将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:塩野七生

12123002  今朝は9時におはぎ家族5人が来ます。

2012/12/30 06:27まだ30分をすぎないのに、「はやく起きた朝は」をやっています。
 日経新聞の32面の記事下の新潮社の広告で「塩野七生『想いの軌跡』」なのですが、そのコピーに「地中海はインターネットでは絶対にわからない」とありました。もう私には実にくだらないコピーに思えます。これ、この地中海を他に変えてもなんでも言えるのじゃないですか。私がよく歩く谷中でも、この王子でも同じです。インターネットでは分からないものが実際に歩いていればたくさんあります。
 それでもインターネットはまた別に大きくあるのです。ただ塩野七生さんはいくつもの作品を読んできています。もう実に好きな作家なのですが。
 この面で「樺山紘一『欧州異聞』」を読んでいくつも想います。

 ・・・、天空のプラトンとおなじく、地上のアリストテレスにも最大の敬意を。

 私はプラトンは作品をほとんど読んでいますが、アリストテレスはただの一つも読んでいないものです。でも仕方ないよなあ。
2012/12/30 07:06日経に一面に東京スター銀行が台湾大手銀行に買収さ12123003れたというニュースがあります。そうなんだなあ。この銀行と深くつきあっている人を思い出したものです。

 この日経の記事は信じていいのかなあ。もう私は過去のいくつかのニュースで信じられなくなっているのです。

 もうちょうど10日前に、私の目と心をくぎ付けにした、写真と文章があります。その写真が以下に掲げたものです。12032407

気仙沼の被災地のがれきの中を歩く少年の写真を「あなたへ」の台本の裏表紙に貼りつけた(写真は共同)

 これは、高倉健さんの文章では、

イタリアにお住まいの作家の塩野七生さんが、現地の週刊誌に載っていたと紹介している写真でした。

ということです。
 健さんは、次のように書いています。

 気仙沼の被災地のがれきの中を歩く少年は、避難所で支給されたものでしょうか?

 袖丈の余るジャンパーにピンク色の長靴をはいています。両手には一本ずつ、焼酎の大型プラスチックボトルを握っています。彼は、給水所で水をもらった帰りなのです。その水を待っているのは幼い妹でしょうか?

 年老いた祖父母なのでしょうか?

 私の目をくぎ付けにしたのは、うつむき加減の少年のキリリと結ばれた口元でした。左足を一歩踏み出した少年は、全身で私に訴えかけてきます。

 私もこの写真にどうしたらいいか分からないほど、ひきつけられました。これは誰にも見てほしい写真であるわけだし、そして高倉健さんの文章も読んでほしいのです。
 そのときに、すぐに私はこの写真を私のパソコンに保存しました。健さんの文章も何度も読みました。
 でも私は、「これを勝手にコピーして、勝手に私のブログで掲載していいのかなあ?」という思いで困りました。でも、もしもこれがいけないと、日経新聞から指摘されたら、そのときは、もちろん削除いたします。もう私は、私だけが私のパソコンで見ているだけでは不満なのですね。あ、もちろん私の持つガラパゴスでも見られるわけです。
 健さんの文章はいいです。そして私は昔からファンである塩野七美さんにも、ものすごく感謝いたします。

11111915 昨日夕方からずっと事務所で仕事をしていました。まさしく全然眠らないで、食事もとらないで、ずっとやっていました。やっと午後2時ころやり終えて、さきほどクライアントへ納品してきました。
 このおかげで、なんだかすぐにぼーっとしてしまい眠ってしまいそうです。だからたえず何かをやっていなくちゃいけない。
 先週9日に妻のパソコンを作るために秋葉原へ行きました。約5時間ばかり秋葉原にいまして、あちこち歩いて、妻には大変に刺激になったようです。
「どうして、こんなお店があって、どうしてこんなに人がいるんだろう」という思いだったようです。それで自作マシン用のパーツは買いましたが、どうしてもモニターだけは、自力で運ぶ関係で無理でしたので、私はまた次の10日に一人で秋葉原へきました。それで結局はモニター以外にもいくつも買って(どうせ、また作るし、とんでもなく安いもので今買っておりていいものがいくつもあります)、事務所へも寄って、それで次の日に備えました。妻は日曜日は用があって、11日に自作しようということでした。そういえば、モニターは三菱の17インチで、9,800円でした。
 それで、11日は、それこそあっと言う間にパソコンができて(自作自体は簡単ですね)、ただ、インストールで少しつまずきました。もう一度秋葉原へ行くことにしました。10日に買ってきたモニターが実にいいので、またもう1台買いたくなったのです。かくして、私は3日間、秋葉原を歩きました。今回作る分のパーツ以外にもいくつも買いました。そういえば、11日に買ったモニターはIBMの17インチで、8,200円でした。
 今週の土曜日に完全にパソコンのインストールを完成します。ラックもこの日につきますので、この日にゆっくりやります。今まではただただ忙しくて落ち着かなかった。LANを組みますので(しかもタイタスとは関係なく、LANを組んでみたい)、少し真面目にやります。私はパソコン自作でも(ほかのことでもなんでも)、ただ「やっちゃえ、やっちゃえ」とばかりやってしまうので、実はかなりいいかげんです。よくあれで、自作パソコンって動くものだなあ。真面目にやらないと、今回のLANは動かないかもしれない。
 そういえば、先週秋葉原で私のクライアントの女性たちと購入したエプソンダイレクト(秋葉原にはここのショールームがありますね)のパソコンが昨日会社に着いたということで、明日行って、すべてインターネット接続と、PosPetやいろいろ設定しましょう。本来の目的は、経理の処理のためのパソコンなのですが、それはそれで必死にやるとしても(周は、各パソコン経理ソフトについては、どうたらこうたらと詳しいですよ)、それだけじゃつまらないじゃないの。できたら、この会社のみんながインターネットもやってほしい。どうせ、刺激されて他の部門もパソコンを買うことでしょう。
 昨日の朝は世田谷に直行したのですが、電車が長いと読書できる時間が長くていいですね。ただ、私はもうそれこそ頻繁に本を換えて読んでいます。まず何故か必ずパソコンの雑誌も(雑誌にはかぎらないが)1冊はもっていてそれを開きます。なんだかすぐ読んでしまうから、すぐに他の本になります。このところ、いろいろな本をもって歩いています。ビズネス書もよく読みますね。昨日は、ちょうど世田谷に着ころ、酒見賢一「陋巷に在り1」を読み終わりました。ついでに塩野七生「ローマ人の物語次廚癲電車の中のみで読み、もう少しで終わりです。それから長女に無理やり薦められた、沢木耕太郎「深夜特急1」も、こうして昨日電車で読み終わりました。だから、私の電車の中の頭は、それこそ孔子や顔回と皇帝ヴェスパシアヌスと香港やマカオの光景と、パソコンのさまざまな情報がごっちゃになっています。
 それにつでに、先日偶然再会した女性の友人と、どこへ飲みに行こうとか考え、ゴールデン街のママからメールもらったから、そこのパソコンを見にいかないといけないなあとか考えて、それでも、他のも飲みに行くところがあるしなあ。
 などと書いていますと、眠気は飛んで行ってしまいます。さてさて、このホームページの更新ももっと活発にしないといけないですね。あ、私のホームページで、「周の書評(漫画篇)」を注目してくれている方!、いがらしみきおの「ぼのぼの」について、なんか少し書きましたよ。もう一度全巻読みなおして整理してから書くべきなのですが、とにかくまずUPしました。(1999/10/14 17:55:58)

