将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:周の映画演劇館

13070815 私は「山田洋次『男はつらいよ』」のことでで次のように書いています。

第42作(1989年12月27日)男はつらいよ ぼくの伯父さん 後藤久美子
第43作(1990年12月22日)男はつらいよ 寅次郎の休日 後藤久美子
第44作(1991年12月23日)男はつらいよ 寅次郎の告白 後藤久美子
第45作(1992年12月26日)男はつらいよ 寅次郎の青春 後藤久美子

第42、43、44、45作のマドンナは後藤久美子ですが、これは満男の好きなマドンナで寅次郎にはまた別にマドンナという存在がいます。

 この満男の好きなマドンナではなく、寅次郎の好きなマドンナ名を書きます。

第42作(1989年12月27日)男はつらいよ ぼくの伯父さん 壇ふみ
第43作(1990年12月22日)男はつらいよ 寅次郎の休日 夏木マリ
第44作(1991年12月23日)男はつらいよ 寅次郎の告白 吉田日出子
第45作(1992年12月26日)男はつらいよ 寅次郎の青春 風吹ジュン

 この女優さんたちも、私は大好きです。及川泉(後藤久美子)の母親及川礼子(夏木マリ)に、最期寅さんから薔薇が届きます。それが黄色の薔薇なのですね。私も当時もよく女性にお花を贈りましたが、この色のバラは私には想像もつかないものでした。
 私はものすごくおどろいて、このときの寅さんのセンスに感激したものです。礼子が周りに聞かれて、「私の恋人よ」と答えるときに、私はまた涙になります。
 42作の壇ふみも、第44作の吉田日出子も、45作の風吹ジュンもみないいです。私はみな大好きな女優さんです。
 また私の「男はつらいよ」への思いを完成させましょう。

13062803 私はこの「周の映画演劇館」で、「山田洋次『男はつらいよ』」への私の思いを書いてきました。
 でも私は第20作の『男はつらいよ 寅次郎頑張れ!』までしか書いていません。実は第21作の『男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく』(マドンナは木の実ナナ)は書いてはいるのですが、まだ中途半端だと思ってUPできないでいるのです。
 従って、これが書けないと、そのあとも書けないのですね。
 以下公開日と映画の題名とマドンナ役の女優名を載せてみます。

第1作(1969年08月27日)男はつらいよ 光本幸子
第2作(1969年11月15日)続・男はつらいよ 佐藤オリエ
第3作(1970年01月15日)男はつらいよ フーテンの寅 新珠三千代
第4作(1970年02月27日)新・男はつらいよ 栗原小巻
第5作(1970年08月25日)男はつらいよ 望郷篇 長山藍子
第6作(1971年01月15日)男はつらいよ 純情篇 若尾文子
第7作(1971年04月28日)男はつらいよ 奮闘篇 榊原るみ
第8作(1971年12月29日)男はつらいよ 寅次郎恋歌 池内淳子
第9作(1972年08月05日)男はつらいよ 柴又慕情 吉永小百合
第10作(1972年12月29日)男はつらいよ 寅次郎夢枕 八千草薫
第11作(1973年08月04日)男はつらいよ 寅次郎忘れな草 浅丘ルリ子
第12作(1973年12月26日)男はつらいよ 私の寅さん 岸惠子
第13作(1974年08月03日)男はつらいよ 寅次郎恋やつれ 吉永小百合
第14作(1974年12月28日)男はつらいよ 寅次郎子守唄 十朱幸代
第15作(1975年08月02日)男はつらいよ 寅次郎相合い傘 浅丘ルリ子
第16作(1975年12月27日)男はつらいよ 葛飾立志篇 樫山文枝
第17作(1976年07月24日)男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け 太地喜和子
第18作(1976年12月25日)男はつらいよ 寅次郎純情詩集 京マチ子
第19作(1977年08月06日)男はつらいよ 寅次郎と殿様 真野響子
第20作(1977年12月24日)男はつらいよ 寅次郎頑張れ! 藤村志保
第21作(1978年08月05日)男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく 木の実ナナ
第22作(1978年12月27日)男はつらいよ 噂の寅次郎 大原麗子
第23作(1979年08月04日)男はつらいよ 翔んでる寅次郎 桃井かおり
第24作(1979年12月28日)男はつらいよ 寅次郎春の夢 香川京子
第25作(1980年08月02日)男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 浅丘ルリ子
第26作(1980年12月27日)男はつらいよ 寅次郎かもめ歌 伊藤蘭
第27作(1981年08月08日)男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎 松坂慶子
第28作(1981年12月28日)男はつらいよ 寅次郎紙風船 音無美紀子
第29作(1982年08月07日)男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋 いしだあゆみ
第30作(1982年12月28日)男はつらいよ 花も嵐も寅次郎 田中裕子
第31作(1983年08月06日)男はつらいよ 旅と女と寅次郎 都はるみ
第32作(1983年12月28日)男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎 竹下景子
第33作(1984年08月04日)男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎 中原理恵
第34作(1984年12月28日)男はつらいよ 寅次郎真実一路 大原麗子
第35作(1985年08月03日)男はつらいよ 寅次郎恋愛塾 樋口可南子
第36作(1985年12月28日)男はつらいよ 柴又より愛をこめて 栗原小巻
第37作(1986年12月20日)男はつらいよ 幸福の青い鳥 志穂美悦子
第38作(1987年08月05日)男はつらいよ 知床慕情 竹下景子
第39作(1987年12月26日)男はつらいよ 寅次郎物語 秋吉久美子
第40作(1988年12月24日)男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日 三田佳子
第41作(1989年08月05日)男はつらいよ 寅次郎心の旅路 竹下景子
第42作(1989年12月27日)男はつらいよ ぼくの伯父さん 後藤久美子
第43作(1990年12月22日)男はつらいよ 寅次郎の休日 後藤久美子
第44作(1991年12月23日)男はつらいよ 寅次郎の告白 後藤久美子
第45作(1992年12月26日)男はつらいよ 寅次郎の青春 後藤久美子
第46作(1993年12月25日)男はつらいよ 寅次郎の縁談 松坂慶子
第47作(1994年12月23日)男はつらいよ 拝啓車寅次郎様 かたせ梨乃
第48作(1995年12月23日)男はつらいよ 寅次郎紅の花 浅丘ルリ子

13062806 私は今後も書くつもりは充分にあります。なんとかやらねばと思ってはいます。それと第42、43、44、45作のマドンナは後藤久美子ですが、これは満男の好きなマドンナで寅次郎にはまた別にマドンナという存在がいます。

「山田洋次『男はつらいよ』」のことでの2

12062304 今インターネットで調べました。与謝蕪村は「与謝野蕪村」もありますね。どういうわけなのだろうか。私の将門Webでは与謝野蕪村で書いています。

2012/06/24 05:57将門Webで『周の映画演劇館』で『「小津安二郎『東京物語』」のことで』に書いたのですが、映画もいいですね。でもこれを書いているnoraさんが書いているビデオの『緑園の天使』が王子図書館にはなくて、東京では新宿・渋谷・港の3つでは他の区でも借りられるのですが、でも実際にはできないのです。ビデオは駄目なのかなあ。9時過ぎたら聞いてみましょう。本は他の区でも借りられたのですがね。12062401
 日経新聞がちょうど5時に入ってきました。それですぐに「黒書院の六兵衛」を読みました。この孫右衛門の語る話で今日は全面書かれています。この彼は算(かぞ)えの54歳だといいます。私が今はもう64歳だものなあ。私より、10、1歳年下なんだ。
 その上にある「樺山紘一『軍人クラウゼヴィッツ理論で大成』」ですが、私は思えば、『戦争論』も読んでいないんだなあ。いや、分厚い高価格な本ばかりだったので躊躇してしまっていたのです。たしか岩波文庫でも全3冊であったよなあ。また9時すぎたら予約しましょう。
「はやく起きた朝は」を見はじめています。
 今日は「林檎忌」だそうです。美空ひばりさんの命日だということです。
2012/06/24 06:47日経の16面17面が見開きで「与謝蕪村」があります。私は与謝野蕪村だと思っていました。これは私は大反省ですね。あとでちゃんと調べましょう。
 次は「ボクらの時代」です。このハーフの娘三人も面白いですね。
 しかし蕪村のことを私はたいして知らないのだなあ。荻原井泉水の文章を思い出します。私の父が蕪村の俳句が実に好きだったなあ、とつくづく思い出します。
2012/06/24 07:32次の「がっちりマンデー」を見ていてまた興味深いですね。
 こんな会社もあるんだなあ。

 荻原井泉水もポメラでは「せいせんすい」と入れても(分けていれても)出ませんので、あとでパソコンで入れました。

 山田洋次『男はつらいよ』の第一作については書いてみました。

12050605120506062012/05/06 17:43「笑点」を見始めました。いつもやはり面白いと笑っています。
2012/05/06 18:56私はこのブログに、私が映画を見たことの思いを書こうと(今までもかなり書いていますが)いうことで、「山田洋次『男はつらいよ』」を全48作書こうという気になりました。たしかそのうち2作は書いているので、あと46作を書いて行こうと思っているわけです。
 でも本を読んだ書評を書くことは大きく違うのです。本はその読んだ本を手元に置いて(今電池を替えました)それを見ながら、書けるわけですが、でも今はインターネットでそれに変わる(自分の手元に本を置くことと同じ)だけでやれるはずだと思ってきました。
 その思いでいくつかの「周の映画演劇館」(演劇のことはまた別ですが)を書きましたが、でもこうして「男はつらいよ」もやろうと思ったものなのです。

 こうして、映画についても書いていくのはいいことですね。

12042907 いや、これを書いたのですが、大事な女優を書くのを忘れていました。芹明香です。この映画の中でも、けだるい役として出ていたかと思います。
 キャストのところで書くのを忘れていました。

 ドヤの女 芹明香

 石川力夫が大阪に一時行っているときに、力夫のセックスの相手をするのですが、それよりも彼女もヒロポンを打つのです。そのときの演技が実にいいのです。
 この映画を見た私の後輩も、このときの彼女の演技を言っていました。この芹明香の演技は主役の渡哲也も超えたのじゃないかなあ。
 はっきりいいまして、この女優は私は好きでありませんでした。でもこのときの彼女の演技で私はすぐにファンになってしまったものです。

12042802 この映画は、私にもただ暗い映画でした。たしか昭和館で独りで見たと思います。この映画の最後のシーンで、新宿のあるお寺にある石川力夫の建てた墓が映されます。その墓には「仁義」の文字が刻まれています。 ただし、もう何年も誰も訪れてはいないでしょう。

題名  仁義の墓場
封切 1975年2月15日
監督 深作欣二
原作 藤田五郎
配給会社 東映
キャスト12042801
 石川力夫    渡哲也
  石川地恵子  多岐川裕美
  今井幸三郎  梅宮辰夫
  田村弘      山城新伍
  河田修造    ハナ肇
  松岡安夫    室田日出男
  小崎勝次    田中邦衛
  青木政次    今井健二
  野津竜之助  安藤昇
  梶木昇      成田三樹夫
 石工    三谷昇
  今井照子    池玲子

 この暗い辛い映画は、私は私以外の家族には、誰にも見せたくありません。私独りでこっそり見て、どうしてもいくつものシーンで悲しくむなしくなってしまうだけでいいのです。
 それにしても、渡哲也は、この映画をよくやってくれたと思います。彼は実際にこの当時病気だったのですが、東映に移籍の第一作目がこの作品でした。当初は、この石川力夫訳は菅原文太でも考えたらしいのですが、これは渡哲也が最高の適役でした。12042804
 事実として、この石川力夫を描いた「人斬り与太狂犬三兄弟」は菅原文太主演で1972年に制作配給されていますが、この「仁義の墓場」はあくまで渡哲也で考えられたようです。この渡哲也が実に最高の演技でした。
 そして女優の多岐川裕美も実に最高に良かったです。「人斬り与太狂犬三兄弟」での渚まゆみも良かったのですが、実に綺麗で可哀想で、主人公が憎くなるばかりでした。
 私は多岐川裕美は、好きではないというよりも、嫌いな女優でしたが、この映画を見て、たちどころにファンになったものでした。12042803
 地恵子は石川力夫に強姦され、無理やり妻にされてしまうのです。でもそのために石川力夫は、肺病をうつされることになります。
 石川力夫が服役している中昭和二十六年一月二十九日、地恵子は自殺します。それで仮出獄が許され(でも実は、別なことで仮出極になっていたのです)、でもその時にも、彼はヒロポンを打っている力夫なのです。またこの妻の遺骨を自分でむさぼり食いながら、自分の組に金をせびる力夫です。
 最後府中刑務所の壁から、「大笑い 三十年の 馬鹿騒ぎ」という遺書を独房の壁に残して飛び降り自殺します。

 ただただ、私には暗く辛い映画でした。

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  一つ前の周の映画演劇館「滝田洋二郎『陰陽師』」を書いたときに、その私が見た映画を書くところに、この『下妻物語』に関するメモも残っていました。これも日本映画専門チャンネルで見ていたものです。
 この際、また書いてしまって、UPしてしまおうと思ったものです。

題名  下妻物語
封切 2004年5月29日
監督 中島哲也
配給会社 東宝
キャスト
 竜ヶ崎桃子  深田恭子
 白百合イチゴ 土屋アンナ
 桃子の父   宮迫博之
 桃子の母   篠原涼子
 桃子の祖母  樹木希林
 亜樹美    小池栄子
 一角獣の龍二 阿部サダヲ

 私は深田恭子は好きな女優であり、篠原涼子も好きです。でも土屋アンナという人は、テレビコマーシャルでしか知らないし、それで見ても、どうにも好感も持てる女優さんではありませんでした。
 それがこの映画を見たとたんにファンになった思いです。

 私は出身が茨城県佐貫(今は取手市新川になっています)なのですが、小学生(名古屋の小学校のとき)のときから夏休みには訪れていました。母の実家なのです。
 それでここにはいくつもの思いがあり、ずっと好感のもてる土地ではありませんでした。それが、この映画を見ていても、私自身の故郷茨城への偏見もあり、「ああ、そうだよな。だから嫌になるんだよな」という思いになってしまうのです。でも実は、私はそんな故郷の茨城が好きであるわけなのです。
 この映画でも、竜ヶ崎桃子と白百合イチゴはもうとてもいいです。ここで桃子もイチゴも行く代官山も、私は東横線の白楽に大学一年まで暮らしていましたから、実に親しい思いのするところなのです。
 なんとなく、なんら内容がないように思えて、でも私には実に好きになれた映画でした。

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 先ほどまでテレビで「日本映画専門チャンネル」で、この映画を見ました。なかなか熱心に見ていたわけではありませんが、何かを書き残しておこうと思ったものです。

題名  陰陽師
封切 2001年10年
原作 夢枕獏
監督 滝田洋二郎
配給会社 東宝
キャスト
  安倍晴明  野村萬斎
  源博雅    伊藤英明
  蜜虫      今井絵理子
  祐姫      夏川結衣
  瓜の女    宝生舞
  青音      小泉今日子
  早良親王  萩原聖人
  藤原元方  柄本明
  帝        岸部一徳
  道尊      真田広之

 陰陽師(おんみょうじ)というのは、日本の律令制下に於いてあった官職の一つで、陰陽五行の思想に基づいた陰陽道によって、占術や呪術、祭祀を司るようになったもので、中でも、この安倍晴明が知られているわけですが、私にはそもそもそんなに知っている人物ではありませんでした。
 思えば、安倍晴明(921年2月21日延喜21年1月11日〜1005年10月31日寛弘2年9月26日)も源博雅(918年延喜18年)〜 980年11月8日天元3年9月28日)も実在の歴史中の人物であり、私はそんなに映画の展開には親しい思いは抱かないものでした。そもそも陰陽道なんて、この日本では、それほど大きな存在意味を持ったものかなあ、というところでした。
 ただ、この主演の野村萬斎は、なにしろこの映画で、私もいつも最初に本業の狂言師よりも、この「陰陽師だ」と思ってしまうくらいです。
 孫とよく一緒にNHK教育テレビで、いつもこの野村萬斎を拝見するのですが、そこでも狂言よりも「陰陽師だ」と思ってしまうのですね。
 映画そのものは、単純に「少し面白いかな」と思ったところですが、あとは、それほどのめりこんで見ることはできなかったものです。

 このごろ映画はこうしてテレビで拝見するばかりで、そしてこうして、私のブログに書くことにより、少しは私の理解がまとまるかなあ、と言ったところです。

11022509 周の映画演劇館「小津安二郎『東京物語』」へのコメントへ、さらにoduyasuさんから、次のコメントをいただきました。

1. Posted by oduyasu   2011年02月23日 10:50
 『東京物語』は、見れば見るほど、味わい深くなっていきますね。

原節子さん、いつまでもお元気で。

 私は鎌倉が好きで、よく歩きます。前には誰か女性と歩いたものですが、このところ3回ほどは、いつも私は独りで歩いています。いつも鎌倉にお住みの原節子さんに会えないものかなあ、なんて思いで歩いているものです。
 私は高峰秀子さんも大好きなファンでした。彼女の書いた作品(エッセイ)はすべて読んでいます。つい先日亡くなられて、ものすごく哀しい思いでした。
 また鎌倉を歩いて、原節子さんに会えないものかなあ…なんて、甲斐のないことを思い浮かべていきます。

11021801 周の映画演劇館「小津安二郎『東京物語』」へカッサンドラさんから以下のコメントがありました。

1. Posted by カッサンドラ   2011年02月18日 11:22
偶然に行き着いたあなたのブログです。
「東京物語」を発見しながら生きていく毎日は、幸せだなあと思います。

 どうもコメントをありがとう。カッサンドラさんのコメントを読んで、あの日のことを思い出してきました。1993年の3月に私はクライアントである顧問先の木工所の監査役の方と、その社長の家で飲み始めました。
 そこには、社長の奥さんがいます。彼女がお酒等を用意してくれます。ここでは真夏でも日本酒しか飲みません。私がそういうことにしてしまったのです。
 私はそこの会社に数年前にコンサルに入り、赤字で大変だというところをすべて立て直したのです。前の顧問の税理士はけっこう有名な方のようでしたが、そしてかなりな報酬をもらっていましたが、何もできませんでした。
 その監査役は当初は社会党支持で、私にも「萩原さんもそうでしょう!」というのでしたが、私は「冗談ではない、私は社会党なんか大嫌いだ。そもそも選挙なんか行ったことがない。私は昔の三派全学連過激派だ」と言って、そして詩吟で「黒澤忠三郎『絶命詩』」をやりましたものです。
 でもその後数ヶ月で見事に優秀な会社になって、税務署からも実にほめられたものです。
 あとは、私は毎回月1度行きまして、日本酒を飲んでいるだけでした。私がいうのは、「ビールはいらない、お酒がいい」ということくらいでした。そこに十数年行っていたのかなあ。
 もうその監査役も、社長もその奥さまも亡くなられています。
 そこの社長宅から帰るときに、会社には帰らず、日暮里駅で降りて、また飲んだ記録が、この日のことなのです。
 この「小津安二郎『東京物語』」は実にいい映画ですね。私は今まで何度見たことでしょうか。そもそも私は原節子の絶大なファンなのですね。原節子の映画も何度も見ています。私は今も鎌倉へ行くのが好きなのですが(つい先日も行きました)、いつも「ひょっとしたら、原節子に会えるかな」なんて思っているものです。
 貴サイトは拝見しました。「カッサンドラ」というのは、トロイヤのプリアモスとヘカベーの娘さんだった方のことですか。私はギリシア悲劇(喜劇も読んでいますが)は残っている作品は、すべて読んでいるので、もうこうした名前にはものすごく親しみを覚えるのです。

10111619 現在は、「周の映画演劇館」としましたが、前のホームページでは、「周の映画館」「周の演劇館」と分けていました。その頃書いた文が以下です。

 私のホームページの中で、比較的読んでいただいているようで、しかも直接お会いしたときによくお話のでるのが「周の映画館」です。
 それで、そうしたときによく言われるのが、「もっといろいろな映画のことを知りたいから、もっと書いてほしい」とか「○○の映画について書いてほしい。見てないのなら、ぜひ見てほしい」というようなことです。
 こうしたことについて、私が答えておりますことをここに書きましょう。

 この映画の批評に関しては、途中まで書いてあるものがそれこそいくつもあります。それらを書き足して完成すれば当然UPしていけるのですが、それがなかなか簡単ではないのです。本の書評の場合は、その読んだ本そのものを隣においておいて引用しながら書いていくことができます。だが映画はそうはいかないのです。その映画のシナリオなりがそばにあればいいのですが、これは簡単に手に入りません。
 私としては、映画批評の中に、まずはその封切りの年と、その作品の中に配役名を必ず入れておきたいということがあります。けっこう映画批評の本はそれこそたくさんありますが、よくそれらの本を見てみると、出ている俳優名は書いてあっても、その配役名までは書いていないものがたくさんあります。これは私には資料としては何もならないと思っています。「唐獅子牡丹」において、高倉健が「花田秀次郎」という配役名で出ているというようなことは、私には大事なことだと思っています。それがない映画批評なんて、手抜きとか思えません。
 だが、これはビデオをぼんやり見ていてはできません。ビデオの場合は、必ずメモをとらなければなりません。またできたらシナリオか「キネマ旬報」なりを手にいれないとなりません。これがけっこうたいへんなことなのですね。
 神田神保町には映画専門の古書店があります。そんなところで、「キネマ旬報」のバックナンバーを調べて行って、古雑誌の山の中から探して探して、だが探している目的のバックナンバーだけが何故かない、などというがっかりすることが今まで何度もありました。あちこちのビデオ屋で探しても探しても、目的の映画がない場合が多いのです。
 映画館で封切りで見るときには、必ずパンフレットも購入します。でも今は、映画館に入ることなんかまずなくなってしまいました。だいたいに行く時間がないじゃないですか。仕事が終わってから行くというのはほぼ不可能です。だからビデオになったら見ることになります。そしていいなあと思ったものは再度再々度見て、いつも忙しくメモをとることになります。

 だから映画の批評はどうしても書くのがたいへんなのです。
 でも私のホームページの中では、漢詩の紹介とならんで「周の映画館」を見てくれる人が多いようですので、ぜひとも、また整理して書いていかないといけないななんて思っています。(2003.04.29)

2017081101周の映画演劇館」の「わが青春に悔いなし」にて、私は映像の中の野毛と現実の尾崎秀実をごっちゃにしています。そのことについて以下書いていきます。

尾崎秀実(おざきほつみ)が逮捕されたのは、日米戦争の前の昭和16年10月15日であり、反軍機保護法違反、治安維持法違反によって巣鴨の東京拘置所にて死刑になったのは、その3年後の昭和19年11月7日(実にこの日はレーニンのロシア革命記念日にあたる。これは尾崎やゾルゲにとっての「祖国」ソ連の最大の祝祭日だったからで、これは日本の官憲の一つの好意であったという。尾崎はソ連のことを「マイホーム」と呼んでいた)です。
   だから映画の野毛のように取り調べ中に亡くなったわけではありません。事実として、獄死したのは、同じゾルゲ事件で逮捕された宮城与徳(註1)でした。私は野毛のモデルというのは、尾崎秀実とこの宮城与徳の二人ではないのかと思っています。中国問題の専門家である尾崎秀実と、実際に獄死してしまった宮城与徳が映画の中の野毛に結実されたのでしょう。ただ、あまりに尾崎のみが有名だから、一般的には彼だけが野毛のモデルということになってしまいました。10111616

