将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:学生運動

12111504 私の書きました中国ネットで日本製の良さ見直す声もにはなさんが以下のコメントをくれました。

1. Posted by はな   2012年11月15日 08:57
知識層や富裕層は親日家が多いのは明らかな事実ですね。
しかし中国は広い。共産主義国なはずなのに貧富の差が激しく、暴動参加者はほぼ貧困層や就職難民という事実。共産党への不満を反日にすり替えた結果ですね。
仮想敵国がいないと成り立たない国の実情がでた結果と言えるでしょう。
今回の暴動で損害保険会社でも保障を著しく下げる決定をしています。
安全はただでは買えません。
ベトナムや他の親日東南アジア国に工場移転して欲しいものです。
炊飯器やタイヤを壊さないのが皮肉な暴動でしたね。残念。

 共産主義なんて、もともとひどいものですよ。「共産主義国なはずなのに」なんていうことは少しもありません。マルクスが考えたときからひどいのです。マルクスが悪いのです。だめなのです。私はもともと共産主義なんて認めたことはありません。
 ただし、学生時代は激しく学生運動をやり、長く拘留もされました。でもそのときでも決して共産主義は認めたことはありません。このことを誰も報道(こういう学生運動もあったということを)しないだけです。
 私も自分の経歴から、就職は非常に困難でした。いつも警察の目がありました。
 ただ中国の文化文芸はよく学んできたつもりです。中国人の友人もいます。
 思えば、いくらでも中国の人とも話しますよ。でもスカイプで何度か話しましたが(私は中国語もできない12111505ので、日本語でChatするばかりです)、彼らが中国自身の歴史も文化も何も知らないことにいらだつばかりです。
 もっと普通の中国の文化文芸を知ってほしいです。最低李白の詩くらい知ってよ、という思いですね。

12081013 私の周の掲示板に、neluさんが書き込みしてくれました。

ニャンコのフクちゃん(佳和服家頁新見)の掲示板へのカキコありがとうございます。 投稿者:nelu(かわふくG)  投稿日:2012年 8月11日(土)21時29分55秒

 奥さまの写真もUPしてもらい感激です。綺麗な奥様ですね。
 廣松渉は学生のときに読みました。『マルクス主義の成立過程』は早稲田の文献堂で購入しまして、私にしては珍しく丁寧にノートをとりまして、読みました。そのあと『エンゲルス論』を読みまして、でもでも「この人はエンゲルスを評価するんだという思いがしました。
 でもこのあと、マルクス・エンゲルスの『トイツ・イデオロギー』や『経哲草稿』が実によく理解できたものです。
 ただ『マルクス主義の地平』は好きになれませんでした。
 その後東大の教授をされていて、でもでもいつも「やっぱりこの人は心もブンドなんだなあ」という思いで、私は評価はできなかったものなのです。
 そもそも私はマルクス主義、共産主義なんか嫌いなのです。
 私は激しく学生運動はしましたが、志も思想も、マルクス主義・共産主義とは無縁です。私は北一輝の著作こそを金科玉条としていたものです。
 でも、逮捕されても、私を共産主義者として、攻撃してくるデカばかりでうんざりしました。
 マルコミも今になっても、私たちの世代を、前には「高校時代はビートルズに憧れ、大学ではマルクス主義で学生運動で暴れ、就職するとモーレツ社員になって、今は退職を恐れている」なんてレッテル貼りで、そのことをいくら、「違う、みんな同じじゃない」といっても、今の今も改めません。
 私は高校時代から、詩吟をやり、頭は坊主で、反共主義で、でも前科二犯で、就職はどこにもできませんでした。学生運動を普通にやったら、モーレツ社員になれるような会社には入れません。

12081201 もちろん、今はどうでもいいです。そんな「誤解」もどうでもいいです。
 とにかく今は、私は孫を大事に可愛がり、そう明日は私の父母の墓参りに行きます。

