将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:周の今週のコンサル

11013003 いつも社員を求めている会社の社長と私が話している内容です。
 まず1社はいつも女性社員を求めています。けっこう広告費を使ってきました。でも広告会社のアドバイスから、正社員ではなく、まずアルバイトから使って、できたら正社員にという作戦を考えたのですが、まず少しも応募がありません。アルバイトとしても時給も高いです。仕事は事務仕事です。ただし、パソコンは使いこなせないと駄目です。でも応募自体がほとんどありません。ただ、とにかく人がいりますから、派遣会社にいつも何人も頼んでいます。たぶん、会社の所在地が山手線の東外側なので、応募がないのだろうということで(これは私もそう判断しています)、今年山手線の中側に移転する予定です。もう1社は、熟年の女性が多い会社なのですが、仕事の現場をたくさん抱えています。それで、社員の募集をしておりますと、もちろん男性の応募もあるわけです。そこで、40代後半から50代の男性の問題があるのです。
 この年代の方は、けっこうな大会社に長年おられまして、けっこうな経歴です。そしてリストラになったあと、1年くらいに渡って、パソコンやその他いろいろと学んでおいでになります。資格も取得されている方が多いのです。

  私は○○と××の資格ももっています。パソコンはワードもエ
  クセルもできます。

という方々が多いのです。そうすると、ぜひこちらとしては、ある現場を任せきりにできる方(もちろん部下に女性はつけます)だと思うわけです。当然ですね。だいいち、責任のある仕事を仕切らせないと失礼だと思うわけなんんです。
 でもそうすると、彼らのほとんですべては動揺するのです。「自分一人じゃできない」というのですね。実は彼らは、大会社にいたときは、その会社の看板で仕事をしていたわけで、そして部下も大勢いたから、どうにかやれていたのです。自分一人で、一つの現場を仕切ることなんて、思いもよらないし、自信もないのです。せいぜい、誰かと会って名刺交換して、それで話をすればいいという仕事ばかりで、仕事を全部自分が仕切るという考えが持てないのです。
 だから、結果として使えません。過去あるいはリストラ後にとった国家資格とか苦労して学んだパソコンって、一体何になるのでしょうか。過去の華々しい経歴とは一体何なのでしょうか。
 私は転職ばかりしてきました。そして違う業界ばかりです。でもその新しい職場では、必ず私が最先頭でなにもかも仕切れるように振舞ってきたつもりです。これはどこでも誰でも同じだと思うんですがね。
 就職難で大変だというけれど、私の目の前に展開しているのは、このようなことばかりです。(2002.02.04)

11012907 お正月になったと思っていましたら、もうすぐ2月になりますね。どんどん時間の経つのが速くなります。私が20代前半の頃は、もっともっと時間の過ぎ方が遅かったように思います。中学生の頃はもっと時間はゆったりしていた思いがあります。その頃から、「もっと大人になれば、気持も生活ももっと余裕が出てくるのだろう」と思っていたものですが、年を取るごとに、逆にどんどんと余裕がなくなり、焦る気持ばかりになります。「いや、きっと30代になれば、もっと落ち着くサ」という思いでいましたが、それもまた裏切られてきました。「でもでも、きっと40代になれば」「子どもが大学生になれば」「50代になれば」という思いばかりで、すべてことごとく裏切られてきました。それどころか、ますます心に余裕はなくなり、「もう間に合わないんじゃないかな」なんて思いにまで至りました。
 なんで、こうしてだんだん年を取るごとに、心に余裕がなくなり、かつ時間の過ぎ方が速くなるばかりなんだろうと考えてしまいます。この感じ方に、次のような言い方があります。
 私は現在53歳ですから、私にとっての1年というのは、私の人生の53分の1年になるわけです。20歳のときの私には、20分の1年なので、だから私たちには、その1年の過ぎ行く速度が違って感じるのだという言い方があります。これは妙に私は納得してしまうのですが、どっか間違いなような気もするんです。どうなんでしょうか。
 実際に会社を経営している方は、こうした自分の心の中の時間の速度だけではなく、会社の経営や仕事での時間経過も焦ることが多いですから、それがまた心の負担になっていきます。見積出して、打ち合せて、そしてやり抜いて、請求書出して、仕入れを払って、そして手形を落とすことを考え、といいますと、これはもう大変な心労になるばかりです。
 先週何人かのクライアントの社長と話していまして、こうした時間の経過のことと、自分の心の余裕なんてことを考えていました。
 そんなときに、私はやはり吉本(吉本隆明)さんの言われる「自立」ということを考えます。どんどんと年を経るごとに、いわば崖っぷちに追い詰められるようになる気持の中で、「いや崖っぷちだからこそその場で踏ん張るのだ」という思いが大事なんだなと思うのです。(2002.01.28)

11012806 先週ある方へのメールで書きました内容をここで披露しましょう。

 鍼灸って、競合が多すぎて大変だと思うのですね。どういう専門学校か判らないのですが、たぶん、鍼灸も整体のコースもあると思うのです。それで開業の場合は、整体とか柔道整復師は、お客は今の保険制度が使えますが、鍼灸院は使えませんよ。だからその分は鍼灸医は大変です。でも整体士だって大変ですよ。もう随分前から資格を取る人が多すぎて飽和状態なのだと思います。
 あの、ご自分の家の周りを見られるといいと思うんです。どんな街でも、魚屋でも肉屋でも、みな一つの地域には一軒だけというような仁義がありました。でも、この整体士とか鍼灸院とかついでに美容院というのは、そうした仁義がありません。平気で、やっている院のそばに新しい院ができてきます。
 私は前に書きましたように鍼灸の先生では二人の方と親しいのですが、柔道整復師の方とは3人の院のコンサルをしたことがあります。1つだけは、ものすごく繁盛しました。あと二つはまったく駄目でした。とくにその駄目な一軒は、「なぜこんなところに開店したの?」ということでした。地図を開いていけば、もうその院の周りにはいくつもの整骨院や鍼灸院がたくさんあるのです。基本的なマーケティングを何もしないで開業してしまったのです。こういう人の多いこと。
 大繁盛している院は、その院長が実は私より2歳下でしたが、赤軍派草創の頃の活動家で、その後広告代理店でサラリーマンもやっていまいして、実にお喋りなのです。昔赤軍だったことなんか、少しも隠しません。酒のみだし、いろんなことが話せるのです。みな保険が使えるので、どの医院に言っても同じみたいなものですが、彼のところは院長の話が面白いのです。もう医院は、おばあちゃんたちの笑い声が堪えません。若い女性も男性の院長の前で肌をさらすわけですが、この院長だと、もう安心してしまうのです。もちろん、おじいちゃんや若い男性にも、この院長は人気ものでした。
 もっと詳しく話せればいいのですが、要するに、いろいろと大事なことがあるんですよ。(メールの内容は以上です)

 私が通勤するときにも、このことを感じています。驚くことに、美容院や鍼灸院や整骨院は、同じ職種で、すぐそばに開業しているなんてのをよく見かけます。「さて、どのくらい保つかな」なんて思っていますが、早いところは1年でなくなってしまいます。この職種は飲み屋とは違うんです。少ない客をわざわざ分け合うのですから、当然経営的に苦しくなるのは当りまえなのです。
 とにかく最初の最初に必ずマーケット調査をするのは当りまえなのですが、そんなことは考えない人が多いことと、そうした指導をする人もいないようです。(2002.01.21)

 私は毎年初詣は神田明神へ行きます。例年2日に家族で行きまして、家族の健康等々を祈念し、会社の仕事はじめにまた行きまして、クライアントと自分の会社の社運隆昌を祈念します。
 それで今回思ったことなのですが、いくつもの会社で経営に関する指導をしておりますと、経営者や社員の中には、次のようなことを聞いてくる人がいるものです。

  私はどうしても、自分の手相とか家相とかいうものが気になる
  たちなのですが、こういうのは非科学的で、気にしないようにす
  べきなのでしょうか。

11012708 言葉は違いますが、経営者でも社員でも、自分個人のことのみならず会社の経営に関しても、どうしても神に祈ってみたり、あるいはどこかの占いの名人とかに聞いてみたりしてしまう傾向のある方は多いものです。
 それに対して、私がどういう答えを言っているのかということを書いてみましょう。昔ある方が自宅を引っ越しするにあたって、その子どもさんが聞いてきたことがありましたので、そのことを例とします。
 なんでも会社の経営がうまく行かなくなったので、社長の自宅兼事務所を売却して、もっと小さな土地に移転したのです。だが、その子どもさんにとって、なんだかその新しい家はなじめなかったのかもしれませんが、彼が言うのには、その新しい家に移ったら、いろいろと嫌なことが起きてきたようです。飼っていたペットが亡くなったり、父親や兄弟が病気になったり、野鳥が庭に落ちて死んでいたりといろいろです。それで、なんだか家族みんな暗い気持になっていることで、彼は子どもながら、これは、この新しい家に、何かよくないものが憑いていて、悪さをしているのではないか。それなら、どこかで「お祓い」でもしてもらうべきではないのかと考えたのです。でもそれを家族に言いだすのはなんだかできなくて、それで、私に愚痴を話したものでした。
 私は丁寧に話を聞いたあと、こう言いました。

  私は、家相だとか、家に何かが憑いているととか、そういう類
  のことは判らないんだ。でも、なにか嫌なことが連続して起きて
  いるのは、確かみたいだから、それを乗り越えていくのには、ま
  ず家族全員が仲良く明るくなることだよ。まずね、みなで毎日朝
  起きたら、元気に挨拶することと、それからみんなで新しい家の
  周りを掃除したらいいんじゃないかな。綺麗に丁寧に、自分の家
  ばかりじゃなく、その周りまで掃除したら、みな気持よくなれる
  と思うよ。そんなことでみんなが気持よく明るくなれれば、もう
  大丈夫だよ。でも、まだ不安だったら、家族みなで、どこか近く
  の神社へでもピクニックのつもりで行って、そこの神様に、「こ
  れから家族みんなで仲良く元気にやっていきます。見ててね」っ
  て宣言すればいいと思うよ。

 彼は、その暗い嫌な思いを思うことと、誰かに言うことがなんだか「非科学的だ」と言われてしまうのではと恐れていました。でも私はそんな恐れる思いはどうでもよくて、こうして家族みんなのことを思う彼の気持こそ大事だなと考えたのです。
 彼は、「判りました。みなに言ってみます」と明るい声でいいました。
 私はいつもこのようなことを言っています。
 私がいつも神田明神へ行きましても、神様に何かをお願いするのではなく、なんらかの決意表明で行くのです。正月には昨年の報告と、今年やり抜くことの決意を表明しに行くのです。(2002.01.14)

 私が絶対使わない言葉があります。仕事をするにあたって、その仕事を「できうる限りの努力」でやるというような表現です。これは私が昔学生運動でも労働運動のときでも、決して使いませんでした。また同じような言葉に「一定程度の対応」というのがありました。当時の敵対勢力である日本共産党に対して、

  これだけのことをやって来た以上、こちらも一定程度の対応を
 する

などとアジる先輩たちには、

 「一定程度」なんて、何をやるのかさっぱり判らない。「こうなっ
 た以上ゲバルトで対応する」とかはっきり言え!

というように怒っていたものです。同じくまた「できうる限りの対応」なんていう言葉にも、

  それは、自民党か共産党の答弁だよ。「できうる限り」という
 ことは、でき得ないことはやらないということじゃないか。「何
 があっても絶対やる」というべきだ!

と言っていました。
11012605 これは労働運動のときにもそうでした。私は「無期限ストライキ」ならそれを絶対に完璧に貫徹しました。スト破りは徹底して粉砕しました。「できうる限り」ではなく、「絶対に貫徹」したものです。
 これは仕事でも経営でも同じことだと思うのです。経営者でも、もっときびしい現実に直面しているはずなのに、こうした曖昧な言葉で、なんだか悲愴感を表してしまう人がいます。私はいいます。「それじゃ、昔の自民党の答弁だよ。どんなことがあっても、そのことだけは絶対やると言いきらないと駄目なんだよ」。
 言葉はいったん口からだしてしまうと、周りも自分をも縛ってしまう効力がでてくるものです。だから自信がないから、どうしても曖昧な言葉で自分をもごまかしがちです。「自分ができうる限りの努力をするというのだから」いいじゃないかと、自分をごまかしているのです。
 もうそんなことでやりきれる事態ではないのだから、自分を律するためにも、「絶対にやる」と言いきるべきなのです。(2002.01.07)

 本日秋葉原を歩いておりまして、いくつものことを思い出しました。第68号の「今週のコンサル」で次のことを書きました。

  おばちゃんは元気だなあ

11012504 この中で、おばちゃんは元気なんだけれど、「残念なことに男性はどの年代通じても疲れているようです」と書きました。このことをまた別なことで書きます。
 どうにも私たちの年代の男性たちは、何故か、「現在が不況だ」ということで、それを皆で確認して安心している気配をものすごく感じています。もう全体的に不況なことは判りきっているわけですが、その中でも自分たちと自分たちの企業はそれをなんとか切り拓いていかなと、さらに苦しい大変な事態になるのに、どうにかして必死にやり抜こうというよりも、「不況だから、どこも大変なんだなあという確認で安心したい」という傾向を私は感じるのです。
 そんな傾向を一番思い出した出来事を書いてみます。あるとき(夏の頃)、ある会合で、私と同年代の方が次のようにいいました。彼はある会社の企画運営部門で、パソコンも自在に使いこなす方です。

  自宅にパソコンを入れようと思って、昨日秋葉原に行ったのだ
  けれど、不況のせいか、あの秋葉原も人がいないでガラガラだった。

「不況だから、秋葉原にも人がいない」ということを何度も繰り返しました。実は偶然私もその同じ日に秋葉原へ行っていました。私は、「いつものことだけれど秋葉原って、どうしてこんなに人が多いんだろう」という思いばかりでした。実に末広町よりの、いろいろな路地にあるパーツショップもいっぱいの人でした。
 でも、同じ日に同じ地域で、どうしてこれほど違う風景を見ているのでしょうか。だがだんだん話して判ったのは、彼の言う秋葉原とは、誰もが行く方向ではなく、須田町のほうへ向かって歩いて行っただけなのです。たしかにあちらにもパソコンショップはありますし、かつ有名なのは、ただ箱だけを並べていてもう価格だけで、買うだけの店です。彼は過去に、誰かの案内で、そこにだけ来たようです。でもあの店は昔も今もそんなに混んでいません。私だってそこへ行くときは、もう価格的に「買え」て在庫があるというときだけです。混む店ではありません。でも彼はもうそこが秋葉原だと思い込んでいるのです。その周りにもたしかに何軒かショップがありますものね。
 でも彼の頭にあったのは、「今は不況だから、どこでも物が売れないのだ」という思い込みだけなのです。だから、秋葉原駅で、たくさんのパソコン部品を抱えている人たちが、一体どこの方向からの流れなのかということなんかを見極めることができないのです。
 だから、私は説明し、かつこの日は秋葉原ではない、もっと小さな町だったのですが、そこにあるパソコンの量販店へ彼を連れていきました。店はいっぱいの人でした。
 でも彼には、目の前の事態よりも、自分の思い込みのほうが確かだと今も思っているかもしれません。
 もう来年こそ、こうした硬直した思考法とは、みなさんおさらばしましょうね。(2001.12.31)

11012310 ずっと北方謙三「三国志」の文庫本が発売されるたびに読んでいます。いよいよ劉備の前に馬謖が出てきまして、諸葛孔明の話としても佳境に入ってくるなと思っています。
 ところで、この三国志の世界を読んでいまして、思い出したことがありました。1997年12月6日の朝書いていたことです。

 今テレビ朝日で、土曜「やじうまワイド」を見ていましたら、後藤さんというスポーツキャスターが、先日の東京女子マラソンで注目したこととして、次のように述べていました。
 35キロすぎで、1位に飛び出した伊藤選手に対して、彼女の監督である山下佐知子さんが、歩道を伴走しながら、

  後ろから来ているよ、あなた危ないよ、死ぬ気で走れ!

