将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:大口昭彦

12030905  安田弁護士が本日不当に起訴されました。ただただ怒りをもつだけです。以下港合同法律事務所の抗議声明を転載します。(98/12/25 21:41:17)

          抗議声明
  本日、東京地方検察庁は安田好弘弁護士を、強制執行妨害罪をもって、不当にも起訴し、東京地裁に対して公判請求しました。
  この暴挙は、安田弁護士に対する不当な攻撃であることはもちろん、当事務所に対する弾圧であり、ひいては弁護士業務の根幹に対する破壊政策でもあります。12月6日の逮捕以降、全国的に急速に広まった安田弁護士逮捕に対する怒りの抗議、当事務所に寄せられた多くの市民・弁護士の激励には、ひとしくこの点が指摘されています。
 私たちはこれらの激励・支援を寄せてくださった全国の皆様と固く連帯し、安田弁護士の無罪を勝ちとる戦いに立ち上がることを、ここに宣言します。

 1998年12月25日
  東京都港区赤坂2丁目14番13号シャトレ赤坂5階
        港合同法律事務所
        弁護士大口昭彦 弁護士遠藤憲一

11082005   Friday, July 09, 2004 11:15 PM
畏れ多いです。
 メール交換する相手??そんな言い方は畏れおおいです。私は教えを乞うているだけです。でも聞くのが怖い。できてよかった???山ほどいらっしゃると思っていましたが?
 なんだかわかりませんが、いざ出陣ですね。中坊こうへいさんみたいですね。しかし意気もくじけるような暑さです。怠惰な人間は暑さに弱いと相場がきまっています。でも先生はアルコール駆動だし、暑さに弱いとは思っていませんでした。

 12台目のパソコンか。パソコンに対する愛情がひしひしとつたわってきます。しかし先生も正直なかたですね。そんな苦労をするより。資金に余裕があるなら15万ぐらいのキットを買って組立て、いかに苦労して五万のうちにおさめたか恩着せがましく話しておけばよかったのに。それにそのような自分にしかメンテナンスできないパソコンでは確かに寄付できませんから、もうすこしオーソドックスな部品で誰にでもメンテナンスできるパソコンを組み立てれば苦労も少なく、リサイクルもきくのではないでしょうか?しかしそうすると自作する楽しみがなくなるというのでは何もいえませんが。でもこれ以上造れないという今の状況でも自作する楽しみがないのは同じことですね。 MM

   Tuesday, July 20, 2004 11:10 PM
Re: 畏れ多いです。

なんだかわかりませんが、いざ出陣ですね。中坊こうへいさんみたいですね。

 ええと、私のホームページには以下のページがあります。

  安田弁護士の不当起訴に抗議する!

 この安田弁護士は、私の会社の監査役の大口昭彦さんと同じ事務所です。この彼が不当逮捕されたときに、私はすぐさまインターネット上で闘いだしました。このとき逮捕したのは、もちろん警視庁ですが、この動きを煽っていたのが、中防公平です。ですから、私はこの人間は過去・現在・未来に渡って決して許しません。まあ、話せば長いことになりますが、暇なときに、ここを読んでみてください。
 東京地裁段階では、安田弁護士は当然無罪になりました。

でも先生はアルコール駆動だし、暑さに弱いとは思っていませんでした。

 いえ、もう暑いのだけは駄目ですね。ちょうどこの前のメールで書きました1968年での府中刑務所の勾留は、この暑さがきつかったですね。なにしろ、部厚いコンクリートの壁で、涼しい装置は団扇だけでしたからね。

12台目のぱそこんか。パソコンに対する愛情がひしひしとつたわってきます。

 パソコンはちゃんと使うことが大事なんですよ。学生活動家時代の、ガリバン・鉄筆・謄写版等に比べて、パソコンというのは、どんなに楽なことでしょうか。その活動家が、今になって、それを使えないというのはとても哀しいことです。

しかし先生も正直なかたですね。そんな苦労をするより。資金に余裕があるなら15万ぐらいのキットを買って組立て、いかに苦労して五万のうちにおさめたか恩着せがましく話しておけばよかったのに。

