将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:夢の中の日常

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 私がときどき書いております「夢の中の日常」なのですが、随分以前に、「それは島尾敏夫の作品じゃないの?」(この方はインターネットとかパソコンは全然やらない人です)といわれ、私は「島尾敏夫さんは『夢の中での日常』で、私のは『夢の中の日常』なのです」と答えたものです。
 私は私が見てしまう夢のことを書いているのです。ただ私は島尾敏夫さんの作品を読んで「私も自分の見る夢のことを書こう」と思ったことは間違いないことです。
まだ書いて行く気でおります。

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 今(2016年3月11日1時代)夢を見ていて、目覚めました。トイレに行きたくなり、それで目覚めたのですが、もう今さら眠っても、またあの夢を見ることは無理なので、こうしてこれを書いているわけです。
 私はものすごく綺麗ないくつものデザイン画(のようなデザイン)を見ている夢を見ていたのです。「ああ、このことを詳しく描こう」と思っても実際には無理なのですね。
 夢の中でもデジカメで撮ろうとしたのでしたが、撮っていられないうちに目覚めてしまいました。でも思い直せば、夢の中で撮っても仕方ないよなあ。そして自分の記憶からも消えてしまうのだから、困ってしまいます。
 私は夢の中でもう実に綺麗ないくつものデザイン画を見ていました。オールカラーの実に綺麗なデザインです。16030502
 もう午前2時を過ぎました。こうして、やがてどんどん私の記憶からもなくなっていくのだなあ。それを少しでも覚えておきたいから、これを書いていくのです。

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 12月1日は午前の部のときに見ていられなくて、昼に見たのですが、UPしているのを忘れていて、昼見たのですがUPしていられませんでした。今日の分をUPしたあと、また別にUPします。
 希はおかみなのだなあ。
 夢は大切だよなあ。私は実際に見る夢も好きです。私は「夢の中の日常」として書いています。
 この二人は、弥太郎と元治は、実は信頼仕切っているのだよなあ。
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 大変に苦労して単語登録をしました。パソコンは簡単なのですが、ポメラでは実に大変です。

2014/07/23 03:24私の部屋でずっとパソコンで将門Web内の「夢の中の日常」を読んでいました。私も随分夢を見ていたのですね。今も見ているのですが、目が覚めてからすぐに書かないと内容を忘れ果ててしまいますね。
2014/07/23 06:28どうしても中国製には頼り切りますね。このポメラも「MAIDE IN CHINA」です。
2014/07/23 17:45思えば、「MAIDE IN CHINA」ばかりですね。そしてこういうパソコン関連の機器はいいのですが、食料関連は信用できないなあ。
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「MAIDE IN CHINA」は「ちゃいな」で単語登録しました。いや半角のあきがどうしてもポメラで出せなかったのですが、パソコンではできまして、それでパソコン(これは簡単にできます)もポメラでも登録しました。
 今ポメラの単語登録で「半角のあき」ではない全角のあきの「MAIDE IN CHINA」を削除しました。

13110605 もう暗く寒い冬になるので、早めにおはぎの家に行くように思いました。ただし、私は鍵を持っていないので、玄関の外で座って待ってポメラやIS01を打っているしかありません。でも昨日は助かりました。

2013/11/06 16:43今おはぎの家に来ました。午後4時37分くらいに家の前に来たらばあばが来ました。私は鍵を持っていないから、家の前で座って待っているところでしたが、ポコ汰が早く帰ってきても、家の前にいてやろうと思ったからです。幸いばあばのおかげで私はこうして家の中に入ってこたつに座って、こうしてポメラを打っています。
2013/11/06 16:49昨日私が帰る少しまえにポポが少しいけない子になりましたが、あのあとどうだったかなあ。
2013/11/06 17:10たった今少し眠って(30秒くらいか)その間だ夢を見ました。不思儀だなあ。眠気は醒めてしまいました。夢の内容も覚えていましたが、書かないと忘れてしまうのですね。
 でももうポニョも帰って来て、ポコ汰も帰って来まして、ポポとばあばも来ました。
 もうすぐに孫たちはテレビでEテレを見ます。
2013/11/06 18:31もう私はこのポメラの操作もうわからないのです。今またミツ君に見てもらいました。いつもかな漢字入力が分からなくなるのです(どうしてかローマ字入力ではなくカナ入力になってしまうのです)。。
2013/11/06 18:39これで前も気がついたのですが、このEテレから「練鑑ブルース」が聞こえるのだよなあ。前も不思儀でしたが、今もものすごく不思儀です。「〜その名も高き 練馬区の 東京少年鑑別所」(もちろん、この歌は『可愛いスーチャン』の替え歌ですが)なんている歌が聞こえたら、…いいのかなあ。
13110606

 やっぱり書いておかないから、昨日見た夢は忘れています。夢は内容を書いておかないと駄目ですね。そして夢の中の日常に書いておかないと。

13070711 また堀雅裕さんの夢を見ていました。
 私は堀さんと会って話をしていました。彼はパソコンのことで、私に質問していました。私は少し面倒だなあと思いながらも、丁寧に答えていました。途中で妻に電話しないと分からないことがあり、夢の中でも電話で妻に頼み事をしていました。
 でもありありと思い出せる夢のはずなのですが、目が覚めてから、すぐに書かないと忘れてしまうものですね。
 このことを大きな反省として、これからはすぐに書くようにします。すぐに書けば、いくつものことが大きく甦ってくるはずです。

13042103 以下に書いたように、私が書こうとした夢の話は20日の朝0時頃も終わった夢です。あとで書いてみます。

2013/04/20 06:06夢の中の日常を書こうと思って、でもなかなか書き出せません。いや、いろいろと思うことがあるからです。ばあばが起きてきたら話して見るかなあ。
 いやいろんな思いになりますね。
2013/04/20 07:51今またテレビを見ています。NHKテレビで今流鏑馬を見ていますが(ここは浅草です)、大昔早稲田の甘泉園の上で見たものです。あの場をよく馬が走ったよな。1969年か70年のことでした。
 もういっぱいのことを思い出しましたよ。懐かしいな、少し悲しいな。
2013/04/20 12:06今リビングへ来ました。13042102
2013/04/20 19:19一日1万歩を超えることを目指してきたわけですが、今日はおはぎの家に行かないので、今は5、901歩です。いや、今外を傘さして歩いたのですが、こんなものです。雨でけっこう寒くて、これだけでした。

 甘泉園が「甘泉」が漢字熟語で出てこないで困りました。もう単語登録しました。これは私は早稲田の甘泉園ですで書いています。懐かしいばかりの公園です。都電の面影橋駅のすぐそばです。ここが地図です。13042101

13012615 私は、夢の中の日常「わずか一分くらいの間に」に書きましたように、バスがどこかに着く頃を書き終わったときに、ちょうど1分くらい目をつぶって夢を見ていました。
  私はまだ30代前半の年代です。ちょうど6歳くらい年下の男の子が質問してきます。

「住宅展示場」の役割とは何か? いや単純にどううまく展開していけるように、各メーカーを指導していくべきなんか?

というような質問です。
 私は「ちょっと面倒だな。何で俺がそんなことに答えるのだ」と思いながら、口からはすぐに次が出てきます。

 各人たちが、どういうような自分の家を持ちたいのか、それを実際に各メーカーの家を見せながら、話して行き、かつその意思に沿った家を実際に作れるようなやり方を示して行く

 相手は、ボールペンでメモを取っています。さらに私が続けて喋り続けようとするときに、目が覚めました。

X12122120 長春有情に、このUPがありました。

ふしぎな夢だった  2012/12/24 3:46 [ No.31357 / 31366 ]
一つは友人たちの夢
もう一つは前職場の夢

 私はここで、夢の中の日常を書いています。でもこの頃は書いていないというか、そもそも前のようには夢をみないのですね。いや見ているのですが、前のように明確に覚えていないのです。
 これは大変に悔しい思いです。
 また前のように夢をいくつも見て行きたいです。そしてそれを書いて行きます。

12111406 私は、「純と愛」2012.11.14を私のブログにUPしたあと、少しの間目をつぶりました。そのときに、多分一分くらいの間でしょうけれど、夢を見ました。
 私の前には二人の男の子がいて、懸命に何かを書いています。私は話かけました。二人はどこの大学の学生なのかということです。私のそばから、東大と埼大の学生だといいます。それで私は自分も埼大だと言って、「どうしているの?」と聞きました。少し私が話しかけることに面くらっていましたが、「いえ、私は大学でサッカーをやっています」といいます。
 私は「いやそうじゃなくて、むつめ祭を知っているの?」と聞きたかったのだ、と思い出し、それを言い出そうかと思っているうちに、夢から覚めました。
 わずかな瞬間に見た夢でした。

12100101 これは、先月の今年9月の私の睡眠時間です。これを見て、「けっこう眠っているのになあ」なんて思いで見ています。昔は本当に眠っていなかったね。
 だんだんこのごろ実際に眠れているのか、ちゃんと検証していこうという気になりました。
 そう、この頃夢を見ていないなあ。だから「夢の中の日常」が書けていないのです。いや確かに見ているのですが、書くほどの内容がないのだと思います。

     睡眠時間   仮眠

120930 21:35〜01:50
120929 22:10〜02:00
120928 22:35〜04:15
120927 22:30〜04:10
120926 22:35〜03:55
120925 22:45〜05:25
120924 22:10〜04:05
120923 21:25〜01:15
120922 21:50〜05:45
120921 22:40〜03:50
120920 22:20〜02:35
120919 22:20〜05:20
120918 22:20〜00:25
120917 22:30〜01:55
120916 22:35〜02:00
120915 22:10〜02:30
120914 22:00〜05:25
120913 22:20〜02:00
120912 22:15〜02:05
120911 22:55〜05:55
120910 21:50〜03:35
120909 21:50〜05:20
120908 21:40〜04:20
120907 23:20〜06:30
120906 22:00〜04:40
120905 22:00〜02:00
120904 22:00〜02:50
120903 22:35〜02:50 13:30〜15:20
120902 22:35〜02:00
120901 22:45〜02:15

12082608 藤田典さんの「ダダさんの掲示板」では、昨日は以下のUPがありました。

居眠りじいじ、ではなく 投稿者:管理人  投稿日:2012年 8月26日(日)08時35分41秒
  お孫さんたちと、いっぱい夢の中身について話すことができる、夢見るじいじ、であれたら良いでしょうね。

確か、今朝方も夢を見ていたはずなのですが、その内容の不合理な余りに?気づいた途端、忘れてしまいました。何か、仕事に関連したものだったと微かに覚えてはいるのですが…。

 孫たちと、いっぱい触れ合って行きたいです。孫たちから、自分の夢のことを聞かれたら、優しく話して行きたいです。「ああ、いいなあ。その夢は多分こういう自分の思いがあるんだよ」なんて話せるじいじで行きたいものです。
 そして自分で夢をみたら、また「夢の中の日常」を書いていきたいです。このことを真剣に思っていますが、こればかりは自分の思うようにはいかないですね。
 島尾敏雄さんの「夢の中での日常」を読むと、島尾さんのそのときの今が分かるような気持になってきます。でもいつも不思儀な夢ばかりですね。夢だから仕方ないのでしょうね。
 いつも記憶に残る夢を見たいとばかり思っています。

12082213 藤田典さんの「ダダさんの掲示板」で、昨日は以下のように書いてくれています。

夢というものは 投稿者:管理人  投稿日:2012年 8月23日(木)07時41分18秒
「浅い睡眠」の時にみるもので、疲れたりして「ぐっすりと深い睡眠」をしている時には、見ないものだそうです。
そうすると、周さんは、最近は「深い睡眠」の中で、ぐっすり寝ているのかも知れませんね。
楽しい夢は、いつでも見たいものです。
夢の続きが見られる、何か、良い方策が無いものか、そんな事を考えたこともあります。