(註1)宮城与徳  昭和6年アメリカ共産党に入党し、のち偽装転向し、日本へ帰国し、尾崎、ゾルゲと行動を共にする。尾崎は組織名オットーであり、宮城は組織名ジョーであった。彼は尾崎と同じ10月10日(尾崎は5日後)に検挙され、昭和18年8月2日獄死する。なお沖縄出身の方であり、画家である。

   私が映画批評の中であくまで事実と映画の内容をごっちゃにしてしまったのは、それは、どうしても戦前の近衛文麿の作っていった大政翼賛会の態勢そのものに、どうしてもえたいの知れないスターリンの謀略のようなものを感じてしまうからなのです。そしてそのスターリンの謀略の手として尾崎秀実があったのではないのかと思っているからです。

   私には尾崎秀実というと、弟の尾崎秀樹に対する親近感があったことと、「黒沢明『わが青春に悔なし』」の野毛の姿から、何故か反戦に生きた革命家のようなイメージがありました。それが次第にどうもそうではないのではないかと少しずつ感じてきていたものです。ただ日本の歴史の中、とくに昭和史の中でも断片的にしか扱われておらず、どうしてもはっきり把握できないような思いがありました。まだ当時の関係者が現存しているときに、いろいろと証言してもらい事実を明かにしてほしいと思っていました。尾崎を官憲に売ったとされる伊藤律がこの件に関しては沈黙のまま亡くなってしまったのには、どうにも嫌な思いのみが残ったものです。
   私にはどうしても、日本が中国との戦争から対米英戦争にまで至ってしまったのかがどうしてもうまく理解できませんでした。いや私だけではなく、あの東京裁判でも、その理由が解明されたとは思えないのです。
   東京裁判で処刑された7人のA級戦犯のうち、広田弘毅のみが軍人ではない文官でした。連合軍はどうにも軍人が主導して戦争になったという事態は理解できなかったのです。しかし当の軍人戦犯たちもよく説明できません。この連合軍にとっても、軍人戦犯にとっても、解明できないこの戦争のためにいわば犠牲にされたのが広田弘毅だと思います。誰かが明確なる思想方針を持って、戦争に至らせたはずなのです。だがどうもこの戦犯といわれた人たちにはいないとしか私には思えません。

   私は次のように思ってしまうのです。

   スターリンの意思を受けたゾルゲならびに尾崎が近衛を通じてやらせたことが、日本が共産ロシアに進攻しようとする北進政策を断念すべく、中国との泥沼的戦争の拡大遂行であり、その結果が昭和16年12月8日の真珠湾攻撃に到ったことではないのか

ということなのです。
  尾崎は支那問題の専門家として、むしろ戦争反対ではなく、中国との戦争継続、戦争拡大のみ主張しています。日中の講和を目指した広田弘毅などの路線をすべて閉ざして、「国民政府を相手とせず」などという近衛首相の声明はみな尾崎の煽動によると思えるのです。尾崎はこの日中戦争を拡大継続することが、必ず米英との戦争になることが判っていました。そうすれば、蒋介石国民政府も敗れ、日本も敗れ、だが同時に米英仏蘭の欧米各国はまたアジアの植民地を解放せざるをえないのです。そしてそれは、中国日本アジア諸国を共産化できる道でした。尾崎にはそれが「東亜新秩序」であり、真の目的だったのです。
   尾崎には驚くほどの予見力がありました。実にその後の日本対米英戦争の過程、中共政権の成立など、見事に予見しています。だがそれは予見というよりも、自らの企画デザインした道をひたすら日本が走っていってくれたからということなのでしょう。
   尾崎は官憲の尋問には積極的に答えたために膨大な供述調書を残しました。これから、かなりなものが見えてくるわけです。実に尾崎というのは緻密で優秀な人間であったとは思います。彼の企画立案したことはほぼ達成され、予見目的としたことも半ば実現しました。だが日本は共産化されることはありませんでした。そして彼は自分自身のことは、命は救うことができませんでした。私からいわせれば、ゾルゲも秀実もそして近衛も、もはやスターリンには用済だったのです。
   だがそれでも彼は死後自らの本当の姿を隠しとおすことには成功しました。「愛情はふる星のごとく」(尾崎秀実の獄中書簡集、昭和21年9月に出版され、23年までベストセラーだった)や「わが青春に悔いなし」(野毛の姿として)、尾崎秀実には像はもやがかかってしまったのです。
私は今こそ、そうした像を鮮明にすることにより、あの戦争の我が日本の総括をきちんとしていくことの少しでも役にたてばと考えているのです。

   さてまず以下の、コミンテルンが1932年に出したいわゆる三二テーゼ、「日本における情勢と日本共産党の任務に関するテーゼ」を見てください。膨大なるテーゼの中の「反戦闘争ににおける党の任務」の一部です。

   革命的階級は、反革命的戦争の場合には、ただ自国政府の敗北を願うばかりである。政府の軍隊の敗北は日本における天皇の政府を弱め、支配階級に対する内乱を容易にする。中国の植民地的束縛を目指して行われつつある日本帝国主義の現在の戦争においては、日本共産主義者の行動スローガンは「中国の完全なる独立のための闘争」でなければならぬ。中国又はソヴエート同盟に対する帝国主義闘争の諸関係の下においては、日本共産主義者はただに敗北主義者たるばかりでなく、更に進んでソヴエート同盟の勝利と中国国民の解放のために積極的に戦わなければならぬ。
(「三二テーゼ−反戦闘争における党の任務6」青木文庫「コミンテルン日本にかんするテーゼ集」)

  まさしく尾崎秀実はこの通りに任務を果たそうとしたといえると思います。この時期にかかれたプロレタリア詩を一つ見てみましょう。まさしくこの三二テーゼの反戦任務をそのままとりいれたような内容です。

舗装工事から   鈴木泰治
俺達は特別大演習までに舗装を完成する
四ケ師団の軍隊がこの道を行進する
天皇旗!
不可侵の権力───
税のいらぬ日本一の大資本家地主───
俺達が「出版物」ではじめて知り
憤怒を胸にやきつけた奴が
堵列する民衆の前を通る!
ソヴェート同盟攻撃の道を進軍する!
俺達、プロレタリアート
戦争を前に
土性骨の太いところを奴等にみせてやるんだ
───ソヴェート同盟擁護!  と
(防衛・日本プロレタリア作家同盟1932年 吉本隆明「芸術的抵抗と
挫折」より引用)

  まったく何をいっているのでしょうか。腹がたちます。あきれてしまいます。だがこの「ソヴェート同盟擁護」こそが、尾崎秀実、ゾルゲが忠実に果たした共産主義者としての任務目的だったのです。
ゾルゲはドイツのある新聞社の特派員という肩書きで日本に来ていました。当時のドイツ大使のオットーの信任を得ることにより、ドイツ大使館に頻繁に出入りしていました。

  ゾルゲはオット武官を補佐し、私設情報官のポストを独占することで、オットの信任をえ、さらにオットの昇進を助けて、やがてドイツ大使館内の最高スタッフにのしあがっていった。
  オットが武官から大使に抜擢されたのは(昭和十四年)、もっぱらゾルゲの補佐の結果である。ゾルゲの発言権も、オットの躍進につれて拡大され、正式のドイツ大使館員として行動しないかとオットはくりかえし勧告するようになった。(尾崎秀樹「ゾルゲ事件」中公新書)

だが、このゾルゲはソ連のスパイでした。だが、そのことはドイツ側もある程度は知っていたようです。

ゾルゲのもたらす情報と、その判断の正さを高く評価していたリトゲン(註2)は、ゾルゲがたとえソ連のスパイと接触をもっていたとしても、その情報までしめだすのはマイナスだと判断したらしい。やさしくいえば、ダブル・スパイとしてのゾルゲを承知で飼いならしていたことになる。
(尾崎秀樹「ゾルゲ事件」中公新書)
(註2)フォン・リトゲン  ドイツ通信社総裁

また札付きの「殺し屋」といわれたゲシュタポのマイジンガーが、東京のドイツ警察の代表として赴任してからの報告でも、ゾルゲのことを「好ましい人物」と報告しています。まさしくゾルゲはドイツの目をだまし続けました。
こういうスパイをまさしく二重スパイというのでしょう。ロシア社会革命党戦闘団のアゼーフ(註3)やガポン(註4)より、もっと巧妙な二重スパイではないでしょうか。

(註3)彼は帝国ロシアの正式なスパイでありながら、社会革命党戦闘団のテロ行為の総指揮をとって、数々のテロを実行します。だがのちにロシア議会において帝国政府がアゼーフが政府側の人間であったことを明らかにする。
(註4)1905年のある日曜日の日、若き僧侶ガポンは民衆の先頭で冬宮のツァーへの請願に行き、近衛兵から銃の一斉射撃を受ける。これが血の日曜日事件である。これで民衆はツァーの真の姿を知る。
だがガポンは帝国政府から金をもらっていた政府の正式なスパイだった。そしてこのガポンが政府のスパイであることを指摘し、殺害命令を出すのは、上記のアゼーフである。

このゾルゲときわめて密接に尾崎秀実は連携して動いていました。そしてそれは単に情報収集の活動ではなく、日本が我が祖国「革命ソビエト」を攻撃しないような道を作ることだったと思うのです。

尾崎の日中戦争に関する記述をみていきましょう。

「局地的解決も不拡大方針も全く意味をなさない」
「一局部(=廬溝橋)の衝突も全局(=全中国)に拡大しなくてはならな
い必然性を有している」
「日支関係の破局(=講和の道がまったくないこと)は日本資本主義発展 の特殊的事情性に即然してこれに内在する」
(以上昭和12年1937.9.23「改造」臨時増刊の論文)

「 ─── 新しい幾本かの墓標が立ち、幾人かの若き友人たちは大陸から永久に帰ってこない。───だが戦いに感傷は禁物である」
「日本国民が与えられている唯一の道は戦に勝つといふことだけ。───そのほかに絶対に行く道がないということだけは間違ひのないこと」
「日本が支那と始めたこの民族戦のの結末を附けるためには、軍事的能力をあくまで発揮して敵の指導部の中枢を殲滅する以外にない」
(「長期抗戦の行方」昭和13年5月号「改造」)

「一部に弱気らしい見解(=講和論のこと)が生まれつつある─── こ
の程度の弱気もまた有害にして無意味なものとして斥けたい」
「もはや中途半端な解決法といふものが断じて許されない」
「唯一の道は支那に勝つといふ以外にはない───  面をふることなく全精力的な支那との闘争、これ以上に血路は断じてない」
「支那との提携が絶対に必要だとする主張は───  意味をなさない。敵対勢力として立ち向ふものの存在する限り、これを完全に打倒して後、始めてかかる方式を考ふるべきであろう」
(「長期戦下の諸問題」昭和13年6月号「中央公論」)

これを読んでいくかぎり、尾崎秀実はあくまで日中戦争の拡大長期継続をのみ主張していたとしか思えません。そしてこれは中国共産党もソ連コミンテルンも望んでいたことでした。この日中戦争の拡大こそが、かならず米英との戦争になることを尾崎は正確に見通していたのです。中国共産党も、コミンテルンも。
私は長年尾崎秀実の真実の姿を知りたいと思ってきました。昔は私にはなんだか好きになっていた人物でした。彼のことを少しはかばうとすれば、彼の時代では、まだ「スターリン主義」などということが判っていなかったわけです。彼にとっては、コミンテルンのいう通りに振舞うことがマルクス主義者のなすことだったし、それが科学的な歴史の流れだったし、それこそが世界の民衆を解放することだったのです。
だがそれにしても、やっぱり私には許せないことがあります。尾崎秀実を許してはいけないと思うことがあります。それは前に引用したことですが、

「─── 新しい幾本かの墓標が立ち、幾人かの若き友人たちは大陸から永久に帰ってこない。───だが戦いに感傷は禁物である」

というようなことを平気でいう尾崎の姿なのです。彼はこれで日本帝国主義の対中戦争を煽動しているわけですが、真実はそれによって、日本もそして中国国民党政府も泥沼状態になることを目指しています。そしてそれこそが、世界革命に至る歴史の正しい姿だと考えているのです。だからそのためには、幾本の墓標が立とうと、それは「致し方ない」ことなのでしょう。だが私はけっしてこうした考えには組みしません。日本帝国主義の為だろうが、世界人民の解放の為だろうが、平気で「墓標」を立てさせることなんか許すことができません。
戦争のその先に素晴らしい世界、素晴らしい平和な世界がある、だからそこに行くために、「幾本かの墓標」は仕方ないのだという考えを私は唾棄します。これは帝国主義だろうと、共産主義だろうと、民主主義だろうと、そうした指向をもつとしたら、私は断乎そうしたものとこそ闘っていきます。
私たちの父たちの世代は中国大陸も、東南アジアにも出かけていきました。毎日毎日ただただ重いものを背負って歩き続けました。たくさんの戦友が亡くなりました。必死に歩き続けて、そしてどうやら私の父などはやっと日本に帰ってこられたのです。帰ってこなかったたくさんの人がいます。そうした人の死が「八紘一宇」「大東亜解放」の為でも、たとえ「歴史の必然」であっても、私は認めることができません。私たちの父と向き合ってしまった敵国の兵士たちも、戦場になったアジアの人たちも同じです。誰も生きて、晩年の私の親父のように、正月に孫に囲まれて過ごせる権利も資格もみなあったのです。そうした私の父たちの世代、そしていま日々ただ黙って生きている私たちのような存在を尾崎秀実の言葉は無視しているのです。
いや尾崎は世界の最終的な平和の為には、みなさんのような庶民大衆の真の解放の為には「幾本かの墓標」はいたしかたないのだというのかもしれません。でも私はそうした考えには絶対に組みしないのです。いやそれどころか、私と敵対する考え方でしかありません。

私はよく中国の人と飲んだりして、悪酔いすると、

蘆溝橋事件なんて、そっちから、中国共産党からしかけたんじゃないの

などと絡んでいました。また大昔まだ学生のころ京都へ行って、飲み屋で知り合ったアメリカ人の青年たちと話したときに、彼等は「ヒロシマ、ナガサキ」のことを話したのですが、酔っている私は、パールハーバーのことを話し、これまたあれはルーズベルトがやったんじゃないかなどと絡んでいました。
現在今に至るとどうやらそのような見解が堂々と出てきました。真珠湾のことはかなり昔から言われていましたが、蘆溝橋に関しては、いまやっとという感じです。もうすぐあの事件は中国共産党がやったということが正式に明るみにだされてくるでしょう。もし、今の中共政府がそれを堂々と公表したら、それは現在の中国に未来はあるといえると思いますが、まずごまかしていくばかりでしょう。したがって中共政権に未来は確実にありません。
蘆溝橋で銃声がなったとき、喜んだのは誰でしょうか。

1. 毛沢東、仕掛けの張本人劉少奇、朱徳、周恩来以下の中国共産党の面々。面くらいながらも歓声(日本への怒りもあったろうが)をあげてしまう中国国民党の面々。
2. 「これでソヴェート同盟は救われた」とスターリン。
3. 「これでいよいよわが国との戦争になる、いや戦争にしてやる」と決意するルーズベルト。
4. 「これでナチズムに勝利できる、だがスターリンも利してしまうな」とチャーチル。
5. 「思ったとおりの展開だ、さてこの戦争を拡大しなければ」と尾崎秀実。

実に我が国の一般庶民にはこの戦いは素直にうなずけないものだったと思います。「なんで中国と戦争するのだ?」一体何が目的なのか、何を獲得しようというのか。だから尾崎は煽動していくのです。これはもう避けられないのだ。もっと敵を殲滅するまでやりぬくのだ。彼はいいたいのでしょう。

何人も何人も死ぬかもしれません。でも仕方ないのです。これが歴史の必然であり、これが最終的にはみなさんのような庶民を救う、庶民の世界にする、そして中国の人民を解放するための道なのですから。

こんな考えをこそ私はまったく許すことはできないのです。

尾崎秀実は、以上のような企画を実現するために、近衛にちかずきます。彼には労働組合を作って闘ったり反戦運動をやって国家から弾圧を受けている連中のことが馬鹿に見えたのではないでしょうか。「俺こそが革命ソビエトを守るのだ」

昭和十三年六月ごろ、尾崎は外務省の経済調査機関員として北京に行くことをある人から勧められた。そのことを一高時代からの友人、岸道三と牛場友彦(当時近衛内閣の秘書官)にもらしたところ、これが風見章の耳に入った。人材をほしがっていた風見は、尾崎を内閣に入れることを思い立ち、内閣嘱託となって日中問題の処理に協力してほしいと頼んだ。尾崎は牛場、岸両秘書官と相談して、これを承諾した。尾崎は首相官邸の地階の一室にデスクをおき、秘書官室や書記官室に自由に出入りできる資格をうることになった。 (尾崎秀樹「ゾルゲ事件」中公新書)

この弟尾崎秀樹は、兄秀実のやったことを肯定的にとらえたいとする人ですが、彼にして、この本にて兄を「近衛内閣の有能なブレーン」と呼んでいる章を設けているのです。
尾崎は近衛内閣が日中和平になどならないように、ひたすら戦線拡大をこそ目指していきます。上にあげた日中戦争への尾崎秀実の数々の記述を見ても、尾崎が日中戦争の継続拡大をこそ望んでおれ、けっしてそれに反戦の立場などなかったことは明確だと思われます。

七月八日未明、北平郊外蘆溝橋における日支両国の衝突は、今や両国間の全面的な衝突を惹起せんとする形勢にある。恐らくは今日両国人の多くはこの事件の持ちきたすであろう重大なる結果につき、さまで深刻に考えていないであろうが、かならずやそれは世界史的意義を持つ事件としてやがてわれわれの眼の前に展開されきたるであろう
(「北支問題の新段階」昭和12年8月号「改造」、尾崎秀樹の文章より引用)

いわば尾崎秀実は廬溝橋の銃弾の一発が、やがて日中戦争から太平洋戦争に至る道であることを正確に見抜いていました。そしてその道とはいったい彼にとって何なのでしょうか。この「改造」の文章を彼はのちにこう言っています。

北支事変に対する日本の強硬決意が決定されたとき、支那事変の拡大を早くも予想したのみならず世界戦争へ発展することを断定し、それのみか、私の立場からして世界革命へ進展することすら暗示したのでした。
(尾崎秀実の判決前の第一上申書、尾崎秀樹の文章より引用)

この「世界革命」こそが尾崎ならびにゾルゲならびにソ連コミンテルンが指向したことでした。この世界革命こそが近衛のいう(また尾崎のいう)「東亜新秩序」なのです。「帝国主義戦争を内乱へ」というレーニンの言葉通り生きた共産主義者尾崎の目指したものでした。世界革命、すなわち尾崎たちの考えた、東アジアの共産化、中国共産党の勝利、日本の共産化こそが目的だったのです。だから日中戦争の拡大継続太平洋戦争の開始こそが、その世界革命−東亜新秩序への道だったのです。彼はそれにそって日本をひたすら走らせたかったのです。
今尾崎秀実が、この私たちの確信を知ったのなら、苦笑するのではなく、やっとそのことにきずいたのかと笑うかもしれません。

そもそも尾崎はコミンテルンの指令に忠実に従おうと振舞っただけなのです。マルキストとして必死に生きたわけです。

コミンテルンは、世界革命を遂行して資本主義世界秩序を変革し、共産主義社会を実現せんことを標榜する全世界の共産主義者の国際的結合機関であります。───その世界革命の一環として日本にたいしても同様、日本における共産主義社会の実現を目的とするもので、その日本にたいする場合のコミンテルンの目的というものは、すなわち日本共産党の目的と同様のものであります。(第九回司法警察官訊問調書、尾崎秀樹の文章からの引用)

社会発展の必然的な過程は、われわれマルキストに、今や世界資本主義の崩壊と、これの社会的段階への移行をますます確信せしめるにいたっているのであります。すくなくとも私は史的唯物論のうえに私の世界観を打ちたてて以来、世界史の現実は刻々に以上の見解の正さを実証したものと確信している───(第二〇回検事訊問調書、尾崎秀樹の文章からの引用)

ただ尾崎の「東亜新秩序」は、たしか半ば実現し、やがて、中共、北朝鮮、ベトナム、ラオスまでは共産化できましたが、肝心の日本はそうなりませんでした。そして尾崎が考えたようには、その共産化された国々では、彼の愛する民衆は解放されるどころか、長く圧制に苦しむことになったわけです。
彼自身だって最後はスターリンに捨てられていまいました。もちろんゾルゲも、そして近衛も。日本の軍部では、ソビエトロシアを通じた和平工作のために、尾崎、とくにゾルゲを使おうとしました。ゾルゲをソビエトとのスパイ交換しようという動きもありました(実際「マカオの秘密協定」という日本とソ連の会談がありました)。だが、もうスターリンには用済だったのです。

私はこうして尾崎秀実のことを考えてくるときに、どうみても彼は戦争に反対し、平和の為に闘ったのではなく、必ずしも必要でもなかった日中戦争を煽動し、南進論を煽動し、日本を太平洋戦争に仕向けた人物だとしか思えないのです。どう全体をつかもうと、つかめばとかもうとするほど、このことが事実としてしか私には思えてきません。
私はもう「戦後ではない」といわれてしまう今の今こそ、こうして戦前の事件を、人物のやったことを、明らかにしていくことは大事なことであると思っているのです。そうしたときに、私の父が母が、多くの日本人や多くのアジアの人々が苦しんだあの戦争の本当の姿が見えてくると思っているのです。(2003.11.05)

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10111601題名  博奕打ち総長賭博
封切 1968年1月
脚本  笠原和夫
監督 山下耕作
配給会社 東映
キャスト
 中井信次郎 鶴田浩二
 松田鉄男   若山富三郎
 石戸孝平    名和  宏
 中井つや子  桜町弘子
  松田弘江    藤  純子
  仙波多三郎  金子信雄
  右翼        佐々木孝丸

  この映画はヤクザ映画の最高傑作といわれています。とくに三島由紀夫が絶賛していました。ところが、私にはどうしてもこの映画を好きになることができませんでした。見ているのが、なんだかつらすぎるのです。それでも何とか判りたいと思って何度も見てきました。そして何度も何度も見ることによって、やっと何かがつかめたような気持になってきました。

  私が一番理解できず、かつ不満だったのは桜町弘子扮するつや子が手首を切って死ぬところでした。どうして彼女が死ななければならないのだろうと不満だったのです。夫信次郎と約束していたことが果たせなかったから、彼女は死にます。夫へのそれが義理のたてかたなのです。だがこれはあまりに不条理の世界です。どうしたってつや子が死ぬのはもう必然の道のように用意されてしまっているのです。その道以外にはいきようがなく、判っているのに死に向っていくのです。だからいくら私が不満であっても、つや子はその道をそのまま行くしかないのです。
  実はこのつや子の死がすべて、この物語全体に流れていることを象徴しています。誰もが避けることができないかのように、破滅に向っていきます。ちょうどギリシアのオイディプスの悲劇のように、誰もその悲しい運命から逃れることができません。これまたなんという悲劇の世界なのでしょうか。これはやはりやくざの世界だからなのか、それとも日本自体がこうしたことを抱え込んでしまっているのかと考えてしまいます。

  天竜一家の総長荒川が病に倒れ、その跡目相続が問題となります。本来なら松田鉄男が継ぐべきなのですが、彼は今刑務所に務めています。中井は推挙されるのですが、本来自分は天竜一家の人間ではないので辞退して松田を押します。だが荒川の舎弟分の仙波は松田の舎弟分の石戸を指定し、彼が二代目総長を継ぎます。仙波は石戸なら、自らの思うままになるから跡目にしたのです。ちょうど時代は昭和9年のこと、仙波は天竜一家を解散して国家の期待する右翼団体として生きていきたいのです。
  跡目相続の花会「総長賭博」の準備は中井の仕事になります。この花会の一カ月前に松田が出所してきます。松田は中井の妹弘江を妻にしています。松田は組の跡目の決定に不満です。自分でなく、中井が継ぐのならいいのだが、石戸では認めるわけにはいかないのです。それで花会をつぶそうとしています。やくざの掟、いわばしがらみによって、中井は松田を止めなければなりません。だが、松田は石戸を襲います。中井は仙波に責められ、心ならずも松田を刺しにいきます。
  自分の夫松田を殺した、自分の兄に対して、弘江がいいます。