 それだけです。

11082405下巻では1970年以降の学生運動通史と個々のテーマ解析しています。

 私は学生だったのは、1973年春までで(埼玉大学へ1967年4月入学で6年大学にいました)、そのあとは実にいくつもの職場を転々としました。普通の会社では、いつも私のこの学生運動のことが問題とされ、いつもしたり顔の学生運動批判の説をうんざりするほど聞きました。「共産主義批判」をいくら私は聞いても、少しも納得しませんでした。私こそ当時から共産主義は大嫌いなのですから。

単に追憶、批判、礼賛するのではなく、

 私は追憶するしかないです。学生運動だけでなく、激しくやった労働運動でも、ただただ懐かしく思い出しているばかりです。

当の学生運動の主体が消えてしまっており、

 もう仕方ないのではないでしょうか。もともとあの時代の学生運動も、歴史的に見ればそれほどのものではなかったのだと思います。ただ当事者の私たちは簡単に捨て去るわけには行かないのです。いつももう私が忘れ去る頃、警察さんが、何度も訪れてきたものです。小さいときの私の二人の娘はいつもなんだか分からなかったようです。大きくなってからは、その訳が分かったようですが。

 とにかく、あの時代の多くの友人(元学生活動家)たちも、今少なくともパソコンでインターネットをやることはできるようですが、もうでも情けないです。悲しいです。
 でもでも、あの当時一切運動にもかかわらず、でも今になると、驚くことに、パソコンもインターネットもできないどころか、ケータイメールでの会話もできない人が多くて、もう私はあきれ果てています。まあ、もう知ったことではないのですね。

11082404 私は、このれいだいこさんの「検証 学生運動(上巻)―戦後史のなかの学生反乱」(社会批評社)は、読みました。そのときの私の思いは以下に少しだけ書いてあります。

  周の掲示板にれんだいこさんからの書込み
  http://shomon.livedoor.biz/archives/51647157.html

 処女作の「検証 学生運動(上巻)―戦後史のなかの学生反乱」(社会批評社)が世に出たのは2009年2月でした。2年半経過したことになります。

「もうそんなになるんだ」という思いです。でも実は、私は上に書いた書き込みを見つけるのに大変でした。インターネット上で検索してようやく見つけられました。

 書庫を見れば、その人の器量が分かると云う見立てがあります。

 もう私の部屋は本が溢れています。私は吉本(吉本隆明)さん以外の本は積極的に捨てるようにしています。なにかあれば図書館で借りて読むようにしています。あとはインターネット上で読むようにしています。

 この手法が著作権法に抵触すると云う批判を受け

 ええと、これがどうして「抵触する」ということなのでしょう。書いてある内容だとよく私は分かりません。
 とにかく毎日インターネット上で、本も新聞も読みます。あと図書館の本は借りてきて読みます。もう現実にはまず絶対手に入らないものが図書館にはあるのです。

11080207   Tuesday, October 14, 2003 10:00 AM
萩原様
 小野田襄二さんの『革命的左翼という擬制』を読みました。
 ブンドについても革共同についても、それぞれの時点での評価の所は判断がつかないのですが、位置していた場所によって見えたものが違うのだろうなと感じました。
 威勢のいいかけ声で常識的な判断が通用しなくなって行く過程への反省が深刻ですね。この部分は指南力を持っていると感じました。
 学生運動を卑下しすぎているように感じはしましたが。
 場所によって見え方が違うという事と、常識が押しのけられる事の恐ろしさは払拭されていませんね。今はソフトになっているから、「玉砕」とは反対向きの言葉が出てくるだけです。ソフトになっているから常識的に見えるのですが、排除力は強くなっているように思います。
 松崎については、これ以上の思いを持てる人はいないのではないでしょうか。小野田さんぐらいしか、こういう目で松崎を見てやれる人はいないでしょうね。
 あとがきはまったく賛同も共感もできませんでしたが、読んで良かったです。
 小野田さんがこうした事を沈黙したままでいるよりは、言葉にしてくれた方がどれほどいいか計り知れません。多くの人の沈黙が、鉄面皮の跳梁を許しています。

