将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:名古屋

13021016  今新幹線でここに画像であげましたテロップ(電光掲示板)ですが、これを見ていて、日本語っていいなあ。
  かなと漢字熟語でローマ字もふんだんに出てきます。これを米英語や中国語だと大変だよね。日本語の特権じゃないかなあ。これをあちこちで感じます。新幹線の中でも感じるんだ。
  あ、ちょっとばあばにも伝えたいことがあったのですが、……今話しました。今の話は昔金八先生(武田鉄矢さん)が言っていたことです。孫たちに伝えたいことです。

  名古屋です。名古屋はいくらでも思い出すことがあります。

12030817 私の「リー&笑美の只見日記」のホッケの飯鮓(すし)に、笑美さんが、コメントをくれたのでしたが、その2です。

 私は次のように書いてしまっていました。

 好きになれないのは、名古屋と鹿児島かなあ。横浜はまったくダサい感じでいやでした。

 こう私は書いたものですが、私はもうみな好きになりました。
 名古屋は、南区・千種区・北区と引っ越して、小学校も3つ転校しましたが、そして大変に暑い街・都市ですが、今では懐かしく思い出すばかりです。友だちのことも懐かしく思い出します。
 私はこの北区で小学5年のときに伊勢湾台風にあっています。いや思い出せば、札幌では洞爺丸台風に、小学4年のときは(そのときは千種区でした)は狩野川台風に遭っていたのでした。この名古屋での友人たちも何人も思い出します。
 鹿児島は、中学3年間と、高校一年の一学期は下宿していました。父が横浜に転勤になったけれど、もう転校なんて簡単にはいかないのでしたね。
 横浜は転校した高校が最初が横浜の中華街とか馬車道とかの近くに校舎があったものでした。でも授業はものすごく退屈で、私は授業中に莫大に本を読んだものでした。最初が「司馬遷『史記』」でした。そのあとは、もう文学ではなく、莫大に全集ものを読んだものです。先生方は、私が本を読んでいても何も言わなかったものでした。
 そんな思い出の中で、今ではどの地方も好きですよ。
 ただただ、懐かしく思い出すことがたくさんあるのです。

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 長春有情さんから、新年あけましておめでとう へ次のコメントがありました。

1. Posted by 長春有情です    2009年01月02日 15:52
謹賀新年
萩原君ありがとうございます。
今年は会う機会を必ず作ります。
仕事が自由になります

 それで、さらに彼の掲示板に、次のUPがありました。

周二君、新年おめでとうございます。
君のブログに書き込みました。
君の家族の写真を見て、やっぱり君に間違いがなかったこともわかりました。
あの頃、たぶん中学校の頃、君は鹿児島人とはちがい、
垢抜けしていました。
君のブログを見ても、君は田舎の人間ではなかったことがよくわかります。
私も今年はフリーになります。
娘達が東京に行こうとしていますので、東京に行く機会もあるでしょう。
東京に行っても、浅草演芸ホールか新宿末広亭に行くだけのこと。
今年こそ君に逢おうと思っています。
たぶん5月連休のころでしょう。
今年もお元気で活躍して下さい。

 ありがとうございます。鹿児島は、私のいくつも引越た先の一つですが、でも私が小学校6年から高校1年のときまで、丸4年も住んだところですから、懐かしいです。
 私は札幌には2年半、名古屋には3年半(ただし、3ヶ所住みました。小学校も3つです)、横浜には3年半住んだので、比較的長いほうです。ただし、鹿児島は東千石町ばかりでなく、原良町にも住みました。

 懐かしい思いばかりが甦えるものです。

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 周の『独楽吟のススメ』の27破茶さんから次のコメントをいただきました。

1. Posted by 破茶    2008年02月23日 08:11
きのうは サボタージュを決め込んでいたのに 今は約束の名古屋に向かっている私です。明日もきっと約束を守る私でしょう。周さん 土日 元気でお過ごしください。

 あ、まずは良かったですね。私は名古屋といえば、南区若草町、千種区今池、北区大曽根と3カ所住んだことがあります。だから小学校は3つ過ごしたわけです。
 22日夜、元気に飲みました。23日もあちこち動き回り、夜また元気に飲みました。実に愉しく愉快に飲みました。
 本日は、我孫子へ行きまして、大切な用があります。

