将門Ｗｅｂ

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag：吉村昭

11020408書　名　桜田門外の変
著　者　吉村昭
発行所　新潮文庫

　私が２８歳のとき、勤めていた会社で労働組合をつくり、闘争をやったことがあります。組合を結成するや、すぐに４８時間ストをやり、すぐ無期限ストを実施しまして、会社側は組合の要求を１２０％くらいまで認めました。私たちは、８階建てのビルを内も外もステッカーだらけにしましたが、すぐさま綺麗にはがし、掃除し、熱心に業務につきました。ただし、ひとつだけはがされなったステッカーがあります。私のデスクに貼っていたものです。それにはこう書いていました。

　　呼狂呼賊任他評

　これは私がいつも詠います、黒沢忠三郎「絶命詩」の第１句目です。詩の全文は、以下の通りです。

　　　絶命詩　　　　　黒澤忠三郎（勝算）
　呼狂呼賊任他評　狂と呼び賊と呼ぶも他の評に任す
　幾歳妖雲一旦晴　幾歳の妖雲一旦晴る
　正是櫻花好時節　正に是桜花の好時節
　櫻田門外血如櫻　桜田門外血は桜の如し

　私にはこの詩は何においても一番好きな詩なのです。
　ところで、このときには、私は広報課というようなところにいたのですが、私の上司の取締役部長が私のところへやってきて、このステッカーをとり外してくれと言います。まずこの課はかなり外部の広告代理店なりが出入りするから、労使がまだ対立しているような印象だけはさけたい。第一、もう闘いは組合の勝利で終って、組合が他のステッカーは組合自身で綺麗にはがしたではないか。どうか俺の男を立ててくれというようなことでした。

　　（註）私の労働運動における最初のアジビラ

　私は拒否しました。すると彼は、

　「俺は上司として言っているのではない。男として頼んでいるん
　だ。……結局君はただいきがっているいるだけなのか」

私は答えました。

　「私はいきがっています。ただしこういういきがりが、何か本気
　でやっちゃうことがあるんですよ。いいですか、あなた方とは昔
　万延元年に有村治左衛門と一緒に共闘したことがあるが、あのあ
　と私たちはあなた方なんか信用していないんです。これをとれる
　ものなら、とってみればいいではないですか」

　その部長は気持悪そうに私を見て、自分の席に戻っていきました。「有村治左衛門」といったとき、彼には何か私の正体が分かったようです。彼は薩摩の出身でした。そうです、万延元年３月３日の桜田門外の決起は、私たち水戸浪士と、薩摩藩の合同した闘いでした。黒沢忠三郎が合図の短銃で、井伊を撃ち、有村が首級をあげました。そして薩摩は西にて挙兵する密約でした。しかし約束は果たされない。この小説の主人公関鉄之介は、その約束の実行を迫りに肥後まで行きます。しかし、当時の薩摩誠忠組の首領大久保一蔵（利通）は、関を黙殺します。私はこの部長の後ろに、大久保の姿を、島津久光の姿を見ていました。私は薩摩っ子なんかと、簡単に妥協するわけにいかないのです。

　この小説は、関鉄之介を主人公にこの桜田門外の変の全貌を解き明かしています。かなり新しい事実も知りました。歴史の上や今までの小説などでは、関鉄之介は薩摩に入ろうとしますが、大久保の冷たい仕打によって虚しく帰ることになっています。ここらへんが大久保利通が鹿児島でも人気のないところなわけですが、つまり西郷さんならそんなことしないだろうというところです。
　ところがこの吉村が描いているところでは、関は肥後まで行くが、あまりの厳重な警戒に、薩摩の同志と連絡することすらできません。あのころの情勢だとこれが事実なのでしょう。それにしても、薩摩が密約を守らない事実には変わりありませんが。また襲撃のとき短銃を撃ったのが、黒沢忠三郎であることや、この銃を提供したのが中居屋重兵衛であることなども、この小説で明らかにされました。
　しかしこれでいろいろ知ったのですが、関鉄之介は驚くほど日本中を旅しています。かなり自分たちの運動に情熱をかけていたのだと思います。この桜田の変から尊王攘夷運動は倒幕運動へと変化します。しかし、関鉄之介はその後の動きを知ることはできませんでした。文久元年十月捕らわれ、翌年（１９６２年）五月十一日小塚原で死罪になります。　この小説には出てきませんが、関鉄之介の獄中での詩です。 

