将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:子どもと携帯電話

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 SHIROのポメラ日記このUPがありました。

 前回の記事で、あなた自身を大切にして欲しい、という話を書きました。
 同じように、あなたが「自分で考えること」も大切にしてください。
 今は情報社会で、テレビやマスコミ、インターネット上には大量の情報があふれています。でもそれらをそのまま鵜呑みにしないで、自分で考えて判断してください。

 この通りだと考えます。「自分で考える」ということがとても大切です。

 よく「みんな〜」「普通〜」「常識」などの言葉を使って、「みんなと違う」人の事を「おかしい」「ヘン」と言って、仲間外れやいじめにつながる事があります。

 私は大昔から、「みんなと違う人」でしたね。ずっと下着はふんどしだし(しかも今はずっと赤ふん)、酒飲んでいつも詩吟をやっていました。思えば、私はそれで良かったわけですが、孫たちはどうなるのかなあ。いつもじいじがいて、じいじが好き勝手なことを言い続けていくことでしょう。もうそれでダメって言われたら、じいじは大声で泣いちゃうからね。

 しかし、「みんな」「普通」というのは心の幻想です。なぜなら、周囲の全員にアンケート調査をして、100%の回答が返ってきた訳ではないからです。
 それなのになぜ「みんな」「普通」と言うかというと、自分で判断できないから、あるいは自分で責任を取りたくないからです。ですから、「みんな」「普通」というのは無責任な言葉なのです。

 その通りです。「私はこう思う」と言い切ることが大切なのです。私は子どものときから、ずっと一貫として、そうしてきました。私は子どものときから、ずっと引越ばかりしてきて、学校も転校ばかりしていましたが、まったく同じ姿勢でした。

 これを読んでいる人の中には、「おかしい」「ヘン」などと言われて、悲しいいじめにあっている人もいるかもしれません。
 しかし、あなたはあなたであることに価値があります。「みんな」と違っていたっていいのです。自分の考えを持つこと、自分自身であることを大切にしてください。
 いじめは、いじめる側が100%悪いです。あなたが悪いわけではありません。それだけは自信を持ってください。

 私は私の孫をいじめる奴がいたら、そいつを殺すかもしれません。これは当然の思いです。そういう思いで、ずっと生きてきたものです。

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 SHIROのポメラ日記このUPがありました。今ごろになってしまいUP致します。

 さて、これまでは大人向けの話を書いてきましたが、今度は携帯を使っている現役世代である、子どものみなさんへのメッセージを書いていきたいと思います。

 昨日私は私の高校時代の友人から、葉書をもらい、その彼に携帯のメールアドレスを聞きまして、それでケータイメールしました。今後これで連絡を取り合います。もちろん、手紙も書くつもりですが、ケータイメールはとにかくいいです。多くの子どもたちが使っているのは当然だと思いますね。

 携帯の問題に限らず、これからのネット社会を生きていくために考えて欲しいと思うこと、これから大人になって社会を創っていくみなさんへの私の願いなどを書く予定です。
 「やっぱり大人は何もわかってない」と思われるかもしれませんが、読んでみていただけるとありがたいです。
 また、「子どもはこう思ってるんだ」といった、コメントや意見などをいただけると嬉しいです。子どものみなさんに何ができるかが一番大事ですから、私も勉強していきたいと思います。

 私には、今二人の娘夫婦と今は二人の孫がいます。きょうは千葉のマザー牧場でみんなで会います。やがて、この孫ともケータイメールで連絡取り合うのが嬉しいです。
 私は二人の娘には、保育園のときも、小学校、中学校、高校、大学のときも、いつも出かけていました。そして職場にも絶えず出かけました。私が知り合った限りの親にも、それを勧めてきました。職場の同僚たちともけっこう知り合いになっています。
 メールは使える先生方で、「でも私はケータイメールは使いません」なんていう先生に、「先生! 何を言っているのですか。大和時代じゃないのですから、『私は字を使いません』なんて言い張った人はみな滅びましたよ」と言って、「あ、私も使っていきます」と言わせてきたものでした。

 でも、あなたの人生はあなたのものです。あなたの価値はあなた自身が決めるものです。
 親や先生や友達が決めるものでは無いし、テレビやマスコミが決めるものでもありません。
 他の人が何と言おうと、あなたという人間はあなた一人しかいない、かけがえの無い存在なのです。
 まず、今ここにある自分を抱きしめて、大切にしてください。

 この通りです。だから私は私の娘もその彼も孫たちも大事にしていきます。

 先の記事にも書きましたが、自分を大切にする気持ちを思い出させてくれる本を紹介します。
 やさしい雰囲気のイラストと深い内容で、とてもおもしろい本です。ぜひ読んでみてください。