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ef2b3f0a.jpg とにかくただただ暑いです。私は小学校2年から6年までの3年半、名古屋に住みましたが、あそこが一番暑いところでした。その後住んだ鹿児島、大人になって住んだことのある沖縄よりも暑いところでした。でももう今のほうがもっと暑い気がしますね。さらに歳とると辛くなるんだろうな。(8/03)
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 以下、私がたった今書きました母宛ての手紙です。実際の手紙とは違って、ここでは名前等はハンドル名にしてあります。

   萩原たか子 様

               2007年5月16日

                周のURLメール
                今の王子の住所電話等

 前略
 たった今、まっちゃんと電話でお話しました。今度簡単な手術をするということですね。

 もう5月も半ばです。きょうなんかずいぶん暑くなってきました。今いる王子の家で、ある部屋の冷房器械の調子が悪いので、明日見にきてもらいます。ちょうどおはぎのところも同じように調子の悪い機器のある部屋があるから、一緒に見てもらいます。こんなときに、こうしてすぐそばに住んでいることはいいなあ、と思いますね。
 こうして暑い夏になってくると、「暑い」ということで、名古屋を思い出します。あそこには3年半ほどいたんだね。そして南区若草町・千種区今池・北区大曽根と住んだね。夏は3年過ごしたんだ。その次に住んだ鹿児島よりも、この名古屋のほうがずっと暑かった思い出があります。鹿児島は陽射しは強烈だけれど、名古屋ほど蒸し暑くはなかったものでした。
 インターネット上で、今池にいたときに通った内山小学校の4年生の同級生を見つけて、メールしたのだけれど、彼には私のことが名前だけでは思い出せないようでした。私は日本中をあちこち歩いたわけだけど、同級生のことはどこでも覚えているんだけどね。
 名古屋といえば、小学校5年のときに出会った伊勢湾台風の思い出が強烈です。あれほど怖ろしい台風は他には知りませんね。今でも、あのときの台風の怖ろしい音はよく覚えています。
 普通なら、私たちの住んでいた家の壊れ方だとテレビにでも放映されるんでしょうが、あのときは、どこの家もそうでしたね。翌日は、実にいい天気だったのをよく覚えています。あのとき以来、我が家では台風が来るというときは、かなりな防衛策をしたものでした。でも実際に台風がきても、それほどの被害もなくて、いつも拍子抜けの気持になっていたものでした。
 私がこの名古屋の出身の人がいるところで、このときの「伊勢湾台風の歌」を唄っても、誰も知らないのですね。何でわすれちゃうのかなあ。担任の島先生が、「いつまでも、この台風のことを忘れないようにしましょう」と言って教えてくれたものです。あの先生は旅行好きの人でした。いつも、日本中を旅行したときの思い出を私たち生徒に話してくれていました。
 このときは六郷小学校でしたね。名古屋の最初は桜小学校でした。もうみなたくさんのことを覚えています。                早々

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06122301 毎日UPされている 王子生活札幌でも走ってます があります。なんだか私にはとても懐かしい札幌の市電なのです。

札幌の街には市電が走ってます。
緑色の車体が懐かしい感じの市電です。
(2006.12.22)

 私の家族は昭和28年の9月に、秋田市から札幌へ引越しました。秋田も市電が走っていましたが、社宅は市電よりかなり離れていたので、今度は比較的社宅より近いので、私たち3人兄弟は、そろって市電通りに見に行きました。
 兄は中学1年生、私は幼稚園生で、弟はまだ4歳です。市電通りは広くて、緩やかに市電が走っています。
 でも実に悪戯っ子の私の弟が、市電のレールの上に石を置きました。兄は怒り、私はあわててその石を取り去りました。実にまあるい石でした。白い少し茶色い平たい石でした。私は今のあの石の感触も形も色もよく覚えています。私の弟は、小さくてイタズラばかりする子どもでした。
 私は家に帰って、そのことを母に言いつけたと思います(嫌な奴だなあ)。でも間違いなく、母は怒ったけれど、笑っていたかと思います。でも弟は、「もう絶対にしないこと」と約束させられていました。