11111706 どうやら、昨日書きました「周の掲示板」に関することは杞憂だったようです。よかった。
 でもよくないのは、昨日やっと帰宅して、ビールを飲んだとたんに入ってきました東海村の事故のニュースです。なんでしょうね。気になります。
 昨日は泊まりこみでやっていた仕事を完了しまして、夕方事務所へ帰ってきまして、いろいろ整理して、それからナッツのぱらむさんの事務所へいきました。昨夜の神田会のお話をしたかった。なにしろ、私はほとんど記憶がないものですから。でもとにかく愉しい思いだけが残っています。でも何人もの方から、電話やメールで「実に愉しかった」という感想をもらっていました。
 ぱらむさんのところで、少しビール飲んで帰るときに、ぱらむさんのところへは「日経パソコン」がついていたのに私の事務所へはついていなかったから、どうしてか、パソコンの雑誌を電車の中で読みたくなり、お茶の水駅前の丸善で、「ASCII DOS/V ISSUE」を買いました。私がパソコン雑誌を買うのは中毒のようなものですね。ときどき読んでいないと気がすまない。でもついでに、塩野七生「ローマ人の物語軸躓,塙酩」も購入しました。これはいつも出ると、真っ先に買うのですが、このところたくさんの荷物を持って歩いていました私には重くてね、買うのを躊躇していたのです。でも帰りの電車で読み終えるはずの星新一「人民は弱し、管理は強し」が後回しになってしまいました。だがだが、パソコンの雑誌を読んでいて、座れた頃から塩野七生さんの本を読みますと、これがまた面白い。いやはや、ローマは面白い、塩野さんの文章は最高です。
 私は、「周の書評(文学哲学篇)」で、塩野さんの「ローマ人の物語」を3巻まで書いています。つづいて4、5巻のカエサルのところでも書き続けるはずでした。でもでも、私はこの塩野さんのカエサルに圧倒されてしまって、書き出せないのですね。実は私は小学生の高学年の頃から、このカエサルが好きでしてね、それでこの塩野さんの描くカエサルがまちどおしかったのです。それで読んでみて圧倒されました。塩野さんはいいです、すごいです。そしてカエサルもいい。6巻で描かれているアウグストゥスよりも、私はやはりカエサルが好きです。アウグストゥスは私のはやはりオクタヴィアヌスと言われた姿でしかありません。カエサルこそが私には「ローマ」なのです。
 しかし、書いていかないとね。塩野さんの書かれる「ローマ」はタキトゥスなんかが描くローマよりも実に面白い。タキトゥスの描くローマは(例えば「年代記」)ただただ、ローマ風呂へ入って静かに手首を切るたくさんの貴族政治家の姿しか私には浮かんできません(あとはネロと母親の暗殺合戦くらいかな)。でも塩野さんが描くと、まったく違うのですね。塩野さんからは、インフラとしてのローマ街道のことや、ゲルマン人相手に方陣を組んで戦っているローマ兵の姿が見えてきます。その方陣の中では、百人隊長が見事指揮しているのが見えます。金髪で背のでかいゲルマン兵を相手に、背の小さいローマ兵がただただ方陣を組んで戦っています。彼らは、やがて自分たちこそが勝利することを確信しています。そしてその各方陣を、馬で駆け回るカエサルの姿が見えます。「ローマの誇りを忘れるな」「我々こそがローマを創るのだ」というカエサルの声が聞こえてくるのです。
 やっぱり、塩野さんのローマは面白いのです。あんまり好きになれないアウグストゥスも、その私が好きになれない理由も塩野さんの筆で判ってきた気がします。いいですよ、塩野さんは。
 それから、本日オープンしました以下のホームページですが、

   日本短資ホームページ
   (現在はセントラル短資株式会社になっています)
          http://www.central-tanshi.com/

ここの「コール博士に聞こう」というページのコール博士は、私の長女おはぎの描いたものです。以下のイラストです。見てやってください。(現在はこのページはありませんが、このイラストは使われています)call-yougo-s
                
 これは私の「赤ふんの周」を見た人からの要請でおはぎが作りました。他にも競合があったらしいのですが、これが選ばれました。おがぎは、このコール博士の案を10点出しまして、この眼鏡で白髪のおじさんにきまりました。そういえば私のイラストもあげてみましょうか。hagi2

 なんとなく似ているでしょう。作者が同じだからです。でも愉しいいいことでした。できたらおはぎにも、次女のブルータスにもホームページを開いてほしいな。
 あ、そういえば、「ブルータス」といえば、カエサルを殺した奴じbrutuskunゃないか。でも違うんです。
   これは次女が産み出した、「いつもボーッとしているまぬけな鳥」なんです。「いつも元気だ、ごきげんブルータス君!」という漫画の主人公なのですね。(1999/10/01 6:25:31)

11050217書 名 勝者の混迷 ローマ人の物語
著 者 塩野七生
発行所 新潮社

「ハンニバル戦記 ローマ人の物語供廚鯑匹濬ったときに、1年後に出される「ローマ人の物語」は。「次はグラックス兄弟の話になるのだな」と思っていました。そして塩野七生は、どのようにグラックス兄弟の改革が失敗に終ったのかを私たちの前に彼女らしい筆の運びで提示してくれるのだろうと思っていました。
 この本の扉に次のようなハンニバルの言葉があります。

  いかなる強大国といえども、長期にわたって安泰でありつづけ
 ることはできない。国外には敵をもたなくなっても、国内に敵を
 もつようになる。外からの敵は寄せつけない頑健そのものの肉体
 でも、身体の内部の疾患に、肉体の成長に従いていけなかったが
 ゆえの内臓疾患に、苦しまされることがあるのに似ている。
 ………ハンニバル………  (リヴィウス著『ローマ史』より)

 苦しいハンニバル戦争に勝ちぬき、やがてカルタゴを滅ぼし、地中海を我が海とするローマに次の試練の時代がやってきます。それがこの巻で扱われる

第一章  グラックス兄弟の時代
第二章  マリウスとスッラの時代
第三章  ポンペイウスの時代

の各章になっていくのです。ローマがイタリア半島の国家から、地中海の大帝国(もっとも政治形態は共和制国家である)になっていきます。その過程でハンニバルがいうところの内部疾患に苦しんでいくことになります。この過程に耐えられず衰えてしまった強大国もこのローマの他過去未来に渡っても多々あったことでしょう。ローマはいかにこれを乗り超えていくのでしょうか。

 そもそもこの内部疾患とはどのようなことなのでしょうか。ちょっと象徴的にいうとローマで各コロシアムで格闘技などを見ていた大衆はいったいどのような人たちなのでしょうか。映画などでみる限り、彼等は昼間から葡萄酒を飲み、競技に熱中しています。彼等は働いていません。自分で耕していた耕地を手放さざるをえなくなり、ローマに流入して、小麦を支給されている遊民なのです。なぜあのような大衆が増えてしまったのでしょうか。もはや彼等は低年収、低資産ですから、兵役にも応じられません。戦争に行っても、その間残った家族が食べていけないような市民には兵役の義務はないのです。だがこのような民が増えていきます。
 ローマが次第に拡大していくと、大量の奴隷を使用した農園が増えていきます。奴隷には兵役の義務はありませんから耕作に専念できます。当然自作農よりも生産性は高くなります。また属州が増えることにより、安い小麦が大量にローマに流入してきます。小規模自作農は次第に没落していきます。しかし、この自作農がローマの強い軍隊の中心部隊だったはずなのです。各地の反乱に敗北するローマ軍が出てくるようになります。
  当初はギリシアの各ポリスのような都市国家であったローマも次第に拡大していきます。しかしローマの領土が増大するのではなく、各イタリア半島の各部族はローマ連合という中の連携した仲間であるわけです。この連合はハンニバル戦争のときは強力でした。ハンニバルに負けても負けてもローマと一緒に戦っていきます。これらの強力なローマ連合の構成部族が、ローマ市民権を求めていきます。それが受け入れられないときに、ハンニバルにはあくまで抵抗した各部族もローマに敵対して戦いにはいります。まさしくこうした混乱がこの時代でした。

