将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:天文館

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「鹿児島の城西中学校卒業式のニュース」破茶さんから次のコメントがありました。

1. Posted by 破茶    2008年03月15日 10:22
懐かしいことです。
わたしも その城西中学出身です。卒業は昭和の46年くらいだと思いますが・・・・。その頃 24クラスあって 全校朝礼のときなんか すごかったです!3千人いたのです。ひえーー!ですね。

 えっ、破茶さんは、城西中なんだ。それで卒業が昭和46年というと、私は大学4年で、4月からは大学5年生でしたよ。そうすると、私とは5年学年が違うのですね。ここにもときどきコメントを書いてくれるナミちゃんが、私が埼玉大学5年のときに入学してきた綺麗な女の子でした。
 私は鶴丸のときは、城西中の区域である原良町に下宿していたのですよ。ただ、原良町からだと、桜島は見えないのですね。私は鹿児島市というと、桜島が見えるものばかりだと思っていましたから、驚きました。
 それにしても、24クラスというのは、驚きだったなあ。修学旅行も3つに別れて行くということでした。
 そういえば、その私の下宿にいた長女も、破茶さんと同じくらいの城西中の子でしたね。それから、私が親しくしているデザイナーも城西中でした。たしか私よりも、4年下だったかなあ。
 この彼が、私と話しているときに、天文館で、ブテックをやっているDという人のことを言い出したときに、「えっ、その人のブテックの名前はTというのじゃないの?」と聞きましたら、同一人物でした。私なんかは、そのD君のことは、私の家に秋田犬のことで、毎晩のように出入りしていた人の息子さんだったのです。
 懐かしさと、でもその思い出に、狭さも感じます。でもこれはいい狭さなんだと思うのですね。

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 以下、私がたった今書きました母宛ての手紙です。実際の手紙とは違って、ここでは名前等はハンドル名にしてあります。

   萩原たか子 様

               2007年5月20日

                周のURLメール
                今の王子の住所電話等

 前略
 きょうは柏の病院にいるのかなあ? あとでまっちゃんに電話して聞いてみます。
 私は今、おはぎとブルータスにも手紙を書いていますよ。やっぱり、こうして父親から手紙をもらうということも、いいことだと思うんだね。
 我が家族は鹿児島にも住みました。思えば、家族としてはちょうど3年半ほどいたんだね。名古屋にいた期間と同じ長さですね。ただし、名古屋は3カ所に住んだから、東千石町だけに住んだのは、長い期間だったね。そして私だけは、そのあとも鶴丸高校で下宿していたから、私だけは小学校・中学校・高校と過ごしたのです。小学校と高校はわずかの期間だけど、中学が一つの学校だけというのは、私だけでしたね。兄の莞爾は、秋田・札幌・名古屋の3つの中学だったし、マサシは、鹿児島・横浜の二つの中学でした。
 だから私には、かなりな思い出がたくさんあるのが鹿児島です。おそらく今でも天文館へいけば、いくらでも同級生に会えると思うんだね。
 私が26歳のときに、鹿児島を歩いて、本当に驚くくらい天文館で昔の甲東中学の同級生と再会したものです。
 ある飲み屋に入って、そこのママに、「ここにAさんという方がいませんか?」と言って、その苗字ばかりでなく、名前もあげたら、「えっ、Nは私の息子です。さっき、ここの来たのが息子です」といいまして、すぐに彼を呼んできたものです。数分前に、この店の業務用の大きな氷を運んできていたのが、彼でした。お母さんはすぐに、本人を呼んできてくれたから、彼が、「あっ、萩原じゃないか」と言って、「今も下駄はいているのか」と懐かしい表情になりました。もう風貌が変わっていたので、数分前には判断できなかったのです。
 そのお母さんは、すぐにばあちゃんのことを思い出してくれたよ。「お母さんはお元気ですか。あなたのお母さんのことはよく覚えています」といくつものことを思い出してくれました。
 もうそのあと、何人もの友だちに会えたものでした。中学2年3年と同じクラスだった黒岩君がラーメン屋になっていたのは驚きました。でもこの「黒岩ラーメン」が今では、大きなチェーン店になっているんだよ。
 いや、実は鹿児島で私たち家族がお会いした人たちは、みなその息子さんなんかが、店を継いでまた元気に活躍していますよ。もう懐かしい思いばかりがしてきます。やっぱり私たちがおつき合いした方たちは、鹿児島市で、すべてで頑張っている方たちでしたね。                 早々

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