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 近世は日本国内とか日本の伝統性、固有性みたいなところから「自意識」というのが出てきたと思います。代表的に言えば、本居宣長やそのお弟子さんたちの系統の人たちが国学を始めたわけです。日本の古典とか、神話とか、古代からの伝統的な問題と、日本固有の文化、特に文学についての考察を儒学者と違ったところで、つまり幕府とはあまり関係ないところで、自分たちはどうなんだということで、"自意識の学問"としての国学を、いまで言えば古典文学と国語学を本格的に始めたのが近世なんですね。
 これは自意識の実践運動だから、明治維新の思想的原動力は国学的なところから生じたということですね。
(「よせやぃ。」『自意識について───第三回座談会』)

 国学は自意識の実践運動だったというのは、大きく頷いてしました。思えばこのことは、私自身にも大きく言えることだなあ、と強く感じました。いえ、私はいわゆる若き日に学生運動に入り込んだのも、このことが大きかったなあと思い込んでいるのです。でも思えば、私のそう思った頃から、少しの進歩もありません。ただただ、私はそのままのところに居るだけです。

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