将門Web

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Tag:大前研一

12010801 大前研一は、たぶん候補者のなかでは政治的な見識も、経済政策的な見識も、学問も、格段に優れているとおもう。でも都民大衆の票を獲得するのには何かが欠けているような気がする。ひと口に、欠けているものは見識ではなく、大衆性だといってもいい。譬てみれば、芸術大学の声楽科の研究生や教師が郷ひろみの歌唱は発声法が出鱈目だからだめだと評価したとしたら、だめなのは研究生や教師のほうで、郷ひろみはやはり偉大だと、評価できるような大衆への叡知がないのではないかと思わせるところがあるような気がする。
「情況との対話第29回−都市博中止は是か非か」徳間書店「サンサーラ」1995年8月号に掲載

 実をいえば、大前は子どものときから吹奏楽や合唱をやっており、それこそが自分の思考の原点なのだと言っているようなところがあるから、「郷ひろみなんて冗談じゃない」というところがあることだろう。それをこうして指摘されれば、大前はくさりきってしまうだろう。できたら大前なんかには、もうくさりきってほしいものだ。

11010103書 名 加算混合の発想
著 者 大前研一
発行所 プレジデント社

 この本でまず読みたかったのは、「6.安全-原子炉から経営戦略まで」という章です。全文抜き出してもいいようなところなのですが、その一部です。

   徹底したフェラル・セーフの思想
  原子炉の設計においては、常識では考えられないようなフェラル・
 セーフの思想が貫かれている。失敗しても安全、ある装置が作動しな
 くても他の装置が動く、という、幾重もの守りがついた設計になって
 いるのである。
  MIT(マサチューセッツ工科大学)で原子炉の設計を教えていた
 のは、アメリカ原子力委員会の委員をしていたトンプソン博士である。
 彼は自らMIT炉の設計を手がけ、この分野では聖書ともなっている
 『原子炉の安全』という大作を残している。
  彼の授業はいつも緊張に満ち、また将来原子炉設計者たらんとする
 私たちに、安全設計の思想を徹底して教え込んだ。今でも印象に残っ
 ているのは、ある日彼が新潟地震で崩壊した橋の写真を見せて、「こ
 れでこの設計者の一生は終りだ」と言いったまま、長い沈黙を保って
 いた光景である。
  設計者にとって、自分の計算ミスから大事故につながるぐらいみじ
 めなことはない。だからこそ原子炉の設計者は、独自の安全係数をポ
 ケットにしまい込んでいるのである。このため、しゃへい体は厚くな
 り、燃料ピンの被覆も厚くなる。また、炉の出口温度は実際よりも高
 く計算されがちになる。設計にたずさわる個々の人が、自分の担当し
 たところに少しでも余裕をもたせようとした積み重ねの結果である。

 技術者や科学者は常にこうした姿勢であるべきだし、これこそが技術者だと思うのです。

  絶対的に安全な装置などありえないから、おまえは科学技術の現場
 にあって技術にたずさわること、あたらしい技術を開拓することをや
 めるかといわれれば、わたしならやるにきまっている。危険な装置の
 個所や操作の手続きに不安があれば、何度でもおなじ実験をくりかえ
 して、対応の方法を見つけだすまでやる。それが技術家の良心だ。
         (吉本隆明「試行1989.2号情況への発言」)

 吉本さんもおなじことをいっていると思います。
 この大前研一のこの文は、原子力発電に関するかなりすぐれた文章であると思います。
 この本の題名の加算混合とは、

 (略)赤、青、緑……と混ぜてゆくうちに、だんだんと減色し、つい
 には無色となってしまう、という加算混合の現象を想い浮かべていた。

というところにあります。日米経済戦争でいえば、アメリカ人が外圧と感じるものと日本人が外圧と感じるものを混ぜ合わせれば、そこに透明な真実の姿が見えてくるという主張です。それを「日米自動車戦争」という章で、模擬公聴会という想定問答で書いてあります。いまブッシュの前での宮沢首相なんか、ここのところ読んでいけばいいのになと思いました。いやたぶん読んではいるのだろうけれど、結局わかってねえんだよな。
 しかしこの本が1980年に書かれていたなんて思えません。いまでもいきいきとした著者の発想が伝わってきます。(1988.11.01)

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 私がこの絵本を昨日借りてきて、でもただ絵を見ていたばかりで、ちゃんとした物語なんだというのは今朝になってしって、いわば初めて読んでものでした。
 このレオ・レオーニは、最後の扉に、紹介されています。その中で

 その多彩な創造力は絵画、グラフィック・アート、デザインの各分野で示されています。

とあります。だから、こうして絵の具を混ぜ合わせれば、減算混合で、孫の前では、面倒くさいことになるというのは判っていたことでしょう。
 私は次のように書きました。

 でも本当を言うと、たぶん子どもたちは、黄色と赤(これは日本人の言う赤ではなく、マゼンタの色です)も混ぜることを言い、レオもそうしたでしょう。そうすると、綺麗な金赤の色になります。

 ただし、日本人だとマゼンタも金赤も「赤」と表現してしまいますね。でも日本人が「赤」というのは、本心は「マゼンタ100%+イエロー100%」の色を「赤」だと思っています。
 だから少々面倒なのです。

 だが、私は自分の孫には、レオ・レオーニのようにではなく、減算混合ではなく、加算混合で、いわば光を使って見せよう、それにはパソコンを使おうと考えたのです。
 あ、それから私が昔、かなり関心して読んだ本が以下の大前研一の本です。

  http://shomon.net/kankyo/bookkan1.htm#oomae  大前研一「加算混合の発想」

 1980年という時代に、私なんかまだ減算混合しか知らなかったときに、これを書かれています。ただただ感心して読んでいたものでした。

 でも今思い出しました。昔小学生3年の頃(名古屋市南区の桜小学校にいました)、みんなで絵の具を混ぜることをしたのです。赤、黄色、青、緑等々をいっぱい混ぜ合わせると、みな「どんな綺麗な色になるのかなあ」と期待していたのですが、実際に目の前でやると、ただただ汚れた黒に限りなく近い色になるだけです。実は、私は前もって家でもやっていたので、結果は知っていましたが、その原理は判りませんでした。
 だからポコちゃんには、加算混合を見せてあげたいなあ。

 周の雑読備忘録「レオ・レオーニ『あおくんときいろちゃん』」 の3へ

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