「2003/無言館」見ました。
 まったく根拠のない印象なんですが、全共闘運動って、親の世代の戦争体験の追体験かもしれないと感じた事があるのを思い出しました。
 何か共感のつながりがあるような感じです。
 そこを取り違えると赤軍になるのかもしれません。目森一喜

   Thursday, October 16, 2003 5:33 PM

 小野田襄二さんの『革命的左翼という擬制』を読みました。

 あの本を私は堀雅裕さんの1周忌のときに、小野田さんから手紙の形で受け取っていたのです。もう部厚い手紙でしてね、読み終わるのが大変でした。
 この手紙を読んだときにも、「これをもし本に出してしまったら、衝撃を受ける人が大勢いるだろうな」なんて思ったものです。でもそれでも、みなに披露してほしいと思いましたね。

 松崎については、これ以上の思いを持てる人はいないのではないでしょうか。小野田さんぐらいしか、こういう目で松崎を見てやれる人はいないでしょうね。

 まったく同感です。そういう意味では根仁だって、それなりの人物なのかな、なんて思ったものです。電話でいいましたように、やはり黒寛が徹底してよくないですね。私は最初のマルクス主義哲学の1、2冊は優れている(「社会観の探求」等)が、彼が政治を語ったり、政治をやろうとしたから、日本の左翼の悲劇惨劇が生まれたように思います。もちろん、革共同だけではなく、ブンドだって、この悲劇惨劇には責任があるのですが、黒寛がいなかったら、あるいはもう少しまともだったら、違っていたんじゃないかな。
 本当は松崎は優れた活動家なのでしょうが、もうどうしようもないね。「いつ殺されるか」というところで、彼は国家の側へ行ったのでしょうね。それも別にいけないとは、今の私はいえません。ただやっぱり革マルって嫌だね。

 小野田さんがこうした事を沈黙したままでいるよりは、言葉にしてくれた方がどれほどいいか計り知れません。多くの人の沈黙が、鉄面皮の跳梁を許しています。

 そうです。私は小野田さんが、難しい数学の本を出して、読むのに辟易しようと、またアル中で、もうほとんど困った酔いどれで、「もういいかげんにしてよ」(これは私の酔い方でも誰にも言われているでしょうが)という思いになっても、どうしても小野田さんのことを先輩として敬愛せざるをえません。彼が中核派を離れて、それでも運動をやり続けようとしたときに、まったく彼には関係なく起きてしまった事故が芝浦工大事件でした。彼には責任はないのです。それなのに、彼は自分の運動も、自分の仕事も、自分の御自宅の仕事も投げ捨てて、私たちを救援してくれました。私は中核派にしろ小野田派(反戦連合という運動だったようだ)も大嫌いでしたから、まったく小野田さんには、私のことなんか関係ないはずなんです。でも、よくやってくれました。私の父も母も小野田さんのことを信頼していました。先日の小野田さんの出版記念会でも、私の弟(私の詩吟の伴奏で参加していました)も、「あのときはどうもお世話になりました」と30数年来の挨拶を小野田さんに対してしていました。
 だからね、やっぱり私には大事な先輩なのです。

「2003/無言館」見ました。
 まったく根拠のない印象なんですが、全共闘運動って、親の世代の戦争体験の追体験かもしれないと感じた事があるのを思い出しました。
 何か共感のつながりがあるような感じです。

 私もいつもこのことを思いますよ。私の親父が東大闘争で、家族会をやったときには、みな家族会はそんな感じだったようですよ。戦争体験者で、実際出征した親たちが多かったようです。親父は、そのずっと前から靖国神社で戦友たちと会を作ってやっていましたが、同時に当時の国家のやり方に反抗する私たちにもシンパシーを覚えたようです。私も「なんだ、ようするに俺と同じじゃないか」なんていうところですね。