 この時代を、このローマをあくまで改革していこうとしたのがグラックス兄弟であり、それが失敗に終るや、マリウス、スッラが実力でローマを支配し、ローマを変えていきます。もはや平民と貴族あるいは閥族との間の争覇というような視点ではとらえられない時代になってきます。次のポンペイウスの時代でも同じです。なんだか、ローマは強力な指導力を発揮できる英雄の登場を待っているようです。
 プルタルコスを読むと、この英雄にはポンペイウスこそ相応しいように思ってしまいます。彼はまさしく常勝将軍です。しかしもちろんプルタルコスはポンペイウスではなく、その本当の英雄を登場させるわけです。事実としての歴史も、ローマも、そして塩野七生も、その英雄の登場を待ちこがれているようです。それがユリウス・カエサルの登場になります。だがそれは次巻の話になっていくわけです。
 いよいよ次巻のカエサルの活躍こそ、この著者が一番に書きたいことだと思います。この「ローマ人の物語」を書きながら、塩野七生は必死にカエサルと会話しているように想像します。どうしてローマにカエサルの登場が必要になり、かつカエサルこそ「永遠のローマ」を造り上げた一番象徴的な存在であると彼女は考え、私たちもそれをそのまま読んでいくことになるのだろうと思っています。

 私はこの巻も第2巻の場合と同様に発売日の8月5日に手にいれ、すぐに読んでしまいました。昔プルタルコスで知った多くの英雄たちが出てきて、なんだか懐かしいのと、だがどうしてか著者の筆が次の巻、次の巻へと向いているばかりのような気がして、なにか気ぜわしいような、なにか落ち着かないかのような印象が残りました。(1994.08.05)

書  名 ハンニバル戦記 ローマ人の物語
著  者 塩野七生
発行所 新潮社
発行日 1993年8月7日

e949ce2c.jpg  この全部で15巻にあるという「ローマ人の物語」が、著者の誕生日の7月7日に毎年1巻ずつ出版されるということだったので、1巻からちょうど1年後の7月1日から、毎日のように、書店をのぞいていました。ところがどうしてか店頭にならばない。どうしたんだろう、どうしたんだろう、新潮社に電話してみようかななどと思っていましたら、1カ月遅れの8月7日発売ということで店頭に置かれていました。
 それに私がかなり発売がまちどおしかったのは、1巻「ローマは1日にして成らず」から考えると、第2巻がポエニ戦争の時代になるのは明らかだったからです。ポエニ戦争といったら、もうこれはハンニバルの物語になると思っていました。私は小学生のころからハンニバルが好きだったのです。

 ヨーロッパの3大英雄というと、アレクサンドロス大王、ユリウス・カエサル、ナポレオン・ボナパルトだといいます。我がハンニバルが4代英雄のひとりとはいわれないのは、ハンニバルがローマの敵であったカルタゴの英雄であり、アフリカ人だからです。
 私がプルタルコスの「対比列伝」、いわゆる「プルターク英雄伝」を最初に読んだのは小学校5年生のころでしょうか。もちろん子どもむきのでしたから、ギリシア、ローマの英雄たちを対比させて書いてあるのではなく、上巻ギリシア編、下巻ローマ編といった感じで、年代順だったと思います。その中で、ハンニバルだけはローマの英雄ではないのだが、そして原作では扱われてはいないのだが、ここでは1章をもうけるというように書いてあったかと思います。私はそのころからナポレオンが好きでしたから、そのナポレオンがあこがれた英雄のことがとくに知りたかったのです。イタリア半島で長く連戦連勝で闘いながら、やがてイタリア半島を離れざるを得ないときのハンニバルと、長く彼のもとで闘ってきた老兵士たちの哀しい貌が思い浮ぶような気がしていたものです。
 実にプルタルコスはハンニバルと闘った将軍たちの列伝の中で、ローマの敵でありながらも、傑出した英雄であるこのハンニバルのことを生き生きと書いているように思います。だれしもが、このローマ最大の敵であった英雄のことは、何故か好きになるようです。

 第1巻でほぼイタリア半島の北部をのぞく地域を支配できたローマが、シチリア(シシリー島)をめぐって、当時地中海を我が海としていた、フェニキア人のカルタゴと覇を争うことになります。海軍力をほとんどもっていなかったローマは最初は苦戦しますが、どうやら勝利します。これが第1次ポエニ戦役です。実に23年間の戦争でした。もうすべてのローマ人はもう両国の間に戦争はおきないと考えていました。ほとんどのカルタゴ人も。
 しかしカルタゴの中で、唯一ローマに対して敢闘したハミルカルとその1族のみはローマに勝利しなければカルタゴの未来はないと考えたようです。このハミルカルの息子がハンニバルでした。
 ハンニバルはイベリア半島でカルタゴの力を蓄えます。そしてやがて行動を起こします。用意周到に準備しています。ローマの宣戦をうけるや、彼はピレーネー山脈を越え、ガリアの野を横断し、アルプスを越え、イタリア半島に進入します。ローマはどんなに驚愕したことでしょうか。約2,000年後にナポレオンもこれに習って、アルプスを越えるわけです。しかし、この時代、アフリカの兵を率いて、しかも37頭の象をつれ、しかも初雪のつらつきはじめる時期にです。
 イタリア半島に入ってからは、ハンニバルは連戦連勝します。彼は会戦に負けたことはありません。だが実にハンニバルはこの半島で16年戦い勝利続けなければなりませんでした。ローマは会戦で敗北しても敗北しても、降伏もしないのです。
 どうしてなのでしょうか。その答えがこの著者のこの物語なのだと思います。

  ローマ人の面白いところは、何でも自分たちでやろうとしなかっ
  たところであり、どの分野でも自分たちがナンバー・ワンでなけ
  ればならないとは考えなかったところであった。もはや完全にロー
  マに同化していたエトルリア人は、あいもかわらず土木事業で腕
  をふるっていたし、南伊のギリシア人は通商をまかされていた。
  シチリアが傘下に加わって本格的にギリシア文化が導入されるよ
  うになって以降は、芸術も哲学も数学もギリシア人にまかせます、
  という感じになってくる。このローマ人の開放性は時代を経るに
  従ってますます拡大していく
             (「第二章 第一次ポエニ戦役後」)

  ローマ人は、今の言葉でいう「インフラ整備」の重要さに注目
  した、最初の民族ではなかったかと思う。インストラクチャーの
  整備が生産性の向上につながることは、現代人ならば知っている。
  そして、生産性の向上が、生活水準の向上につながっていくこと
  も。
  後世に有名になる「ローマ化」とは、「インフラ整備」のこと
  ではなかったか。そして、ローマ人がもっていた信頼できる協力
  者は、この「ローマ化」によって、ローマの傘下にあることの利
  点を理解した、被支配民族ではなかったかと思う。
                    (「第二章 第一次ポエニ戦役後」)

