将門Web

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Tag:図書新聞

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 周の雑読備忘録「『図書新聞第2943号』」に 目森一喜さんが以下のコメントをくれました。

1. Posted by 目森一喜   2009年12月02日 00:07
レヴィ・ストロースへの言葉に驚き、呆れました。デリダやガタリが批判したのは、ここで今福龍太が言っているのとは正反対の内容だったはずです。山口昌男あたりがストロースを持ち上げた言葉を、今もそのまま使う腐った性根は、ちょっと度し難い。まあ、ストロース自身が、俺はそんなんじゃないぜと言うでしょうけども。

 ええと申し訳ありません。私がぜんぜん判っていないのです。私は山口昌男も読んでいませんもの。まあね、いまさら読む気持ちにはなれないのですね。いえ、もちろんレヴィ・ストロースは読む気は充分です。
 でも、読んでも翻訳が大丈夫なのかなあ、と気になります。

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 私の 図書新聞第2922号への疑問を図書新聞へメールしました へ早速ご返事のメールを頂きました。以下の通りです。以下このメールの中の方の固有名刺(鈴木正文さん以外は)はイニシャルにしました。

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萩原周二様

図書新聞を御購読いただきまして、ありがとうございます。
2922号の鈴木正文氏の件ですが、図書新聞のインタビューには、「起訴逮捕」とは書いておりません。起訴はされずに釈放されたと記憶しております。鈴木氏は1949年生まれで、68年入学ですので現役入学です。したがって、正確ではありませんが、早生まれならば未成年の可能性が高いです。成年になっていたとしても、まだ「党派活動家」以前の無党派であり、いずれにしろ、初逮捕であり、起訴されずに釈放になったはずです。東大安田講堂被告で未成年で起訴された東北大学のT氏という人がいることは記憶しておりますが、大半の未成年者は釈放されております。

安田講堂闘争の逮捕者総数は「全共闘各派の767名(内、東大生38名、女性17名)」であり、「そのうち616名が起訴された」と記録されております。鈴木氏は釈放された151人のうちにふくまれているはずです。しかし、この数字も未成年で一端釈放、練馬鑑別所おくり、そこで釈放(保護監察付き)と再逮捕、警察で未成年で二度目の釈放になったもの、起訴になったものもおります。鈴木氏がどういう経過で釈放になったのか、また上記数字がその未成年者あつかいも正確に計算されているかは計りかねます。
いずれにしろ、逮捕者総数と起訴者の比率で、東大安田講堂闘争は起訴者比率が非常に高かったのは事実です。それでも約20パーセント近くが釈放になっております。

鈴木氏とは個人的にお付き合いがありますが、安田講堂に籠城したことも、69年春に外にいたことも間違いではありません。

今後とも図書新聞をご愛読されることをお願いします。今回などのご質問、また、「将門WEB」は拝見しておりますが、図書新聞への意見、批判もありましたら、参考にさせていただきますので、よろしくお願い申し上げます。

図書新聞 K K
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 図書新聞のKさん、素速いメールをありがとうございます。
 なるほど、鈴木正文さんは未成年であったのですね。了解いたしました。私は1948年5月30日生まれでしたから、この1968年1月19日には、ちょうど20歳でした。
 この月の1月15日に、東大本郷でデモしていたときに、「ああ、きょうは俺の成人式の日だ」と思ったことを思い出しました。
 そうですね。同じに逮捕勾留されたなかでも、未成年ということで、起訴されずに、23日が過ぎたらパイされた人もいましたね(私は東調布署にいました)。
 私の同じ大学のOさんは、多分皮膚が弱かったのだと思いますが、身体中の皮膚がケロイド状になり、何故か外に出されました。そのときの彼の皮膚の映像は、あとで(1年後くらいに)週刊誌で見たものでした。
 私が府中刑務所にいて、面会したときに、面会者から、「Oさんが、また逮捕された」というようなことを聞きまして、「何を言っているんだ。Oさんは俺たちといっしょに捕まっているのではないか」と思っていたものでしたが、事実は、彼はあまりの身体の状態で(たぶん、警察は彼が死ぬと判断したから、警察署の中ではなく、外に追い出したものだと思います)、でもそのあとまた元気に学生運動をやっていまして、それでまた逮捕されました。そしてOさんは、たしか68年の11月頃保釈になりました。もうこのときには、芝浦工大事件が起きてしまったときで、私はOさんとは手紙をいくつか交換していましたから、けっこう真実は述べることができずつらいとこころでした。
 でもKさん、了解致しました。こんなに素速い対応をありがとうございます。
 実は私が貴紙を購読していることに、批判されることもあるのですが、やはり良かったなという思いです。
 いえ、私はほかのマスコミでも、役所でも、こうしたメールや手紙を出すことは多々あるのですが、返事がはるかに遅い、返事がないということもあります。
 その点、おおいに感激です。ありがとうございました。
 それから、鈴木正文さんへのインタビュー記事の内容にも、実に感心していたものです。やはり、素敵な方なのですね。