 いや私は夢を『「浅い睡眠」の時にみるもの』というふうには思っていないのですね。だから私は「夢の中の日常」を書いていたのでした。
 そうそう私が昔この夢のことを言ったら、ある人が「それは島尾敏雄が書いているのではないか」と言いましたので、私はすかさず「島尾さんが書いていたのは、『夢の中での日常』です。私は『夢の中の日常』です」と言ったものです。いえ、今もそんなことを言ってくる人がいますからね。
12082303 私にとって、常に夢をみていたいものなのです。そしてその夢の記録を書き続けたいものなのです。
 私は島尾敏雄は全作品を読んでいる数少ない作家です。大部分の作品を読んでいる作家は、何人もいますが、日記や書簡まで読んでいる作家は、私にはこの島尾敏雄のほかは、吉本(吉本隆明)さんと太宰治とチェーホフなのです。

12082120 藤田典さんの「ダダさんの掲示板」で、昨日も以下のように書いてくれています。

医学には全く不案内で 投稿者:管理人  投稿日:2012年 8月21日(火)08時38分21秒
  詳しい事は覚えていませんが、

 睡眠障害が高血圧を招きやすい

と言った内容の記事を読んだ記憶があります。
周さんの血圧の問題と、睡眠時間の不足が、そのような事例に当たるのかどうか?きっと、もう、医師に相談されている事と思いますが、睡眠も大切な行為の一つですから、少しでも改善されると良いですね。

 21日(月)に医院へ行きました。2週間に一度行きます。そしてそこの指示でお薬をもらっています。そして毎日朝食後飲んでいます。
 いやよく私は眠っているつもりなのですよ。この頃は夢も見ないですしね(これは私にはものすごく不満なのですが)。だからこのごろ、「夢の中の日常」も書いていないのです。反省して、もっと夢を見たいなあ。

12062505 なんだかいくつものことを思います。みんな書ききれません。

2012/07/02 07:50私が自分の部屋でパソコンの前で座っているわけですが、そのときにわずかの間に夢を見ました。
2012/07/02 08:00「梅ちゃん先生」が始まりました。その前に私が7時48分くらいから、2分くらい眠ってしまい、そのときに夢を見ました。その夢をよく思い出します。
 でもその夢のこともまた書きますが、とにかくこのドラマがいいです。

 ここに書いた夢のことも書かなくちゃな。私は「夢の中の日常」を書いていて、またそこに書くべきなのですがね。いろいろとありましてね。
 そういえば、私が自分の夢のことを少し喋ったとき、「『夢の中の日常』は島尾敏雄の作品じゃないか?」といいました私より二歳年上の方がいましてね、私は「島尾さんのは『夢の中での日常』で私のは、『夢の中の日常』なのです」と言ったものです。いささか私はあきれていました。
 今日の夢のことは簡単だからまた書きます。

11082710 40分前までに見た夢です。今は午前6時39分です。
 私は何故か鬼太郎でした。いや鬼太郎ではなく、鬼太郎のような姿形の人間だったのかもしれません。高田馬場の早稲田通りの古いアパートに、「○元商事」(この○の部分が分かりません)という看板をかかげてそこにくらしていました。
 看板といっても小さな板に書いていただけです。
 ここにある男が訪れてきます。そして私と少し話しているうちに、同じような年格好の男(みな40歳代)が、あと二人来るのです。それで、私含めた4人が車座になって話をするのです。
 それがけっこうみな長い話で、それがみな金儲けの話です。それが実に興味深い話ばかりでした。
 私は、「何で俺のところへ来るのかなあ?」とも思いながら、「あ、俺の部屋だからこそみな来てくれるのだ」とも思い直しています。
 それぞれ、三人の男は、みなここで食べるのだろうお土産を持参しています。私はお茶を用意するだけです。
 この一人ひとりの話がとても興味深いのです。でも今は忘れてしまいました。
 でもあのアパートは思い出しました。明治通り近くの早稲田通りの北側で古いアパートでした。私は何故か、そこのアパートの持ち主と話したことがあるのです。年齢は70代のおじいさんでした。私が1969年の秋の時かなあ。何の話をしたのかというのも思い出してきました。
 あのアパートは今もあるのかなあ。確か銭湯のすぐ近くでした。
 でも夢の中で、私以外の三人は、「じゃあ、この話を実行化しよう」ということで、別れたものでした。

 思えば、この「夢の中の日常」をよく書くようにしていれば、もっと思い出せるようになるのでしょうね。

11061110 こうして、これをUPするのが遅くなりました。でもできるだけまとめて書いておこうと思いました。そうしないと、やたらに私のどうでもいい書き込みが増えるばかりです。

2011/06/11 12:14今リビングに来ましたが、その前に部屋にいたときに、パソコンの前で短い時間に夢を見てしまいました。この夢のことをまた「夢の中の日常」として書いて行きます。私は思えばいつも眠いのですね。でもこの夢、つまらない内容ですが、忘れないうちに書いておきます。

2011/06/12 07:45あ、昨日わずかな時間に見た夢のことを書いていないですね。少しでも書いておくと忘れないのですが、でももうどうでもいいか。思いたったときにすぐやらないと駄目ですね。昨日はわざわざ書こうと思ったのに、忘れ果てていました。
 そういえば、昨日も手紙を書いていたのですが、まだ今日も書いてポストに入れないとなりません。
 そうです。まずはじゅにに会いに行かないといけないです。それに今日は、妻がブルータスと一緒に泊まります。私も一緒に泊まりたいのですが、私はいびきが大問題です。
 だから一緒には泊まれないのですね。
2011/06/12 07:59ここリビングに来ると、いつもテレビを見ています。

 きっと妻はブルータスと一緒で楽しかったことでしょう。

11042907  これはいつ読んだのかな、と思い出していました。『精神分析入門』を読んで、その『続』を読んだあとだから、高校3年のときですね。思い出せば、高橋義孝の翻訳した本だったのだ。そんなことを思い出しました。
 夢はいつも見ています。そして私は自分のホームページの中に『夢の中の日常』という部屋を設け、いくつもの夢を書いてきていました。これはもちろん「島尾敏雄『夢の中での日常』」を真似したものです。今後もっと書いていかないといけないな、と思っています。書いて置かないと、その夢のことはすべて忘れてしまうのです。私は過去のホームページはできるだけ今のブログに移し変えていますから、ここで書いた過去の記録もまた書いているかと思います。
 今後、この自分の部屋を復活し、見た夢のこともちゃんと記録していくようにします。 それと、今「夏目漱石『夢十夜』」を思い出しました。また読み直して、また考えてみます。思えば、こうしてまだまだたくさんやることがあるのですね。
 とにかく、毎日見ている夢もできるかぎり書いておこうと思っています。(2011.04.30)

10111618 ここで書いていた私の前のホームページ内にあった過去の「夢の中の日常」は書きました。でも今朝も夢を見ていたのでしたが、起きてすぐに記録しないと駄目ですね。記録しておくと、その後、何年、何十年と経っても、不思儀に覚えているものです。
 私の前のホームページは、この「夢の中の日常」の文を読んでいて、思ったのでしたが、実にたくさんの文があるのですね。ありすぎて困ってしまうくらいです。
 またいくつかUPしていくつもりです。

10111623 つい先ほどまで見ていた夢のことを書きます。今は午前4時41分。ちょうど6分前まで見ていた夢です。

 私は夢の中で、かなりな資産家のようです。ある別荘地に大きな屋敷をもっています。ガラス張りの大きな家です。ところが、その家で私の親友が何故か殺されたようです。それで、その親友の殺人事件の真犯人を捕まえるため、大勢の刑事が来ています。その刑事の中心になる担当者は、私より5歳くらい下の(私は40歳くらいのようだ)なんだか私には、好ましい人物にように思えています。「この男なら犯人を捕まえてくれるだろう」。私は何日かかろうと構わないが、捜査のために、この屋敷を提供することを申し出ます。捜査の本部をここに置くことにしました。
 長い打合せが終わり、細かい調査をいくつもある部屋でやっていきます。そんないわば忙しい中に、まったく別な団体が、この私の屋敷にやってきました。
 それは、この私の屋敷を舞台にして、ある男女の愛の物語を映画にしたいという劇団でした。このことは、前に約束したのかもしれません。なんでも古代ギリシアの愛の物語を現代にしたお話だと言います。監督兼助演もする女優さんが責任者として、私のところへ交渉にきます。私より5歳くらい上の現実の世界では浜美枝さんに似た女優さんです。彼女は黒いワンピースに黒いコートをはおっています。彼女はすべて映画の機材と多くのスタッフと、何人もの俳優女優を連れてやってきたのです。そして私のガラス張りの家の前にある造形を設置しはじめます。その造形が、この映画の二人の男女の主人公の愛を象徴するものかのようです。
 私は困惑します。この女優さんがやりたいという映画作りには協力したいのですが、今は私の親友が殺されたことの真相を知ることと真犯人を捕まえることが再優先のことなのです。
 私はそのことをその女優さんに言い、とにかく引き上げてくれといいます。だが彼女は断乎撮影させてくれといいます。刑事と3人での話になります。刑事も気の毒がるのですが、今捜査を中断するわけにいきません。その女優以外のスタッフとも話合いになりますが、どうしても私は「今は困るのだ」ということだけなのです。
 いったん、その劇団のスタッフたちは近くのホテルに引き上げまして、その監督の女優さんと二人で、お話します。刑事は、「これはあなたが決めることだ」と言ってくれます。それから二人での話になります。長くお話します。
 その女優監督は、その親友のためにも、この愛の物語の映画を作ることは大事なのではないかと主張するのですが、私はどうしても今この屋敷を使うわけにはいかないのだと言い続けます。そしていつからなら、「使ってもいいよ」とは言えないのだということを言います。話は平行線でどうにもなりません。
 もう朝になっていました。私ももはや、断乎としていいます。「私には、あの親友こそが大事なのだ、架空の愛の作り話なんかには興味はない」と。もう仕方ないと思ったのか、彼女は立ち上がり礼をして去ろうとします。その去るときの彼女の横顔をみて、彼女の頬に涙が伝わるのを見ます。私は後悔する気持がわき上がるのですが、もうあとへはひけません。
 ところが、彼女が家を出る瞬間に、私たちは、ガラス張りの大きなガラスの向こうから、彼女の劇団のスタッフたちが大勢走ってくるのが見えます。誰もが緑の同じトレーナーを着ていまして、走ってきます。彼らの吐く息が白く見えています。そのまま彼らは私の家のガラスの前にたちます。そして、みなでシュプレヒコールをするのです。
 その内容は、映画の撮影は、またのことでいいが、せめて今設置した愛を象徴する造形をこのまま庭に置いておいてくれという訴えです。それがあなたと親友との愛の確認にもなるのではないかというのですね。
 私は、突如亡くなった親友の姿顔が見えてきます。彼の顔は、「その通りにしてあげたら」と言っています。私は次第に涙が浮かんできて、そしてもう立っていることができなくなります。もう泣くだけないてしまいます。それをあの女優さんもそばで黙ってみています。そして何故かあの刑事も遠くで、見ていてくれます。
 私は、もはや、映画の撮影も、殺人の捜査も、両方やっていこう、でも一体どうなっていくのかな、という思いを抱きました。これからどうなるんだろう。
 そこで私の長い夢がさめました。(2001.11.19)

10111503 つい先ほどまで、私の見ていた夢です。
 季節は冬のようです。あるよく晴れた日です。私はどうやら警官のようです。そしてある県警の警察官として警視庁に派遣されてきました。どうやら、大学闘争の現場です。私は私の県の県警に命じられて、警視庁で学生運動革命運動と、それへの警視庁の闘い方を学びに来させられたようです。
 だが、着任したときが、ある大学闘争の闘いの現場なのです。どうみても、私がついたのは、東京大学のようです。何故なら、黄色に色づいた銀杏の並木の中に、警察のテントがはってあります。そして月日は1969年昭和44年1月18日です。そのテントで私は敬礼をして、私の所属氏名をいいますと、そこにいた警官が

  あ、○○さんから、聞いております。どうぞこちらへ座ってください。

といいます。彼は自分の紹介をしたあと、現在のこの場の情況を教えてくれます。どうやら、もうすぐ学生たちとの戦いが開始されるようです。
 しばらくしあたと、私の相手をしていてくれている警官が