 もはやこうしたローマからは、ハンニバルが予定していたローマ傘下の民族がローマを離反するということはなかったわけです。もちろん連勝のハンニバル側につくイタリア半島の都市もそのうちにはでてくるわけですが、それにしてもこうしたローマはハンニバルに予想をこえた強さだったのだと思います。そしてローマはどうにも強すぎるハンニバルそのものとは会戦しないようにしていきます。ハンニバルが勝利つづけるため戦線を拡大すると、ハンニバル自身のいないところでカルタゴ軍を攻めつづけます。そしてシチリア、イベリア半島ではカルタゴ軍に勝利し続けます。このイベリア半島で勝利するのが、スキピオ、のちに大アフリカヌスといわれた若きローマの将軍です。

  第二次ポエニ戦役の舞台に、もう一人の天才的な武将が登場す
  る。私には、アレクサンダー大王の最も優秀な弟子がハンニバル
  であるとすれば、そのハンニバルの最も優れた弟子は、このスキ
  ピオではないかと思われる。そして、アレクサンダーは弟子の才
  能を試験する機会をもたずに世を去ったが、それが彼の幸運でも
  あったのだが、ハンニバルの場合は、そうはならなかったのであっ
  た。              (「第四章 第二次ポエニ戦役中期」)

 私はこの第四章の終りのこの文で、もうかのザマの戦いで、ハンニバル軍の先頭の象軍がスキピオ軍の間を走り抜けさせられ、やがてカルタゴ軍が敗北することなどをを頭に描いてしまい、涙が浮んできて、本を閉じて、電灯を消してしまいました。ただ眠る気にもならず、再度明りをつけ、まったく関係ない本を1冊読んだあと、また読みはじめました。どうしたって、ハンニバルが敗北してしまったのが歴史だったのですから。
 だが、読んでいくうちに、それほどの悲しい気持にはなりませんでした。それはハンニバルを破ったスピキオの人なつこく開放的な性格と、彼があくまで敵であるハンニバルを敬愛していたことが強く感じられることでしょうか。
 スキピオの活躍でハンニバルはイタリアを離れ、カルタゴ本国でスキピオと対決することになります。これがザマの戦いです。ハンニバルの弟子であったスキピオはハンニバルの戦いを充分に学んでおり、ハンニバルに勝利します。第二次ポエニ戦役もカルタゴの敗北で終ります。
  しかしこの戦いで興味深いのは、ザマの会戦の前夜、ハンニバルとスキピオが二人きり(もちろん通訳はいたことだろうが)で会見していることです。まずこのようなことは古今東西の会戦の中でまず他には皆無なことだと思います。またのちに紀元前193年にローマとシリアの戦争のときにも、この二人の英雄はロードス島で会見しています。ザマの戦いから9年後のことです。このときの会見はかなり興味深い話をしています。是非とも読んで、ハンニバルなりのひととなりを知っていただきたい気がします。
 この第二次ポエニ戦争後、さらにマケドニア、シリア等々との戦争を経て、再度カルタゴとの戦争でスキピオの息子がまた活躍し、ローマは地中海全体を我が内海とします。

 私はこれを読みながら、私が子どものとき胸躍らせて読んだ「プルターク英雄伝」の中のハンニバルの活躍とその敗北の姿に涙したことと、また同じようにまた著者も筆を躍らせているように思いました。しかし読み終ってみると、著者はただハンニバルの物語を書いているのではなく、これによってローマという国家のことを克明に読者に伝えようとしています。そしてあらゆるところで、我が日本という国家にいつも眼を向けているのだということも、私は感じてしまうのです。
 ローマが偉大であり、ローマが永遠といわれるのも、こうした数々の戦争をみてもそれがあくまでローマと敵国の戦争であり、その中に正義と不正議の戦争であるというような概念を入れていないことです。従って、戦争後に戦敗国の指導者への戦犯裁判などありえないわけです。いったいいつから人類は、戦争に正義と不正議の戦争というような観点をもちこみはじめたのでしょうか。

 この著書が「ハンニバル戦記」と題名がついているように、ほとんどがハンニバルとの戦争に著述が割かれています。もっと出てくるのかなと思っていた、スキピオの反対派の大カトーなど、あまり筆が及んでいません。それも私が何故か深く納得してしまうところです。

  同年輩であるのにスキピオは、カルタゴ人に父を殺され叔父を
  失い、舅を殺されていながらも、過去よりも未来を見る性向が強
  かったが、反対にカトーは、過去を常に振り返っては今のわが身
  を正すタイプであったのだろう。
  この両人の対立は、あらゆる面から、宿命的ではなかったかと
  思われる。        (「第七章 ポエニ戦役その後」)

 このスピキオとカトーの対決が、やがてはカエサルとブルータスとの対決の姿にもなるのだなと私には思えてなりません。
  それにしても、やはりこのハンニバルとの戦いに勝利したことこそが、ローマを大きく次の時代へ進めることになるわけです。ただその中でもやはり、このローマとの戦争にのみ生涯をおくったハンニバルという英雄に誰もがひかれていくのだと思います。

  …………寒さも暑さも、彼は無言で耐えた。兵士のものと変ら
  ない内容の食事も、時間が来たからというのではなく、空腹を覚
  えればとった。眠りも同様だった。彼が一人で処理しなければな
  らない問題は絶えることはなかったので、休息をとるよりもそれ
  を片づけることが、常に優先した。その彼には、夜や昼の区別さ
  えもなかった。眠りも休息も、やわらかい寝床と静寂を意味はし
  なかった。
  兵士たちにとっては、樹木が影をつくる地面にじかに、兵士用
  のマントに身をくるんだだけで眠るハンニバルは、見慣れた光景
  になっていた。兵士たちは、そのそばを通るときには、武器の音
  だけはさせないように注意した……………
                (「第六章 第二次ポエニ戦役終期」)

 読者の誰もが、このカルタゴの兵士たちと同じように、このハンニバルをゆっくりと眠らせるために音を立てないでいたいと思うに違いありません。(1993.08.07)

11050211書 名 ローマ人の物語機屮蹇璽泙錬影にして成らず」
著 者 塩野七生
発行所 新潮社

 何年か前に夜の報道番組で、塩野七生が木村太郎の取材を受けていました。「いま一番関心のあるのは何」という質問に、「ユリウス・カエサルです」ときっぱり答えていたのが、私には非常に印象に残りました。そしてその次に年に、書店でこの本を見たとき、「これがそうなのか」と、すぐに手にとったものでした。

  知力ではギリシア人に劣り、体力ではケルト(ガリア)人やゲ
 ルマン人に劣り、技術力ではエトルリア人に劣り、経済力ではカ
 ルタゴ人に劣っていたローマ人

がなぜあれだけの大帝国を築けたのかということの解明がこの著書の目的であるようです。
 何故「ローマは永遠」と言われてきたのか、そもそもローマとは何なのかとは、私も常に思ってきたことなのです。
 私にとっての塩野七生とは、「チェザーレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」で鮮烈にデビューした(本当のデビュー作は別な作品ですが、私にはこの作品こそがそう思えるのです)ちょっと近寄り難い存在でした。数々の書物の内容も、テーマ自体は興味深いのですが、どうしても中にはいっていけない自分を感じてしまっていたものです。
 なにか「どうもこれは何がいいたいの」という思いをいつも感じてしまっていたのです。
 しかし、この「ローマ人の物語機廚如△修譴蕕了笋里海世錣蠅すべて解消した気がしたものです。これなら、彼女の「男たちへ」というような文章も嫌味で読むこともなくなってしまいました。私はこの本を読みおわったときから、彼女のファンになりました。彼女の歴史・ヨーロッパに対する姿勢が初めて判りはじめた気がしたのです。

