将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:夏本紀

12111408 私は以前に、周の文学哲学歴史話に以下のことを書きました。

  夏の桀王の愛した女、末喜

 これは私があるサイトに書いたものでした。それをあとで私のブログにもUPしたものです。そこには、以下のように書きました。

17代の最後の帝が桀(けつ)王という帝でした。この傑が、山東半島の有施氏を討ったときに、この有施氏から献上されたとされる美女がこの末喜(ばっき)でした。彼女は絹を裂く音を好んだために、多くの絹が集められました。また彼女のために祝宴では池に酒を満たして樹々に肉を吊るすことが行われ、もはや傑王は政治をまともにやりませんでした。
 ために、商(殷)の湯王に桀王は滅ぼされます。南方に末喜と逃げて、そこで二人とも亡くなったと言われています。

 この美女を喜ばせるために帝である傑が酒池肉林をしたり、高価な絹を引き裂いたというのは、後代の殷の紂王の妃妲己(だっき)や、西周の幽王の妃褒じ(ほうじ)のエピソードと同じです。
 おそらく、それら後期の出来事をここでも引用したのだと思われます。ただし、司馬遷はこの末喜のことは記していません。

12111209 夏(か)という国は歴代の帝は以下の通りです。以下は諱(いみな)です。この諱については、グーグルでは以下のようにあります。

漢字文化圏では、諱で呼びかけることは親や主君などのみに許され、それ以外の人間が名で呼びかけることは極めて無礼であると考えられた。これはある人物の本名はその人物の霊的な人格と強く結びついたものであり、その名を口にするとその霊的人格を支配することができると考えられたためである。このような慣習は「実名敬避俗(じつめいけいひぞく)」と呼ばれた。12111210

 以下歴代の帝です。ただし、司馬遷は明確に書いていません。夏本紀は禹の話が大部分です。

 禹
 啓
 太康(これは諱ではなく、諡(し、おくりな)である。あとで書いています)
  中康(これも諡です。太康の弟)
 相(しょう)
 無王時代(実に40年続いたといわれます)
 少康(これも諡です。中康の子)
 予(よ)
 槐(かい)
 芒(ぼう)
 泄(せつ)
 不降(ふこう)
 ケイ(泄の子で、不降の弟)
 キン(きん、不降の子)
 孔甲(こうこう、これは諡、キンの従兄弟)
 皐(こう)
 発(はつ、皐の子)
 桀(けつ)

諡(し、おくりな)、あるいは諡号(しごう)は、主に帝王・相国などの貴人の死後に奉る、生前の事績への評価に基づく名のことである。「諡」の訓読み「おくりな」は「贈り名」を意味する。

 最後桀王で、この夏は滅びます。この桀王で「夏桀殷紂(かけついんちゅう)」の暴君の話になります。「酒池肉林(しゅちにくりん)」の話が出てくるのです。
12111211 ただ、この2啓代目啓は優れた人物で、最初禹も堯や舜に習って禅譲を考えたものなのでしょうが、この啓が優れた人物であり、この時から夏という帝国(まだ王国と言っていいかな)が続くことになります。

12111113  前には実在はされていないとされていた夏です。その初代の帝がこの禹です。
 この禹の父は、鯀(こん)で、その父親が五帝の2代目のセンギョクになります。
 この鯀は字に魚辺がついているように、神話では魚の鯉になっています。私はその魚の絵の鯀を見たことはあります。そして禹は熊であったとも言われます。
 そうした神話が嫌いだったろう司馬遷は、父親の鯀は堯の時代のある行政官になっています。この時代に大きな洪水で人間は苦しんでいました。それを治めるように言われるのですが、9年経っても水は引きませんでした。
 そこで困った堯は、困りましたが、舜がこの鯀を流罪にして、その鯀の息子の禹を登用しました。
 禹は懸命に働きまして、この洪水を治めます。ただし、ものすごい時間がかかりました。そのときは禹は熊の姿になって必死に働いたということです。
 ただし、神話が嫌いだった司馬遷はそのようには書いていません。禹はあくまで父がなしえなかったことを必死になって実現しようとしている息子なのです。
 この時の禹の苦労を実に司馬遷は丁寧に書いてあります。実に「五帝本紀」よりもこの禹の記述が長く書いてあります。
 舜は、自分の息子商均(しょうきん)ではなく、この禹に帝を禅譲します。商均ではだめだったとしかいえないのです。
 ただこの禹の子であった啓は優秀だったので、位につきます。
 これで、前の五帝の時代とは違って、中国は「夏」という国が続くのです。
 この禹に関して、最後に司馬遷は言っています。禹を葬むったところを「会稽と名づけた。会稽は会計で、諸侯の功を計ったからだという。」

12111017  中国という国の歴史を思うと、いつも「この時は我が日本はどうだったのかなあ?」とか「この時のヨーロッパは何だったのかなあ?」とか「この時にインドにはアーリア人が入った頃なんだ」なんて思っています。中国は比較的に歴史がはっきり残っていて、その記録が明らかだからと思うのです。そしてそれは、『この「司馬遷『史記』」のおかげでなんだなあ』と思わざるをえません。
 昔は、この夏(か)という国は伝説でしかなくて、実在はしていないといわれました。でもこの夏のあとの国の殷も昔には存在しないといわれていました。だが殷の存在は明らかになり、そして現在では、その殷の前の夏の存在も事実だといわれています。
 まさしくこの夏の存在こそ、中国が偉大だといわれることなんだなあ、と私は思っています。そしてそれには「司馬遷『史記』」が欠かせないものです。
 そしてその夏の初代の帝である禹の存在こそが「神話から人間の世界」に変わった大きな存在であったと私は思っています。

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