/12/15 13:09今王子駅で電車に乗りました。これで、すぐにケータイメールしました。
 もう次は上野です。乗り換えですね。銀座線で京橋までです。
2009/12/15 13:14でももう一駅ありました。ただ快速ですから止まりません。
2009/12/15 13:23今上野で銀座線に乗りました。遅刻しそうだなあ。1時半につくには、「ウェルかめ」の最初をみようと考えてはいけないのだ。いえ、朝に前の部分を見なかったものでね。電車に乗る時間だけでなく、私の歩く時間も考慮すべきなのですね。このごろ私は歩くのが遅いのですね。
 今神田駅を通りすぎました。
2009/12/15 13:29さて三越前です。ここらへんは、ものすごく懐かしいです。でもこの三越では働いたことはないんだなあ。あ、もう30分をすぎています。
2009/12/15 13:30日本橋です。次の駅ですね。さて降りてすぐだと思うのですね。
2009/12/15 13:32さて京橋です。
2009/12/15 17:36今東京駅から帰ります。八重洲ブックセンターへ行きましたら、吉本(吉本隆明)さんの本がないのはわかるのですが、慶太郎さんの本がないので参りました。なんという駄目な書店なんでしょうか。仕方ないなんていえないよね。困るなあ。インターネットで買うのかなあ。せっかく八重洲ブックセンターへ行ったのに。
2009/12/15 18:52長女の家にきました。二人の孫が可愛いです。長女は厳しいです。でも私はここが楽しいです。

09121206 それでミツ君が帰ってきて、私は帰りました。おはぎは私に意見をたくさんしそうでした。でもでも、これはおはぎがいけないのでなく、私が悪い人なのです。もう反省しているから許してね。でもなかなか許さないよね。そういうところがいいのです。正しいのです。

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 周の掲示板に、以下のように流れ者さん(本名は大竹さん)がUPしてくれました。

周さん、こんばんは 投稿者:流れ者、改め・・・  投稿日:2009年12月 8日(火)23時59分35秒
周さん、こんばんは。
“流れ者”こと、大竹と申します。
自分のブログも、この名前で運営しております。
あらためて自己紹介ですが、私は故郷・仙台で音楽活動を続ける市民です。ブログは、そうした立場から発信しているものですが、時々で思うことを場当たり的に書いているにすぎません。
大学時代、運動らしきものを個人的にやっていた時期もありますが、当時も今も、一貫して未組織の一個人の立場を身上としております。
ですから、いわゆる“活動歴”というほどのものはありません。
音楽を愛する者として、いわゆる革命歌から労働歌、国家(君が代も含め)、軍歌の蒐集・研究(?)を行っている過程で、2年前に当サイトを知りました。
左派市民を自覚しておりますが、高倉健と池部良の出演した任侠映画に凝った時期があったり、平将門公の名残りを求めて関東を中心に史跡を訪れることを楽しみとしていたこともあるという、ちょっとまとまりに欠けた人間でもあります。酒はあまり飲めません。趣味はギター、大衆音楽史です。
愛読書は羽仁五郎さんですが、ようやく吉本隆明氏の著作に挑んでみようという気になった昨今です。
今後も折に触れて、お話をお伺いできればと思います。
寒い時期を迎えますので、どうぞご自愛下さい。

追記
浦和に以前、父(1932年生まれ)の兄が住んでおりました。
ご当地には土地勘もありませんが、貴ブログでの数々の写真を眺めては、日々安息を得ております。
http://black.ap.teacup.com/samuraiville/

 大竹さん、わざわざありがとうございます。こうして大竹さんも2年前からブログを開設されていたのですね。嬉しいです。そしてこうして教えていただいてありがとう。
 ただ、私のレスがこうして遅くなり、ごめんなさい。いろいろとやっているもので、なんだかせわしいばかりなのです。私は他のサイトでも一日に2つUPしているものがあるのです。もうきょうは送りました。それは管理人がUPしてくれるだけです。
 羽仁五郎さんは、思い起こすと1968年の9月の何日かに葉山のご自宅へお伺いしました。その年の埼大のむつめ祭へ講演を依頼するためです。でも11月22日の日程は羽仁五郎は用があって無理でした。だから当日は樺美智子さんのお父さんに講演を依頼したものでした(ただし、依頼したはずの私は東大・日大の闘争支援集会に行っていて、埼大にはいませんでした)。
 羽仁五郎さんのご自宅は、右翼の襲撃を警戒してでしょうが、ものすごい防衛装備の家になっていましたね。でもこのときに、その11・22は無理だが、また別な日に講演をしようと約束してくれて、やがてそれが翌年1969年6月12日の埼大での講演会になりました。
 ただし、その6月12日の講演は、日本共産党=民青が組織的に、この羽仁五郎の講演会を妨害しようということで、その妨害を阻止し、講演会を実施しようという私たちの側との大きな衝突になりました。私自身は、この年の1月19日に東大安田講堂で逮捕されており、このときは府中刑務所に拘留されており、この事件を翌日の読売新聞で読みました(ただし、事件そのものの報道は紙面が黒く塗りつぶされており、それでも埼大で何か大きな事件があったことだけは判りました)。
 この事件では、その後大勢の仲間友人が逮捕され、6人が起訴されました。裁判の過程で、日本共産党=民青の自治会の幹部が出廷するのには、実にあきれたものでした。私たちの友人を有罪にしようと、裁判所で発言するのですよ。もちろん、われわれも傍聴に行きますから、もう浦和地裁も日本共産党=民青を守ろうとする機動隊と私たちの対決で大変な騒動でした。
 今羽仁五郎の著作は何を読んだか、思い出そうとしましたが、記憶があまり確かではありません。『都市の論理』『ミケランヂェロ』『都市』だったかな。あと数冊読んでいますが、思い出せません。
 そもそも『都市の論理』自体がくだらないよね。あの本では、美濃部都政を、蜷川京都府政を称えているじゃないですか。馬鹿じゃないだろうか。日本共産党をほめているじゃないですか。その共産党から、「羽仁五郎はくるな!」なんていわれ続けていたのですから、そして埼大では石を投げられていたのですから(それで埼大の講演会では、羽仁五郎の講演するそばで、日本共産党=民青の投げてくる石を軍手で受けて防衛する役割の人間もいました)。羽仁五郎に石がぶつからないようにとしていたこの友人も、やがて警察に逮捕されましたよ。もう話になりません。
 もう私は吉本(吉本隆明)さんが、羽仁五郎を「殺してやりたいくらいの人だ」と言ったのが実によく判ります。

 でもとにかく、大竹さんは女の子が二人だということですね。女の子は強くていいですね。私の孫をみて、常にそう思っています。昨日私の孫を見ながら、「草食系男子」「肉食系女子」のことを思いました、ミツ君のお母さんとお話しました。その逆の「肉食系男子」「草食系女子」という言葉はないのね。ばあばも、ポコ汰に、「ポコ汰は肉食系男子になるんだよ。…ああ、ポニョはもう肉食系だね」。
 もうそういうときなのですね。

 あ、そうですね。私のこのサイドの「将門のブックマーク」で、一昨日貴サイトをリンクいたしました。

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