と励ましたというのです。ちょうど1位に出たときに、走っている当人も道でみている人たちも「よかった」とほっとしているときに、こうした強烈なアドバイスをしたわけです。走路はちょうど少し登るところで、やがて下がる道になります。そうすると2位の外国選手がそこでスパートできることがあるのだそうです。だからこそこうして「死ぬ気で走れ!」と伝えることにより「そうしないと追いつかれるぞ」と伝えたわけです。これは監督指導者として適確なアドバイスであると思います。
 これは一見酷なアドバイスに思えますが、これこそが走っている本人をこそ救うわけです。かの三国志の世界でも、死地に陥った将兵たちを、こうした言動で強兵に変えてしまう諸葛孔明を始めとするすぐれた指導者の姿をいくつもみているように私には思えます。山下監督の優れた資質をおおいに見せてくれたように思います。
 また、こうしたレポートをしてくれた後藤という記者も優れた方だなと確信します。

 やがて「孔明泣いて馬謖を斬る」にまで至ってしまったことを思いますと、孔明はこうしたアドバイスが最終的にはできえていなかったのではないかと私は思いついたものでした。(2001.12.24)

11012204 先日ある会合で聞かれました。私が経営コンサルタントということなので、ある方が

  何が専門なのですか?

とい聞いてきたのです。これはよくあるのです。いろいろな本にも書いてありますからね。

  経営コンサルタントといっても、それぞれの得意分野があるは
  ずです。専門が何だと答えられないコンサルタントは駄目です。

というような内容です。
 私が昔ある勉強会で、習いました経営コンサルタントの先生も次のようなことを言いました。

  あなた方は、自分の専門分野が何なのかをはっきりさせるべき
  です。温泉へ行って、芸者さんを見てごらんなさい。ある人は、
  三味線をひく、ある人は太鼓をたたく、ある人は歌を唄うという
  ふうに、みなそれぞれ、その得意分野を持っているのです。

 この言葉を聞いたときに、私は呆れ果てました。「なるほど、この人には、どこの会社の経営者もコンサルティングの依頼はしないはずだ」。彼は私より15歳くら年上で、ある大会社に勤めていました。副業で経営コンサルタントとしても名刺を持っていましたが、こうした勉強会を主宰はできるものの、会社のコンサルティングはやったことがない先生でした。私はその場では黙っていましたが、要するに次のようにいいたいのです。

  何を言っているのですか。あなたはちゃんと温泉で芸者さんを
  見ているのですか。例えば、石和温泉(実は直前に石和温泉に行っ
 ていました)にでそんな姿を見られますか?

 温泉の芸者さんたちでも、太鼓をたたくだけでは、お客に呼んでもらえません。そんなことじゃないんです。よく見ていれば判るはずですが、そうした芸者さんたちの中でも、必ずプロデューサー役をやっている芸者さんがいます。いわばそれが経営コンサルタントなのです。
 会社の経営者からの相談事では、どなたからの紹介だと(例えば弁護士さんからの紹介とかいうとき)、その相談の内容ははっきりしています。だが、もう顧問関係になっているところの会社の社長とつき合うのには、その悩みを専門分野に分けることなんかできないのです。一番の問題点というのは、その社長自身がうまく表現できないところにあることが多いのです。だから、そこでその社長の信頼をかち取るには、こちらが全面的にあらゆることにプロでなければなりません。そして、経営に関してすべてが展開できないとしても、それを理解指摘できるたくさんのブレーンを持っている人でないと経営コンサルタントとしては失格だと思います。
 また、人からの紹介でも、「とにかく会って話を聞いてあげて」という依頼もよくあります。そんなときに、話を聞いてから「それは私の分野ではない」なんてことが言えるわけがないじゃないですか。(2001.12.17)

11011614 今回、ある方のホームページを作るのにおつき合いしました。私とやっていますと、みるみるうちにでき上がっていきます。やはりその場で、いろいろと指摘して、そしてFTPでUPして確認できますから、間違えていれば、またそこでその間違いを分析指摘して、それで直すことができます。はやりホームページを作るのには、このやり方が最適だなと私は確信しました。おそらくご自分一人で懸命にやっても、なかなか先に進みません。最初の最初は、こうして手取り足取り教えてもらうのがいいようです。
 実は私のホームページ作りの最初も、この方法でした。最初は10ページばかりのメインページをすべて作ってもらったのです。それでUPしていきまして、もう間違いだらけでやっていましたが、どうやら少しずつできていきました。そして大事なのは、アップロードしてみてはじめて、自分のホームページ作りに関する考えが変わって行ったものです。最初に私の頭の中で構想していたこととは、随分違って考えるようになったのです。これが大事なところかなと思っています。
 私はある会社で、かなりなパソコン使いの方が、自社のホームページを作ろうと何年も頑張ってきたのを知っています。電話でいつも「もう8割はできているんですけれど」というセリフを聞いてきました。それがどんどんと8割5分から9割と進んできたのですが、今もインターネット上にはありません。私とは顧問関係のある会社ではないし、その担当者は私よりもはるかにパソコンに精通された方ですから、あまり詳しくお手伝いするわけにもいきません。ただ私は「とにかくサーバーに早くアップロードしたほうがいいですよ。それで実際に見られると、考えが変わってきますよ」と言ってきましたが、なんだか完全な形でUPしたいらしく、今もできてきません。
 とにかくホームページを作られるのなら、最初の最初は誰かに、よく聞いて、かつ数ページを作ってもらってもいいから、とにかくUPしてしまうことです。(2001.12.10)

11012104 1、2日と文教大学父母と教職員の会の関東ブロック研究会に参加してきました。参加者は50名くらいで、私たち団塊の世代とその前後の方が多いのです。そこで感じましたのが、現在の40代後半から50代前半の女性たちの元気なことです。私の次女も1年前に大学の硬式テニス部でツアーで四国へ行ったときに一緒になったおばちゃんたちの元気なことに驚いていました。夜も元気に飲んでいて、朝は早いし、昼もあちこちへ見物にどんどん走りまわります。それに比べて、娘たち大学生は、バスの中で寝てばかりだったそうです。「なんで、おばちゃんて、あんなに元気なの?」なんて言っていました。
 そんなことを今回私もおおいに感じました。それがこの研修の場だけではなく、彼女たちの日常も同じなんだろうなと充分想像できます。
 私のいくつものクライアントでも40代50代の女性たちが元気です。残念なことに男性はどの年代通じても疲れているようです。
 それで、今回思いついたことがあります。いや、これはある女性に言われたことなんです。私もけっこう元気に毎日さまざまなことをやっているわけですが、この感じというのは、この同年代のおばちゃんたちと同じ感じだということなんです。ある方に「周さんて女性みたいね」と言われました。私も男性と話していると、だんだんと「もっといっぱいいろんなことやろうよ」とばかりになんだか説教じみた言い方になってよくありません。でも女性たちと話しているとうなずいていることが多いのです。男性は、ある部分では奥さんに頼りきりという姿勢が見えてきてしまいます。おばちゃんたちは、自分の夫にもいいたいことをいい、今後の人生でもやりたいことをやりきろうという姿勢が見えてきます。
 こんな女性たちはいいなあ、と思いますし、もっとつき合っていけたらいいなと思っています。私のクライアンとでも女性だけの会社が2社ありますが、元気ですよ。(2001.12.03)

11012004 今回埼玉大学のむつめ祭へ行きまして、現役の学生さんとお話しましたが、かなり就職難なのを感じました。やはり大変な事態なのですね。そこでいろいろなことをお話しました。私の娘にも言ってきたことです。そしてこのメルマガの第24号でも言いました内容です。それは以下で読めます。

  資格取得よりも友だちを

 私は娘二人には、大学では生涯に渡ってつき合うような友だちを作れるときだから、大学の勉強なんかどうでもいいから、そういう友だちを作りな、と言ってきたものでした。もちろん小学校から高校までの友だちでも、大学のときにもつき合っていれば、そういう関係になれることはあるが、とにかくこの大学生活での友だちというのが大事なのだと言ったものです。
 私は娘の友だちもけっこう知っていますから、とてもいい友人たちであることを知っています。長女が就職したのちも、みなでよく会って、自分たちの職業上の悩みをよく話しているのを聞いています。
 実はついちかごろ、ある講演で、大学生が大学在学中にやるべきこととしてパソコンと英語と資格取得ということを言われた方がいました。パソコンは、ワードとエクセルは完全に使えるようになること、英語は喋られるようになること、資格は「会社に就職するのには、弁理士、弁護士、公認会計士の3つの資格が有利だ」というお話でした。
 私は首を傾げざるをえませんでした。ワードなんて私は一切使いません。それで困ることはありません。ときどき、あちこちの会社でワードを使っている方が画面を指さしてその使い方を私に聞いてくることがありますが、これは少しは困ります。でもそこで教えられないことはまずないですね。判らない場合は、ヘルプ等々で判るようになっているじゃないですか。エクセルなんて私は年に2度くらいしか使いません。もすぐ年末調整の季節になると、使うわけです。でもあんなの、特別に勉強する必要あるのかな。
 英語は確かに話せたほうがいいでしょう。私なんか、米国人等々と話すときは、英語日本語混じえて、目茶苦茶ですから、まあ、もっとしっかり話せたほうがいいのでしょうね。
 3つの資格の話はどうにも理解できませんでした。たしかに企業内に弁理士を抱えていたいという会社はあるでしょうね。ただ、よっぽど優秀な弁理士でないと話になりませんよ。第一企業内で育てられるのかな。
 自分の企業内に弁護士を抱えている会社が多々あることは知っています。これは経費的にも安くすむかもしれません。そして企業内でも、だんだんと使える弁護士に育っていくことも可能だと思われます。でもそれほどの規模の会社って一体どのくらいあるのかな。
 会計士は、単なる経理屋ではありません。いったいこんな人がいるのかな。上場企業とかこれから上場したいというのなら少しは判りますが、ほとんどの会社では、パソコン経理が完全にできる方か、あるいは財務が完璧に理解できる方のほうがいいのではないでしょうか。
 そして私から言わせていただければ、その講演の対象であった大学生は、以上の3つを取れるような学部を持っていません。また東大法学部じゃあるまいし、在学中に弁護士資格を取れるような学生は皆無です。
 私なら私の娘に言ったことのようなお話をします。それのほうが、ずっと大学生の彼彼女には、有意義なことであると私は思っています。(2001.11.26)

11011904 以下は、つい近ごろ、私のクライアントのホームページの掲示板に書き込みましたものです。これはそのクライアントで昼にお話したことをまとめて書いたものでもあります。

 じゃじゃ馬さんが文藝春秋に塩野さんが書かれた内容をUPしてくれました。とてもありがたいです。私も塩野さんの長年のファンです。私のホームページには『「周の書評(塩野七生篇)」』があります。
 ところで、私はファンではあるのですが、近ごろの彼女の言われることにときどき不安になります。
 昨年の9月にNHK教育テレビに出演されまして、「ローマの歴史」の話を若い作家と対談していました。その2日目にネロ皇帝の時代をやっていました。私はそのときだけ見たのですが、とてもいい対談でした。ただですね、私は少々「やはり、これはどうなのだろうか?」と思うところがありました。私とはたぶん意見が違ってしまうだろうというところです。

  政治って、実にエロチックなものなのよ。だから、できたら、
 政治家というのは文人がやればいいのよ。私たちは、フランス革
 命で人間は平等で自由だと教わってきたけれどもね、やはり文学
 者が政治をやれば政治がそもそもエロチックなものだと判ってい
 るから、うまくいくはずなのよ(だからネロは駄目だった、その
 政治の魅力に溺れたというのかな)。プラトンがいうのはそうい
 うことだと思うのよね(これは「哲人政治」のことかな)。

 非常にわかりづらい発言だったのですが、私はこんな風に聞きました。私に言わせていただければ、これは「誤り」です。彼女は歴史を見てきて、どうしてもこう思うのかもしれません。でも私は違うんじゃないの、といいたいと思います。彼女は政治家というのは、すべて優秀な人間であるべきだ、強い人間であるべきだというのだと思います。だからネロでは無理だったのだ、やはりユリウス・カエサル(おそらく七生さんが世界で一番好きな男でしょう。マキャベリよりも、チェーザレ・ボルジアよりも好きでしょう)のような人が政治をやればいいのだというのでしょう。確かにカエサルは「ガリア戦記」も「内乱記」も書いた文人としても優秀な方です(「ガリア戦記」はいまでも欧米人にとってはラテン語の最高の教材だそうです)。
 私は政治というのは、いわば「素人でもできる」「素人こそができる」ものでないといけないと思っています。いや、いまは素人とプロに区別ができ得ない、とくに「政治」というのはそういうものだと思っています。民主政治がともすれば「衆愚政治」になってしまう姿をたくさん見ていたプラトンは、優秀な哲人のみが政治をやるべきだ、そうすればうまく行くと考えていました。今でも、同様のことを考えている方はたくさんいます。「今の政治は複雑になっているから、もはや専門家がやるべきだ」という主張は、どこでもよく聞くことです。そしてさらには、多くの大衆というか国民は、政治に参加するのは「選挙」にみに限って、政治は少数の専門家がやったほうがいいのだと主張する新民主主義派という人々もいます。でも私にいわしていただければ、それは、ナチズムでしかありえません。
 おそらく七生さんは、マキャベリの主張をもっとイタリアの君主たちが受け入れてくれれば、あるいはチェーザレ・ボルジアがあんなに早く亡くならなければ、イタリアの統一はもっと早く(歴史の事実よりも、ものすごく早くなるわけですが)なっていたのにという思いなのでしょう。
 私は政治というのは、例えば、私が昔住んでいた町内のゴミ当番のようなものだと思っています。私の住む我孫子市では、ゴミと資源の分別が昔から細かくて、その町内では、住民が替わりばんこに、収集の場で朝7時から8時までいて、整理することになっていました。私もよく、背広姿ですが(出勤前だから)、軍手ほかをつけてやっていました。私はこのやり方が好きでした。おそらく未来の政治の姿もこのようなものだと思っていました。

  え、来年から俺が「政治当番」かよ。嫌だな。俺は魚屋だよ。
 俺のさばくマグロの中おちは美味しいよ。政治当番なんて面倒
 だな。でもみんなで決めたことだからやるよ。みんなやってい
 るんだものな。

というのが、未来の政治の姿、本来の政治の姿だと思っています。
 そして、実はこれは政治に限らず、会社の経営でも、なんでも同じじゃないかななんて私は思っているのです。
 とはいえ、私が七生ファンであることは替わりありません。(2001.11.19)