 ローマはギリシアとキリスト教をその中にふくみ、この二つを「ローマ」という存在で全ヨーロッパのものとしました。

  人間の道徳倫理や行為の正し手を引き受けてくれる型の宗教を
 もたない場合、野獣に陥りたくなければ、個人にしろ国家という
 共同体にしろ、自浄システムをもたなければならない。ローマ人
 にとってのそれは、家父長権の大変に強かった家庭であり、これ
 こそローマ人の創造であることはどんなローマ嫌いでも認めざる
 を得ない、法律であったのだ。
  宗教は、それを共有しない人との間では効力を発揮しない。だ
 が、法は、価値観を共有しない人との間でも効力を発揮できる。
 いや、共有しない人との間だからこそ必要なのだ。ローマ人が、
 誰よりも先に、そして誰よりも強く法の必要性に目覚めたのも、
 彼らの宗教の性質を考えれば当然の経路ではなかったかと思う。
  ちなみに、ローマ人と同じく倫理道徳の正し手を神に求めなかっ
 たギリシア人は、それを哲学に求めた。哲学は、ギリシアに生ま
 れたのである。とくに、ソクラテス以後のギリシア哲学の流れは、
 このギリシア人の思考傾向の果実以外の何ものでもない。

  人間の行動原則の正し手を、
   宗教に求めたユダヤ人。
   哲学に求めたギリシア人。
   法律に求めたローマ人。
  この一事だけでも、これら三民族の特質が浮かびあがってくる
 ぐらいである。

 私はユダヤキリストの暗さにはどうしてもなじめませんでした。ギリシアローマの古典古代社会のほうがずっと親しみを感じてしまうのです。
 そして、そのギリシアとローマで、やはりローマこそがそのギリシアの存在をも、世界のものとできたのだと思います。アテナイとスパルタの抗争ばかりのギリシアが、アジアの大国ペルシアに勝てたとしても、あるいはアレクサンドロス大王がいたとしても、世界に向かってその存在の意義が大きくことであるのは、ローマがあったからこそだと思います。
 また興味深く読めたところとして、もしアレクサンドロスが、東にではなく西すなわちローマへむかったとしたら、歴史はどうなったろうかというところがあります。著者の出している結論は、細かく理由をあげて、やはりローマが勝利したであろうということになります。これには充分納得できるものがあり、さすがだなとうなってしまったものでした。

  歴史を叙述していくうえでのむずかしさは、時代を区切って明
 快に、この時代には何がなされ、次の時代には何がなされたと書
 くことが、戦記にあってさえ、不可能なことにある。
  不可能である理由の第一は、ほとんどの事柄が重なりあって進
 行するからであり、理由の第二は、後に大きな意味をもってくる
 事柄でも、偶然な出来事という形をとってはじまることが多いか
 らである。それゆえに、歴史は必然によって進展するという考え
 が真理であると同じくらいに、歴史は偶然のつみ重ねであるとす
 る考え方も真理にはなるのだ。
  こうなると、歴史の主人公である人間に問われるのは、悪しき
 偶然はなるべく早期に処理することで脱却し、良き偶然は必然に
 もっていく能力ではなかろうか。多くの面で遅咲きの感のあるロー
 マ人が、他の民族と比べて優れていたとしてよいのは、この面で
 の才能ではなかったかと思われる。

 このことが、たくさんの面から述べられています。ローマが何故勝利していったのかがすこしずつ分かっていきます。
 それにしてもこれからさらにこのローマの物語は、第一次ポエニ戦争、ハンニバルとの戦い、ガリア戦争、カエサル……………と続くわけです。この「機廚呂泙世修梁莪貶發任△襪砲垢ないのです。著者は2006年まで毎年1冊ずつ書き下ろし、全部で15卷の大作になるといいます。
 それにしても、この著書を読んで、私はこの著者のすべての作品を読んでみたいと決意した次第です。(1992.07.07)

11050206 とにかく「もう全作品読んでみよう」かと思っている塩野七生の「男性改造講座」という作品です。

書 名 男たちへ−フツウの男をフツウでない男にするための五四章
著 者 塩野七生
発行所 文春文庫

 最初の「第一章頭の良い男について」というところで著者は、丸尾長顕の「女は結局のところ、頭の良いのが最高だ」という言い方に対して、

  女とあるところを男に換えれば、私なども常々思っていたこと
 と同じであった。

といっています。

  つまり、ここで言いたい「頭の良い男」とは、なにごとにも自
 らの頭で考え、それにもとずいて判断をくだし、ために偏見にと
 らわれず、なにかの主義主張にこり固まった人々に比べて柔軟性
 に富み、それでいて鋭く深い考察力を持つ男ということになる。
  なんのことはない、よく言われる自分自身の「哲学」を持って
 いる人ということになるのだが、哲学といったってなにもむずか
 しい学問を指すわけではなく、ものごとに対処する「姿勢(スタ
 イル)」を持っているかいなかの問題なのだ。だから、年齢にも
 関係なく、社会的地位や教育の高低にも関係なく、持つ人と持た
 ない人とのちがいしか存在しない。
             (「第一章 頭の良い男について」)

 この頭の良い男の例として和田勉が向田邦子と丹波哲郎との「舌戦」を書いた場面が紹介されています。どうみても、丹波哲郎の優れた資質、優れた「頭の良さ」の前に、演出家も作家も少々分が悪いといったところです。著者は「頭の良い男、丹波哲郎に乾杯!」とまでいっています。
 しかしここで私が思ったのは、女である著者が男である丹波哲郎をこうした視点から評価しているというところなのです。そしてこうした視線は、この本の全般に現れてくるところのことなのです。
 私は「頭が良い」などというのはほめ言葉だとは思っていなかったのですが、「自分自身の哲学を持っているか」といわれると、なるほどまったくその通りだなと思ってしまいます。こうした視点から男を見ている女の視線があるとすれば、「おっとこれはまた真面目に生きなくちゃ」なんて思ってしまいました。 こうした著者の視線をつぶさに感じるわけですが、また同感だなと感じたところがいくつもありました。

  人前でさめざめと泣くことのできる男は、やはり少々ウサンく
 さい感じをまぬがれないのは、いたしかたないことである。悲し
 みに酔うのは、せいぜい馬鹿な女であってほしいものだ。
           (「第一二章 人前で泣く男について」)

 私も「さめざめ」という感じではないと思うのですが、よく泣く方だと思います。やっぱりウサンくさいかななんて思いましたが、いやまったく同じな思いをしたのは、以下の文です。

  ただし、ひとつだけ許される場合がある。それは、別れたいと
 告げた女に対し、ハラハラと涙を流しながら、留まってほしいと
 願う男の涙である。これは男と女が逆であっても同じだが、こう
 いう場合、涙を流すほうは、完全に自分の誇りもなにもかも捨て
 て対しているのだ。泣いて頼んでも結果が変わるという保証はな
 いのに、いやほとんどの場合は変わらないものなのだが、それで
 もあえて行うほうを選んだのである。そこには自己陶酔はかけら
 も存在しない。存在する余地がない。
  男と女の関係で「有終の美」を尊ぶならば、お互いにあっさり
 ときれいに別れるのよりも、どちらか一方が涙を流す別れである
 ような気がする。そして、こういう場合で流す男の涙は、男の涙
 の中では、唯一許されてしかるべき涙だと思う。
           (「第12章 人前で泣く男について」)

