将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:夢の中

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 今年5月の私の睡眠時間です。また今朝も夢の中で活躍していたようです。いつもなんだか判らない夢です。ちゃんと記録すればいいと思うのですが、でもすぐに忘れてしまいます。

 睡眠時間      仮眠

31  21:40〜02:05 05:30〜06:30
30  21:30〜04:55
29 21:30〜01:15
28 00:00〜05:30
27 22:00〜04:00
26 22:00〜04:25
25  22:30〜06:05
24 22:10〜04:05
23 01:30〜06:35
22 22:10〜05:20
21 22:20〜06:20
20 22:30〜05:55 13:20〜14:30
19  22:20〜04:35
18 22:40〜05:10
17 22:30〜04:45
16 22:00〜03:50
15 23:00〜04:45
14 22:30〜04:05
13 02:30〜04:30
12 23:00〜04:40
11 21:20〜03:30
10 20:45〜05:05
09 22:40〜04:40
08 22:30〜05:15
07 21:40〜03:15
06  23:30〜03:15
05 01:50〜03:50 10:00〜12:40 
04 23:15〜01:35
03 22:35〜05:55
02 22:30〜04:10
01 22:00〜03:15

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 買物に行きましたり、いろいろです。

2009/03/12 08:18朝の「だんだん」を見ています。このめぐみたちのおばあちゃんの抗ガン剤のことで、私の親友であった堀雅裕さんも抗ガン剤を飲んでいたことを思い出しました。でも、彼はそのうちにこの薬を飲むのを止めてしまったものでした。
 彼はその後交通事故で亡くなったわけでしたが、もうそのときから、年月が経ちましたね。もう彼は私の夢の中にも出てきてくれません。
 もうただただ年月だけが過ぎ去りますね。

2009/03/13 08:13また「だんだん」の時間です。いつもこのドラマを見ています。いや、昔からこの朝ドラは見てきていましたね。サラリーマンをやっていたときは見ていないかな。あ、さらに昔はテレビが下宿にはありませんでしたね。
 でも、このドラマはいいですね。でも、今もどうしても涙が浮かんでしまいます。私の母も大変でした。でも義姉がよく看ていてくれました。私はいつも感謝していました。今も感謝しています。
 今の私は妻の母、義母のすぐそばに居るわけです。この義母を大切に大事にしていこうとばかり思っています。
 やはりこのドラマは見ているのが辛いです。
 抗ガン剤治療というのは実に本人が大変なのですね。堀雅裕が途中で止めてしまったものでした。彼は若いときはミュージシャンでしたから、ギターを華麗に弾いていたものでしたが、そののちは指が昔のように動かなくなっていました。そんなときのことをいくつも思い出します。
2009/03/13 12:43もうけっこう午前中もあちこち走り回りました。もう桜が咲いているところがありますよ。
 それにある本をずっと読んでいました。あ、サミットストアにラップ等を持っていきました。
2009/03/13 12:52来週になれば、少し余裕ができるかなあ、なんて思っています。

 私の義母がときどき電気のコードを抜いてしまうことがあり、大変なことになります。もうスイッチを切るわけではなく、コードを抜いてしまうので、非常にやっかいです。もうどうやって防ごうかなあ?

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 私は毎日夢を見ています。そしていつも、かなり驚くような夢の内容なので、ここで書いておこうと思いながら、いつもそれが果たせていません。朝起きたときに、その内容を少しでも書き出しますと、だんだんその記憶が鮮明になってくるわけですが、書かないと、その記憶はやがて忘れ果ててしまいます。
 さきほどまで見ていたのは、東京のあるところ(たしか港区か品川区だったような)の大きな古いビルに、私の小学校6年(名古屋北区の大曽根小学校に行っていました)のときの友人のW君が中心になって、大勢の若者がインターネットに関する何かをやっているビルでした。
 ただ、それをやっている若者たちは、パソコンもインターネットもさほどうまく使えるわけではありません。でも懸命にやっています。
 私もすぐにパソコンに向かいましたが、そもそも、その若者たちのやっていることは、本来このままだと何もならない、何もできないことと同じだということに気がつきます。
 でもそれをW君に伝えようとするのですが、W君はそのことを言葉に出さないでくれと私に目で伝えます。おそらく、これだけの若者たち(みな多くは不登校の若者たちのようです)を支えていくのには、こうしてパソコンで何かを作っていくという作業が大事なのでしょう。