11011709 私のクライントでのお話です。さまざまな不動産の販売を依頼されています。女性だけの会社で、その女性といいましても、40代50代の経営者社員の方々です。
 その販売依頼の中で、高額なマンションがあり(もちろんいくつもあるわけですが)、ある新しい販売のプロジェクトの打合せで、こちらの社長が驚愕したことがありました。
 それは、その販売の受付係としてプロのモデル嬢と契約したというのです。そしてこちらの会社にも「もっと若い人を入れてください」と言われたそうです。まったく私にも驚愕する話でしかありません。
 このクライントのホームページの掲示板に、私が書き込みしたのが以下です。

Re: 受付係にモデル嬢が来るそうです 周 2001/11/10(Sat) 05:20:12 No.179

 これを読みまして、なんだかがっかりです。私も綺麗な女性は好きですが、それでも

厳しい市況に勝つには、販売スタッフの若さや、美貌や、スタイルが必要。男の経営者は本気でそう思っているようです。

とは絶対に思いません。女性でも男性でも、「綺麗になりたい」とか「若々しくいたい」とか志向することはいいことだとは思いますが、

きれいなモデルさんがいるとマンションが高級に見える。きれいなモデルさんがいると販促に繋がる。

てなことで、購買を考えるエンドユーザーはいませんよ。と私は思います。
 それから、

クライアントさんたちから、「○○さん、もっと、若い人を入れてくださいよ。」とは言われています。

 これはセクハラじゃないですか。なんだか、こういうことを平気で発言してしまう企業があるのは嫌になります。

 なんだか、自分たちが企画し制作し、販売している商品の購買層を、このように考えてしまうなんて、まったく判っていないなとしか思えません。ひどい話です。
 それと女性をこのようにしかとらえていないとしたら、これまたどうしようもないなと思います。いろいろなところで感じていることですが、男性よりも女性のほうが元気な方が多いですよ。そして40代、50代になると、そのことがもっと言いきれます。例えば大会社をリストラされた男性たちは、はっきりいいまして「使えない人ばかり」ですが、その年代の女性たちは元気です。
 でもまだこんな会社があるのだなと確認だけはしておこうと思いました。(2001.11.12)

11011610 あちこちで、「パソコンは何を買ったらいいの?」という質問を受けます。私はいくつか詳細に述べます。そしてできたらカタログをあげます。「この3つのうちなら、どれでもいいと思いますよ」。
 でもでも、みなこうした言い方だとパソコンを買うことができないのですね。新宿でも秋葉原でも、私が教えてあげたパソコンを買うために、彼彼女は、大金を持っていくわけです。もう「とにかく買おう」という気持なのです。でもそこのお店の店員も、その彼彼女にいろいろと聞いてきてアドバイスし出します。

 一体パソコンで何がやりたいのか?
 もうすぐWindows XPが出てきますよ。
 これはLANがついています。
 それならDVDのほうがいいのじゃないかな?

等々の問いを受けると、もう彼も彼女もパニックになって、結局そこから逃げ出してしまうのです。なんで、もっと押し売りしてくれないのかな。
 これは困った事態です。だから、もう今後は私がついていくことにしました。私もよく丁寧な店員と言い合いしますよ。店員のほうは、「こんなおじさんだから、ちゃんと商品説明しておかないと、あとからトラブルになる」と思っているのでしょうが、私はその手の説明は必要ないのですよ。とにかく簡単にパソコンを買わせてよ。(2001.11.05)

11011603 もう「平成不況」と言われ続けて長いですね。たしかに、どこの会社も困り果て呻吟しているのが実態かと思います。でも、そうした中でも、堂々と高額商品を売り続けている会社がいくつもあります。私のクライアントでも、「え、この時代に、こんな高額なのに売れるんだ」という事態を目の前にしています。その商品は不動産なのですが、どう見ても高額なもので、私個人なら躊躇してしまうようなものです。でも売れ続けているのですね。それがちょうど私のクライアントで2社あります。またまったく違う業界でも同じことが見られる会社があります。
 それを目の前にして思うのですが、この今でも「購買力のあるユーザーはたくさんいる」ということなのです。ただそれらの人たちが欲しがる「魅力ある商品があまりない」ということだと思うのです。不況と言われながらも、日本の預貯金額が増え続けています。このお金が消費に回れば、この不況なんか吹き飛ぶはずなのですが、「欲しい商品が提供されていない」ということだと思うんです。
 そうした「高額だけれど、ものすごく売れてしまう商品」を見ていますと、その内容が、たしかに「魅力ある付加価値のある商品」だということに気がつきます。そして、その付加価値とは、各年代によってもさまざまに違うわけですが、それを見極めた商品づくりをしているところが、この今現在も成長している会社と言えるのだと思っています。(2001.10.29)

11011505 ある会社でお話したら、「そんな方法があるのか」と驚かれたことがありましたので、そのことを書きましょう。私はいくつも会社を替わってきました。たくさんの会社に採用されるために恐ろしいほどの履歴書を書いて提出してきました。それで、こういう会社があるのです。
 履歴書は提出してあるわけですが、レポート用紙を渡されて「申し訳ありませんが、そこにもう一度あなたの履歴書を書いてみてください。もちろん提出したものと同じでいいですよ」というところがあります。これは簡単に思えるかもしれませんが、実は大変なことなのです。私のように履歴をごまかしている人間にとっては、その自分の履歴がかなりいい加減なのですから、それを再現するというのは、非常に難しいことなのです。だから、こうした人間の採用をどうしても避けたいという会社は、この手を使うようです。
 これは、実際に私も出会いましたし、ある私のよく知っている方の会社でもやっていました。「いい加減な奴は、自分の履歴を作っているから、面接だとごまかせるけれど、書かせると同じものはなかなか書けないんだよ」と言っていました。
 ただし、私の場合は、自分の過去の履歴をもう「こういうものだ」と思い込んでおりますので、こんな場合にもスラスラと書けます。だから、こういう人間にはこういう方法は通じません。
 このごろ、いくつかの会社で、どうみても不良な社員だなという存在を見まして、なんとかそういう人間を採用していまうのを避ける方法のひつととしてお話したものです。(2001.10.22)

11011407 13日(土)にある金型屋さんへ行きました。金型という言葉は知っていましたが、工場を見るのは始めてです。神奈川県のある工業団地の中に会社工場があります。こうした工業団地の中の工場はいくつも見たことがありますが、金型は始めてです。たくさんの機械がありまして、かつそれを制御するパソコンシムテムがありまして、かつどのようなものを作っているのか、かつどう機械を使うのかが、私にも少しは理解できました。
 日本の製造業は強いということを聞くのですが(かつでもだんだん韓国中国が価格の面から強くなってきて、大変だと言う話もおおいにききます)、その理由が理解できたように思いました。やはり、各技術者の腕なのですね。ただ、問題は後継者なのではないでしょうか。私がこれまで、こうした工業団地にある製造業へ行ってお話しましたいくつもの会社も、話は現在抱える問題点のことなのですが、長く話していきますと、最後は「やがて、この会社の後継者をどうするのか」という話が必ず出てきます。このことが、一番困難な問題としてどこでも大変な悩みになってくるはずです。
 私が何年か前に行きました、ある製造業の会社でも、やがて来る会社の相続が大変な事態になるということを私は指摘しました。真面目にやってきまして、しかも社長はその利益を社員に還元し、かつ税金をばく大に払うことによって、国家に対しても真面目でした。そして生真面目さから、自分にはあまり還元することなく、自分の家も自家用車もなにもかも全然小さなもので済ましています。だがあまりな健全な企業なもので、その株価は、もう大変に高額です。上場しているわけではないですから、社長はその株価がばく大になっておいることに、まったく気がついていませんでしたが、このまま行くと、相続税を払うのが大変に難しいのです。後継者に、息子を考えていました。全然違う業種をやっていた息子を口説き落として、自分の会社に入れたのはいいのですが、このままでは息子さんは、相続税を払えないでしょう。社長の自宅を担保に入れて借りるにしても、それほどの自宅ではありません。
 こうしたことで、社長自身は、ちゃんと健全に企業を運営できている以上、自分に対してこそ、投資しておかないと、いつかは会社も維持できなくなる、大事な社員も困った事態になるのだということを理解しておかないといけないのです。そうした社長は、多くの報酬をとっていいのです。そして、それを蓄えて置かないと、やがて後悔することになるというのが、この日本の資本主義社会なのです。
 そんなことを思うときに、この金型屋さんは、少しは判っているなと感じたものでした。(2001.10.15)

 ある方と、「米国同時多発テロ」のことを話していました。その中で、「テロは容認できない」という共通認識の中で、さらに日本人犠牲者の話になりました。私はどの犠牲者にも同様に哀悼の気持を持ちますが、とくに同じ日本人のことは気になります。そういう話の中で、このように言う方がいました。

  亡くなられたことはお気の毒だが、あの場所に居たということがも
 はや特別なことなのだから、エリートとしての存在である以上、覚悟
 はあるべきなのだ

というような意見です。私は、この言い方に関して、かなりな反論をしていったかと思います。たしかに言われた方も私も、ニューヨークの貿易センターに支店を持つような大会社には入れなかったし、まして、そこの転勤や派遣された方はその大会社の中でもさらにエリートなのかもしれません。だから、あのような場所に、どうあがいても行く用のない私などには、けっしてあのような事件には遭わないということなのでしょう。「無差別テロは許してはいけない」というときに、「いや、無差別と言っても、エリートなら覚悟すべきで、俺たち庶民には関係ないのだ」ということのようです。
11011309 私は絶対にこういう考え方自体が私には相容れないというか、私は間違いの考え方だと思っています。簡単にいいますと、人間は、出身階級が違おうと、人種、民族、宗教、出身地、出身大学、性別、皮膚・髪の毛の色が違おうと、その存在は同価値です。所属している党派、会社、組織等々が違おうと、差別はないはずです。これが現代の社会のしくみの大前提です。ただ、その中で、同じ人間としての存在の中で、何が違ってくるのかというと、その人間がさまざまな場で「いかに振舞うのか」ということだと思っています。
 私の大学時代に、どうしても日本共産党民青が、私たちの敵になったのは、彼らが明らかに、私たちというか全学生に敵対してくる振舞いをしてきたからなのです。だから、断乎彼らとは私は闘いました。例えば、私が大学1年の時1967年12月15日から、埼玉大学の北浦和近くの教養部から大久保の各学部棟までの西武鉄道・国際興業のバス代が20円から30円に値上げになったときに、多くの学生からは自然発生的に「値上したバスには乗らない=乗車拒否」という運動が起きました。そのときに日共民青のみは、「乗車拒否はトロツキストの極左戦術です。バスに乗っても反対運動はできます」と、学生のピケットを破って、バスに乗っていきました。このことは次に書いています。

  「突然思い出したこと─バス闘争の思い出」(これもまたここに載せます)

 だが、大部分の学生はこの乗車拒否を続けました。私は日共という党派の存在もそれを支持してしまう人がいても、それは認めます。だが、彼らが私たちに敵対してくる振舞いは認めるわけにはいかないのです。
 私は今、さまざまなクライアントでの人の採用に関しても、次のようなことを言っています。

  大会社をリストラになった会社の、男子社員はまず使い者になりま
 せんよ。

 これはさまざまな根拠があって言っているわけですが、でも基本的には、かならず、次のようなことを確認しています。

  私はこういうふうに言うのは、いわば統計的に私が言えることで、
 決して、大会社出身者がいけないというのではありません。問題はそ
 の一人一人がどう働くのか、私たちがどう使いこなせるのかというこ
 とです。

 大会社だから、日本人だから、出身大学がどこだから、男だから、女だからということで、「判断してはいけない」という確認は基本なのです。ただ、私の経験上、上に私が言うような思いが強いということなのです。
 大会社だから、ニューヨークに行くくらいのエリート社員だから、あるいは男だから、「武士だから」、「こんなことは覚悟しろ」という考えには、私はまっこうから反対していきます。(2001.10.08)

11011301 ちょうど私のホームページが正式オープンから丸三年が経ちました。そしてなんとなく、今の私には、私のホームページ作成への「飽きがきた」ような感じを持ってしまっています。私自身が他人の目で、私のホームページを眺めたとすると、3年も見てきましたから、なんだか飽きてしまったのです。だが、私はこの私の「飽きた感じ」をどうやったら突破できるのかを真剣に考えています。
 私は詩吟を長年やってきました。21歳のときに「日本國誠流吟道会」という流派に入会してからずっとやってきたわけですが、その間にも、私の後輩である方々が、ある期間をすぎると、飽きてしまったのか、お稽古をさぼりがちになり、やがて詩吟そのものをもやめてしまうのを見てきました。「お稽古ごとというのは必ずそういう時が出てくる」と、私の詩吟の宗家も言っています。
 また、会社(単に職場と言ったほうがいいかもしれません)に勤めても、一定の期間が過ぎると、どうしてもその仕事に飽きたのか嫌になったのいか、やる気を失ったり、あげくのはては会社を辞めてしまう方を見かけます。
 このようなことが、人によっては1年くらいできたり、さらには半年とか3カ月で訪れてしまう方もいます。そしてそれをずっと繰り返してしまう人がたくさんいます。
 詩吟のお稽古でも、職場でも、私は上のような傾向のある人は器用な人が多いと感じています。逆に不器用な人ほど、なんだか苦労はしているのですが、やがて大成できる方が多いように思います。
 私の宗家が自分でお弟子さんをとりだしてから、大勢のさまざまな方と私は一緒に稽古してきました。その中で、「もう、この人は、本当の音痴じゃないのか。もう詩吟は無理だよ」、「どうしてこの人はあんな小さい声しか出ないんだろう。これは資質だから、詩吟なんかやめたほうがいいのではないかな」なんて思ってしまう方が何人かおいでになります。でも、そういう方が2年くらいすると、私の見識が間違っていたことが見事証明されてしまいます。同じ人の声かと思うくらいに上達されるのですね。
 逆に、最初から声が良くて、しかもカラオケなどで慣れているのか、とても器用に詠えるかたがいます。また他の流派で詩吟をやっていた方なんかは、いわば簡単に吟ずることができます。私も最初の頃は、こういう方たちを宗家に対しても、「あの人は上手いね、もう少し練習すれば、もっと上手くなるんじゃないかな」なんて言いまして、上の不器用な人への見解とはまったく逆なことを言っていたものです。でも、宗家はむしろ私とは反対の見解なのですね。そしてその宗家の判断の正しさが1、2年あるいは3年で証明されてしまいます。器用な方々は、全然上達しないか、そのうちやめて、また別な声を出すお稽古ごとに行ってしまうようです。
 職場でも同じなのです。私はたくさんの人を使ってきましたし、今もいくつもの会社の役員をやっていますから、たくさんの方々を見ています。面接で、「これはできる人みたいだな」と判断して、そして採用して、「やっぱり私の目に狂いはなかった」と自分を誉めていても、それが3カ月、半年たつと、もう全然進歩しない相手に、いらだつ自分を感じてしまいます。そしてそういう方は、自分は「なんでもできる」と錯覚され、もっと高度な仕事やりたいと思われるのでしょうが、実は簡単なことを素速く適確にやれるということさえまったくできていません。むしろ、不器用な方のほうが、だんだんと変わっていきます。今では、私は一見器用な人は会社の採用のときに信用していません。だから器用な人は、それこそ心して努力するようにしないと実に不幸なことになると思いますよ。
 私はパソコンもホームページ作りも、けっして得意ではないし、器用ではないから必死にやってきました。それでも、同じことばかりやっていると飽きてきます。とくにホームページ作りは、けっこう同じことの繰り返しですから、簡単にできてしまい、そこで自分自身で、飽きがきてしまうおそれがあります。 私はこれを避けるために、いくつものエポックとでもいうようなことを用意実現してきていました。

