将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:告別式

12022509 9日が鈴木木工所の社長の奥さまのお通夜でして、10日が告別式でした。それが終わって、事務所に出まして、帰りにぱらむさんの会社に寄りまして、そこで飲み始めまして(実は前日も夜中まで深酒でした)、それから二人で飲み屋で飲んで、そして私はまた一人で、谷中で飲んでいました。「浅野」で飲んで、いろいろなことを聞き、そこにいた3人の元気なおばちゃんの要請で、3曲詩吟をやって、それからまたもう1軒飲みました。この文は、その「浅野」で書いていたものです。もうあそこではいつもずうずうしく電源を借りてインターネットにつないでいます。
 どうしても親しい人がなくなると、それは大酒になりますね。(02月12日 15時22分)

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 4日のお通夜、5日の告別式に行きまして、最後彼の骨をひろいました。
 彼と始めて会ったのは、1973年の11月上旬の埼玉大学のむつめ祭でしたね。そのときからの付き合い会いです。
 浦和市大東の飯場から、よくいくつかの現場へ行きました。そして、彼らが1975年に沖縄へ行きましたときに、私もあとから行きました。
 彼がユンボに乗って、よくやっていたことを思い出します。たくさんのことがありましたね。また彼がたくさんの綺麗な蝋燭を作って、それをチィーちゃんが中野ブロードウェイセンターで売っていました。私はいくつも買いに行ったことがあります。あれは、1979年くらいのことかなあ。
 写真は、葬儀場で、葬儀場の上を撮りました。なべちゃの顔がひょっとしたら見られるかなと思ったのです。
09070508 そしてもう一つの写真は、彼の遺骨とその遺影です。そして映っている右手は、私の隣に座っていましたチィーちゃんの手です。

 もうこれで会うこともないのですね。

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 私の母が亡くなりまして、21日の告別式が終わりまして2日目です。
 ここで、お通夜に来ていただいた私の埼大の学生運動での先輩Nさん、ありがとうございました。翌日22日にはIさんに、告別式に出席いただきました。私の母とは接したことがなかったかと思いますが、兄の挨拶で、母のことは少しはお判りいただけたかと思っています。それにメールやケータイメールでお悔やみをいただいた方、ありがとうございます。またさきほども、御香典を私のこの王子の家に届けていただきました方や会社の方、わざわざありがとうございます。私ども兄弟の申し合わせで、もう母のことは、知らせないで内輪で済まそうと話していたもので、私はインターネット上のブログでの広報のみでした。でもそれでも知っていただいて、わざわざありがとうございました。
 それと告別式のときに我孫子の斎場に時間的に間に合わなくて、それでも来ていただき、私の兄の家にお花を届けていただきましたFさん、ありがとうございました。私の義姉も実に嬉しがっていました。義姉はよくFさんのことを知っているのですね。それで、今度私の次女も集まれるときに、王子に来てください。王子のほうが、あなたの家にずっと近いものね。

 母の葬儀は、お通夜も告別式もすべていい式だったと思っています。母の真面目で、でもいつでも元気で快活だったところも顕れていたかなあ、なんて思っています。

 今後私の娘や孫の前で、母のこと、父の思い出も話すことがあるかと思います。

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6c919439.jpg 14日に私の母が亡くなりまして、きょう20日がそのお通夜です。明日21日が告別式です。それで本日のお迎えも、明日のお迎えも私の長女がやります。よろしくお願いします。母にいっぱいのお礼とお別れをいいます。(8/20)
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 明日20日が母のお通夜です。私の母、萩原たか子の通夜・告別式 に書きましたように、「アビコセレモアホール」ですが、私は、父のときも同じでしたが、母のすぐそばで一緒に過ごして21日を迎えます。父のときも、私は通夜のあと父と一緒に過ごしました。
 今度も、もうお酒はそれほど飲まない私ですから、ずっとインターネットやっているしかないのですが、ここはインターネット環境はどうなのかなあ。
 25日は、告別式のあと、焼場へ行きまして、最後までずっとおります。母の骨を拾います。
 だから、王子の家では、義母のデイサービスもあるので、義母の20日のお迎えはおはぎに頼まないとなりません。だからおはぎはお通夜にはこれないのです。それで、21日は義母を妻が送って、お迎えはまたおはぎに頼むしかないのです。

 きょう義姉と電話で話すと、母の棺には、家族の写真を入れるそうです。そうすると14日に私が持って行きました、おはぎ家族3人の写真、ブルータスの結婚式の写真はいいのですが、私たち夫婦二人の写真がありません。あとで、おはぎに撮ってもらうつもりでいます。
 母に、あと必要なものは何かなあ。私の手紙は入れるとしても、あとは何かなあ?

