11010412 私が初めて歴史に興味をもったころから、武将の肖像画で印象に残っているのが二つあります。ひとつは、平重盛像です。頼朝の像よりも、この重盛像に魅せられました。
 そうしてもうひとつが、「大和大納言秀長」の肖像でした。秀吉の弟として生まれ、かなり活躍したのに、歴史上ではほとんど記録のない人です。
 私は最初「大和大納言物語」というのが存在するのだと、何故か思い込んでしまい、随分探したものです。きっとなにか「信長公記」とか、数々の「太閤記」にかくれて古文書としてあるのだと思っていたのです。さまざま探しましたが、見つかりませんでした。そして酒屋太一が「この人」のことを書いたのを知ったとき、すぐに飛びついたのです。そして文庫本になったときに再度読み返しました

書 名 豊臣秀長-ある補佐役の生涯
著 者 堺屋太一
発行所 文春文庫

 私がこれほど熱い思いで「この人」を見ていたことを、「この人」は、あの時代からただ笑って見てくれているように思います。
 いま団塊の世代はもう40代半ばになろうとしています。私は昭和23年生まれ、44歳です。私たちの友人たちは、もう企業ではかなりな管理職になっています。しかし、私たちの年代は数が多すぎるのですね。どこの企業でもポストが足りないようです。さまざま軋轢がおきているのを感じます。堺屋太一はそんな私たちの世代に向け、「この人」のことを書いたように思います。人生を信長や秀吉や家康になろうとするのではなく、ただ秀吉の補佐役としてのみ生きた「この人」のことを、私たちの世代へ教えたかったように思います。

 「この人」自身を主題または主人公とする研究や書物がないのである。
 つまり、「この人」は常に脇役として登場する。そしてこれが、「こ
 の人」の果たした役割に最もふさわしい出方なのだ。そんな役回りを、
 今日の言葉では「補佐役」と呼ぶ。「この人」は、日本史上最も典型
 的な、最も有能な補佐役であった。そして、そうあること以外を望ま
 なかった。私がこれから描こうとしている人物・豊臣秀長とはそんな
 生涯を送った人である。            (「はじめに」)

 日本の歴史で、政権をとった兄と弟といったらたくさん出てくると思います。いまざっと思い出してみました。

  天智天皇と天武天皇
  源頼朝と義経
  足利尊氏と直義

 まだまだいるでしょうが、上の二組はそれほど親しい肉親といった感じはなかったと思われますが、尊氏と直義といったら、実に仲のいい兄弟でした。だが、最後に兄は弟を毒殺してしまいます。直義が保守的な鎌倉武士団にどうしても担ぎあげられてしまい、兄の補佐役などに留まることなどできなかったからでしょう。しかし、信長や、伊達政宗がそれぞれ自分の弟を殺したように、むしろその例のほうが多いのです。それがこの秀吉と秀長の兄弟は違います。それは実に「この人」の生き方そのものからきていると思うのです。

 秀長がまだ小竹(実はこの名も歴史上はっきりしません)といって毎日野良仕事にいそしんでいるころ、急に家出していた猿(秀吉)が帰ってきます。母と妹の世話を幼い小竹に任せ、そのあと好き勝手に生きている兄です。そしてまたまた勝手なことを言いだします。小竹に家来になれというのです。母や妹はどうするのだ。だいいち小竹に武士になれるのか。兄は言う。

 「武士に大事なのは戦場ばかりではない。普段の働きこそ大切じゃ。
 一に忠勤、二に目利き、三に耳聡じゃよ。殊に我が殿、信長様はそれ
 をお好みになるでな」

 この言葉はそうだと思っても、その他のことは、兄は嘘つき、大法螺つき。でも小竹はやがて決断します。

 「この人」は二つの決断を下していた。その一つは不安と困難に満ち
 た海にこの馴染薄い兄と共に船出する覚悟であり、もう一つはこの兄
 の補佐役として労多くして功少ない立場に身を置く決心だった。
 「この人」は生涯、自ら下したこの二つの決断に忠実に生きるのであ
 る。

