将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:埼玉県立近代美術館

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 これは、

  雪原で薪を集める人々 1884年
  フィンセント・ファン・ゴッホ
  油彩/カンヴァス、パネル 67×126Cm

とあります。ばあばの友人がばあばと私からの喪中の知らせに丁寧な返事をくれたものです。彼女は昔に、私の長女おはぎの卒展(北浦和の元埼玉大学、今は埼玉県立近代美術館で行われた)で、お会いしたものでした。おはぎが「ママのお友だちのすごい美人が来ているよ」と教えてくれたものでした。
 また私は神保町で開催された美術展で彼女の絵画を見たことがあります。ものすごく懐かしく思い、またゴッホの絵に見入ります。

12021810 私の長女おはぎがいよいよ大学の卒業の時期になってきました。彼女は美術専修生なので、卒業の課題は、美術作品を制作することです。もう何カ月も、たいへんに大きな造作物を作っていました。
 以下の要項で行います。

 1月30日(火)〜2月4日(日)
   時間:10:00〜17:30
      10:00〜20:00(金曜日)
   会場 埼玉県立近代美術館 一般展示室
                 入場無料
   (JR京浜東北線北浦和徒歩5分)

 詳しくは、この私のホームページ内の「文教大学父母と教職員の会」のページの

   文教大学教育学部美術専修卒業制作展

をごらんください。私にとっては懐かしい北浦和です。(01月28日 02時28分)

11012303  私の長女おはぎがいよいよ大学の卒業の時期になってきました。彼女は美術専修生なので、卒業の課題は、美術作品を制作することです。もう何カ月も、たいへんに大きな造作物を作っていました。
  以下の要項で行います。

     1月30日(火)~2月4日(日)
   時間:10:00~17:30
      10:00~20:00(金曜日)
   会場 埼玉県立近代美術館 一般展示室   入場無料
   (JR京浜東北線北浦和徒歩5分)

11012401 詳しくは、このホームページ内の「文教大学父母と教職員の会」のページの

   文教大学教育学部美術専修卒業制作展

をごらんください。私にとっては懐かしい北浦和です。

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 私の 絵画展「原田文の世界」を見てきました へ原田直示さんから次のコメントをいただきました。

1. Posted by 原田直示    2008年02月09日 23:45
「周さん」飾らない生き方、素直な話しぶり、二人の娘さんとの交流かとおもいきや、いまだに衰えぬ社会へ向けての情熱。同い年で、近代美術館が建っている場所に埼玉大学があり二人とも青春を過ごした!周さんがシャイな一面があるのに驚きました。弱者にはとことん理解を示す人なのでしょうか。圧倒的な内容を誇る情報発信者・周さんに出会い、たくさんの「若さ」を頂戴した気分で、ありがとうございました。

 ありがとうございます。そしてきょうは実にありがとうございました。原田文さんの作品を見て、もっとたくさんの方の目に触れてほしいなという思いです。私の二人の娘にも見てほしいなという思いですが、明日(いえ、もうきょう10日でした)は長女おはぎはまだ1歳の子どもがいるし、次女ブルータスは実に遠いところに住んでいるのです。
 次女は昨日が誕生日でした。そして学校では授業参観日だったようで、「ちゃんとできた」というケータイメールが妻に入ったようです。私には「たんじょうびおめでとう」というチョコレートで書きましたデコレーションケーキの写真が入ったケータイメールをくれました(あ、彼の顔も映っている)。
 私の二人の娘、そしてその彼の4人が教員です。これは私には実に嬉しいことですね。
 この一つ前のUPで、佐々木幹郎さんとの思い出を書いてみました。もう遠い遠い思い出ですが、もうどんどんと甦ってきます。大口昭彦さんとお会いしたのは、平安神宮だったかなあ、なんて思い出しました。そのあと近くのレストランで大勢で飲みましたが、大口さんは終始正座の姿勢をくずさず、ずっとビールを飲み続けていました。その姿勢に私は驚愕したものでした。
 原田直示さんの本の出版を愉しみにしています。出版日が決まりましたら、教えてください。