      この人殺し(これをわりとゆっくり茫然として、「このヒト、コロシ」
    というようにいいはなつ)

  石戸は松田による怪我の中でも、花会を立派にやりとげますが、自分が利用されていることを知ったときに、仙波に殺されます。仙波は中井も殺そうと刺客を向けます。だが逆に中井は、仙波を刺します。中井にとって松田は兄弟分であり、義理の弟でもあり、先代荒川の舎弟である仙波はいわばおじきなのです。やくざにはなんら仁も義もあるわけではなく、人情などひとけらもありません。つまらない掟があるだけなのです。仙波を刺すときの、

    仁侠道?  そんなものはねえ、俺は、ただのケチな人殺しなんだ

という鶴田浩二のことばが耳に残ります。何もすっきりしません。そのあと中井は長い懲役刑を受け、獄中で死ぬことが字幕で書かれて、この映画は終ります。
10111602  この映画の登場人物たちは、誰もどこへも逃げようがないのです、ただただ破滅へ向ってひたすら走り続けるのです。
  おそらく山下耕作は3年前に封切られた加藤泰の「明治侠客伝三代目襲名」を見て、かなり意識してこの映画を作ったような気がします。「そんなにやくざ映画は甘くはないんだぜ」という気持があるような気がするのです。だがやはりどうにも、「幼いな」と言われたとしても、私は「三代目襲名」の方を好きになってしまうのです。(1994.11.24)

10111208 ひさしぶりに麿赤兒さんの舞踏を拝見しました。

 麿さんは近頃舞踏をやりません。テレビや舞台の出演で忙しいらしいのです。ですからひさしぶりになります。前に長女のおはぎに「海印の馬」の公演を見せましたら、たいへんに喜んでくれまして、またぜひ見に行きたいとせがまれていました。
 ただ娘と行くと問題がありますね。当日多分終ってから麿さんを囲んで飲もうよということになるでしょうが、高校生の娘を連れて行けないよね。
 麿さんはとても優しいいい方なのですが、対外的には、飲んで目茶苦茶に騒いだり、悪さをしたりしてしまうので(シャイなんだろうな)、知らない人だと怖いときがあるでしょう。そんなとこへ娘を連れて行っていいのかな。
 でも私のことをいつも「周ちゃん、周ちゃん」と呼んでくれて可愛がってくれますので、必ず参加するようにしてきました。

 さて、以下のようなイベントのしらせを受けました。

        齋部哲夫彫刻展
      −大和の風水、木霊−
日時  1996月22日(土)〜7月17日(水)
      午前10時〜午後6時  毎週木曜日休館
展示観覧料  無料
主催  フジタヴァンテ
会場  フジタヴァンテ2F展示スペース
      渋谷区千駄ヶ谷4−6−15フジタ本社ビル内
電話  03−3796−2486

    *「大駱駝館(麿赤兒主宰」)の舞踏がこの彫刻展で演じられます。
      その日程(下の日の13時からと15時から)
      6月22(土)、23(日)、29(土)、30(日)
      7月6(土)、7(日)、13(土)、14(日)

 とくに21日(金)に麿さんが踊るということで、私は行ったものでした。
 フジタヴァンテにて午後6時からということなので、6時をまわったころ千駄ヶ谷駅から急いでいました、途中で全くの偶然に私のクライアントであり神田会の仲間でもある?AのK社長と出会いました。実は前の日神田会で飲んだばかりです。「麿さんの舞踏へ急いでる」というと、K社長は、「え、麿さんなら、俺もそっちがいいな」と行きたがっていましたが、大事な仕事先へ行くようで、会社の同僚から促され、私と別れました。
 フジタ工業の本社へ言って2階へ上がると、もう随分な人数がビールを飲んでいます。早速私も顔見知りを見つけて飲み始めます。
 Nさんというイベント屋さんと話し始めました。「どうです、パソコンは?」と話しだすと、彼はその話を避けたがります。私がいつも会うたびにパソコンを薦めていたら、やにはに、文字どおり、やにはに秋葉原でパソコンを買ってしまいました。だがだが、もう3カ月、まだ動いていないようです。言ってくれれば、すぐ自宅まで行くのになあ。
 そしてすぐまたTさんという絵書きの人が挨拶してきます。Nさんとも知合いです。彼はとても不可思儀な絵を書いています。どう説明したらいいでしょうか。しかし、もっとおかしいのは、彼は剣道の達人であり、日本刀で兜を断ち切る「兜割」の名手なのです。これで米国を公演して回ったこともあります。彼はいわば麿さんのボディガード役です。なんだか、彼は私のことが気にいったらしく、会うといつも仲よく飲んでいます。彼は私がやにわに詩吟をやったりすると、

   さすが左翼だ!

と変な感動の声を上げる人です。この人が私を気に入ったのは、最初会ったときに彼が15代将軍慶喜の写真を持っていて、

   いい男だね

と言った途端に、私が

   冗談じゃない、俺達はこの男の為にどれほど苦しめられたことか

と言って、水戸天狗党の話をしだしました。しつこくしつこく。天狗党は一橋慶喜を信じて、加賀藩に投降します。その結果が、敦賀での大虐殺です。そして維新がなったあと、水戸に窒居させられていた慶喜の前で、我が水戸天狗党と水戸諸生党の最後の血戦が行なわれます。そしてまたしても莫大な血が流されるのです。慶喜はなぜ、それを止めないのだ。こんな慶喜を私たちが許せるわけがないのです。そんなことで彼は妙に感心してくれたようです。
 ただ今回彼からいい話が聞けました。彼の奥さんも芸術家なのですが、以前なにかの絵の個展でお会いしたときに、私はいろいろと話しかけたらしいのでが、そこでパソコンの話をくどくしたらしいのです(実は私は何を話したか、全く覚えていない)。そうしましたら、その私の話にえらく感動したということで、どうしてか彼女もパソコンを購入して、やりはじめました。それがいまでは、それで誰かに個人教授をするようにもなり、そして今年の夏すぎには、彼女がパソコンで作成した美術の本までもが出版されるそうです。なんだか私も酔って話していてもいいこともやっているのだなと感激しました。彼に感謝ばかりされて、それこそなんだか嬉しかったものです。

 それから、あんまり酔わないうちに、「齋藤哲夫彫刻展」を見ておかなくてはと、一応みてみました。
 齋部哲夫さんのは大きな材木を使った彫刻展です。しかし、私はこういったものは実はさっぱり判りません。普通なら、誰も相手にしないような造形物です。
 そのうちいろいろな顔見知りと挨拶したり、近況を伝え合う中、午後7時になって麿さんの舞踏が始まりました。場所が齋部さんの造形の中を使ってです。
「フジタヴァンテ2F展示スペース」というのは、おおきなふきぬけになっており、回廊のような大きな四角の中を、麿さんが走り舞います。
 いやひさしぶりの麿さんの踊りです。15分間の踊りなのですが、私にはそれが1時間もの長さに感じられました。なんだか久し振りなこともあって、私は涙が出そうになりました。そして私の長女のおはぎにすまないなとあやまりたくなりました。おはぎは、とても麿さんの踊りが見たいので、いつも連れ行ってと言われているのです。ところがこのごろ麿さんの大駱駝館の公演がなく、娘も残念がっていたので、今回はいい機会だったのです。それで娘も愉しみにしていたのですが、私は19、20日と連続の飲み会で、帰宅が深夜であり、娘と打ち合わせする時間が取れませんでした。案内書をコピーまではしていたのですが、渡すチャンスがなかった。ごめんなさい。
 でもこの麿さんの踊りで、私にはそこにある齋部さんの造形が何か判ってきた気持になってきました。麿さんの踊りは、このいくつもの造形物と交わっているのかもしれません。木とSEXすることにより、その木が生きて私たちに迫ってくるような感じにとらわれました。木の香がしますし、なんとある造形物からは玉虫が成虫となって出てきたのです。麿さんの踊りと、音楽を奏でてくれる方が木々にもたらした何かなのかもしれません。

 さてそれで、またしばらく歓談したあと、打ち上げの宴会です。
 私はまたMさんという神田会の仲間と上のN、T氏と飲み始めました。だんだん人が集まってきて、いろいろと顔見知りに挨拶されます。随分飲むうちに、いつものことですが、麿さんが

   では詩吟の歌手を紹介します

ということで、他の客の迷惑も構わず吟いだします。私の声をきいて、「あ、なんだいつもの人だ」と判断できた方もいるようです。
 けっこう飲んで話して、でもいくらなんでも3日酔い目なので、「つぎAに行こう」という誘いにのらず(Aという新宿の飲み屋は大声で詠えないよ)、と帰路に着きました。
 最後に麿さんに

  私の娘が麿さんに舞踏が見たいと言っているのでぜひやってくださいよ

と言うと、麿さんは頭をかきながら、

     うん、舞踏ね、弱ったな

と言っていました、もう麿さんは映画や舞台やテレビで忙しく、大駱駝館としての舞踏公演はなかなかしんどいようなのです。でもやってくれるでしょう。

 でも思いました、フジタ工業というのは、建設業者でありゼネコンであり、地上げ屋だなんて言われたこともあるでしょうが、あのような美術の展示ができるなんて、実に立派なことです。あんな、一見何にもならないような造形物の展示をしてくれるなんていいことです。たとえば、東京都をはじめとする各自治体がやった海外美術品集めなどよりも、数段いいことをやっています。あのような企業が市井の美術家を育て上げられるのです。フジタ工業の方の挨拶で、

 私は齋部さんの造形はなんだか、さっぱり判りません。さらにいうと、麿さんの踊りも判りません。でも、こうして大勢の方が集まられ、踊りの中で木々の香を感じて、玉虫を見たときに、これはいいことをやったのだなと確信できました。

というようなことを言われました。まったく私も同感です(本当に玉虫が出てきて飛んだのです)。私もフジタ工業のことをあちこちで貶したこともありましたが、いややっぱりいいことをやるじゃないのと感激したところです。(1996.06.22)

10111110 劇団海臨丸公演「オン・ザ・ラン」にて、山本春日役を演じてくれたのが、丸野恵さんです。この人のパソコン通信でのハンドル名が「バケラッタ」さんです。
 彼女とは、柏駅東口の喫茶店「シャローム」のマスターである「勇さん」が、NIFTYで主宰しているパティオ「史跡、名所を巡ろう会」で知り合いになりました。もっとも知り合ったときにはパティオではなく「ホームパーティ(そのときには『歌舞伎ハイク』と言った)」だったのですが、もうNIFTYでは今はすべて「パティオ」になっています。
 勇さんは当初の「歌舞伎ハイク」のホームパーティで、歌舞伎を中心としたことを話題として話を続けていました。それで最初のオフといえるハイキングを昨年9月に開催しました。ハイキングする場は浅草を中心とするところです。私は浅草あたりは自分では詳しいと思い込んでいましたが、勇さん他の方々の案内は、私などの見聞を遥かに超えていました。実に細かくたくさんのところを知ることができました。ちょうど私は浅草の検番あたりを歩いていたときに、何年か前にとても難しい件でコンサルをした女性社長にばったりお会いしたのです(彼女の自宅近くだった)が、彼女は私のリュック姿で分からなかったようでした。
 このときのハイキングはとても女性が多かったわけですが、その中に色が白くて背の高いバケラッタさんがいたのです。彼女のことが印象強かったのは、次のようなことがありました。
 浅草吉原の「松葉屋」にて「花魁ショー」を見ました。私はこの「花魁ショー」が昔ベネティアに行くというときに、市川房枝のような馬鹿な市民主義者が、「花魁なんていう売春婦が海外に行くなんて国辱ものだ」というようなことを言ったことを思いだし、興味深く見たものです。「椿姫」というのは明らかに売春婦のことを描いた戲曲だが、フランスではこれを「国辱ものだ」などとは言いません。この日本でだって、もう誰もそんなことを言いません。それどころか、隆慶一郎のような吉原に関する新しい解釈もあるくらいです(この「隆慶一郎のような吉原に関する新しい解釈」のことはまた別に書きます)。
 さて、この「松葉屋」での「花魁ショー」が終わったときに、バケラッタさ
んが、

 え、こんなに簡単に終わっちゃうの?

という声を上げました。この言葉のわけがたいへんに面白いのです。彼女は次のようにいうのですね。

 ワタシ、花魁だったの

 実は彼女は「伊勢戦国村」(日光江戸村と同じグループの会社)にてずっと花魁を演じていたのです。そこでの花魁ショーは「松葉屋」のように簡単なものではなかったようです。彼女は大学を卒業して、この企業に就職したところ、「貴女は、花魁になれ」ということになったわけです。たぶん彼女が美形だからでしょう。それで、お茶やお花、日舞等々を教え込まれたようです。あのグループは花魁だろうが何だろうが、入り口の切符切りから掃除まですべて平等にやらされるようですが、それでさらに花魁の稽古では大変だったろうなと想像します。そして花魁役は2人しかいないということで、1人がお休みのときにはそれこそ大変だったろうなと想像します。
 それで、彼女は会社の寮に住んでいるわけで、そこからマイクロバスで「戦国村」まで運ばれて、一日中花魁をやって、また寮に帰るわけです。まわりには屈強な男たちがいるわけで、「こんな辛い仕事なら、逃げちゃおうか」と思っても、その時を見つけ出すことができません。

 これじゃ、ワタシ、本当の花魁生活じゃないの

と思ったようです。
 現在は結婚をされています。なんでも有名な日本舞踊家が旦那様のようですが私はその方面はまったく疎いものですから、よく分かりません。
 それで彼女が素敵なのは、こんなことがあります。
 昨年の12月14日の、勇さんのホームパーティの第2回目のハイキングがありました。墨田区吉良邸から、赤穂浪士たちの歩いた道を通って、泉岳寺まで歩くというハイキングです。これまた女性が多くて、2日酔いの私はその酔いもあって快く歩くことができました。
 このハイクの最後に大森にて打ち上げ宴会をやったわけですが、焼鳥が出てくると、バケラッタさんは、いつも持参しているという京都清水の唐辛子を出してくれたのですね。この唐辛子が美味しいというので、いつも持って歩いているようです。私は自分の恋人が焼鳥やモツ焼きを食べようというときに、ハンドバッグから、こうした「トンガラシ」を出してきたら、それこそ、それだけで圧倒的に惚れてしまうな。七味でも、関東のものと京都のものは、その七味の中身が一つ違うのですが、そのバケラッタさん推薦のトンガラシは、それこそそれは実に美味でした。
 そのあと2回のハイキングが企画実施されたのですが、私はいずれも都合がつきませんでした。だから、もうバケラッタさんはじめ、みなさんとは随分お会いしていません。でもこうして知り合った方が、何かおやりになるときには、私は極力出かけるようにしています。そうした縁で、私はまたたくさんの友人を作ることができてきたからです。バケラッタさんが、前にも演劇をやられたときには、どうしても時間をつくりだせなかったのですが、今回はとにかくどうしても観劇したくて、行くことを決意して、彼女の演技を見ることができました。
 彼女がパティオで次のように書いてくれています。

 その妻たちは、ヘビメタにのめり込む。
 男たちは、自由を夢み大脱走が始まる。
 しかし、この夫婦には、揺るぎない「愛」があった!!

 うーん、言葉にすると、へんだなー。
うまく粗筋がいえないので、観にきてください。
気楽に観ていただける楽しいドラマになると思います。はずです‥‥
私は、髪たてて、ヘビメタみたいな格好しています。
 演奏は、なしです。
(だって三味線しか弾けないんだもん。三味線と鼓もってるヘビメタなんて^^;)

 この文章だけで、彼女の素敵なところが伝わるかなななんて思っています。また私には次の公演が愉しみです。そしてまた勇さんの企画するハイキングが愉しみです。勇さんのパティオでお会いする方は魅力的な方ばかりなのですが、またまたそれらの方々と同じ時間と空間の場を持ちたいななんて心から希望しています。(1997.12.21)

10110917 私の 周の映画演劇館「鈴木清順『けんかえれじい』」へ、次のコメントを頂きました。

1. Posted by 三鷹コミュニティシネマ映画祭事務局   2010年11月07日 12:51
はじめまして。
三鷹コミュニティシネマ映画祭事務局です。

私たちは、「映画でまちを元気にしよう」と活動しています。
2010年11月21日から3日間「三鷹コミュニティシネマ映画祭〜35mmフィルム上映会」を開催します。

初日21日には、「けんかえれじい」「めぐりあい」
22日には「八月の濡れた砂」「約束」
23日には三鷹オスカー1日だけ復活!! 第2弾
フェデリコ フェリーニ監督「81/2」「魂のジュリエッタ」を上映します。
よろしければ、ご来場、お待ちしています。

 ありがとうございます。「八月の濡れた砂」もいいですね。ただ行けるかどうかは、今は判らないのです。もう私はビデオを購入してもいいと思っているのですね。いや本を購入することを考えたら、別にそれほどの価格ではないですね。
 そしてこの映画は、やっぱり浅野順子がいいですね。私は大学5年の12月に上野松坂屋でアルバイトをしていたときに、浅野順子さんにお会いしたことがあります。本当に綺麗な方でした。
 映画はちゃんとビデオを持って何度も見ようかなあ。私はシナリオがあるのなら、いいのですが、手に入らないと、何度も見て、セリフをメモするしかないのです。昔二人の娘に、「パパッ、何でメモしているの?」と言われたものです。ここが本を読んだことを書くのと、大変に違うところです。本は、それを読んで、対象をうつせるでしょう。映画はそういかないのです。シナリオ等がない場合は、自分でビデオを何度か聞いて、うつしとるしかないのです。
 それを今まで何度もやってきたものです。

暴動シネマ刑務所

10111101 一つ前のUPで「まむしの兄弟」の第1作を紹介しました。映画館で見るのはできなくとも、ビデオならいつでも見られると思います。ぜひ見ていただきたいものです。やくざ映画というのは、かなりの朝鮮韓国問題を扱っています。私が知る限り、文学よりもこのヤクザ映画での斬り込み方のほうが鋭どさを感じます。
 この「まむしの兄弟」の第1作でも、カツの母親は戦前に日本に来た朝鮮韓国の女性であるわけです。だが何故か、子どもとは離ればなれになってしまったわけです。カツは焼け跡の闇市でただすばしっこさだけで生きてきました。そこでマサと知り合ったのです。
 この殴り込みのときに、自然とカツはハーモニカを吹きます。そして自然に出てくる歌が故郷の歌なのです。でも、カツにはそのことのわけは判りません。一体なぜ自分がその歌を覚えているのかも判らないのです。そしてその歌と同時に、ある女の顔がカツには浮かんできます。それが母親かも知れないなとチラっとカツは思います。
 マサのほうは、もっと何の記憶もありません。なんで、この二人は何のためにもならない殴り込みに出かけるのでしょうか。
 戦後という社会は、こうしたことを深く深く内包して、ただただ時間だけが進んできたのだなと思います。
 二人が雨の中、傷だらけで歩いていく背に、おんなの歌が流れるのです。映画は決して、この二人の行動を肯定しているわけではないのです。「ああ、またたれかたまされた」という女の歌が実に哀しく耳に残ります。(1999.02.16)

 ここで唄われる歌は、「暴動シネマ刑務所」のチーム政若頭ダボ政さんによりますと、以下のようです。いやはや、こうして正確に知ることができて嬉しいです。私はビデオで聞いて、懸命にメモしただけでした。でも素晴らしいサイトがあるものです。感激しています。

「満鉄小唄」
作詞・作曲 不明

雨のしょぼしょぼ降る晩に 
ガラスの窓からのぞいてる
満鉄の金ボタンのばかやろう

あがるの帰るのどうするの 
早く精神決めなさい
決めたら黙ってあがんなさい

ああ騙された 騙された
五十銭金貨と 思うたに
ビール瓶の栓かよ 騙された

(上記「暴動シネマ刑務所」内の「まむしの兄弟 名曲アルバム」より引用)(2002.07.12)

「中島貞夫『懲役太郎まむしの兄弟』」

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題名  懲役太郎まむしの兄弟
封切 1971年6月
監督 中島貞夫
配給会社 東映
キャスト
 ゴロマサ      菅原文太
 カツ          川地民夫
  婦警早崎の恋人  佐藤友美
  竹花組代貸
    梅田和三郎    葉山良二
  マサの彼女      三島ゆり子
  カツの彼女      女屋実和子
  チンピラ        川谷拓三
  山北組組長      天津  敏
  彫り師彫金      河野秋武
  七雄会早崎      安藤  昇

  この「まむしの兄弟」シリーズは、ヤクザ映画の中でもB級作品といえるのかもしれません。これはこの「懲役太郎」を最初にして、以下のように続きました。

71年10月  「まむしの兄弟お礼参り」
72年2月  「まむしの兄弟懲役十三回」
72年8月  「まむしの兄弟障害恐喝十八犯」
73年2月  「まむしの兄弟刑務所暮し四年半」
73年9月  「まむしの兄弟恐喝三億円」
74年3月  「まむしの兄弟二人合わせて30犯」

  その他このシリーズの番外編として以下の作品があります。

74年8月  「極道VSまむし」
75年3月  「まむしと青大将」

10111102 この時期は東映が大量にヤクザ映画を作っていた時代ですが、この「まむしの兄弟」はそれほど当たったとはいえないかと思います。ただ東映にとっては、なんとか鶴田浩二、高倉健と並ぶヤクザヒーローを育てたかったところであり、またかなり違う形のヤクザ像を菅原文太という俳優の中に見いだすことが出来たかと思います。これが、同時期に作られた、「人斬り与太」シリーズを経て、そして73年1月封切りの「仁義なき戦い」の文太像に結実されているように思います。ちょうど75年2月封切りの「仁義の墓場」の主役石川力夫も、本来なら渡哲也ではなく、菅原文太であるほうが、東映の流れのなかでは当たり前だったように思います(もっとも渡哲也でよかったわけだが、私は菅原文太の演ずる石川力夫像も見てみたいのだ)。

  さてこの「まむしの兄弟」シリーズの第1回作品です。これまで日活の俳優であった川地民夫が菅原文太の弟分として出てきます。その川地民夫のいいことったらありません。なんだか彼はこうして東映のヤクザ映画の、しかもこうしたどうしょうもないチンピラヤクザ役をやると、本当に生き生きとしています。なんだかスクリーンの彼の笑顔を見ていると、とにかく嬉しくなってきてしまいます。

  最初刑務所からマサが出てきて、カツが迎えにくるシーンから始まります。二人は戦後の焼け跡の闇市の中で知り合いました。カツはサーカスで育てられていたようです。そしてそのあといろいろな悪さをして、二人とも前科12犯になっています。先に出所したカツが兄貴分のマサを出迎えているわけです。二人とも親も兄弟もいません。この血のつながっていない二人が、どこの組にも属さないで盃交わした義兄弟なわけです。しかし、こうしたことは映画の中で回想シーンがあったりするわけではありません。二人の会話を聞いているなかで判ってくることなのです。
  マサは昔孤児ということで施設に入れられていたようです。貧しい15歳でおでん屋をやっていて、弟と妹二人を見ている女の子とその子たちを施設にいれようとしている婦警にいう言葉がなかなかいいのです。