  あ、○○さんから、この本を読んでおけと、渡されたものがあります。

と言って4冊の本を渡してくれます。以下の本でした。

  擬制の終焉
  現代トロツキズムの思想と系譜(実際にこんな本はありません。夢の中の話です)
  自由と規律
  公安条例

 そして、「あ、この本もです」と少し離れた机から持ってきてくれたのが、

  損害保険の査定について

 私はなんで、こんな本までという気持になります。きょうのこれからの戦いが、この大学のかなりな建物を壊してしまうために、国家からだけの補償ということではなく、損害保険会社との交渉もあるから学んでおけということかななんて思う。
 そういえば、きょうはものすごく早く起床して、ここへ来たのだった。今はまた午前6時をすぎたばかりなのだ。上空にはヘリコプターの音が聞こえる。そして、大勢の機動隊の部隊が集合している。いよいよなのだ。

 そのときに、私は唐突に、昨年末に自分の恋人と会った日のことを思いだす。なんだか、ありありとそのときの情景が私の脳裏に浮かんでくる。それは23日の夜のことだった。彼女と知り合って間もない私は、クリスマスイブを一緒に過ごそうということになったのだが、24日は彼女が両親の自宅へ帰るというので、その前日に会うことになった。そして、どこかの喫茶店で待ち合わせて、どこか適当なレストランで食事と考えていた私に、彼女は自分の部屋で食事をしようと言ってくれたのだ。
 その日の彼女のアパートは、とても明るくてなんだか「白い模様」という雰囲気だった。彼女は白いドレスを来ていた。ケーキがあって、料理があって、ロウソクが灯されていた。
 彼女の笑顔を見たときに、私は食事をするよりも、何故か彼女の唇に私の唇をちかずけてしまった。彼女も私にあわせてくれる。なんだか彼女を抱きしめることもしないで、ただただ唇と唇をあわせてしまいます。「なんて綺麗なひとなんだろう。このひとも、この俺を愛してくれるんだ」という思いばかりだ。このキスの味で彼女が私のとって一番大切な存在なんだということが確認できた気がしている。
 そこまで思いだしたときに、またヘリコプターの音で、現実の世界に私はひきもどされる。「そうだ、もう戦いの現場なのだ」。
 そんなところで、目が覚めました(19日午前2時30分)。夢の中の彼女に会いたいという思いで、私はもう一度眠ろうとしましたが、もう目をつぶっても無理なのです。

 そんなところで、私は起き上がりました。そしてパソコンを開いて、インターネットで30分ばかり、いくつものサイトをのぞいたあと、この文章を書き出しました。
 もう夢の中の彼女に会うことはできないのですね。
 でも、私は東大闘争ではこの警官たちとは闘う側でした。どうして反対側にいた夢を今になって見たのだろうか。(2001.09.19)

10111218 親友の堀雅裕さんがなくなりまして、もう1カ月以上がすぎてしまいました。なんだか、私はこのごろいらいらしていました。彼と私はよく会って飲んでいたといいましても、互いに遠慮というようなものがありまして、長く連絡を取らないことも多々ありました。彼と会うと、どうしても二人で莫大に飲みますし、そして延々と飲んでいますので、それは彼の身体によくありません。それでは、奥さんの燕尼に心配をかけてしまいます。ただ、このごろは、彼と二人で飲むことよりもMさんという女性と3人で飲むことが多くて、それは実に愉しい瞬間でした。若くて綺麗な女性が間にいると、なんだか二人ともに、けっこう真面目になってよかったなという思いでした。
 でも彼とはしばらく連絡をとらないといっても、さすがに1カ月もすると、電話をしてきたものでした。私の事務所へでも、携帯へでも、自宅へでも電話してきます。留守でも、折り返しすぐに私は電話しますから、結果としてどこかで飲むことになります。1軒で終わろうという固い決意も、飲んでいるうちにもう1軒ということになってしまっていました。
 そんなことをもうずっと繰り返していたわけですが、今回だけは、もう1カ月が過ぎようと、彼から電話がかかってくることはありません。なんだか、仕事をしていても、道を歩いていても、彼からの電話が「なんでないんだろう」なんてぼんやり思っていて、そして気がつくことがあります。「彼はもういないんだな」。
 そしてとくに近ごろは、自宅に帰っても、なんだかすぐ寝てしまっていました。なんだかとにかく寂しい思いで、もう眠ってしまいたいのです。眠れば、この思いが晴れるのではというような感じをもつのですが、実際はそういきません。でも普段は平均4時間の睡眠ですんでしまうのが、ただただ眠ってしまっていました。10時にベッドに入れば、普段ならば、午前2時頃には起き出してパソコンに向かっているはずなのに、眠りから覚めることができないでいました。そんな日が続きました。
 13日に、また11時半頃寝室に向いました。妻が「パパ、歯磨いた?」なんて声を後にして、まず次女の部屋を覗くと、「パパはママの子どもみたいだね」なんて言われました。「でもなんだか元気ないね」という言葉に、

 うん、堀ちゃんがなくなってサ、こんだけ時間がたっても、あいつ電話してこないからね、ほんとに死んじゃったんだと思うとね、もう元気でないよ。

 それで、私としては午前4時には起きられる予定なのですが、なぜかそのまま眠ってしまっていました。
 そしてその朝(14日)私は夢を見ていました。その夢は、私が最初に詩吟で師事しました國誠流吟道会の宗家荒國誠先生なのです。もう先生とはお別れしてから20年になるでしょうか。
 荒先生には、さまざまに励まされてきたものでした。そして何といいましても、先生の詩吟が私は一番好きでした。荒先生の人間そのものが、私は尊敬していましたし、大好きでしたが、先生の詠う吟そもものも大好きでした。
 夢の中で、先生は何曲も詩吟を詠い続けてくれました。言葉は何も喋りません。昔聞いていたときには、先生は宗家ですから、最後に模範の吟を一つやるだけです。そして宴会になると、もともとオペラ歌手でした先生は、カンツオーネをやってくれたものです。
 その先生が、いくつもいくつも詩を吟じてくれます。一体何曲詠ってくれたのでしょうか。私はその吟が終わったときに、思わず大きく拍手します。先生は、私を見て、にっこり笑ってくれました。その笑顔を見て、私の拍手の大きさの中で、私は目が覚めました。
 きっと元気のない私のことを励ましに来てくれたのだなと私は確信しています。私は夢の中の先生の声と笑顔を忘れません。思えば堀ちゃんも、ジャズが好きだったわけですが、詩吟も何故か好きでいてくれたものでした。
 どんなことがあっても、やり続けなければならないのです。元気に生きていかなければならないのですね。
 荒先生、ありがとうございます。また元気にやっていきます。(2000.12.15)

10111213 何日か前に見た夢です。

 私はどうしてか女性であり、しかも30代で、4歳くらいの女の子を連れています。私は子どもの手を引きながら、ある大学の中を歩いています。
 この大学は、私の出た埼玉大学なのですが、夢の中では、大学のキャンバスの中が賑やかな街みたいな一画が出来ていまして、そこにレストランや飲み屋が何軒も出来ています。実は、夢の内容は違っていても、この埼玉大学の風景が出てくる夢の中ではいつも同じなのです。不思儀なくらい、いつくものお店が並んでいるのです。
 私は、何からか必死に逃げているところで、この大学の中ならば相手に見つからないのではという思いで、そこにある店のどこかに勤めようと思っているのでした。
 一軒のラーメン屋であり飲み屋のような構えの店に入っていき、ここで働かせてもらえないかと店主に言ってみる。店の前に「アルバイト募集」という貼り紙があったからだ。 なんだか人の良さそうなその店主は、「はい、いいですよ。それで履歴書見せてください」という。私は「しまった、履歴書をどうして用意しておかなかったんだろう」という思いを抱くが、「だって、住んでいるところもないのだから書けないのだ」とも思う。しばらくもじもじしている私に、その店主は、「じゃ、そこに座って、書いてみてよ」とコクヨの履歴書とボールペンを渡してくれる。そして、娘に「こっちへおいでよ、お母さんがお仕事している間に、いいものをあげようね」と言って、娘の手をひいて、厨房のほうへ行く。
 さて、だが私は履歴書を前にして、どうやって書いたらいいのか困ってしまう。私は一体どのくらい職を転々としてきたことだろうか。だからいつも履歴書を書くときに躊躇してしまう。だからいつも長時間かけて、必死になって、自分の履歴を作り上げているのだ。だが、きょうは不用意にも、こういう事態になってしまった。
 思えば、友人のGは、こんなことを言っていた。

 自分の履歴というのは、「もうこうなのだ」と思い込んで、そのまま暗記してしまうのよ。会社によってはね、履歴書を持って行っても、面接の前に、「では、この紙にもう一度ご自分の履歴書を書いてみてください。もちろん、提出した履歴書と同じでいいですよ」というところがあるのよ。これが、簡単なようで書けないものなのよ。だから、私は頭の中に、私の「これが私の履歴、職歴、私の人生の歴史なの」と完璧に作り上げてあるから、どこでも同じものが書けるの。

 そうだ、Gの言うとおりなのだ。だけど、今の今は困ったな。
 店主が戻ってくる。まだ何も書いていない私を見つめる。私はまだ住むところも決っていないので、書き出せないことを伝える。
 店主は、

 うーん、あなたは何か事情がありそうだね。だけど、私のところは、住所が定まっていない人は雇えないんだ。なにしろ、ここは大学の中だろう。うるさいんだよ。…………、そうしたらね、私の知っているお店を紹介しようか。ここから10分くらいのところだよ。そこなら、住み込みで働くことができる。今から電話しておくから、行って見てください。

 もう私は大変に感謝して、お礼を述べ、その店主の書いてくれた地図を見ながら、娘の手を引いて歩き出す。娘の手には、店主からもらったお菓子がある。大学の正門から出て、ちょうど10分くらいのところに、そのお店はあった。ここも何軒もの飲食店や他の店が並んでいる街なのだ。
 今度の店主は、俳優の津川雅彦に似た風貌の人で、店の中から私を見て、すぐに判ったようだ。年齢は50代後半だろうか。「はい、いらっしゃい。○○さんだね」と言ってくれる。
 そして、私と娘の名前を聞いただけで、住むのは、2階だと言って、住所と電話を書いた紙をくれ、「荷物があるだろうから、ここへ送ってくればいい」と言ってくれる。2階は、前には自分が泊まっていたのだが、今はすぐ近くから通っているのだという。
 私はその2階に上がって、やっと落ち着いた気になる。店主は2階に案内すると、すぐに下に降りて行ってしまった。何しろ忙しい店なのだ。私は「お母さんは下のお店にいるよ」と言っておいて娘を昼寝させ、下に降りていく。店主に「働かせてください」というと、「仕事は明日からでいいのに」といいながら、嬉しそうに、いろいろと教えてくれる。
 私もなんだか、その店主の顔を見ていると、嬉しくなって、一生懸命に仕事を覚えようという気になってくる。私は不器用だけれど、真面目に働く気持だけはあるのだ。
 私には、もうそれからただただ、必死に働きだした。問題は娘のことなのだが、心配した店主が保育園に入れたらと言う。それはそうなのだが、今の私にはなにもかも明かせない事情があるのだ。公立の保育園に入れられるわけがない。でも店主は、「公立でなくても、私立でもいいじゃないか」と言ってくれる。料金は多少高くても、そんなところでもいいかななんて思い始める。もう、ここで働いてもうすぐ1カ月になるのだ。そう私は、その夢の中でも、もう1カ月働いているのだ。
 だが、そのちょうど1カ月目の日、私は午後1時半くらいのときに、私は厨房の中から、店に、あの女が来ているのを見る。その女は、青いツーピースを来ている。「どうして、ここがわかったんだろう?」。だが、なんだかこの女は、私がこの店にいるとまでは判っていないようだ。この街のどこかにいるとまで判って来たのだろうか。私は逃げなくてはいけない。しかもすぐにだ。娘が外で遊んでいる。見つけて、すぐに逃げなくてはならない。もう2階に行っている時間もない。ここの親切な店主には、あとで手紙を書けばいいだろう。
 私は厨房の奧にある勝手口から急いで外に出ていく。
 私は「また逃亡生活になるのだ」と思う。またどうなるんだろう。

 ここで夢が覚めました。夢の中では必死になっているだけで、何故私が逃亡していて、追ってくるあの女は何なのかというようなことは、サッパリ判りません。いつも理由がはっきりしないままに、いろいろな夢を見ています。(2000.08.20)

10111207 どうしてなのだろうか。私は南米のどこかの山岳にいるようである。乾いた土地であり、動物はリャマがたくさんいる。
 私は二人の若者に使われている。兄が25歳くらいで、弟は19歳くらいだろうか。私は30歳くらいのようだ。
 少し太った実直そうな、神父が馬をひきながらやってくる。彼のあとには、女たちがちょうど10人ついてきている。人妻もいるようだ。みなメソチゾの女らしい。だから今思い出しても、どうみても南米なのだ。女たちは疲れたように、そこらへん座っている、みな何も喋らない。
 兄のほうが、神父と挨拶して、私のところへやってくる。「おい、お前がきょうは交渉しな!
 金の交渉は、兄がいつも仕切っているのだが、きょうは私にやれという。私は神父のそばに寄る。少し頭のはげ上がった50代くらいの真面目そうな男だ。彼は黒いゆるやかな服を着ている。今思えば、あれは僧服なのかな。いわば袈裟だから、黒だったのか。
 私はあんまり自信がないのだが、思いきって神父に言う。

 一人10で、全部で100だ! (ええと実はこのときの金の単位が思い出せないのだ)

 神父は、すぐに怒った顔になる。

 駄目だ! どれだけ遠いところから来たと思うんだ。そんなんじゃ村へは帰れない。

 そして私に小声で言う。

 おい、それに俺の取りぶんはどうなるんだ。あいつに話してくれ。こんなんじゃ、俺は帰るぞ!