 それと「巨樹写真作品解説」を読みました。できましたら、原田直示さん、ご自分のブログを開設されませんか。この「巨樹」の写真をインターネット上で見てみたいし、これに書かれている文章だけでも、インターネット上に掲示されていれば、私たちには、とても嬉しいことです。
 それに原田文さんの絵画も、写真を撮られて、ブログで掲示されたらいいのになあ、と思いますよ。多くの方に目に触れることが、たくさんの方への大きな励ましにもなると思うのですね。ブログならHTMLに関係なく、言葉と写真だけでUPできますよ。昨日の絵画展を見たことは、私には実に嬉しいことでしたが、でもまったくこの情報を知らないかた、それにさいたま市北浦和からは遠い方もいるわけです。
 できたら、それがインターネット上に公開されていたら、とても嬉しいことだと私は確信するのです。

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07123102 私の 周の掲示板 に原田直示さんから、次の書込みをいただいていました。

展覧会  投稿者:原田 直示  投稿日:2007年12月28日(金)14時09分13秒
 周さん、ご無沙汰です。ご母堂のご冥福をお祈りいたします。
北浦和西口徒歩3分。元埼大跡地の埼玉県立近代美術館一般展示室で2月5日(火)〜10日(日)「原田文の世界」展(同時開催:父親直示の「巨樹写真」、祖母斎宮美重「水墨画」)次女の油絵、書等を展示。周さんも私も学んだキャンパス跡地。現役だった釜本が夜、そのグランドでドリブルの練習をしていたと、周さんに教えられました。
土日は会場におりますので、もしご都合つきましたらお出でくださいませんか。
次女の文はダウン症ですが、20歳になりましたので、記念に展覧会をと考えました。今までも、2回個展を開いております。人の可能性はだれにもあると、宮城まり子さんや斎藤喜博先生から学んできました。

 ありがとうございます。2月9日の土曜日に行くつもりでおります。
 あの、それで申し訳ないのですが、私は原田直示さんがどうしても思い出せないのです。

現役だった釜本が夜、そのグランドでドリブルの練習をしていた

 このことはよく覚えています。私が1969年8月末のことでした。私は東大闘争で1月19日午後4時代に逮捕され、やがて23日後起訴され府中刑務所に勾留されました。そして8月21日に保釈になりまして、そのあとですから8月22日のことだったかなあ。とにかく、夕方7時くらいに、もう暗くなったキャンバスでサッカーの練習をしている人がいました。私はバリケードの中にいた人に、「こんなところで、サッカーの練習しているなんて……………………」というと、「あれは釜本だよ」というのですが、「釜本って、なんだよ?」というと、その相手は呆れた顔をして、「サッカーの釜本だよ、知らないのか?」と言ってきたものです。
 69年の埼大の文理地区のバリケードのすぐそばで、釜本がサッカーの練習を日々やっていたのです。

 宮城まり子さんや齋藤喜博は、今も私の尊敬します教育家です。私の 周の書評(教育篇)に次の書評を書いています。

   http://shomon.net/kyoiku/bookkyo3.htm#miyagi 宮城まり子「神様にえらばれた子どもたち」

   http://shomon.net/kyoiku/bookkyo1.htm#kihaku 斎藤喜博「教育学のすすめ」

 齋藤喜博さんの本はいくつも読んできました。ただし、私の尊敬する先生ですが、どうしても少しだけ私には違和感があります。いや、これは私の至らないところなのかもしれません。

 宮城まり子さんのことは今でも私は彼女が大好きです。大昔、紅白歌合戦に出ていた彼女を思い出します。あの頃はいつも弟と二人で、テレビに出てくる彼女を楽しい顔で見ていたものでした。

 私は二人の娘が小学校の教員です。今では二人とも結婚して、その結婚した相手も教員です。そして私は二人の勤めた学校へは、何度も行ってきたものです。いつも、そこで会う二人が教えている生徒たちの姿に、私は、齋藤喜博が描いている生徒たち、宮城まり子が描いている子どもたちの姿を見ていました。