  こいつら、ノラ犬でも集めとるつもりなんや。
  施設も少年院も警察も、人間のクズつくるところや。
  こいつらから、エサもろたらいかん。
  俺らは自分らでやりぬくんや。

  マサは今の自分のようになって欲しくないのです。マサもカツも、レストラン行っても、料理を満足に注文もできません。カツは何か相手に言われると、判ったふりしてすぐにその言葉の意味をマサに聞きます。マサだってさっぱり判らないのです。
  二人は、ちっとも格好よくありません。ひどい与太者です。ごろつきです。喧嘩だって、健さんのようには圧倒的には強くありません。すぐやられて、たたき出されたり、簀巻きにされて川へなげこまれます。大昔にある女性とデートでこのシリーズを見たことがあります。

  彼女「え、この二人あまり強くないの?」
  私「そう…、でも見ててごらん、しつこく強いんだから」

というような会話しました。二人はやられてもやられても、やり返すのです。竹花組の代貸梅田は「おまんら、なんでそないな無茶  さらすね」といいます。本当に無茶苦茶です。ただただしつこく、そのしつこさだけで相手は根を上げてしまいます。そこで、この二人は「まむしの兄弟」といわれることになります。
  また彼ら二人の彼女(?)になる二人の女とも、この回で知り合います。私は、三島ゆり子も女屋実和子も、こうしたヤクザ映画にでていると一番生き生きしているように思います。東映の役者って、男も女もヤクザ映画に出ているのが一番向いているように思いますね。

  七雄会の幹部早崎にはこのしつこい二人も貫禄負けしてしまいます。それで早崎に負けまいと、早崎が背中にしている龍の入れ墨を真似て、大蛇の入れ墨を入れようとします。しかしこの二人は彫物入れるのもあまり格好よくはありません。それが最後になって表われてきます。
  この時の彫り師が河野秋武なのですが、私はどうしてか黒沢明「わが青春に悔いなし」の学生服姿の河野を思い浮べてしまい、なんだか不思議な気持になってしまうのです。あの映画での検事となった糸川(河野秋武)は、戦争中原節子に会ったあと、どうしてか流れ流れて、彫り師になって今こうしてまむしの兄弟に墨を入れているのかなんて思ってしまうのです。
  最後二人は汚い山北組に殴り込みにいきます。代貸しを山北組に殺された山花組は誰もが逃げてしまいますが、二人は山花組が用意していた殴り込み用のトラックで出かけます。そのトラックの中で、カツがハーモニカを吹きます。

  マサ「兄弟!  その歌は何ちゅう歌や?」
   カツ「何や知らん、ガキの頃よう聞いた歌や。この歌を聞いてるとな、女の顔が見えてくるんや」
(ここでその歌が、女の声で歌われます)

      あめのしょぽしょぽ  ふるぱんに
      からすのまとから  とをたちて
      まんてつのきんぽたんの  ぱかやろう

      あかるのかえるの  とうしゅるの
      はやくしぇいしん  ちめなさい
      ちめたらけたもて  あかんなしゃい

  カツ「もしかしたら、おふくろかもしれんな」
  マサ「おふくろけ」

  マサもカツも母親を知らないのです。ただこれではっきりしてきます。カツは韓国朝鮮から連れてこられた女性から生まれた子なのです。でもカツはそのことは判らないでしょう。マサだって判りません。それどころか、映画の中でも何の説明があるわけでもありません。観客だって、ぼんやり見ていたら、何も判らないでしょう。

  雨と泥の中で、二人は山北組全員と闘います。とうとうやり抜いて、泥だらけ血だらけで、二人は「これで一緒に13回目の懲役に行こう」と肩を組んで歩いて行きます。映像は少しも綺麗ではありません。その二人の肩に雨が強く降り掛かります。泥が流れ落ちます。だが泥と同時に、彫物の墨も落ちていくのです。実はまだ入れ墨は完成していなかったのです。二人は中途半端なままこの殴り込みになってしまったのです。でもやらないわけにはいかなかったのです。
  その二人のうしろ姿に、また女の声で歌が唄われます。
 
       ああまたたれか  たまされた
      ごじゅせんきんかと  おもうたに
      ふりぴんのせんかよ  たましゃれた
 (1994.01.04)

「中島貞夫『懲役太郎まむしの兄弟』」の2

10110910日時 1997年12月16日(火)〜21日(日)
    16日〜19日 午後7時開演
    20日    午後2時と午後7時の2回公演
    21日    午後2時と午後6時の2回公演
          開場は開演時間の30分前です。
会場 大塚YOROZU萬スタジオ
        豊島区北大塚2丁目32番22号
      JR大塚駅北口徒歩7分
料金 前売3000円/当日3200円
お問い合わせ 03-5997-3457(劇団事務所)
            03-5394-6901(YOROZUスタジオ)

理想の結婚とキビシイ現実。
女たちの管理下に置かれ、監獄と化した社会から今、夢見る男たちの
自由への大脱走が始まった!
好敵手という視点から結婚生活を見た、
KAIRINMARU風ハートフル・コメディー。

 私の友人の出演した演劇の紹介です。
 この友人というのは、バケラッタさんというとても綺麗な女性(本名は丸野恵さんといいます)です。

 劇の内容は、ある会社の寮と言っていいいだろうマンションの1室が舞台です。出てくるのは、これから結婚してこの1室に住む男女と、もともとこの寮に住んでいる4組の夫婦です。おそらく愛し合って結婚しただろうこの4組の夫婦なのですが、その妻たちはヘビメタにのめり込み、夫たちをきびしく管理しだします。夫たちだけではなく、町の警察もコンビニもすべて管理してしまい、夫たちを自分たちの支配下におきます。この寮は町の人から「収容所」とまで呼ばれています。だがそこで夫たちはこの妻たちの管理から自由を求めて大脱走をしようとします。
 夫たちは大胆にも、寮の中にトンネルを掘り、地下から多摩川に出て、海に出てトンガまで行こうとします。求めるのは「自由」なのです。 この男たちの脱走への努力と、男たちが何かをやっているなと勘づいた妻たちの戦いが、結婚することそのものに夢みている男女の前で展開されます。スリルがあって、ユーモアがあって、実に見応えのある内容でした。こうして戦い合うことそのものが、夫婦としての「愛」なのだというのでしょう。
 男たちが知恵をふりしぼり、なんとか妻を夫婦としてのもともとの愛とでもいうべき哲学を語ったりしながら、妻をだましてトンネル掘りという作業を続け、妻たちは自らの立場を確保するために、警察やコンビニ等々といった情報網を張り巡らします。妻たちがハードを確保する中、夫たちはそのハードの中でいろいろなソフトを使って自由へはばたこうという感じに思えます。

 私はよく、これから結婚するという男女に次のようなことを言います。

 愛するから結婚するのではなく、結婚したならば、二人で愛を作っていくのだ。

 二人の出会いはどうでもいい。極端な話、別に愛がなくても構わないと思うのです。結婚に至る動機にはいろいろなことがあるかと思います。私は「たまたま、こうなっちゃった」ということをよく聞きます。
 私は先日子どもたちとこんな会話をしました。

 おはぎ パパはどうしてママと結婚したの?
 私   子どもができちゃったからだよ。
 おはぎ なんだ、「できちゃった結婚かよ」。キミはそれでいいのか?
 私   動機なんかどうだっていいんだよ、結婚したからこそ、それから二人で努力するんだよ。それにだからパパは君のパパになれたんだろう。

 私は愛があろうがなかろうが、結婚したのなら二人の間で愛をこそ作っていくべきなのだという思いが強烈にあるのです。もちろん愛のある二人が結婚できるのはいいことなのだとは思います。だが私は、むしろもともとたいした愛のなかった二人のほうが、夫婦としてはうまく行くように思っています。愛し合っている二人だと、どうしても相手に愛を求めがちです。

 人は愛することよりも愛されることを求める

とはゲーテの言葉ですが、相手に自分を愛することを求めると、どうしてもそれはギスギスした関係になりがち(と私は思っている)です。
 私は夫婦とか家庭というのは、安心してほっとできる場ではなく、互いに必死に努力して愛を作っていく場だと思っているのです。だから、そうした私の思いの中では、この「オン・ザ・ラン」の男たちは素晴らしいのです。昼間は必死に職場で働いて、帰宅すると、逃亡するためのトンネルを夜必死に作っているわけです。またその妻たちも素晴らしい。なんとか夫たちを管理しきろうと、これまた必死の努力を続けるわけです。おそらくは、もともと「愛」があったからこそこうしているわけではなく、こうして「愛」を作り上げ、「愛」を確認しているのだと私は思います(これは脚本の作者の意図では違うかもしれない)。

 私にとっては、久し振りに見る演劇でした。10月には舞踏は見ていたのですが、あれは踊りであり、しかも私はそもそも舞踏へ行くと、必ず仲間に出会い、そしてそうした仲間及び舞踏の主催者や演技者と飲むことになるわけで、それのほうが見に行く目的のようなところがありますが、今回は純粋に劇そのものを鑑賞しました。
 演じている方々はいかにも、演劇好きな人たちという方々です。私の大学で演劇をやっていた友人たちを思いだします。その友人たちの後輩は、とうとう劇団を作って今全国を公演して回っています。彼らはいつもそうした公演の連絡をくれるのですが、なかなか見に行くことができません。どうしても普段の日に時間をひねり出すというのは難しいのですね。でも、今回はサッと行くことができました。会場が大塚だったのも良かった。そして小さな劇場でしたが、とても気に行ってしまうスタジオでした。私もあそこで何かイベントをやってみたいななんて思いになります。
 なんにしても、愉しく感激して、見ることのできたお芝居でした。
 ただ、ここで少し重箱の隅をつつきます。チェリーという妻が自分の夫に対して言うセリフで

 なんだ、そんな好々爺みたいな顔をして………。

というのがありました。だがヘビメタ姿の女性がこんな「好々爺」などという言葉を吐くでしょうか。そしてこうして漢字で書けば、よく判りますが、「コウコウヤ」という音だけでは、一体何のことだか分かりません。もっともこれは脚本上の問題です。でも、この脚本を書かれた方も出演していたのですが、その演技はなかなかいいものでした。それは良かったなと思っています。(1997.12.21)

10110903題名  東京日和
封切 1997年10月
原作 荒木陽子、荒木経惟
監督 竹中直人
配給会社 東宝
キャスト
 ヨーコ   中山美穂
 島津    竹中直人
 水谷    松たか子
 高橋    田口トモロヲ
 外岡    三浦友和
 阿波野   森田芳光
 バーのママ 中島みゆき
 車掌    荒木経惟

10110902 私は中山美穂という女優が少しも好きではありませんでした。だがこの映画を見た途端に、ファンになってしまいました。この映画は彼女のためにこそあるような気になってしまいました。
  この映画では、東京で普段見慣れている風景がいくつも出てきます。私の御茶の水の事務所の周りを島津がカメラを持って歩いている姿がいくつもあります。映像の中に、それがあまりに普段接している風景なので、ハッとしてしまいます。そしてそれは私もまた好きな風景なのです。

  何を書けばいいのだろうかと迷います。
  男女の愛というのは、何なのだろうかなんて考えました。恋というのは、互いに同じ程度に惹き合うわけではありません。50%と50%で愛し合う関係ならいいのでしょうが、時間の経過の中ではそんなことばかりではありません。そして互いに二人だけの関係ではなく、その二人にはたくさんの他の要素が関わってきます。時代の情況もあるし、家族や職場の人間関係もあります。

 私も激しく恋をした気でいます。私が一方的に惚れて、一方的にいろいろな関係を作ってしまいました。ただ今から思えば、私の相手にとっては、私の身勝手に哀しい思いばかりだったでしょう。私が100%惚れているということで、私こそが相手のことばかり想っているのだと思い込んでいましたが、相手のほうも、私のことを必要とする時には、私のほうが、まったく別な世界にばかり向き合っているということがあったことだと思います。それこそ、哀しい思いばかりさせてしまったことでしょう。

 ヨーコ「あなた、私に、やさしすぎやしない?」
 島津 「…………え?」
    「ちょっと待ってよ。どういうこと?」
 ヨーコ「え?」
 島津 「やさしすぎるって……それ、どういうことなの?」
 ヨーコ「………」
 島津 「え!?」
 ヨーコ「見ないで欲しいのよ、私のことを、そんなに」

 島津とヨーコの二人きりの部屋での会話です。このヨーコの最後の言葉を解説するのは難しいなと思います。だが、女であれ、男であれ、二人の愛のある瞬間には、こうした言葉を出したい思いのときがあるのではないでしょうか。

  私が一番好きな場面は、島津とヨーコが東京ステーションホテルでデートするシーンです。私自身もあのホテルが好きなのです。そしてそのホテルの中にあるカメリアというバーでのシーン、バーテンと島津の会話がなんだかほっとします(いやバーテンは「暗くないですか?」というだけですが)。ときどきあのバーで独りで飲んでいる私は、なんだかあんなゆったりした時間がほしいからそこにいる気がします(もっともなるべく時間を考えないと、あそこは混んでいて困ります)。
 南口の構内から見上げるヨーコを島津がホテルの廊下からカメラを向けるところなんか、私には一番好きになれるシーンです。あのように、私も自分の好きな女性(ひと)を見ていられる瞬間があれば、それこそ人生は最高ですね。

10110904 この物語はひたすら二人のことしか描きません。二人が相手のことだけを想って、それだけで生きられるならいいのですが、実際にはそれではすむわけがありません。私たちの場合には、それが時代の情況であったり、生活をしていくことへの苦難だったりしました。このヨーコと島津の場合には、二人のことだけで終始することができないことが、やがてヨーコの死に至ります。これは悲しくて堪らないことなわけですが、これで島津はきっと何かの世界を獲得できるきっかけをつかんだといえるのではないかと思います。私もそうだったのかもしれないな、なんて思いがしてきました。恋の相手を失うことは、計り知れないほど悲しいことではあるけれども、なんらかのことを自分にもたらしてくれたような気がしています。

 この映画を私はビデオにて2度見ました。一度目は妻と二人で、2度目は家4人全員で見ました。
 でもいい映画というのは、何度も見ると、そのたびに新しいなにかを発見するものです。
 映画というのは、実際に映画になるものよりも、その数十倍、数百倍のフィルムがあるわけでしょう。だから放映されないでしまうシーンがたくさんあるわけです。それとシナリオにはあっても、無くなってしまうところがあったり、違う展開になる場合もあるのでしょう。そんなところを想像していくのも面白いものです。

 柳川でのシーンもひまわりの花も何もかもがいいですね。(1998年のいつかビデオで見ました)

10110801 笠智衆が亡くなったときに、経験したことです。
 ある日の夕方川口のクライアントからの帰り、ある谷中の飲み屋街に寄りました。当日は午後二時から飲んでいて(このクライアントではいつもそうなんです)、割合早く切り上げてきましたが、もう事務所に戻る気がなく、その飲み屋街に寄りました。でもまだ四時半頃でしたから、いつも馴染みの店はやっていません。のれんがかっている「田村」という店があって、そこへ入りました。でもなかなか誰も出てきません。やっとベレー帽の六〇代のマスターが出てきてくれました。初めてのお店でしたので、黙って静かに飲んでいました。
 しばらく黙って飲んでいましたら、

 マスター あの、ビデオって分かりますか。……『東京物語』が四千円で売っているんですが、簡単に見られるものなのですか?
 私 ああ、ビデオって操作は簡単ですよ。レンタルで借りることもできるし、それにしても四千円とは安いですね。

という会話が最初でした。それでそれから、ひとしきり小津安二郎「東京物語」の話になりました。二人で丁寧に話していきました。私もかなりいろいろな場面を思いだしながら話しました。東山千栄子のこと、もちろん原節子のこと、そして笠智衆のこと。マスターが忘れているシーンも私が補足したりしました。それでなんですが、どうしてか、その会話の中で私は小津安二郎の「東京物語」が分かった気がしてきたのです。

題名  東京物語
封切 1953年11月
監督 小津安二郎
配給会社 松竹
キャスト
 平山周吉  笠 智衆
   とみ  東山千栄子
 紀子    原 節子
 平山幸一  山村 聡
 金子志げ  杉村春子
 文子    三宅邦子
 京子    香川京子
 沼田三平  東野英治郎
 金子庫造  中村伸郎

 いったいこの映画は何がいいのでしょうか。老夫婦が尾道から東京に訪ねてきて、また尾道に戻り、そこで妻のとみがなくなる。お葬式に子どもたちがやってきて、最後に次男の未亡人紀子だけが、周吉のところへ残る。ふたりで海を見ているシーンが印象に残ります。画面はただ何事もないように淡々と進行します。両親の世話をまったくみない実の子どもたちも、血がつながっていないのに、尾道にしばらく残る紀子も、どちらがよくて、どちらがいけないというふうには描きません。なんら泣き叫ぶ場面があるわけではないし、なにか哀しいなとつぶやくところがあるわけではありません。しかし、こうして昭和二〇年代にいわゆる古い「家族制度」や古い「親と子」の関係が崩壊していったのでしょう。
 しかし、こうして淡々とすぎていく中にも、私たちは、そこに出てくる誰もがまたたいへんな日々をおくっているのだということを知っています。愛する夫を戦争で失った紀子には、義父と見る海はまた違った感慨を抱かせるはずです。だれもがそうした思いをもち、それを口にださないまま、毎日淡々と生きているわけです。
 最初老夫婦が東京に行くときに、隣家の主婦に羨ましいと声をかけられ、最後にまた周吉は声をかけられます。まったく同じ光景なのですが、もう周吉はひとりなのです。本当なら泣き叫んでもいいような悲しさなのですが、笠智衆は同じようににこやかに返事をします。
10110802 この淡々と進む中で、やはりひとつ涙を見せるのは、原節子です。こらえていた感情が崩れおちるように、静かに泣き崩れます。泣けない笠智衆を見ていると、原節子の涙には、もっともっと泣いてもいいのだ、笠智衆の分も泣いてくれと思ってしまいます。
 こんなことを「田村」で話ながら、私は「東京物語」が少しは前よりも分かったような気になったものです。
 その日は、歌も唄わず、めずらしく静かに飲んでしまったものでした。笠智衆の霊に合掌します。(1993.03.19)

10110702題名  やくざの墓場くちなしの花
封切 1976年10月
脚本  笠原和夫
監督 深作欣二
配給会社 東映
キャスト
 黒岩  竜    渡  哲也
 松永啓子    梶芽衣子
 岩田五郎    梅宮辰夫
 杉  政明    藤岡琢也
  大村本部長  大島  渚
  本間署長    金子信雄
  松永        今井健二
              佐藤  慶
              室田日出夫
              川谷拓三
              小林稔待

  渡哲也の歌は大好きなのですが、「くちなしの花」というのはどうにも好きになれませんでした。だが、この映画で流れるこの歌は好きになれます。悲しい悲しい映画です。最後に警察署で佐藤慶を撃った渡哲也が、梶芽衣子のほうへ向って通りをわたります。後ろから同僚だった室田日出夫が渡を撃ちます。愛する梶芽衣子の前で渡哲也は倒れます。

  黒岩は暴力団担当の刑事です。かなり強引なやり方で彼は取り締まりを進めます。警察は暴力団壊滅の頂上作戦をやっています。だが黒岩にはどうにもそのやり方に納得できません。相対立する暴力団の、片方だけをきびしく取り締まっているようにしか思えないからです。どうみても、警察が狙っているのは朝鮮人が構成員に多いやくざ組織の方です。
  捜査の過程で彼はそのやくざ組織と接触します。松永啓子というやくざの組長の妻と、その亭主である松永組長との面会に鳥取刑務所に一緒にいきます。黒岩は、彼女に今は会わない方がいいのではというのですが、啓子は会います。もう松永は長い懲役刑なのです。接見室で啓子は松永からひどいことを言われます。ここはよく聞いていないとよく分かりません。私は昔劇場で見ていたときには、明確に判りませんでした。ただこういうことを言われたのだなと推測したものです。それはまったく当たっていました。
  松永は長い懲役刑ということでやけになっています。恋しい妻が信じられないのでしょう。彼は啓子を無理やり自分の妻にしていただけなのです。彼は啓子にいいます。

    ○○○○○、死ね!

  これはただ劇場公開のときは判らないようになっていたのかもしれません。何度もビデオを繰返すと明確に松永の声が聞こえてきます。啓子の父親は朝鮮から無理やり連れてこられた男だったのです。啓子はひどい生活をしていました。売春をやらされていたこともあったようです。それがどうして今になって、自分の亭主にこんなひどいことを言われてしまうのでしょうか。
  啓子はふらふらと鳥取の砂丘を歩きます。後ろから黒岩が角瓶をらっぱ飲みしながらついていきます。啓子は海に入ります。泳ぎだします。半島まで泳いで行こうというのです。父の祖国である朝鮮半島まで泳いで行こうとするのです。

    ウチ、帰るんや

と叫びます。黒岩が止めます。梶芽衣子の涙と絶叫が心に残ります。

  松永と同じ組の会合で、黒岩に岸田五郎が殴りかかります。デカなんか朝鮮人をいじめるだけだし、また啓子になにかちょっかいを出しているようだからです。烈しく二人は殴りあいます。殴りあううちにどうしてか二人は仲よくなります。そしてそのときに岸田は啓子の過去を黒岩に語るのです。
  岸田が黒岩に義兄弟の盃を交わしてくれといいます。黒岩は暴力団取り締まりの刑事です。そんなことができるわけがありません。だが岸田がいいます。

    俺はまじりっけのない朝鮮人や、それでも盃受けてくれるか?