 そこを取り違えると赤軍になるのかもしれません。

 正確には、赤軍ではなく「連合赤軍」だと思うんですよ。いや、赤軍にしろ、その前の三派全学連にしろ間違っていたことは、それこそ間違いないが、やはり毛派とブンドである赤軍派が一緒になったときに、さらに違うものになったと思うんですね。思えば、毛沢東というのは、スターリンよりもヒトラーよりも悪い奴じゃないかな。まあ、結局一番悪いのはマルクスなんだと思いますがね。萩原周二
(第169号 2003.11.10)

11020912ともかくあれから40年以上経つのですね。長い時間が過ぎたのか短いのか、なんだかついこの間のことのようにも思えるし、大昔のようにも思える。どうもこれだけ時間が空くと、その途中経過については、現実感が少し薄れてぼやけてしまっているところもあります。
ただ、学生の時のあの頃の気持、社会を変えたい、みんなで共に幸福に暮らせるようなそういう社会を作りたいと思っていたあの頃の気持は、40年経った今でもずっと続いています。そういう意味では40年前と今は、しっかり繋がっています。
萩原さんも、未だに学生運動のことを書いているのを見かけたことがあります。やっぱり今でもあのときの心は変わっていないところがあるのではないですか?

さて、今回のこの掲示板におじゃました目的は、「私も元気にやっていますよ」と一言萩原さんにお伝えしたかったことだけなので、とりあえず、その目的は達成できたことになります。今回はこれくらいにして、ひとまずおいとまをしようかと思います。

 私は今62歳だから、東大闘争で安田講堂で戦ったときは、ちょうど20歳だったから、もう42年経つのか。驚いてしまうね。私は当時もマルキストではなく、天皇制社会主義者でしたから、それは今も同じです。そもそも私は進歩がないのよ。ただあのときも弁護士さん等からは、本当の気持をいうなといわれたし、数年前にテレビに出たときにも(2度出ているけれど)何も言わない形になったなあ。
 私がテレビの番組でも一番ヤジをして、烈しいいい方をしましたが、それがテレビでは放映されませんでした。何でも、私たちというのは、高校時代はビートルズに憧れ、大学時代は長髪で、それででも三派・全共闘になったということらしいのですが、私は高校時代はビートルズなんか全く知らず、大学時代は坊主頭で、絶えず国粋主義者だと言い張っていました。でも、王子闘争も三里塚闘争へも行きました。下着の胸にはいつも日の丸を持っていました。もちろん、下着はふんどしです(今もずっと赤ふんばかりですよ。私はパンツって50年以上持っていない)。テレビのときは、私なんかより、圧倒的に年下の現状はフリーターとかいう人がちゃんとネクタイしているんだものな。私なんか、いくらヤジっても、駄目なんだよね。あの時代の活動家だった奴が、当時から実は詩吟をやって、ふんどししていて、今は圧倒的にパソコン等でインターネットで発しているというのは、困るらしいのよ。

10080114 毎日手紙を書こうと思ってばかりいます。

2010/08/05 07:39明日が広島に原爆が落とされた日なのですね。
 いくつもの思いがあります。そうですね。どうしてもズボンははいてしまうのですね。いえ、どうしても外出もするから、ようするにベルトがいるのです。ベルトにデューロカーゴをぶら下げて、そこにこのポメラを入れる必要があるのです。これがないと、昔のように常にどこへ行くのにも鞄を背負って、その中にノートパソコンを持って行くことになります。でも短い時間の電車の中ではノートでは無駄なのです。インターネットに接続するのにも時間がかかりますが、まず起動するだけでも時間がかかります。
 それがこのポメラならすぐ起動するので(2秒といいます)、すぐに打ち込めるからいいのです。
2010/08/05 07:54でも先ほどは、自分の部屋で蜘蛛業の「ニュースさとう」を書いているときに、パソコンでインターネットをやりますと、ほかのいくつものサイトを見ますから、それでいろいろなことを思いました。涙ぐんでしまったこともありました。
2010/08/05 08:00「ゲゲゲの女房」で、やっぱりネズミ男は悪い奴だと思いました。これじゃ、マンガであんな奴になるはずだ。
2010/08/05 09:59きょうは義母が疲れているのか「わが家」に行かないことになりました。私が一日見ています。でもとにかく私はやりきるだけです。
2010/08/05 12:45また昼の「ゲゲゲの女房」を見ています。どうしてもまた見てしまうのですね。
 あそうだ、私の大学での同級生に手紙を出そうと思いました。私の友人の中で珍しく大学を卒業しなかった男です。私は激しく学生運動をやりましたから、友人も皆同じでした。でも激しい学生運動でしたから、みな検挙歴・起訴歴があり、でもなぜか大学は卒業したものでした。教授会決定だということでした。でもとにかく大学の職員の方もみな実にいいかたばかりでした。これは事実として、いい方、いい人間がたくさんいました。
 その珍しく卒業しなかった友人に私は手紙を書こうと思うのです。前にも書いていますが、今回はちゃんと返事の手紙はいいよ、と書いておこう。そしてできたらブログをやってくれ、ツイッターもやってくれと書こうと思います。
2010/08/05 18:27いやとにかく外は暑いです。

