93-07-09 「環境にやさしい」言葉 KA
最近環境問題が叫ばれている中、「環境にやさしい」という標語がお店などでやたらと目につくようになりました。今日はこの標語について皆さんの意見を聞きたいなーと思って書き込みをしました。

11062603 私もこの言葉を好きにはなれません。もっとも環境というより「地球にやさしい」という言葉のほうをよく見かけますが。この「地球にやさしい」という文字がはいった「エコ・マーク」が登場したのは平成元年のことです。環境庁が導入しました。このころからこのような標語のものをいろいろ見かけるようになったように思います。4WDに「自然にやさしく」などというステッカー貼って、野山海岸をふみあらす冒険野郎などというのも現れました。 この「地球にやさしい」ということは、アメリカからの輸入です。「地球を救うかんたんな50の方法」などということの単純なまねごとだったように思います。私が過去このネットで少し考えてきたように、その中には「これはどうなんだろう」というものが多々あるように思いました。
 ところで、KAさんのいう、

人間が地球上で生活している以上、どうしても環境を破壊してしまうと思います。

という意見には、私は同感できません。人間が生きてきたことはどうしても地球環境を破壊してしまう、これからは地球のためには、人間は少しは不便になっても我慢しなければというような考えにつながるのではと思うのです。ということは、人間がよりよい生活をするためには、環境を破壊してしまうのが必然だという考えかただということではないでしょうか。私は、

  小野田猛史「環境の限界は技術が超える」

で、この著者が以下のように述べていることと同じように考えているのです。

 「成長を求めれば環境が破壊され、環境の保全を追及すれば成長
  にブレーキがかかる」とか、「公害は『資本の論理』が生んだも
  のである」と、環境保全を求める人はだれもが信じてきた。しか
  し、皮肉なことに、いままでこのような考えと無縁な人々が、地
  球環境対策を世界で進めている。振り返るならば、このような考
  えが強い支持を得てきたために、その反面で、豊かな生活を送る
  ためには環境が破壊されるのを甘受しなければならない、という
  誤った社会通念が確立されたといえる。エコロジストたちが、環
  境はとどまるところを知らず破壊されていくと感じ、自分たちを
  環境問題の殉教者であると考えたのも心情的には理解できる。し
  かも、このような殉教者意識が本人たちの考えに反した社会通念
  をつくりだすという役割について、これまでの社会理論では無視
  されてきた。こうしたことについて、率直に反省、再検討しなけ
  ればならない時期にきている

 このことはもうもっとはっきりしてきているように思います。たとえば海がめを自然のままにおいておくよりも、人間が孵化して育て海に放したほうが生存率がはるかに高いのです、天然自然よりも、人工自然のほうがこの海がめの生存に関しては上なのです。
 もうひとついうと、日本の国土の約70%は森林です。この森林のお蔭で、日本は川の水は絶えることなく、田畑には豊かな作物が実ります。私たちは蛇口をひねれば水道の水がすぐに飲めるのも、この豊かな森林のお蔭です。そしてこの豊かな森林のうち約41%が人間の手でつくられた植林による人工林なのです。実に縄文の時代から私たちはこの森林を育ててきたのです。これは稲作より歴史が古いのです。私たちの祖先が、

人間が地球上で生活している以上、どうしても環境を破壊してしまうと思います。

と考え、森を育てることをしなかったら、きっとこの日本も砂漠化していたでしょう。人間が木を植え、育て、間引きしたり、炭つくったり、家を建てたり、割箸にしたりすることによって、この日本列島はみずみずしく保たれてきたのです。
 また現在中東の砂漠を緑地化することも日本の科学技術で考えられています。人間が環境をよりよく変えようとするのはいいことなのです。この中東の砂漠を緑地化する科学技術に関しては、またそのうちUPしたいと思います。かのサハラ砂漠だって過去には緑がいっぱいだったことがあるといいます。人間の科学と技術はまたそれを再現できるはずです。
 私は環境をそのままにしておこうといって、トキの保護には関心をもっても、蚊やハエ、ゴキブリの種の保護も大事だと主張するひとを見たことがありません。ようするに環境保護だ、エコロジーだという人のいうのは、人間に悪いことをしない生物の保護であり、さらにいえば自分に都合のいいことのみの主張だと思います。
 またさきほどの小野田猛史氏のいっていることですが、

  環境を保全するほうが、環境を保全しないで放置したままの場
  合よりも利益があること。技術は、そのような道に沿って発展で
  きること。それというのも、環境保全を確実にする唯一の方法は、
  保全したほうが利益があがるという状況をつくることにしかない
  からである。環境を破壊すると損をすることを知れば、だれも環
  境を破壊しなくなる。
  環境を破壊する原因となる汚染物質は、簡単にいえば、投入さ
  れたエネルギーなどの資源が有効に用いいられなかった結果とし
  て生じるのであり、エネルギーを効率よく利用できる技術が開発
  されれば、汚染物質は自然に減少するのである。しかも、この夢
  のような話は、今日の日本においてすでに実現しはじめている。

 日本のような国の企業が自分の会社の利益を考えるからこそ、いま日本は環境保全に関しては先進国になりつつあるのです。中国が圧倒的に二酸化炭素をそのまま放出しているのは、この「利益」という概念がわからないからです。彼らはせっかく日本が製鉄工場などにつける排出部のフィルターなんかをはずしてしまいます。彼らは国家がGNPしか考えないように、いわば売上(つまり生産高)しか考えません。だから生産高に関係のない排出ガスなんかそのまま出したって関係ないと思っているのです。これが全体主義、社会主義経済の駄目な点です。
 人間が生き、生活をよりよくしていこうとすることは、古代から環境をよくしていくこととは矛盾しないのです。人間が企業がよく儲けたい、よい暮らしがしたいということはいいことなのです。
 私はどうも、人間が生きること自体が環境を破壊する、とくに日本人のようにぜいたくをしていると地球が亡びてしまうというような考えかたには、ちょうど割箸追放運動と同じような傾向を感じてしまいます。
 このネットではかなり今までこの環境のことは話されてきたかと思います。本当をいえば、こうして私が述べたことも過去話されてきたことの確認のように私は思っています。ただなんども繰返し話していくべきでしょう。(1993.08.01)