10112809 私がある友人から、癌についての本を紹介されたときに、書いた文があります。

「93-10-26 00:45:26 がんのはなしの本 和」

 私の友人でも癌でなくなった人がいます。もうすぐ10回忌になるかと思いました。私と同級生の女性で、増見和江さんといいました。
 彼女の彼の増見さんは、埼玉大学の私の1年上の人で、二人とも活動家でした。彼女のお父さんが埼玉県警につとめていて、二人はそれと戦う側でした。夫である増見さんは最高裁までいった大きな裁判を長くやっていました。二人ともとても明るくて元気でした。よく私たちは仲よくつきあっていました。
 彼らは彼19歳、彼女18歳のときから同棲していました。それがやがて二人とも社会に出て、お互いに忙しく生きるようになると、子どもがいないこともあったのですが、なんだか擦れ違いがでてきました。二人からその悩みをきいたことがあります。
 ところが、彼女がこの癌で長期に入院せざるを得なくなったときに、彼は一緒に病院に入りました。一緒に毎日24時間いるようになって(彼は会社を経営していましたが、その期間はそのほかの取締役や社員が頑張って支えてくれました)、また夫婦の関係が戻ってきたといっていました。あれほど酒好きだった彼も、いっさい絶って彼女のすべての面倒をみたのです。彼女も自分の母親よりも、彼にすべてを任せていました。
 ああ、これが夫婦なんだよな、これがほんとうの家族の看護なんだよな、といつも感心したものです。彼には彼女の病がもうどうにもならないことを知っていましたが、もうとにかくひたすらそのことは彼女に隠し続けました。
 こうして入院するようになる前にまだ彼女が元気だったころ、銀座でたくさんの友人集めた大きなイベントをやりました。芸能人もよび、かつ彼は歌手になりたかったこともあり、元気でたのしく愉快な大イベントでした。私がすべて仕切ました。彼女のピアノで、彼が愉しく歌ってくれたのが一番思いだされます。あとで知ったのですが、もうこの時に彼は彼女の死を予想していて、こうしたお祭りさわぎが好きだった彼女のために、これを企画したのです。
 彼女は死の少し前の瞬間にはじめて自分の死を予想したようです。最後に涙を流したといっていました。たぶんだけど、その時の涙は、悲しいこともあったでしょうが、彼への夫婦としての感謝の気持でもあったと思います。
 彼女が亡くなったとき、私たちはお祭り好きだっ彼女のために、元気で大動員した葬式を組織しました。その後の納骨や3回忌等々でもいつも大勢の友人が集まります。当然私の詩吟もあります。これからもきっといつまでも。
  そんなことを思い出しました。(1993.10.31)