 パット・パルマ−「自分を好きになる本」
 パット・パルマ−「おとなになる本」
 パット・パルマ−「夢をかなえる本」

 この3冊は、もう読みました。ただまだ、「自分を好きになる本」の感想しか書いていません。ちょっと必死にやっても時間が足りない感じなのですね。いい本です。とにかく、今後もこの彼女の本を読んで参ります。

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 SHIROのポメラ日記このUPがありました。このUPは私も言い切れていない、実はどう言ったらいいのか判らないということを書いてくれています。

 2008年6月に国会で成立した、いわゆる「青少年ネット規制法」(青少年が安全に安心してインターネットを利用できる環境の整備等に関する法律)を受けて、携帯電話各社は2009年2月から子どもが使う携帯にはフィルタリングを自動適用する、という動きになってきています。
 ネットには有害情報や違法サイトもたくさんあります。架空請求など、子どもを狙った犯罪もあります。子どもに無条件に何でも見せていいとは私も思いません。フィルタリングなど、ある程度の制限は必要でしょう。

 ここまでは、この通りに思います。だが私も言い切れていなかったことが次に書いてあります。このことは、私も明確に認識できていない、言明できないとことでした。

 ただ、同時に「なぜ見てはいけないのか」「何が大事なのか」ということを、大人から子どもにちゃんと伝えていく必要があると思います。

 例えば、フィルタリングをかければ「十八禁」のアダルトサイトはもちろん見られなくなります。
 でも、子どもに「どうしてアダルトサイトを見ちゃいけないの?」と聞かれたら、あなたは何と答えますか?

 私には明確に言葉に出して言うことができません。でも斎藤さんは、次のように言ってくれていて、私は実に感激し、そして自分の情けなさに反省ばかりです。

 いろいろな方法があると思いますが、私だったら以下のように説明します。

「本来、SEXは愛し合った結果として、愛情表現やコミュニケーションとしてあるもの。でもアダルトサイトなどは気持ちの部分をすっ飛ばして、イヤらしい部分だけ拡大して見せている。しかも女性を貶めたり、傷つけたりする表現が多い。僕は君たちに、人を愛したり、大切にすることをちゃんと考えてほしいと思っている。だからアダルトサイトを見て欲しくないんだ」
 そして、このようなことを言うには、同時に「人を愛するとは/大切にするとはどういうことか」を子ども達にちゃんと伝えて、実感させてあげないといけません。

 この通りですね。こういうふうに言明できないのでは、私は存在価値がありません。
 私は娘が二人で、その父方(つまり私)の従姉妹が他に3人で、みな女の子です。よく従姉妹同士5人で集まっていました。もうこの5人で集まると愉しいらしくて、私が行きますと、一番小さいブルータスがまだ言葉も話せないときなのに、私の身体を押しやって、「出ていけ」とばかりなものでした。私の父も男の子も欲しかったのでしょうが、この5人の女の子の孫をとっても可愛がっていたものでした。
 私の娘の母方(つまり私の妻)の従弟妹は、義弟のところに二人の子どもで、男の子と女の子です。私はもう男の子がこの子くらいしか身近にいないで、それでもう一緒に歩いたり、遊んだりすることが実に愉しかったものです。
 そして今は、初孫が男の子です。もうこの子を持ったときの、私の父の思いが判りました。一緒にお風呂入って、ちんちんくらべなんかするのは愉しいですよ。
 私の姪のみーねえ(兄の娘)が二人の男の子(今小学4年と中学1年)で、同じく姪のしほちゃんが昨年12月4日に男の子が生まれました。

 この斎藤さんの言われる「人を愛するとは/大切にするとはどういうことか」ということを子どもたちに、とくに男の子には、ちゃんと伝えていくことが大切だと思います。愛があってこそ、男女のSEXもあるのだということを伝えていく必要があるのです。
 私は初孫は男の子で、本当に嬉しかったです。もう、この子とじいじである私は、たくさんのことをやっていきます。二番目の孫は、女の子で、これまた可愛いのですが、この子ともいっぱいのことをやっていきます。

 先の記事で「子どもに愛情あるメッセージを伝えるのが大事」と書きましたが、「アダルトサイトの制限」と「愛情あるメッセージ」は実は表裏一体で、フィルタリングで制限するだけでは片手落ちなのです。

 実に明確に認識できた思いがしています。私も今後もちゃんと言い続けていこうと思っております。

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 SHIROのポメラ日記このUPがありました。

 現代に生きてしまった私たちには、携帯電話というものは、大変な存在になってしまったのだと思います。

実際に携帯を子どもに買い与えることになったら、くれぐれも「はい、契約してきたから」とそのまま子どもに手渡してはいけません。

携帯安全教室
 携帯を使う前に、まずは基本的なルールや危険への対策などを親子で確認しましょう。

 この通りだなあ、と思います。
 前にも書きましたように、私のところでは娘二人に携帯電話ではなく、PHSを与えたのは、1993年春のことで、中学2年と3年のときでした。私は1992年春に携帯電話を持った時期でした。

