将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:大村益次郎

1303110113031102 的矢六兵衛は大変なことになってしまいました。大村益次郎と福地源一郎が辻井良軒という医師を連れてきます。なにしろ六兵衛はここでもう約半年ほど、座りぱなしなのです。

 やがて畳廊下を摺る大勢の足音が近付いてきた。どうやら大ごとになってしもうたらしい。

 辻井良軒の見立てですと、米の飯ばかり食うてきたのに、突如鰻の蒲焼を食べたことが原因であるようです。

「六兵衛さん、あなたがどこの誰で、何のためにこうしているのかは知りませんが、死んだら元も子もありますまい」
13030912 大村の懸命の説得にも、六兵衛は耳を貸さぬ。

 どうか六兵衛がこの医師の言うことを聞いてほしいです。それがとても大事なのです。二人の子ども、妻の顔を思い出してほしいです。

1303080113030802 もう的矢六兵衛の座り続けるのは終りになるのかなあ、と思っていましたが、そうはならないようです。

 鰻を平げると、六兵衛は膝ひとつにじり下がって、深々と頭を垂れた。

 大村益次郎がやったことかなあ、そして加倉井隼人がよくやったよと思ったものでしたが、これでは終わらないようなのです。

  六兵衛は立ち上がった。その面ざしは晴れがましく、いかにも一事を成し遂げた快哉をたたえているように見受けられた。人々は喝采を惜しまなかった。

 だがだが、六兵衛はどうみても城を去るのではなく、違う方向へ行くのです。

「こら、六兵衛。そっちではない、奥に向こうてどうする」
 何ひとつ迷わぬそぶりで、六兵衛は御中庭の北から御入側へと足を進める。・・・・・・。13030703

 これでまだこの物語は続くのです。江戸は東京となり、時代は明治になるのですが、六兵衛はどうするのでしょうか。

1303070113030702  今日の回を読んで、私は羞かしいくらいに涙を流していました。私独りの部屋ですからいいのですが。
 加倉井隼人が語ります。

「大村様が貧乏のひもじさのと申されるなら、それがしは尾張のものなれど旗本御家人のみなさまにかわって言い返せねばなりませぬ。・・・・・・」

 これはいいセリフです。大村益次郎も内藤越前守もただ腕組みし、佇立するばかりです。「本多左衛門が老いた背をこごめてなき始めた。」とあるばかりです。いや、またこのあとを読んでも私は涙が出るばかりです。

 人々のまなざしは蒲焼の皿を前にした六兵衛に注がれた。
「食うて下され、的矢殿」
 沈黙に耐えかねたように誰かが言うた。

 もうどうしてか私はこんなにも涙を流します。六兵衛に鰻の蒲焼を食うてほしい、そればかりです。

 六兵衛がおもむろに皿を取った。人々は息をつめた。

 私も息をつめます。

 御書院番士的矢六兵衛は、行儀よく凛と背を伸ばして鰻を食うた。落ち窪んだ眼窩からはとどめもなく涙が溢れていた。泣くほどうまいのか、それとも空腹に屈したおのれが悲しいのか、誰にもわからぬ。

13030611 いやこの六兵衛はけっして「屈した」わけではありません(と私は思います。思いたいです。いやいや、という声も私のうちから沸きあがります)。でもでも私は嬉しいです。 志は、「続ける、貫徹する」ことではなく、こうして変わることでもあるのです。それが立派な志と言えるのだと私は思うのです。
 この的矢六兵衛も加倉井隼人もこの小説の中の人物です。でも私には実際に存在した人間のように思えています。

1303060113030602  今日は大村益次郎が言います。だがそれに加倉井隼人が言うことが実にいいです。

「加倉井さん。これは残酷な話です」
 しばらく六兵衛の表情を見つめたあと、大村益次郎は箸を置いてしみじみ呟いた。

 それに対して、隼人が言います。

 隼人は分も弁えず声をあらげた。
「残酷だの人情だのと、どの口がもうされるか」

 私もそう思います。あの彰義隊への力攻めは残酷でした。でも仕方なかったといえるのかなあ。それを指揮していた益次郎と、それを命じた西郷を思います。

 大廊下から「やめよ」と声がかかった。振り返れば溜間の敷居ぎわに内藤越前守が佇んでいた。

 こうして止めるのも当然です。隼人は幕臣ではなく、官軍の将校なのです。だがさらにいうのです。

 隼人の抗弁はやまなかった。ここ半年の間、腹のそこに滾っていた怒りが次々と声になった。

13030404 もう私には隼人の気持もよく分かります。でも「やめよ」という内藤越前守の気持にもおおいに同感してしまいます。
 あの時期はこうした大変な時代だったのですね。それをこうして私たちは新聞小説で読むだけなのです。

1302190113021902  今ただ座っているだけの的矢六兵衛に、大村益次郎も勝安房も加倉井隼人も頭を悩ませます。そしてとんでもないことを思いつくのです。

「ここだけの話だが、勝さん。お公家衆は軍勢を持たぬかわりに、武家方が思いもつかぬ策を弄する。これまでにも、どれだけ手をやいたか」

 そうですね。南北朝の争乱では、南朝方は軍勢を持って実際に戦ったからいけなかったのかもしれません。『神皇正統記』を書いた北畠親房を思い出しました。常陸の国で戦いの中、籠城戦の中で執筆されていたのですが、どうにも内容は肯けません。
 そして私は500円札の岩倉具視の顔もも思い出していました。この小説にも出てくるのかなあ。
 勝安房が言います。