 確かに「お互いにあっさりときれいに別れる」なんてどうにも美しいとは思いません。こうした別れで流す涙なんて、男でも女でもいいものだなと私も思ってしまうのです。

 この本は全編著者のいうことにうなずいたり、笑ったりしてしまいます。あっさりいっていることでもおおいに納得してしまうところが多々あります。
「第30章 食べ方について」というところでの、アラン・ドロンへの評価にはまったく同感だと思ってしまいました。ダーバンの宣伝コマーシャル・フィルムでのドロンは、他の編では見事なできばえなのに、食事の編だけは感心できない、それは「彼は、いわゆるテーブルマナーとされることを、あまりにきちんと守りすぎたのだ」というところにあるといいます。「太陽がいっぱい」の下層階級からのし上がるようなドロンはいいのだが、それがどうしてあんな食事のシーンになってしまうのだというところでしょうか。演出の問題ではなく、ドロン自身の問題なのです。いっそダーバンの背広にソースでもかけてしまっても平気な顔したドロンであればいいのかなというところだと思うのです。

 また原則主義者の不幸について述べているところも面白かったものです。
 西欧では自由党の勢力はどこでも減退しているとのことです。

  自由党は、原則に忠実な男たちの集まりなのである。
  彼らはいちように、頭の良い男たちである。知的水準も高いし、
 生まれも慨して良いから、立居振舞いもジェントルマンそのもの
 だ。
  しかも、彼らの考えていることは、正しいのである。政策を聴
 いているかぎりは、なるほどとうなずくくらいに、正論の連続な
 のである。だが、それでいて、有権者の支持は得られない。得ら
 れはしても、少なすぎる。
  これは、この人たちの態度に問題があるのだ。彼らは、自分た
 ちは正しいことを主張していると信じているから、それが支持さ
 れないのは、有権者が悪いのだと思っている。正論を主張するこ
 とで、彼らにしてみれば、自分たちの責任は立派に果たしたこと
 になるのだ。だから、なにかの手段を通じて、それをわからせよ
 うとする行為を軽蔑する。なにしろ悪いのは、わからない有権者
 のほうなのだから、そうまでする必要を認めないのだ。
  まったく、これこそ原則主義者の典型である。
             (「第31章 不幸な男(その一)」)

 では我が日本ではどうして同じ自由という名をかぶせる自由民主党が三十年以上政権を維持しているのでしょうか。

 原則に忠実であろうとなど、まったく考えなかったからだ

というのです。思わずにやりとするところです。逆にまた、西欧における自由党の「自分たちは正しいことを主張していると信じているから、それが支持されないのは、有権者が悪い」という姿勢は日本でいえば数々の市民主義勢力であるように思います。西欧の自由党同様、いつまでも大衆の無知こそがいけないのだと怒り続けるのでしょうか。「自民党もいけないけれど、それに投票している大衆もいけない」などといったって、まだ君たちよりは自民党とやらに投票する大衆のほうがずっとましなのですよ。それが判らないかぎり、西欧の自由党と同じ様に「将来はないと断言できる」。
 またこの著者の本は読み続けたいと思います。

 ただちょっと近頃気になるのですが、現在の日本の不況のこととか、政治情況のこととかについての著者のインタビュー記事などをよく見かけるのですが、できたら慎重に文章でやって欲しいな。ローマの歴史が今の日本の参考になるのだというのなら、著者がいつもやるように緻密に論じていただきたい。私はそうすればきっと読み込める論を展開してくれるように思うのです。(1998.11.01)

題  名 21世紀の100人 塩野七生
    「文明の運命」を現代に問い15年かけローマ史に挑戦
著  者 井尻千男=日本経済新聞編集委員
掲載誌 日経ビジネス9月7日号86〜88ページ

11050107 塩野七生の作品を読むと、これはいったい小説なのだろうか、歴史なのだろうかと思ってしまう。それに「レパントの海戦」などというのを読むと、なんだこれはいったい、なにか知識をひけらかしたいのかなどと思ってしまった。それが「ローマ人の物語機廚鯑匹鵑如△い笋海譴楼磴Δ召隼廚せ呂瓩拭
 日経ビジネスではこの「ローマ人の物語」が7月7日刊行ということから、彼女を取り上げたものである。この日は彼女の誕生日であるという。これから毎年7月7日に2006年まで15年かけて、この「ローマ人の物語」を書き上げるということだ。これは大変なことである。結果として15年かかった、いや20年かかったという作品はいくらでもあるだろう。でもこれから15年やり続けると宣言することは、ちょっとなんという決意だろうかと感心してしまうだけである。
 しかもこの本がかなり売れているという。こんなに彼女のファンがいるわけないのだから、これは驚くべきことだなと思う。この現在の世紀末がローマの盛衰と同じ雰囲気をもっているというのだろうか。
 この紹介文を読んで、先に書いた「レパントの海戦」も、「コンスタンティノープルの陥落」「ロードス島攻防記」と連なる3部作であるという。私は耻いってしまった。他の2つも読んでまた論評すべきだろう。
 また今私が読んでいる「海の都の物語−ヴェネツィア共和国の一千年−」とい作品も大変に読み応えのある語り口である。私はこの本を電車の中だけで読むことにしているので、まだまだ読み終わるには時間がかかりそうだが、いやはや随分と私も地中海世界に詳しくなれました。
 私は何故この人はイタリアに生活しているのだろうと疑問であった。「戦後民主主義と60年安保抜きに語ることはできない」というところを読んで、それは氷解したつもりである。

  特にこの世代は大学生の時に60年安保闘争という騒動の中核
  になる。そしてこの事件を、それぞれの方法で総括しないことに
  は表現者になりえなかった。塩野の場合は、イタリアへ渡って総
  括した。日本とイタリアの距離は遠く、それ故にその総括は苛烈
  なものになった。60年安保どころか戦後的ヒューマニズムも近
  代もまるごと総括してしまったようである。

 そして塩野七生の特徴は、キリスト教に踏み込まなかったことである。そうすると必然的にキリスト教以前の古代ローマへ行き着くことになる。

  彼女が15年後に、ローマ帝国の滅亡とキリスト教の関係をど
  う描くか、それは彼女に課せられた最大の宿命だろう。

 まさしく、ここは私も大変興味深いところである。それを塩野七生が描くとき、私は59歳になっているわけなのだなと思う。それまでに私も過去を何らかの形で総括しなければならないのだろう。

  ところで、長い間フィレンツェに住んでいた塩野は、近々ロー
  マに引っ越すという。「ローマ」へ行くたびに地霊のようなもの
  を感じる」という彼女は、今度は歴史を飾った男たちを呼び出し
  て、あの遺跡だらけの街をゆっくりとこころゆくまで散歩するこ
  とだろう。

 たしかに彼女はこれで、ルネサンスの世界から古代ローマの世界に移り住み、あの時代を自由に歩き回るのだろう。そんな彼女を想像するとき、私はとても嬉しくなるのです。(1998.11.01)

11042908 ヴェネツィアといったら、私たちはいったい何を思い出すでしょうか。私だとシェークスピア「ヴェニスの商人」、トーマス・マン「ヴェニスに死す」というところでしょう。考えてみれば、この二つの作品から思い浮かぶのは、ヴェネツィアが商業の都であり、「水の都」と呼ばれる都市国家であるということだと思います。このヴェネツィアが紀元452年に誕生してから、1797年ナポレオンによって、フランスとオーストリアに分割されるまでの歴史を描いたのが、この物語です。