 いや、それは絶対にできないですね。相手がどんな方であっても、やはりいい機械をぜひ普通に便利に使ってほしいのです。私は現在、自民党系の人でも民主党系の人でも、パソコンを見てみてあげているところがあります。そういう人たちにも、本当にきちんと使ってほしいからちゃんと教えていますよ。パソコンも可愛いけれど、それをちゃんと使おうと努力する人も大事じゃないですか。
 ただね、ちゃんと使えない人がいるとなんだかやっぱり哀しいのですよ。
 実はね、私のホームページは吉本隆明さんに関するサイトと紹介されるところが多いのですが、一番アクセスが多いのは「自作パソコン」のページなのです。これはまた面白いことなんですよ。

  周の自作パソコン講座

それにそのような自分にしかメンテナンスできないパソコンでは確かに寄付できませんから、もうすこしオーソドックスな部品で誰にでもメンテナンスできるパソコンを組み立てれば苦労も少なく、リサイクルもきくのではないでしょうか?

 いや、パソコンというのはそういうものではないのだと私は思っていますよ。パソコンというのは、いわゆる「コンピュータ」というものだけではないですよ。私はね、子どものときから、機械を使うのが不得意でした。工作も苦手だし、中学の「職業家庭科」も苦手でした。でも、このパソコンは違うのですね。私の次女が、私について、次のように書いていてくれます。

  父について

 私は嬉しいですよ。
 今ちょっと前に、この次女は帰宅しまして(実は私も昨日は、事務所に泊まりまして、ひさしぶりの出会いです)、次女は本日同僚の先生方と一緒に飲みまして、やっぱり私のことを話したようです。私はやっぱり全共闘ですから。私は前々から「だから、その先生方とパパと一緒に飲ませろよ」といっているのですが、なかなか実現できません。私のことを、単なる「全共闘(彼らが思い込んでいる全共闘の概念)と思っていると、私のように、ただただひたすら飲んで、ひたすら詩吟と軍歌と三橋美智也の歌を唄い続けると、彼らは驚愕することでしょう。これが私たち全共闘なんですよ。
 でもとにかく、パソコンの自作はまたやらないとなりませんね。秋葉原の悲惨な地帯で、またいろいろと交渉する愉しみも、続けないといけないですよね。
 ただね、たとえば新宿の歌舞伎町の悲惨なキャッチのおばちゃん、おじちゃんと交渉言い合いを続けるのも大事だしなあ、なんて思っております。やはり身体と強烈な精神が大事ですね。昨日、錦糸町の「河内音頭」の大盆踊りで、さすが疲れました。ずっと事務所で写真のスキャナ撮りをしていて、そして錦糸町へ行って、そして腹一杯飲んで、上々颱風の、ボーカルの映美ちゃんと飲んで話して、そしてまた事務所へ帰りまして、また仕事をして、そして……………なんてこととばかりが続きまして、………………そして疲れましたよ。
 あ、それから、「将門Webマガジン」の最新号を送るの忘れていました。このあと送ります。
 また。萩原周二
(第209号 2004.08.16)

11081404Monday, June 28, 2004 8:22 AM
どうぞお使いください

  こうして返事が遅くなりごめんなさい

 いえ、あの、礼状にまで返事がいただけるとは思っていませんでした。
 メールはご自由にお使いください。誤字はなおしておいてくださいね。

 私がだれにもわからないだろうと思うのは騎馬軍団のことなんです。これが五千騎もぶつかり合っ時にどんなふうに見えるか離れたところから観察して詳しくかいた人はいないんじゃないでしょうか。

 学生運動のことは一世代違うと本で読んだだけで戦国時代の情勢よりまだわかりにくいぐらいなんですが、宮崎学の突破者にかなり暴力的なシーンがあったように書いていましたが。広い範囲で起こったので場所によって違うのかもしれません。しかし今やほとんど伝説的な時と場所にいらっしゃったとは!!驚きです。私は浅間山荘事件の時中学生で、廊下ですれ違った国語の教師に、大人になっても赤軍派みたいなのにはいったらあかんで、といわれました。

 兵站の大事なことは水滸伝にもよくでてきます。日本軍は兵站は現地調達を中心にするという方針だったと何かで読んだ記憶があります。ひどいもんですね。クワイ川捕虜収容所とその反対のアーロン収容所は読んだことがあります。

 今回一番下までよく見たら確かにメールへのリンクのアイコンがありました。あの時はなぜか目に入っていませんでした。いつも詩の終わりまでしか読まなかったからでしょうか。お気づきでしょうが粗忽者です。MM

   Saturday, July 03, 2004 7:49 AM
Re: どうぞお使いください。

 まずは、これに返事を書きます。

私がだれにもわからないだろうと思うのは騎馬軍団のことなんです。これが五千騎もぶつかり合っ時にどんなふうに見えるか離れたところから観察して詳しくかいた人はいないんじゃないでしょうか。