 でも、私の妻は、二人が高校生になったら、二人から、このPHSの料金も徴収しましたが、同時に、家の電話代も細かく調べて(それはNTTがやってくれます料金表の明細を、相手電話番号で、相手が特定でき、誰がかけたか判ります)、それで二人から徴収していました。こうなると、二人は、お小遣いだけでは到底足りませんから、アルバイトをしていました。二人とも、学校が終わってから通うアルバイトは、とてもいい経験だったと思います。
 思い出せば、二人がやっているアルバイト先へ私も行ったことがありましたね。次女がやっている柏の駅ビルのそば屋さんに行って、ビールを飲んでいたことを思い出します。
 この妻のやった、「自分がかけた電話料金は自分で支払う」ということは、二人に大変にいいことをもたらしたと思っています。

 これは小学校でやる「交通安全教室」と一緒です。なぜあれだけ交通安全教室をやるかと言えば、交通ルールや事故の危険性を知らないで道路に出ると、たちまち危ない目に遭ってしまうからです。
 同様に、携帯を持つという事は、それを通じてインターネットという新しい世界へ入っていく訳ですから、その前に「携帯安全教室」で危険性やルールを知っておかないといけません。

 私の二人の娘がPHSを持ち出した頃は、まだインターネットはそれほどのものではなく、まだパソコン通信の時代でした。でももうすぐにケータイでもPHSでもメールが中心になっていきました。私はその頃からおそらく、ケータイはお話、お喋りではなく、メールの利用のほうが盛んになるだろうと推測しました。いえ、お喋りでは、あまりに料金がかかるからです。それにメールなら、どこででも簡単にできるのです(その頃は電車の中では、メールもやってはいけない、ということでしたが)。
 おそらく、このことは斎藤さんが、以下に書かれていることと同じだろうと思うのです。

家庭内ルールを決める
 基本的なルールや対策を押さえた上で、それぞれの家庭の事情に応じた「家庭内ルール」を決めてください。

 私のところは、「自分で料金を支払う」という決まり、ルールでした。これが家族みんなにも、本人にも一番良かったかと思っています。でも今は小学生中学生ですから、大変ですね。私の姪が、二人の息子、小4と中1にもケータイを持たせていますから、料金はどうしているのか聞いてみます。

 でも、次のことは、もうたくさんの大人が認識してほしいです。

 保護者の皆さんの話を聞くと、小学校高学年〜中学生になると塾や部活で帰りが遅くなる事があり、今は不審者やストーカーなどの危ない事件もありますから、「子どもに何かあっちゃいけない」「いつでも連絡が取れるように」と「電話」として携帯を買い与えるようです。
 しかし、今時の子ども達に「携帯って何ができますか?」と聞くと、

1.メールが送れる
2.写真が撮れる
3.ネットが見られる
4.音楽が聴ける
 ずっと下に行って

X.電話「も」できる
なのです。
 つまり、子ども達にとって携帯は「電話」ではありません。「情報ツール」「コミュニケーションツール」なのです。大人と子どもで意識が全然違うのです。

 もう、このことはおおいに感じていることです。ケータイを電話としか認識していない、いやそれだけしか認識できない大人がいっぱいいます。いえ、私もゲームはどうにも、いやパソコンでも苦手ですがね。この私が「それだけしか認識できない大人」と書いたことは、もうたくさんいまして、大変な問題を秘めていると思いますよ。

 追記すれば、多くの中高年男性が言う「子どもなんて仕事してる訳じゃないんだから、携帯なんて要らないだろう」も、「携帯=電話」だと思っているから出てくる言葉で、「ケータイ=情報ツール」と思っている子ども達にとっては全く的外れなのです。
 子どもには大人と違う「携帯の使い道」や「携帯の必要性」があるのですから、まずはそれを理解しないと対策も何も始まりません。

 これと同じ言い方ではありませんが、同じ種類の言い方をよく聞きます。もうケータイも、そしていえば、パソコンも「仕事」だけに使う機器ではないのです。このことをまったく理解できない、理解しようともしない大人に私は絶望します。