 私は、「この金額でビタ一文変わらないよ」といいながら、心の中では、少し可哀想になっている。まわりで、座っている女たちも、聞かないふりをして、実は我々二人の交渉を心配しているのだ。
 私は兄のところへ行く。「神父が一人10じゃ駄目だと言っている。それと奴の取りぶんは一人10%でいいのか? でもこれも不満そうだけど
 兄は、怒り出す。

 馬鹿いうな、それ以上出せるか。それで通せ。

 そのあと、私と彼で少し言い合いになる。私はあの疲れた10人の女たちが可哀想なのだ。本当なら、彼女たちの村へ直接金を届けられたら彼女たちはどんなに嬉しがるだろうか。だが、兄が怒りだす。私を殴ろうとする。私は私よりも年下だが、ここではリーダーである彼の制裁をそのまま受けようとする。歯を食いしばって彼を睨む。殴られるときには歯をくいしばったほうが、当然痛いのだ。
 弟が兄に何かをささやく。兄は、殴る手を降ろして言う。

 そうだ、お前の歯は差し歯だったんだな。こんなところで歯を飛ばしたら、歯医者はねえぞ! またにしとこう。(実際に私は前歯は差し歯ですからすぐに飛びます)

と言って、白い歯を見せて笑う。
 私は神父のところへ歩いて行く。弟がついてきて、私に言う。

 お前、あの値段ならたいしたものだよ。それで神父には、10%にさらに5までならいいんじゃないかな。

 私は自分が思っていた通りのことを弟が言ったことに、少し自信がつく。私は神父に言う。

 一人10で全部で100だ。それでお前の取りぶんは10%の3.6だ。ただ、これでOKなら、お前には5やろう。どうだ!

 ここで、実直そうだった神父の顔に少し小狡い表情が出てくる。そうだ、こいつはまた村へ帰って、親や夫からもまたとるんだから。でもこいつも貧しい村には大切なことをしているんだろう。
 神父は馬をひきながら去っていく。女たちは、寂しそうにそれを見送っている。どうやら、俺もはじめてこうした交渉を委された。でもとうとう、俺はこれで女衒になってしまったんだな。これからどうなるんだろう。
 そんな思いの中でいるときに、ほんのさきほど(朝の6時少し前に)目が醒めました。
 なんで、こんな夢を見たのでしょうか。見当がつきません。ただ、前歯に関しては、二日前にあるところで打ち合せをしていたときに、そこにいたある人が、

 いや、前歯が折れちゃって。もともと差し歯だったから。

と言ったら、前にいた人(実は昔赤軍派)が、「私も前歯はみな差し歯で」と言い出しまして、私はさらに口には出しませんでしたが、心の中で「実は私も前歯は差し歯ですな」と言っていました。
 ただ、何で南米にいたのかは判りません。でも私の先祖の一人がいたのかもしれないなと今思いました。 (2000.01.14)

10111107 私の次女ブルータスはどらエモンが大好きです。部屋にはどらエモンのさまざまグッズがたくさん置いてあります。とくにどらエモンの映画が好きなようで、ビデオ屋で借りて繰り返し見ていたものでした。
 小さなときのブルータスをビデオ屋に連れていくと、私がヤクザ映画のビデオを探していると、ブルータスはいつもどらエモンの映画のビデオを手にとって、「これはどんなお話だっけ?」と私に聞いてきたものでした。何度か見ているのですが、まだ小さいブルータスは覚えきられなかったのでしょう。
 そんなどらエモンが出てくる夢をきょうの朝、私は見ていました。

 夢の中でブルータス(彼女の名前はサヨコといいます。どらエモンの話の中ではやはり本名のほうがふさわしい)は中学生のようです。
 朝もうサヨコは学校へ行ってしまっていまして、家には私しかいません。私ももう出勤しようという時間です。サヨコの部屋には、いくつものどらエモングッズがありますが、とくにどらエモンを小さくしたようなおもちゃの像が二つありました。
 ところが、そこへ変などろぼうがやってきまして、このどらえもんのおもちゃをもっていこうとします。ちょうどハクション大魔王に似たような悪党泥棒のようです。私が大声をだしますと、その悪党は、あわてて、どらエモンのおもちゃを一つかかえて逃げ出します。
 これには困りました。一つを盗まれてしまったのです。「サヨコが悲しむな」なんて思って、困りはてていますと、もう一つ残っていたどらエモンのおもちゃの像が、突如本物のどらエモンに変わりました。

 よし、取り返しに行こう! パパさんも一緒に行くんだよ。

と私を誘います。そうか、私も一緒に行こうと気持をひきしめて決意しました。でも一体、あいつはどこへ逃げたのだろうか。
 どらエモンは、そこにある金魚の水槽を指さします。

 この中に逃げたんだよ。

 実は金魚の水槽と言っても、少し大きな水槽で、泳いでいるのは、本物の金魚ではなく、みなおもちゃの魚や貝です。
 でもどうやって、この水の中に入るのだろうと思っていると、どらエモンが指さしたところのガラス面に、細い穴が空いています。え、こんなところへ逃げたのか。でもそんな小さなところに、どうやって入れるのだろう。
 私は躊躇しているのですが、どらエモンはすぐに私の手を引いて、その中へ飛んでいきます。どらエモンは、左手に、大きなバケツをもっています。綺麗なおもちゃのようなバケツですが、フタがしてあって、どうやらその中にはいろいろな道具を入れているようです。「武器もあるのかな?」

 でも、どらエモンの道具って、お腹のポケットじゃなくて、バケツで持って行くんだ。
 なんて思っているうちに、敵の本拠に着きます。そこはたくさんのおもちゃの国でした。探し歩く中、急にどらエモンに、大勢の悪いおもちゃが飛びかかって捕まってしまいます。でも、どらエモンは落ち着いていて、隙を見て、バケツの中から武器を取り出して、みんなをやっつけます。相手は目を回して降参します。

 どらエモンのおもちゃをどこへやった

という私とどらエモンの問いに、その目を回している連中は、すぐそばにある地下へ伸びている階段を指さします。
 でも、私はなんだかそこへ入るのは怖いのです。どらエモンは、

 パパさん、ここで待っていてよ

と言って一人で入っていきます。随分その階段は深くて、何層にもなっているようです。だんだん、私の問い掛けに答えるどらエモンの声が小さくなります。
 少し心配になってきたところで、突如、また新手の悪いおもちゃたちが大勢でやってきて、この階段の上から、たくさんのものを投げ入れてしまいます。どらエモンを閉じ込めてしまおうというのでしょう。これはわなだったのでしょうか。
 でも、私は少し安心もしています。さきほどの戦いで、どらエモンのバケツの中の道具の強いことを見ていたからです。
 やはり、やがて、どらエモンは、その階段の奧から、なにもかも爆破して飛び出してきました。悪いおもちゃたちは、また目を回しています。でももう一つのどらエモンを盗んだ悪い奴(こいつが相手の親分のようだ)はいません。またその部下たちに聞くと、そいつはまた別な世界へ逃げたようです。またどらエモンは、そこへ行こうとします。だけど、そこで私は気がつきました。私は、もう会社に行かなければいけない時間なのです。

 どらエモン、またあいつを追うのは日を改めようよ。もうパパは会社にいかなくちゃいけないんだよ。

 いくらか、どらエモンとのやり取りがありましたが、私が会社に行かなくちゃという決意が固く、どらエモンも、「じゃ、また改めて来よう」ということになりました。
 私はもう会社に行くのだから、どらエモンには、サヨコの部屋に帰ってほし
いと言いました。

 どらエモンなら、また飛んで帰ればすぐじゃないか。

 でも、どらエモンは悲しい顔をして、

 仕事の邪魔しないから、会社の隅に置いておいてよ

といいます。私は仕方ないなあと思い、かつどらエモンを一人で帰すのも可哀想だなと思って、

 じゃさあ、どらえもん、元のおもちゃの姿に戻ってよ、そうしたら、この鞄に入って持っていけるよ。だけど、パパはお客さんのところへ行くから、事務所で一人でいるんだよ。

といいました。だがどらエモンは、もうしばらく、この姿でいたいといい、私に抱っこされたいといいます。
 もう普通の世界に戻っていた私は、それじゃと、左手で、ビジネス鞄を下げて、右腕で、どらエモンをかかえました。どらえもんは小さいのですが、どっしりしています。保育園に入った頃のサヨコくらいの大きさです。私が右腕でかかえているどらエモンのお尻は柔らかくて、あかちゃんのお尻みたいで、そして、やさしい感じです。
 私がしっかりかかえると、どらエモンは私の胸に顔をうずめます。そして小さな声でいいます。

 あのおもちゃの像が何体かないと、ボクはこうしてどらエモンになれないんだ。

 え、そんな話は初めて聞く話です。こうしてどらエモンが活躍できるのも、もともとのおもちゃのどらエモンがいるかららしいのです。だから普段はおもちゃとしてじっとしていて、いざとなったら、こうして活躍できるのです。でもそのおもちゃは、だんだん古くなったり、棄てられたりしてしまうから、そのうち、どらエモンは消えてしまうしかないのです。それで、どらエモンが必死にもう一つのおもちゃを探した訳が判りました。
 私が、

 そんなことなのか。それなら、あのおもちゃをいくつも買っておこう

というと、どらエモンは悲しそうに、「もう、あれは生産していないの」といいました。

 え、でもあれを取り返せば、ずっといられるんだろう?