 前のメールでも少し書きましたが、騎馬軍団の戦いに関しましては、たくさんの方が書いています。
 そうですね、真っ先に思いだしましたのは、ナポレオンの最後のワーテルローの戦いでの、最後の近衛軍団の突入です。英国ウェリントン軍にたいして、ナポレオンは、騎馬近衛軍団の密集突入を命じます。しかし、これはブュリッヘル率いるプロイセン軍を、友軍のグルーシー将軍の軍団だと思い込んでしまったナポレオンの判断ミスでした。また、実は退却まで考えていたウェリントン軍のナポレオン軍に対する集中砲火攻撃は、密集する騎馬軍団にはかなりな効果を与えたようです。このことは、いくつもの書物に詳細に書かれています。
 また思いだしたのは、カエサルとポンペイウスとの最後の決戦であるペロポネソス半島でのフェルサルスでの戦いです。この戦いでは、ポンペイウス軍5万4千の軍団だったのにたいして、カエサル軍は2万3千の兵力でした。しかもカエサル軍1千の騎馬軍団にたいして、ポンペイウス軍は7千の騎馬軍団であり、そして決定的だったのは、このポンペイウス軍の騎兵は、当時最強の騎兵だと言われていました。この騎兵たちは、ローマ貴族の若き兵士で、しかも当時イケメンの美男子ばかりを揃えているので有名でした。
 これにたいして、カエサルの作戦が周到に準備されます。たくさんの徒歩の特殊部隊を作り、騎兵の前に踊り出る訓練を何度もします。急に馬の前に現れて、そこで槍で、いきなりイケメンの騎兵の顔を狙うというやり方です。これを執拗に執拗に訓練します。
 これが、戦争当日見事成功します。ポンペイウス軍のイケメンの騎兵たちは、いきなり馬の前に飛び出してくる男たちに、驚き、かつ大事な顔を狙ってくる槍に、大事な顔を両手で覆って、馬を躍らせたり、落馬するものが続出したといいます。この中で、カエサル軍が勝利し、ポンペイウスは逃げ、エジプトへ逃れます。このエジプトでポンペイウスを伐つのが、エジプト軍で、ここでカエサルはクレオパトラと出会うことになります。
 この騎馬戦のことは、有名でして、たくさんの本に書かれています。そしてその原典といえば、プルタルコス「対比列伝」であり、カエサル「内乱記」です。両方とも、文庫本になっていますよ。また、今は、塩野七生さんの「ローマ人の物語」にも書かれています。
 ほとんど、こうした本は今文庫本で読むことができます。文庫本でなくても、図書館等で簡単に読むことができます。
 騎馬軍団といえば、ジンギスカンを思い浮かべますが、その騎馬軍団のあり様を詳細に書いてくれているのが、マルコポーロ「東方見聞録」ですが、この本は平凡社の「東洋文庫」(これは文庫本ではありませんが)にあります。
 その他、たくさんあるのですが、小説になっているものでも、「あ、これは古典からよく書いているんだな」と思うものがたくさんあります。栗本薫「グイン・サーガ」なんか、「あ、これは『甲陽軍鑑』と『北越軍記』からそのまま書いているな」なんていう戦闘シーンが、そのままあります。
 私が最初に思いだした近代の人でいいますと、日露戦争での秋山好古がいます。彼はロシアのコザック騎兵に対する戦いを予定して、ずっと学んでいくのですが、彼がプロイセンの「騎馬戦の得意な軍人は、アキレサンダー、ハンニバル、カエサル、ナポレオンだ(もっと名人を述べたのかもしれない、なにしろ記憶だけで私は書いていますから)」と述べる教官にたいして、「いやもう一人いる。それを忘れないでほしい」といい、「それは日本の源義経だ」なんて言ったといいます。思えば、義経の騎馬に関する考え方、戦い方も、たしかにすごいななんて思うものでした。

学生運動のことは一世代違うと本で読んだだけで戦国時代の情勢よりまだわかりにくいぐらいなんですが、宮崎学の突破者にかなり暴力的なシーンがあったように書いていましたが。