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09062503 周の雑読備忘録「『図書新聞第2922号』」に書きましたが、私がこの号の一面の

みゆき族から新左翼へ 今は自動車誌を編集――鈴木正文氏(元慶應文自書記長)に聞く 60年代・70年代を検証する

に疑問がありましたので、この新聞に質問をメールしました。その内容は以下です。

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疑問がありまして、質問します

 貴紙の第2922号ですが、「みゆき族から新左翼へ」でですが、この鈴木正文さんが、東大闘争の1968年1月18、19日に

小嵐 そして、六九年一月には東大闘争の安田講堂死守戦に参加された。安田講堂の五階のバルコニーにいて、三六時間にわたって催涙弾と放水の制圧攻撃に耐えられました。

ということで、逮捕起訴されたのなら、そのことでは鈴木さんも次のように言っています。

 僕も二週間寝込みました。最初赤くただれて、しびれが強くて、動けなかったですね。尾久署の九号房に入れられたんですが、

でも安田講堂の5Fで逮捕されたのなら(私も5Fを守備していました。あ、でも逮捕されたのは、3Fです。5Fではやりすぎて、かなり写真も撮られていましたから、3Fで逮捕されることにしました)、私は保釈になったのは、この年の1968年8月20日ですから、もっと長期勾留されていたのではないでしょうか。それなのに、以下のようにあります。

六九年一月の東大闘争の後、四・二八沖縄デーの前に九段会館で政治集会をやりました。三〇〇〇人ぐらいは集まり、荒氏や塩見氏が発言しました。

鈴木 僕の場合は、その当時、ある決定的なちがいを感じたのは六九年四・二八沖縄闘争だったです。僕は学生の中では準指導部というポジションにいました。四・二八には慶應の社学同の支部からも二桁の人数で参加したんです。前日に東京医科歯科大学で泊まり込みがあり、…………………

 どうしても、これは物理的に納得できないのですが。
 できたら、その事情を説明願えますか。
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 ちゃんと返事がほしいものです。返事がありましたら、またここでUPします。この新聞を読みまして、鈴木正文氏には好意を持ちましたが、上の疑問で、「え、どういうことだ」となりましたものです。

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 私は 周の雑読備忘録「『図書新聞第2916号』」 に次のように書きました。

いつもこの新聞を読んでいて、記事下の広告をしばし見ていると、「こんなに本が出版されているんだ。でも誰が読むんだろう?」といつも思ってしまいます。
 いや、実はこの新聞を手にとって読んでいますよりも、私はこの新聞のホームページで、画面で記事を見ているほうが読み進められるのですね。
 でもでも、当然ここの新聞社のホームページでも、この記事下、記事中の広告を見ることはできません。なんとなく、それは仕方ないことなのですが、私は面白くないことです。

 実は、このことは、この図書新聞に限らないことなのです。毎日読んでいます日経新聞でも、どうしても記事下の広告面のほうに注目しています。どうしてもそうなってしまっているのですね。だから、インターネット上のバックナンバーでは、その記事下広告面がまったく見られませんから、とてもつまらないなあという思いなのですね。
 でも、これは新聞に限らないのです。テレビのコマーシャルをまた別に見たいと思っても、古い番組をまた見ることよりも、それは至難のことです。
 このことがいつも残念なことなわけです。

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 周の雑読備忘録「『図書新聞第2907号』」目森さんから 図書新聞の愚劣というトラックバックがありました。以下の内容です。

 これだけではNHKがどのような放送をしたのかわからないので、誰の言葉かは横において、言葉そのものについて書きます。
「世の中が資本家と労働者しか存在せず」
 って、こんな前提で話は出来ないだろうにと、まず思った。
「株で儲けようが仕組みや詐欺でいただこうが捕まらなければ「お仕事」に替わりはない」
 と、振り込め詐欺の連中が言っているとしたら、本当に盗人猛々しい。
 第一、株で儲けても絶対に捕まる事はないが、振り込め詐欺が発覚すれば捕まる。「捕まらなければ」という風に前提を置かねばならないところが、まさしく詐欺的なすり替えの位置だ。
 こんなものが掲載されているなんて、きっと図書新聞というのは、ひどく愚劣なものなのだろう。