 でもそんな大人ではない人たちも増えてきていますし、そうでない大人がたくさんの伝えるべきことを、持っているのです。私はメールでも、たくさんのことを伝えています。司馬遷の『史記』のことを伝えますし、いやいやそうなると、メールよりは手紙のほうがいいのです。私は娘二人にも(そのうち孫にも書きますよ。今も書いていますが、孫二人はまだ字が読めません)、たくさんの手紙を書いています。その中で、私は私の好きなたくさんの漢詩のことも書いていますよ。
 あ、また私の友人たちにも手紙を書かなくちゃなあ、と思っています。とにかく、時間が足りないのですね。
 そんな「時間が足りない」と焦ってしまう私には、ケータイもメールも実にいいものです。

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09021304 SHIROのポメラ日記 の [子どもと携帯電話]に、2月12日、このUPがありました。

 これまでの「携帯禁止に物申す」では、「安易に『携帯禁止』にしてはいけない」というスタンスで、私が思う所をいろいろ書いてきました。
 では、「携帯禁止」と言う代わりに、子どもと携帯電話の問題に対して、私達大人は何をしなければいけないのでしょうか。
 これについては私も確かな結論があるわけではないですが、いくつか考えていることがあります。大人の皆さんへのメッセージとして、ぼつぼつ書いていきたいと思います。

 こうして書かれ続けられることが嬉しいです。本当に、安易に『携帯禁止』などと言ってしまう大人がどんなに多いことでしょうか。しかも自分で言うのではなく、誰かに言わせて、「もうこう決まったことなだから」としたいのですね。実にこうした大人の存在に私は嫌になってしまうのです。

 子どもにとっては家庭が一番のベース基地ですから、まずは家庭を精神的な「居場所」「つながりを感じられる場所」にしないといけません。
 そのための対策は、シンプルです。

「愛してる」「あなたが大切だ」などの愛情あるメッセージを、ちゃんと口に出して子どもに伝えて下さい。

 我々日本人は伝統的に愛情表現が苦手なので、つい「言わなくてもわかるだろう」「家族なんだから当たり前でしょ」などと言ってしまいます。しかし、ちゃんと言わないと子どもには伝わりません。

 私は日本人だからということではなく、口で言うのが、喋るのが不得意です。いえ、若き日は割と平気で言えたものでしたが、今は駄目なんですね。
 私の長女なんか、「パパとママには会話はないのじゃないか」と思っているくらいです。
 そうねえ、思えば、妻が何年か前に入院したときに、毎日手紙を書いたことが大きな思い出かな。今でも、手紙を書くのは、好きだしよくやるのですが、電話にしろ、直接にしろ会話するのは苦手ですね。でも斎藤さんは、次のようにも書いてくれています。

 どうしても面と向かって「愛してる」なんて言えない、というシャイな保護者の方は、そんな時こそネットやメールを使う方法があります。

 私なんか、「シャイな」人間とは言えないと思うのですが、でもでも、メールを使ったり、手紙を書いたりすることで、自分の思いを相手に伝えようと常に思っているものです。
 そして、このあと、

 やはり先の記事で取り上げた、吉田賢治郎さんのブログ「けんじろうとコラボろう!」では、吉田家の家族間でのメールのやり取りが書かれています。

ということで、紹介されており、私はそこも読みまして、実に感激していたものでした。

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 SHIROのポメラ日記 の [子どもと携帯電話]に、1月26日、このUPがありました。

携帯メールでの「30分ルール」というのをご存知でしょうか。

友達へメールを出した時、返事が返ってくるまでの時間が、
 15分かかると→65%の子どもが「遅い」と感じる。
 30分かかると→85%の子どもが「遅い」と感じる。
(モバイル社会研究所の調査より)

 いえ、私はまったく知りませんでした。でもこういうふうに思うのは、よく判ります。私の二人の娘は実に返信が速いです。私は次女ブルータスには、「エッ、よくこんなに速く!」と驚いています。0秒か、1秒としか考えられないくらいに速いですね。
 ただし、私は私の年代の友人が、実に時間がかかって返信をくれても、まったく構いません。まあ、思えば私は手紙の返信がなくても、延々と和紙の手紙を出していますものね。

 私たち大人は、メールというのはFAXと一緒で、自分が都合のいい時に出して、相手も都合が付いた時に読むものというイメージがあります。
 しかし子ども達にとってメールは電話と一緒で、「30分以内に返事を書くのが当たり前」のリアルタイムなメディアなのです。今では「30分ルール」から「15分ルール」に時間が縮まっている、という話もあります。

 でもこの子どもたちの気持は判ります。ただし、私は返信がこなくても平気です。いえ、明確な問い合わせのときには困りますが。
 そういえば、昨年私は608通の手紙(みな私的な手紙です。仕事上の手紙はまた別です。そして私的な手紙はすべて和紙で書いています)を出しまして、封書による返信は5通で、葉書による返信も5通でした。みなさまお忙しいのだろうと納得しています。

 でも、私の書いている和紙も手に入れるのがけっこう大変です。ただ今年になってからは、まだ数通しか出していません。けっこうその時間がないのですね。この私の手紙はいわばいつ出しても、出さなくても構わないものなのですが、今の若者のケータイメールは違うもののようです。

 それだけすぐに返事を書くためには、学校の授業中でも、食事中でも、携帯を手離さずにひたすらメールを打つことになります。大人からしたら「授業中はやめなさい」「食事終わるまで待ってなさい」と言いたくなります。
 そもそも、子ども達はなぜそんなに頻繁にメールをするのでしょうか?