 ええと「突破者」で、社青同解放派(および中核派やブンドマル戦派)が革マル派に、早稲田構内にてゲバルトで負けるシーンがありますね。あのとき、頭から流れる血をものともせず、ものすごいアジテーションを展開したのが、大口昭彦です。彼は、当時全共闘(のちの全共闘時代の全共闘とは違います。正式には早稲田大学全学中央闘争委員会といいました)議長で、雄弁会で、剣道4段でした。現在はずっと私の会社の監査役です。その他、あの「突破者」に出てきます早稲田の活動家は、みな私の顔見知りか友人です。大口さんは、今は弁護士さんですが、実に頑張っていますよ。私も彼の仕事を手伝い(「これは、俺がやるんではなく、経営コンサルタントがまだやり直せると判断できる経営状態じゃないの」と判断されるとき、私に仕事がきます)、また私も裁判等々を彼に任せることもあります。そういえば、彼は今も剣道が好きですが、何故か今は、柔道を真剣にやっています。なんでかなあ。
 また「突破者」を書いた宮崎さんとは、この作家になる前からの友人です。彼は実は学生時代は、私たちのまったくの敵であった日本共産党の軍事組織の長であったわけですが、ある浅草でやる大きなイベントのときに知り合いました。でもなんだか「あいつは、元日共だぞ」という情報で、最初の最初は警戒したのですが、知り合うと(当然、日共はとっくにやめていて、否定している)、もうとてもいい男です。ただ、彼は全然酒が飲めないので、その点は残念です。
 ただ、何かあると、「それは周ちゃんに頼みな」なんて、言ってくれて、その相手が私のところを尋ねてきますよ。
 まあ、こうした活字になる活動家も、名もない活動家も、みなたくさん友人です。

兵站の大事なことは水滸伝にもよくでてきます。日本軍は兵站は現地調達を中心にするという方針だったと何かで読んだ記憶があります。ひどいもんですね。

 ひどいです。ただし、これは第2次大戦時に、そういう日本軍になってしまったという感じですよ。インパール作戦での、牟田口中将の「ひよどり越え作戦」なんていう言い方からが、私には許せません。

クワイ川捕虜収容所とその反対のアーロン収容所は読んだことがあります。

 クワイ河マーチというのが、「戦場にかける橋」のテーマ音楽ですね。でも私の父は、あの音楽も、日本軍の兵士(名前と所属と出身大学まで正確に言っていました)が作曲したものだといいます。それをアメリカは盗んでしまったのですね。それに、あの映画の最後は、まったく事実と違っています。泰緬鉄道の橋は爆破されたのではなく、今もビルマ(ミャンマーといわなきゃいけないのでしょうが、昨日1軒目で飲みに行った店にも、この国の女の子がいて、私もこの泰緬鉄道のことを喋るのです)や、タイの人が日常生活で使っています。
 アーロン収容所に関しては、私は以下を書いています。

  会田雄次「アーロン収容所」

 そうですね、もうたくさん言いたいこと、いうべきことがあります。イギリスという国は大嫌いですが、米国ほどひどくないところがあるのかもしれません。米国は、イラクで、悲惨でひどいことをやっていますが、あれはあの国の建国以来のものです。日米戦争の大平洋での島々で、日本軍がほぼ玉砕しているところが多いのですが、あれは日本軍が勇敢だったからではなく、米軍が残虐だったからです。アメリカの原住民たるインディアン掃討戦における米軍の残虐性が、この日本軍に対しても、そのまま出ています。それは、米軍の従軍看護婦だったヘレン・ミアーズ「アメリカの鏡−日本」やリンドバーク日記で明らかです。(ただし、ヘレン・ミアーズの本は、米国ではずっと長い間発禁状態でした)米軍が、スー族やシャイアン族やアパッチ族にたいして行った虐殺残虐行為を、日本軍にたいしてそのままやっているんですよ。そして今は、イラクでまたやっているんです。 またメールしますね。萩原周二
(第204号 2004.07.12)

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 昨日この新聞を手にして声をあげました。「早大全共闘から三派全学連へ」という活字の横に、大口さんの顔写真が載っていたからです。「しばらくお会いしていないなあ」ということを真っ先に思ったものでした。

新聞名 図書新聞第2911号
発行所 図書新聞
定 価 240円
発行日 2009年3月29日
読了日 2009年3月22日

 大口昭彦氏(元早大全共闘議長)に聞く 60年代・70年代を検証する
早大全共闘から
三派全学連へ
大口昭彦(聞き手・小嵐九八郎)