 小竹はこうして兄の家来となり、これから兄の裏方としてすべてを取り仕切ることになります。

  苦情処理ともめ事の仲裁は、生涯「この人」の最も得意とした所で
 ある。

 いわゆる太閤記で書かれているさまざまな秀吉の出世のエピソードも、この本の中では、実はかなりに苦労する「この人」が描かれていきます。これほど苦労するのに、「この人」が信長に謁見するシーンもありません。歴史上の事実として、あの秀吉の妻おねねには優しい手紙をくれている信長も、「この人」のことなんか眼中になかったのでしょうか。それどころか、「この人」が迎えた妻のことも何も書いてありません。堺屋太一がではなく、歴史の上でもそんなことが少しも現れてこないのです。
「この人」はいつも兄のやることにはらはらします。彼のこころの中の言葉だけで見てみましょう。みな兄への言葉なのです。

  <もうええではないか。そう焦るな……>
  <こんな状態で、功名功名と焦っても仕方がない。今はまず地固めが
 先ではないか>
  <あんまり上ばかり見ずに、ちと腰を据えて地道にやったらどうや……>

だが声には出さない。

  <兄者には俺がいる……>
  <俺は、一人では大した武将にはなれん……>
  <どうせ補佐役なら兄のそれになり、生涯主役になろうとは望まぬこ
 とだ……>
  <俺は生涯主役にはなるまい、この兄のためにこそ、補佐役として生
 きて行こう……>

と何度も自分に言い聞かせていく。

  この人は奇抜な発想や人を驚かすような大胆な行動はしなかったが、
 決められた事を沈着確実に実行する優れた能力が備わっていた。兄の
 大胆さと弟の確実さ、これが終生変らぬ木下兄弟の役割分担だったの
 である。

 こうして見てくると、「この人」のことを地道な内務官僚、文治派のように思ってしまうかもしれません。しかし「この人」ほどこの戦国の世で戦いに勝利した武将も少ないのです。

  小一郎秀長の戦勝記録は凄まじい。小一郎は生涯のうちに大小百回
 以上も戦場に立ったが、一度として失敗したことがなかった。弱兵寡
 勢を率いる時はよく守って崩れず、大軍を持つ時はけれん味のない戦
 術で敵に乗ずる隙を与えなかった。なによりもこの人が得意としたの
 は、兵站と諸将との調整だ。小一郎は、将にも兵にも安心感を与える
 術を心得ていたのである。

 この理想的な補佐役を抱えた秀吉が次第に歴史上で誰でも知っている活躍をしていきます。秀吉自身は信長の補佐役ではありませんでした。信長には補佐役はいなかったし、そのような傾向のものは全てしりぞけられるか、殺されてしまいました。信長にはそのような存在は必要なかったということでしょう。だが私はここに信長が志半ばにして本能寺に倒れてしまったことの一因もあるように思えるのです。秀吉にはよき補佐役である「この人」がいて、天下一統にまでに至れたと思うのです。

 しかし、逆にやがてよき補佐役を失った主役秀吉の晩年は無残でした。「この人」が亡くなったあと、主役である秀吉は以前の秀吉とは何か違ってしまいます。関白秀次一族虐殺も、朝鮮出兵も、すべて「この人」がいなくなったあとのことなのです。

  この人の死によって豊臣家の何かが変わった。この人の死後、兄秀
 吉はなお七年半生き続け、その身辺と政権をますますきやびやかに飾
 り立てて行く。しかし、この人の死んだその日から、豊臣の家をより
 幸せにするようなことは何一つ起らなかった。よき補佐役の死は、偉
 大な主役にとっても、その一族や家臣、統治下の民にさえ不幸な出来
 事だったのである。

 こうして「この人」のことを少しは展開できました。でもまだいささか不満です。実は堺屋太一のこの小説とはまったく別に私が捜し出した文(何かの古文書の中での文)もあったのですが、いままたどうしても見つかりません。また見つけ出してそれに関して書いていくすることと、また別な面からも「この人」のことをもう少し書いてみたいと思います。

