10110209  周の漢詩入門「梅田雲濱『袂別』」で思い出したことがあります。
 どこの飲み屋でしたが、思い出せないのですが、私がいきなり詩吟をやりました。「黒澤忠三郎『絶名詩』」です。まあ、私はどこでも詠うのですね。最初に「佐野竹之助『出郷作』」をやりました。私がたしか40歳くらいのときでした。
 ちょうどそこには、65歳から70歳くらいの方が二人いました。そのお二人が、私の詩う詩吟に文句をつけ始めました。なんでも詩吟というのは、「そんなに大声で詩ってはいけない」というので、それでそのおひと方が、この『決別』を吟われました。
 私は当然静かに聴き始めます。「妻は病床に臥し 児は飢に泣く」と始められましたが、その起句だけを詠われるだけです。当然にこの句は威勢よく詠いだすものではありません。だがいつまでもおやりにならないので、私はこの七言絶句もすべて詠いました。
 でもまた「そんな大声で詠うものではない」ということで、でも私はこの梅田雲浜の気持が入っていれば、大声で詠うのは当然だと思いますから、納得はしません。
 だがお二人とも、詩吟というのは、静かに詩たうもので、あなたのような吟い方はよくないのだとばかりいいます。私は少しも納得はしませんでしたが、お二人の話しはよく、お聞きしました。
 でも、私は「黒澤忠三郎『絶名詩』」も「佐野竹之助『出郷作』」も万延元年3月3日の井伊大老を殺したときの歌であることをいい、この『決別』の「妻は病床に臥し 児は飢に泣く」の雲浜が安政の大獄で殺されたことへの復讐だったことをいいました。
 そのお年寄り二人は、「詩吟というものは…」と言い続けて、そのうち去りました。
 このお二人が帰ってから、店のマスターが、「あのお年寄りは詩吟なんて、何も判っていないで、ただ若い人が詠うのが気にいらないのだろう」と言っていました。
 もうこうしたお年寄りには困ったものです。詩吟がなんであるのか全然判っていないのです。