 これは実に長いインタビュー記事です。思えば、大口さんは、私よりも4歳年上なのですね。

▲大口昭彦(おおぐち・あきひこ)氏=1944年神戸市生まれ。63年、早稲田大学入学、ラグビー部、剣道部に所属、学生運動に参加。65年第一政経学部学友会委員長に当選、さらに全学共闘会議議長に就任。66年1月からの早大全学バリケードストライキを指導。二度にわたる逮捕、除籍処分を受けるが、早大生の圧倒的な支持が寄せられる。以後も早大を代表する学生運動のリーダーとして活躍。70年に京都大学に再入学。81年、弁護士となり、1047名鉄建公団訴訟など国鉄や全逓の労働者、三里塚農民、学生の運動を一貫して支援し、また靖國訴訟などに取り組んでいる。

09031813 全共闘運動が大きく開花した一九六八年に先立って、六六年に早稲田大学で第二学館の自主管理・運営権を求め、学費大幅値上げに反対する学生たちの全学ストライキが闘われた(第一次早大闘争)。早大史上初の全学バリケードストライキ突入、連日のような三〇〇〇〜八〇〇〇人の集会とデモ、機動隊の度重なる導入、一万五〇〇〇人が集まった総長団交、本部封鎖をめぐる体育会系との衝突、期末試験ボイコット、一挙二五〇人逮捕をはじめとするあいつぐ大量逮捕、機動隊常駐の戒厳体制下での入試、四年生の自主卒業式、全学部の再ストライキ突入、大浜総長辞任、除籍・停学の大量処分、そして各学部学生大会でのストライキ終結と、一五五日間にわたる波乱の展開であった。それは、六〇年安保闘争敗北後の学生運動、労働運動が再興していく大きなステップとなった。この闘いを担った早稲田大学全学共闘会議の議長であった大口昭彦氏にインタビューした。(編集部)

09031814 大口さんは、私には活字上の方でしかなかったのでしたが、初めてお会いしたのは、1972年に、私は埼玉大学の6年でしたが、7月14日のパリ祭の日に、京都駅前で、ダークスーツにサングラスで集まろうといういわば悪い冗談にのって、出かけました、この日は大阪の大昔の革共同の浜野さんという(昔参議院選挙に出ています。黒寛も、赤尾敏も出ていた選挙でした)御自宅へ行き(でもこの浜野さんからもずっと年賀状をいただいていましたね)、それから翌日また京都へ行きまして、平安神宮で、当時京大へ入学されていた、大口さと初めてお会いしました。
 平安神宮でお参りしたあと、飲み屋で数時間過ごしましたが、大口さんは正座を少しも崩さず、私のようなチンピラ活動家は、ただただ唖然としてしまったものでした。

 その後社会に出てからも、私には、一貫として尊敬いたします大先輩です。ただし、靖国神社の問題などでは、どうしても私は話が合いませんから、私が調子に乗ると、怒られてしまいます。大口さんは、今でも厳然とした左翼なんですね。

小嵐 剣道の方は、結局、今は何段なんですか。
大口 四段です。もっと稽古しなければいけないんだけど、心がけています。

 ずっと剣道一筋、左翼一筋の方ですね。

党派を超えて仲のよかった彦由常宏氏(故人、当時早大の中核派活動家)とか、生協のN氏とか、文連のS氏なども剣道をやってました。

09031815 この彦由さんにも、私は可愛がってもらいました。私が赤坂の広告制作会社にいたときに、彦由さんにも会社に来てもらったことがありました。

小嵐 当時、早稲田で学生運動に参加していくのはどういう形態だったんですか。
大口 それは、革マル派との関係が問題でしたが、大衆運動としては、社会主義青年同盟・解放派と社会主義学生同盟(ブント)とマルクス主義学生同盟・中核派によるいわゆる「三派連合」ですよ。とくに、六〇年安保闘争敗北後の分裂状況の中で日韓会談反対闘争をきっちりやっていたのは三派連合だったんです。それに構造改革派が参加してきてました。

 思えば、私の年代の懐かしい思い出に繋がっていく時代の動きでしたね。もう私の中でも、もはや思い出でしかなくなってしまいましたが。

小嵐 早大闘争の中で印象に残ったことは何ですか。ここに大口さんのストライキ突入宣言があるんですが、「本日、結集された全学生諸君! この記念すべき日を迎えたことを喜びたいと思う。早稲田の全学部が圧倒的な力の結集をもって、ストライキに突入することを確認しようではないか。僕たちは、学費値上げ粉砕、学生会館の管理運営権の獲得の要求をまさにわれわれの、その結集した力として断固かちとっていかなければならないのだ。そしてそのために本日、結集されたことを喜びとして迎える。」とね。解放感が湧き出ていますよね。