という私の問いに、どらエモンは悲しそうに答えます。

 あれを取り返せば、もう少しいられるけれど、サヨちゃんが大学生になる頃には、ボクはもういなくなってしまうしかないんだ

というのです。私も「そんなもう何年もないじゃないか」という思いに、どらえもんをじっと抱きしめました。そして涙が私の頬を伝わってきました。悲しい、悲しいよという思いです。サヨコが大人になっても、ずっといてくれればいいのに。
 悲しい思いで涙を流したときに、私の目が覚めました。

 なんだか、はっとしてしまいました。「なんだ夢だったんだ」。あらためて、サヨコの部屋に行って、どらエモンのたくさんのグッズを眺めました。みなどれも同じ場所にそのままいました。
 また夢の世界で、どらエモンと一緒にあの悪党のところへ行って、あのどらエモンのおもちゃを取り戻したい。今度は私が必死で戦います。
 でも、そんなことができるのかな。(1999.11.25)

10110916 私はどうしてか、大学にて勉強をしている。季節は冬のようだ。私はなんだか、どうしても一人の年取った大学教授と気が合わなくて苦労している。もう授業の中で徹底してやり込めてやろうかとまで思っている。だけど、そうすると単位を取るのは絶望的かななんて思ってもいる。でも、自分の性格だと、最後までやり合わないと終らないだろうななんて思い、なんだか面倒な気もしている。友人たちも、なんとか妥協しちゃいなよと勧めてくれる。
 でも私はなんだかどうして、またこうして大学みたいなところで学んでいるのだろうと不思儀な気持になる。一体何で今ここで何の為に学んでいるんだろうか。
 やがて、どうやら単位を取って、卒業らしい。気むずかしい教授も、どうやら私に単位をくれた。しかも、なんだか手渡しでくれたのだ。単位って、それこそ1円玉みたいな白い丸いものなのだ。それを私だけでなく、誰もいくつともいくつも袋にいれてもっている。
 卒業した私たちの同級生が、ある方向に向って歩いている。なんだかものすごい数の卒業生だ。やがて、その生徒の列は二列にならされる。なんだか判らないが、私もそのまま並んで歩いて行く。右の列に並んでいた私は、やがて右の道みたいなものに入ってまた左に向い狭い通路に入っていく。
 あるところから、たくさんの仏像のように並んで座っている夜叉のような顔した人たちの前を通らなければならない。彼等はまったくグレー1色の顔身体をしていて、絶えずぶつぶついいながら、両手を前に出して、私たちの身体を捕まえる。私は気味が悪くてしかたない。ふるえてしまうほど、怖いのだ。私の前にいる生徒が、この者たちの手に、さっき卒業のときに貰った1円玉みたいなものをつかませればいいことを教えてくれる。だから、この単位がたくさんないと、ここを通り抜けできないのだ。それにもう何百人という、夜叉たち(のような人)の数だ、全員にあげていたら、到底たりない。だから、ある人の手は払ったり、ごまかしたりして進まなければならない。私は誰にはあげて、誰の手は振り払っていいか判らないから、前の生徒の彼と同じようにやり抜いていく。
 やがて、やっとこのさわがしいモノクロの世界が終った。今度は大きな新幹線の中のような通路だ。外の世界が硝子の窓から見えている。だんだん、綺麗な世界になっていく。私たちは、そこを歩きながら、そこにいる人たちが出してくれる紙みたいなものを口に入れていく。赤や緑や青の原色の小さな紙に何かが書いてあるようだ。「これは何の薬、これは何」と渡すときに教えてくれているようだ。だが私には、さっぱり判らない。だが、また私の前にいる生徒が教えてくれる。これはこれから私たちの身体の為になるいろいろのいわば薬で、今すぐ口に含んでしまいなさいと。
 やがて、その薬の場が終ると、新幹線みたいな通路はますます外の世界が明るくなって鮮やかな綺麗な景色になってくる。私はこれから私たちがどこへいくのかさっぱり判らない。そのとき、私の後ろの生徒が初めて口をきいた。

 私たち、もうすぐ生まれるんですって

その声は、今の私の妻の声だった。
 そうだ、判った。私たちは、これからすぐ生まれるんだ。そして外へ出て、だんだんと過去の記憶を無くしていくころ、また新たに言葉を覚えて、また人間の世界を繰返すんだ。そうだ、前にも同じことやったじゃないか。 もう生まれるんだ。

 と、こんなところで、私の目が醒めました。なんでこんな夢を見たのか判りません。ただ、人間の赤ちゃんは、言語を覚えるあたりで、急速にそれまで持っていた記憶をなくしているようだという研究成果があるのだということを読んだことがあります。(1995.08.31)

10110912 何故か私は高校で教壇に立っています。なんの授業だか判らないが、中世キリスト教の話をしています。2人ばかり元気な生徒が盛んに意見を述べてきます。
 現代でも私たちがかなり強く興味をもっていることですが、人が死んでしまったあと、いったいどうなると中世のキリスト教では考えたのかというようなことです。極楽、錬獄、地獄などということをどのように彼等は考えていたのかなんて話をします。でも実をいえば、私はそこらのことはまだよく知らないのだなという思いがあります。
 ただ私たちは、どうしてかこの世に生まれてきてしまい、そしてまたいつか死ななければならない。それをどう考えるべきなのか、どう考えようと、過去の宗教家たちは言っているのか、というようなことを話合います。
 だんだん中世ヨーロッパの話から離れていきます。私は日本の宗教家は何だといっているのかというような話をします。禅宗でいう考えをいくつも箇条書きにしました。そして浄土宗の法然の言うことから、やはり親鸞に触れます。

 晩年になっていた親鸞は、「めんめんの計らいにまかせよ」といった。多分死とかいうことにも同じことではないのか。念仏をひとこと述べることにより、阿弥陀如来がその人に訪れるだろう。ただそれだけでいいのだ。愚者として、ただ阿弥陀如来にすがること、いやもっと言えば別にすがらなくたっていいのだといっているのだ。これがおそらくは、中世キリスト教の教えより、あるいは現在の「生」と「死」に関する論議の中よりも最も進んでいる考えではないのか。

というようなことを喋ります。ある生徒が述べます。

 こうして過去の宗教家なりが述べたことを考えたとて、まだ現代のほうが科学も進歩しているわけで、こうした「死」をどう考えるのかというのも、まだ現在のほうが進歩しているのではないのか。

 それから、ひとしきり、それならこうした過去の宗教家と現代人が対話できればさらにはっきりするだろうにというような話になります。しかし仮定の問題として、過去の人間と私たちが対話できるものなのだろうかということがまた論議になります。私は、私たちの側が過去の時代になかった事実とか、科学上のこととかを出して話していかなければ、充分対話できていくのではないのかというように言いました。そうしたときに、やはり親鸞は今も未来にも生きていける考え方ではないのかと話ました。
 E・H・カーの「歴史とは過去と未来の対話である」などという言葉をひいて話しましたが、このとき「ああ、カーがいうのはこういうことなのだな」なんて思ったものです。そして同時に解けたことがあったのです。
 私はこの授業の中、頭の中で複雑な図形のある三角形のある線分の長さを出すことを解かなければなりませんでした。それを頭の中で、ああだこうだと解いていました。ちょうどこの最後のころ、解答できました。5センチという答えでした。二つのことを同時に考えるのは大変だななんて思っていたものです。
 長い長い夢でした。夢の中であんなにすらすらと喋れた内容がいまはまた思い出せません。また夢の中であの生徒たちに会いたいものです。(1994.12.09)

10110704 私が長い間見続けている夢がある。何故か私はもう1度高校に入り直して、その長い高校生活を終え、大学に入ったところなのだ。私は高校は2度目だとは分かっていて、同級生よりは2歳年上のようだった。
 高校時代はかなり長くて、とくに授業の中では、物理と化学は訳が分からず、毎回眠ってしまっているような時間の過ごし方だった。前回どこか全寮制のような大学に入学できた。きょう見たのは、その大学の歓迎会のようなシーンである。
 私の席の隣に私よりいくつか年上の女性が来て話しかけてきた。どうも大学の職員かアルバイトのようだ。

 女性「キミがあの面白い子か」
 私「えッ!」
 女性「前に、今可愛い子が来たと言われていたから、顔を見たかったんだ」

 ここでいう「可愛い」というのは「幼い」というような意味で、私は昔は童顔だったから随分あちこちで言われたものだった。それでどう面白いことがあったかというと、それは前回の話なのだが、私はこの大学の寮についたときに、母が送ってくれた蒲団袋と寝袋が届いていたのだ。それを受付みたいなところで部屋へ届けてくれとたのんで、私はいろいろ関係のあるところへ挨拶にいき、飲んでしまっていたのだ。

 女性「いまどき、蒲団袋なんてもってくる学生はいないよ」
 私「だって、おふくろがもっていけっていうんだ」
 女性「だけど今はみんなベットだよ、どうするの?  それとあのときはどこへ飲みにいったの?」

 当日私は、かねてから知り合いのところへ挨拶にいったのだ。それはちょうど飯場か麿赤児さんの稽古場のようなところだった。そこで「ひさしぶり」と飲みはじめ、延々飲んでいたのだ。たしか4軒飲んだようだ。朝4時に寮に戻ったのを覚えている。

 私「あの日は、唐さんのところへ…………」
 女性「え、唐十郎?」
 私「いや、ええと李…………」
 女性「李さん、李さんなら知っているよ」

 私がなんで「唐」といったのか分からない。唐十郎さんとはお会いしたことはないのだ。李さんとは李麗仙さんのことでもない(李さんという友人はいますが)、私は年上で元気な女性にたたみこまれるように聞かれるのでなんだかよく分からず喋ってしまう。たしかあの日は麿赤児さんとは飲んで、あといろいろな人と会ったはずなのだ。
 そうしているうち、その女性は行ってしまう。元気で大柄で黒のノースリーブのワンピースを着た美人な女性だ。でも私はちょっと苦手だな。そうしたら、もうひとりの女性がまた隣に来た。私と同じか1つ位年下かなという小柄で白のブラウス来た女性だ。その娘が面白そうに話しかけてくる。

 その娘「あなたはどうして寝袋なんか持ってきたの?」
 私「いや、だってあれがあれば何処でも寝られるし………」
 その娘「でも、あの寝袋は………」
 私「少し、臭いんだろ、古いからね、でもあれは大事な寝袋なんだ」

 彼女の笑った顔が可愛い。それにしても、私の蒲団袋と寝袋と、朝4時に酔って帰ってきたことが、かなり話題になっていたようだ。
 ここらへんで目が醒めた。さてこれからの大学生活はどうなるんだろう。とにかく私はすべて2度目の経験なのだ。(1994.08.12)

10110616 私はある家に家庭教師にいっている。そこには可愛い6年生の男の子とそのおかあさんがいる。男の子は私を見るとうれしそうに笑ってくれる。
 私のために彼はピアノをひいてくれる。ああ、よくこんなにピアノがひけるようになったなと私は思っている。そこにはピアノの先生がいる。中年の女性だ。おかあさんが席をはずしたときに、そのピアノの先生と話す。

 ピアノの先生「あの子は小さいときには、ピアノがよくひけなかったんですよ。覚えています?」

 私は、そういえばこの子は小学校はいる前からピアノを習っていて、とくに幼稚園のころはピアノの鍵盤の配列がよく覚えられず、泣いていたのを思い出す。

 「そうだ、なんだかよく泣いていましたね。もうこんなにうまくひけるようになったのに」

 男の子がうれしそうに、私の手をたたきにくる。私も手をあわせる。ピアノの先生がいう。

 ピアノの先生「先生のおかげですわ。覚えていますか。彼がまだ小さいときに、先生がある方法をおしえてくれたんです。でもずいぶん昔の話ですわね」

 私は、ああそうだ、私がある方法を教えて、こんなに嬉しそうにピアノがひける彼になったんだと思い出してくる。そういえば、このピアノの先生とも、彼がそんなに小さいときから、この家で顔を会わせたんだと、たったいま気がつく。考えてみれば、そんな昔からときどき顔会わせるのに、こうして話すのは初めてのことかもしれない。そして彼女の顔に昔のあの頃はもっと若かったのにという表情を読み取る。
 だんだん私はいろいろなことを思い出してくる。そうだ、私はここにもう何
年も家庭教師にきている。この先生ももっと若かった。あの男の子も小さかった。これからまたここへ来たときに、またこの先生と会うこともあるかもしれない。でもまたこれから何年もここへくるのだろうか。
  そんなことを考えていたら、さきほど目が醒めました。(1994.05.12)

10110615  私のいた埼玉大学の1971年秋の大学祭「むつめ祭」のテーマが以下でした。

  呼狂呼賊任他評
    −我がなすことは我のみぞ知る−

 私が提案したのです。上は桜田門外の変のときの黒澤忠三郎の七言絶句の起句で、下は坂本龍馬の「世の中の人は何ともいわばいえ我がなすことは我のみぞ知る」という短歌の一部でした。
 今年はどんなテーマなのかな。それ以前の年のテーマはみな吉本隆明さんの関係が多かったのでしたが、こうして私によってすっかり変わったものでした。
 きょうの「読書さとう」は、「フロイト『夢判断』」を書きました。夢は毎日見ています。私は「夢の中の日常」という書込を私のブログでもいくつも書いていくことにしました。
 写真は、11月06日の午後1時52分のこのご近所の光景です。(11/08)