 とにかく、母のことをいっぱい考えます。いっぱり思い出します。

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 私の母、萩原たか子の通夜・告別式ナミちゃん から次のコメントをいただきました。

1. Posted by なみんと    2007年08月15日 07:05
母上様のご冥福を心からお祈り申しあげます。

 周さんお寂しくなりますね。
 酷暑の折お体をどうぞお気をつけて
 くださいね。

 ありがとうございます。
 でもね、私は寂しくなんかはないですよ。いつも元気な母でした。いつも私たち家族を日本中連れて回った母でした。そして連れて歩いていたのは、私たち子どもだけではありません。莫大な数の秋田犬も連れて歩きました。
 そして実に困ったのが、自分の亭主である私の父だったでしょう。

 思い出すのですが、引越というと、もう毎度のことですが、父は、「じゃあ、頑張ってやるぞ!」と声をあげて宣言するのですが、朝8時からやるとしても(母は、もう7時頃食事が終わるとすぐやっている)、もう昼前には、どこかへずらかっています。でも母は逃げるわけにはいきません。
 そして引越した先でも、父は、もう運んできたものを、捨てたくなっています。でも母は、もうすべてを収納していきます。思えば、息子3人の転校の手続きも、すべて母がやっていたのです。あの頃は教科書も無償じゃないから、すべて1冊づつ、その出版社の販売店に買いに行っていたのです。私が覚えているのでも、札幌から名古屋に行ったときに、名古屋はもう非常に田舎チックなところで、母は大変に苦労したようです。そして、そのあとの鹿児島も大変でした。鹿児島の人は、名古屋も東京も区別がつかないのです。
 ああ、そういえば思い出した。そのあとの横浜の人も、非常に阿呆が多くて、私が鹿児島から来たというので、私の同級生なんか、今でも私を鹿児島人だと思っているのよ。あのねえ、もう面倒だから説明はしないけれど、彼等は何度もそのことは知った機会があったはずなのですが、ばかばかしくて、いや彼らは馬鹿で、嫌になります。今もクラス会のたびに、この馬鹿さ加減に呆れています。
 でもだから、私の母は、どこも嫌いだったでしょうが、最後に住んだ我孫子が好きだったのでしょうね。私は何度も見舞に行ったとき、自転車で走る我孫子を見ていて、「母はここが好きになったのだろうな、俺も好きになれる街なのかなあ?」なんて感じています。

 私の母は、もう勝手に生きた父とあの世であって、「やっぱりどうしようもない人だ」と思っているだろうし、父も勝手なことを言っているでしょう。
 今はお盆ですから、父も家に戻ってきているはずですが、どうなのでしょうね。私の娘たちも、いつもこのお盆のときにも、「もうおじいちゃんはせっかちだから、もう勝手に来て、また勝手に帰ったんじゃない」と言っていました。

 もう今の母は、身体から離れたわけなので、この暑さも感じないでしょうね。そのことは嬉しいです。

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 私の母である萩原たか子(大正6年10月21日生まれ)が我孫子市つくし野病院に入院中のところ、本日8月14日脳梗塞にて午後1時46分亡くなりました。母は享年89歳でした。
 通夜・告別式は以下の通りです。喪主は萩原莞爾です。

通 夜 8月20日(月) 18:00〜19:00
告別式 8月21日(火) 10:00〜11:00
会 場 アビコセレモアホール
     270-1166 我孫子市我孫子1−14−10
        電話 04-7165-4444 Fax 04-7165-6500
        http://www.machinavi.biz/abiko-ceremoa/
         (JR常磐線我孫子駅北口徒歩2分)

 なんだか、こうして母と別れてしまうのですね。

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