こう言われて、断ることができるでしょうか。二人は義兄弟になります。劇場公開のときには、この「朝鮮人や」というところが「半島人や」となっていました。今回これまたビデオではそのままになっていました。
  この岸田との盃を交わしたことが問題になります。警察はいよいよ岸田たちの組を締め付けにかかります。それで黒岩がじゃまなのです。黒岩はなんとか岸田を守ろうとしますが、警察の佐藤慶ほかの汚い手によって自白させられ、岸田は捕まり、さらに汚い手によって、岸田は警察の中で殺されます。

  今度は裏切り者として岸田の舎弟たちからも狙われます。そして黒岩は警察署に向います。とにかく許せないことは許してはいけないのです。撃たれた黒岩の眼には梶芽衣子の叫ぶ姿が映ります。  いいことも何もありません。ただ「くちなしの花」が悲しく聞こえてくるだけです。(1994.12.03)

10110601題名  わが青春に悔なし
封切 1946年10月
監督 黒沢明
配給会社 東宝
キャスト
 八木原幸枝    原節子
 野毛隆吉      藤田進
 八木原教授    大河内伝次郎
 糸川          河野秋武
  野毛の母      杉村春子
  野毛の父      高堂国典
  八木原夫人    三好栄子
  特高毒いちご  志村喬

  私はこの映画を1968年の4、5月ころ銀座の並木座で初めて見ました。黒沢明の戦後最初の作品ということでしたが、のちの黒沢作品とはかなり違うものを感じました。やはり、戦争が終ったという喜びとそして二度とない青春をいかに力強く過ごた男女がいたのかというようなことをまず感じたものです。そして原節子の美しいこと、もう忘れられない女優になりました。
  内容は戦前の京大滝川事件と、ゾルゲ事件を題材にしています。八木原教授は滝川京大教授であり、野毛は尾崎秀実がモデルであると思われます。

  最初京都の吉田山にハイキングしている一団がいます。八木原夫妻とその娘幸枝、そして京大の八木原教授の生徒である学生たち数人です。幸枝は大変に美しく活発なお嬢さんです。幸枝のひくピアノが何度も画面に出てきます。そのピアノをひく幸枝の指はいかにも美しいのです。野毛も糸川も幸枝に恋しているようです。吉田山で小さな小川を渡れない幸枝に糸川が手を差し伸べます。なかなか手が届かないでいるところに、野毛が靴が濡れるのもかまわず、川に入って幸枝を抱き上げます。見ている他の学生たちはみんな思わず拍手をします。幸枝をめぐる野毛と糸川という二人の男がこのとき対照的に描かれています。そして時は昭和8年、日本がますます大陸への戦争にのめり込んでいった時代です。
  現実では滝川事件ですが、八木原教授が攻撃されます。学生たちは「学問の自由を守れ」と立ち上がりますが、警察の弾圧にあい、野毛以下逮捕されてしまいます。八木原教授は学園を去りますが、同時に野毛も大学を去ります。この闘争に敗北した学生たちからは、野毛はもはや学生運動ではもの足りないのだという声が聞かれます。だが貧しい家庭である糸川は真っ先に運動から離れ、大学を卒業します。
  野毛は東京で思想運動を続け、当局からにらまれているようです。糸川は検事になっています。20代になった幸枝は、両親の止めるのも聞かず東京へ出て行きます。いままでのようなお嬢さんとしての生活を捨てたいということと、やっぱり野毛に会いたいという気持なのでしょう。
  東京で偶然幸枝は糸川と会います。レストランで食事するなかで、糸川は自分が結婚して子どものいることをいい、さらに野毛の消息を伝えます。糸川のいうところだと、野毛も転向して、今では支那問題の専門家として活躍しているとのことです。糸川は野毛の論文の出ている雑誌を手にしています。
  幸枝は野毛の事務所へ行きます。だが事務所の前まででいつも躊躇してしまいます。あれほど活発なお嬢さんだった幸枝がいつも事務所の前までしか来ることが出来ないのです。それがなんと1年も続きます。私にはこのときの原節子がたまらなくいじらしいのです。でもどうやら二人は事務所の前で再会します。二人は結婚します。野毛も幸枝が心から好きでした。だが彼は偽装転向して、いわば反戦活動をやっているのです。幸枝を巻き込みたくはないのでしょう。でも幸枝は、私にもそのあなたの仕事を分けてくださいといいます。
  結婚生活は束の間です。野毛は逮捕されます。担当検事は糸川です。幸枝も拘束され、特高からきびしい取り調べをうけます。太平洋戦争が始まり、幸枝は糸川の力もあって釈放されますが、野毛は獄死します。野毛はスパイだったいう汚名のみが残ります。
  幸枝は野毛の実家に行きます。野毛の妻だからです。野毛の両親は息子がスパイだったということで、村中から敵視されています。その中で幸枝も農作業をやります。ピアノしかひけなかった手で、厳しい肉体労働を手掛けるのです。この幸枝が必死に農作業をして、田植えをするこの野毛の実家でのシーンなどは誰でも涙が出てくるのではないでしょうか。苦労した田植えも、心無い村人たちのためにめちゃくちゃにされます。「売国奴」「スパイ」というような紙を貼った杭が田に並びます。それでも幸枝、そして野毛の母、そして何も喋らなかった父親も必死になります。私はこの父親が遂に怒って、自らから田の余計な杭を抜くところでは涙が止まらなかったものです。
  この幸枝のところに糸川が尋ねてきます。糸川の前にたくましく日焼けした幸枝の姿があります。糸川は何か後ろめたいのか、元気がありません。私には何故かこの映画の中で、この時の原節子が一番美しく思えます。「もうこの指では、ピアノなんかひけませんわ」という原節子の指ほど美しく見えたものはないのです。
  野毛君の墓参りをしようという糸川に、幸枝は「およしなさい」と強く言います。幸枝には糸川が野毛を殺した側の重要な人物であることが判っていたのでしょうか。雨の中を糸川は茫然となって帰っていきます。おそらく、幸枝にまだ未練のあった糸川も、これで幸枝の心は完全に野毛のものになったということを知ったのです。もう糸川は画面からは姿を消します。

  戦争が終って、京都の実家に帰ってもいいはずなのですが、幸枝は野毛の実家のある村で、婦人運動をやっていくような決意でいます。京都の吉田山で束の間の思い出のあと、幸枝は村へ帰っていきます。あれほどスパイの妻として毛嫌いしていた村の人もいまでは彼女を尊敬しているようです。
  八木原教授は京大に復職しました。教壇で、反戦の為に雄々しく闘った野毛のことを話しています。
  幸枝にとって、野毛と出会えた青春は悔いないことでした。けっして素晴らしい日々とはいえはしないでしょうが、彼女の青春は、そして野毛の青春は悔いないものだったのです。

  というようなところまで、私はずっとこの映画について思ってきていました。いつ見直してみても涙が出てきてしまう映画です。ところがあるときまたこのビデオを借りてきて見た次の日の昼間、私の事務所の近くの交差点を渡っていたときに、ふと思い浮んだことがあったのです。

      いったい、野毛を殺したのは誰なんだろう?

一瞬私の中でひらめいたのです。

      尾崎秀実を殺したのは、そりゃやっぱり近衛文麿じゃないか。
    そうだ間違いないさ。

  そこでまたこの映画について考えることになった訳です。そしてまた私はクライアントへ行って仕事をしたりして、しばらくたったあと、帰宅の電車の中で、再度考えたのです。よくいろいろと、再構築する感じで考えました。そうするとどうしてか怖ろしい真相みたいなものが浮んできたのです。

      たしかに近衛には動機があるが、尾崎秀実の殺害の最高指令
    を出したのは、実はスターリンではないのか?

 私はどうしてか、この真相にたどりついたように思っているのです。そしてその私のいう真相から、再度この映画を見ていきたく思うのです。
  それには、やはりゾルゲ事件ならびに尾崎秀実の問題、そして近衛文麿の果たした役割、それに第2次世界大戦の問題などを見ていかなければならないでしょう。そうしたときに、私にはまた違う糸川の青春像が浮んできたのです。

  さて「わが青春に悔いなし」の話を続けます。いったいこの映画のモデルである尾崎秀実およびゾルゲ事件とは何だったのでしょうか。
  ゾルゲとは戦前ドイツ大使館周辺にいた通信記者です。このゾルゲは絶えずドイツ大使オットーと交際していました。ゾルゲは日本の情報をドイツに渡していたのです。しかし、実は彼は二重スパイであり、ソ連に対してこそドイツの情報、日本政府の情報を流していたのです。彼は熱心なるマルキストでした。そのゾルゲときめ細かく連携して動いていたのが、尾崎秀実です。尾崎は近衛文麿の重要なブレーンとなり、数々の政策を提案作成していきます。尾崎のみならず、近衛の周りには、尾崎の息のかかった転向左翼がいました。ゾルゲ及び尾崎秀実たちは一体何をやろうとしていたのでしょうか。それは単に、反戦運動(これは全く嘘でしょう、彼等には反戦なんて意思はありません)とか、あるいはソ連の為の単なる情報収集ではなかったと思うのです。
  彼等が至上目的としていたのは、革命祖国ソビエトの防衛です。革命ソビエト国家は、過去各国列強のやったシベリア出兵等干渉戦争には辛うじて勝利できました。しかしもうまた繰返すわけにはいかない。そして独ソ戦は必至であると考えていたと思います(だが、必至であっても、スターリンは時期を見誤っていたと思いますが)。独ソ戦を考えると一番怖ろしいのは、勇猛な日本軍にシベリアから進撃されることです。日露戦争の敗北がスターリンの瞼に浮んでいたはずです。独ソ戦が必至ならば、なんとか日本との第2戦線だけは避けなければならないのです。それがゾルゲそして尾崎に課せられた任務でした。彼等自身も、革命ソビエト、労働者の祖国ソビエト防衛の為に、心の底から、真剣に取り組んでいったはずです。
  彼等にとって怖ろしいのは、北進論(すなわちソ連をまず敵とする陸軍を中心とする戦略論)を称える軍部の傾向です。だから北一輝は処刑されました。北一輝は中国を愛しました。中国を苦しめる日本、この祖国日本の魂からの革命を目指しました。北は、米国を敵としては考えていません。ソ連をこそ敵として考えていました。だから近衛が北を処刑したのです。
  また尾崎たちにとっての敵は、いわゆる欧米派といわれる政党人や、官僚たちです。具体的にいうと、吉田茂や広田弘毅です。だから尾崎の傀儡であった近衛文麿は政党を解散し、大政翼賛会をつくり、東亜新秩序を称えていきます。なんとしても、中国との戦争を長引かせ、日米戦争に至ることが革命ソビエトの防衛になるのです。尾崎秀実の目論見どおり、近衛は動いてくれ、日米戦争に到ります。私はいわゆる太平洋戦争というのは尾崎秀実が考え、形作ったものであったと思っています。
  日米戦争の開始、真珠湾の日本軍の攻撃を一番喜んだのは誰でしょうか。私は3人の人物が思い浮びます。チャーチルとルースベルト、そしてこれを企画演出したスターリンです。

    チャーチル「これで米国も真剣にドイツとやる気になってくれた」
    ルーズベルト「これで米国こそ世界の覇権をにぎれるぞ」
    スターリン「これで我が革命ソビエトは救われた」

  まあ、一番ルーズベルトが阿呆で利用されたようには見えてしまいますが、米国はこの野望を結果としては達成しました。

  さて、ここで「わが青春に悔いなし」に戻ります。
  野毛は、逮捕されるとき、幸枝にハンドバックを買ってあげています。彼は幸枝を自分の運動に巻き込みたくはなかったでしょうが、もうしかたありません。だが何かもう達成した(すなわち、近衛の新東亜新秩序体制は半ばできた)と思っていたのではないでしょうか。それでこうしてハンドバックを買ってあげる気になったのかもしれません。
  だが、野毛はそのハンドバックをもって、何故かカフェー(ビヤホールみたいなものでしょう)に寄ります。どうして早く帰宅して幸枝の喜ぶ顔を見ないのでしょうか。野毛のような高邁な思想家が突然ビールが飲みたくなったとは思えません。私はここに謎があると思います。野毛は糸川からの圧力を充分感じていました。自分の行動を逐一見つめている、糸川の眼を何時も意識していました。野毛は、このビヤホールで糸川と会う約束をしたのではないでしょうか。糸川と対決したいのです。だが相手は国家の治安の側の検事です。対決するのには、野毛の側に何か切り札がなければなりません。その切り札は、野毛にとって、近衛文麿だったのではないのかと私は思うのです。つまり、いくら糸川が私を追及しても、俺のバックには実は近衛公がいるのだという真相を、昔の学友である糸川に話して、彼がいくら追及しても無駄だよと言いたかったのではないのかと思うのです。
  だが、そのカフェーに糸川はきません。ウェイターの顔を見て、野毛は驚きます。野毛はそのウェイターにつかみかかり、そこで逮捕されます。そのウェイターはよく顔見知りになってしまった特高の刑事だったのでしょう。
  このシーンのあと、野毛はもう画面に出てきません。獄死したことが糸川から、八木原教授に伝えられるだけです。実際に野毛を殺害したのは特高としても、糸川がそれを知らないわけがありません。彼が野毛の担当なのですから。
  近衛文麿は実際にゾルゲ事件が起きたとき、どんなに驚愕したことでしょう。段々と捜査が自分の身辺にまで及んできます。近衛公その人自身まで関係しているのかなというあたりで、捜査は終ります。近衛は尾崎秀実の口から、自分の役割がばれるのをかなり恐れたと思います。だが近衛はただ尾崎に操られていたにすぎません。本当にこの事態で困ったのは、実はスターリンではないのでしょうか。尾崎が口を割り、完全に転向することにより、政党や官僚の欧米派が復活して、日米開戦を避けるような体制が作られたら、祖国ソビエトはどうなってしまうでしょうか。また陸軍の北進論派(これは皇道派でもある)が復活して、満州から精強な日本陸軍が進攻してきたらどうなるでしょうか。
  だから、スターリンは尾崎の殺害を指令するのです。さて直接誰がこの指令を受け取ったのでしょうか。
  私はこの「わが青春に悔いなし」では、この糸川にこそ、この指令が伝わったのではないのかと思うのです。もう役割の終った野毛を処理する指令が糸川に下されたのです。糸川は学生のとき簡単に転向して検事になったように見えます。だがかなりな葛藤があったはずです。恋していた幸枝も、結局野毛の妻になってしまいます。彼の屈折は、それでもその野毛よりもさらに上位のことを貫くことで、晴らされたのではないでしょうか。それは、革命祖国ソビエトを防衛するために、野毛を殺害することです。彼にはこれで自らの思想が貫徹されたのです。
  だがこのことは誰に喋ることもできません。戦争中幸枝に会いにいった糸川は、幸枝の心が、すべて野毛にあるのを知ります。茫然と雨の中を歩いていく糸川は何を考えていたのでしょうか。私が勝手に糸川の心を覗きます。

   野毛は革命ソビエトの為に闘い、今幸枝の心を得た。だが俺こ
   そが、野毛を殺すことにより、革命祖国ソビエトを守ったのだ。そ
   れでも俺はこのことは墓場までもっていって誰にも喋らない。結
   局、お嬢さんになんか、何もわからないんだよ。

 勿論これは私が勝手にすべて推測しているのです、黒沢明はこんなことまで、まったく考えていないでしょう。それにしても、ゾルゲ事件、近衛文麿の役割、尾崎秀実のやったこと等々の真実から、私はこのようにこの映画を解釈したのだということなのです。
 映画には出てこない近衛文麿は日本の敗北で青酸カリで自殺します。彼は自分の果たした役割について充分理解できる時間がありました。彼は自分が救ってやったソビエトロシアを通じて、和平工作を続けました。しかし、スターリンもトルーマンも蒋介石もそれを無視します。彼にはもう尾崎秀実と同じ死しか用意されていなかったのです。
 その後、幸枝はきっと農村で活躍しながら、やがて日本共産党、あるいは社会党との間で、運動そのものに嫌気がさしていったことだろうと思います。そして糸川のその後は、東映のB級やくざ映画「懲役太郎まむしの兄弟」で、まむしの兄弟の菅原文太と川路民夫の二人に刺青を入れている彫り師の姿(を河野秋武が演じている)なのだと思ってしまうのです。
 糸川(河野秋武)は、戦争中原節子に会ったあと、どうしてか流れ 流れて、彫り師になって今こうしてまむしの兄弟に墨を入れているのかなんて思ってしまうのですね。
 そしてその糸川は最後まで真相は黙っているに違いありません。そして年老いた彼こそがいうはずです。

   わが青春に悔いなし       (1994.11.24)

10110502 戦前戦中戦後のアメリカ共産党員の姿を描いた映画があります。私は日本共産党も米国の共産党も、「共産党」と名がつく存在はすべて大嫌いなのですが、どうしてか、この映画の描く女性の姿には涙を流してしまいます。

題名 追憶(The Way We Were)
封切 1973年
原作  アーサー・ローレンツ
監督 シドニー・ポラック
配給会社 (米)ラスター・プロ=コロムビア
上映時間 119分
キャスト
  ケイティ  バーブラ・ストライサンド
  ハベル    ロバート・レッドフォード

  この映画を最初にいつどこで見たかなと思い出してみます。そうするとたしか1975年の10月頃、失業中に就職活動の中、有楽町のある地下の映画館で見たのを思い出しました。ちょうど失業中の上に失恋しかかっていたころでもありました。
  見る前になんでロバート・レッドフォードというアメリカを代表する二枚目役者の相手がどうみても美人とはいえないだろうバーブラ・ストライサンドなんだろうと思いました。バーブラはどうみても私が好きになるタイプの女優ではありません。ただ必死に仕事を探している私には、あんまり深く考える余裕などなく映画館に入ってしまいました。時間をつぶさなければならなかったのです。
  内容はケイティという女性の愛とその挫折を描いています。ただケイティは愛には挫折しますが、思想は貫いたといえるのだと思います。そしてそのことをこの映画は訴えたいのかもしれません。

  最初ある大学でケイティは、学生の前で反戦の訴えの演説をしています。ハベルはそれをただ眺めているだけのノンポリ学生です。いかにも不美人で気の強そうなケイティの必死の演説も男子学生の心ないいたずらで台なしになってしまいます。ケイティはその妨害する学生に叫びます。

      ファッシスト!

 ときは、第二次世界大戦の起こる前の時代なのです。ハベルはスポーツ万能であり、文学の才能もある学園の人気者です。そしてケイティは実はこのハベルにあこがれているのです。思えばどんな不美人の学生活動家でも、どうでもいいとしか思えない男に惚れることだってあるでしょう。でもなんとなく、ケイティの生涯を不安なものに予想してしまいます。
10110501  第二次大戦の最中、ニューヨークのラジオ局で反ファシズムの放送劇を制作しているケイティは酒場でハベルに再会します。彼は純白の制服に身を包んだ海軍の青年士官になっています。このときのハベルは実に素敵な笑顔の美男子です。ケイティはあこがれのハベルと再会の乾杯をします。どんなに嬉しかったことでしょうか。その晩ハベルは泥酔してケイティのところへ泊まります。しかし彼は最後には相手がケイティだということを忘れているらしいのです。
  でもなんとか二人は親しくなり、戦争も終ると結婚することになります。これはいわばケイティがあこがれの彼をくどきおとしたわけでしょう。だがケイティは強く政治運動をやりたい女であり、ハベルはあいかわらずノンポリで政治的なことなどに興味はありません。ないどころか、とにかく楽しく生きていければいいと思っている、私などからみてもまったく思想性のないつまらない男です。
  やがてハベルの文学の才能で映画の脚本家として成功していきます。たくさんの友達と二人はつきあっていきます。子どもも生まれます。明るい家庭なのですが、ケイティは友人たちとのパーティの中でも、どうしても政治的な話題を話してしまい、ハベルはそれが嫌になってしまいます。昔の学園時代の仲のいい友人たちと会って、なんとか楽しく振舞おうとするケイティの姿もありますが、なんかうまくいきません。海岸でみんなとバレーボールをやっているケイティの姿なんか、そのボールの打ちかたにその感じがよく表われています。学園時代のハベルのまわりにいた活発な女の子たちのようにはうまく振舞えないのです。
  やがてマッカーシーズムが映画界にも吹き荒れます。ケイティはこのマッカーシーズムと対決していこうとします。だがハベルにはそんな気も度胸もありません。なんとかこの時代をうまくすりぬければいいと考えているだけです。思えば、アメリカの映画界でも、チャップリンのようにこのマッカーシズムに対して雄々しく闘った人もいれば、このハベルのように、ただ嵐の過ぎ去るのをまって、黙っていた映画人も大勢いたわけなのでしょう。
  ケイティは離婚を申し出ます。共産党員であるケイティと離婚さえすれば、彼は安全な映画作家と見做されるでしょう。ケイティはやっぱりハベルを愛しているのです。だが、ケイティは思想を捨てるわけにはいかないのです。

  何年かたって、二人は偶然ニューヨークの舗道で再会します。もう二人とも中年です。ハベルはそれでもいい美男子です。今はテレビの仕事に追われていて忙しいといいます。ケイティは喜びます。
  ハベルと別れて走り去ったケイティは、原爆禁止のビラを通行人にまいています。ケイティはいまも闘い続けているのです。原爆禁止を訴えるケイティの声と、ビラを配っている姿で、この映画は終ります。
  思えば、なんだか非常につまらない映画にも思えてきます。ケイティとハベルとはどちらの生き方が正しいかどうかというようなことではありません。最初のケイティの学園での演説の内容なんか、ソ連を平和勢力として讃えていて、なんだか馬鹿馬鹿しい。戦後のマッカーシズムはどうにもひどいことをしたものだとしても、アメリカ共産党が戦前戦中と過ちを犯していたのは間違いないことです(アメリカ共産党は戦争を大肯定して行った、要するにスターリンを守るためでしょう)。でもそれにしても、私はこの映画の中のケイティの姿に涙してしまいました。
  なんであれ、ケイティは強く自分の思想を貫こうと生きていきます。実際にこんな人間が身近にいたら、嫌なものでしかないと思います。想像しても、ソ連が原水爆実験をやったときにはまたどうふるまうのでしょうか。それで反ソ連派になったとしても、今度は中共派の共産党として誤謬を続けていってしまうのでしょうね。でも、そうだとしても私はこのケイティの方に身を入れてしまうのです。どうしても彼女の姿に涙を流してしまうのです。

  ちょうど私はこの映画を見たときに、失業中でした。もう80社くらい応募面接して断られていました。もう適当にどっか就職してしまいたいと思っていたところです。でも、このバーブラ・ストライサンド演ずるケイティを見ていて、「俺もまだ妥協なんかしないぞ」と決意を新たにしたものでした。
  それにしても、この映画でのケイティを演じたバーブラ・ストライサンドのことは、これでたちまち好きな女優になってしまいました。私がけっして好きにはなれないタイプだったのですが、どうしてかこうして身を入れてみてしまうと、もう私は強烈なファンになってしまいました。いまでは私の好きな外国女優の一人です。このあと彼女の出演する映画はすべてみるようにしています。(1994.11.24)

10110210 昨日長女の家に妻と二人で歩いて行きました。そのときに、東武ストアで買物をしたあと、交番の前を通って都電の電停を歩いている頃、右翼の宣伝カーが鶴田浩二の軍歌を流します。
 私は鶴田浩二が唄う歌はいつも好きですから、こうした歌に自然に自分も口の中で唄っているものなのですが、でも「あ、右翼の宣伝カーだ、嫌だな」と思うものです。
 軍歌は、実に私は大好きで、いつも私が自然に口から流れてしまうものなのですが、でも右翼の若い奴らが流すのは嫌になります。
 実に不愉快ですね。

 そういえば、この一つ前にも書いたことですが、私は詩吟はあちこちでやります。私があるときに、柏の大衆飲み屋で、詩吟を詠い始めたときに、私は当然にその店にいるすべてのグループに私が唄う了解をとりに行きました。そして歌おうとすると、店側が「駄目だ」といいます。それで聞きますと、店としては構わないのだが、他のお客さんがいるから迷惑だと言う方もいるだろうからというのです。それで私は、「みんなに了解をとりました。(大声で)みなさん、私が詩吟をやりますが、みなさん了解してくれましたよね」というと、そこにいたみんなはすべて同意の、声をあげます。かくして、私は七言絶句を1分47、8秒詠います。
 店の姿勢がひどいところがありますね。そういう店は、もう二度と行きません。私が行かないだけでなく、もう滅茶苦茶に悪くいいます。この姿勢は少しも変わっていません。

10110503 私たちは学生のときよくヤクザ映画を繰返し見ました。やはり東映の俳優の中では、鶴田浩二と高倉健の出る映画が一番多かったように思います。高倉健がなにもないただの仁侠なのにくらべ、鶴田浩二には理屈がありました。そしてその理屈を私は嫌いではありませんでした。

 最初鶴田浩二が画像にあの甘いマスクで出てきます。安キャバレーの支配人なんかやっています。もうそこで私たちはもう「鶴田浩二はつらいな」と思ってしまいます。戦後ヤミ市の中で暴れに暴れて、いまではおとなしくなった一人のヤクザを彼は演じているのです。だがまた彼はもとの世界のしがらみの中でまたも同じことをやります。しかし映像の中ではけっして彼の生き方を肯定されてはいません。
 もっとあとの映画になると、もう彼の顔を写さず、最初彼の背中のみ写し続けるヤクザ映画があります。私なんかそれを見て、「鶴田浩二はつらいな、生きるのはつらいんだよな」とすぐ涙ぐんでしまったものでした。小さな組を率いてもうひっそり生きていたいのに、でもまたヤクザな世界へあともどりしてしまう鶴田浩二、いつも哀しくて哀しくて泣いたものです。背中だけで演技できる俳優なんてそんなにいるものではありません。その背中には彼のもっている理屈があります。
 この鶴田浩二の持っている理屈はなにか。それは彼が戦後のヤミ市の中で暴れまわったそのさらに原点には、この映画があるのです。この映画の中に彼の戦後の始まりがあります。