 ツイッターは私はけっこうやっているのですが、私の大学時代の友人たちの多くは駄目ですね。

10072104 8月1日に父母のお墓参りに行きますが、そのことを私の義姉と弟にケータイメールしました。

2010/07/22 07:56もうこんな時間です。
 今ケータイメールへの返信を書いたものです。テレビを見ながら、食事をしてケータイを打ってそのほかのこともやっています。
 なんだかいつも私は「ゲゲゲの女房」を見て涙を流しています。しょうがない私です。思えば私が大学2年のときに知った漫画なんだなあ。私は日々学生運動にまっさかりに燃えていた時期です。
2010/07/22 09:45義母が「わが家」に行く時間です。さてこのあと私は午前11時50分に長女の家へ行きます。長女が歯医者へ行くのです。
 8月1日に湖北の正泉寺へ行きます。私の父母の墓参りです。私の家族は現在9人です。11月には10人になっているのですね。お墓の中にいる私の父と母に報告します。ああ、ポコ汰とポニョはちゃんとお墓にお参りできるかなあ。ポコ汰は昨年のときは、お墓の前で柏手を打っていました。ポコ汰には、神社もお寺も区別できないよね。これは仕方ありません。
 でもこの王子からミツ君の車で行くのではなく、我孫子で待ち合わせます。

 でもこうしてこの「周のポメラ」を書いているといくつものことを思いますね。それらのことも書いて行きます。書かないといけないよなあ、という思いです。「神社もお寺も区別できない」という話もまた書こう。それから長女の家には2回行きました。もう孫は可愛いばかりです。でももうポコ汰もポニョも主張があります。

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 私の 周の掲示板 で以下のUPがありました。

支離滅裂民主党 投稿者:nk  投稿日:2009年11月27日(金)09時43分2秒
お邪魔しまーす。
ますます、経済、科学技術、対米関係、沖縄、温暖化対策、対官僚etc.すべてで、支離滅裂な民主党政権、それに加えて、鳩山の政治資金。
有権者は、どうすべきか?
日本自体が、つぶれてから、行動を起こしたのでは、遅い。
かといって、選挙はない。どうすれば、いいか?
この政権は、欠陥として、リコールしかない。
リコール運動を起こすしかない。
といっても、おらっちに出来ることと言ったら、
こうやって、書く事だけ。。。。
かっての反帝、反スタ、どうする?
現在の課題が、反帝、反スタだと言っているわけでは、ないのですが。
とは、言ったものの、どうすれば、いいんですかねー。。。。
n.k   

 私は以前以下に書きましたように

え、民主党政権がメンシェビキ政権?
私はそもそも「反帝反スタ」というのはが大昔から少しも好きでありません。「反スタ」というのがスターリン主義とやらを尊敬しすぎな感じしか持てません。スターリン主義って、要するにマルクス主義のことじゃないの。なんで、そんなに言い換えるのかなあ。スターリンが悪いのじゃなくて、そもそもレーニンから駄目なのよ。

