将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:埼玉大学の後輩

15062107
 横浜の外人墓地の中の建物があります。実はこの日は、この建物の中であるイベントが開催されていたのです。私の埼玉大学の後輩(私が大学4年の時に入学してきた娘)の女性がここで歌を唄ったのです。その娘は童謡の歌手でした。今も彼女のCDは持っています。ときどき聴いています。
 そののち銀座で開催されたリサイタルにも私は訪れています。
 このときは、いわば私の故郷の一つである横浜の懐かしい「港の見える丘」で開催されたイベントは実に懐かしくいいものでした。15062108
 また横浜にも行くことでしょう。懐かしい思いを抱きながら。

10120801 本日さきほど10時ころ帰宅するのに、いつものとおり我孫子駅を出たところで、自宅へ携帯電話で連絡をとりました。そうしたら電話中で、また電話したら、妻が私の後輩の名前を言って、どうしてか電話が切れてしまいました。我孫子は携帯電話はいつも切れやすいのです。だが私はその後輩の名を聞いた途端に用件が分かってしまいました。なんだか途端に頭に浮んでしまったのです。分かってしまったのです。
 また電話してやはり知りました。練木という人が亡くなったという連絡がはいったというのです。なんでも海外で亡くなったといいます。
 帰ってしばらくして、彼の自宅へ電話しました。お父さんが出ました。しばらくお話しました。

 彼は柏在住の人でした。だからあまりに突然のことですが、この柏市民ネットにも知り合いがいるかもしれないと思い、ここに告知します。

   練木惇夫告別式
    平成7年3月26日(日)午前11時~12時
    於 柏会堂 柏市柏1302-1 電話○○-○○-○○

 彼はまだ27歳でした。私の埼玉大学の後輩です。私には19歳下の後輩になります。むつめ祭常任委員をやっていました。たぶん6、7年前に委員長をやっていたかと思います。その当時、埼大のむつめ祭のとき「暴力酒場ひだり」という飲み屋で徹夜で一緒にさまざまな話をして飲んでいたかと思います。
 けっこう熱心なむつめ祭の活動家でした。なんでもとにかく頑張っていました。彼の持っている夢をけっこう聞きました。彼は芝居がやりたいが、とにかく金がなくては芝居はできないので、どういうわけか彼にとっては実入りがいいという製版工を早稲田(正確には豊島区高田)あたりの会社に就職して働いていました。
 ただ先ほどお父さんとお話しましたら、約2年前の92年12月から米国南米にいくということで、お父さんは賛成しなかったようですが、旅に出たそうです。そして米国から次第に南下してペルーを経て、ボリビアのラパスでクラシックギターを習っていたようです。それが高山病に栄養失調(もあったかもしれないとお父さんは言っておりました)で、肺水病で今月3月9日急逝したとのことです。
 もう後輩には連絡しました。ただお父さんの方では、友だちがあまりり知らないということなので、私の大学以外の方で彼のことを知っている方がいるのではと思い、こうしてUPしました。
 彼の住所は、

          柏市○○○○  電話○○○○

でお父さんは、練木允雄さんです。
 ともかく大変に悲しいことです。合掌します。そして26日は少しはなにか彼に伝えたいと思っております。(1995.03.23)

↑このページのトップヘ