 思い出しても、やはり三派というのは(実際には三つの派ではなく、もっといたわけですが)、魅力あったと思いますね。王子闘争、三里塚闘争というのは、実際に参加してみて、実に魅力があったかと思っています。

大口 三派全学連といわれますけど、三派の力が拮抗していて、かなり強かったからそういうんで、実際にはいろんな党派、グループが総結集する求心力があったということですよ。反革マル、反民青ということが、逆に排除ではなくて、吸引するものだったという情勢だったですよね。いろんな人がいてもいいという運動ですよ、三派の運動は。
小嵐 そうですね。そういう三派が基礎になって、基盤をつくって、その上に六八年からの全共闘運動が起こっていくわけですから、大きな意味がありましたね。
大口 一政だけじゃなくて、当時の活動家や意識的な学生は党派的にある程度系列化はされているけど、全体として三派支持だったんですね。三派が分裂するんじゃなくて共闘することを望んでいたということでしょうね。

 もう今では、ただただ思い出だけですが、でもこれからも思い出していくことでしょう。

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 私がこの「ある弁護士からの内容証明」という3つのUPをしましたのは、今朝NHKテレビで、今はお年寄りを狙った詐欺が多くなっており、それに対して、解説者が「弁護士に依頼すればいいのですが」というようなことを言ったからです。私は「弁護士なんて信用できないのが多いよ」と声をあげました。
 私は不断から、

  弁護士というのは、能力のないのが5割、悪い奴が4割、まともなのは1割

と言っています。そして私が信用できるのはその1割のさらに少ない数です
 私が信用している弁護士というのは、実にわずかですが、確実に存在しています。私がずっと信じている大口昭彦弁護士は、もう私が実に尊敬する方です。彼は、実は剣道4段であり、彼の手帳を私が盗み見たときに、剣道のことがずっと書いてありました。
 かつ、私とある方の相談事に行ったときに、その帰りに、ある剣道道場があったのですが、そこで練習している大勢の少年少女たちを、「いいなあ」と行って見ている大口さんには、実に私は感激していたものでした。
 思えば、この大口さんは、三派全学連のときに社青同解放派の早稲田大学の活動家だったわけですが、それが実によく判る気がします。解放派って、なんだかあんな方が多いんだなあ。
 私がこの大口さんと始めてお会いしたのは、彼が京都大学へ通っているときであり、京都のある飲み屋で始めてお会いした大口さんは、酒は大量に飲みますが、最後まで正座をくずさずに、「これは実にいい男だなあ」と私は感動し続けたものでした。

 彼の紹介で、私は何人もの方にお会いしました。弁護士ですと、法的な問題は解決するように努力されるわけですが、「これは法の問題ではなく、経営の問題だ」というときに、私のところに来るのです。
 あるときに、その相手の経営者がどうみても、「これは昔は活動家だが、でもなんだか喋り方が違うな」という方が来まして、「大口さんとはどういう知り合いなのですか?」と聞きましたら、それはもちろん昔の早稲田大学の活動家でしたが、なんとそのセクトが日学同だったのです。
 彼がいうのには、

 自分は、日学同でした。新右翼です。大口さんは、社青同解放派、いわゆる三派全学連、新左翼ですが、本当はあの方も私たちと同じ新右翼なんです。でも私たち右翼がだらしないから、ああゆう方は三派のほうに行ってしまったのです。

 それで私は、何人もの早稲田の活動家の名前をあげました。例えば、もう亡くなりました彦由さんをあげましたところ、

 あの方も、本来は右翼なんです。でも私たち右翼がだらしないから、あの方も三派のほうへいきました(彦由さんは早稲田で珍しく中核派でした。彼がテレビに出ていたときは、私はいつも心配で見ていたものでした)。

 でもその他私があげる早稲田の活動家もみな

 あの方も、本来は右翼なんですが、私たち右翼がだらしないから、三派のほうに行かれていました。

といわれるばかりでした。
 でもなんだか、その言葉が私にはよく判る気持がしたものです。思えば、彦由さんも、何故か私を可愛がってくれたなあ。

 とにかく、いい弁護士を見つけましょうね。私が今何故かときどき王子駅で出会います弁護士さんも、いい弁護士ですよ。思えば、ああゆう弁護士さんに会うのは至難のことなのでしょうね。