10110611 私の前のホームページはインターネット上からなくなりました。でもその中の記録がいくつもあるので、私のこのブログでも採録していこうと思っています。
 以下がその最初のページにあった文章です。

              はじめに
 私周は、長年睡眠時間は平均4時間ですましてきました。平均ですから6時間だったり、2時間だったりいろいろです。(これは私が25歳くらいのときから、今年4月までのことです。判ったことですが、要するに私が高血圧だったということです。57歳になった私は高血圧を抑える薬のせいで、1日7時間は眠る身体になりました)
 私はベッドに入って寝ると、次のような段階があります。

  1.目はつぶっているが、眠れていない。
  2.半覚醒状態で、さまざまなものを感じる。
  3.夢を見ている。夢はいつもオールカラーである。
  4.完全に眠っているらしい。

 2段階目の状態はけっこう辛いものです。私のまわりにいろいろな存在を感じるのです。ときにはそれがかなりな恐怖の状態にもなります。音が聞こえたり、存在が見えるような気持になったり、あきらかな何者かの存在の息を感じたりします。もちろんそれは、私の妻や子どもたちではありません。これは自分の家でなくても感じてしまいます。ちょうどかな縛りにあったような状態にもなります。
 でもとにかく眠らないとならないわけですが、その時には、いつも「眠るんなら夢を見なきゃ損だ」と思ってきました。そんな決意のせいかどうかは判らないのですが、3段階目の夢もそれこそたくさん見ます。そしてうまくいくときには、次の日にまた前の日の夢の続きを見ています。それと、どうしてか私がまたまったく同じこの日本なのだが、違う生き方をしている夢をずっとみているような記憶がかなりあります。そこの世界でもなんだか私はまた必死に毎日動きまわっ ているようです。(このことは、私は本当に私自身がこの宇宙では何人もいて、それどれ別な生活をしているのだというふうに思っています)
 そんな毎日たくさん見ています夢のほんの一部をここで披露していきます。本当は、もっと毎日詳細に書いていけばいいのでしょうが、なかなかそうもいきません。(夢を見たあと、すぐに内容を書けばいいのですが、そうしないとすぐに内容を忘れます)
 この私の見た夢を書いたのが、この部屋です。
 この「夢の中の日常」とは島尾敏雄さんの「夢の中での日常」を真似ました。私は夢の中でも、なんだか必死に懸命にいろいろなことをやっているのですが、なんだかそれが夢の中でも、私には「日常」になっているのです。
                            (2005.09.03)
 この頃、この私が夢を見た記録をより書くようになってきました。私のブログでは、

 http://shomon.livedoor.biz/archives/cat_714069.html 夢の中の日常

として書くようにしています。
 毎日見る夢をできるだけ記録したいのですが、なかなか出来ていません。目が醒めるともうすぐに忘れ果ててしまいますからね。
 でもできるだけ早く記録しようとすると、いくつものことに気がつき、いくつものことを思い出してゆけます。
 今後も毎日夢を見ていきことでしょう。できるだけ、その夢のことを少しでも記録していくつもりでいます。(2007.04.01)

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 昨日、長女宅から午後6時20分くらいに、自宅へもどってきました。入口のドアに宅急便の用紙が挟んであったので、「あ、吉本さんのCDがもう着いたのか」と思い込んでいました。1Fの郵便ポストにはいくつものものが入っていましたので、それを一つ一つ見ていました。
 でも宅急便の用紙を改めて見て、驚きました。集金金額が私の思っていた200円ではなく、54,000円+端数です。「あ、これは妻が頼んだのかなあ。でも俺に知らせてくれるはずだよな。そうすると何か間違いかなあ?」
 と思っているうちに、またヤマト運輸さんが来ました。午前中に来て、留守だったから、また7時間後くらいに来てくれていたのです。でも私はそんな現金はありません。
 それできょう朝まら来てもらうことにしました。妻は鍼灸に治療に行っていますので、訳が分かりません。
 でもそのあと、8時くらいに、妻が帰宅して判りました。妻はそれが届くのは、翌日3日だと思っていたのです。私は何も聞いていなから、何か間違いだと思い込んでいました。前にも何度も頼んでいますが、こんな高額な金額はなかったのでした。
 でも、もう今は用意してあります。
 これは大変に焦りましたことでした。

 でも実は、私は他でも焦っていました。それは夢の中です。私は突如夢の中で講演をすることになっていました。でも私は何も用意していないのです。時間は一時間後です。内容はロシア文学に関してです。でも私は何でこんなことになるのか、判らないながら、考えていました。ロシア革命前と革命後のロシア文学の変遷について喋ろうと思いました。果たして、私はそれが話せるのか、本来は不安なわけですが、だんだんと心が落ち着いたものでした。
「こんなことでいいのかなあ?」なんて、思いながら、もちろん、プーシキンの話から、ドストエフスキー、ショーロホフ、そしてソレジェニーティン等々を考えていました。もう実に短い時間に組みたてていました。
 もう大丈夫だ、でもなんでこんな急になるんだと思い込んでいました。

 でも突如5時50分分に目が覚めると、玄関にお金が用意してあるし、そしてそのあと、自分の用意したロシア文学の講演は、そもそも夢の中の話なんだと気がついたものなのです。
 思えば、この夢のことも、私の 周の夢の中の日常 に書くような内容でしたが、でもでも、もう半ば忘れ果てています。

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「惑星ソラリス」へのコメント へさらに鈴さんから、次のコメントがありました。

1. Posted by ひとみ    2009年03月05日 03:17
周ちゃん
昨日は雪でしたね 風邪等ひいていませんか?

「トラックバック」のこと
あんなに詳しく調べてくださってありがとうございます
(・・・ちゃんと解らないおバカな私 これから PCのこと いっぱい 勉強しなくっちゃ)

3時を過ぎました
周ちゃんはもう夢の中ですね きっと

この時間になって眠気が覚めてしまいました

このまま起きて朝を迎えましょうか・・・

明日も素敵な一日になりますように(^−^)

                ひとみ

 どうもありがとう。
 トラックバックのことは、一度実際にやってみるといいと思いますよ。やってみると、ものすごく判ってきてしまいますよ。
 それと、これからは、ひとみさんのことを「鈴さん」と呼んで行きますね。

 私の今住む王子では昨日は雪が少しも降らなかったのです。同じ東京でも違うものですね。
 私はよく夢をみていますよ。いや見ないというほうが私にはありえないことです。それで私は、夢の中の日常 という部屋を私のホームページ内に持っています。それで、その続きを私のブログでも続けています。
 これからも私の見た夢のことは書き続けます。でももう書かないことも多くなっています。だって毎日見ているのですものね。
 このブログには、できるだけたくさんのことを書こうと思っているのですが、なかなか果たせません。私はこのパソコンの前にいるだけじゃなくて、よく外も歩き回っているのです。この王子も走り回っていますが(自転車で)、電車にもよく乗っています。電車の中では本を読んで、ポメラを打っています。なんとなく、大忙しですね。昨日は、私の義母の確定申告をしました。そして、他にもたくさんのことをしました。
 パソコンを使えると(もちろんインターネット接続したパソコンです)、いろいろなことができるでしょう。もう私は、いろいろなことを、自分のパソコン内に置くのではなく、できるだけインターネットのあちら側に置くようにしています。自分のPC内だと、もし壊れちゃったら大変じゃないですか。

 あ、鈴さんは鎌倉行くのも好きでしたね。私はなんとか今の仕事を完了させ(けっこう大変ですが)、この3月内に鎌倉を歩こうと考えています。鎌倉を歩いて、いつも実朝を思い出しています。

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 12月下旬のある日、私がクライアントから帰ってきた午後3時代のときに、私のこのマンションの家の前に、40代前半と思える男が立っていました。私が、「あれ、なんでしょうか?」といいますと、名刺を出して、「A社ですが……」というのです。私は、「そんなのは電話で済む話じゃないの」と言いまして、家の中に入れました。でも彼はリビングに入っても座りません。ひととおりのことを聞いて、終わりです。「私が偶然帰ってきたからいいけれど、無駄になっちゃうじゃないか。電話で済ませてよ」と言って、帰ろうとする彼に、「ときにBさんは元気なの?」と聞きました。そうすると、驚いて、「Bは私の上司でした。でももう年齢が○○ですから退職しました。今C市に住んでいます」。私は「あそうか、でもお元気なのなら、良かった」といいまして、終わりました。10分くらいでしょうか。
 このB氏は偶然私が赤坂で務めた会社の親会社の採用したときの方だったのです。
 その彼から電話のかかってきた夢を私は見ていたのです。長く長く、私は彼と話していました。彼は、けっして誰にも合わせられる人間ではありませんでした。でも何故か、私を親会社の社長に会わせて、その社長も何故か私を気に入って、私が採用になりました。私が101社目に採用の面接を受けた会社でした。
 だが、その後私の経歴が判ったようです。たぶん、かなり後悔したことでしょう。その後、この会社グループは、人の採用に関しては、充分注意をするようになってはずです。たぶん、警察からの意見もあったでしょう。

 でも、夢の中でも長く電話で話していました。そんなに、思えば、私のいくつもの転職経験よりも、その前の学生のときの活動経歴のほうが重要なのですね。
 でも思えば、この彼にも手紙を書いてみるかなあ。もうたしか65歳だと思いましたね。
 電話の中でもお元気でした。そして私は彼が元気なことが嬉しい思いでした。

 思えば、もっといくつもの思い出が甦ってきます。あ、ある人に手紙を書こう、と思いました。

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 私は昨日は頭が痛くて、早く眠りました。いま思い出せば、一昨日から同じ状態でした。でも昨夜から今朝にかけて、実によく眠りました。いつも必ず見ている夢も見ませんでした。それほど疲れきっていた気がします。

 そんな朝にこの金子みすゞの詩を読みます。

    ゆめとうつつ
                金子みすゞ
  ゆめがほんとでほんとがゆめなら、
  よかろうな。
  ゆめじゃなんにも決ってないから、
  よかろうな。

  ひるまの次は、夜だってことも、
  わたしが王女でないってことも、

  お月さんは手でとれないってことも、
  ゆりのなかへはいれないってことも、

  時計のはりは右にゆくってことも、
  死んだ人たちゃいないってことも。

  ほんとになんにも決ってないから、
  よかろうな。
  ときどきほんとをゆめにみたなら、
  よかろうな。

 私もいつもは毎日たくさんの夢を見ます。それをほんのときどき「夢の中の日常」と言って、書いています。でもほとんどの夢は忘れ果ててしまいます。朝起きた瞬間は覚えているのですが、それを少しでも記さないとすぐに忘れ果ててしまうのです。
 私たちは、実際にこの現つの世界に生きているから、夢の世界はまるで儚いものでしかありません。でもそうは思いながらも、でもまた今夜も夢を見るでしょう。