題名  雲ながるる果てに
封切 1953年6月
原作 海軍予備飛行学生の手記より
   直居欽哉
監督 家城巳代治
配給会社 松竹
キャスト
 大滝中尉   鶴田浩二
 深見中尉   木村 功
 村山飛行隊長 原 保美
 倉石参謀   岡田英次
 松井中尉   高原駿雄
 芸者富代   利根はる恵

 時は昭和20年4月九州南端の特攻隊基地が舞台です。
 純粋で真面目な大滝と、毎夜隊を抜け出して芸者に会いにいく松井との激しい論争があります。大滝は無垢の生命を国家に捧げようとしています。松井は死を前に好きな女と自分の最後の人生を愉しみたいということなのです。人生観を語ることなんかいくらでもしていいのだと思うのですが、何故この二人がいい争わなければいけないのでしょうか。私は悔しくてなりません。
 その松井は

  じゃあ戦争のない国で待っているよ、なあ

と特攻機にのります。もう2度と還ってはこないのです。
 大滝中尉のところへ、父母と、従妹が面会に来るとの通知があります。この従妹とは恋ごごろの関係があるのかもしれません。彼はうきうきして喜びます。しかし彼に出撃命令が下ります。両親がつくころにはもうここにはいないのです。

    どうも話がうますぎるよ

と大滝は明るく笑いますが、裏山の松林の中で独り泣き叫びます。豪気な彼も生きのびたいはずなのです。それを怪我で出撃から除かれていた深見中尉が見て、彼もまた出撃を願いでます。
 軍の幹部たちは、「これはいくらでも特攻隊の志願者はいる」と笑って喜びます。私たちが見ていて一番腹のたつところです。
 大滝の父母たちが駆けつけたときには、もう彼らは飛びたっていて、白い雲流れる陽春の空しかありません。
 大滝のナレーションが入ります。

    ぼくの大好きなすべての人、なつかしい山河、そして平和な日本、
    それを思い浮べながら死んでゆきます。

画面にスーパーが入ります。

    昭和二十年四月十六日、神風特別攻撃隊第三御楯隊、海軍
    中尉大滝正男、身長五尺六寸、体重十八貫五百、極めて健康。

 私が随分前になりますが、一緒に食事した女性とこの映画の話をしたことがあります。彼女は「あなたは若いのによくこの映画の事知っているわね」といいながら、私と同じことを感じていました。見ていて涙ばかり出たそうで、そして腹を立てるところでは心から怒っていました。あれが鶴田浩二の戦後の出発なのだということも感じていたようです。
  これが鶴田浩二の原点であり、彼のもっている戦後社会への理屈なのです。

  そしてこの映画では大滝は飛びたってもう還って来ないのでしょうが、鶴田浩二は何故か生きて還ってきたわけです。
 こうして生きのびたのか、還ってきたのかとにかくこの大滝が戦後のヤミ市の中でたくさんの死んでいった松井中尉や深見中尉を思いながら、暴れまわるわけです。彼にとっての戦後社会での自分は「余計なもの」なのです。だから必ず彼のヤクザ映画の中にはそうした戦友たちの回想シーンがあります。たしかこの「雲ながるる果てに」そっくりの映像がそのまま出てきたような映画もあったように思います。彼は死んでいった松井や深見を忘れはてている戦後社会を憎みます。彼らを殺してのうのうと戦後社会を生きている、かの軍幹部のような連中を憎みます。
 そしてひとときのやすらぎがあったなか、また彼は死んでいった戦友を想い、ヤクザ社会のつまらない抗争の中に出ていきます。本来ならあの時に死んでいたはずなのです。そしてその抗争の中で、彼はまた死んでいきます。「ヤクザなんて人間のくずだ」という彼の想いがいつも伝わってきます。「そして俺もくずだ」「いま貴様たちのところへいくぞ」という鶴田浩二の想いが伝わってくるのです。(1993.07.24)

201702202410110301 2000年12月に封切られた映画です。ベルリンとヴェネチアの両映画祭で賞を受賞しました(第50回ベルリン国際映画祭銀熊賞受賞)。たぶん、どの映画祭でも、最後は拍手が沸いたことでしょう。それは誰もが自分の中に持っている初恋への懐かしい優しい気持が、そのまま拍手になって行ったように思います。

題名 初恋のきた道
原題 我的父親母親  英語題名 THE ROAD HOME
封切 2000年
監督 張芸謀(チャン・イーモウ)
キャスト
配役名         俳優名
チャオ・ディ(18歳) チャン・ツィイー(章子怡)
ルオ・チャンユー    チェン・ハオ
ルオ・ユーシェン    スン・ホンレイ
チャオ・ディ(母親役) チャオ・ユエリン
 
中国華北の小さな村である三合屯に、都会で働く成年ルオ・ユーシェンが、父の訃報を聞いて戻ってきます。母親のチャオ・ディは、伝統の葬儀をすると言って村の皆を困らせています。息子のルオ・ユーシェンも頑なな母の気持に困惑してしまいます。母親が言うのは、遺体のある街からこの村まで、父の遺体の棺桶を皆大勢で担いで運びたいというのです。それが昔の伝統なのです。「担いで運べば、亡くなった人には家路が見えるという迷信」だと、皆言っています。
でも貧しい村の人たちは、ほとんど都会に出ています。担いでくれる人もいないし、しかも雪の季節ですし、距離も遠いのです。車で運べばすぐにできるのですが、母親は言い続けます。
そんな母親は、古い機織を直して、棺に掛ける布を徹夜で織っています。そんな母親の背中を見ながら、ルオ・ユーシェンはそこにある父と母の写っている写真たてに見入ります。写真はモノクロなのですが、父母二人は若く輝いています。この二人は、40年前に今ではこの村での伝説になってしまった恋物語の中で結婚したのです。
その村では誰でもが知っているだろう父母の恋物語を、息子が思い出していきます。

10110302 突如、画面はモノクロから綺麗なカラーになります。そして最初に出てくるのは、若くて綺麗な18歳のチャオ・ディなのです。ちょうど村には、街から学校の先生が来るといいます。その先生を見に、村人みな集まっています。チャオ・ディもはじめて村に来る先生に興味シンシンなのです。
先生がきます。それがルオ・チャンユーです。とても初々しい、かつなんだか真面目だけが取り柄の先生のようです。チャオ・ディは、そんな先生がすぐ気に入ってしまいます。ルオ・チャンユーもちらちらとチャオ・ディを見ているようです。だってチャオ・ディは、村で一番綺麗で、しかもその日は彼女が一番似合うだろう赤い(赤というよりもピンクに見えます)服を着ているのです。
村には、はじめて教員が来てくれたのですが、まだ校舎はありません。村の男たち皆で、学校を建設しだします。校舎を作るのは、男たちの仕事で、女たちは働く男たちの食事を用意します。
もうルオ・チャンユーに恋してしまったチャオ・ディは、自分の作った料理を彼にこそ食べてほしくて、心を込めて作って、彼がこそ自分の料理があたるように工夫を凝らします。たぶん彼女が一番気に入っているのだろうう大きな茶わんを使います。それに、村には井戸が二つあるのですが、チャオ・ディは遠くのほうに出かけます。それは学校が近いからなのです。
校舎ができて、ルオ・チャンユーは自分の作った教科書で、朗読をしています。子どもたちもそれに唱和します。この先生の朗読する声をする声をチャオ・ディは聞きにいきます。その学校にルオ・チャンユーが居たときには、それからチャオ・ディは毎日、この声を聞きにいきます。実に40年間そうしていたのです。
独身のルオ・チャンユーは、持ち回りで、村の皆の家に食事にいくのですが、やっとチャオ・ディの家にやってきます。

父がはじめて母の家に来たときに、入り口に立った母の姿は一幅
    の画のようで、一生忘れない

とルオ・チャンユーは息子に語り続けたようです。見ている私たちにも、このときのチャオ・ディの笑顔が一番綺麗に思えます。
チャオ・ディの家には老いた盲目の母親がいます。この母親の前でも、チャオ・ディはルオ・チャンユーへの恋心を隠しません。校舎作りのときに、自分が作った料理を食べてくれたか、そのときの茶わんを覚えているか聞いてしまいます。ルオは

覚えている。青花の碗だった

と答え、さらに、村にはじめてきたときに、チャオ・ディのことが気になったことも言います。彼女が来ていた赤い服を覚えているのです。
ルオが自宅に来る前にも、恋するチャオ・ディが、ルオをいろいろなところで見つめているシーンがいつくもあります。章子怡は、ただただルオを遠くで眺めているだけのとても素朴な少女のチャオ・ディをよく演じています。それがこの村の綺麗な自然の中で描かれていきます。
だが、ルオが自宅に来て、さらに夕食も食べにくる約束をしたのに、その日にルオは街に呼び帰されます。村人は
 
右派だそうだ。2、3日で帰れるだろう。

と言っています。私も「いよいよ文化大革命か」と思いました。
「夕食を食べには来られない」と言いにくるルオはチャオ・ディに髪飾りを贈ります。街に出たときに買っていたということなので、彼もまた彼女に恋していたわけなのでしょう。
この街に呼び返されるルオに、作った食事を届けようと、チャオ・ディはルオの乗った馬車を追います。でも走っても走っても間に合いません。とうとう、食事を入れた青花の碗を落として割ってしまいます。このときは、見ている私も彼女と一緒に走っている気になってしまいます。
ルオは旧暦の12月8日には帰ってくると言って去るのですが、その日雪の中で待ち続けるチャオ・ディの前にルオは戻ってきません。それから彼女の辛い日が続きます。
でも待ち続けても、彼は戻ってこないのです。
この間に、いいシーンがいくつかあります。チャオ・ディが誰もいない学校へ行って、学校の中を掃除し、ルオのことを思い続けているところ。そして、目の見えないお母さんが、チャオ・ディのために、「瀬戸物の修理はいらんかね」と村々を歩いてくる職人に、割れた青花の碗を修繕してもらうシーンもいいのです。お母さんは、「これじゃ、新しく買ったほうが安上がりだ」という職人に、

その碗は、ある人が使ったんだ。その使った人が、娘の心を持っ
   て行ってしまったんだ。娘のために、なおしたいんだ。

といいます。どうしても涙が出てしまうところです。
でもルオは戻ってきません。毎日、道に立ちつくすチャオ・ディは風邪をひいてしまいます。それでも、母がとめるのもきかず、吹雪の中を街まで歩いて行こうとして、雪の中に倒れます。
雪道で倒れ、高熱で苦しんでいることを知って、ルオは無断で村へ帰ってきます。そして寝込んでいるチャオ・ディのそばで看病したあと、朝また学校で、教科書を朗読します。また、前の通りになったみたいです。
でも、このことがために、さらにルオは街にひきもどされ、それからさらに2年取調が続いたようです。
2年後に村へ帰ってくると、ルオとチャオ・ディは結婚します。盲目の母親も村の人たちもみな祝福してくれたことでしょう。そして、二人はそのまま40年間一緒に暮らします。

そこで、またモノクロの画面の現代に戻ります。
息子のルオ・ユーシェンはこうして、母と父の恋物語を思い出したことにより、やはり母親の思いを遂げさせようと決意します。街から村まで、父の遺体を担いで運ぶために、大勢の人を雇おうとするのです。

この平凡な山道。必死に待ち続けたこの道を母は父と共にたど
    りたいのだろう。

そして雪の中、大勢の人が集まります。だが、彼らはみな父親のルオの生徒たちだったのです。みなお世話になった先生を、昔のしきたり通りに村まで担ぐのだときいて、中国の全土からやってきます。そして彼らは、お金は受取ません。雪の中、大勢の人たちが交替で、遺体の棺を担いで持って歩きます。歩くのは、街から三合屯村への道です。若きチャオ・ディがルオを待ち続けた道
です。棺のそばには、そのチャオ・ディがルオと一緒に歩いています。きっとルオにも、この道が見えていることでしょう。
実に感動的な映画でした。そして泣けてくる映画でした。やはり、恋の映画です、まさしく「初恋のきた道」なのです。

でもでも、私は思いました。

日本の題名の「初恋のきた道」はいいけれど、中国の原題ではなんで
「我的父親母親(私の父親と母親)」なんていう題名なんだろうか。日本
の訳者のほうが上手だよな。この映画にぴったりじゃないか。でもはたし
てそうなのかな?

そこで、私は再度この映画を見直してみました。

まず、この映画の年代は、西暦2000年のことです。父親が亡くなって、息子が村へ戻ってくるのが2000年のことなのです。
このことは、ルオが街に連れ去られるときに、チャオ・ディに「旧暦の12月8日には帰ってくる」というのですが、そのときチャオ・ディが日めくりのカレンダーを見るのですが、その日は西暦1958年1月27日なのです。そうすると、二人が結婚したのが2年後の1960年で、今がその40年後なのですから2000年なのです。息子のルオ・ユーシェンは37、8歳というところなのでしょうか。
そこで私は気がついたのです。

え、ルオが街に引っ張られたのは、「文化大革命」じゃないんだ。

文化大革命が開始されたのは、1965年のことです。このことは、私は高校2年生でしたが、よく覚えています。だから村人の「右派だそうだ。2、3日で帰れるだろう」というのは、実はおかしいのです。おかしいというか、真実の時代を描いているわけではないのです。
私はこの村人の言葉で、ルオはきっと自分の作った教科書で、西欧の詩人、例えばシェークスピアの詩でも紹介してしまったのだろうと思いました。でも、こうして年代が確認できてくると、1958年だったのなら、そんなことは問題ないはずなのです。
さらに、ルオは街から戻ってきてチャオ・ディと結婚して、「それから40年間、二人は二度と離れなかった」と息子が語るわけですが、これもなんだか真実ではないなと思いました。ルオのような真面目な教員は、必ずあの文化大革命で弾圧されたはずです。彼があの学校の教室で、「毛沢東語録」を手に生徒の前で叫んでいられる人物でしょうか。また息子のルオも、かなりな目にあったはずです。もちろん三合屯の村人もみなつらい目に会ったはずです。
むしろ1958年はもちろんのこと、中国の50年代というのは中国の人々が生き生きとしていた時代です。だから、二人の恋物語(自由恋愛と息子は言っていた)にも、村人はみな祝福できたはずなのです。
だから、あの村の人にとっても、中国の大部分の人にとっても、50年代は明るく輝いており、そのあとの文革時期は暗く嫌な時代でした。
だからこそ、ルオとチャオ・ディが恋ができた1950年代は明るく輝いているのだからこそ、映画の画面はモノクロでもセピア色でもなく、カラーなのです。実に三合屯村の自然も綺麗だし、赤い服のチャオ・ディは、その景色よりも若くて綺麗です。
文化大革命というのは、いかにひどいことを中国の人にしたものでしょうか。だから、人々はその前の輝いていた50年代を懐かしがったことでしょう。
このことを象徴しているシーンがあります。貧しいチャオ・ディの家の窓には、紅い紙を使った切り絵が貼ってありましたね。チャオ・ディは恋しいルオ先生の学校へも行って、窓の障子に、あの紅い切り絵を貼ります。あれは、窓花(そうか、中国語ではチュアンホウ)といいます。これは、中国農村での、家の唯一の装飾なのです。この切り絵を作ることは、嫁入り前の娘の修行の一つであり、チャオ・ディに限らず、村の娘たちはみな綺麗な窓花ができたことでしょう。
でも、これは文化大革命のときには、古い因習、迷信として禁止されました。映画を見ている中国の人たちは、そんなことを思い出したはずです。こんなに綺麗なチャオ・ディのルオに対する可愛い思いも、文化大革命では、迷信として禁止弾圧されたのです。なにしろ、マルクス=レーニン=毛沢東の思想は科学なのですから。
だからこそ、村人にも息子にも、二人の恋物語は、カラー色した美しい輝いている物語なのです。そして、その後の中国は、カラーではなくモノクロとしか言えない時代が続いたのです。
では、その文化大革命を否定した現代の、2000年もなぜモノクロで描かれないとならないのでしょうか。
 
最初息子のルオは、ジープで村へ戻ってきます。彼は街では、会社をやっているようです。運転手とのわずかの会話でそれが判ります。彼は、おそらく携帯電話も持っているはずです。まさしく現代中国は資本主義社会になっているのです。
だが彼が帰ってきた三合屯村は、まったく40年前と変わっていないではないですか。父親が、どうして亡くなったかといえば、40年前の古い校舎を建て直そうと、寒い雪の中を走り回ったからです。文革も終わったのに、なんで学校が40年前と同じ校舎だったのでしょうか。もう都会と村の格差はあまりに大きくなってしまったのです。
だから現代の中国だって、あの二人の恋物語があった50年代のようには輝いていないのです。だから、これはモノクロの画面でしかないのです。
そのモノクロの画面の中で、最後にチャオ・ディが、自分の靴に刺繍をするシーンがあります。あれは、死者に履かせる靴には、切り絵を刺繍するという習慣なのです。これを喪花(そうか、中国語でサンホワ)といいます。これまた文革時代には、迷信と弾圧されたことでしょう。でもこうして、それを刺繍しているチャオ・ディとそれを黙って見ている息子の気持はどうなのでしょうか。息子は母親に街で一緒に住もうといいますが、母のチャオ・ディは早く夫のもとへ行きたいのです。そして、もう変わりすぎた街と村の格差を知っている息子は、母親にはそれしかないのだということが判っているのです。

2度目にみて、ここまで考えてきたときに、この映画の原題の意味が判りました。これは、恋物語を描いたのではなく、中国のどこにでもいた父親と母親が生きた時代を象徴的に描いた映画なのです。
「やはり、原題のほうが、この映画を正確に表しているんだな」。そしておそらく私たち日本人には、どうしてもそこまでは判るのは難しいことだなと感じました。
ただ、やはり、それでもあの50年代の美しい村の中を走っているチャオ・ディの笑顔こそは、誰もがいつまでも忘れることができないだろうと思いました。

最後に、もっと私が強烈に思いましたのは、私の亡くなりました親友の堀雅裕さんが、とても中国映画が好きで、よく「この映画見た?」と聞いてきたもので、実によく話したものだということです。彼の奥さまも中国の人で、文化大革命で辛酸を舐めたようです。彼とよく話したものですが、

芙蓉鎮

についてなんか、何度も何度も話したものでした。
今彼が生きていたら、またこうした私の解釈に、いろいろな思いを述べてくれたことだろうなと思ったものでした。

それから、この映画のシナリオを探したのですが、探しきれませんでした。なにしろ忙しい日々なもので、古書店を探していられません。それでここに書いてある台詞は、みな私が2回目に見たときにメモしたものです。本来なら、もう一度一人でゆっくり見るべきだったのですが、なにしろ真夜中しか見る時間がなく、娘と見ていたもので、テープを戻して見直すことができませんでした。だから、私の書いた台詞は正確だとはいえません。それと、
もう一つ、これは米中合作映画だからなのか、字幕でも登場人物の名前はみなカタカナでした。できたら、それくらいは漢字で書いていただきたかったなという思いです。(2002.03.18)

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10110201 私が知り合った中国人の女性から、最初に飲んでお話したときに「この映画を絶対に見て」と薦められた映画がありました。1988年のことでした。
 ちょうど、その当時この映画は神保町の岩波ホールで長期に渡って上映してしていました。早速見に行ったわけですが、私は上映の間中ただただ涙が止まりませんでした。
 
題名  芙蓉鎮
封切 1987年
監督 謝晋(シェ・チン)
配給会社 東宝東和
キャスト
 胡玉音(フー・ユィイン)    劉暁慶(リウ・シャオチン)
 秦書田(チン・シユーティエン) 姜文(チアン・ウェン)
 谷燕山(クー・イェンシャン)   鄭在石(チョン・ツァイシー)
 李国香(リー・クォシャン)   徐松子(シユー・ソンツー)
 王秋赦(ワン・チウシャー)   祝士彬(チユー・シーピン)
 黎満庚(リー・マンコン)     張光北(チャン・クアンペイ)
 黎桂桂(リー・クイクイ)     劉年利(リウ・リーニェン)

 中国の小さな町芙蓉鎮が舞台です。1963年春町に市のたつ日に、おいしいと評判の米豆腐を出す胡玉音とその夫の黎桂桂の店があります。二人の懸命の努力で店は繁盛しています。

 政治工作班の班長李国香は国営食堂を管理していますが、胡玉音が気に入りません。李国香は政治工作班長に昇格すると、貧富の差をなくすという名目の階級闘争をたてに、胡玉音が米配給主任の谷燕山から大量の米を仕入れて私腹を肥やしていると吹聴し、資本主義ブルジョワジーだと党大会で非難します。ちょうど文化大革命が始まる季節です。
 その後、革命運動は活発化し、胡玉音と黎桂桂は建てたばかりの新築の家と稼いだ1500元を没収されます。胡玉音はしばらく遠い親戚のところに身を隠しますが、帰ってきて知ったのは、李国香を殺そうとして消された夫黎桂桂の死でした。
 胡玉音は班長李国香より「新富農」という階級を与えられ、庶民から非難を受けます。彼女だけでなく、秦書田はもっと以前から反社会派の詩人で右派として非難されています。胡玉音の昔の恋人だった黎満庚も谷燕山も右派とか反動分子ということで、5悪分子と呼ばれ圧力をかけられていきます。
 このときの5悪分子への圧力のかけ方は、おそらく文化大革命の中でどこでも行われていたことなのでしょう。
 胡玉音と秦書田は毎日早朝石畳の道路の掃除をする仕事を命じられます。最初は胡玉音は「私は秦のような右派ではない」と嫌っていますが、次第に秦の優しさと明るさに心を開いていきます。やがてそれが二人の間で恋心となり、一緒に住むようになります。映画を見る側には、この胡玉音の気持の変化が、早朝の掃除する二人の姿を長く描いていくなかで自然に判ってくるように思います。

 1966年の春、李国香でさえ、紅衞兵につるし上げられ、町はルンペンの王秋赦が牛耳っています。胡玉音と秦書田の結婚は、反動分子ということで政府はなかなか認めません。でも、「反革命夫婦」ということで、結局は結婚を認められます。泣く胡玉音に、秦は「政府に公式に認められたんだから、いいじゃないか。」と言います。楽天家というか、力強い男なのです。
 ただ、文化大革命はますます、進行していきます。二人は公開裁判にかけられ、秦書田は10年の実刑、胡玉音は3年の実刑を言い渡されます。ただ胡は妊娠中ということで、執行猶予がつきます。その公開裁判のときが、なんといっても涙がそれこそ大量に私の頬をつたわりました。雨の中、壇上で、皆の糾弾を受ている胡玉音に、秦書田が語りかけます。

  ブタのように生きぬけ。牛馬になっても生きぬけ。

 秦書田が刑に服している中、胡玉音が一人で苦労している中、唯一谷燕山だけが助けてくれます。高齢出産で苦しんでいる胡玉音を、谷燕山は自らの危険もかえりみず、病院に連れていきます。胡の出産を待っている中、谷燕山はそこにいた人民解放軍の女兵士の帽子の徽章を見つめて行くなか、若き日に自分が参加した革命のときの戦いを思いだします。彼は戦いの中、敵の銃撃を受け、睾丸を傷つけてしまいます。文化大革命の中で、彼は胡玉音との肉体関係を李国香に問いただされ、怒りに燃えた彼が自分のズボンを脱ぎ出すところがあります。何故か映像の中ではそれが簡単に省略されているのですが、本来は大事なシーンなのだと思います。自分が身体を傷つけてまでして作った革命中国が、今一体、何をやってしまうのだという、老革命家谷燕山の怒りがよく判る気がします。