  アクセス数を伸ばすために、毎日更新することと、できるだけ、さ
  まざまなところに登録すること。
 自前のドメインとサーバーを持つこと。
 自分でCGIのページを作ってみること
 英語版とiモード版を作ること
 メールマガジンを継続して発行すること

等々という具合です。こうして、私にとって、私のホームページ作成のエポックを設定して、そのつど必死にやってきました。
 でもその私にも、今自分のホームページについて飽きを感じています。さてさて、次なるエポックをどう設定するのか、今必死に構想しているときです。(2001.10.01)

 私は、大学卒業ごさまざまな職業についてきました。それについては以下に書いてあります。

   周の職歴

 かなり転職ばかりしましたので、履歴書はそれこそたくさん書きましたし、さまざまな会社で、面接を受けてきました。だが実は、私11011106が面接を受けたことよりも、面接をする側になったほうがはるかに多いのです。私は今までおそらく250社くらいの会社で面接を受けてきましたが、私がさまざまな会社で面接した人は1,000人を超えているでしょう。私が現在の仕事を始めてからは、けっこう顧問先の会社の採用の面接をしてきました。
 このところ、私のクライアントで、ほぼ同時期に女性社員が急に辞めるという事態が起きました。この不況化でも、けっこう元気にやりきっている会社3社(まったく業界は違います。かつ私が顧問というだけで、まったく互いに関係はありません)が同時になのです。この急にやめたこと事態が実は、3つの会社ともに大変な事態なのです。とても困ったことです。
 そして、この3人ともに私が面接した人たちではありません。ただ、なんとなく私が気掛かりな方々でした。気掛かりというか、私がどうしても好きになれないところがありまして、「でも、好きにならなくちゃいけないよな」なんて思い込んでいた人たちです。もし最初に私が採用の是否を問われたら、おそらく否定していた人たちばかりです。
 私は20代後半から、勤めた会社でさまざまな社員やアルバイト等々の採用に関する面接の担当者になっていました。それで、やはり20代後半から35歳くらいまでは、人の採用に関しては、見る目が無かったかと思います。なんども、失敗したと思うしかない採用をやってしまってきました。人を採用するのには、学歴も年齢も何も関係ありません。そもそも私は履歴書を全面的に信用はできません。ただし、履歴書は、その人間を判断するかなりな参考にはなります。それと面接で1、2度話しても、なかなかその人間のことは判りません。ただ、私は会ったときの印象で、「どうもこの人は好きになれないな」という思いは大事だなと思っています。その感じを社長なりに、言語で伝えることが大事なのですが、なかなか言語化できないことが多いのです。だからそうしたときには、なんだか面倒なのですが、社長等々と長くお話して、私の思いをなんとか伝えようとしてきました。ときには、酒を飲んで、私の言語にならない思いを伝えようとしたものでした。
 ただ、今はこの言語化しにくかったことを少しは表現できるかなと思えるようになってきました。これから、各クライアントでは、そうした内容を伝えていこうと思っています。(2001.09.24)

11011004 現在、私たちの年齢でパソコンを習いに行きますと、その地域の自治体がその受講料を援助してくれるという制度だかがありますね。私の周りでも、けっこうそれで習っている人がいます。ただ場所によっては、随分受講できるまで待たされるようです。そんなに人気があるんですね。ただ、私はその教えてくれる内容をききますと「そんな内容で、何かのたしになるのかなと疑問なのです。そういう思いが今回、確信にまで至った話があります。
 高校時代の友人と電話で話しました。もうすぐクラス会をやる件です。彼女もやっと待って、このパソコンの受講料免除というので、タダで勉強できたようです。それでインターネットが出来るようになり、娘さんのパソコンで私のホームページを見たということでした。

 周「そんなら、掲示板に書き込んでよ」
 相手「そうなんだけれど、まだできないのよ」
 周「なんで、そんなの簡単じゃないの」
 相手「いや、習ったパソコンはWindows 95だったの。だから娘のバイ
   オと少し違うのよ。小学校でいらなくなった6年くらい前のパソ
   コンなんだって」
 周「ええ、それはひどいな。……え、ひょっとしてそれはNECのマ
  シンだったんじゃないの? そうするとキーボードの配列も違うん
  じゃないの」
 相手「そう、娘のパソコンと配列が違うから、大変なの」

 これはどういうことでしょうか。いくらタダで教えてあげるからといって、そんな昔の日電の9800シリーズでWindows95 で教えられたんでは、一体何になるんでしょうか。しかも教わっているのは、私の年齢以上の人たちばかりです。教わったパソコンと違うキーボードに簡単に慣れるわけがないのです。 なんでこんなことをするのでしょうか。もう呆れ果てると同時に怒りも感じました、ちょっとひどすぎますよ。(2001.09.17)

11010907 私がみております各クライアントですが、私が学生時代に左翼全共闘活動家だったせいか、一般的にいわゆる革新的というか進歩的とでもいうべき社長さんが多いようです。私と同年代に活動家だった社長さんも何人もいます。そしてその方々は、一般的にたいへんに社員のことを気遣っている方ばかりのようです。
 私が随分昔にコンサルに入りました会社では、社長が私よりもすいぶん年上の方でしたが、社会党の地方議員が取締役の一人になっていました。その社長も自民党が大嫌いで、社会党こそが好きだったようです。ですから、大勢いた社員という名の労働者こそが、本来は正しい存在だと思い込んでいたようです。それで、長年その会社は好調に運営できてきたのですが、だんだんと苦しくなってきました。どうみても、社員が多すぎるのです。その市では有名な企業になっていましたから、そこの地方銀行や税理士の薦めで、いわばどうでもいい間接部門のスタッフ社員が増えていましたし、現場の社員でも、適当にしか働かない社員が増えてきました。真面目にやろうが、適当にやろうが、いい待遇なのです。そして、いろいろな人から、人員整理が必要だといわれても、その社長は、「労働者を首切ってはいけない」という思いだけを大事にしていました。だが、もう大変なところまできました。顧問かつ監査役の税理士は、その市でも有名な先生だったようですが、驚くばかり高額な顧問料をとりながら、何もしません(何もしないどころか、もっとひどい奴でした)。
 そこへ私が行きまして、断乎改革を主張しだしました。まずは社長の意識改革です。

  労働者全般が正しくのではない。正しいことは、「働く労働者は正
 しいが、働かない労働者は正しくはない、悪い」のだ。

 そして私が断乎としてやり出しまして、社長もなんとかやりはじめましたが、あるときに、

  やはり周さんも、社会党支持なんでしょう。私もそうだから。

という言動に、私は「そもそも私は選挙なんか行ったことはないです」ということから、目茶苦茶に社会党を貶しはじめました。そのときには、もはや社長と私は喧嘩ごしでした。社長は「こんな人が存在していることがいけない」と大声で怒りました。
 だが、その次に会ったときには、その社長は私の改革案を認め、一緒にやりだしました。いや、私がいない場(ほとんど私がその会社にはりついているわけではない)でも、懸命にやりだしました。各社員を説得しだしたのです。そして私と飲んだときに、

  周さんは、昔全学連で旗振っていたんでしょう(なんだか紹介者が
 バラしたようです)。やはり社会党じゃなくて、周さんのほうの言う
 とおりかもしれないな。

 そしてそして、約3カ月後には、その社長は私がはじめて会ったときの元気ない姿ではなく、また元気になりました。このときは、その元気さに驚くと同時に実に嬉しくなって、私たちはまた元気に飲んだものでした。
 その社長も確認したものでした。

  働く労働者は正しい。働かない労働者は正しくない。

 こんな当りまえのことも確認できない人がまだまだ大勢いますよ。(2001.09.10)

11010806 私はタクシーに乗ると、よく運転手さんとお話します。いろいろと面白い話が聞けるからです。
 先週水曜日、どうしてもタクシーを利用しないとなりませんでした。そこでパソコンやインターネットの話から今の景気の話になりました。運転手さんは私より3歳年下の方でした。彼が急に聞いてきました。「会社の都合で離職した中高年齢者を雇い入れた事業主に一人あたり三十万円を支給する」という「緊急雇用創出特別奨励金」のことです。私は、「あれは単なる垂れ流しの政策で、小泉首相の考えではやるはずのないものであるはず」というように言いました。運転手さんも、「実にひどい政策だ」と怒っていました。「あれじゃ、以前の政権のやった数々の垂れ流し政策と変わらないじゃないか」ととても怒っているのです。彼も、あちこちでリストラされた友人たちを多く知っているようでしたが、こんな政策では、それらの友人にもマイナスにしかならないというのですね。30万円のために、雇用させられてまた辞めさせられるのでは?という懸念が強いのです。
 私はまったく同意して、橋本政権や小淵政権での「財政構造改革法」の話をしました。「景気対策と称して税金をばらまくことはやらない」と決めておきながら(効果がないから)、結局は両政権ともに、税金の垂れ流しをやってしまいました。そして、今回の小泉政権もそうなるのかという思いなのですね。
 でもいい会話でした。その運転手さんはよくいろいろなことを見て、そしてよく考えている方だなと思いました。
 土曜日に乗りましたタクシーでは、私よりも3歳年上の方でした。互いに自分の親たちのことをお話して、老人問題のことからさまざまな話をしました。かなり長時間だったもので、さらに教科書問題とか教育の問題とか話ました。靖国神社のお話もしました。そして最後には、私は自作パソコンの話からインターネットの話をしまして、私のホームページを見てくれと名刺を渡しておきました。
 でも私はこうしてよくタクシーの中でお話します。話していくうちによく質問されます。そんな質問の内容がいいなあと思っています。そして、その質問に私がちゃんと答えられるのかが問題ですし、その答えこそ大切だなと思っています。(2001.09.03)

11010707 子どものときから、私は自分以上に能力のある人たちをたくさん見てきました。「頭のいい人ってたくさんいるなあ」とそうした友人たちを見ていました。だから、きっとその人たちとは、このインターネットの世界で再会できるのだろうと思ってきました。でも少しもそんなことにはなりません。大学での活動家でも、「もうあいつは今、英語じゃなくドイツ語で喋るらしいぞ」とか「今NASAにいるようだ」とか「今日本へ帰ってきて、○○国立大学の教授だって」とかいう友人もいます。でもどうしてもインターネットの世界では出会えません。そんな人たちとは、過去私がどんなことをやっても「まだ、そんなところへいるのか。俺は、もうこんなことをやっているんだぜ」というような差を感じていたものです。でも今はどうなのでしょうか。

  何、まだインターネットなんて古いものをやっているのかよ。俺
  は、もう「瞬間移動法」で毎日火星と木星を往復しているよ。

とか言うのなら、判るんですが、そんなことは絶対にありえません。
 でも私は「どうしてなのかな、あれだけ頭のいい彼らが、なんでメールくれたりしないで、年賀状だけなんだ。しかもその葉書もまだ印刷屋使っているし。ホームページくらい簡単に作れる能力なんかあるはずなんだけれど」という思いなのです。このことが、私には重いしこりのような感じで思っていたものでした。「どうしてなんだろう?」
 その解答らしきものに、私は今出会えたというか、判ってきた気がしています。それは吉本(吉本隆明)さんと吉本さんに紹介された三木成夫さんのおかげです。人間には脳だけではなく、心があるわけです。でもその心というのはいったいどこにあるんでしょうか。もちろん脳で考えることも心の動きです。でも、それ以上に、心とは人間の内臓の働きなのではないかと私は気がついてきました。
 人間は、おそらくアメーバのようなものから次第に進化してきました。魚になって、両棲類になって陸にあがり、爬虫類にも鳥にもなりました。そして、人間は生まれるときに母親の胎内で、その過程をすべて体験してきます。母親が「つわり」になるときは子どもが両棲類の体験をしているときだと言われています。生物が海でのえら呼吸から、陸地に上がって肺呼吸になるときには、動物は大変に苦しい思いをしたのでしょう。だから、胎内の子どもも苦しいし、それが母親のつわりにつながります。
 胎内の子どもは、最初は魚の顔をしていまして、だんだんと両棲類、爬虫類と顔が変化してきます(三木さんの本には、それが点描で描かれています。また谷中の「朝倉彫像館」には、こうした像があります)。人間は鳥でもあったから空を飛ぶ夢を見ることがあるのでしょう。
 人間が植物であったこともあるはずです。だから私たちの身体にはその植物の器官が残っています。それが、口から肛門に至る内臓の働きです。この内臓の働きが私たちの心の大きなものだと思います。私たちが二日酔いで苦しんでいるときは、脳が苦しいのではなく、内臓が苦しんでいるのだから、私たちの心はそれで憂鬱になります。誰かに恋したとすると、脳で彼彼女を思い描くよりは、心臓が胸が心が痛んだり、嬉しくなったりしているのです。
 私はずっと、「脳で考えるのではなく、心で考えよう」と思ってきました。そしてその心とは、やはり内臓の働きだと思うのです。だから、「脳ではなく、内臓で考えよう」と思ってきました。ちょうど植物もさまざまなことを感じていることが判ってきています。植物にも心があるのだと思います。
 私は今、インターネットをやっていまして、そのことをものすごく感じています。「脳だけで判断しようという人間は、もうこれからは駄目かもしれないなあ」、と。
 そして、このことは、人間ということだけではなく、私の相手している企業でも言えるのではないかと思っています。「心で考える」経営コンサルティングができるはずだと考えています。(2001.08.27)

11010607 考え考え先週お話したことでです。
 現在新聞テレビ等々で報じられる幼児虐待のことが、私にはとても気になっています。もちろん、これは私だけではないでしょう。誰だって、心を痛めている嫌なことなのではないでしょうか。私はそこで、ダニエル・キイス「24人のビリーミリガン」のことからお話ししていました。
 ダニエル・キイスはアメリカの作家ですが、実にこの日本でこそ人気があります。「24人のビリーミリガン」の続編の「ビリー・ミリガンと23の棺」は、米国よりも日本のほうが発売が先になったのです。翻訳の作業を考えてもいかに日本にこそ人気があるのかが判ります。それで、そのわけなんですが、ビリー・ミリガンというのは、多重人格者という病気を負った男なわけです。その彼が起してしまった連続誘拐・レイプ事件から物語は始まります。そして彼は小説の中の人物ではなく、実在であり、ノンフィクションの話なのです。
 この彼は、実に彼一人の人間の中に24人の人格があり、やがて、それが裁判でも認められ無罪になります。読んでいると彼の苦惱はいかばかりだろうと私なんかは思うのですが、日本の多くの読者は違うようです。一人の人間に、これだけ多くの人格があることを「素晴らしいことだ」と思う人が大勢いるようです。事実多くの人格の中には犯罪者もいるわけですが、素晴らしい才能の持ち主も多いのです。日本の読者は、自分の中にもそうした才能が眠っているという思いを夢見る人が多いようです。
 でもこの日米の差は、結局は米国では、この多重人格者が多く輩出するが、この日本では症状がまず見られない(見られなかったというべきでしょう)ということから来ているようです。「ダニエル・キイス読本」(早川書房1995年1月発行)では、養老猛司は「(多重人格者が)、日本には全然いないんですか」という問いに、