 それで、このあとを読んで、私は少し怖い思いにもなりました。私の孫たちのも、そんな時がくるのでしょうか。

 例えば、ある高校生の女の子Aちゃんが、友達のBちゃんへメールを出したとします。Bちゃんはきっと、御飯を食べたり、宿題をしたり、やらなければいけないことがたくさんあるでしょう。でもそれらを置いてBちゃんがすぐメールを返してくれたら、それはAちゃんにとって「私はBちゃんにそれだけ大切に思われている」という友情の証明になるのです。
 逆にBちゃんからメールをもらったら、Aちゃんは「すぐに返事を出さないと私の友情を疑われる」と思って、何を置いてもすぐにBちゃんへ返事を書こうとします。
 そうしてメールをやり取りしていくと、口に出した言葉と違って、携帯の中に全て保存されていきます。子ども達は過去のメールをよく読み返すそうですが、それらは「私はこれだけ○○ちゃんとやり取りしている」という友情の証明アルバムなのです。

 これはとくに、女の子はこういう傾向が強くなるのでしょうね。私の二人の娘は、結婚をして、今度は私の孫のことを心配しだしている私です。

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 SHIROのポメラ日記 の [子どもと携帯電話]に、1月25日、このUPがありました。

 2006年9月、長野県小諸市の小学6年生の女の子が、携帯のネットで知り合った男性に会いに行ってしまった事件は、全国的に話題になりました。覚えている方も多い事でしょう。
 いわゆる「出会い系サイト規制法」でも「18才未満の子どもは出会い系サイトを利用してはいけない」となっていますし、我々大人は「ネットで知り合った人に会いに行くな」などと子どもに言います。

 この事件は私は覚えていません。でもこれに類似したことが起きていることはよく感じています。ただし、私にはこうした子どもたちの心の中は少しも判っていません。

 しかし、なぜ子ども達はそんなに“会いに行ってしまう”のでしょうか?
 一つ参考になる情報として、ユニセフ(国連児童基金)が世界の先進国(約30カ国)の子ども達の実態調査をした統計があります。

 ぜひとも、この「SHIROのポメラ日記」のここにあるグラフを見てほしいと思います。もうただただ驚いてしまいます。ここには、

   「孤独を感じた事がある」15歳
    「自分は未熟で居場所がない」15歳

の二つのグラフは、この日本が第一位になっているのです。

 15才の子どもに「あなたは孤独を感じた事がありますか?」と質問すると、他の国はほとんど10%以下なのですが、日本だけ約30%でダントツのトップなのです。
 同様に、「自分は未熟で居場所がないと感じていますか?」という質問でも、約18%で日本はトップになっています。
 つまり、日本の今の子ども達は「わかってもらえない」大きな孤独を感じていて、「こんな僕じゃダメ」「どうせ私なんか」と自己評価が低い子が多いのです。

 だからこそ、日本の子どもたちは、ケータイで知り合った同じ子どもたちや、少し年上の大人たちに、話を聞いてほしい、話をしたいのだと思います。ケータイなら、どこででも連絡がとれるのです。

 そんな時、ネットで知り合い、優しい言葉をかけてくれる人に対して、「この人ならわかってくれる」「今の自分じゃダメだけど、この人に付いていったら新しい可能性があるかもしれない」と思ったら、会いに行ってしまうのです。
 大人からすれば「知らない人に会いに行くなんて危ないじゃないか」と思うのですが、「危ない」は「自分は大切で守るべきものだ」という意識があって初めて成り立ちます。「自分なんてダメダメだ」と自己評価が低い子どもは、危険なハードルを飛び越えてしまいます。
 ですから、「出会い系サイトを見るな」「会いに行くな」などと言えば済む問題ではありません。「私は大切な存在だ」「ここにいて幸せだ」と子ども達が思えるような環境を、家族や地域の大人達がどう作っていくかが大切なのです。