　　獄中作　　　　　　關鐵之介
　時事關心難作眠  時事心に関し眠り作り難し
　獄窓月暗轉凄然　獄窓月は暗うして転凄然
　滿腔忠憤悲歌夕　満腔の忠憤悲歌の夕　
　憶起文山就義年　憶い起す文山義に就くの年

詩の中の文山とは、

　　文天祥「過零丁洋」「正気歌」（この「過零丁洋」のほうは紹介してあると思っていましたが、まだやっていないので、そのうちにやります。「正気歌」については、簡単に紹介できないので、又改めて書きます）

の文天祥のことです。

　私はクライアントで茨城県真壁の出身で、関という姓の人に、この鉄之介のことを聞きましたら、同じ一族とのことでした。またＪＲ東日本の新幹線の運転手の関さんという人も、同じ真壁の出身でこの一族のようでした。私はどちらにも、関鉄之介がいかにあの時代を素晴らしく生きたのかを詳しく語りました。（1995.11.01）

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11020305　あるクライアントへ仕事へいきまして、その会社の本棚で借り読んだ本です。

書　名　白い航跡
著　者　吉村昭
発行所　講談社文庫

　この会社の社長が吉村昭が好きで、たくさん置いてあるのです。
　それで帰りの電車と、自宅へ帰って、夜寝る前にベッドで上を読み終り、翌日に下を朝の電車と、仕事のちょっと空いた隙に読み終りました。前々から読みたかったのですが、できたら図書館で借りようと思っていたので、これで助かりました。

　幕末から明治に生きた薩摩藩（生まれたのは宮崎県）出身の高木兼寛という人の生涯を描いています。とくに脚気を治療するのに食事を改善することによって予防できるとした世界で初めての医学者といえるでしょう。
　この脚気の治療にあたって、彼は白米中心の食事の改善を彼は訴えます。とくに脚気の被害の大きかった日本海軍にて、白米をやめパンあるいは麦飯による食事により、脚気をいわば根絶します。これを実際に実証します。この彼の
「論よりも実証」というやり方にまっこうから反対するのが「実証よりも学理」だとして脚気の原因を細菌だとする森鴎外です。この為に、日清日露戦争においては海軍は見事に脚気と無縁でいられましたが、陸軍は対ロシア戦による死傷者にも負けないくらい多くの脚気による死者病者を出してしまいます。
　この二人の対立は、結局は生きている間には決着しません。死後兼寛が正しかったことがはっきりします。
　実は私はこれほどの人をまったく知りませんでした。吉村昭が書いたというのは知っていましたが、今回初めてその生涯を詳しく知ったわけです。吉村昭がよくぞ書いてくれましたという思いです。
　世界的に大きな功績を上げた人でありながら、報われない生涯であったのだなと思いました。ただ少なくとも私は知ることができました。そのことだけでも大変に嬉しいことでした。

　このときのいわば論敵でありました森鴎外のことを思い浮かべみます。確かにとんでもないほどの秀才だったのでしょうね。たしか１５、６歳のころあまりに優秀なので、年をごまかして進級したことがあったかと思います。彼のドイツにおける衛生学の研究で書かれていることなどは、今のそこらへんにいるエコロジストの言っていることなどよりも、ずっとましなことを言っています（註）。

　（註）たとえば、都市に街路樹をたくさん植えて緑を増やせばい
　いんだという論議があるが、そのように簡単な話ではないのだと
　いう主張があります。また都市には不衛生な貧民街（ベルリンに
　もパリにもそれこそ東京にもあったでしょうし、今も存在する）
　があるが、これをなくしてしまえばいいんだという論議があるが、
　これは間違いだという主張もあります。新宿西口のホームレスの
　人たちを実力で追い出してしまった青島都知事に聞かせたいもの
　です。

　でも、そうではあっても、森鴎外はどこかが違ってしまっている、いややはり違ってしまうようなもともとのものを持っていたのだなと言わざるを得ません。
　鴎外の主張であった「栄養学的にいって麦飯が白米食より優れているという根拠はない」という伝染病説なのですが、白米がたしかに西洋の食事より劣っているとはいえないというのは間違いではないのでしょう。だがそれなら、鴎外は実質的に脚気が伝染病であるということを実証すべきでした。そして、高木兼寛のやった実践による事実を認めるべきでした。ただ「はじめに理論理念があるべきだ」という姿勢から少しも逃れることができなかったのだと思います。
　ただ、これはともすれば誰もありがちなことです。私にも、こうした傾向が大きく存在しています。どうしてもまず理窟から入っていくところがあるのです。パソコンをやり始めるのもそうでした。ただ、そうではないたくさんの若い人を知って、なんとか自分のそうした傾向を改めていくようにしてきたものです。
　そんなことを考えさせてくれました。（1995.11.01）