 私は最初に、

 この1面の見出しを読みまして、嫌になりました。「全共闘の時代」なんていう言い方が私は好きになれないからです。「そんな時代があったのかよ?」という思いがすぐにするのですね。

と書きましたように、この図書新聞には、嫌になるところがあります。私もこの新聞を取るまで知らないことだったのです。
 私が引用し、目森さんも引用してくれた図書新聞の部分もまさにこれにあたります。
 でもでも、こんな新聞が存在するのも、不思儀な感じですね。私はあちこち読みまして、「ちっとも読むところがないなあ」なんて思いながらも、いくつもの紹介されてある書籍を私のパソコン内に書いて、それを図書館や本屋で探しているところがあります。
 そういうふうに使えるので、これはとりまして、まあ良かったかなあと思っているところです。インターネットで記事を読むことができるのもいいですね。
 でも思うんですが、インターネットで読めるし、それのほうがいいということは、紙の新聞自体はどうでもいい、なくてもいいという思いですが、でもでも、紙の媒体のほうをなくすわけにもいかないのでしょうね。

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 周の雑読備忘録「『図書新聞第2893号』」で、次のように書いていましたが、

 昨日この新聞を手にしたときから1面の「吉田裕」という文字に引き付けられました。かなり今まで読んできた方だったからです。かつ1度飲む席で一緒になった方でもありました。

 これは私の誤りです。これは吉田和明さんのことでした。申し訳ありません。もうこのごろ私はよくミスをします。
 このブログや、サイトのメルマガの部分は訂正しましたが、もう発信してしまったメルマガは直せません。次号でも訂正の内容を書きます。申し訳ありませんでした。

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 周の雑読備忘録「『図書新聞第2891号』」目森一喜さんから、次のコメントをいただきました。

1. Posted by 目森一喜    2008年10月18日 19:58
 鶴見太郎も藤井隆至も、そこ広げるかねとしか言えない所をムリクリ広げたものにしか感じられないのは、評者が馬鹿だからでしょうか?「目線」というのは日本語ではないよ。こういう原稿を通すというのは、図書新聞に見識が欠けているからでしょうかね。
 北一輝の周辺を調査している柳田国男の方が面白いと思うんですが・・・

 山本ひろ子さんが、伊勢神道をはじめとする中世神道は、言ってみれば反体制思想運動だったという内容の本を書いてますね。
 折口信夫は、何となく、そういう事もわかっていたような気がするんですが・・・

 いや、その、おっしゃる通りだと思いますよ。いえね、図書新聞を取るようになって、なんだか、「え、こんなことしか書いていないのかよ?」という思いが毎号しているものなのですが、それは仕方のないことなんですね。そう言ったって、私なんかは、何も書けてもいないのですから。
 私は、今の図書新聞を手にすると、随分昔の、「現代の眼」や「流動」を読んでいるような思いになります。だから、なんとなくものすごく不満なのですが、でも仕方ないなあというような思いにもなります。
 もう何もかも、仕方ないものになっちゃっているのでしょうか。
 山本ひろ子さんは、いつも注目していますよ。

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 昨日3日、ある方から、この写真の図書新聞の最新号(2884号2008-9-6)が送られてきました。その方からのお手紙に同封されていました。
 こうしてこの図書新聞を読むなんてことは、どのくらいひさしぶりのことでしょうか。私はこの新聞の最終面で、以下のサイトもあることを知りました。

   http://toshoshimbun.jp/books_newspaper/ ウェブ図書新聞

 しかし、このサイトは、この新聞を定期購読していないと、中身までは読めません。これは残念ですね。定期購読しようかなあ、なんて考えました。
 でもやはり、よくこの新聞のこの号を読みました。記事も広告もよく読みました。でも5面の植田隆という方の「六〇年代の黒田寛一像が鮮明に立ち現われてくる一冊――“社共”という塊りは“のりこえ”の対象なのか」を読んでみて、もうそのばかばかしい内容にうんざりします。
 私は黒田寛一は「社会観の探求」だけは、非常に面白かったものでしたが、「現代における平和と革命」はもうばかばかしくて読めなかったものです。哲学者としては優れていても、世界の現状を見る眼というのは、どうしようもないものしか感じられませんでした。だから、もうどうでもいい存在でしたが、今こうして紙面で読んでいても、実に今ここで書かれていることにも、違和感しかありません。

 それから、記事下の広告で、ある出版社の本の告知で、別々の2冊の本(著者は別人です)に、斎藤喜博の名前が出てきたのに、驚きました。もう私には、過ぎさってしまった教育者ですが、また読んでみようかなという思いにもなったものです。

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