 以上にて堺屋太一「豊臣秀長」を通して、豊臣秀長に触れてみました。私はかなり大昔からこの人のことに関心をもってきました。それでよく昔飲み屋で話したことなのですが、これをNHKの大河ドラマにしたいなということなのです。
 あまりあの大河ドラマを真面目に見ているともいえないのですが、過去の内容を思い出すと、まず扱う時代は、ほとんど戦国時代から江戸幕府成立くらいまでと幕末ものが圧倒的に多いと思います。南北朝の「太平記」なんか、たったの一度ですね。それで戦国ものといっても、信長、秀吉、家康あたりが何度も繰返されているかと思います。さらにその中では、太閤記をさまざまな面から見たのが多いように思えます。やはり、誰もが知っている出来事や人物が多いからだと思います。
 よく経営者に戦国の武将で好きな人物をあげろというアンケートなんかがあると、家康-信長-秀吉の順なようです。その次は武田信玄でしょうか。やはり家康が最終的に天下をとったからということでしょう。私には信長-秀吉という流れと、信玄-家康という流れは逆のように思えますが。まあ、このことはまた別に論じたいと思います。それで、経営者のアンケート上はそうなるとしても、やはりみんなでテレビで見るとしたら、やはり太閤記が一番受けるように思います。家康の生涯をドラマにしても、あまりに暗くつまらなく感じてしまうと思うのです。やはり秀吉の出世物語のほうが明るさがあり、愉しいのだと思います。それで繰返しこの太閤記を、切口を変えてやっているのだと思うのです。 さてその切口を変えるものとして、この「豊臣秀長」はどうだろうかと考えるのです。勿論主人公は兄秀吉ではなく、生涯秀吉の補佐役であった秀長です。現在団塊の世代は40代半ば、もう各企業ではこの団塊の世代のポストが足りません。この世代に一番訴えるものとして、この秀長という補佐役の生涯を描くべきだと思うのです。
 トップにはなろうとせず、ひたすらトップの補佐役として生涯をおくった、秀長にスポットを当てるのです。能力はあるが、勝手でわがままで、危なっかしいトップを支える秀長を克明に描くのです。
 唐突ですが、この大河ドラマ「豊臣秀長」の配役の案です。

  秀長 中村 雅俊
  秀吉 泉谷しげる

 あと信長、家康はだれでもいい。ただ家康役はただ律儀という感じの役者がいい。それに、秀吉の正妻おねねは、私の嫌いな女優ならだれでもいい。沢口靖子なんかいいな。はっきりいえば、豊臣家を滅ぼした原因には、おねね北政所の馬鹿さ加減がかなり大きいと思うのです。
 秀長の妻は私の好きな女優なら誰でもいい、そうすると原節子か、高峰秀子か桜町弘子かゴクミだから、これはもう後藤久美子しかない。とにかく勝手な兄秀吉のために日々苦労する秀長の愚痴を毎日毎日聞いてくれる妻でなければいけない。ついでに夫の浮気をいつも頭にきて、うったえにくる兄嫁の愚痴もいつも聞かねばならない。歴史上でも、堺屋太一の小説でも何にも出てこない女性ですから、ここはかなりフィクションになります。
 とんでもないトップと、無能な創業社員ばかりいるベンチャー企業をなんとかまとめていく、秀長を描いてほしい。そしてそれを一緒になって必死に支える秀長の妻も描いてほしい。それがだんだん、小企業から中企業となっていって、だんだん有能な社員も入ってくる。竹中半兵衛なんか、年も下なのに、入社すると、秀長より上席に座ってしまう。それでも秀長は黙って半兵衛を敬う。しかし、自宅へ帰ってきたときくらい、妻に愚痴を言っていただきたいですね。
 それとこのドラマでは、最初にかならず60年代後半から70年の、三派全学連と全共闘時代の闘争シーンを必ず入れてほしいな。そうすると必ず視聴率はかなりなものになります。
 とまあ、勝手なことばかり書きましたが、この大河ドラマはいいと思うのですね。この豊臣秀長こそ、必ず現代の私たちに訴えてくるかなりな存在感があると思うのです。私はなんとか「この人」のことを、なんらかの形で表に出してみたいのです。
 さて、あとまたいつかもう一度、また別な面から「この人」のことを書いてみたいと思います。本来なら、織豊政権の完成期に「この人」がたずさわったさまざまな経済、政治政策の実際を見てみたいなと考えているのです。(1993.04.13)