 だから、単純に「『出会い系サイト』はダメだ」「そんなところにすぐにアクセスできる携帯はダメだ」としか思わないし、そうしか言えないのです。

 私の高校時代の友人が、携帯電話を子どもから言われて、やっと持ったのですが、その子どもが少しも携帯電話で電話してこないというのです。その子どもたちは、お父さんに、「だから、ケータイメールしてきて」(実際にその親子の会話も直接私は聞きました)というのですが、お父さんには判らないことなのです。私にも、何度かケータイ電話してきても、私はいつも出られない時間と場所でした。あるとき、朝私が急いで歩いているときに、ちょうど柳田公園を歩いていたのですが、そのときに、携帯電話があり、私が「今はとても電話では話していられないから、ケータイメールをくださいよ」と言ったのですが、彼は、これじゃ息子と同じだと思ったらしく、それからは何の連絡もくれません。よっぽどケータイメールが嫌らしくて、その後は年賀状もくれません。

 いえ、私には、この感じの友人が何人かいます。もうこうなると、私が和紙の手紙を出しても取り返しがつかないようです。彼には、私の、ケータイメールも和紙の手紙も、インターネットもホームページも、私がよく喋る漢詩のことも、三派全学連のことも、すべてが嫌なことのようです。

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 SHIROのポメラ日記 の [子どもと携帯電話]に、1月24日、このUPがありました。

 私は基本的に「安易に『携帯禁止』をしてはいけない」と考えています。本業の情報センターのセミナーやイベントで子ども達に接している経験や、個人的に勉強している心理学・カウンセリング関係の知識からそう考えるのですが、そうした観点から物を言う人がなかなかいないので、この機会に書いてみたいと思います。

 まったく私も同じに考えています。ただ、それでも私はちゃんと言い切ることができません。いえ、妙に言い切ってしまうから、いつも怒られているのです。
 いや、私は「授業中にケータイメールをしていていいのか?」といわれて、「別に構わないのじゃない。俺だって、昔は、ずっと授業中、本を読んでいた」と言って、「だから、パパはどうしようもない人なんだ」と言われてしまうのですね。いや、本を読むことよりも、魅力ある授業内容を私は期待していたのです。

 我々大人もかつては子どもだったはずです。そして、周りの大人達に対して「どうしてわかってくれないんだろう?」と思ったこともあったでしょう。
 大人になると、どうしてその思いを忘れてしまうのでしょうか。
 日々の生活に忙殺されて、目に見えない人の心を思いやる余裕が無くなってしまうのでしょうか。苦しい子ども時代や青春時代をくぐり抜けて大人になって、喉元過ぎれば熱さを忘れてしまうのでしょうか。私もその理由をいろいろ考えているのですが、結論は出ていません。
 それはともかくとして、子ども達の表の行動だけでなく、内面の心の問題にいかに向き合っていくか。理解していくか。難しい事ですが、ネット時代の今こそ必要なことではないかと思っています。

 私は今、私自身がどうであったことを思いだし(でも読書とケータイは違うというのかもしれませんが)、考えていきたいと思っています。

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 SHIROのポメラ日記 に [子どもと携帯電話]というカテゴリーがあり、このUPがありました。
 このshiroさんは、「地元のガールスカウトの子ども達にパソコンの使い方などを教えるサポートをしている」ということです。

 毎回、パソコンや携帯でのネット利用の注意点などを話しているのですが、今回は「日頃の不満を掲示板に書いてみよう」というテーマでやってみました。
 こちらで「日頃の不満ぶちまけ掲示板」というページを用意して、子ども達やリーダーの大人達にパソコンで開いてもらい、「日頃の学校や家での生活で不満に思っている事などを書いてください」といろいろ書き込んでもらいました。
 15分ほど書いてもらったのですが、たくさんの不満が出てきました。「担任変えて欲しい」「特定の子ばかりえこひいきする」「政府の人たちは国民のことを考えて欲しい」などなど…。みんないろいろな不満やストレスを感じながら生活していることがよくわかりました。

 私は約7年間、「松戸自主夜間中学」というところで、毎月1度パソコンの授業をしていました。まだインターネットの時代ではなく、パソコン通信の時代でした。
 思えば、今のスカイプではなく、netmeetingで、米国やロシア、南米、中国とも無料で会話できること、映像でも見られることをやったものでした。
 みなほぼ不登校の生徒さんたちが多く(他にも中国残留孤児の方とはいろいろいました)、でも残念なことに、その頃は、どうしてもパソコンでは、「勉強」という思いを抱いてしまうのでしょうか。あまり活発にはやってくれなかったものでした。
 だから、今の携帯電話による掲示板の書込み(プロフというのかな。私もあるところの会員になりましたが、あんまり私には面白くないので、もうやっていません)なんていうことは、私の過去のパソコン通信の時代にはなかったものです。
 でもこうしてshiroさんが子どもたちとお話しているのはいいことだと思います。