  この谷燕山の怒りに応えてくれたのが、胡玉音でした。彼女は生まれた男の子に、「谷軍」という名前をつけます。中国人には、男の子がその家を守っていく存在であり、家はいわば男から男へ伝わっていくものなのです。歴史書では、「誰々、誰を生む」という記述が延々続いていきますが、その生むのはすべて男なのです。女はただ腹を借りるだけのものなのです。だから、もう子を作ることのできない谷燕山には、この胡玉音の気持の優しさが身に染みたはずです。
 その谷燕山の回想シーンの中で、彼は詩を詠みます。

   岸辺に立ち はるか海を見れば
    波間に見え隠れする希望の帆柱
   それは四方に光を放ち
    昇ろうとする朝日のように
      母の体内を跳ねまわり 育ちゆく胎児のように
        もろ手をあげて 歓迎したいもの

 1979年文革が終了して3年がたっています。没収されていた胡玉音の家と金が返されます。彼女は叫びます。「夫を返して」。
 やがて秦書田も帰ってきます。町に平穏が戻ってきます。また胡玉音は米豆腐店を再開します。秦と親子3人の店は昔のように大繁盛しています。みな和やかな顔で米豆腐を嬉しそうに食べています。
 そこへ、気の狂った王秋赦がボロをまとい、破れたドラを叩いて歩いていきます。そして叫びます。

   また、政治運動が始まったぞ

胡玉音も、秦書田も、豆腐店に集まっている人々も、ぎょっとして、その声を聞いています。また、始まることもあるのかもしれないのです。

 私はやっと、こうして文化大革命の姿を中国は描くことができるできるようになったのだなと思いました。まさしく、最初のときの胡玉音の米豆腐店は、ちょうどトウ小平がとった経済活性策そのものだと思われます。胡玉音が作っていたのは、もう捨ててしまうような、くず米でした。それを利用して、皆が喜ぶようなものを作って芙蓉鎮の町を賑わしていたわけです。これはちょうどレーニンのネップ政策をも思い出します。だが、トウ小平は失脚し、胡玉音は弾圧を受けます。
 そしてようやく文化大革命は終息し、トウ小平が復活してきます。これで、もう中国は普通の国になれるのだろうと、皆思ったに違いありません。だが、王秋赦の最後の叫びが不気味だったように、天安門事件においては、その弾圧の頂点にこそいたのが、トウ小平でした。
「インターナショナル」を合唱する学生達の中へトウ小平は、戦車を突っ込ませました。最初この映画を教えてくれた女性は、それをテレビで見ていて、ずっと涙を流していたといいます。あの芙蓉鎮の町の胡玉音の店に集まる多くの人たちは、その光景をどう見ていたのでしょうか。現実の中では、まだまだ「芙蓉鎮」のようにハツピーエンドというわけにはいかないのだなと確信しています。

 それと、私は谷燕山が雪の中、酒を飲み叫び声をあげながら、歩くシーンは、なんだか黒沢明「無法松の一生」の三船を見ているような気になりました。たぶん、謝晋監督は、それを意識していたのではないのかな、なんて思ったものです。

  この映画を見ることを強く薦めてくれた女性は、だんだん聞いていくと、自分も文化大革命で、「下放」という目にあったことを話してくれました。しばらく農村で労働させられたのです。彼女の父親が映画監督なので、弾圧を受けたようなのです。ただ嫌な思い出なのか、あまり詳しくは話してくれません。このお父さんは今は教育映画のみ撮っているようです。2年くらい前にご夫婦で来日されたのですが、決して政治的な話題は話しません。やはり、いつも心の中で構えているのだと思います。いつまた政治運動が開始されるのか、判らないからなのでしょう。(1998.02.12)

題名  けんかえれじい
封切 1966年11月
監督 鈴木清順
配給会社 日活
キャスト
 南部麒六 高橋英樹
 道子   浅野順子
 スッポン 川津祐介
 道子の母 宮城千賀子
 北一輝  緑川宏
 みさ子  松尾嘉代 

10110101 鈴木清順という監督は、たいへんにむずかしい人だと思います。いい作品もあれば、「カポネ大いに泣く」(1985年東映)のような駄作もあります。しかし、映像の美しさでは日本一ではないでしょうか。この「けんかえれじい」もいまも評価の定まっているとはいえないと思いますが、モノクロ映画ながら、その映像の美しさには息を飲みます。またこの映画のヒロイン浅野順子の綺麗なこと、あの大橋巨泉の奥さんになってしまったのが、たいへんに悔やまれます。

 いったい私はこの映画を何度見たでしょうか。見るたびに必ず清順ファンがいるのか、いくつかのシーンでは必ず拍手がわきます。誰もいなくても、私が拍手します。
 まず最初キロクが道子と教会からの帰り道、おもわず道子の手を握って引っ張るように歩く姿をOSMOS(オスモス)団の団長タクアンに見とめがれる。タクアンがステッキで桜の枝を折り、花びらが二人の上に降り注ぐ。「ああ、清順だな」と思わず拍手してしまいます。その前の桜の木の下を二人で歩くところ、桜を見上げてそれが続いている映像も綺麗ですね。多分私は数限りなくあの桜の絵を夢で見ているような気がします。夢だから忘れてしまうのですが、真っ暗な空に、桜が続いている夢を何度もみている思いがあります。

 喧嘩ばかりしているキロクは最後は陸軍の教官を敵にしてしまい、岡山から会津若松に移り、喜多方中に転校します。ここでも会津中の昭和白虎隊との喧嘩になります。
 この中に誰もが不思議に思う人物と出会います。ある喫茶店に入るが、そこには射すくめるような視線を放つ男がいます。彼はみさ子(松尾嘉代)とわずかに話します。「あの人物は誰だろう」。実にこの人物は原作にはありません。清順が一見唐突に出してきたのです。
 みさ子に手相をみてもらうと、好きな娘を大事にするようにいわれ、家へ帰ると、道子が来ています。喜ぶキロクに、道子は修道院に入るといい、追いすがるキロクを振り切るように逃げ出します。道子がひとり帰るのは、真っ白な雪道です。その雪道を突然駆け足の兵隊の隊列が現れ、道子を突き飛ばします。この軍隊は東京に向っているのです。

「親分、喧嘩だ、喧嘩だ、これを見なくちゃ男がすたる」という言葉にキロクの眼は新聞の見出しに注がれます。

   革命の思想的指導者北一輝

あのみさ子の喫茶店の隅にいた男の写真があります。
 キロクは自分のやってきた喧嘩と一まわり違った大喧嘩が始まったのを感じて、東京に向います。

 私たちが昔よく見たころはビデオなんかありませんでしたから、みんなでなんども何度もこの映画の話しました。あの北一輝役はなんていうんだろう。だるまストーブの傍らにいる長い黒髪の物憂げな女が松尾嘉代だとか。清順は道子の眼と北一輝の視線をどうして交錯させたのかなどと。
 なんにしてもまず清順映画が好きでない方でも全編楽しめる映画だと思います。(1992.10.12)

2017022703  私のnagare結婚式の入場の際の曲は「唐獅子牡丹」でした。そして式の最後に会場に流した歌が、渡哲也「東京流れ者」と加藤登紀子「美しき五月のパリ」でした。私は鈴木清順の「東京流れ者」が大好きだったのです。もちろん、渡哲也の歌も好きです。

  川内和子作詞・叶弦大採譜・補作曲
  「東京流れ者」  唄 渡 哲也

  この映画は「鈴木清順『けんかえれじい』」と同じ年に封切りになりました。私はこの映画もそれこそ何度も何度も見ました。
 
題名  東京流れ者
封切 1966年4月
監督 鈴木清順
配給会社 日活
キャスト
本堂哲也 渡 哲也
千春   松原智恵子
相沢健次 二谷英明
倉田   北竜二
辰造   川地民夫
田中   郷治

  この映画を何回か女性と一緒に見ましたが、女性にはもう馬鹿馬鹿しくてならないらしいのです。最後に哲が千春に対して、「流れ者には女は要らねえ」という科白がありますが、これは女性をくすぐるようなものとして考えたらしいのですが、

馬鹿馬鹿しくもこの科白は男に人気があるらしい

と清順がいっているように、これは男の見る映画なのです。

解散した倉田組の「不死鳥の哲」こと、本堂哲也の男の生き方と、やくざ組織と親分への義理のたてかたと、それが裏切られたときの悲しさと怒りを渡哲也が演じています。渡哲也自身はこの映画について次のように答えています。

   ───「東京流れ者」はどうでしたか? 鈴木清順さんは?
   渡 何もわからなかったですからね。いまやれば監督のいう通りできた
    んでしょうが。なんせ西も東もわからないんですからね。満足に台詞
        もいえなかったですしね。
  ───ご覧になっていかがでした? 評判の高い映画でしたよね。
  渡 見ていないです……。僕への評価ではなく監督の評判が高いんで
        す(笑)。監督のいうことを聞いていただけですからね。寝てろといわ
        れれば寝てたし、口笛吹けといわれれば吹いていたし。

  渡哲也自身、この映画を見るのはかなり照れくさいのだと思います。しかし私たちは、哲がにこっと笑えば、ワッと嬉しくなり、哲が「東京流れ者」を口笛で吹くときは同時に声に出して唄ってしまいます。

  この映画でいいのは、哲のほかは「マムシの辰」こと辰造を演じる川地民夫です。何度哲を狙っても、不死鳥の哲は甦えります。どうしても哲を殺せない辰は自分で自分のこめかみをうちます。私はこの川地民夫をもっとどうして日本の映画界が活かせて使えないのかと思いますね。

  この映画で一番分かっていない役回りをしているのが、歌手千春演じる松原智恵子です。かなり可憐なヒロインのはずなのですが、彼女の演義はからまわりしてしまいます。「指からこぼれる……」という歌を彼女が唄うと、映画会場からは失笑が洩れます。彼女が哲に追いすがり、線路で転んで哲に置き去りになるシーンは、松原智恵子は本当に必死に哀しく演じているのですが、必ず誰もが笑ってしまいます。松原智恵子はあの映画を見て、男という存在に憎悪したのではないでしょうか。

  最後見事な拳銃さばきで、哲はすべてを解決します。そして千春は哲に追いすがります。それを、

      流れ者には女はいらねえ  女と一緒じゃ歩けねえんだ

と突き離し闇の中へ哲は消えていきます。

  たしか何とかという女の評論家がこの映画をみて、「なんて男どもはくだらないんだ」ということを何処かで書いていたことがあります。そうなんですよ。これは女の人には分からない世界なんです。男たちはこんな映画を何度も何度も見ているのです。(1992.10.25)

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題名  明治侠客伝・三代目襲名
封切 1965年9月
監督 加藤 泰
配給会社 東映
キャスト
 菊地浅次郎 鶴田浩二
 初栄    藤 純子
 江本福一  嵐寛寿郎
 星野軍次郎 大木 実
 唐沢竜造  安部 徹
 石井仙吉  藤山寛美
 江本春夫  津川雅彦
 野村勇太郎 丹波哲郎

10111603 やくざ映画の最高傑作といえば、この映画と山下耕作「博奕打ち・総長賭博」でしょうか。三島由紀夫はとくに「総長賭博」が絶賛でした。私はやはり、この「三代目襲名」の方が好きです。山下耕作と加藤泰の違いもあると思います。
 加藤泰はローアングルと長回しという独自の映像世界を作っていきました。東映やくざ映画全盛のときのその加藤泰の名作がこの映画です。

 やくざ映画でやくざを褒め称えている映画など私はまずみたことがありません。どの映画も結局やくざなんてなんにもならないことばかりやっているというテーマばかりだと思います。いやこれは簡単にはいえないのですが、どうみても主人公のやくざの存在により悲しい結末ばかりになるという気がします。勿論悪い奴がいるからなのですが、それにしても結末はハッピイという映画を見たことがありません(ないこともないのだが。例えば、藤純子引退のときの「関東緋桜一家」の最後は、健さんと一緒になるのだろう、というハッピイな終わり方である)。

 明治の時代、大阪で、やくざ木屋辰の三代目を継いだ浅次郎が、やくざ稼業のしがらみの中で、薄倖の娼婦初栄と、愛し合いながら結ばれず悲惨な運命をたどる話です。初栄が浅次郎に川べりで、くだものを渡すシーンがあまりに有名なのですが、私たちが昔学生の頃は、みんなであのときの果物はなんだろうかと、かなり論争したものです。みかんだ、いや柿だりんごだなどといいあいました。答えは桃なのですが、だれもそのシーンを覚えてはいるのですが、細かくは見ていられないのです。今のようにビデオがあれば別なのでしょうが、だれもがあのシーンで泣いてしまい、涙にくもってその桃が見られなかったのです。街のチンピラやくざも、三派・全共闘学生もみんな泣きました。あれは誰もが自分たちにも同じことがあったのを思いだすからなのです。
 敵役の星野と唐沢のために、みんな殺されます。そして浅次郎は最後匕首を懐に殴り込みます。しかし、傷ついた唐沢が逃げていく。自分のうちまで逃げていく。そしてそのうちにいるのが、今は唐沢の女房になっている初栄です。
 唐沢を刺して、呆然として浅次郎は警官にひかれていきます。操車場みたいなところを、もろ肌脱ぎになって浅次郎はつれていかれます。浅次郎の肩のいれずみに雪が降り掛ります。
 初栄は泣いています。自分の一番愛している男が、もう遠いところへ行ってしまうのに泣いているのです。もう見ている私たちは気が気ではありません。

   「いってやれ」「いってやれ」

と、みんなで声を出してしまいます。藤純子の初栄は、私たちのその声に励まされ思い切って愛する男の所へ駆けていきます。私たちの懸命な声のお蔭で、彼女は追い付いて、愛する男の肩に、雪がかかる男の肩に着物をかけ、背にむしゃぶりつきます。私たちは涙でいっぱいになりながら、大拍手をします。私たちの拍手と、鶴田浩二の肩に手をおく藤純子の涙のうちに幕が降ります。
 今も私はあのシーンを思い出して涙がでてきます。何回見ても同じところで涙がでて、何回見てもつい声を出してしまう加藤泰の映画なのです。

10102627 私はこの映画をどこで見ても、涙でいっぱいになりながら、いつも最後のシーンでは「いってやれ」と声を出してきました。夜独りでビデオで見ているときにも、かならず声を出してしまいます。もしビデオで見ることがあったら、かならず藤純子に「いってやれ」と声をかけてください。もし見ている私たちが声をかけなかったら、彼女は走りだせないのです。そうしたら、鶴田浩二の肩はただただ、雪に濡れてしまうだけなのです。やくざの刺青というのは、とにかくただただ寒いだけのもののようです。だから、かならず声をかけてください。(1992.11.07)

10111604  中村錦之助(私の年では、どうしても萬屋とは呼べないのです)が亡くなったときに、私が真っ先に思い出したのは、「花と龍」でした。あの中で、錦之助演ずる玉井金五郎が、だまし討ちにあって生死の境をさまよって、妻の佐久間良子に

    天に登るぞ

というところがあります(本当は「昇るぞ」なのでしょうが、これでは本当に死んでいなくなってしまう気がして、このときの錦之好には私は使いたくない感じでした)。
 でも次に思い浮かべたのがこの映画でした。

 私が中村錦之助の主演した映画で一番好きになれるかなという映画です。

題名  沓掛時次郎 游侠一匹
封切 1963年4月
原作 長谷川伸
脚本 鈴木尚之・掛礼昌裕
監督 加藤泰
配給会社 東映
キャスト
 沓掛時次郎    中村錦之助
 おきぬ       池内淳子
 太郎吉    中村信次郎
 六ッ田の三蔵 東千代之介
 お葉     弓恵子
 お松          三原葉子
  昌太郎    岡崎二朗
  おろく    清川虹子
  身延の朝吉    渥美清

10111605 親分子分を持たない沓掛時次郎が、一宿一飯の恩義のために六ッ田の三蔵を斬ります。いまわのきわに、三蔵は妻のおきぬと幼い息子の太郎吉のことを頼みます。自分が斬った男の妻と息子と、時次郎は旅をします。やがて、おきぬは病に倒れます。時次郎はおきぬの薬のための金を得るために、やくざの出入りに参加します。しかし、時次郎が帰ってきたときに、おきぬはもうこの世の人ではありません。時次郎は太郎吉を連れて旅に出ます。もうやくざは辞めるようです。
 以上が長谷川伸が書いた戲曲「沓掛時次郎」の粗筋です。自分の斬った相手の妻と旅をしている中で、その相手に魅かれていく時次郎の心情と、夫を殺した男になぜか魅かれていってしまうおきぬの気持が、悲しいまでに描かれていきます。この長谷川伸の戲曲を加藤泰はどのように描いてくれるのかが興味深いところでした。
 そこでこの映画は誰もが指摘し、かつ感心しているところなのですが、身延の朝吉という原作にはない人物を出してきて、その男と時次郎のからみを最初に描くところがこの映画の凄いところです。朝吉とは、おそらく若い日の時次郎の姿なのですね。
10111606 朝吉は百姓が嫌でやくざになりたく、時次郎にあこがれついてきて一緒に旅をしています。あるところで二人は地もとのやくざに草鞋を脱ぎますが、そのやくざは敵対するやくざと出入りになろうとしています。そのやくざの気の強い娘お葉は、時次郎を利用したいのです。利用するために、わざと時次郎たちは関係ないのだから、すぐ旅に出てくれといい、草鞋銭まで出します。時次郎が、「一宿一飯の恩義で」と助っ人になってくれることを見越しているのです。だが時次郎は案に相違して、その銭を受け取り、草鞋を履いて旅に出ます。そこで大いに異議を言いだすの朝吉なのです。朝吉は時次郎の気持が分かりません。時次郎は朝吉に百姓に戻れといいます。時次郎の思いを理解できない朝吉は、単独でお葉の相手のやくざへ殴り込みます。当然殺されてしまいます。
 時次郎は朝吉のために、相手のやくざへ殴り込み、相手を斬ります。朝吉の死体に触れようとするお葉たちに、時次郎は怒気強くいいます。「さわるんじゃねえ!」

 お葉さんといいましたね。俺と違ってこいつぁは算盤のはじけねえ奴だった。はじけねぇばかりに、おめえさん方の算盤にはじかれて死んじまいやがった……始末はあっし一人でさせて貰いますぜ

 時次郎は朝吉の位牌をある美しい小川に流します。そのながれていく位牌をいつまでも眺めています。その錦之助の顔が忘れられません。

 このあとは、原作と同じ話になります。
 この朝吉役の渥美清はまだ「フーテンの寅」役をやりだす前です。実に適役だと思いました。
 この朝吉の話が、この加藤泰の映画を誰もが印象深くかつ「凄いな」と思うところなのではないでしょうか。だが実は、この前段の話は加藤泰の考えたものではありません。これはシナリオを書いた鈴木尚之さんが考えたものだったのです。加藤泰はこれは必要ないと主張し、かなりな論争があったようです。
「嫌なら監督が降りればいい」とまでの鈴木氏の強い主張に、加藤泰が折れました。後年、この映画でこの前段ばかりが話題になるのを、加藤泰はどのような気持で聞いていたことでしょうか。

 もう一つ原作にないシーンといえば、時次郎がおきぬと最初に会った時(まだ時次郎が三蔵を斬ることになるとは二人とも知らない)に、舟の中でおきぬが時次郎に柿を渡すところがあります。これは「明治侠客伝三代目襲名」での藤純子が鶴田浩二に渡す桃と同じなのですが、誰もがそのあとの二人の悲しい運命を感じてしまうかもしれません。「おッ、やっぱり加藤泰だな」と感じてしまうところです。

 おきぬと時次郎の会話はどうしてもじれったくなってしまうところがあります。なんで二人とも「好きだ」と言わないのかなんて思ってしまうのですね。でも仕方のないところなのでしょう。おきぬは死ぬ間際、紅をさします。

 あの人が帰って来た時……きれいな顔でいたいんですよ……
 時さんに……おきぬは倖せな女だったと云っておくんなさい

 時次郎が出入りから帰ってきたときにはおきぬは亡くなっています。どうしてこんなに悲しい恋なのでしょうか。今思い出しても二人の悲しさに涙がとまりません。
 錦之助は朝吉の話でも、悲しい恋の時次郎でも実に思い入れ深く懸命に演じています。すべてのところでの彼の顔のアップが実にいいのです。こうした顔の表情の演技は錦之助だからだと思わざるをえません。高倉健では、無理だろうなと思います(健さんはまたそれでいいのだが)。
 私にとって思い出の中だけでもいくらでも話すことが出てくる映画なのです。

 私が学生のときに、私の下宿に「游侠一匹」と書いた半紙を壁に貼っていました。これは私の斜落という友人が、習字で書いて、それをさらに友人にくれていたものでした。その友人は彼女が出来て「俺はもう一匹でもないから」と私にくれたものでした。私はそのまま貼りだしていたのですが、あるとき父と母がこの私の下宿に尋ねてきました。父はこの「游侠一匹」を見て、

10102603 なんだ、お前はやくざになるのか

と言いました。私はそのあと、「俺ももう一匹でもないから」と私の後輩に渡しました。彼は教員になりましたが、そのまま部屋に飾っておいたところ、また父親が部屋に来たときに、まったく私の父と同じことを言われました。その後輩も「俺ももう一匹ではないから」と、また後輩に渡しました。もうその先は分かりません。
 でも私たちには、この「游侠一匹」という字の中で、加藤泰のこの映画が、中村錦之助の沓掛時次郎がいつも心の中に浮かんできていたのです。
 中村錦之助の霊に黙祷します。       (1997.03.20)


 やっぱり、ここを読んでも、この映画を思い出し、今また涙を流している私です。

10102701  私たち以上の年代の方だと、必ず見ているだろうという映画がこの「カサブランカ」です。ちょうど戦争中のヨーロッパを描いています。そして私は少し違う視点から見ている気がしています。

題名 カサブランカ
封切 1946年
監督 マイケル・カーティス
配給会社 (米)ワーナーブラザーズ
キャスト
 リック         ハンフリー・ボガード
 ヴィクター・ラズロ   ポール・ヘンリード
 その妻イルサ      イングリッド・バーグマン
 警察署長ルノオ     クロード・レノンズ
 ゲシュタポスタットラー大佐 コンラット・ファイト

 このカサブランカとは、ジブラルタル海峡をスペインから渡ったモロッコ側にあるフランス領の都市です。ファシズムの荒れ狂うヨーロッパからアメリカへ渡るために集まってくる人々が溢れる町です。私には冒頭のこの街の映像が心に残ります。
 この街のボスに収まっているアメリカ人リックの店に、反ナチの闘士ラズロとその妻イルサがやってきます。二人はアメリカに脱出したいのです。この街を占領しているゲシュタポは二人を逮捕しようとしています。警察署長ルノオはフランスの軍人ですが、祖国がナチスの支配下にある以上ゲシュタポの命令をきかなければなりません。追われるラズロ夫婦は実はユダヤ人なのです。
  これで、あの時期のすべての勢力が象徴されています。ナチスとそれに抵抗するユダヤ人の闘士、自由と安全の象徴のアメリカ人、自由と祖国を愛しているが、ナチスに頭を下げざるをえないフランス人。

 イルサとリックはかってパリで恋人同士でした。パリ陥落の日、リックはイルサに裏切られたと思っています。その後遺症でリックはまだこのヨーロッパのはじっこといえるようなところにいるのでしょう。しかしイルサにも事情があったのです。それをリックはここで知ります。イルサは今でもリックを愛しています。だがラズロは反ナチ、自由の戦いの中で大切な人物なのです。
 そうした愛と苦悩の中での映像の中、私が一番感動的なのは、リックの店でナチの将校たちが、「ラインよ永遠なれ」という歌を唄っているときに、ラズロが、

  ラ・マルセイエーズを!