書 名 海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年
著 者 塩野七生
発行所 中公文庫

 西ローマ帝国末期、たくさんの蛮族の侵入をうけていたイタリア北東部の人々は、もっとも凶暴なフン王アッティラが押し寄せてきたとき、もうどこへ逃れようもなかった。天に祈ったとき、神の声がきこえる。

  海の方角を見よ。おまえたちの見る地が、これからのおまえた
 ちの住家になる

 その方角には葦が一面に繁っている干潟がありましあた。そこへ逃げたとき、人々は何もかも失ったわけですが、とにかく命だけは助かりました。大変に狭く魚しかいないところだったのですが、ここが彼等の都となるわけです。
 ここでの神は、キリスト教の神というより、ギリシアローマの神々、たとえばアキレウスの母テティス(勿論正確にはテティスは神ではないが)のような気が私にはしてしまいます。ヴェネツィアの歴史を見るとき、キリスト教でなく、地中海の優しさがこの国にあらゆるものをもたらしたように私のは思えるてならないのです。

  おまえと結婚する、海よ。永遠におまえがわたしのものである
 ように…

 海とそしてヴェネツィア人の努力がこの国をつくったのです。

  航海することによって、豊になる道が二つある。
  一つは、交易に従事することであり、他の一つは、海賊を業と
 することである。
  生まれたばかりの海洋国家ヴェネツィア共和国は、第一の道を
 とる。となれば、彼らの最初の対決の相手が、、ヴェネツィア商
 船の航行をおびやかす海賊となるのは当然だ。

 思えば、ヴェネツィアの歴史はこの海賊との戦いだったといえるのかと思います。宿命的な地中海をめぐるトルコとの戦いも、その戦いの相手は海賊でした。いや相手は海賊と交易を区別できていたとはいえないのです。それが明確だったのはヴェネツィアだけでした。
  あの悪名高い第4回十字軍の記述、ライバルであるジュノヴァとの120年以上続く戦争など興味深く読んでいけます。そしてその中から、ヴェネツィアの姿勢を次第に感じとることができていきます。 

 そして「ヴェニスの商人」という章では、まさしく「ああ、このヴェネツィアでこそ複式簿記が生まれたのだな」ということが確認できました。経営と資本の分離という形の萌芽がここで生まれたのだと思うのです。また一つの経営(この場合は航海上の交易ということ)に何人もの資本家が参加するということも、ここで生まれたのだでしょう。貸借対照表で、資本金が負債の部になることをよく理解できない人がいます。かなりいい会計学の本を出している公認会計士の先生が、このことを説明するのにかなり苦労していたのを私は思い出します。このヴェネツィアで考えれば簡単なのです。金を持たなくても(無資本ということ)、海に出ようという航海者(経営者)は、資本という形の借金を負って事業を始めたわけです。

 またヴェネツィアの特徴として大きいのは、ローマ法王庁からのかなりな自由の確立ということでしょう。イエスの「皇帝(カエサル)のものは皇帝に、神のものは神に」という言葉は、皇帝権と法王権の争いの中ではなんら生かされていませんでした。その中にあって、ヴェネツィアだけはこのイエスの言葉を体現した存在といえるのではないでしょうか。政治的にも、経済的にも、そして文化的にもそうでした。法王庁が禁書としたあらゆるものの出版がここでは許されていました。たぶんここのところが、塩野七生が一番このヴェネツィアを気に入っているところなのではないでしょうか。彼女はキリスト教世界から一歩距離をおいた存在としての世界だからこそ、これだけ興味深く書いていけるのだろうと思います。

 しかし、ヴェネツィアは干潟に浮かんだちいさな都市国家だけに、巨大な国との戦いには苦労していきます。宿敵トルコとの戦いの中で、あの有名なレパントの海戦に勝利したとしても、逆にトルコの側から言わせれば、たいした敗北ではないのです。地上戦で敗れて領土を奪われたわけでもなんでもないのですから。そしてその相手は、トルコだけでなく、スペインであり、フランスにもなるわけです。そして最後にヴェネツィアの息をとめるのは、フランス革命の申し子である、若きナポレオンでした。

 ゲーテがあれほど南の国イタリアに憧れているのが、それがこのヴェネツィアがあたるのだと思います。勿論ローマもそうなのでしょうが、「イタリア紀行」にたくさん書かれているヴェネツィアを思うと、ゲーテの「ウィルヘルム・マイステル」の「君知るやかの国」ではじまるミニヨンの詩は、この都市を書いたものではないのかと思ったものでした。(1998.11.01)

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 私が 塩野七生「『古代ローマ』こそ帝国」を書いたときに、次のように書きました。

(ええと、私の書評を参照にしたいのですが、どうしてか私の将門Webが今開かないのだ)。

でも、もう回復したので、この前の文章に付け加えようかな、と思いましたが、もう時間が経っていますから、また別に書きます。
 私の 周の書評(塩野七生篇)

   http://shomon.net/books/nanami2.htm#roma2  ハンニバル戦記

に私が書いている内容です。実に私はこの塩野さんの描くハンニバルが好きです。

 私は実にこのハンニバルが好きなのです。だがプルタルコスの「対比列伝」(「プルターク英雄伝」として岩波文庫にあります)には、このハンニバルの列伝はありません。ハンニバルがプルタルコスの描くローマの英雄ではなく、ローマの敵であるカルタゴの将軍だからです。でもプルタルコスは、このハンニバルと戦い破れた将軍たちの列伝の中で、このハンニバルのことをたくさん書いています。
 そして間違いなく、プルタルコスもまたハンニバルのことが好きだったのだと思われます。

 実にプルタルコスはハンニバルと闘った将軍たちの列伝の中で、ローマの敵でありながらも、傑出した英雄であるこのハンニバルのことを生き生きと書いているように思います。だれしもが、このローマ最大の敵であった英雄のことは、何故か好きになるようです。

と私は書いていますが、実にハンニバルのことは、こうした人が歴史上いたことが実に嬉しいことであるわけです。私は人間として生まれてきたことは、こういう人を知ることができた。そしてそれはプルタルコスだけではなく、この塩野七生さんの、この「ローマ人の歴史」を読んでいても大きく感じるところです。

 読者の誰もが、このカルタゴの兵士たちと同じように、このハンニバルをゆっくりと眠らせるために音を立てないでいたいと思うに違いありません。

 この思いは誰も同じに思うのではないかな。私もまた今つよく思いました。
 そしてそうした私の思いを、再び確認させてくれた塩野七生に感謝します。

 思い出せば、私は岩波文庫の「プルターク英雄伝」を読んでいたのは、横浜で高校2年生のときに、週3回、京浜急行の日ノ出町の「山手英学院」という予備校に夜通っていたとき、読んでいたものでした。そのときは、私は独りで通っていましたから、英雄伝の中に列伝を設けていられないハンニバルのことを、いつも行間から想像していたものでした。

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 塩野七生が「ローマ人の物語」を完成終了させました。
 このときに、日経新聞の13日夕刊の最終面に、このことを書いています。大変に印象の残る文で、私は実に感激したのですが、その紙面がどこかへ行ってしまい、「あれ、間違って棄ててしまったのか」と大変な思いであちこち探し続けました。
 ようやく見つけました。やはり、私自身がちゃんと置いていました。だが、私自身が見つけにくいところにありました。

 それで、これは全文引用したい文章です。でもそうもいきませんので、以下とくに私が印象に残るところです。

『ローマ人の物語』を書いたのはハリウッド映画の惨酷で退廃的なローマ像に疑いをもったからです。私たちは学校でギリシャ文明を模倣したのがローマだと教わった。しかし三百年しかギリシァがもたなかったのに、知力で劣るローマがなぜ千二百年も持ちこたえたのか。私はいつでもそうかしらと疑うのです。素直にはなれないのです。