「そうだね。別な事で発散するっていうのも一つの手かもしれない。でも本当は、その問題そのものにちゃんと向き合って考えないと解決しない。例えば『担任変えて欲しい』っていう書き込みがあったけれども、それは担任の先生と何か誤解があったのかもしれないし、うまく伝わらないことがあったのかもしれない。お互いに確かめたり、直さなきゃいけない所は直したり、その問題そのものをどうにかしないと、結局は解決しないよね」。そんな話をしました。

 まったくこの通りだと思います。

 最近、学校裏サイトの掲示板などで人をいじめたり傷つけたりする書き込みをすることが、大きな問題になっています。「学校裏サイト禁止」「携帯禁止」といった「禁止」や「取り締まる」ことばかりが話題になるのですが、果たしてそれでいいのでしょうか。
 ネットや携帯電話の問題は、子ども達の心の問題が表に現れた「結果」に過ぎません。目に見える表の現象ばかりを見て、それを取り締まろうとするのではなく、元にある原因―子ども達の心の問題にちゃんと向き合わないと、本当には解決しないのです。
 「『大人ってどうして表の目に見えることしか見ようとしないんだろう』って思わない?」と聞くと、スカウトの子ども達はうんうんと頷いていました。
 子ども達の本音が伺えるこうした機会に、我々大人は大いに反省しないといけません。
 そして、これから5年後、あるいは10年後、今の子ども達が成長した時には、目に見える表のことばかりでなく、裏にある心の問題にちゃんと向き合える大人になって欲しい、そう願っています。

 思えば、私なんかは大昔から、どんなになっても自分勝手でした。上に書いたパソコン通信の場でも、私のやってきたこと、やっていることから、少しも変わらないことばかりをやっていたと思います。
 私はパソコン通信の場でもインターネットでも、自分の好きな漢詩の話、ヤクザ映画の話、自分の三派全学連、全共闘の話ばっかりしていました。
 今後は、もっとみなに合わせたことを、一緒にたくさんやっていきたい、いくべきだと思っています。

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 私のこのブログのサイドバーで、このサイトをリンクいたしました。16日にリンクしていました。「将門のブックマーク」にてリンクしています。
 以下は、彼のサイト内の記事を、私がトラックバックしたものです。

   「子どもと携帯電話」 「ポメラの牙」

 私よりはずっと若い方ですが、読んでいてとっても頷いています。私はいつもどこでも酒を飲んでやにはに詩吟をやっているようなおっさん(というより初老のじじい)ですが、この彼が言われていることはとっても気持いいです。
 私自身もしっかりと自分の考えをちゃんと新たにしていこうと思っておりましたものです。

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 SHIROのポメラ日記 に 以下のUPがありました。

   [ポメラ]ポメラの牙

 これは読んでいて、実にたくさんのことに頷いていました。

mixiのコミュニティで「PCや携帯はネットにつないで情報をインプットするデバイスだが、ポメラはアウトプットするためのデバイスだ」といったことを書いた人がいた。なるほど!と私は膝を打った。

 このことは、私もおおいに納得します。だから、まだ私は慣れきれていないのかもしれません。私自身は、まだ自分の考えでアウトプットしきれる雅量も知識も備わっていないのですね。

私は本業の情報センターで「子どもと携帯電話」という出前講座を行っている。携帯を使っていて起こる様々な問題やその対策について、地域の自治会で保護者・大人向けに話したり、小中学校で子ども達に話したりしている。
子どもの携帯の問題については様々な所で取り上げられているが、一方では技術論から入ってフィルタリングやサイバーポリスの話に終始し、他方ではよくわからない保護者達が「子どもは携帯禁止」などと叫んでひたすら否定してみたりする。
私は趣味で心理学やカウンセリングの勉強をしているので、「携帯の問題は、子どもの心の問題が表に現れた結果に過ぎない」と思っている。そのため講座でも、「自分自身を大切に」「子どもの心に向き合いましょう」などと心の問題に重点を置いて話すことにしている。

 いや、この問題は私なんか、「子どもたちに、『携帯電話は禁止』なんていう親や学校は駄目だなあ」という思いですが、でも私がその私の思いを露出できる雅量がないことが、自分が駄目だなあと思うところなのです。
 でも、SHIROさんはちゃんと言い切っています。もう私は感心すると同時に、自分もちゃんとして行こうと思うばかりです。

 携帯の講座で子ども達にこんなことを話している。
「皆さんは今は子どもですから、親や学校や社会から何かをもらう立場です。でも、あと何年かすれば成長して大人になります。“大人になる”ということは、今度はあなた達が自分の子どもや社会に対して、何かを与えたり作ったりする立場になる、ということです。そのことをよく考えてみてください。」

