将門Web

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Tag:壺井栄

12040308 私はこの映画をいつ見たのだろうと思い出そうとするのですが、どうしても分からないのです。たぶん札幌の小学校の二年生のころ(昭和30年頃)見たものなのかなあ。
 壺井栄の原作は中学2年のときに、読みまして、再び映画を見たのは、50代のときでテレビで見たと思います。
 ただ私はずっと昔から高峰秀子のファンであり、その原点にはこの映画があったような気持になっています。12040306

題名  二十四の瞳
封切 1954年9月14日
監督 木下惠介
脚本 木下惠介
原作 壺井栄
製作 桑田良太郎
音楽 木下忠司
撮影 楠田浩之
美術 中村公彦
配給会社 松竹
キャスト
 大石先生 高峰秀子
  マスノ  月丘夢路
  松江 井川邦子
  早苗 小林トシ子
  磯吉 田村高広
  男先生 笠智衆
  大石先生の母 夏川静江
  男先生の妻 浦辺粂子
  よろずや 清川虹子
  飯屋のかみさん 浪花千栄子
  大石先生の夫 天本英世

 私は中学2年のときに、壺井栄の原作を新潮文庫で読んだものなのですが、内容はもともと知っていたものでした。おそらく小学校の低学年のときに、映画でこれを見ていた記憶がそういう思いになったものでしょう。
 ただし、私は壺井栄はご亭主の壺井繁治の印象があり、どうしても好きになれない思いでした。映画での大石先生はあんなに綺麗な高峰秀子なのに、原作者はどうにも私には好きになれない思いでした。ただし、このことは、私がよく分かっていなかったのです。でも私はその気持はずっと変わらないものでした。
 1987年に制作された田中裕子が大石先生を演じた朝間義隆監督の「二十四の瞳」も私は見ていますが、どうしても私はこの1954年のモノクロ映画のほうが心に残るのですね。
 私は今またどうしても、この映画のことを思い出すと、涙になってしまいます。おなご先生と呼ばれた大石先生が、生徒たち子どもが作った落とし穴に落ちてしまいます。このときに足を怪我した先生に子どもたちが会いに行くシーンで私はどれくらい涙を流したことでしょうか。今も私は涙だらけになっています。
 だが時代は日本はたくさんの戦争をしてしまった時代です。子どもたちの幾人かもこの戦争で大変なことになってしまいます。大石先生は、「泣きミソ先生」と呼ばれます。でも今の私だって、ただただ涙が溢れてしまうのです。大石先生の夫も戦争で戦死してしまうのです。
12040307 大石先生が、生徒たちに「名誉の戦死などするな、必ず生きて帰れ」と声を潜めて伝えます。
 ここに載せた写真はその大石先生と生徒たち24人です。
 大石先生が「泣きミソ先生」になるのも、私が涙を流してしまうのも同じです。私はどうにか父が帰ってきたから、こうしてこの世に生まれたのです。そのことをいつもいつも思うものです。
 私はどうしても原作の壺井栄の作品よりも、どうしてもこの映画を思い浮かべ、涙になってしまうのです。

11032911 この小説を読んだのは中2の5月の時でした。そのときにも随分いい話だなあ、と思ったものです。泣ける話でした。
  この作家は、1899年8月5日〜1967年6月23日の生涯でした。たしか私は50代になってから、高峰秀子主演木下惠介監督の1954年制作の『二十四の瞳』をテレビ放送で見ました。
  でもこれも私には、何度目かのことだったのかもしれません。もう泣けて仕方なかったものです。私は昔から高峰秀子のファンですが、この映画は実にいいです。彼女の役の先生が泣きみそ先生になるところは、今も私は思い出すだけで涙を流してしまいます。思い出せば思い出すほど泣いてしまう私です。
 いや、いつも映画でなくても小説でも泣いてしまう私です。ただし私はあの小説を今まで正確に全編を通しては2度しか読んでいないのですね。
 教員っていい仕事だなあ、と思ったものです。私も教員になってみたいと思ったものでした。
 ただし、私はこの壺井栄のご亭主は、どうしても好きになれない方です。仕方のないことかなあ。 私のように学生運動、革命運動をやったものには、どうしても当たり前のように訪れることでした。本来はこの作品とは関係ないことなのに、どうしても思ってしまうことなのです。(2011.03.29)

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