 そもそも「反帝反スタ」なんて、まったくどうでもいいです。大昔から、私は一度も口にしたことがありません。私は激しく学生運動はやりましたが、そもそもスターリンは大嫌いだし、もともと共産主義そのものが嫌いですから、ここで言われても仕方ないと思いますよ(もちろん、お分かりなわけでしょうが)。だから、「前進」にでも投書したらいいのじゃあないですか。
 これだと、もしも、10人に2人くらいが、「あ、この周というのは、昔は『反帝、反スタ』をとなえていたのか?」と誤解されるととても困ります。私は大昔から、あの安田講堂に篭ったときも、「反帝反共」をとなえていました。もちろん、天皇制を否定したことは一度もありません。
 選挙では、小泉郵政選挙から投票するようになり、今まで自民党にしか投票したことがありません。でも次回はどうするかなあ。民主党に投票するのは、ちょっと難しいな。そもそも私は「民主」というのが嫌いなのです。
 そうですね、私のインターネット上のホームページのどこかに書いていると思いますが、米国というのは、ずっと、「アメリカ」と「合衆国」が対立している国だと思うのですね。それで、私は合衆国というのが嫌いです。アメリカは好きになれます。
 例をいいますと、「合衆国」は、米国の国語は米語だから、それが共通語でそれをどこでも使うべきだ、「米国の国語は米語だ」と法律で定めようといいます。「アメリカ」は、米国は自由な国だから、言葉も自由だ、何を喋ってもいい、米語が喋れなくてもアメリカ人になれるといいます。
 この「アメリカ」の考えで、たとえば、カルフォルニア州では、手紙が届かないというところが出てきます。そこらへん一帯が、漢字で住居表示がしてある地域が、スペイン語で住居表示がしてある地域があります。だから「合衆国」は、それぞれの言語の存在は認めるし、大事だと思うが、米語が国語なのだから、それを併記することを法律で定めようといいます。「アメリカ」の側は、それは駄目だ、それではわれわれのアメリカではなくなってしまうというのです。
 いや、だからこのことを書いても、日本の情勢を示すことにはならないですが、日本の民主党は、アメリカでいえば、この「合衆国」を目指す側だと思うのですね。でも実は今の自民党にも、それを感じます。だから、双方嫌なのですね。
 ああ、でも、共産党なんか相手にされなくて、このことはとても気持いいことです。

 それからですね。私の年代で、学生運動をやった諸君(いや、学生運動をやらなかった人もですが)は、インターネットもパソコンもまともに使えません。だから、私のところに書いても、永遠に無理ですよ。彼らには伝わりません。

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5cdd5f9f.jpg 義母とはいつもいろんな問答をしています。やはり、どうしても今の自分のことがうまく認識できないようです。
 写真は、昨日7日の午後6時少し前の「武蔵野大学」の正門です。江古田から歩いて10分くらいのところです。ただいくら思い出しても、私の学生運動の中で、この大学は出てきたことがないですね。だから門の前でも少しの感慨もわいてきませんでした。(05/08)

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 私の 周の掲示板 にCB750Fさんが、次の質問をくれています。

田能村直入  投稿者:CB750F  投稿日:2008年 5月 4日(日)21時39分37秒
こんなことを質問していいのか分かりませんが...
我が家に昔からある田能村直入の掛け軸ですが、恥ずかしながら
全く読めません。どういった字が書いてあるのか、どういった意
味なのか、教えていただければ幸いです。

 ええと、なんで私に質問されるのか判りません。
 そもそも田能村竹田は、その詩でけっこう親しい(大西巨人『神聖家族』の主人公が好きな詩人でもあります)思いがありますが、この直入という南画家は、私はまったく知りませんでし。
 それと、私は大学で歴史(専門は東洋史)を学んだので、それで古文書を読む授業もあるし、実際に同じ専攻科の仲間でみな古文書を読むゼミなんかをやっていたのですが、私はその次期は激しく学生運動の渦の中にいまして、実際の我が身も獄中にいたものですから、それにも参加しておらず、簡単な古文書も読むことができません。
 だから、大学等で、普通に学ばれた方なら読めると思いますよ。私は「直入」という文字と、あと少ししか判りません。