 もうすぐに、私の孫たちもすぐに大きくなります。私のあんなに可愛いだけだった娘二人も教員になり、結婚して、長女は二人の子どもの親になりました。次女もすぐに親になるでしょう。
 私はこの二人の娘にも、絵本を読んできて、たくさんの本を読むこと、映画を見て、いろんな思いを抱くことを喋ってきました。娘たちの学校へ行って、授業参観をして、そしていろんなことをしてきました。
 今私は二人の娘にいっぱいの手紙を書き、次女には毎回漢詩を紹介しています。
 これからも私は、私の孫にも同じことをしていくでしょう。

小さなポメラから、つぶらなモノクロの瞳で見上げられ、「あなたは何が作れるの?」と聞かれたら、どう答えるか。かわいいナリをして、実は鋭い牙を隠し持ったあなどれない奴かもしれない、と最近思う。

 もっと私もやりきっていかないとならないなあ、と強く思っています。

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 SHIROのポメラ日記 に 以下のUPがありました。

   [子どもと携帯電話]出前講座「中学生と携帯電話」
   [子どもと携帯電話]本当に来て欲しい親は…

 そして次の言葉におおいに頷いていました。

e0bf94e9.jpg「負けないのが大事なのではない。負けたり失敗したりしながら、自分の人生を大切に生きることが大切」

「今は生涯学習の時代で、勉強は一生続く。高校や大学で人生が決まる訳じゃない。勉強したいと思った時が勉強する時」

 私は、「携帯電話を学校へ持ってきてはいけない」とか言い出す前に、こうしたケータイに関する学ぶ場が学校で必要だと思います。
 少し前までは、学校でもパソコンに関する論議がありました。もうパソコンが駄目だという論議がものすごくありました。でも、もはやそうしたことはなくなったようです。それにパソコンを使えない私たちの世代は、もう学校を去っている段階です。
 それが今はケータイなのでしょうね。私の姪(兄の娘)の二人の息子は、今中1と小4ですが、二人ともケータイを持っています。それで私にもケータイメールをくれます。
 私はこの二人にも和紙の手紙を書いています。二人は、私が常にパソコンを使っているから、こうして手紙も書くんだと思っているはずです。

 思い出します。私の娘が中学生の頃、その中学へ行くと、パソコン教室があり、パソコンが一クラスの人数分30台とプリンタが15台列んでいました。でもその教室には鍵が常時かけられており、外から見る私には、ただただ綺麗に整然と機器がならんでいただけです。
 そうですね。その頃もよくお酒を私が買っていました我孫子の春日やさんでは、店内にあるパソコンのキードードをみんなが手あかがついて黒くなるまで店主さんが許さなかったようです。これは実に正しいことです。綺麗に整然として、誰もその部屋に入れないなんて、もうどうしようもないことです。

 思い出せば、その頃のパソコンの授業のテストがありまして、それはたしかMS−DOSの用語が列んでいたかと思います(もうくだらないから覚えていないよ)。私は「こんなのパパはできないよ。こんなのペーパーテストでできる必要ないよ。実際に手でパソコンが操作できることが大事なんだ」と言ったものです。
 二人も娘も、そんなテストのくだらなさを判っていました。でも、そういうテストでも満点を取る子がいるようでした。ものすごい記憶力です。
 私が、ある授業でやっていた環境問題のことで(私が見学しました)、「参考になればいいと思いました」と各新聞のその環境問題に関する記事をA4用紙に10数枚プリントして娘から、その先生へあげたことがあります。ぜひパソコンで、こういう記事を画面上で見られることを知れば、生徒たちは、パソコンとインターネットの有意義さと環境問題への深刻さが少しは判ると思ったのでした。
 でもその先生からかえってきたのは、もちろん感謝の声もありましたが、まず第一に「お父さんがわざわざこれを打ってくれたのか?」ということでした。私はもうあきれかえったことを、よく覚えています。
 でもこれは1992年のことです。もうそれから17年が経過しているのです。でも今度はケータイでも同じなのでしょうね。パソコンに関して、あれほど反感を持っていたとしか思えない人たち(やその同類者とその後輩たち)が、今はケータイにも同じ目を向けているのです。

 私は圧倒的に学生運動(というか革命運動のつもりでしたが)をやっていましたが、その時代の仲間友人たちも、今はほぼパソコンには苦手意識ばかりで、インターネットにも精通しようとはしません。ましてこのケータイも同じです。携帯は、あくまで電話で会話する道具だと思っていまして、インターネットで調べものをしたり、ケータイメールで会話するなんて、思いもよらないようです。
 むしろ学生運動もやならかった人たちのほうが、けっこうやってくれています。60代後半、70代、80代の方がやってくれていることが、私には大変に嬉しいです。それらの年代の方ともケータイで交信できることは、私には嬉しいものです。

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