 これは私も同じ思いでいたものでした。教わる歴史の上では、絶えず優秀なギリシアと、退廃的なローマ人の歴史を聞かされてきたものでした。
 私は大学で、西洋史の小貫徹先生(この方には、私の芝浦工大事件での情状証人にもなっていただいたものでした)に、講義の中で質問をしたものでした。
 私は次のように聞き、話しました。

 ギリシアは分裂した都市国家でしかなく、マケドニアにすら支配されてしまい、最終的にはローマ帝国に飲み込まれてしまう。でもどうしてもギリシアを支配したはずのローマでも逆にギリシアにこそ飲まれてしまった印象を持ってしまう。こうした印象を日本人すら持ってしまう。これは何だということなのだろうか。私も、どうしてもローマではなく、ギリシアのほうが好きになってしまう。………………これはどういうことなのか。

 先生の応えは、よく覚えていないが、私と同じような印象をどうしてもギリシアとローマには持ってしまうというようなことを言われました。
 私は例として、ギリシアだと、アテナイにおいて、ソクラテスとプラトンが会話している様を想像するが、ローマだと、手首を切ってローマ風呂が血に染まっていく姿しか想像できないともいいました(これはタキトゥス「年代記」の印象。私は東大闘争での府中での勾留中に、この本を読んでいました)。

 だがだが、先生も私もそこで、でもこの私たちの抱くギリシアの像も、それはやはりローマがあったからこそなのだというところを話しました。ローマが永遠と言われるのも、そういうところなのでしょう。
 そして、私にはやはりタキトゥスの描くローマは実に偏った印象でしかないと思うのです。

 象を連れたアルプス越えなどの、ナポレオンと並ぶ名将にローマ軍が勝てたのか。日本人として興味がわくところですね。ハンニバルはローマに連戦連勝しながら、結局、息の根を止められなかった。ハンニバルが期待したようにはローマの同盟国が離反しなかった。柔軟なローマは次第にハンニバルの戦術を自分のものとしていった。

 私も小学生のときから、このアルプス越えをしたハンニバルが好きでした。そしてこの塩野さんの「ハンニバル戦記」も好きです。
 でも、この塩野さんの書かれたハンニバルのことを読んで、私もハンニバルの物語に、涙を流しながらも、「結局はローマが偉大だったんだなあ」ということを強く感じていたものでした(ええと、私の書評を参照にしたいのですが、どうしてか私の将門Webが今開かないのだ)。

 現実的で開放的なローマ人は、何であろうと神にしてしまい、征服した民族が信じていた神まで自分たちの神々に加えました。征服した属領を友好国にし、英才を登用し、属州出身の皇帝までを輩出した。ほかの民族にもチャンスを与えたのです。いざとなればローマ市民でつくる軍団が出陣して広大なローマに領土を守った。これがローマの「パクト・ロマーネ」であって、共同共栄の精神による他民族の運命共同体だった。

 ギリシア神話とローマ神話とは違う神々のはずだったのに、ゼウスもユーピテルも同じ神というか、むしろゼウスの性格そのものが、このローマ=ギリシアの神のようです。
 そして、実はキリスト教こそはローマが存在したからこそできあがったものだと私は思っています。

 そうしたことを、すべて私に再確認し、教えてくれたのは、この「ローマ人の物語」です。

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 塩野七生は、私が昔から注目してきた作家でした。たしか最初に読みましたのが「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」でした。その後数々の作品を読んできましたが、私はいつも「この人の書いているのは、歴史なのかな小説なのかな?」と考えていたものです。また大学の親しい西洋史の先生(古典古代が専門の方でした)にも聞いたものでした。その先生も「さて、どちらと言えるのかな?」という返事でした。
 ずっと読んできたのですが、やはり圧巻は1992年から15年かけて書いていくという「ローマ人の歴史」の刊行でしょうか。
 私には、古代ギリシアに関しては、かなり親近観もあり、かつ好きでしたが、ローマに関しては、どうにもなじめない思いがしていたものです。
 私はローマというと、不倫と近親相姦の図が浮かんできてしまうのです。そして、なんとかローマを改革しようとする正義の人は、いつもローマ風呂で手首を切り自殺せざるを得ません。そのローマ風呂のお湯に次第に染み渡る赤い血が、ローマそのもののような気がしていました。
 でもこれは、私は、タキトゥスのおかげだと判りました。彼の「年代記」を読みますと、そうしたことばかりがローマの歴史のような気になってしまいます。そして私はタキトゥスこそが偉大なる歴史家だと思い込んでいるところがありました。
 そんな私には、塩野さんの「ローマ人の歴史」は、もう天地が一変するくらいの衝撃を与えてくれたものです。そして私は「そうだな、これこそがローマの本当の姿なんだろうな」と思わせてくれたのです。
 私も小学生のときに「プルターク英雄伝」を読んだときから、ユリウス・カエサルが好きでした。そのカエサルが私の中でも今も生き生きと活躍しています。私はいつもこんなシーンを夢想するのです。

 ローマ人より背が頭高い金髪のゲルマン人たちが、叫び声をあげてローマ人たちに襲いかかります。だがローマ人たちは、方陣を組んで絶対に崩れない。方陣の一番外側にいる兵士がゲルマン人の投げ槍で倒れると、次の兵士がそこを埋めて並んでいく。百人隊長が声をからしている。

 ローマの誇りを忘れるな。我々が勝利するのだ!

 兵士たちは、朝食をまだ摂っていないときに襲ってきたゲルマン人にたいして、非常に怒っている。できたらすぐにでも立ち上がってゲルマンの軍団に向かって行きたい気持に誰もがなっている。でもそれは命令があってからだ。
 各方陣の間を予備隊を率いた指揮官が馬で走りながら、各方陣を励ましている。その指揮官が叫んでいる。

 ローマ人たることを忘れるな。俺たちこそがローマを作るのだ。ローマこそ、我々が作る永遠の秩序なのだ。我々が永遠のローマを作るのだ。

 この指揮官こそが、もうすぐ50歳になろうというユリウス・カエサルです。

 こんな爽やかなローマのカエサル像を、私に与えてくれたのは、この塩野七生さんなのです。(2003.08.04)

   http://shomon.net/books/nanami.htm  周の書評(塩野七生篇)

 私は、自分で書いた上の文を読んで涙を浮かべてしまいました。この私が想像するローマ兵と指揮官のカエサルの姿と言葉に涙してしまうのです。
 塩野七生さんは、初代ローマ皇帝になったオクタヴィアヌスのことも魅力的に書いています。初老になっても美しい顔をしたアウグストゥスです。でもやっぱり、塩野さんもユリウス・カエサルにこそ惚れています。それがなんだかよく判ってしまう気がするのです。
 そうですね、塩野さんの好きなチェーザレ・ボルジアもまた私も惹かれてしまいます。塩野さんは、マキャベリも好きなんでしょうね。私もマキャベリを知った中学生のときから好きになりました。「君主論」「政略論」「戦術論」、みな私は大好きです。
 塩野さんの思いは、私の中学生の頃の思いと同じです。そして彼女はそれを、そのまま書いていきました。私はただただ無駄に年取っただけですが。
 ただ、「ローマ人の歴史」はずっと読んでいるのですが、私は最初の3巻まで自分の思いを書いているだけで、そのあとはやっていません。これは怠慢な自分を責めなければいけないところです。
 今後また書いてまいります。

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