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11011910書　名　蚤と爆弾
著　者　吉村昭
発行所　文春文庫
１９８９年８月１０日  第１刷

　この本は最初「細菌」というタイトルで、雑誌「現代」に連載され（１９７０年４月から１０月）、講談社から単行本として刊行され、のちに講談社文庫に収録の際（１９７５年１０月）に「蚤と爆弾」に改題されたとあります。
　読み始めるのに非常に嫌な思いのする作品でした。「嫌でも読んでいこうよ」と自分にいい聞かせながら電車の中でページを繰って行きました。戦前戦中に関東軍が満州ハルピンで行なっていた細菌兵器開発の過程が淡々と描かれています。
　私はこの本を読んで、初めていろいろな事実を知りました。実にこの日本こそが、米国、ソ連、あるいはドイツよりもあの時期においてはもっとも細菌兵器の研究開発については進んでいたことです。実際にソ連や中国のスパイ容疑の人たちの生きた人体を使って研究開発が行なわれました。そして実際に中国戦線ではこの細菌兵器が使用されたことです。爆弾にペスト菌に冒された膨大な蚤を付けて、日本軍が撤退した占領地にばらまきます。これは資源の少ない日本には最も効果のある兵器だと、開発者は考えます。事実、中国軍は原因不明のペストやコレラの発生で困惑しきったようです。
　また日本が米国に対して実際にやった「風船爆弾」（註）というのは、かなり荒唐無稽なもので、効果はまったくなかったと私は思っていましたが、実は米国はこの風船爆弾に中国で日本軍が実際にやったと同じように細菌を乗せられてばらまかれたら大変だと、風船爆弾のほとんどは、米国に届かないというように報道管制までして日本を恐れたようです。

　（註）日本からアメリカまで流れる偏西風を利用して、焼被弾を
　付けた風船を大量に作り、約９千個を飛ばした。実際に米国まで
　届いた風船はいくつもあり、山火事を起こしたり、実際に亡くなっ
　た方もいる。アメリカはこの風船爆弾に細菌兵器を乗せて流され
　ることを極度に恐れ（日本軍は実際に中国でやり、軍事的効果が
　あったことを米国は確認していた）、米国とカナダのラジオ・新
　聞関係者に、この風船爆弾のことを報道するのを一切禁止した。
　ために、日本は風船爆弾は米国に届かなかったと錯覚判断してし
　まい、失敗との判断で、以後この作戦を中止する。米国はほっと
　胸をなでおろしたことだろう。

　しかし、もっと驚くべきことは、これの開発にたずさわって人間が、戦犯として罰せられたのではなく、戦後その資料を米軍に提供していることです。彼はむしろ米軍に優遇されました。このことこそが現在にまで関係してくるのではないかという、怖ろしいことのように私には思えます。
　この細菌兵器開発の長である曾根二郎軍医は、自分のやったことを少しも反省後悔していません。むしろ医学者として素晴らしい研究成果をあげたと考えています。人体実験をこそやりえたからこれだけの成果が得られたということにも反省などありません。そしてアメリカも多分同じに考えたからこそ、彼の研究成果を受け入れ、彼を優遇したのだと思います。またソ連もまた、この曾根の研究成果を手に入れようと必死になります。アメリカが先んじたにすぎないのです。
　毒ガスと細菌兵器は戦争条約によって禁止されていました。だがアメリカのやった広島長崎という非戦闘員ばかりの住んでいる都市への原子爆弾の使用だって、それ変わらないどころかそれ以上のひどい行為であると思います。そしてこの小説を見るとアメリカも、別に大量に簡単に殺人ができる武器ならばなんでも構わなかったのではないのかという思いがしてきます。だからこそ、この日本が米国よりははるかに進んでいた細菌兵器の研究資料を大事にしたのだと思います。
　作者はこうしたことをそれこそ、淡々と描いていきます。途中で「戦争は絶対に許せない」というような心情を述べるわけでもありません。曾根二郎が医者および軍人として当然のことをしたまでだというように言動していることを、そのまま描いていきます。こうした描き方こそが、戦争のひどさ、戦争の本質をこそ一番表現できていることのように私には思えます。（1996.05.19）

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