 ただ私は、ここのたくさんの若者たちといくつか会話しただけではありません。やがて、そこにある女性がいることに気がつきます。その女性は、私が鹿児島の甲東中学2年のときから好きだったLです。
 彼女のことはずっと好きでしたが、鶴丸高校から横浜の高校に転校して、3年のときに修学旅行で九州に出かけて、鹿児島で彼女と会う約束を私はとりつけました。でも当日約束の場所に彼女は現れませんでした。このことは、私には現実の世界で大変なショックのことでした。
 でも、このことを、このとき何故彼女が私との約束の場に来れなかったのか、この夢の中で彼女は謝ってくれました。その理由は、実に大変に悲しいことがあったのです。でもとにかくみな夢の中で彼女が語ることです。そして現実の世界では、もう41年前の話です。
 実際に、あの41年前に何があったのかは、もう判らないことになってしまいましたが、夢の中で、「なんだ、そんなことがあったのか」とその辛い事実に悲しくなっていた私です。
 そして実に長い夢でした。ただ、この彼女の顔は今も鮮明に思い出されます。
 ただし、何もかもが夢の中での話です。

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07022303 今朝私は夢の中で目を覚ましました。ちょうど目が醒めたのが朝7時20分でした。

 私は夢の中で高校3年生で、私は転校してきたばかりです。そして私は下宿しています。そして転校してきたばかりのときに、ちょうど大学入試の模擬試験がありまして、私はその結果が判ったばかりのときのようです。
 私は転校してきたばかりで、試験があまり出来なかったなという思いで、少し悔しい思いでいます。下宿先のおばさんが、「どうだった?」と聞いてきます。そのおばさんは昔私が実によく知っていた方です。

 私は少し肩を落として、結果の報告用紙に目を落としながら、「ええと、ダメでしたよ。全校で8番でした」といいます。「ああ、そうなの。転校してきたばかりで大変だったのにねえ」と言ってくれます。私は、「でも、こんな番じゃなあ」という思いで、少々自分に情けなく思っています。「いいのよ、でもうちの子は7番だったの」と言ってくれます。
 そこの家にも同じ高校の同級生がいるのです。とても美人の女の子です。私はそのおばさんの声で、すぐにその子の顔を思い浮かべました。セーラー服のよく似合う綺麗な女の子です。
 私が転校してきたのは、その県でも成績優秀の高校なのです。でも今私は、「その県って、どこの県なんだ?」と自分に問いました。もちろん、今では判りません。1時間以上前の夢の中の話です。そして私はどこから転校してきて、そしてなんで下宿しているのでしょうか。
 さきほど起きてきたあとで、歯を磨きながら、「そういえば試験の8科目って、なんだ、社会科が世界史と日本史で、理科が……、あ俺は理科は生物だけだしなあ、国語が漢文もあって……なんて」考えて、もうその先を考えるのは止めました。
 でもあの下宿先の同級生の美人の子のことは、その顔姿を私が思い浮かべただけで、実際には夢の中では会っていません。会ったのは、そのお母さんだけです。

 私も現実の世界で、転校しました。鹿児島から横浜へです。先に横浜に来ていた両親が、転校先の高校を選んでくれていました。でもその高校でも編入試験は7人に一人で私が選ばれただけです。でもそのときに面接してくれた先生の聞いてきたことは今も覚えているなあ。

 夢の中での、あの綺麗な女の子に会うことはできないけれど、そして、それは当たり前ですが、今の私は、あのお母さんとまた少しのお喋りをしたい思いがします。
 そしてそして、夢の中のことでしたが、あのお母さんにはまた会える気がしています。

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世界という背理―小林秀雄と吉本隆明

 いつも義母は自分の母親のことを聴いてくる。ところが詳しく聴いていくと、どうもそれは自分の実親ではないようです。それはいつも夢の中で会っているようです。そちらでたくさんの方とお会いしているからかな、なんて思っています。(1/12)

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