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08050105 一つ前の 周の『独楽吟のススメ』の96 にUPした次のことです。

これもまた私には判らない感覚なのです。そもそも私はコーヒーは飲みません。私の妻はコーヒーを昔からよく飲んでいました。好きなようです。あ、コーヒーだけではなく、紅茶も飲まないんだなあ。あ、でもジュースは飲めるようになりました。

 もう私は、大昔から、コーヒーと煙草は大嫌いでした。私は学生時代、激しく学生運動をやったわけですが、学生活動家が、喫茶店に入って、煙草とコーヒーで議論なんかしているのが、実に嫌でした。いえ、議論は嫌ではありませんが、煙草はまったく吸う気持がありませんし(今まで一度も口にしたことがありません)、コーヒーなんてまったく嫌いでした。
 ただし、酒を飲むことは大好きでした。でも私が酒飲みなことに関して、「アル中」だと言ってきたかたもいるのですが、それは他大学の活動家でした。私のいた埼大の活動家友人諸君は、絶対に私のことを、そう思わないはずです。私は30歳のときと、57歳のときに100日の断酒をしました。でも別に何にもなかった(いえ、こういうふうに酒を絶つと、身体の悪い処が出てくるそうです。そのために断酒をするらしいです)。つまらないので、今は普通に飲んでいます。ただし、2週間に1日は酒を抜いています。
 私がいくらアル中にあこがれをもっても、それは永遠の彼方にあります。

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 近世は日本国内とか日本の伝統性、固有性みたいなところから「自意識」というのが出てきたと思います。代表的に言えば、本居宣長やそのお弟子さんたちの系統の人たちが国学を始めたわけです。日本の古典とか、神話とか、古代からの伝統的な問題と、日本固有の文化、特に文学についての考察を儒学者と違ったところで、つまり幕府とはあまり関係ないところで、自分たちはどうなんだということで、"自意識の学問"としての国学を、いまで言えば古典文学と国語学を本格的に始めたのが近世なんですね。
 これは自意識の実践運動だから、明治維新の思想的原動力は国学的なところから生じたということですね。
(「よせやぃ。」『自意識について───第三回座談会』)

 国学は自意識の実践運動だったというのは、大きく頷いてしました。思えばこのことは、私自身にも大きく言えることだなあ、と強く感じました。いえ、私はいわゆる若き日に学生運動に入り込んだのも、このことが大きかったなあと思い込んでいるのです。でも思えば、私のそう思った頃から、少しの進歩もありません。ただただ、私はそのままのところに居るだけです。

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 文学者の中でも武田泰淳は、「俺は大学を中退した奴じゃないと信用しないんだ」と言っていますね。一方で太宰治は、カンニグしてでも何でもいいから、とにかく卒業してしまったほうがいいという考え方です。僕はどちらかというと、太宰治と同じ考え方。太宰治が好きでもありますのでね。(「よせやぃ。」『教育について───第一回座談会』)

 この言葉は、太宰治の言葉としても、吉本さんの言葉としても私には大きく考えてきていたものです。私はだから、大学を卒業したものです。同じ学生運動をやった中で、ごく少数が卒業しない路を選んだ人もいる。けっこう、「卒業したほうがいいんじゃないの」と言ったものでしたが、しない人もいたものでした。

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 私の母が亡くなりました目森一喜 さんから次のコメントをいただきました。