  ………………………………やっぱりいないのだろうと思います。そ
  の理由は、背景にある日本の文化と欧米の社会に、非常に大きな文化
  的な違いがあるためだと思います。

と答えています。また精神科医の香山リカ(このごろテレビによく出てくるね)も「なぜ日本には多重人格者がいないのか」という記事を載せています。
 私は、こうしたことを読んだときにも非常に不満でした。「この日本だって、ただ隠れているだけじゃないのか、いや隠しているだけじゃないのか」。事実として、その後、どんどんとこの日本にも多重人格者がいることが判ってきました。そしてその原因はビリー・ミリガンと同じく、親からの幼児虐待です。
 実にわずかの時間の間に、この日本も米国と変わらない幼児虐待の頻繁する社会であり、そしてそれで悩み続けている多くの病気の方々がいたし、今もいるのだということが判ってきました。多くの精神病関係の学者や医者は間違っていたのです。だが私は、こうした学者を「お前間違えていたじゃないか」と非難する気はないのです。それこそ、たくさんある事実を認めて、早く対処できるようにやってほしいのです。
 私は、この日本の閉塞的な経済情況でも、あるいは個々の会社の苦しい情況でも、たとえ当初の判断が間違えていても構わない、今こそその間違いに気がついて、それで対処していけるような柔軟な考えで誰でも、どこでもやってほしいと思うのです。だって、そうしなければ根本的に解決していける道はないじゃないですか。こうしたことを上の幼児虐待という問題を考えていて、「同じなんだよな」と思ったものでした。(2001.08.20)

11010413 8月10日にまたパソコンを自作したのですが、6月6日に自作したパソコンよりも、結果としては約1万円安く、そしていいものを作ることができました。これは前回が、各パーツを探している時間があまりなかったことに原因があります。自作のパーツだけではなく、プリンタ他も買う必要があり、かつ雨が降っていたこともあり、時間もなかったのです。今回は、私は2日間に渡って歩き回りました。もちろん丸二日ではないです。1日目は3時間くらい。そして2日目は2時間くらいです。でも二日あったので、1日目で決められないことをその夜インターネットで調べたり、雑誌を読み返すことができました。 なんといいましても、暑い中でしたが、よく秋葉原をあちこちと歩いたことです。同じ店にも何度も行きました。大きな店から、ジャンク屋までさまざまに歩きました。私はよく秋葉原を普段から歩いているほうだと思いますが、今回のように目的を持って歩きますと、また違うものが見えてきます。それとまた新しい店をいくつも発見しました。それから今はメモリとCPUが安いので、それを手に入れるのには、午前中の早い時間帯に歩いたほうがいいようです。午後になると、みな売りきれてしまいます。残っているのは、誰も欲しがらないようなものばかりでした。
 ひさしぶりに秋葉原を時間をかけて、そして気合いを入れて歩きました。これはいい時間を過ごせたものだと思っております。(2001.08.13)

11010408 先週行きましたある飲み屋で感じたことです。そこは、東京でもいわば場末の飲み屋街の街でして、しかも駅からも遠いというお店でした。「たまには女性のいる店にいきましょう」ということで、行ったわけですが、始めての私には「こんなところじゃ、狸か貉が出てくるんじゃないのかな」なんておそるおそる向かったものでした。
 ところが、入ってみてびっくりしました。そのクラブに入ると、あまり大きな店ではないのですが、ホステスさんが8名くらいいまして、お客が6組くらいいました。とてもはやっているのですね。ホステスさんは、ほとんどが浴衣(今の季節だけらでしょう)を着ておりまして、そして綺麗な方ばかりです。 私はほとんど、どういうお店でも、たいがいウィスキーかウオッカをストレートで飲み出して、歌を唄いだし騒ぎ出します(ただし、騒いではいけないようなお店では静かにしていますよ。そういうお店は本来は好きではありませんが、私の好きになれるお店もあるものです)。ただし、歌は唄いましても、始めてのお店なので、いろいろと観察しておりました。だって、この時期に、あんなに流行っているお店というのは、私の商売には、とても参考になるではないですか。そこでいろいろなことを感じたものなのです。
 お店のママもチーママも若いのですが、自分たちより若いホステスさんをとてもうまくコントロールしています。何人ものお客に、なんとかうまく話を合わせられる女の子を采配しているようです。私のようにうるさい客には、何人かの女の子を入れ替わりつけて、そのうち私を制御できる女の子が出てきます。私のような酔っぱらいは、ちゃんと話を聞いてあげるか、歌を適当に唄わせておける女の子ならいいのです。
 こういうお店に来るお客は、もう実は何軒目かで、勢いでくるわけで、もうそれほど飲めるわけではありません(私は例外)。またこの時間帯の酔っぱらいは案外腹をすかしているものです(これまた、私は例外。私は腹が極端にすいていないと酒が飲めない)。また、この酔っぱらいは別に若い綺麗な女性だから、それでいいわけではない。おそらくは、どうでもいい話を聞いてくれる女の子がそばにいてほしいのか、逆に面白い話をしてくれるホステスさんがいてほしい場合もあります。それを適確に見抜くのがママやチーママやあるいはそのほかのマネージャーの役目でしょう。
 それと大事なのは、最後の勘定です。どんな楽しい思いをしても、「どうみても、この料金じゃ高いよな」と思ったときには、「もう2度とこないぞ」ということになってしまいます。ここが難しいところだと思います。
 私がどうみても失敗だよなと思うお店は、この料金計算で、まるで、「これじゃマルクス主義だよな」というような勘定の仕方です。ある会合があって、皆でけっこうしこたま飲みまして、それで2次会というときに、そうしたお店でも、お客一人あたり、「お通しとテーブルチャージで幾らで、さらに水割りがいくら」とやっていくと、けっこうな金額になることがあります。みないわば勢いで来てるわけですから、そこらへんは、もうまさしく「だいたいでいいじゃない」といいうやり方でやったほうが、絶対に酔っぱらいにはいい印象なのです。細かく正確にやることではなく、「もうだいたいでいいわよ」という感じでやってしまうことが、絶対に次につながります。
 この差がこの時期にも、流行っているお店で、閑古鳥が鳴いているお店との違いだと思います。
 これは実は飲み屋だけの話ではありません。実はこの日の飲み始める前には、建築のこと、印刷のこと、インターネットのサイト作り等々のことで、「だいたいでいいじゃない」という吉本さんの言われることを説明していたものでした。(2001.08.06)

11010315 私のクライアントや友人はどうしても40代50代が多いです。そうするとこうした暑い夏には、それこそ体力消耗といった方がものすごく多いのです。ただし、これはもう若い方でも同じです。
 そして特徴的なのは、デスクワークのみをしている方々が、実に身体が弱りきっているのを感じています。とくかく暑いからグーラーをがんがんかけていますから、それが事務所でも自宅でも同じだと、身体はまいってしまうのでしょうね。それに比べて私は、けっこう丈夫なほうだと思っています。それは、私がデスクワークも多いのですが、とくかく外を歩いていることでしょうか。今週も暑い中を必死に歩くことになります。私は車は使いませんし、かつタクシーもよく使いますが、場所によってはタクシーを使えない場所があたくさんあります。何かを提出する役所等々が、不便に近くて遠くて、タクシーなんか使えないところが多々あります。もうそんなところが多いですから、私はもう元気に歩くしかないのです。前には、ただ歩いているのが無駄なような思いがありました。電車に乗っていれば、読書はできますが、歩いていてはできません。でも、今は、この「歩くことこそが大事だ」と思い込んで、必死に懸命に歩いています。
 私は歩きながら、いろいろなことを思い出します。27歳のころ、私はある業界紙に勤めていまして、月末には温泉街に集金に行っていました。温泉街というのは、みなさんは観光で行かれるときには、ホテル旅館が並んでいるように見えるでしょうが、歩いていくと、そのおのおのはけっこう離れて点在しているものなのです。那須の温泉街を集金していたことを思い出します。暑い夏しかも7月末でした。いや正確には8月1日かな。1軒のホテルへ入って「○○です、集金に来ました」と声をあげます。だが、ほとんど「けんもほろろ」の扱いしかされません。でも私も簡単に帰るわけにはいかない。そこでしばらくやり合いまして、結局出るときに「☆☆ホテルはどちらへいけばいいのですか?」と聞きます。相手は、「そこを左に行って5分くらいだよ」といいます。
 私は外へ出て歩き出します。「あの支配人も、俺が車で来ていると思っているんだよな」。バスはほとんど来ません。だから私は道をただただ歩きだします。もう仕方ないから、山道に入って、誰もいないから大声で歌を唄いながら、歩き続けます。そして40、50分すると、目的のホテルが見えます。嬉しい。だけど、またホテルに入るとすぐさま戦争なのです。
 思えば、あのときも若かったけれど、よく歩きました。今週もまた元気に歩きます。 (2001.07.30)

11010209 柏祭りで、パソコンを2台おいて、さまざまな方の質問に答えていました。外人の方も多く、若い人も、実に高年齢の方もきました。
 そこで、私が一番困ったというか、少々嫌になった質問が次のようなことです。私より何歳か上の女性でした。私たちが「パソコン相談室」とか「パソコン教室」という立て看を出していたので、聞いてきたのでしょう。いったい、いつもはどこで教室をやっていて、料金はいくらかというようなことなのです。それで、私が答えていきます。今、ここで答えますし、それからできたら、インターネット上で、さまざまに聞かれてもいいのじゃないかなという答えです。でも彼女は不満なのです。とくに私が「パソコンというのは手段ですから、とくに今はインターネットを通じたコミニケーションの手段として使うのが一番じゃないのか」というのが気にいらなかったようです。

  コミュニケーションなんかするよりも、もっと仕事に使うのでしょ
  う。エクセルとか教えてくれるんじゃないの? そういうのが教室と
  か学校というのじゃないの?

 私は、私自身が、エクセルもワードも使わないことをいいまして、さらに不満そうな彼女に、もう面倒だから、「教室」とか「学校や塾」のお話をし出しました。奈良時代の手芸種智院や、三国志の関羽が「桃園の義」の前には草堂牧舎という塾をやっていたことなどです。
 でもなんだか、彼女は不満なままのようでした。「インターネットなんていう浮ついたものではなく、エクセルやワードやその他の有益なパソコンを教わりたいのだ」ということのようでした。
 でもこの手の人が他にももう一人いました。私より若い男性でしたが、やはりエクセルとワードのことを聞いてきます。私は使っていないから、正確には判らないのですが、「それは実に簡単なことじゃないのかな」という思いでした。そんなのは、パソコンを使うほんの一部なのに、彼はそれだけが仕事の大事なことだと思っているようでした。
 でもときどき、この手の方々にお会いします。そしてこの手の方は頑固です。だから私はいつもあちこちのクライントでは、パソコンが誰にでももっと身近な存在となるようにお話しています。(2001.07.23)

11010104 ある会社のホームページがどうしてもアクセスが伸びないし、かつだからビジネスにもつながらないということから、「もっとサイトをビジュアル化しなければ」というような意見をいただきました。まあ、当然私には言い分がありまして、かつ、そんなことでは解決できないのは明らかなのです。それよりも、その会社組織の構成員の一人ひとりが、インターネットと自分の会社のホームページにもっとアクセスしていくことこそが大事なのです。でも、このことは今までも言ってきましたし、今週改めてコンサルしますし、かつまた改めて整理してここでも書いていきましょう。
 今回はそうではなく、その中で現在「ピッキング」という犯罪が多発していまして、この「ピッキング防止」がいわば、今はかなりなビジネスになるのだという言い方がありました。今までなら防犯には強いはずだった集合住宅も、実に一見乱暴なやり方で、鍵が壊され、何もかもが盗まてしまう犯罪が増えているということなのです。これは、韓国と思われるところから来る乱暴な集団スリの横行と同じように、海外からの犯罪者の増大によるところが多いようです。
 このことに、私が言うとしたらですね、この「ピッキング」等々の犯罪の増加も、これは「情報」の問題であるということです。この日本が、こうした犯罪に弱い社会であるという情報で、そうした犯罪集団が海を超えて、日本にやってきます。だが、実はこの日本では、その手の犯罪は、実に罪が重いのです。強盗犯には、執行猶予はありません。府中刑務所等々には、実に日本語の話せない外国人犯罪者がかなり収容されています。海外では、たいした犯罪ではなく、捕まっても、すぐ外に出られてしまうということで、この手の犯罪集団はもっと豊かな日本を目指してきました。だが、この日本では、この犯罪はかなり罪が重いのだという情報が正確に伝わりましたならば、この手の犯罪者集団は、「割の合わない」犯罪をやりに、この日本には来ないようになります。 ですから、このピッキング防犯は、今でこそビジネスとしておおいに成立しますが、ここで大規模に資本投下してやるようなものではないのではということです。このことは指摘しなくてはいけないですね。(2001.07.16)

10123111 昔のことですが、ある会社で以下のような資料を見ました。
 各上司が、自分の部下たちの詳細な行動表を記しているものです。課長は自分の部下4、5人が毎日やっている仕事の詳細を、何時から何時までは何をやっていたかを毎日表にしていきます。これは部下の「日報」と、実際の彼の目でみたことで、作成していきます。各部長はその部下の何人かの課長の行動表を作成しています。その上の上司も作成しています。そして、この会社は課長代理、課長補佐、副部長、次長、部長代理等々と、役職がたくさんあるので、その行動表の作成者および作成範囲も実に面倒です。
 そして、これを最終的に社長が全部見るわけです。だから、すべての社員および役職かつ役員(非常勤は除く)が毎日何をやっているのかが詳細に判るようになっていました。いや詳細に把握できるのではなく、とにかく詳細に記されている記録が毎日膨大に作成されているということです。
 私はなんという硬直した会社だろうかと思いました。いや、実は、そのくだらないエネルギーの使い方に、あきれ返ってしまいました。こんなことはまったくの無駄なのですが、トップとしては、こうして部下の行動を細かく把握しておきたいのでしょう。これは、いわば社長にお追従ばかりしている社員が考え出した管理方法でした。
 当然、こんな硬直した、そして部下を信頼できない社長は、そのうちにその会社にいることができなくなりました。
 このことを私は目の前にしたときに、おおいに驚ろいたわけですが、これは実はどこでも、多かれ少なかれ、よく持ってしまっている体質なんではないかと思いました。社長の立場にない社員でも、このように細かく管理すれば、いいのだという傾向のある人がけっこう多いように思います。何事も細かく追及し、明らかにしなければいけないという人たちです。若い人にも多い傾向のように思います。
 そのことを私が今思うのは、私がこのメルマガでも、このところ「何か書くぞ」で、展開しております日本共産党への攻撃のことで、いろいろと思うことがあるわけです。私もたしかに日共を細かく追及し、明らかにしようとしています。だが、私のやることと、上のような管理指向とはまったく相容れないむしろ逆だということなのです。私ならむしろ、社員や部下を詳細に管理しようとすることよりも、社長自身が自ら日々やっていることを明らかにせよと思います。このことは、日共の幹部党員たち、とくに宮本顕治のやってきたこと、やっていることをはっきりさせろということと同じなのです。
 それから、現在参議院選挙を前にして、宮崎学さんも立候補されているようです。