と言って、その二つの歌が激しく戦いあい、やがて店全体にこのフランスの国歌が圧してしまうシーンです。昔この映画の話などして、私がこの映画の中で一番感動したのはこのシーンだというと、「ウーン、周らしいね」とよく言われたものです。普通は最後のシーンの方に感動する人が多いようですが。
 そのあとは誰でも知っている展開になっていきます。誰もリック、いやハンフリー・ボガードのことはこの最後のシーンで忘れ得ぬ俳優になるのではないでしょうか。そしてまたこの映画での美しいイングリッド・バーグマンももう忘れることのできない女優になると思います。多分私は洋画では一番好きな女優だと思います。
 最後に愛する女のために、これからレジスタンスに入るであろう、リックとそれに一緒に戦いを決意しただろうという警察署長ルノオの男同士の友情を強く感じて見ている人はみな溜飲を下げるに違いありません。また自由を愛するアメリカとフランスの友情というようなことも感じてしまいます。
 多分誰もが見てもこのとおりでしょうし、とくにアメリカ人やフランス人はあれで随分いい気持でしょうね。でも私はそれだけで見終ることはできないのです。
  この映画の冒頭では、このカサブランカという街を写していきます。なんとか自由を求めるユダヤ人たちはこの街へやってきます。リックの店にはピアノでジャズが流れています。ナチ将校を相手にせざるを得ないフランス女性も、いざとなればラ・マルセイエーズを唄いだします。きっとあの映画を見る米仏英国あたりの人はそこらしか見ないのでしょう。だが私には、そうしたこととまったく違ったカサブランカを見てしまいます。かのカサブランカはユダヤ人たちだけのあこがれの街ではなく、そこに住むモロッコ人、アラブ人たちの街でもあるはずです。冒頭のシーンはユダヤ人やフランス人とは関係がないかのような薄汚れたアラブ人の街の姿も写しだされます。おそらくは米仏英、そしてユダヤ人の観客にはそこを見ることはできないのでしょう。
 勝手にモロッコを植民地として、また勝手にドイツとやらと戦争して、自分たちのところへ勝手に入り込んでくるヨーロッパ人たちをモロッコのアラブ人たちはどう考えていたでしょうか。この映画はそこのところを少しも描いてはいません。すこしも考慮していません。おそらくはナチズムのほうに親近感を覚えたアラブ人たちもいたはずです。そしてそこらの問題もかなり起きていたはずです。
 もう一度この映画をみるときには、画面の中のそれらの街の姿、アラブをどう描いているのかも見てほしいと思うのです。カサブランカへの道とカサブランカからの道は、西欧人からのみの見方ではけっして充分な見方ではないように私は考えているのです。
 ただとにかくいろいろと考えさせてくれる映画です。 (1993.09.04)

10101901  子どもたちがまだ小学生の頃は、私の一家の正月はいつも同じでした。
  元旦は親父の家で一族集まります。こども達は、従姉妹同士5人集まって楽しそうです。2日は家族4人で、神田明神へ初詣に行きます。この坂東の神将門様のところへ真っ先にいきます。こどもたちもここへいくのが楽しみです。ついでにいつも私の会社の事務所見学もします。そしてその足で妻の実家の東京北区王子に行きます。3日はたいがい、こどもたちが王子のおばあちゃんの指導で、書初めします。ときによると、私の後輩が妻の実家のすぐそばにいるので、そこの子どもたち含めて遊びます。そして4日は王子の「100人劇場」で寅さんの映画を見ます。子どもたちは、この映画見るのを楽しみにしていたものですます。そんなときに見た寅さんの映画の一つです。

題名  男はつらいよ 
   第45作 寅次郎の青春
封切 1992年12月
監督 山田洋次
配給会社 松竹
キャスト
 車寅次郎  渥美 清
 諏訪さくら 倍賞千恵子
 諏訪  博    前田  吟
 諏訪満男    吉岡秀隆
  車竜造(おいちゃん)  下条正巳
  車つね(おばちゃん)  三崎千恵子
 桂梅太郎(タコ社長)  太宰久雄
  日奏上人(御前様)  笠智衆
  及川  泉    後藤久美子
  及川礼子    夏木マリ
    源公      佐藤蛾次郎
  ポンシュウ  関  敬六
    蝶子      風吹ジュン
  蝶子の弟    永瀬正敏

 こどもたちが小学生低学年のころは、寅さんを実在の人物と思っていて、「寅さんて今どこにいるの」なんてよくきかれたものです。高学年になってくると、とくに優しい長女など映画を見るたびに、「寅さんて、あれで食べていけるのかな」なんて本気で心配していました。映像の中の香具師(やし)の仕事だけではどうしたってやっていけるわけないと私だって思います。「いや映画で映っている以外の時は、毎日真面目に働いているんだよ」なんて、答えていました。

 寅さんの世界は、私の長女が心配するように、現実とはかなりずれているありえない世界であると思います。日本にはもうありえない風景や、ありえない人間関係を描いています。わざわざそのように山田洋次は描いているのだといえるかと思います。
 例えば、寅さんが旅先から電話をかけるとき、いまでも必ず赤電話です。そしていつも十円玉が足りない。しかし現実には、その時代も赤電話なんてあまりありませんでした。寅はカード電話って知らないのでしょうか。
 またこの作品の前四十四作の「寅次郎の告白」で、家出した及川泉が山陰の町で駄菓子屋からアンパンを四つ買うシーンがありますが、若い美女がアンパンをみすぼらしく買うでしょうか。日本中どこにもファーストフード店はあり、家出している女の子なら、ハンバーガーでも食べるのではないでしょうか。だが、映像の中では泉は寂しげにアンパンを買い、それを訳ありと駄菓子屋のおばさんが見抜いて、そこに泉がやっかいになることになります。現実にはない風景であり、ありえない人情であるわけです。
 寅がまずマクドナルドに入ることなんかけっしてありません。どうしたって「食堂」とか「定食屋」というようなところです。しかしあんな「食堂」を探すのも大変だと思われます。今回蝶子と初めて出会うのも、せいぜいオムレツとかしょうが焼定食しかできないようなお店です。もう私たちは多分気がついているわけなのですが、あのような形のお店はもうありえないのです。けっしてあんな昔風のお店に、いい味といい雰囲気があるわけではないし、いい人間関係を保っているわけでもありません。そんなことはとうの昔になくなってしまったというより、もともとそんな形と内容が山田洋次が描くようには存在するものではないのです。
 今回床屋をやっている蝶子のところで、頭をかってもらうシーンでも、窓から涼しげな風がはいり、店にはカナリアが鳴いていて、しかも蝶子は優しい美人です。なんだか見ていて、いかにも優しい気持になれるところです。「寅さん、こんなひとと一緒になってしまえばいいのに」と。しかし、あんな出会いはありえないのです。

 そもそも毎回寅は必ず思い出したように、故郷の柴又に帰ります。現実には人はあのような形はありえないでしょう。イエスキリストと故郷はどうだったでしょうか。寅は柴又で同じような馬鹿をやり、それでも皆に親しまれています。イエスは故郷では不思議なことに奇跡が起こせません。人は故郷では受け入れられないのです。故郷での石川啄木、故郷での宮沢賢二、などを考えても、寅の柴又の形は違います。まずここから仮構の世界といえるでしょう。
 しかし、このように私が「男はつらいよ」の世界をすべて「ありえない、ありえない」仮構の世界だと言っているのは、けっしてこの映画をけなしているのではありません。むしろ逆に私はかなり肯定的にこの映画を見ているのだといえるかと思います。この仮構の世界の中に、山田洋次の描きたい世界があり、それが少なくとも私もかなりこの世界に魅せられることだと思います。

 寅は「テメェ、さしずめインテリだな」と、インテリを嫌います。しかし私には寅こそが彼が嫌っているインテリに思えてしまいます。 次の吉本(吉本隆明)さんの言葉を読んでみても寅は大衆というよりも彼の嫌うインテリの側ではないのかと思っていまします。

 「大衆
日常の生活をくりかえし、職業的生活の範囲でものをかんがえ、そしてその範囲でものを解決していくというふうに思考する、そういう存在を意味しています。
「知識人−その思想的課題」1966.10.29関西大学講演 「情況への発言」1968.8徳間書店に収録された
 こういう大衆はどこにいるのか。やはりどこにもいるし、私たち自身の中にもあるということだと思う。明治維新があり、敗戦があり、60年安保があっても、大衆はこうして生きてきた。今も生きている。

 「知識人
 日常生活の範囲にしか思考をめぐらせないというような存在から、なんらかの意味で知識的に上昇している存在をさします。俗な言葉でいいますと、よけいなことをかんがえることを覚えたやつを知識人というわけです。
「知識人−その思想的課題」1966.10.29関西大学講演 「情況への発言」1968.8徳間書店に収録された

 私もたぶん「よけいなことをかんがえる」ところが多々あるから、知識人である部分も身体の中に抱えている。しかし知識人として自立しなけれ  ばならない。その自立とはなんなのかを考えなければならない。         (以上「吉本隆明鈔集」より)

 どうしても、私には寅が「大衆」だけの存在には思えないのです。寅は毎回車屋の人々やお世話になった方々に絵はがきを送りますが、あれは大衆の形には思えないのです。「知識人」のの方に思えてくるのです。

 寅は朝日印刷の社員たちに「労働者諸君!」とよびかけたり、「職工風情が」というような言い方をします。しかし寅は自分のようなやくざな人間より、「汗と油にまみれて働くこと」のほうがいいんだと思っています。だから、その「汗と油」の象徴である博と妹のさくらは結婚できたのです。
 本質的にはこの寅の認識は間違っています。印刷工だろうが、香具師だろうが、汗にまみれようが、毎日ぶらぶらしていようが、別にどちらがいいとか悪いとかいう問題ではありません。ただ、現実の世界では義弟の博のほうが周りには好ましい人物に見られるのは間違いないでしょう。
 寅がすごいのは、自分の存在を対象化して見られるところです。これがまた、あとのほうのシリーズではほとんどもてている寅さんであるのに、いつも自分から身を引いてしまう寅の心情でもあるのです。
 第一、二、四、五、十作に出てきた、寅をしたう登(秋野太作)に「堅気になれ」と執拗にいい続ける寅の心は、実に自らの存在をよけいなものとして対象化して見ている寅の知識人性にあります。この屈折した心情が、またマドンナとの出会いと別れの中に表れてくるわけです。

 ところで今回もマドンナ役は後藤久美子でした。原節子と同じくらいゴクミのファンである私には彼女はまぶしいくらいに美しかったです。しかし今回の寅の相手役の風吹ジュンも良かった。一番良かったのが、二人で宮崎の海を見ながら、平野愛子の「港の見える丘」を歌うところです。これも本来ならありえない。あの歌を風吹ジュンの世代では知るわけがない(もっともちあきなおみも歌っていて、あれもまたいいのですが)わけですが、あのシーンだと、ほかのことと同じで、ありえないことなのに、そのまま私たちの心に入ってきてしまうところだと思います。
 風吹ジュンといえば、昔バロン吉元「柔侠伝」で、勘一の恋人茜ちゃんのモデルでした。あのころは「なんでバロンが風吹ジュンなんて馬鹿な女が好きなのかな」と思っていましたが、今やっとその良さが分かった気がします。女優にしろ男優にしろ、年をとるほど、美しく、魅力的になっていくのが一番いいと思います。
 まだ「男はつらいよ」でのことではさまざま述べたいことがあります。それはまた展開いたします。
 こどもたちも私も、いつも大いに笑ったり、涙ぐんで見ている寅さんでした。(1993.01.04)

10101801 これは「ヤクザ映画の終焉」といわれている映画です。

題名 竜二
制作 プロダクションリュウジ
脚本 鈴木明夫
監督 川島透
1983年10月封切
配給 東映
キャスト 
 花城竜二  金子正次
 花城まり子 永島映子
 花城あや  もも
 直     佐藤金造
 ひろし   北 公次
 関谷    岩尾正隆

 シナリオを書いた鈴木明夫というのは、主演した金子正次のぺンネームです。金子正次は自分で映画が作りたくて堪らなく、自らシナリオを書いて、たぶん松田優作に主演して欲しかったように思いますが(私の思い込みです)、結局は自分で演じてしまいました。そしてそれが、この映画の成功につながりました。しかし、この映画が封切りになったのは1983年10月29日ですが、金子正次は11月6日未明亡くなりました。癌でした。未だ33歳という若さでした。
 見ていると、ただただ画面に引き付けられます。高倉健や鶴田浩二、渡哲也の映画のように、画面に向かって声をかけることはできません。画面をただ見つめているしかないのです。そして最後のシーンで涙が頬を伝わります。これは誰も同じだと思います。
 最後に、ある商店街の開店大売り出しにまり子が娘あやを連れて並んでいます。その二人を遠くから竜二が見つめています。
 竜二の顔がゆがんでいきます。涙が流れます。そのまま黙って振り返って竜二は去っていきます。その竜二の背中を見ているまり子が竜二を少し追います。でも足を止めたまり子がつぶやきます。

    まり子「あや、ばあちゃんのところへ帰ろうか」
    あや「また全日空にのれるの?」

 まり子の顔が映ります。
 竜二の頬に涙が伝わるときに、見ている私たちも同じく涙が頬に流れます。もう振り返らない竜二の心の中も、それを見つめているまり子の心の中も、誰もが分かりすぎるくらいに分かっているからです。

 竜二は新宿のヤクザです。子分は直とひろしの二人です。竜二たちはルーレットとばくのあがりで十分いい生活、いい顔ができます。また竜二は新宿三東会の大幹部であり、女にももてて、実に格好よく見えてしまいます。
 だが実は竜二は不安です。「いつまでもヤクザをやってていいのか?」と不安なのです。そのことをもとの兄貴分のヤクザで、今は堅気になっている関谷にうったえに行きます。

     竜二「なんか妙に怖くて、落ち着かないんすよ、ヤクザやっているから死ぬの生きるのって、別にどって事ないつもりなんですけれど、どうも弱気になるんすね。嫌なんすよね争い事が、それになんだか金もそんなに欲しくないないんすよねこの頃」
    関谷「ふーんそうか、竜二、お前だけじゃないよそんな風に考えたのは、俺だってあの頃は毎日不安で、自分が何処にいるのかよくわからなくなって、何回窓から行きそうになったか、弱い人間だからな俺達は、あの頃は子供の寝顔みながら不安と戦ったよ、助けてもらったぜ女房子供には、だから俺は捨てたね。自分のことは何もかも」
     関谷「逢いてえだろ」
     竜二「逢いたいすね、逢いたいすよ、よく夢に見るんすよね、娘が一人で泣きながら歩いている夢を、夜中に飛び起きて、もう何もかも捨てて飛んで行きたくなるんすよね」
     関谷「堅気になるか竜二、俺みたいに」

 この二人のセリフは一体何でしょうか。格好いいヤクザではなく、どこの酒場でも毎日交わされているだろうサラリーマンのたわごとなのです。

  花の都にあこがれて、飛んできました一羽鳥、ちりめん三尺ぱらりと散って、花の都は大東京、金波・銀波のネオンの下で、男ばかりがヤクザじゃない、女ばかりが花でもありません。六尺たらずの五尺のからだ、今日もゴロゴロ明日もゴロゴロ寝さまようわたしにもたった一人のガキがいました。そのガキも今は無情にはなればなれ、一人淋しくメリケンアパート暮らしよ、今日も降りますドスの雨、刺せば監獄、刺されば地獄、私は本日ここに力尽き引退いたしますが、ヤクザモンは永遠に不滅です。

 竜二はヤクザを辞めます。ある酒屋の店員になります。匕首を持ったり、人を殴った手で、慣れないビールのケースを運びます。妻も娘も帰ってきて、3人でつつましい生活が続きます。安い給料を得て、3人で囲む食卓は温かくて心地いいものです。
 でもでも、次第に竜二の心には何かがわき上がってきます。ある路を一人で歩く竜二が映されます。竜二は涙を流して歩いています。その涙で画面がゆがみます。街がゆがんで見えるのです。
 もう60年代や70年代ではありませんでした。健さんのように着流しで決めるわけでもなく、渡哲也のように真っ白なスーツで匕首を抜くわけでもありません。サングラスを外した竜二はただの小市民でしかありません。おそらく、この年代はみなサングラスを外して小さなアパートに納まっていきました。誰もがみな心の中に「ふつふつ」とした、何か納まりきれないものを抱えながら、そのまま黙って毎日をただただ過ごしていきました。
 こうした、どうしてもやりきれない気持を私たちは忘れ去るようにしてきたわけですが、竜二はそういきませんでした。結局彼はヤクザに戻ります。そのヤクザに戻っていく竜二の背中をまり子と私たちが見て、涙の中でこの映画は終わります。

 そして何故か、そうした竜二である現実の金子正次はすぐに亡くなってしまいました。竜二で生きることは、もう無理な時代になってしまったのでしょう。この竜二が少しの間見たただの小市民である生活者を、そちらのほうにこそ大事な存在があるのだとして、それによって立つ根拠を吉本(吉本隆明)さんは、私たちに教えてくれました。ヤクザとして生きるよりも、実はただの平凡な生活者として生きることのほうが、つらいし、大変なことなのです。私もそうした存在にこそ意味を感じていますし、自分自身もひたすらそうした存在になろうと思ってきました。それでもそれでも、やはり自分の中にいる竜二の気持も忘れることはできません。ただ言いたいのは、私なら私は、竜二になれなかったのではなく、竜二になろうとはしなかったということなのです。だから、私も涙の中で竜二の背中を見るしかないのです。

 それにしても、金子正次はよくこれだけの映画を作ってくれました。こんな映画に会えたというのは実に嬉しいことだと思っています。それから、この映画のヒロインである永島映子ですが、実にいいですね。これほどの女優がよくいたものだな。よくこれほどの女優を見いだしたものだなと、金子正次の慧眼に驚くばかりです。
 金子正次の、この映画の中に私たちの竜二になりたい気持を押し込めてくれました。私たちは竜二にならず、さらにきついつらい、そしてやりがいのある今を生きて行きたいと思っています。竜二の気持は、ときどきこの映画を見て思い出すだけでいいのです。(1997.11.24)

飛行艇時代―映画『紅の豚』原作
飛行艇時代―映画『紅の豚』原作
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 この映画を今年の7月3日の孫の保育園の七夕のあと、孫の家で見ました。前日テレビでやったのをビデオにとっていてくれたのです。そのときの思いを今頃になって、こうして書きます。実はもう少しだけ書いていて、そのままになっていたのでした。
 それを今こうして書くのですが、私にはたいして書く事はないのかもしれません。

題名 紅の豚
封切 1992年7月18日
監督 宮崎駿
製作 スタジオジブリ
脚本 宮崎駿
編集 1992年7月18日
音楽 久石讓
編集  瀬山武司
配給会社 東宝
上映時間 93分
キャスト(声の出演)
 マルコ・パゴット(Marco Pagot) 森山周一郎
 ドナルド・カーチス(Donald Curtis) 大塚明夫
 フィオ・ピッコロ(Fio Piccolo) 岡村明美
 マダム・ジーナ(Gina) 加藤登紀子

 スタジオジブリ「紅の豚」の物語の舞台は第一次世界大戦の前後のイタリアのアドレナ海ですが、モデルとなった土地はオーストラリアのグレート・オーシャン・ロード(Great Ocean Road)と言われているそうです。
 この映画は、やはりどうしても紅の豚の役の森山周一郎の声が一番私の心の中に残ってきます。そして、この映画は第一次世界大戦の頃のイタリアのアドレア海なのですね。あのときに、イタリアはオーストリアのみに宣戦布告して、ドイツに対してはしていないのです。それと、まだそれほど航空機では、いわゆる戦いというものの最初の頃の話しですが、あんなに描けるのかなあ。
 もう18年も昔の映画なのですね。
 また見たときに、私の思いを書いていきましょう。

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 私はこの映画を4月9日に見に行きました。60歳以上だと、もう1、000円で見られるのです。ちょうど午前10時40分頃からのを見ました。映画館は私以上のお歳の方々がおいでになっていました。
 でも私の本心は、なんだか見ることがためらわれました。たぶん、私は必ず映画を見て泣くでしょう。そんな私が嫌でした。
 でもでもまさしく自分の思っていたとおり、私は最初から涙を流していました。そしてやはり自分の涙に嫌になっていました。
 でもでも、私はどうしたって、そんな人間なのです。

題名 おとうと
封切 2009年10月
原作 幸田文
監督 山田洋次
脚本 山田洋次
   平松恵美子
撮影 近森眞史
美術:出川三男
編集:岩井巌
音楽:冨田勲
配給会社 松竹
上映時間 126分
キャスト
 高野吟子 吉永小百合
 丹野鉄郎 笑福亭鶴瓶
 高野小春 蒼井 優
 高野絹代 加藤治子
 丹野庄平 小林稔侍
 長田亨 加瀬亨
 丸山 笹野高史
 遠藤 森本レオ
 小宮山進 小日向文世
 小宮山千秋 石田ゆり子
 茅島成美 ラサール石井 佐藤蛾次郎 池乃めだか 田中壮太郎 キムラ緑子 横山あきお 近藤公園

 高野吟子は東京の私鉄沿線の小さな薬局を営んでいます。彼女は一人娘の小春がもうすぐ結婚なのです。彼女は夫を13年前に亡くしています。でもそのときの葬式で弟の鉄郎が酔って暴れました。それ以来鉄郎とは音信不通です。この弟は小春の名付け親なのです。結婚はエリート医師との結婚です。
 でもでもどうしてか鉄郎はこの結婚式に駆けつけ、そして「飲まない」と言いながら、結局飲んで暴れて大変です。
  なんだか、私は最初から、「俺はこんなにひどくない」と思いながらも、だんだん見ているのが辛くなりました。

 この鉄郎のこともあったのかもしれませんが、小春の結婚した相手はどうしても私たちでは好きになれない相手です。この夫は、小春に対して「向きあって何の話をするんですか?」といいます。これはイプセンの『人形の家』での夫のセリフです。遥かな昔、私が中学2年のとき読んだこの戯曲が甦りました。「ああ、もう別れるな」と思うところで、でも吟子は亡くなった夫とは、鉄郎のことを話しあっていたのです。
 予想していたとおり、春子は離婚されて吟子の家に帰ってきます。でもでも、そこで長田亨という春子に惚れているのだろう大工の子が「ヤッター」と声を出します。こんな声をあげてはいけません。でも私も同時に心の中で声をあげていました。
 春子の離婚には本来は鉄郎は関係ありません。でもそのときに、離婚の話のときに鉄郎の話は、ああいうおじさんの話は出てきたに違い有りません。でもサ、あんなひどいやつとは別れて、本当に私たちは、「ヤッター」と声をあげるのです。
 そしてこのあと(いやもっと前だったかな)、鉄郎の同棲している女性が吟子を訪ねてきます。この歳になっても姉に迷惑をかけてばかりの鉄郎なのです。
 そのあとは、鉄郎が死に向かっていくところで、そのそばにいる吟子を見ると辛いばかりです。鉄郎は死ぬ際にも姉にも迷惑しかかけないのです。
 見ていて、つらい映画でした。でも予想の通り私は泣いてばかりしました。けっして山田洋次監督のことは、私は「やっぱり泣いてしまった。辛すぎるよ」という思いで、でもでもやっぱり私には素晴らしい監督です。

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