12100806 私は阿倍仲麻呂は好きな歌人でした。私は

   天の原ふりさけみれば春日なる
     三笠の山にいでし月かも

という百人一首は、私が始めて覚えた(小学4年の時)短歌だと思っています。
 この短歌は、

  翹首望東天 首を翹げて東天を望めば
  神馳奈良邊 神(こころ)は馳す 奈良の辺
  三笠山頂上 三笠山頂の上
  思又皎月圓 思ふ又た皎月の円(まどか)なるを

という五言絶句で、陝西省西安市にある興慶宮公園の記念碑と江蘇省鎮江にある北固山の歌碑にあるということです。私はテレビの映像でも見たことがあります。
 また次の李白の詩も私は好きです。

   哭晁卿衡    李白
  日本晁卿辞帝都 日本の晁衡 帝都を辞し
  征帆一片遶蓬壺 征帆一片 蓬壷を遶(めぐ)る
  明月不帰沈碧海 明月帰らず 碧海に沈み
  白雲愁色満蒼梧 白雲愁色 蒼梧に満つ

 これは阿倍仲麻呂が玄宗皇帝から大変に好かれていましたが、どうやら念願がかなって帰国することになります。ところが、その仲麻呂が乗った船が、難破してしまいます。もう唐には、仲麻呂は亡くなったと思われたようです。だから、この詩では、哭晁卿衡(晁卿衡を哭す)となっていまして、李白は仲麻呂は亡くなったと思ったようです。
 でも事実は、仲麻呂は海で流されて、安南(今のベトナム)にたどり着き、どうやらそこから長安に帰ることができました。ただ私は李白と再会できたのかは分からないです。 でも李白からの篤い友情を感じることができます。

12100807 だがそれなのに、現代の中国では「阿倍仲麻呂記念碑にペンキ」というニュースが見られてしまうのです。朝日新聞には、こうあります。

 中国陝西省西安市にある遣唐使・阿倍仲麻呂の記念碑にペンキがかけられていたことがわかった。中国版ツイッター「微博(ウェイポー)」などの情報によると、赤や黒のペンキがかけられ、「拆」(取り壊せ)などと落書きされていたという。5日深夜から6日朝にかけて、行われたと見られる。

 ものすごく残念です。あの時代に篤い友情を感じられた日本人と中国人なのに、なんということなのでしょうか。私は悲しくて悔しくてたまりません。