  キツネ目の男・宮崎学

私は宮崎さんは、大好きな方ですが、今回の立候補はどうでもいいです。でもこのときに、宮崎さんに関して「スパイ疑惑」などというものが出されてきたことに関しては、「いいかげんにしてくれよ」という思いです。間違いなく宮崎さんを陥れようという連中が画策しているのでしょうが、残念なことにそれにのってしまう人たちがけっこうな数いることです。私は、「そんなこと、どうでもいいよ」といいたいのです。公安の刑事と接触してしまうことなど、運動をやっていたら、当然あるのは当りまえです。だからどうだというの。そんなことも判らないのは、運動なんか永遠に判らないよ。もっといえば、会社経営も判らないだろうな。
 そこで、問題は、私のように「水に落ちた犬を打て」ということで、野坂が何重ものスパイであったことを書きますと、その問題が、また宮崎さんにも跳ね返ってくるのではないかと危惧する人がいるということです。何を言っているの、話は反対なのです。「あいつはスパイだ、消せ」とばかりにやることが、いわば日共のやり方ですし、また上に書いた会社での細かい部下管理のやり方と同じなのです。そして、前にも書きましたように、「だいたいでいいじゃない」というやり方の判らない、今何故か増えている人たちの思考法やり方なのです。
 私は、「何か書くぞ」で展開している日共批判をこんなに連続する気がはありませんでした。途中で、6月6日作りました私にとって9台目の自作パソコンのことを書くつもりでした。でも、私の書くことに、「今こうしたことを書かれると宮崎さんにも不利なのでは」という言い方があり、「いや、このときこそどんどんやってくれ」という方がいまして、

  もう、それなら、連続して日共の悪口だけ書き続けようかな

と決意したものです。
 それから、私に「この時期に書いてくれることこそ嬉しい、どんどんやってほしい」と言ったかたは、宮崎さんの選挙で宮崎さんのために頑張っている方です。 (2001.07.09)

10123007 いまやインターネットのブロードバンドの時代が急速に訪れていることを感じます。私の関係の企業、友人たちもどんどんADSL等を導入しています。この動きはものすごく速いです。驚いています。
 さて、これでビシネスの形が急速に違ってくるのではないかと考えています。そして、私はおそらくこの日本にもおおいなチャンスが訪れているのではと感じています。
 米国ではドットコム企業が破綻したりして、インターネットバブルが崩壊したとか言われています。ただ、この事態をちゃんと見ることが大事だと思います。米国でのインターネットはまさしくバブルというような要素がありました。例えば、「Hotmail」ですが、当初、あんな無料のウェブメールにそれほどの価値を見出す人はいませんでした。でもあれを考えた若者たちは、ただただひたすら無料で提供しつづけ、そしてついにはマイクロソフトが買収するということで、彼らの夢は達成されました。このことが米国でのインターネットバブルを象徴していると私は思います。よくよく考えてほしいわけですが、上の「Hotmail」は、それで一儲けしようとした若者には夢がかなったのかもしれませんが、それだけで終わってはならないのです。本来は一儲けして終わるのではなく、永続的にインターネットで何を流してビジネスしていくのかが大事なことであるはずなのです。
 また米国では「ピュアプレイ企業」が破綻したと言われています。インターネット上だけで、ビジネスを展開し、受注機能だけ持って、在庫をもたず、物流機能も持たない企業です。アマゾン・ドットコムがその典型だったでしょう。 ところが、年末のクリスマスプレゼントがイブまで届かないということが多発しました。インターネットで大量に受注しても、在庫をもたないのですから、広い米国のことです、致命的な問題になってしまったのです。そうすると、もうアマゾン・ドットコムも巨額の資金を使って、倉庫や物流施設を作りだしました(だからいつまでも黒字にならない)。
 ここのところに、この日本でも従来の産業企業がインターネットビジネスに参入し、かつそこでビジネスを成功させる要素が出てきたと思うのです。そしてこの日本には物流に関しては、クロネコヤマトを始めとして、しっかりした体制が出来ています。また日本各地に存在するコンビニの役割も大切になってくるでしょう。
 このことを実際にさまざまに感じています。そして、あちこちで話しております。(2001.07.02)

10122906 私は「神田会」という親睦会を主宰しています。親睦会および異業種交流会と位置づけています。その会合を21日に開催しました。今回は女性の参加者も多くて、愉しい時間をすごせました。
 私はいつも言っているのですが、今後の私たちの前に展開される社会というのは、もはや以前のように「仕事とプライベート」を明確に分けるのが難しくなってくると思っています。インターネットが会社でも自宅でも常時接続になってくれば、もう自宅にも仕事上の情報は入り込んできます。また会社でも、自分のプライベートなメールも読むことができます。昨日は私の娘の大学の「父母と教職員の会」の会合でしたが、そこでも私の仕事に関係することが出てきてしまいます。だから、もう私はこの仕事上とプライベートを別けて考えることはしないのです。私はいつも仕事であり、いつも個人としての好きな遊びや趣味の世界でもあると思っています。それが私の「将門Web」でもあり、「神田会」という組織でもあります。
 神田会の仲間とは二月に1度、こうしてお会いして、みんなで飲んでいるわけですが、大勢ではなく少人数ではけっこうよくお会いしています。そして2人だとただ飲んでいるだけが、3人~5人と集まると、なんらかのビジネスのヒントがいつも見えてきます。私はこれが実に面白く感じています。私一人だと思いもよらないようなことが見えてくるのです。
 これからは仕事上でのつき合いとプライベートな友人としてのつき合いは別個に考えるというようなことはますます困難になっていくかと思っています。いや、「これは別だ」とかたくなに思考する人もいるのかもしれません。でも私はもうそういうことではなくなっていくように思います。もう私たちは、どこかの会社に入って、定年まで勤めて(さらに定年後、別な会社に勤めて)、それで悠々自適の定年後を過ごすというようなわけにはいきません。私は生きられる限りは働こうと思っていますし、かつその働くことも別に趣味の世界で学んだり遊んだりすることと区別しておりませんので、死ぬまで苦吟しながら働くというような感じを持ちません。
 いや、これは私はいつもあちこちでお話しております私のことなのです。(2001.06.25)

 このところ、あちこちでいい続けていることがあります。吉本(吉本隆明)さんが、最新の「悪人正機」という本で次のように言っています。

 いつも言うことなんですが、結局、靴屋さんでも作家でも同じで、
  10年やれば誰でも一丁前になるんです。だから10年やればいいん
  ですよ。それだけでいい。
 (中略)
  それから、毎日やるのが大事なんですね。要するに、この場合は掛
  け算になるんです。例えば、昨日より今日は二倍巧くなったとしましょ
  うか。で、明日もやると。そうするとニ×ニの四倍で、その次の日も
  やったら、また×二で八倍になる。だけど毎日やらずに間を空けると、
  足し算になっちゃうんです。(吉本隆明・糸井重里「悪人正機」朝日
  出版社2001.06.05「素質」ってなんだ?」)

10122802 これ私はよく判ります。その通りだと思うんですね。私もいろいろなことをやってきましたけれど、ちょうど35歳くらいから、ずっと同じ現在の仕事をやってきました。たしかに、それで何かを人前で言えるようになったのは、46歳くらいからだと思いましたよ。
 それから、パソコンの操作でも、ホームページ作りでも思います。毎日やり続けると掛け算になるんですね。それを10年続けることだと思いました。間を空けると、足し算にしかなりません。同じ数字でも、掛け算と足し算では、しばらくすると、結果がまったく違いますね。
 思えば、このことを吉本さんはほかでも言われていました。だから私は自分のホームページも、必ず毎日更新するようにしています。
 このことはいくつかのクライアントでもまた友人たちでもよく感じています。とくにパソコンに関して思います。すこしづつでも、毎日やっている人は、どうにかなってきますが、たまにしかやろうとはしない人は、まったく差が出てしまいます。とくに、パソコンを使わない、あるいは「使いたいんだけれど使えない」理由として「仕事が忙しくて、パソコンに触っていられない」ということをあげる人は、本当に困ったものです。忙しいから、パソコンを使うはずなのです。でも最初の最初は仕方ないかもしれません。それなら、毎日少しづつでも、業務のある部分をやっていくべきです。毎日少しでも続けるうちに、パソコンを使う便利さに気がつくはずなのです。
 掛け算と足し算の差の恐ろしさは、すぐに出てきますよ。(2001.06.18)

10122706 私の次女ブルータスが教育実習中で、今回研究授業がありました。実際に授業をしているのを、校長先生をはじめ多くの先生に見てもらいます。大学の先生もきます。その授業の一部始終をビデオに撮ってくれていたものですから、家族で見てみました。この内容については、ブルータスのホームページに報告があります。

   2001年6月8日 教育実習日誌 研究授業

 私はこのビデオを見て、とても感心しました。感心したのは、娘の授業内容だけではなく、生徒たちの姿勢に関してです。グループ別に、それぞれが報告します。それが実によく出来ていること、そしてみなで懸命に発表していることです。そして、この研究授業がブルータスの大事なことだと知っているのでしょう。それはとても協力的です。とくに男の子たちが、みな手をあげて意見をいいます。担任の先生のお話ですと、こういうときには男の子のほうが、「先生のために、なんでもやらなくちゃ」といういわば男気みたいなものを発揮しがちなようです。
 これを見ながら、私は自分のクライアントでの私の振舞いを思いました。いつもやっぱり私も相手の姿勢に助けられているのです。やはり、適確なコンサルティングをするのにも、相手の会社がやるべきことをやっていてくれませんと、どうにもなりません。毎月の試算表は素速く作成している(これは私が指導することでもあります)とか、パソコンやLANの導入をちゃんとやっているとかがちゃんと出来ていれば、私からのコンサルも実に有効に生きてきます。 ブルータスは身体がちっちゃいのですが、実に通る声で、それが教室全体にいきわたります。生徒たちとブルータスの息使いがなんだかうまく交錯していまして、見学の先生までもが実にその場に組み込まれている感じでした。私もしきりに、自分のコンサルティングの現場を思い出しておりました。(2001.06.11)

10122701 私のクライントで、私の勧めで、ADSLを導入した会社があります。ところが、最初の最初はインターネット接続ができたのですが、すぐにつながらなくなりました。それで、私が行きまして、いろいろと試してみるのですが、どうしてもつながりません。どうしても、こちらのパソコンやLANケーブルのせいではないようです。でもその確認はできません。東京めたりっく通信だったのですが、電話してもいつもお話中です。仕方ないので、メールしたところ、技術の方からすぐにメールがあり、さらに電話で話して、いつくつか確認の作業をしました。この作業が、実際に他の電話を止めて、それでアダプタのみで交信してみるというようなこと(あといくつか)をするために、会社が営業をしている昼間にはできません。土曜日にやりまして、これはもう「アダプタとパソコンの間はつながっているが、アダプタとNTT回線間がつながっていない」としか判断できません。
 そうなりますと、すぐに新しいアダプタを送ってきてくれました。電話では、なかなか互いにつかまりませんもので、メールで何度もやりとりしました。東京めたりっく通信さんは実によくやってくれました。でも、ADSLのアダプタは故障することもあるのだということを知りました。
 今後、いくつもの会社でADSL化を勧めていきますが、今回のトラブルは非常にいい経験になりました。(2001.06.04)

10122409 このごろ、どこの会社でも、「パソコンを買いたいが、次は何を買ったらいいのか?」という問いを聞きます。もう当然何台かのパソコンはあるわけですが、さらに追加するのに、どうしようかというところなのですね。それは最初買いました数台に、なんかトラブルがあるととても不安になるようです。
 私はそれこそいくつもの会社で、さまざまなパソコンに触れていますが、やはり「ここのメーカーのはトラブルが多いな」と思うことが多々あります。本当は、この「今週のコンサル」でその名前まで明らかにしちゃえば、読んでいる方に少しは参考になると思うんですが、そうもいかないですね。
 自作したパソコンですと、あとから、マシンの中を開けて、いろいろなものを追加するのも楽なのですが、メーカー品の中には、「これはマシンの中を開けることを考えていないのじゃないかな?」と疑ってしまうようなものもあります。LANカードをパソコンのスロット入れるので、マシンを開けようとしましたが、できませんで、メーカーに電話して聞きましたら、時間がかかりましたが、

  男性二人で、向き合って、力いっぱい引き合うこと

という返事のところがありました。「本当なの?」と驚きまして、さらに

  でも、私以外は女性ばかりなんですよ

といいましたが、やはり「男性二人で」ということで、誰かに頼んでやりきったことがあります。思えば、マシンを開けることを考慮に入れていないとしか思えませんでした。有名メーカーですよ。
 あとさまざまなことがあります。ぜひともいろいろな方に聞きまして、それをおおいに参考にしてパソコンを選んでほしいものです。(2001.05.28)

10122412 私の長女おはぎがこの4月より、東京都文京区の小学校の美術の教員になりました。それで、おはぎは、文教大学の教育学部の美術専修生でした。最初はとくに「教員になる」と意思でこの大学と学部を選んだわけではありません。
そのことは以下に書いてあります。

  おはぎの進学(これはまた「周の家族・教育の話」で書きます)

 私はこの大学の父母会である「父母と教職員の会」に所属しておりまして、けっこう大学と関係がありまして、いろいろと接触してまいりました。それでおはぎたちの美術専修に関しまして、今までの先輩たちの就職についてはどうだったのかをいつも聞いてきました。教員試験の結果はどうだったのか、教員にならなかった学生はどのような職種に就いたのか聞いてきました。それで判断できるのですが、おはぎたちの学年の教員試験の結果は、とても良かったようです。なにしろ東京都だけで現役で11名受験して、実に8名が教員に採用されました。これは実にいい成績です。
 このことで思うことがあるわけです。私は二人の娘の同級生たちとは、けっこう親しくしてきました。電話でも話しますし、インターネット上でも話すし、それから自宅にもけっこう遊びに来てくれましたから、親しいのです。実にいい関係の友だち同士だなと思っていました。このいい友人関係だったからこそ、こうしていい結果が得られたのではと私は確信しています。よく、みんなで刺激しあって美術の制作をやったり、勉強したり遊んできたりしていました。たがいに影響しあって競った友人たちだったのでしょう。教員試験についても、けっこう一緒に勉強していました。そして、教員になった今でも、よく休みの日に会って、教材研究をして、そしてよく飲んでいるようです。これはいいことだと思うんですね。話を聞きますと、教員になってから、それぞれ、みないろいろなことで悩んでいるわけです。それをそれぞれが自分の例をだして励まし合っているようです。
 私は長女が学生だったときも、就職した今も、「これはいい友だち関係を作っているな」と思っています。
 私は会社の経営でも同じだと思うのですね。経営者も、そしてどこの現場の各責任者も、みなさまざまな問題が日々起きてきます。それをなんとか乗り超えていかなければ、ならないわけですが、それの一番いいことは、こうして、一緒に悩んで考えて励ましてくれる友人たちの存在だと思っています。
 今週、ある会社で、こうして娘の例で話したものでした。(2001.05.14)