 この市電に乗って家族でよく札幌の繁華街に連れて行ってもらいました。丸井(今は札幌丸井というのかな)デパートへや三越デパートへです。そこで父母は買い物をして、私たち子どもは食堂で食べるのがいつも愉しみでした。
 思い出せば、その前にいた秋田市も、次の名古屋も、鹿児島も、横浜も、どこもこの市電が走っていしたね。ただし、名古屋の最初の南区若草町では、名鉄に乗ることも多く、横浜では港北区篠原町だったので、東急東横線に乗ることも多かったです。

 でもその後住みました千葉県我孫子も浦和市も市電(路面電車)がないのが不思儀でした。それから沖縄の那覇市にも市電がないので、少し驚きました。でももう声には出さなかったなあ。その頃一緒に働いている人たちに笑われちゃうかもしれないからです。

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 この一つ前に、昨日タクシーに乗ったことを書きました。そうしたら、また思い出しました。
 同じく昨日、今度は渋谷から靖国神社前までタクシーに乗りました。
 私はまた運転手さんに、東京の路が綺麗なことの感想を喋りました。そして、私の自宅の我孫子も今の王子も路が綺麗に掃除されていることを言いました。
 そして余計なことですが、東京の汚れた街の話もしました。「あそこらへんは、煙草の吸い殻だらけなんですよね」なんて街の名前をあげて話しました。
 それでそのあと、東京だけではなく、あちこちの都市の話をしました。まず大阪の印象から、名古屋の話をしました。
 私は名古屋は好きではないが、実に街が綺麗だと思うということをいいました。そして同じ愛知県でも、いわゆる名古屋−尾張と、岡崎−三河は全然違うなんて話をしているうちに、その運転手さんも、「私も名古屋は住んでいたことがありますよ」という話で、いろいろと話しました。私は名古屋は3カ所住んで小学校も3つだったことをいい、もともとは札幌で入学したことをいいまして、でも卒業したのは鹿児島なことをいいますと、彼も「自分は鹿児島です」ということで、だんだん話が進みます。
 彼の中学の話で、私は甲東中学で、彼もよく知っています。「私は甲南(高校)なんですよ」という話から、「私は鶴丸(高校)ですよ」ということで、だんだん詳しい話になります。
 彼が法事で、鹿児島に帰省した話の中で、鹿児島天文館の美味しいラーメンを奥さんと食べに行ったという話で、それが黒岩ラーメンだというので、私は「あ、彼は中2・中3と同じクラスだったよ」ということでますます話がはずみます。私は天文館のあちこちには、同級生が何人もいますから、もう懐かしい思い出ばかりです。
 彼は昭和22年生まれで、私より一つ上です。だからあの頃鹿児島の路ですれちがっていたのかもしれないですね。

 でも彼は三島に住んでいたこともあると言っていました。私もすぐに三島駅を思い出していました。温泉新聞社で集金に歩いた思い出です。あそこから、伊豆の中伊豆西伊豆の集金旅行が始まったのでした。
 いや、その他もいっぱいお話しましたよ。同じ団塊の世代だから、たくさんの思い出が重なります。

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 団塊世代Uターンの経済効果試算 で私は、団塊の世代が「故郷へ帰る」というので、いわゆる田舎に帰ることには否定的なことを書きました。ただし、もちろんそれは個々人が自分の人生でどのような生き方をしようがそれぞれが自由なわけですから、それはまったく構わないことだと思っています。

 私は「故郷へ帰る」というときの「故郷」というのは、それぞれによって違うだと思っているのです。東京という都会が故郷の人もいれば、例えば、鹿児島県内の郡部が田舎の人もいるでしょうが、鹿児島県の県庁所在地の鹿児島市が故郷の人もいるでしょう。
 でも私は「故郷回帰運動」というものに賛同できないのは、「東京23区が故郷であり、そこへ帰りたい」という人の考え方には認めないようなことを感じるからです。
 ようするに、地方といいましても、東京や名古屋のような地方ではない、過疎化が進んでいる地方がなんとしても、その自分の地域を活性化したいというのが本音でしょう。そして、それは切実な思いがあるのでしょう。
 だから、個々人のとって故郷はいろいろあるわけで、さも「故郷は自然と田園のあるところ」と決めつけていることが私は嫌なのです。そこはついでに「車がなければ生活できないところ」と付け加えてくれよという思いです。