 ある弁護士からの内容証明 の5 へ続く

続きを読む

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 私の 東京南部小包集中局旅人moo00の冒険人生 さんから次のコメントがありました。

1. Posted by moo00    2006年08月07日 01:45
 周さん、色々なお話、ありがとうございます。

 なんとなく私の入局当時を思い出していました。 土地バブル期です。
 当時は主に、社会党系の全逓と、民社党系の全郵政の二つの労組がありました。
 どちらも御用組合で、既に腐っていたと思います。
 新入職員にはオルグが待っていました。
 採用通知を届けた職員が組合に情報を漏らし、家を訪問するなど、個人情報の取り扱いなど実にひどいものでした。
 入局してもオルグは続き、帰りには待ち伏せされたり尾行されたり、最後には「入らないと仕事を教えない」ということまで執行委員が堂々と言ってた有り様です。
 組合ベッタリの人間ほどひどいイジメをしていました。
 20歳前後の新入職員にです。
 私の左翼不信、組織不信はこの辺りから始まっているようです。
 役人時代はあまりいい思い出はないですね。

 お酒はぜひいつか飲みましょう。色々とお話をうかがいたいですよ。

 ええとね、私が思うのですが、全逓等々は私たちには、既成労組でしかないから、別に私はもともとそんなところを全然信用していませんよ。そもそも私は公民権停止が長く続きましたから、選挙権すらないし、就職も、そうしたところへは全然関係(公務員には全然なれない)なかったよ。就職といってもね、まったく普通の会社とは関係なかったですよ。でも私はそうした事態にも、別に就職差別だ云々なんて気持は少しもなかったです。
 まあね、あちこち就職するときに、ほんのときどき、「あなたはこれだけの経歴があるのだから、無理だよ」と教えてくれる会社がありましたが、私は「あ、そうか」なんて気がついて、でも次の瞬間には忘れていました。
 それから、「採用通知を届けた職員が組合に情報を漏らし、家を訪問するなど、個人情報の取り扱いなど実にひどいものでした」やその他書かれていることは、まさしく既成の労組や規制の党派であって、いわゆる本来の左翼とは無縁のものだと思いますよ。

 私の知っております、先輩の唐牛健太郎と島成郎も、私たちの時代の大口昭彦も、そういうものとはまったく無縁の人たちです。無縁というよりも、そういう傾向と闘ってきた人たちだと思いますよ。

 まあ、私もある会社で労働運動はやったことがあります。実はその思い出をすべて書いておこうという気持はあるのですが、まだできていません。一部その最初のアジビラだけ、書いてあります。

   私の労働運動における最初のアジビラ

 この労働運動は、実に面白かったですよ。組合もなにもない会社でしたが、私のこのアジビラを出したときから、みるみるうちに闘いを組織し、組合を結成して、すぐさま時限スト、無期限ストを貫徹し、そのときの要求をすべて会社にのませました。なにしろ、私はこのスト決議のときにいつも私が一票で負けていました。いつも私は過激なスト提案だったのね(しかもいつも孤立していた)。
 そしてね、私たちが一番熱心に仕事をやる人間たちだったから、ストというと、本当に仕事がストップしちゃうのよ。でも一番の過激派である私の本心は、私たち労組がストをやっても、会社側は見事に仕事が貫徹してくれることでした。だからなんとか、仕事もやれるようにと気をくばりましたが、でももう一人の私は過激な奴で、絶対にぶっ壊しにくるから、私は、そのスト貫徹過激派の私と、仕事を貫徹したい強力な私の間で、とても困ったものですよ。

 だから、実に面白いことがあったものです。私たち組合は、2度のストに勝利したあと、何故か突如みんなで、伊豆の温泉に行ったのです。もう会社側も、組合の頭の堅い連中もわけがわからなかったでようね。
 でもあの温泉でも面白かったな。会社側の意向で、さぐりに来ていた奴ももうわけが判らなかったでしょうね。全然団結するどころか、ただただ酒を飲んで孤立しているのが、私と私がつれていきました仲間だったのですから(仲間というのは、私の埼大出身の活動家仲間)。

 でも moo00さん、ぜひ飲もうね。あのね、私たちの仲間は、いわゆる他の左翼の連中とは違うよ。違うというか、もっと馬鹿だしね。私なんかすぐ詩吟を詠いますから、ちょっとどころか、まったくわけが判らないという感じでしょうね。