10122310 このところ、実に親しい友人を失っています。

  周の追悼私記

に書きましたように(まだこのあと書くものもあります)、昨年11月に大親友であった堀雅裕さんが亡くなり、今年2月にクライアントの社長夫人の鈴木なみ子さん、4月に同じクライントの監査役でなみ子さんのお兄さんだった小林好友さんが亡くなりました。なみ子さんと小林さんは、友人というと、随分年上ですから私にはおこがましいのですが、もう実に親しく、愉しく仕事をさせてもらい、毎月実に愉しいお酒をいただいたものでした。思えば、堀さんの奥さんが私のことで、「二人がものすごく仲がいいから、妻の私が嫉妬してしまう」といい、小林さんの奥さんが、会社の新年会の席で、私と小林さんが手をつないで軍歌を唱っていたときに、「この二人は、本当に仲がいいんだから」と言っていたのを思い出します。
 そんな友人たちを失って、ものすごく気落ちしていたわけですが、今回また親しい友人を失いました。今度は私の軽はずみかつ馬鹿な言動で、愛想をつかされたのです。これまた私には、どうしたらいいのか判らないくらい辛いことです。
 堀さんは、かなり身体が丈夫ではなかったので、いつかは彼の死と対面することになるかもしれないとは予想していました。でも、こんなに早く、こんなことでそのときがくるとは思いませんでした。

  堀雅裕君を追悼する(これは私の旧ホームページで大きな部屋でした)

 その彼の死が来たら、私はその事態に堪えられるかななんてことを私は思っていたものです。いっそ、一緒に死んでしまえばいいかな、なんて思いも抱いたものでした。でもその現実が来たときに、私を支えてくれたのは、また何人もの友人たちでした。
 今4月に小林さんを失いまして、今また友人に去られて、非常に苦しい思いなのですが、またこのことを友人たちに吐露することによって、なんとかこの時を過ごしていきたいと考えています。いやそうするしかないし、私はそうやってきたのです。
 私がさまざまなクライアントへ行きまして、私だけでは処理できない仕事で別な友人を紹介しますと、「萩原さんの紹介した人は、もうそのことだけで信用する」と言われます。それは実に嬉しいことです。そしてもうそのクライアントの社長も私のことを大事な友人と思ってくれていることを感じます。こうして私は友人をいつも拡大してきました。そんな友人の存在を今こそ大きく感じています。
 私のクライアントでも、社長でも社員の方々でも、ひとりひとりにはさまざまなことがあります。「そんなときに話を聞いてくれる友人の存在が大事ですよ」と私は言ってきました。また、「そうした友人にこそ私がなりますよ」と言ってきました。今私自身が同じ時なのを心から感じています。 (2001.05.07)

10122301 先週の木曜日に、あるクライアントから事務所に帰ってくるときに、電車の中からお茶の水駅のお堀の対岸の緑や花を見つめました。とても爽やかな日でその緑がとても綺麗でした。でも、私はこうして実にひさしぶりにここの緑をこうしてぼんやり眺めたことに気がつきました。そして、「そういえば、このところ、こんなふうにボーッと景色を眺めたことなんかないな」と思いました。すぐちょうど1週間前からの自分の生活行動を思い浮かべたのですが、まさしくちょうど1週間、ただただ忙しく走り回っていました。とにかく仕事で急いで、夜は酒飲んで大声で詠って、電車に乗れば、必死に本を読んで、ホームページの更新も必死でして、飲み屋でもパソコン開いて、書いていたりしていました。
 ちょうど、このときのすぐ前に行ったクライアントで、行く前に必死に走っていきまして(坂の上にある会社でして、息が切れました。だって、その前に時間があったから銀行へ入って、ある振込をしようとしたのですが、なんと30分待たされた)、それで相手の会社へ入るなり、私は喋りながらノートパソコンを開いて、すぐにまた喋りだしました。 そうしましたら、そこの女性の社長が、

   もう、いつもせからしい男だなあ。まずは、ここに座ってお茶でも飲
  まんかい! それとも、このあとまたどこか行くの?

と言われました(彼女と私はとても親しいのとそして彼女が年上なので、いつも彼女はこういう口調で私に話しかけます)。私はいつも気がせいていまして、なんだか焦っているのですね。時間のなさを焦るよりも、なんだかもっとたくさんのことを相手に伝えたい思いなのです。
 でも、ちょうどその会社は年上の女性が二人でして、パソコンの話や財務会計ソフトの話や、デジカメ、カラープリンタの話をしていくうちに、だんだんと落ち着きます。そしてパソコンを操作したり、商業登記のお話もしまして、どうやら、私も役だっているようです。そんなことが確認できます。
 ここで、年上の女性二人とゆっくり落ちついて喋らないといけないなあ、ということを嫌というほど実感されまして、それでまた一旦自分の事務所に戻るときに、なんでか私の気持が「少しはぼんやり外を見ようか」と電車に乗ってお茶の水駅近くへ来たら、外の景色を眺めました。
 ここで思ったのですが、こうして、ときどきぼんやりと外の景色を眺めるのは大事なことだなということです。景色を眺めながら、私は自分の過去1週間をいつもとは違って思い出すことができました。いつもなら、仕事や飲み屋で誰と会って、どんなことを話していたかとか、ホームページの更新はどう進んでいるのかとかしか思い出さないのですが、綺麗な緑を見ていると、なんだか自分の心の状態までが見えてきました。「このところ、なんだかイライラ鬱々としてしまっているよな。原因は判っているんだ。このことを解決しなくちゃなあ」なんて気がついたものでした。見ている対象としての景色の中に、自分の今の気持を見つけている感じがしたものです。
「ぼんやり景色を眺めること」というのは、ちょっと矛盾した言い方になりますが、意識的にそんなことを作っていかなければいけないよなあ、なんて思ったものです。 (2001.04.30)

10122106 会社の営業で言いましても、個人の生き方でも、さまざまなところで闘いがあるわけです。でもその闘いの中で、いつも勝利できているわけではなく、いやむしろ勝てない闘いのほうが数が多いのではないでしょうか。いつも営業上の闘いで競合会社に勝利できているのなら、その会社はすぐに大会社になれているでしょう。でもそんなふうには事は進みません。個人の恋愛の世界でも、どうみても「失恋」ということが圧倒的に多いからこそ、たくさんの詩が生まれ、小説が生まれてきたのでしょう。
 ここで、多くの人が経験してしまう、敗北という事象の中での「どう振る舞うべきなのか」ということを先週あるところで話したものですから、ここで展開します。

 17世紀以前のヨーロッパでの戦争は、実はそれほどの悲惨な戦いはありませんでした。戦う両軍とも傭兵同士ですし、戦闘はいつも緩慢な動きでした。むしろ、戦争の戦闘中の死よりも、戦争中の病気による死のほうが恐ろしかったことでしょう。ところがそれを一変したのが、ナポレオンです。
 ナポレオンの率いるフランス軍はフランス革命を終えた国民皆兵の兵士たちでした。そしてそれを率いるナポレオンの特徴といったら、とにかく「行軍が素速いこと」と「戦った直後の殲滅戦」です。ナポレオンは最初のイタリア戦線において、数倍のオーストリー軍との戦闘において、それまでの常識を覆します。それが、素速く行軍することによる各個撃破の戦術でした。そして、戦いが終わっても、それまでの戦争では、敗北側ものんびりと後退できたものが、ナポレオンは機動力をいかして、敗北側をおいつめ、2度と立ち上がれないように殲滅します。これは戦いに破れた側には恐ろしいことでした。
 このナポレオンが全ヨーロッパを支配します。最後までナポレオンとの戦争を避けていたプロイセンも、ついには戦わざるをえなくなります。でもフリードリッヒ大王伝統の強いプロイセンです。ナポレオンにも勝てるはずでした。でもアッサリ、簡単に負けてしまいます。そして政治的にもナポレオンに「殲滅されて」しまうわけです。
 だがここで、プロイセンはむしろこのナポレオンの戦いを学んでいく何人かの若者が生まれてきます。これがのちに「ドイツ参謀本部」になっていく部隊でした。
 このプロイセンの参謀本部が考えたのは、強いナポレオンにぶつかって、たとえ戦闘に破れても、「殲滅」だけはされないような負け方でした。そして天才であるナポレオンそのものには、なるべく立ち会わないで、ひたすらフランス軍のほかの将軍を破り続けます。この「殲滅されない負け方」というのが大事なことなのです。戦いで「負けは、結果として負け」ではなく、「最後に勝てばいい」のですから、その負け方が問題なのです。2度と立ち上がれないように、敗北してしまうのではなく、個々の戦闘においてナポレオンに破れても、逃げ方を考えていきます。当然強いナポレオン相手ですから、いつも敗北してしまうわけですが、それでも「殲滅戦」だけは受けないように負けていきますだから、またフランス軍に挑戦していくことができます。
 この負け方については、プロ野球巨人軍の常勝監督だった川上監督も言っていたことがあります。「もうこれは負けだ」と思う試合でも、相手の肝胆を寒かしめるような負け方をしておくと言うのです。それによって、次の試合のときにも味方はひるみません。相手もだんだん消耗していくわけです。これは精神的にも肉体的にも消耗していきます。まさしくナポレオン軍がそうでした。勝利しても勝利しても次第に消耗してしまうのです。
 プロイセン軍は、恐ろしいナポレオン軍にも、何度負けても、「負けたけれど、相手にも相当なダメージを与えた、今度は勝てるかも」ということで、戦いをしかけていきます。ナポレオンがエルバ島に流されるまでに、連合軍がフランスに進出してパリが陥落するまでに14回の戦闘があり、実にナポレオンは11回勝利しています。まさしくナポレオンは神の如く戦争には強いのです。でもナポレオンは破れました。ナポレオンは戦闘に勝っても勝っても、相手を殲滅できないのです。プロイセン軍は負けても、うまく騎兵を使ってナポレオン軍を翻弄し、その間に本軍は逃げてしまいます。殲滅戦だけは受けてはならないのです。逆にナポレオン軍は、負け方を知りませんから、一旦負けると、とどまりようがないのです。とくにナポレオン自身が、負け方を知りませんので、フランス軍は逆に相手に殲滅されてしまうのです。
 これが最後のワーテルローの戦いでした。プロイセン軍をナポレオンはいとも簡単に破っていますから、あとはウェリントンのイギリス軍を破ればナポレオンの勝利でした。ウェリントンはたいした将軍ではありませんでしたから、ナポレオンが勝つのが当りまえなはずでした。でも破れたはずのプロイセン軍がまたフランス軍目がけて進軍してきます。ナポレオンは、双眼鏡でこのプロイセン軍を見て驚いたはずです(だから当初彼はこの軍を味方だと思った)。だがそこに現れたのは、いつも上手く負け方をしていたプロイセン軍でした。

 こうした負け方をよく学んでいくことが大事だと私は思っています。
 思えば、以上の書き方だけでは、判りにくいかなと不満なところです。私はもっと詳しくこのナポレオンのことや、ローマがハンニバルに負け続けても、結果としては勝利したこと、第2次大戦時における日本軍のことや、三派全学連の戦い方などでも展開したものです。そして恋愛における「負け方」も話したものでした。まさしく「最後に勝利すればいい」のです。(2001.04.23)

10121910 昨年の将門Webマガジン第15号(11月27日発行)で、この「だいた
いでいいじゃない」ということを書きました。以下にあります。

  だいたいでいいじゃない

 それでこのことをまた別な面から書いてみます。というのは、この「だいたいでいいじゃない」という発想を取れない若い方々とお会いしてしまうことが多々あるからなのです。
 どんなことでも「ちゃんとやれるはず」「きちんとやれるはずだ」と言う気持ばかりの若い方によく会います。もちろん、「ちゃんと、きちんと」仕事をこなすのは大事なことです。でも仕事を、その仕事を依頼しているクライアントが満足することではなく、とにかく「正確にやりきること」などという考えのみを後生大事にしていられたりすると、これはたまったものではありません。
 そんな傾向の若い人に言いました私の言葉です。このことを私はプロレスとK1を比較にして(すなわち、プロレスは八百長だけれど、K1は本気で真面目にやっているからいい、などという若者がいるものです)、説明してあげてもいいのですが、それじゃ相手は納得しませんから、次のようなことをいいました。

  あなたの考えだと、コンピュータ電子計算機のように、細かく正確
  にやるべきだと思うのかもしれないが、それはコンピュータが判って
  いないんだよ。コンピュータも「だいたいでいいじゃない」という概
  念を入れることによって、実は正しい選択が出来ているんだよ。

と話し始めます。
 次の計算をコンピュータはどうやってくれているのでしょうか。

      1÷3×3

 これを電卓で正確にじっくりやろうとすると、答えは1にはなりません。無限に0,9999999………………………………が続きます。ところが、コンピュータだと、これを見事「1」という答えを出します。どうしてでしょうか。これはコンピュータが「四捨五入」といういわば「だいたいでいいじゃない」という概念を含んでいるからできるのです。これは実はコンピュータを作るのにはちょっと面倒なことであるわけですが、そうしないと、この「だいたいでいいじゃない」という概念をわざわざ入れないと、正しい答えが出てこないわけなのです。
 数学的に、科学的に

      1÷3×3

の答えは、「1」なのです。
 この話をすると、どうやら真面目な若者も少しは納得してくれました。あとは仕事上でのさまざまなお話をして、さらに一緒に酒を飲めば、どうやら判ってくれる可能性が出てくるものです。(2001.04.16)

10121810 ある会社で、パソコンソフトの財務会計ソフトを推薦することになりました。私はいろいろな財務会計ソフトをすべて見てきました。秋葉原でのラオックスの無料講習会に何度か通ったものです。「大番頭」「PCA会計」「勘定奉行」「弥生会計」等々(まだ他にもありますが、みな操作しましたよ)が一番使われているようですね。でも何を勧めるのかというのは、それは決めてあります。ただ、その会社によって(例えば、顧問の税理士さんとの関係)、上のどれになるかは簡単にはいきません。
 パソコンでの財務会計ですと、いわば売上や仕入れ、および経費を予定で入れていくことにより、「資金繰り」にも使えるのですね。これは便利だと思います。
 ぜひパソコンを使う以上、財務会計ソフトで経理処理をしてほしいものです。
 それから私が推薦する財務会計ソフトは、エプソン販売「財務応援」です。(2001.04.09)

10121802 私はこのところ、あちこちの会社や個人のホームページ作成のコンサルといいますか実際の作業をいくつもやっております。ホームページを作るのは、実際のページをいくつか作って、それでまた更新していくようにと言えば、なんとか出来てはいきますが、それでそのホームページが隆盛になるとはいえません。ただ、個人が趣味的に開設するものならいいのですが、会社として立ちあげたとなると、この自分のサイトに常時来てくれるいわば顧客を増やさねばなりません。それは、個々のサイトのポリシーやコンセプトによってさまざまに考えられるのですが、どこのサイトでも今切実に言いきれるのは、