 でもねえ、ときどき私は教員の方ともお会いしたときに、齋藤喜博の名前を出しても、読んでいないどころか、「サイトウキハク」の名前する知らない人がいて、もう私は何年も前から、その名前を出すのも止めたものでした。仕方ないですよね。
 2月9日には、できたら、長女と孫も連れて行きたいと考えています。

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「埼玉県立近代美術館」に、アトリエイグレック今日の出来事 の igrekさんが、次のコメントをくれました。

1. Posted by igrek    2007年02月27日 21:38
まさに団塊の世代のお話ですね。私の夫もその時安田講堂の近くにいたそうです。やじうまのノンポリ学生で。周さんとは随分違いますね。二期校とはなつかしい言葉です。

埼玉も今は赤羽まで湘南新宿ラインができて、横浜からは東京に行くのと同じ感覚で行けますね。埼玉県立美術館は近代建築見学のいい企画があるんですよ。

ではまたイグレックに遊びに来てください。

 あ、そうなんですか。では旦那さんも同じ世代なんですね。何年か前にどこかの会合で浅野史郎さんとビールを手に持ちながら話したことがありますが、あの方も東大全共闘だったらしいです。そばで話しても、彼は実にいい方でした。私は民主党なんて嫌いですが、あの浅野さんが都知事選挙に出られるのなら、石原さんよりはいいかなあ、と思っています。
 思えば、いろいろなところで、あの1969年1月に東大闘争にいた方、それを見に来られた方と触れ合うことがあります。みなさん、いろいろな思いを持たれていますね。
 埼玉大学は、実に田舎大学なので、実に牧歌的な愉しい雰囲気ばかりでした。ただねえ、やはり学生運動はどうしても都内に出ますからね、私たちは、もう何もかも判らないことばかりでした。
 埼玉県立近代美術館は、あの前あたりが埼大のメインストリートでした。1968年の4月に、そのメインストリートを紺色のミニスカートで青い水玉のシャツを着た色の白い女の子が本を抱えて歩いてきました。私はその子を見たとたんに恋に落ちました。彼女は、その前月の王子闘争で、「埼大理工学部」の旗がひるがえっているのを見て、それで他の大学ではなく、埼大に入学してきたのです。彼女もまた高校生で近所の方に呼びかけて王子野戦病院反対のデモをしてきたそうです。その「埼大理工学部」の旗を持って王子の柳田公園とその周りを走り回っていたのは私でした(ただし、デモに移ったときは、あの旗は誰が持っていたのかなあ)。

 私は東大闘争で保釈になって、すぐに1カ月も経たないうちに、芝浦工大事件に関係しました。これは内ゲバ殺人事件といわれたものでした(事実は殺人なんかではないよ)。そして私はその後12月10日に逮捕されました。でもこの年は、こうして娑婆にいた期間はわずかなのですが、私は恋した女性に約200通の手紙を出していました。
 少し、私は「俺って、200通も手紙出したのは偉いな(あ、内容はさておき)」なんていう気持でいましたが、なんのことはありません。私は今は200通のケータイメールを2カ月で出していますよ。もう彼の家に住んでいる私の次女には、もう何通も手紙を出しています。ケータイメールもいいけれど、実際に手紙を書くのもいいですね。
 たぶん、きょうも次女ブルータスには手紙を出します。いえ、彼女の結婚式の出欠の返信葉書が我孫子の自宅に届いて、この王子に転送されてくるので、それを封入して次女宛てに送っているのです。
 実はきょうは、義母のデイサービスのお休みの日で、今週は私の担当なので、王子の家にいるのですが、さきほど長女が孫のポコちゃんを連れて来てくれました。もう孫は実に可愛いです。でもよく泣くんだよなあ。この孫がケータイを持ったら、もう毎日ケータイメールを打ちますよ。

 なにか、きょうはこのパソコンの前になかなかいられないものですから、こうしてブログに書くのが、遅くなってしまいました。

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