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d8b1ad01.jpg さきほど義母に起こされたのです。でも私はちょうど夢を見ていて、その中でずっと作業をしていたのです。
 私は日曜日の朝だということが判っていました。そして私は電話をしていました。私も彼も40代後半です。彼の会社は有楽町駅前です。納品するのは、いくつものデジタル写真画像です。だから、私がメールで送れば、彼のほうでもプリントできます。
 でも彼はできないでしょう。彼はやっとパソコンが使えるだけなのです。
 でも私が自宅でプリントして届ければいいのです。でも彼の会社のビルは土曜日は入れますが、日曜日は入れません。だから、彼と、この日曜日の朝電話で話しているのです。ビルの管理会社の管理人に、無理に会社のビルと会社のドアを開けてもらへという話です。そうしたら、私が画像写真を届けるからという話です。そもそも、こんな急なことは彼のほうの依頼なのですから。
 そんな電話での話をしているなか、私は義母に起こされました。「なんだ、夢なのか」。しかし、夢の中の彼もインターネットで添付ファイルを受け取って、それを開けてほしいものですね。そんな簡単なことができない人ばかりな気がします。
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 夢の中の日常「ひさしぶりのコピーライターの田口さんに会った夢」の田口賛吉さんのことで思い出したことを、さらに書きます。
 9月14日家族8人が集合しました に書いたのですが、この日は長女の上中里の家に私の家族8人が集まりまして、そして夕方、根津『海上海』へ食事に行きました。
 そのときに、ナオキ君の車で、上中里から、根津までいくのに、田端の駅の北口を通りました。このときに、私は、この田口賛吉さんのことを思い出していたのです。田口さんから27年くらいに前に聞いたお話です。だから、私が32、3歳のときかなあ。
 田口さんがまだ4歳くらいのときです。賛吉さんは、お母さんと弟さん(2歳か3歳でした)と、田端駅から出て、上中里のほうへ歩く長い坂道を歩いていました。田端駅に向かっていました。たぶん、昭和22、3年の頃のことでしょう。その頃、賛吉さんのお母さんは担ぎ屋をやっていました。いつも常磐線で、茨城のほうへ米や野菜を仕入れに行くのです。
 その坂を昇っているときに、後からお巡りさんが来ました。少年の賛吉さんは気が気ではありません。担ぎ屋をやっている人には、お巡りは敵でしかありません。
 後から迫ってくる警官のことが心配で心配で、賛吉さんは、「かあちゃん、後から来ているよ」といいました。もちろん、お母さんも覚悟を決めたのでしょう。逃げようとしてもあの長いだんだら坂です。
 でもそのほんらい怖いはずの警官が、親子を追い抜くときの、弟のことをいきなり抱きかかえてくれて、「高い高い」をしてくれて、「こんなに小さいのに偉いな」と言ってくれたそうです。もう、早鐘のように鳴っていた賛吉少年の心臓は、ホッとしたことでしょう。
 この話を聞いていたのは、私ともう一人のデザイナーでした。もうその話を聞いていて、そのデザイナーも私も涙でいっぱいになったものです。
 今もまた私の目には涙が溢れています。おそらく、その警官にも、お母さんの商売はそこでも摘発すべきものだったと推測します。でも、その警官は小さな子どもを連れている母を尋問する気持にもなれなかったのでしょう。あの時期は誰もがそんな苦しい時代だったのです。

 そのときのことを、私は家族8人で走っている車の中で思い出していました。そしてそこでもなんとか涙を流さないように必死になっていたものでした。

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 夢の中の日常「北浦和の階段を登りながら」へ、ナミちゃんから次のコメントがありました。

1. Posted by なみんと    2008年04月03日 14:22
とっても現実味がありますね。
私がかって惹かれた光景です。
北浦和の東口は今はどうなっているんでしょうか〜。

 コメントをありがとうございます。そうですね。北浦和もずいぶん変わりましたよ。北浦和東口では昨年の浦和会の忘年会をやりました。私はもうそんなに飲めない身体なのですが、そのときは、夕方から、翌日朝まで飲んでいられました。これで判ったのが、一気に急激に飲むのはいけないということです。ゆっくり落ち着いて飲めばいいのですね。思えば、昔からなんだかいつも焦って飲んでいたものでした。なんだか、先に飲まないと、相手に先に飲まれてしまうのですね。思えば、埼大の関係の飲み会で、すべてこういうクセを付けてしまったのですね。だからいつも焦って急速に飲むクセがあるから、いけないのですね。
 今年の1月には、北浦和の埼大跡の浦和近代美術館にも行きました。懐かしくて、そしてやっぱり少し哀しくて、たくさんの思い出が甦ります。
 この夢であったようなことが、現実の世界でもいくつもあり、そんなことをずっと思い出していました。

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 本日06:58に届いていた破茶さんの『独楽吟のススメ』です。

「2008/03/27 【No.1567】わたしの独楽吟(どくらくぎん)」を読んでの周の感想。

たのしみは 幸せだねなどと 言っている 自分の寝言に 目を覚ます時

最近は夢も見ずに寝ていると思っていたのですが、夜中に「ホント!幸せ!」って喜んでいる夢を見ました。幸せな人です。

 私は、けっこう毎日夢を見ているのですが(それを書いているのは 夢の中の日常 です。そしてそのあとの続きはブログのほうでも書いています)。でもこのところ書いていないですね。いや夢の内容を書いている時間が見つけられないのですね。でもやっぱりやり続けないとね。私は島尾敏雄さんの「夢の中での日常」が好きな作品なのです。

たのしみは 悔しい思いも 一夜寝て すっかり忘れる 自分のいる時

昨日は職場でちょっとありまして・・・・。でも、まぁちょっとした感情のすれ違いで 姉妹喧嘩のようなのです・・・。それだけ親密感があるってことさ!って自分を慰めたりもしたのだけどそれでも悔しいなぁ、ショックだなぁと夜まで思っていました。

が しかし!今朝はそうした感情がすべて拭い去られているのです。それはとっても嬉しいことです。

「感情のすれ違い」って、どうしてもありますよね。でも親しければ、それでまたそのときのことを話してみるというのもいいと思うんですね。私のほうは、「今はそうした感情がすべて拭い去られている」とお話してみるのはいいんではないかなあ、と思うのですね。

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 私はさきほど午前3時に目が覚めました。その直前まで長い夢を見ていました。
 私は以前、進学教室をやっていたわけなのですが、とくに、最初の年から何年(たしか2年間かな)、松戸教室で中学校の数学を教えてもらったS君と夢の中で会話していました。でも現実の世界では彼と会話したことはありません。彼はどこの大学の学生だったのかなあ。思い出せません。ただ彼は、最後に「就職は消防夫になる」というようなことを言っていたのを思い出します。
 夢の中で、私はみんな数学を担当した人たちのことを思い出していました。とくに、現実の世界では会話する機会のなかったこのS君と長くお話していました。
 もともと、教室が千葉教室、船橋教室、市川教室、松戸教室とありまして(最初の年は東京にも教室がいくつもありました)、講師が実にたくさんいたわけですが、それを私がすべて選考して、配付していたものでした。かなり大勢の講師がいました。だからもちろん、生徒もたくさんいたわけです。
 どの教科もすべていろいろな面白くそして能力ある講師の方々でした。その中でも、私はこの夢の中で数学を担当した人たちと会話し、またたくさんのことを思っていました。

 でも何で、あんなことを思い出していたのかなあ。現実の世界では、あの講師の方々は、実際の教員になった方もいるし、全然違う職業についた方もいます。みんな私よりわずかに年下ということだったから、もうみなけっこうな年になっているんですね。
 いや、今思い出していけば、数学の講師ばかりでなく、他の教科の講師の方々も思い出してきました。みんなどうしているのかなあ。
 インターネットの世界になったら、彼等と再会できるとばかり思っていましたが、それはかないませんでした。このことはとても残念です。

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 私はさきほどまで、自分が新任の小学校の教員になった最初の日の夕方の出来事の夢を見ていました。私は毎日夢を必ず見ています。それをできるだけ記録しておきたいのですが、ほぼ書かないで忘れ果ててしまいます。書いたものは「夢の中の日常」としてブログに書いておきます。もちろん、「夢の中での日常」の島尾敏雄の真似です。(5/19)

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 私周は、長年睡眠時間は平均4時間ですましてきました。平均ですから6時間だったり、2時間だったりいろいろです。(これは私が25歳くらいのときから、今年4月までのことです。判ったことですが、要するに私が高血圧だったということです。57歳になった私は高血圧を抑える薬のせいで、1日7時間は眠る身体になりました)
 私はベッドに入って寝ると、次のような段階があります。

  1.目はつぶっているが、眠れていない。
  2.半覚醒状態で、さまざまなものを感じる。
  3.夢を見ている。夢はいつもオールカラーである。
  4.完全に眠っているらしい。

 2段階目の状態はけっこう辛いものです。私のまわりにいろいろな存在を感じるのです。ときにはそれがかなりな恐怖の状態にもなります。音が聞こえたり、存在が見えるような気持になったり、あきらかな何者かの存在の息を感じたりします。もちろんそれは、私の妻や子どもたちではありません。これは自分の家でなくても感じてしまいます。ちょうどかな縛りにあったような状態にもなります。
 でもとにかく眠らないとならないわけですが、その時には、いつも「眠るんなら夢を見なきゃ損だ」と思ってきました。そんな決意のせいかどうかは判らないのですが、3段階目の夢もそれこそたくさん見ます。そしてうまくいくときには、次の日にまた前の日の夢の続きを見ています。それと、どうしてか私がまたまったく同じこの日本なのだが、違う生き方をしている夢をずっとみているような記憶がかなりあります。そこの世界でもなんだか私はまた必死に毎日動きまわっ ているようです。
(このことは、私は本当に私自身がこの宇宙では何人もいて、それどれ別な生活をしているのだというふうに思っています)
 そんな毎日たくさん見ています夢のほんの一部をここで披露していきます。本当は、もっと毎日詳細に書いていけばいいのでしょうが、なかなかそうもいきません。
(夢を見たあと、すぐに内容を書けばいいのですが、そうしないとすぐに内容を忘れます)
 この私の見た夢を書いたのが、この部屋です。
 この「夢の中の日常」とは島尾敏雄さんの「夢の中での日常」を真似ました。
私は夢の中でも、なんだか必死に懸命にいろいろなことをやっているのですが、なんだかそれが夢の中でも、私には「日常」になっているのです。(2005.09.03)

   http://shomon.net/bun/yume.htm  夢の中の日常

 この頃、この私が夢を見た記録をより書くようになってきました。私のブログでは、

   http://shomon.livedoor.biz/archives/cat_714069.html  夢の中の日常

として書くようにしています。
 毎日見る夢をできるだけ記録したいのですが、なかなか出来ていません。目が醒めるともうすぐに忘れ果ててしまいますからね。
 でもできるだけ早く記録しようとすると、いくつものことに気がつき、いくつものことを思い出してゆけます。
 今後も毎日夢を見ていきことでしょう。できるだけ、その夢のことを少しでも記録していくつもりでいます。

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 ブルータスが結婚式をあげたのは1週間前の3月25日です。そして、25日の朝に籍も入れたとお母さんが報告してくれていました。
 でもそのときも、その後もただただ忙しさにかまけてブルータスのことをなかなか思い出していられませんでした。
 さすが昨夜は夜9時40分に眠ってしまいました。昨日は、午後2時少し前から、王子の音無川親水公園と飛鳥山公園を、長女夫妻とポコちゃんと妻と、ミツ君のお母さんと一緒に歩きました。もう大変に桜が綺麗でした。
 こうして歩いて、私は疲れたのかもしれません。とにかく、ただただ眠りました。

 そして夢を見ていました。私はブルータスの結婚式と披露宴での姿をずっと見ている夢を見ていました。ブルータスは結婚式では純白のドレスを着ていました。もう大変に手間と時間をかけて(インターネットでも必死に探して)、自分で購入していました。
 それがとってもブルータスには似合っていて、とても綺麗でした。
 そしてお色直しでは、着物姿で戻ってきてくれていました。これがとっても可愛かったのです。
 でも当日は、なんだかどちらもよく見ていることができませんでした。

 それが夢の中では、ドレス姿の綺麗なブルータスも、着物姿の可愛いブルータスも、両方をちゃんと見ることができました。
 夢の中で、私はただただ嬉しい思いの中で、ブルータスを眺めていました。「おめでとう。よかったね。必ず幸せになれるよ」と私は心の中で呼びかけていました。

 そんな夢を見ていて、嬉しくて、そして少し涙も出てきて、そして私は5時20分に目が醒めました。ああ、もうあの日から一週間目なのですね。
 ブルータス、おめでとう。パパはとっても嬉しいです。