  ぜひメールマガジンを発行しましょう

ということです。今メールアドレスをもっている人は急速に増えています。メールのやり取りだけならできるという方が増えています。
 ホームページは、たとえどんな素晴らしいコンテンツをもっていましても、「誰かが訪れてくれる」のを「待っている」しかありません。それにたいしてメールマガジンなら、メールアドレスが判る方にたいしてなら、ダイレクトに訴えることができます。
 それから、私が感じますのは、けっこう年代の上の方には、ホームページのさまざまなデザインを考えるよりも、「とにかく自分の訴えたいこと」をテキストで打つほうがずっと楽なはずです。これは私自身で、このメールマガジンを出してきて、充分感じていることです。メールマガジンで、自分のもっていることを相手に伝えて、さらにそれをまた編集しなおして、ホームページ上に置けばいいと思うのです。もうホームページ上のデザインやレイアウトは若い社員にやってもらってもいいかもしれません。
 私はこのことをあちこちの会社で勧めていきます。メールマガジンを使ったいろいろなことが考えられると思っています。これをやりきることで、ホームページ本体のほうもいろいろなことが見えてくるのではないかと、私のいくつものクライアントで考えております。(2001.04.02)

10121702 けっこう「ホームページを作りたいので、作り方を教えて」という申し出があります。そのことで、電話やメールだけで話しても埒があかないので、相手の事務所に出かけていくことが多々あります。
 それでこのごろつくづく思うことですが、最初の最初は、indexページ他3ページくらいをこちらが実際に作ってあげて、サーバーにアップロードしてあげたほうがホームページ作成を学ぶのには早いということです。数ページを作ってそこで改めて全体の構成を考えてもらいます。最初の最初から、全体の構想を考えてもらっていても、実際にページが出来てくると、考えが変更してしまうことが多いのです。
 私も最初は、親しい友人に何ページか作ってもらいました。それをUPすることで、当初考えていたこととは、何かが違うなということにおおいにあわてまして、また必死に更新UPをして行ったものでした。
 ほぼ、こうしたやり方で、あちこちの会社や個人でも、ホームページのオープンが続いています。そしてこうしてホームページを運営しますと、それこそインターネットのこともパソコンのことにもより理解が深まっていける方々ばかりなように思います。
 さて今週もまたあちこちへ行きますよ。(2001.03.26)

10121605 12日(月)に、私の事務所にやっとADSLが入りました。ただ今週は、それこそ事務所にゆっくりいることがなくて、ただ夜中に会社に泊まるはめになることが4日もありまして、それでそのときに、このADSLの速さを実感としておおいに感じいりました。自宅のCATVタイタスよりも、ずっと快適です。
 これがもっと普及すると、いろいろなことが変わっていくだろうなと思います。もっと新しいビジネスもでてくることでしょう。例えば、個人でテレビ局をインターネット上で作ってしまうというようなことが、簡単に出来ます。ゲームも変わるでしょうね。オンラインの対戦ゲームなんかもっと大掛かりになれるわけです。そうなると、ただでさえ苦しいゲームセンターなんかますます経営困難になっていくことでしょう。
 私は以下で頼みました。

  東京めたりっく通信(今はサービスは終了しています)

 なんだか、工事と言っても簡単なもので、パソコンとの接続の設定は自分でやらないとなりません。これまたすぐに出来てしまいます。
 これで、あとは私の各クライアントに薦めていきます。ちょうど昨年の間にみなLANを構築して、フレッツISDNになった会社ばかりですから、さらにこれを入れると、急速に進歩しますね。メールの添付ファイルでデジカメの画像が遅くてイライラしていたところも、こうなると快適に送受信できるでしょう。大きなソフトをダウンロードするのも快適です。またこれで、さまざまにコンサルしていかなかればなりません。(2001.03.19)

10121504 前回の「絶えず向上することを目指すこと」を読んだ方から、同意できるというようなお話をいただきました。本当は、私は「誰も向上する意思こそが大事だ」というようなことをいいたかったわけですが、とくにホームページのことを書いたことから、さらに具体的に聞かれてきました。

  少なくとも、「自分の会社の規模では、インターネットでホームページ
 やっても意味ない」と下降して考えるのではなく、「自分の会社の規模だ
 と、まずは、このことだけに使ってみるか」と考えることが大事なんです。

という部分なのですが、もっと具体的に話してくれないかという要望です。「どのように自社のホームページを位置づけて作成し展開していくべきか?」という問いなのです。
 現在インターネット上には、毎日莫大な数のサイトが生まれています。デザインも優れたもの、そして「内容の更新が大事だ」と言っても、それもやり続けているサイトもたくさん出てきました。そんな中で、自分の会社のホームページが、如何にその存在をアッピールできるでしょうか。おそらく、

  うちみたいな小さな会社のたいして予算もかけていないホームページな
 んか、見てくれる人は少ないだろうな。

というところではないでしょうか。

  これじゃ、ここでなにかを売るどころか、ホームページそのものを恒常
 的に見にきてくれる人だってでてくるのかなあ?

なんて思いしかないかもしれません。どうみてももっと魅力のあるデザインや、魅力あるプレゼントを絶えず用意しているサイトのほうにこそ、人はたくさん行ってしまうことでしょう。

  こうなると、「今どきホームページも持っていない会社ではない」とい
 うくらいの存在意味かな。

とまでの思いになるかもしれません。
 そんなところで、私がいうわけです。「自分の会社だと、ホームページを、まずはこのことだけに使ってみようか」というふうに考えるべきだということです。その「このことだけ」というのかが、何なのかを考えていきましょう。 例えば、まずは「自分の社内の人間が熱心に見るようなサイト作りをする」というような位置づけです。
 ある会社では、そこの「営業管理マニュアル」というような文書がかなりな量であって、しかも毎年改訂されているのを私は見たことがあります。これをホームページに載せるのです。もちろん、外部に出せない内容ならば、閉鎖ページにしてIDとパスワードで、そのページに入れるようにすればいい。これは営業上社員が絶えず見ておかないとならないようなものだから、毎年細かく改訂されていたのでしょうが、これがホームページ上にあれば、いつでもどこでも参照できます。
 あるいは、顧客が何万人といる会社で、その顧客の慶弔見舞規定が細かくなっているところもあります。顧客とのそのつき合いの内容によって、弔電を誰が打つのか(部の長の名前か、それとも社長名か)、あるいは、実際のお通夜お葬式には、どの場合だと、どうすればいいのかという会社内の決りを、ホームページ上に載せておきます。このつき合いは大事なことになります。これがどんな緊急なときにも、どこでもいつでも社員なら誰でも参照できるようになります。
 あるいは、それこそ顧客の会社のホームページをできるだけすべてリンク集にしておいてもいいかと思います。営業にいく以上は、必ず前もってそのサイトを見ていくようにします。サイトがない会社ならば、その会社の業界の情報を提示してくれているサイトをリンク集にしてもいい。営業に行って、いつも話題が絶えないはずです。
 その他たくさん思い浮かぶことがあります。そして、このことは実際に私があちこちの会社でコンサル指導していることです。大きな会社のホームページと同じことはできなくとも、自社のホームページをこのように位置づけ活用していくことは大事だと思います。(2001.03.12)

10121402 どうしても、誰でも今の自分の場が少し安心できる場だとそれに安住してしまうという傾向があります。これはどんな会社の経営者でも、その少しだけでも安心できる場に逃げてしまうという傾向もありがちです。だがこれだと、その安住の場まで、いつか修羅場になる可能性がおおいに出てきます。とくに、この現在のような情況ですと、なにか経営がうまく行かないことを、「時代」や「不況」のせいにして、そのことで少しの安心感を得ようとしてしまう傾向の人がいるものです。
 これは誰もありがちなことだとはいえ、もう企業であっても、個人であっても行方を不安定なものに自分からしているだけです。
 このことは、とくに会社の経営というようなことでなくとも、個人の生活の中でも同じだと思います。安住できる場だけに固執していると、やがて失速します。少しの角度だけでも上を向いていないと、落ちてしまうものなのです。
 現在の情況ですから、いろいろなところでお話していても、なんかプラスになるようなことを考えられないということで、どうしてもひきこもるような動きになり勝ちな会社や個人を見てしまいます。
 例えば、会社のホームページを作成するという動きが、会社の若い人たちから出てきたとしても、

   うちの会社の商品はインターネットで売れるようなものではない。だい
  いち、インターネットなんて、大手ならみな見てくれるかもしれないが、
  うちの社員たちが、金もかけないで作るんだから、大手に勝てるわけが
    ない

などと考え勝ちです。事実はたしかにホームページを作ったからといっても、すぐ物が売れたり、お客さんが来てくれたりするわけではありません。
 でもそうだとしたら、また別にこの自社のホームページを位置づけることもできるはずです。もう対外的というよりも、社内の意志疎通、情報化のために使うというようなことですね。顧客のホームページのリンクを詳細に貼るのもいい。あるいは、お客様に見積を素速く出せるようなフォーマットをCGIで作ってもいい。顧客のホームページはリンクしてあるから、確実に見るようにすれば、顧客との会話ははずむはずです。
 少なくとも、「自分の会社の規模では、インターネットでホームページやっても意味ない」と下降して考えるのではなく、「自分の会社の規模だと、まずは、このことだけに使ってみるか」と考えることが大事なんです。このことだけで向上しようとしているといえるかと思います。
 これは近ごろ、あちこちで私が話していることなのです。 (2001.03.05)

10121206 先々週なのですが、古い友人が秋田から出てきました。私がまだ学生のときに土方をやったいたときのその土方の大将でした。彼は現在、ある流通業の会社の専務をやっています。それからまた別に経営コンサルタントもやっています。彼は若い当時も今も、一緒に愉しく飲んでいることのできる仲間です。
 彼はさまざまなエピソードの持ち主です。彼に関して語りたいことはいくつもあります。でもここでは彼が仕事をするときに言っていました「(自分の)気がすまない」ということだけ書きたいと思いました。
 彼と土方をやっていたときです。沖縄の海洋博会場への送電線を造る仕事をしていました。米軍基地の中へ行きまして、そこに大きな穴を掘りまして、そこに大きな鉄骨を4本入れて、その1本1本に鉄筋を組んで、生コンを入れて、さらに4本の鉄骨を組んで、巨大な塔を造っていきます。
 その鉄骨の周りに鉄筋を組んで、ベニヤで仮枠を造り、生コンを入れていくわけですが、この鉄筋を組むときに、ハッカというもので、鉄線で鉄筋を結束していきます。このときに彼はさまざまに私に教えてくれました。「こういうふうに結束すると力が2倍違うんだ」というように、教えてくれました。
 この鉄骨を造る現場がいくつもあるわけですが、あるときに、土台の鉄骨に生コンを打つときに、穴の底で鉄筋の結束が間に合わないことがありました。そこでは私と彼が仕事をやっています。もう間に合わないから、一つおきに結束していきます。もう上には生コン車が来ています。もう穴の上では、現場監督が穴の下にいる私たちに「上にあがれ」と大声でいいます。
 もうそのまま生コン車が迫ってきます。もう頭の上から生コンが降ってきそうです。上からは、「上がれ」という声が盛んです。でも彼はいいます。

  もう、上を見るな。とにかく、やれ。このままじゃ気がすまない。

 この塔は、でき上がると理論上80年持つそうでして、おそらく100年後でも誰も何もしないでしょう。だから、ここで鉄線の結束が、多少少なくても、大勢には関係ないのです。どうやっても、問題はありません。でも彼は違うのです。誰がなんと言おうと、結果が同じかもしれないけれど、自分の気がすむまでちゃんと仕事をやり遂げたいのです。
 このときは、最後の最後に彼がやっと「あがれ!」と大声をあげまして、必死に中央の鉄骨にしがみついて上に昇ったときに、私のヘルメットに少しぶつかりながら生コンクリートが、穴の下に落ちていきました。
 私は今も彼のこのときの言葉を忘れていません。どんな仕事をやっていても私は忘れません。仕事は手を抜こうと思えばいくらでも抜けます。誰も見ていなければ、いくらでもさぼれます。でもいつでも、そのことを知っている人間がいます。それは自分なのです。ですから、私は夜中たった一人で仕事をしているときにも、「自分の気がすまないから」、あくまでやりきります。いやそういうふうに自分をしむけてきました。自分の「気がすまない」から、いつでもどこでもやりきります。 (2001.02.26)

10121109 17日(土)に私は千葉市で「文教大学父母と教職員の会千葉支部」の役員会が午後12時からありました。私は少し二日酔いでしたが、お茶の水の事務所を10時45分頃出ればちょうどいいと思っていました。私が気になっていたのは、電車の中で読む本のことだけでした。行きはいいけれど、千葉から自宅へ帰宅するときの本を用意していないことでした。「まあ、千葉か船橋で買えばいいや」ということで、その本屋を少し思い浮かべました。
 あとは電車に乗ると、いつものことですが、本を読むことに必死です。あとはときどき電車の外の景色を眺めます。駅や、駅の前に新しいビルやホテルとか何かが出来ていないか見るようにしているのです。ただ、ぼんやりと「でもきょうの役員会はどっちのホテルだろう?」なんて思っていました。千葉モノレールの「千葉みなと」駅そばの「ホテルプラザ」か「県庁前」駅そばの「プラザ菜の花」のどちらかなのですが、本を読むことに夢中な私は、「どうせ千葉駅に降りる頃、思い出すだろう」ということで、そのまま本を読んでいきます。そして読んでいた本が、本日の「今週の雑読」で紹介している以下の本でした。

書名  社長が起した「情報革命」
著者  小山昇
発行所 ビジネス社

 そしてやがては千葉駅に到着です。役員会の連絡は1週間前に電話で自宅で受けまして、その場で、目の前のカレンダーに書き込みました。でも私は前日は事務所泊でした。
 でも、普通はモノレール駅で乗車券を買う頃思い出すものです。たしかに思い出しました。だが、これが私の記憶違いでした。私は違うホテルの方へ行ってしまいました。「ちゃんと時間通り来たな」なんて思っていたのですが、ホテルは結婚式のお客さまばかりです。「あ、いけねえ」と思い、また走りだしました。約25分遅れて到達しました。しかし、これは非常によくないことです。他の役員の方には大変に迷惑なことです。とても羞しいことです。
 私はこの25分間を、「どうしてこうしたしくじりをしてしまったのか? これからこうしたしくじりを起さないようにするのには、どうするのか」ということを考えていました。
 私は手帳を持っていません。ウェイブ上で自分のスケジュールを管理しています。そしてこれはパソコンで入力し、iモードでも入力もできるし、確認もできます。約束の1時間前にiモードにメールが来るようにもしています。すっかり忘れていても、このメールで携帯のマナーモードで「あ、そうだった」と気がつくこともあります。
 だが、一番の落とし穴は、今回のように電話で受けて、それをカレンダーに書いてしまったように、どこかに書いてしまうと、それで私の気持の中で終わってしまって、パソコンのキーボードで打つのを忘れてしまうことです。そしてこれはまた起しそうです。
 そこで、私はこうした「しくじり行為」を起さないように、自分のスケジュール管理の方法をずっと考えました。今週その方法を確立します。まだ内容を喋られる段階ではありません。
 でも、誰でもこうした「しくじり行為」を犯してしまうわけですが、問題はまた同じしくじりをやってしまうことです。このことこそが、一番耻かしいことだと思っております。(2001.02.19)

↑このページのトップヘ