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 私の 郵政公社、郵便配達コスト15%削減へ旅人moo00の冒険人生 さんから次のコメントがありました。

1. Posted by moo00    2006年08月04日 01:53
 周さんこんばんは。
 銀座郵便局で反応してしまいました。
 実はここ、私が初めて社会人として働いた所なのです。郵政職員でした。
 その当時は「東京南部小包郵便局」といいまして、小包専門の郵便局でした。
 中は、今はどうなっているかわかりませんが、大きな機械が沢山ありまして、入局当時はびっくりしたものです。
 私が入る前のことですが、ちょうど爆弾闘争とかがあった頃、あの敷地で爆弾小包が爆発した事件があったそうです。
 そのおかげで、職員の手だか足だかが吹っ飛び、休憩室にあった氷でその取れたものを冷やして、救急隊が来るのを待っていたそうです。
 屋上にはテニスコートがありました。
 で、当時は郵政職員もいい加減でして、空手部の人間なんかが屋上で水を浴びて素っ裸になっていたら、隣の竹中工務店から苦情が来たなんて話もありました。
 もう15年以上も前の話です。
2. Posted by moo00    2006年08月04日 21:52
あ、正しくは「東京南部小包集中局」でした。
自分が勤めていたところの名前も忘れるとは、だめですねえ僕も。

 コメントをどうもありがとう。
 実は私はこのコメントを読みまして、すぐに「東京南部小包集中局」をインターネットで調べていまして。でも爆弾闘争(私は「闘争」ともいいたくありませんが)といいましても、まったく記憶にありませんでした。

 あの頃の爆弾事件は、いわばもう私たちの時代とは、ずいぶんかけ離れた事件でした。その前の警視総監爆破未遂事件とピース缶爆弾事件は、私の友人も逮捕起訴されており、そしてその犯人被告とされた人たちは、みなデッチあげで、大変に苦労していたことを私は知っていました。警視総監爆破未遂事件の一人の被告は、私の昔の彼女のごく親しい友人が彼女になり、奥さんになりましたが、その結婚生活の中で自殺しました。これはこのでっちあげ事件のせいばかりではありませんでしたが、私は、警察及び国家権力が許せない思いでした。
 だが、そののちの爆弾事件というのは、私には、もうわけが判りませんでした。これが誰がやったのか、また権力のデッチあげなのか、それとも反体制派(これで反体制といえるのかな)のものなのかもさっぱり判りませんでした。

 この時期の爆弾事件でも、私のよく知る友人が逮捕されています。夕刊フジでそのニュースで、彼の顔写真を見たときには、びっくりしました。彼は強力な労働運動をやっていたのは知っていましたが、そのときはもう会社を真面目にやっていました。
 でもこのときには、すぐに私の尊敬する大口昭彦弁護士がかけつけ(警察も大口さんが来たので驚いたようです)、もちろん、本人も爆弾なんかとまったく関係のない人間ですから、当然不起訴で釈放されました(でも本人、および親たちには大変なことでしたよ)。

 そんなことがあったので、この東京南部小包集中局の爆弾事件のことはまったく忘れていました。今読んでみても、ひどい憎むべき事件ですね。でも犯人は捕まっていないのじゃないかな。

 そもそも、ロシア革命前の社会革命党戦闘団のやっていた爆弾闘争は、実に今知っていても涙がでます。ロープシン=サビンコフの「蒼ざめた馬」「漆黒の馬」「テロリスト群像」を読んでみても、サビンコフの苦惱に、私はもうどうしたらいいのか判らなくなるくらい考え込んでしまいます。
 現実の世界でサビンコフは、白軍を指揮して反革命派とされ、そして何故かロシア国境をポーランドから逆に越えようとして、赤軍に捕まり、反革命派として裁判になります。その冒頭陳述での彼の言った内容は実に私の胸を打ちます(でも、この陳述にも大きな裏があります)。最後サビンコフは、監獄から脱出しようとして、壁から落ちて亡くなります(でも、これはまた秘密があります。これはソルジェニーツィンが明らかにしています)。

 おそらく、爆弾闘争には、実に重い人間の思いが込められているはずです。それが日本のあの時期の事件には私は感じることができません。

 そんな思いの中で、私はすぐにレスすることができませんでした。それはごめんなさいとしかいうことができません。

 moo00さん、できたら、必ず飲もうね。なんだか、私はいっぱいたくさんの思いがありますよ。

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