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c3c832e2.jpg 私は今朝夢の中で、私より年上の方の「パソコンソフトが使えないじゃないか」というクレームで電話を受けていました。
 その方とは電話で話しているのですが、顔は見知っている方です。たしか漢字で2字名のソフトウェアでした(いくら思い出そうとしても、その漢字名が思い出せない)。
 だが私は、ソフトを作る能力もないし、私のその夢の中でも私の部下がソフト制作を受けたわけでもありません。間違いなく彼の勘違い、誤りなのです。
 ただものすごい怒りのクレームで、私が「それはもともと私のところでは受けていませんよ。どっか他に頼んだんじゃないの。第一私はソフトなんか作れませんよ」と言う暇を与えてくれません。
 実は、私にはそんなクレームの電話を聞いている時間余裕はないのです。そのあと、開かれる大きなミーティングの司会進行を私がやることになっていました。
 それは大事な会議でした。それでこの会社の進路を決定するべく、経営陣が考えているもので、そのために、私が司会進行役として選ばれたのです。私はその司会役には自信がありました。私は「こういう会議も、思えばやっぱり大事なのは、『政治』だからな」なんて思いがあり、かつそういう考えを抱いてしまう私自身のことを、「やっぱり問題あるなあ」なんても感じていました。
 そんなことをしきりに考えながら、もう断然とこの電話を切るかと思い出していました。だが突如切ったら、私より年上の方だから失礼だしなあ、でもこの勘違いはひどいものだなあ、なんて考えていました。
 そんなことを思う中、私の目が醒めました。朝の7時でした。
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 この夢のことは書かないでおいておこうと思っていました。
 でも今朝見ていた綺麗な夢のことを書いたことで、「あ、あの嫌な夢のことも書いておこう」という気持になりました。
 たしか1カ月くらい前です。

 私は夢の中で、ある女性の首を両手で締めていました。私はその手を緩めませんでした。別のその相手が憎いわけではなく、でもどうしてももう殺さないとならないという思いでした。
 そして私は夢の中で、その首を締めている相手の女性が、実は私自身であることに気がついていました。私は実は、私自身を殺そうとしていたのです。
 相手の女性は、抵抗することもなく、静かに殺されていきました。その相手の女性の穏やかな顔を今も思い出します。その穏やかで綺麗な顔を今も思い出します。でももう私は後戻りはしないのです。
 私にも孫が出来て、そしてとても可愛い。そして次女ブルータスが結婚しました。ブルータスはとても綺麗で可愛かったです。
 もう後戻りはできないのです。私はもう戻ることはしないのです。

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 私は今朝までとても綺麗な夢を見ていました。その夢のことをまた夢の中で考えていて、目を開けたくありませんでした。目を開けたら、その夢の綺麗な画像を忘れてしまうからなのです。
 夢は現実に私たちが見ている風景人物ではなく、私がアニメ映画を見ている夢でした。ただし、アニメと言っても、これを描いた人はとても絵の上手な方だと思われる絵であり、動画でした。
 夢の中では、おもちゃのような鉄道が走っています。煙をはく蒸気機関車が長い車両を引っ張っています。そしてその各車両にはたくさんの人が乗っています。その人たちがたくさんの人たちが窓から顔を見せています。
 そしてその顔はみんな笑顔で(でもしかめっ面している頑固な顔のじいさんもいました)、その笑顔をこちらに振り向けていてくれます。その顔は現実の顔ではなく、みなアニメの可愛い顔なのです。
 汽車が走っているのは、緑豊かな田園です。小さな街も走ります。小さな河も、小さな鉄橋の上も走ります。

 私は夢の中で、これは夢なんだと判っていました。でもその夢をずっと見ていたい思いです。最後に、その夢の中で私が見た画像を、大きく全体を見せてくれました。あ、汽車はここをこんなに走っていたんだ、そしてだからあんなに笑顔を見せてくれていたんだ。あのしかめっ面しているじじいは、多分少し汽車の速度が怖かったのかな、なんて私は夢の中で思っていました。
 野の緑も綺麗で、青い空も綺麗でした。

 私は夢の中で、「あ、私の心の中にデジカメがあれば、これを撮るのになあ」と思っていました。長い長い夢でした。
 私はもうこの夢を見た思いに嬉しくて、この夢の各場面を思い出す夢を見続けていました。目を開けたくない、目を開けると、あの綺麗な画像を忘れてしまうので、目を開けたくありませんでした。
 でも目は開けないとなりません。目は覚まさないとならないのです。

 そして私は現実の世界に還ってきました。

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高村光太郎
 さきほど、私の義弟からメールがありました。私の孫が生まれたことへ「おめでとう」もありましたが、他の用もありまして、それは重要なので、私は印字しました。
 それが私がプリンタに置いてあるヤレ紙の上に印字したのですが、私がメモしたあとがありました。私の妻が、「あれ、これ何書いているの?」という言葉があり、初めて思い出したのです。そのメモには、「シラー、○○」と書いてありました(今またこのメモがないので、○○がなんだったか判らない。「群盗」と「ワレンシュタイン」ではなく、別な言葉だと思うんだがなあ)。

 それは私の今朝のことです。私はまた夢を見ていました。いつも私はそれを「夢の中の日常」に書いておきたいのですが、いつも忘れてしまいます。だから、朝起きたときに、少しでもメモしておいて、書き出せば明確に思い出してこれるのです。
 私が朝思い出したのは、ゲーテに関する夢と、シラーに関する夢です。しかもその夢はまったく別々な夢でした。私はゲーテはかなり読んできていますが、シラーはその作品をひととおりに読んだだけなのです。
 でも、シラーの夢を見た思いが鮮明にあり、そしてその直前にはゲーテの夢を見ていました。だから、「これは、ちゃんと書き残そう」と思って、そのメモを起きたときに書きました。
 でもすぐに、自分の孫のことで電話があり、そのことでもういっぱいになってしまいました。

 その後夜になって、私のメモを妻にいわれて、「あっ」と鮮明に思い出しました。
 でももっとちゃんと思い出すべきですね。

 ただ、その思い出すことの最初に、こうして、これだけをまず書いて置きます。

 なんとなく、「シラーって、ゲーテの親友としてではなく、明確に大きく存在しているんだなあ」なんていうことを夢の中で感じていたことは今鮮明に思い出せます。

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 今朝夢をいくつも見ていました。たくさん見ていたので、なかなかちゃんと覚えているものはないのです。でも比較的記憶があるのは、義母の夢です。きのう私は我孫子へ行きまして、母とお喋りしました。
「もうずっとあちらのお母さんと一緒にいるんだよ」と話しかけました。母もかなり呆けが進んでいますが、私の話はよく聴いてくれます。まえには、「お前は、あちらのお母さんには嫌われているんじゃないんだろうね」と言っていたのが、今は何度も私が同じことをいうので、判ってくれたのかな、と思っています。
 その義母が私の夢の中に出てきました。夢の中の義母は現実よりももっと若くて私を見て笑顔で話しかけてくれます。「ああ、お母さん元気になったなあ」なんていう思いで目が覚めました。

 そしてまだ朝早いので、また私は眠りに落ちました。
 今度は、私の友人の昔日大全共闘だった彼が話しかけてきます。
 ブログをやったけれど、前にはうまくやり続けられなかったけれど、「今度は続けられるよ」といいます。私は嬉しくなって、たくさんのことを語ります。こういうふうにやっていけばこのまま続けられるよ、ということを私は話続けます。
 私は嬉しい思いでいっぱいになっています。彼はたしか今年で60歳になるんじゃないかなあ、なんていうことを夢の中でも思っています。私は今年誕生日を迎えれば59歳になるのです。

 そんなことをしきりに思っているときに目が覚めました。
 もっと細かいことをさきほどまで覚えていたはずなのですが、忘れてしまったなあ。起きたときにすぐ書くべきでしたね

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 私は夢の中で、進学教室の理事長をやっています。でも理事長といいましても、その進学教室はもう小さな規模でしかありません。
 新学期が始まるこの日、何人かのスタッフとアルバイトの講師と打ち合せをやっています。どういうふうにやっていくのかという確認の打ち合せです。

 私は実際に船橋に本拠を置いて進学教室をやっていたことがあります(ただしもう20数年、30年近くが経過しています)。日曜日のみの教室を千葉、船橋、市川、松戸で開催し、毎日夕方からの教室を船橋と松戸でやっていました。私は当初月曜日だけがお休みでしたが、そのうち月曜日は松戸へ行くことになって、休みの曜日はなくなるということで、やっていたものでした。
 夢の中での打ち合せが終わる頃、あるおばあさんが始めての小学4年生を入会させにきます。ああ、あれはお兄ちゃんが小6の生徒の弟だなとすぐ気がつきます。すぐにスタッフの女性が出て、応対しています。私も簡単な挨拶をします。おばあさんは私を信頼しきっているようです。だが、現実の私の心は、そんな信頼感に実に気がとがめているところもあります。「俺なんかでいいんだろうか?」

 いよいよ授業の開始です。私は「あれ、○○が来ていないな」と思い、突如気がつきます。「あ、俺はどうかしている。彼はきょうは松戸で、同じく新学期の開始なんだ」。そうです。きょうは、同じく松戸でも授業の開始日の新学期なのです。

 私は当初は理科を担当していました。だが、理科を教えるのは大変なのです。開成中学のあるときの理科の問題で、こういうのがありました(これも夢の中で思いだしているのです)。たしか以下のようでした。

 ある飛行機に乗っていたら、それが事故で、ある島へ不時着した。そこで棒を立て、その棒の影を見たら、このようになった(「このよう」というのはちゃんとその軌跡が書いてあります)。ここは一体地球上のどこで、そしてその棒の軌跡はこのあとどうなるのか。それを答えなさい。

 この問題で場所は、南回帰線(だから私は真っ先に「ヘンリー・ミラーかと応えたものでした)上の島というのはすぐに判るのでしたが、その後の棒の軌跡というのは、私には難しいのです。いや、講師でも実際に理科を教えていた小学校の校長先生や現役の先生でも、この棒の影の軌跡の答えがみな違います。

 でもそんなことを私は夢の中で思い出しながら、「○○が何故来ないんだ?」と私が思ったことをしきりに反省しています。「もう一つ大きな教室があることを、俺自身が忘れている」ということの反省です。でもきょう、あの4年生を新しく入れてくれたおばあちゃんの笑顔を思い出しています。その信頼に応えなくてはならないのです。

 そんな思いの中でさきほど目が覚めました。朝の6時でした。

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06122205 今朝また夢の中で、焦って起きました。朝6時15分でした。

 私は家族で沖縄に旅行に行っています。でも二人の娘はまだ小学生のようです。
 沖縄の那覇から、さらに飛行機で南島に行きます。行ったところは、宮古島か石垣島がどちらだか判りませんが、大きな島です。
 私はまだ時間的に早いので、妻と二人の娘と離れて、一人でバスに乗ります。なんだか独りで、南島の海の地平線を見たいのかもしれません。
 バスは南島らしい、乾いた白い路を走っています(あ、今思えばあの夢の中の路は舗装されていなかった)。

 着いたところで、海岸で白い砂と青い海を見ます。
 でも私はそうした沖縄の海だと、必ず海岸の白い砂を手にたくさんつけて、星砂を探すのです。石垣島でも竹富島でも、たくさんの☆砂が手にたくさんついてきます。本当に☆の形をしているのです。
 でも私は夢の中でそれどころではありません。

 海を見るよりも、私は自分の背景の後を振り返りました。そこのは、白い海岸のすぐ後にはたくさんの綺麗な家が建っており、そのさらに背景には、いわば摩天楼のようなたくさんのビル群がそびえているのです。そしてその光景は実に綺麗です。

「え、南島って、こんなに変化繁栄しているんだ」

と私は声をあげます。実に驚くほどの変化繁栄です。
 でも私は急に自分の家族に逢いたくなります。
 そこでバス亭に戻ります。バス亭まで戻る路は、白い砂が綺麗で、海水も入り込んで実に狭い路になっています。でも私は急いで帰ります。

 バスに乗ります。何故かバスはいっぱいの人です。長い距離を走ります。
 そして私は、「早く早く、家族に逢いたい」という気持でいっぱいになっています。それでバスで払う料金が実に多いコイン玉で払わないとなりません。「なんだか数えるのが大変だなあ」なんて思っています。
 そしてバスを降りました。でも実はどこで降りたらいいのか判らない。でも私はもう降りて、走って行く気になっています。

「こんな綺麗な南島に来て、娘たちは喜んでくれているだろうな」なんて思いで、私は走り出しています。

 そこで目が覚めました。

 なんで、あんな夢なのでしょうか。私は南島はものすごく好きです。そして私の故郷だと思っています。
 でもその私の故郷の南島が、あんなに綺麗な海と綺麗な路をそのままにして、そして大都会になれているというのは、私の心からの願いです。

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