1. Posted by 目森一喜    2007年08月14日 20:48
 お悔やみを申し上げます。

 ありがとうございます。思えば、目森さんは私の母には会ったことがないんだねえ。私の学生運動での友人たちは、けっこう私の母とも、そういえば父とも会っていることが多いのですよ。そういえば、私の学生運動の関係の後輩たちとも、私はその親、とくにお母さんとは会っていることが多いですね。思えば、私のいた埼玉大学では、大学の学生課等の職員の方とも、私の両親はよく会っていますね。そして、私も大学時代のみならず、そののちも、よく会っていたものでした。
 今思い出せば、大学では各門のところの守衛さんたちとも何故か親しくなったものでした。これが思えば社会に出てからも、いつも守衛さんとかガードマンとかいう方々とも仲良くなれたことなのかなあ。どこへ行ってもさまざまな出会いがあったものでした。

 思えば、みんなから、「あなたのお母さんが一番思い出がある」と言われ続けたものでした。

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 私は昭和23年生まれで、大学に入学したのは昭和42年(1967)のことです。ちょうど私は「団塊の世代」と言われる年齢であり、大学では三派全学連、全共闘の時代でした。そして私もその真っただ中で激しく活動していました。ただ、私は学生運動だけではなく、サークル活動も、学園祭も、恋愛も、アルバイトも、何もかも激しく動き回ったつもりであります。
 そんな私の学生時代とその時代の仲間たちのことを書いておこうと思っておりますページがここです。
 まだたいしてUPはしておりませんが、そのうち当時のビラや写真が発見できると思いますから、たくさんいろいろと書いていきたいと考えております。
 書きました日時の順で並んでいます。 (2004.03.11)

   http://shomon.net/garakuta/gaku.htm  周の学生時代

 思えば、学生時代のたくさんの記録もあるのですが、なんだか私のホームページ上に書いておくのも羞しい気持にもなってしまいます。思えば、ただただ若いだけでしたからね。
 今は少し思い出して、「これは書いておこう」というものは書いていこうとだけ思っています。青春はやはり、いくつも懐かしいが羞しい思いがこみ上げてくることばかりです。

続きを読む

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 私は埼玉大学の教育学部出身です(入学は1967年、卒業は1973年です)。中学課程の社会科専攻で、専門は東洋史でした。もともとは、将来は教員になろうかなと考えていたわけですが、私の時代は、実に学生運動の盛んなにときでした。そうした中で、そういう道は歩かず(実際に公民権停止が続きましたから、事実上無理な話でした。)今の姿になったわけです。この私の大学卒業後の職歴に関しては、

   http://shomon.net/work/shoku.htm  周の職歴

書いてあります。
 ただ、教員にはなりませんでしたが、この「教育」ということに関して、ずっと関心を抱いてきました。私が加わりました東大闘争その他で、「教育とは何か?」という問いがあったときに、私は「教員にならなくとも、教育には誰でも携わっていけるし、そうしていくべきだ」と思っていたものです。
 また私には二人の娘がいますが、この二人の「教育」ということでもいろいろなことを考えてきたものです。そして長女は東京都の小学校の美術の教員になりました。次女は、千葉県の小学校の教員になりました。今でもよく「教育」についてのことを娘二人とよく話しています。二人の職場にもよく行っています。
 この私がこの「教育」についてさまざまに展開していこうと考えていますのがこのページです。               (2005.10.24)

   http://shomon.net/kyoiku/  周の教育の森

 私の長女の夫のみつ君も埼玉県の教員です。そして今年の3月25日に結婚する次女ブルータスの彼も千葉県の教員です。だからこの4人が集まるといつも自分たちの生徒たちの話になります。このときにそばにいる私も実に真剣にその話をきいています。
 いつも思うのが、今の生徒たちのご両親の教育に対する関心の高さです。これは私にはとても素晴らしいことに思えます。
 それともう一つは、もうどこの地域でも、日本人でない子どもたちがクラスに入ってきていることでしょうか。このこと事態はいいことだと思うのですが、でも教育の現場ではかなり大変な時代になっているのですね。
 でもつねに私も関心をもって、この教育について考えていく姿勢は失わないつもりです。
 私の生まれたばかりの初孫も、すぐに保育園に通うようになるでしょう。そうするとまた、すぐに教育の現場と触れ合うようになるのですね。私は積極的に関わってまいります。

続きを読む

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