13021812「・・・・・・、天朝様はわずかご宝算十七の御砌(おんみぎり)ながら、英明覆うものなしと聞き及ぶ。ならばご宸念(しんねん)もてあの侍を江戸に下向させたとしても、ふしぎはあるまい。あら、どうしよう。・・・・・・」

 何が「あら、どうしよう。」だ、なんて気にもなります。(あ、私は勝海舟が好きではないのです)そんなことあるわけがないだろうと思うわけですが、それは今の私です。
 こう思うのも仕方ない気にもなってしまいます。

1302160113021602  もう彰義隊の戦いも終り、明治天皇が江戸城を宮城と言って入ってくる時期になります。このまま六兵衛は同じなのでしょうか。
 大村益次郎が言います。

「腕ずく力ずくはならぬ、か。さすがは西郷さんだ。・・・・・・。よって総攻めに際しては、搦手の逃げ口をわざと開けておいた。一戦して武士の面目を施し、落ち延びた者も多いはずだ」

 うーむ。こんなことを大村益次郎が言ってしまうなんて、「そうなのか」とあのときの戦いを振り返りました。私は昨日も谷中を歩きましたが、あそこも戦場になったのでしょうね。でも「搦手の逃げ口をわざと開けておいた」というのは、どこらへんなのだろう。でも的矢六兵衛はそのままです。
 そして加倉井隼人は、こうしたやりとりをすべて聞いています。隼人の心の中も隼人自身が『やはり「わけがちがう」のである。』と思うのです。
 不思儀なことに、13021512

 的矢六兵衛は成長しているのである。

 こう回りにも、読んでいる私たちにも感じさせてしまうのです。

1302150813051509  この新聞を開いて、真っ先にこの挿絵に目が行きました。「あれ、誰だろう。そうか大村益次郎か」という思いです。靖国神社の彼の像を思い浮かべます。
 勝安房がいうのです。

「あんたは無茶苦茶な人だ。言うて聞かせるからしばらく待てと、あれほど俺が頼んだのに、向ケ丘から大砲をぶちこんで一日で攻め落とすとは、あまりに道義知らずではないか」

 でもあのときは仕方ないよな、なんて私も思ってしまいます。彰義隊なんて、私にはわからずやの集団にしか思えません。その彼がいいます。

「二千の脱走どもの命よりも、百万の江戸庶民の命が大切だ」

 私もこの通りだと思うのです。でも最後に、

「ところで勝さん。あの侍は誰だね」

 彰義隊を簡単に大砲で攻め落とした大村益次郎もこの六兵衛には不思儀なようです。
 そうですね。この靖国神社でこの21世紀の今も向いている目の先には、13021501西郷隆盛の薩摩があるのです。大村の死後(彼は暗殺されます)Iなのですが、実際に西南戦争が起きるのです。

 日本の近代の歌といったら、この歌から始まるのは間違いないでしょう。

曲名  宮さん宮さん(とんやれ節)
作詞  品川弥二郎
作曲  大村益次郎

一 宮さん宮さんお馬の前に
  ひらひらするのは何じゃいな
  トコトンヤレトンヤレナ
  あれは朝敵征伐せよとの
  錦の御旗じゃ知らないか
  トコトンヤレトンヤレナ
二 一天万乗のみかどに手向いする奴を
  トコトンヤレトンヤレナ
  覗い外さずどんどん撃ちだす薩長土
  トコトンヤレトンヤレナ
三 伏見、鳥羽、淀橋、本葛葉の戦いは
  トコトンヤレトンヤレナ
  薩長土肥の合うたる手ぎわじゃないかいな
  トコトンヤレトンヤレナ
四 おとに聞こえし関東武士どっちへにげたと
  問うたれば
  トコトンヤレトンヤレナ
  城も気概も捨てて吾妻へにげたげな
  トコトンヤレトンヤレナ
五 国を追うのも人を殺すも
  誰も本意じゃないけれど
  トコトンヤレトンヤレナ
  薩長土の先手に手向いする故に
  トコトンヤレトンヤレナ
六 雨の降るよな鉄砲の玉のくる中に
  トコトンヤレトンヤレナ
  命惜しまずさきがけするのも
  皆お主為故じゃ
  トコトンヤレトンヤレナ
        (明治一年)

12052702 しかし実によくできた歌だと思います。作詞した品川弥二郎も、作曲の大村益次郎も実に近代の軍隊を判っていたと思われます。ちょうどフランス革命後のナポレオン軍がその以前の旧王政の軍隊よりとびぬけて強かったのは、もちろんさまざまなことがあるわけですが、ナポレオン軍の華麗な装備、音楽隊などというものも大きな要素を占めています。フランス軍で歌われた「ラ・マルセイエーズ」に当たるといえるでしょうか。もちろん、「ラ・マルセイエーズ」がいまも歌われているのにたいして、この「宮さん宮さん」の内容では、いまはもう過去の歌になってしまったのは致し方ないように思います。
 ともあれ、この歌も忘られることはないでしょう。
 でも、こんな古い歌だと思えるのに、著作権が消えていないのですね。(1998.11.01)(これは、これを書いた1990年代・1980年代はまだ「著作権が消えていない」ということでした。今は2012年ですから、もう消えています)

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