 かつそして、個々人にとって、故郷とは、実際に自分が行き住んだところでなくとも、自分で選んでいいところだと思っています。

 私は生まれは昭和23年茨城県佐貫です。今は藤代市になっています。でも、1歳のときに、東京巣鴨に引越て、3歳で秋田市に引越、そのあと、札幌、名古屋、鹿児島、横浜、そして千葉県我孫子と引越しました。秋田では2か所、名古屋では3カ所に住んでいます。だから名古屋では小学校も3つでした。
 それでそのあとは、浦和に住み、また府中刑務所から保釈ののち我孫子に住み、また浦和に住み、一時沖縄に住み、その後船橋に住み、早稲田に住みました。そこで結婚して王子に住んで、そのあと我孫子に住みました。そして我孫子で3カ所住むところを替えました。
 そして今は、我孫子の自宅と王子の妻の実家と2カ所に住んでいます。

 そんな私には「故郷」というところがないのです。いや、全部が故郷とも言えるでしょうか。私は秋田と沖縄は、私の故郷とよびたいところでしたが、あとはすべて嫌いでした。
 札幌は、なんだか実にハイカラで嫌でした。ストーブの石炭の煙で汚れた雪が嫌でした。名古屋が実に暑くて、そして方言がひどくて嫌でした。鹿児島は、もうまったく嫌でした。毎日桜島のばい煙が降るのが嫌でした。横浜も方言がひどくて「これは同じ日本なのか」と思ったものでした。町を流れる川が汚くて嫌でした。

 そんな、どこも大嫌いでしたが、今はとても懐かしく思い出されます。札幌も名古屋も鹿児島も懐かしいです。でも遠い。横浜は行くことができますから、歩くと、あんなに嫌だった街が、今では懐かしくてなりません。浦和も嫌いな街でしたが、今行きますと、もう涙がこぼれます。浦和から北浦和まで歩くと、もうそれこそ私はあちこちで涙目になっています。

 このWeb東奥の記事では、次のようにありました。

 今夏、県が行った団塊世代への意識調査では、首都圏在住の本県出身者のうち9.4%が定年後の本県移住を、23.4%が首都圏と本県の二地域居住を希望した。

「首都圏と本県の二地域居住」なんていいことだな、と思いました。
 私が、もう1カ所住みたいところはどこかといいましたら、それは沖縄かな。そして沖縄のどこかと聞かれたら、それは実に困っていまうけれども、やはり都会である那覇でしょうか。でも沖縄ももう車がないとどこにもいけない地方ですね。
 それがなんだか少し哀しいな。

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 このブログのサイドバーに「livedoor デパート」があります。きょうから、それを「名古屋」というキーワードで、デパートを形成しています。
 
 最初は、ここは「沖縄」で作りました。私の住んだところでいわば一番好きなところだからです。その次は「秋田」でした。これもまた私が住んだところで好きなところです。沖縄は沖縄本島も八重山諸島もすべて好きですが、「秋田」は、住んだのは秋田市(市内の2カ所に住みました)ですが、「秋田」自体がみな好きです。秋田県全体が好きだというか、秋田犬も好きですし、秋田のお酒も好きですし、秋田美人も好きです。
 ただ、その次は「北海道」ではなく、「札幌」というキーワードでデパートを形成しました。北海道と札幌というのは、私には違うものなのですね。そして私の本心は、北海道は好きなのですが、札幌は、どうしても「好きなところだ」とはいいにくいところです。幼稚園が札幌めばえ幼稚園だし、小学校に入学したのが、札幌市立幌西小学校ですが、どうしても私とは似てもにつかないところでした。いわば、あの札幌のハイカラさが私には合わない気がします。
 
 そして、きょうからは、「名古屋」です。愛知県でもなく、中部地方でもなく、「名古屋」です。そしてここは、私の家族は、南区、千種区、北区と3カ所住みました。小学校は、私は3校でした。でも、どうしても私とは合わない地方という気がずっとしています。まあ、とにかく異常に暑い街でしたね。
 でも、そんな街である、名古屋のことを今はよく知りたい、好きになりたいという思いがします。これは私が気弱になったのかもしれないことです。訳の判らないこだわりばかりで世界を見ている私よりも、名古屋の存在のほうが迫力があるようにおおいに感じています。
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