将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:女性

12052804 これは、漱石の小説みたいな、特に『ぼっちゃん』に出てくる、坊っちゃんをかばってくれる老女がいます。お手伝いさんというか、ばあやさんですね。そういうのがいます。それが漱石の年取ったときの理想の人だったんでしょうね。そういうふうに書かれているから。若いときに、兄に将棋の駒をぶつけたら血が出た。それでおやじに言いつけられて、おやじから勘当を言い渡されたときに、その老女は、「私が代わりに謝るから許してやってください。この坊っちゃんは、素直で正直でとてもいい人柄です」と言って、かばってくれた。坊っちゃんが松山に行くときには、「坊っちゃん、偉くなったら私をまた雇ってくださいね」と親戚の家に身を寄せます。でも坊っちゃんはちっとも偉くならないで、先生を辞めて鉄道職員か何かになります。「ばあや、帰ったよ」と尋ねていくと喜んで、坊っちゃんも「じゃあ一緒に暮らそう」と。そういう人がいいですね。文句なしですね。
『老いの超え方』2006.5.30朝日新聞社「第一部身体」

 このことは、実は私にはよく理解できないことでした。「坊っちゃん」は少しも面白い小説ではなく、ばあやさんのことも理解できませんでした。なんだか、少し暗くて、私が溶け込めない小説にしか思えませんでした。でも今になって、すべてが判ってきたような気持になりました。漱石には、あのばあやが理想だったのでしょうね。そして吉本さんにも同じなのです。それが私は今になって、やっと理解できた気がしています。年を取るということは、無駄なことではないのですね。

11032917 あらゆる排除をほどこしたあとで性的対象を自己幻想にえらぶか、共同幻想にえらぶものをさして女性の本質とよぶ、
「共同幻想論−巫女論」1968.12.5河出書房新社

 家庭の主婦が社会化することは善だから、家事ならびに子育てなどは、夫婦の分担でやるかどこかへまかしてしまえという考えにより、今後家族崩壊していくものなのか、どうなのかを今後また考えていきたく思います。

c58120d9.png 今午前11時50分にこのブログ通信簿を作成しました。私は性別は女性で、年齢は52歳だということです。今朝は漫画家を目指せということです。女性と男性って、どう分けているのかなあ?

96b7c5af.png さきほど午前9時43分に、このブログ通信簿を作成しました。私は今朝は「新聞委員」タイプだそうです。性別は女性で、年齢は10歳だということです。今朝は漫画原作者を目指せということです。でもどこで10歳と判断されるのでしょうか。

82c670fd.png さきほど午前10時27分に、このブログ通信簿を作成しました。私は今朝は「新聞委員」タイプだそうです。性別は女性で、年齢は17歳だということです。今朝は造形作家を目指せということです。

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 さきほど午前5時15分に、このブログ通信簿を作成しました。私は今朝は「生徒会副会長」タイプだそうです。性別は女性で、年齢は36歳だということです。今朝は絵本作家を目指せということです。

c908f71c.png 今午前2時12分に、このブログ通信簿を作成しました。私は今朝は新聞委員タイプだそうです。性別は女性で、年齢は52歳だということです。今朝は漫画原作者を目指せということです。

65da83b3.png 今午前11時45分に、このブログ通信簿を作成しました。私は今朝は生徒副会長タイプだそうです。性別は女性で、年齢は58歳だということです。今朝は写真家を目指せということです。

1d720783.png 今朝は午前5時15分に、このブログ通信簿を作成しました。私は今朝は図書委員タイプだそうです。性別は女性で、年齢は58歳だということです。58歳の女性というと、「ああ、あの彼女がそうだなあ」なんて思っていました。

fd651494.png 今朝は午前6時15分に、このブログ通信簿を作成しました。私は今朝は新聞委員タイプだそうです。性別は女性で、年齢は39歳だということです。

518e0057.png 今朝は午前6時30分に、このブログ通信簿を作成しました。私は今朝も図書委員だそうです。そして今朝は私は女性だといいます。年齢は40歳だということです。ブログというのは女性向きだと言われますね。

a8c72fb4.png 今朝は午前3時35分に、このブログ通信簿を作成しました。私は今朝は図書委員だそうです。でも今朝は私は女性だというのですね。年齢は59歳だということです。私の直近の10件のUPがそんな感じなのかなあ。

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 これは、漱石の小説みたいな、特に『ぼっちゃん』に出てくる、坊っちゃんをかばってくれる老女がいます。お手伝いさんというか、ばあやさんですね。そういうのがいます。それが漱石の年取ったときの理想の人だったんでしょうね。そういうふうに書かれているから。若いときに、兄に将棋の駒をぶつけたら血が出た。それでおやじに言いつけられて、おやじから勘当を言い渡されたときに、その老女は、「私が代わりに謝るから許してやってください。この坊っちゃんは、素直で正直でとてもいい人柄です」と言って、かばってくれた。坊っちゃんが松山に行くときには、「坊っちゃん、偉くなったら私をまた雇ってくださいね」と親戚の家に身を寄せます。でも坊っちゃんはちっとも偉くならないで、先生を辞めて鉄道職員か何かになります。「ばあや、帰ったよ」と尋ねていくと喜んで、坊っちゃんも「じゃあ一緒に暮らそう」と。そういう人がいいですね。文句なしですね。(『老いの超え方』2006.5.30朝日新聞社「第一部身体」)

 このことは、実は私にはよく理解できないことでした。「坊っちゃん」は少しも面白い小説ではなく、ばあやさんのことも理解できませんでした。なんだか、少し暗くて、私が溶け込めない小説にしか思えませんでした。でも今になって、すべてが判ってきたような気持になりました。漱石には、あのばあやが理想だったのでしょうね。そして吉本さんにも同じなのです。それが私は今になって、やっと理解できた気がしています。年を取るということは、無駄なことではないのですね。

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